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2018年10月21日 (日)

「初めてのミサ」

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10月20日土曜日の午後3時から、関口の東京カテドラル聖マリア大聖堂を会場に、カトリックアクション同志会の主催になるラテン語でのミサが行われました。

毎年恒例で行われているこのミサには、東京教区内は言うに及ばず、全国各地(今年は沖縄からの参加者もあったとうかがいました)から、ラテン語の聖歌を中心に練習を積んだ聖歌隊の方々が集まります。聖堂内は参加者で一杯でした。

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毎年このミサのために各地から駆けつける司祭たちもおられ、その中には、私の修道会の大先輩である青山玄神父の姿も。教皇大使と参事官も参加され、特に参事官は素晴らしい歌声で、福音を歌ってくださいました。

司式は私です。ほぼすべて歌ミサにしました。どのように思って頂いたのかわかりませんが、私はラテン語のミサを司式するのは生まれて初めてです。つまり1986年に司祭に叙階されてから、昨日まで、ラテン語でミサを司式したことはありません。人生の初体験をいたしました。

もっとも、会議の関係で毎年何度もラテン語で捧げられるミサには出たことがありますし、その昔、小神学校の日曜日のミサはラテン語でしたので、ミサ自体は生まれて初めてではありませんが、自ら司式したのは初めてでした。

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で、あらためて感じ入ったのは、高田三郎先生の偉大さでありました。カトリック聖歌集ができあがり発行されたのは、第二バチカン公会議のさなかの1965年ですが、中心になられた南山大学の教授であった山本直忠先生(山本直純氏のお父様)とともに作業に取り組まれた高田三郎先生が、それ以降の日本の典礼音楽の中核を担われるきっかけになりました。

高田先生はそれから日本語の典礼が急ピッチで翻訳されるのにあわせ、もちろん詩篇を歌うことができるようにと典礼聖歌を作曲する中心におられましたが、それ以上に、膨大な量となる典礼の本文を、歌えるように作曲をされました。現行のミサ典書は、使用頻度が少ない箇所や複数の選択肢がある場合などを考慮して、翻訳を後回しにした部分があるため暫定と呼ばれますが、歌ミサのために、縦書きの特長を生かして、行の左右に点を打つことで音の上がり下がりを譜面なしで示しています。

私は、特にカテドラルなどでミサをする機会には、できる限り歌うようにしていますが、昨日ラテン語で叙唱や第一奉献文を歌いながら、高田先生が、ラテン語の旋律の特長を生かしながら日本語のミサの旋律を作曲された細やかな配慮と、その作業をかなりの短時間のうちに成し遂げた驚異の集中力に、あらためて気がつかさせられました、というよりも、先生、恐れ入りました、としか言い様がありません。

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さて、今回のミサの意向は、「世界の難民と日本人拉致被害者のため」とされていました。世界各国語でささげられた共同祈願に象徴されるように、人類普遍の願いとして、すべての人の人間の尊厳が護られるようにと、祈りが捧げられました。またこのミサの意向にあわせ、拉致被害者のご家族の方も、数名、ミサに参加してくださいました。国家の政治的な意図による暴力で人間の尊厳を踏みにじられるような非道なことがなくなり、被害に遭われたすべての方々に希望の光がもたらされますように。

以下、説教の原稿です。

わたしたちの人生は、すべて旅路のなかにあります。それは、時の流れを人生の終わりに向かって歩み続ける旅であり、またいつかどこか、他の場所へと、具体的に移動をする旅でもあります。時にその旅路は、喜びや希望のうちにあり、また悲しみや不安の中で続けられる旅もあります。時にその旅路は、いのちの危険をもたらす旅路であったり、人間としての尊厳を危機にさらす旅路であったりもします。

現代社会にあっては様々な理由から、生まれ故郷を離れ、見知らぬ地へと移り住む人が少なくありません。また地域の紛争によっていのちが脅かされ、安全のために移り住むことを余儀なくされる人たちも大勢おられます。また自らの意思に反して、人間の尊厳を危機に陥れるような旅路に出ざるを得ない人たちすら存在します。

教会は、その旅路がどのような理由で始められようとも、そのどこにあっても、どのような状況にあっても、神の似姿である人間のいのちの尊厳は、常に守られなくてはならないと主張します。

