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2018年6月23日 (土)

川原謙三師葬儀ミサ説教

去る5月31日に97歳で帰天された、東京教区司祭レオ川原謙三神父の葬儀ミサは、6月8日に東京カテドラルで行われました。以下当日の説教の原稿です。

なお川原神父様は生前、献体をご希望されましたので、納骨などは後日また執り行います。

川原謙三神父様は、5月31日、97年の人生に幕を下ろされました。私が東京の大司教として着座をしてまだ半年しか経過していませんが、その間に、立て続けに3名もの大先輩司祭を東京教区は失いました。司祭とは就職した職業の名前ではなく、一人の人の生き方そのものの名前です。高齢になって健康が許さなくなり、役職としての主任司祭や協力司祭から退いたとしても、また仮に立ち上がることができなくなって寝たきりになったとしても、司祭はそのいのちが終わる瞬間まで、司祭としての人生を歩み続けるのですし、その召命は永遠の召命です。その意味で、川原神父様も、引退され、また最後は寝たきりになられましたが、その人生の最後の日まで、司祭として生き抜かれたのだと思います。神父様の人生をかけた司祭としての歩みに、心から感謝したいと思います。

さて川原神父様は、10年ほど前に、自叙伝を著しておいででした。神父様が亡くなられてすぐ、その自叙伝を手にすることができましたので、少し読んでみました。そこには、神からの召命が、いかに私たち自身が気がつかないところで静かに準備されているのかが、神父様の体験を通じて記されていました。

ご自分が戦後に洗礼を受け、司祭への道を歩んだことを振り返り、神父様は自叙伝にこのように記されています。

「実は私がこうした信仰を持ち、このような仕事をするようにと、神は私が幼少の頃から計画され着々と手を打って来られたのではないか・・・。そんなことは君の思い込みに過ぎないと言われれば一言も反論できないことだが、自分の一生を振り返って自分の人生の意味を知ろうとし始めてから、この考えが少しずつ頭をもたげてきて、今は確信といえるまでになった・・・。」

神父様は、神からの召命への選択は、私たち人間の側に主導権があるのではなく、それを準備してくださる神の側にあるのだと、また、私たちはその道がいかに無駄な回り道のように見えたとしても、そこには神の配慮があるのだと信じて、準備された道をあらがうことなく進むことで、召命に応えていくことができると書かれています。

ご存じのように川原神父様は、陸軍士官学校に入られ、陸軍軍人としての人生を歩んでおられました。通信隊の士官として中国戦線に派遣され、その後、敗色の濃くなっていた時代に、パプアニューギニアのブーゲンビル島に転戦となり、そこで敗戦を迎えたと記されていました。

実は私は数年前に、そのブーゲンビル島に一週間ばかり出かけてきたことがあります。ブーゲンビル島はパプアニューギニアからの独立を訴えて長年の戦いや運動があり、暫定政府が置かれています。暫定政府の大統領は元司祭ですが、その方の知人からの招きで出かけ、地元の司教様のところに泊めていただきました。私にとっては、当時は新潟の司教でしたから、新潟県長岡出身の山本五十六元帥の終焉の地でもあり、また私の祖父が戦争中にいたラバウルもすぐ近くの島にあります。

新潟からの司教が来たと言うことで、撃墜された山本五十六元帥搭乗機の残骸が残されている森の中まで案内していただき、そこで一緒に来られた方々や地元の方々とともに、平和のために祈りを捧げることができました。その撃墜現場までは、車を降りて片道6キロのジャングルの中を歩いて行かなくてはなりません。暑いです。蒸しています。幾たびも水路を渡らなくてはなりません。その前の日には、旧日本陸軍の要塞の跡も訪ねました。これまた片道4キロほどのジャングルの中をかき分けながら歩いてやっと到達した先に、すさまじいほどの大きさと分厚さのコンクリートの建物が残っていました。そのジャングルの中を、たった二日間歩いただけですが、歩きながら、こんな環境の中で、どうやって兵隊たちは生き延びたのだろうと考えさせられました。栄養補給もままならず、マラリニアにもかかる中で体力を消耗しながら、どうやって生き延びることができたのだろう。あまりに過酷な環境です。川原神父様の自伝にも、そのあたりの情景が、短いけれど記されていました。多くの人が命を落としていった情景が記されていました。中でも悲しく読んだのは、誰一人付きそうものもなく、負傷し体力を失い、一人で後方に引き上げていく兵隊が、道半ばで倒れ戦死していく姿であります。

今現在もそうなのですが、川原神父様が派遣された当時も、ブーゲンビル島はクリスチャンの島であります。神父様が特に記されていたのは、南方のこの島で、人々が村の中心に聖堂を築き、それを大切にし祈りのために集まってくる、その熱心な祈りの姿に感銘を受けたことでした。ほかの箇所には、そのときに耳にした美しい聖歌の響きに、心から驚いたことが記されていました。

美しい歌声は今でも変わりません。ミサに集まった聖堂一杯の人々が、素晴らしいハーモニーで聞かせる歌声は、本当に神からの恵みだと思わせるものがあります。

過酷な環境の中で多くの人が命を落としていった戦争の最中にも、神は召命への道を用意していたのだと、川原神父様は自叙伝に記されています。この過酷な環境の中で出会った祈る人々の姿と美しい歌声が、川原神父様の心にキリスト教へのあこがれの基礎としてしかっりと刻み込まれたのだと言います。

戦後に復員してからは、日雇いの仕事に出かけ、その中で銀座での靴磨きの職を得られます。そこで、かつて銀座の三越の七階にあった銀座教会の信徒の方々との出会いが、神父様の受洗と、その後の司祭への召命につながりますが、そういった靴磨きに始まる一連の出来事も、神父様に言わせると、ご自分の召命のために神さまが準備してくれた道であると言います。

私たち一人一人にも、神からの呼びかけ、召命があります。そもそも神様は、一つ一つのいのちを無為に想像されたのではなく、大切ないのちとして一つ一つに賜物を与え使命を与えられています。その使命に応えて生きることが召命に生きることであり、それはある人にとっては司祭や修道者になることです。しかしそれは司祭や修道者に留まるのではなく、様々な形で、私たちには使命を生きる道が与えれています。

そしてその召命への道は、神によって準備されている。何度も何度も、私たちの人生の中の出来事によって、神は道を示されています。ですから問題なのは、私たちがそれに気がつくのかどうかであります。示された道に身をゆだねる勇気があるかどうかであります。

一人の司祭を御父の元へお返しするとき、私たちはその後を誰が引き継ぐのかを真摯に考えなくてはなりません。川原神父様を見送り、その永遠の安息を祈りながら、神父様が人生を通じて示された福音の証しに倣い、私たちも神に与えられた使命を見いだす努力と、またその道に身をゆだねる勇気を持つことができるように、ともに祈りましょう。

数年前にブーゲンビル島に出かけた折に撮影した写真です。

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