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2018年6月 3日 (日)

初金を板橋教会で

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6月はイエスの御心の月ですが、その初金を、板橋教会のミサで祝うことができました。週日に小教区を訪問する機会はあまりないのですが、今回は、なるべく早く訪問してほしいという主任の久富神父様のリクエストもあり、初金の機会に集まってこられる皆さんと一緒にミサを捧げることになりました。

板橋教会は1953年以来、フランシスコ会が司牧を管轄していたこともあり、聖堂の横に立っているのは、いかにもフランシスコ会修道院の雰囲気のある建物です。いくつもの寝室が並んでいたりして、久富神父様ひとりには、確かに大きすぎるというか、さみしく感じる建物かも知れません。司牧に関しては2011年にフランシスコ会から教区司祭に移管され、現在に至っています。

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聖堂は、山小屋のような作りで、岩手県で働いていたベトレヘム外国宣教会のスイス人宣教師の設計だと伺いました。どなたか詳細をご存じですか。そしてこの聖堂の何本もある柱には、いろいろな聖人の御像が掲げてあるのですが、その一番前、右手の柱には、タルチシオの像が(写真下)。迫害時代の初代教会のローマにて、御聖体をとらえられた信徒のもとに届ける途中に殺害された殉教者ですから、侍者の保護の聖人です。

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ミサ後には、集まってくださった皆さんと昼食会。北町教会から参加してくださった方もおられました。週日の昼間に時間を作って集まってくださった皆さんに、感謝します。

以下、以前、2006年にこのブログに書いた、初金についてのエントリーを再掲します。

初金のミサは伝統的に「イエスのみこころ」の信心であるといわれています。17世紀後半の聖女マルガリータ・マリア・アラコクの出来事にもとづく伝統であります。聖体の前で祈る聖女に対して主イエスが出現され、自らの心臓を指し示して人々への回心を呼びかけた出来事があり、それに基づいて、9ヶ月の間、初金に聖体拝領を受ける人には特別なめぐみがあるといわれる伝統的信心です。イエス様がこちらをじっと見つめながら、手には燃えるような自分の心臓を持っている絵を目にしたことがありませんか。十字架上で刺し貫かれたイエスのみこころは、全人類に対する神の愛の象徴として、神の心そのものとして称えられるのです。

教皇ベネディクト十六世は、教皇ピオ十二世回勅『ハウリエティス・アクアス』発布50周年に際して、2006年5月15日付でイエズス会の総長に宛てて送った書簡のなかで、イエスのみこころへの信心は決して過去のものではなく現代的な意味があると述べながら、次のように記します。

「内面的に神を受け入れた人は皆、神によって形づくられます。神の愛を経験した人は、その愛を「召命」として生きなければなりません。人はこの「召命」にこたえなければなりません。主は「わたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」(マタイ8・17)かたです。この主に目を注ぐことによって、わたしたちは人の苦しみと必要にもっと気づくことができるようになります。
 槍で刺し貫かれたイエスの脇腹を礼拝しながら観想することにより、わたしたちは、人びとを救おうとする神のみ旨を感じることができるようになります。この観想によって、わたしたちは、救いをもたらす神の憐れみに自分をゆだねることができるようになります。それと同時に、この観想は、神の救いのわざにあずかり、神の道具となりたいというわたしたちの望みを強めます。」(全文は中央協議会のHPで)

初金にあたり、イエスのみこころに満ちあふれた神の愛を想い、その愛に与りながら、自らも神の意志を実現する道具として生きる決意を新たにすると共に、神が作られた命を育むすべての兄弟姉妹に、思いを馳せて生きたいと思います。

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