先ほど朗読された申命記には、「あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった」と記されていました。困難に直面する人々に、救いの手を差し伸べることは、キリスト者の務めです。

わたしたちが最優先するべきなのは、移住者の現在の法律的な立場ではなく、人間としての尊厳であると、教会は長年にわたり主張してきました。例えば1996年世界移住の日のメッセージで、教皇ヨハネパウロ二世はこう指摘しています。

「違法な状態にあるからといって、移住者の尊厳をおろそかにすることは許されません。・・・違法状態にある移住者が滞在許可を得ることができるように、手続きに必要な書類をそろえるために協力することはとても大切なことです。・・・特に、長年その国に滞在し地域社会に深く根をおろして、出身国への帰還が逆の意味で移住の形になるような人々のために、この種の努力をしなければなりません。」

教皇フランシスコは、難民や移住者への配慮を、いのちの尊厳に基づいて強調されています。それぞれの国家の法律の枠内では保護の対象とならなかったり、時には犯罪者のように扱われたり、さらには社会にあって異質な存在として必ずしも歓迎されないどころか、しばしば排除されている人たちが世界に多く存在する。教皇フランシスコは、危機に直面するそのようないのちの現実を前にして、法律的議論はさておいて、人間のいのちをいかにして護るのかを最優先にするよう呼びかけています。

教皇就任直後に、教皇はイタリアのランペドゥーザ島を司牧訪問されました。
この島は、イタリアと言っても限りなくアフリカ大陸に近い島です。2000年頃から、アフリカからの移民船が漂着するようになり、亡くなる人も多く出て、社会問題化していました。

難破した船のさまざまな部品を組み立てたような祭壇や朗読台。この象徴的な朗読台の前に立ち、教皇はこの日の説教で、その後何度も繰り返すことになる「無関心のグローバル化」という事実を指摘しました。その説教の一部です。

「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった。これが私たちに、はかなく空しい夢を与え、そのため私たちは他者へ関心を抱かなくなった。まさしく、これが私たちを無関心のグローバル化へと導いている。このグローバル化した世界で、私たちは無関心のグローバル化に落ち込んでしまった」

母国を離れようとする人には、他人が推し量ることなどできない様々な事情と決断があったことでしょう。それがいかなる理由であったにしろ、危機に直面する命にいったい誰が手を差し伸べたのか。その境遇に、その死に、誰が涙を流したのか。誰が一緒になって彼らと苦しんだのか。教皇は力強くそう問いかけました。

いのちの危機にさらされ、困難の中で希望を見失っている人たちへの無関心が広がる一方で、異なるものを排除することで安心を得ようとする社会の傾向も強まっており、排除や排斥によって人間の尊厳が危機にさらされる事態も相次いでいます。

こういった事態を打破するために、互いをよく知ろうと努力することが不可欠だと教皇フランシスコは強調されます。私たちは、未知の存在と対峙するとき、どうしても警戒感を持ってしまうからです。対話がない限り互いの理解はありえず、理解のないところに支えあいはあり得ません。

今年の世界難民移住移動者の日のメッセージで、教皇フランシスコは「出会いの文化」を生み出すことの必要性を強調しながら、ヨハネパウロ二世の言葉を引用されています。

「共生というのは、移住者が自らの文化的アイデンティティを抑圧され、忘れ去ってしまうような同化を意味しているのではありません。むしろ、他の人とのかかわりは、彼らがもつすばらしい面を快く受け入れるように心を開き、他者の中にある『隠されているもの』を見つけ出すように導きます。そして、お互いにもっとよく知り合うようになるのです」

神における一つの体として生きるわたしたちは、いのちの危機にさらされ、困難の中で希望を見失っている兄弟姉妹を見捨てることはできません。

福音の光に導かれて生きようとする私たちは、神から賜物として与えられた人間のいのちが、その始まりから終わりまで、一つの例外もなく尊重され護られなくてはならないと、あらためて強調します。人間のいのちを危機にさらすような現実を生み出している社会のありとあらゆる意図、さらには政治的な意図に対して、あらためて人間のいのちの尊厳を最優先とするように、教会は呼びかけます。

神が自らの似姿として愛を込めて生み出されたいのち。一人ひとりのいのちが大切にされ、その人間の尊厳が尊重される社会が実現するよう、聖霊の導きを祈り求めたいと思います。

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