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2018年10月27日 (土)

聖オスカル・ロメロ大司教列聖感謝ミサ@東京カテドラル

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去る10月14日にローマにおいて列聖されたエルサルバドルの殉教者、聖オスカル・ロメロ大司教の、列聖感謝ミサが、本日10月27日の土曜日午前10時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂でささげられました。

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私が司式し教皇大使が共同司式された今日のミサは、エルサルバドル大使館の主催で行われました。駐日エルサルバドル大使のマルタ・リディア・セラヤンディア・シスネロス 閣下が、8月の中頃に大司教館においでになり、是非とも母国の偉大な聖人の列聖に感謝してミサを捧げたいと希望を述べられたことからすべてが始まりました。(上の写真、右端がエルサルバドル大使、その隣は教皇大使)

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今日のミサには、東京在住の外交団からも、大使の招きに応じてたくさんの方が参加してくださいました。また信徒の方々もおいでくださったことに感謝します。

また聖オスカル・ロメロ大司教は、国際カリタスの保護の聖人の一人でもあります。そのこともあり、今回カリタスジャパンでも列聖記念のカードを作り、今日のミサでも受付などで協力させていただきました。

エルサルバドルの兄弟姉妹の皆さんに、心からお祝いを申し上げます。

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以下、本日のミサの説教の原稿です。

1980年3月24日午後6時ころ。エルサルバドルの首都サンサルバドル教区のオスカル・ロメロ大司教は、住まいとしていた神の摂理病院の聖堂でミサを捧げておられました。午後6時25分、説教を終えて奉献に移ったところで、聖堂の扉の陰に隠れていた暗殺者の放った銃弾によって、聖オスカル・ロメロ大司教は殉教の死を遂げました。 

去る10月14日、教皇フランシスコはサンピエトロ広場で行われたミサの中で、7名の方々を聖人として宣言し、その中には、第二バチカン公会議を主導した聖パウロ6世、そしてエルサルバドルの殉教者聖オスカル・ロメロ大司教が含まれています。

聖オスカル・ロメロ大司教は、エルサルバドルの方々にとって尊敬するべき聖人であるとともに、全教会にとっても、そして特に私が長年にわたって担当させていただいている教会の人道援助団体である国際カリタスにとっても、重要な位置を占める聖人であります。

世界各地160を越える地域のカリタスを束ねる国際カリタスは、3名の保護の聖人を定めています。一人目は、聖マルチン・デ・ポレス。1579年にペルーのリマで生まれたドミニコ会士は、謙遜のうちに生き、祈りに多くの時間をささげ、人種や皮膚の色、社会的地位によらず、すべての人を大切にし、貧しい人たちに奉仕した聖人です。困難に直面する人たちへの奉仕の模範の聖人です。

もう一人は、コルカタの聖テレサ。マザーテレサとして有名な聖女について、あらためて説明するまでもないと思います。

そして三人目が聖オスカル・ロメロ。『友のために命をささげる。それ以上の愛はない』と言うイエスの言葉を、人生のすべてをかけて、その行いと言葉で証しをした聖人です。

『友のために命をささげる。それ以上の愛はない』と、聖書の言葉を口で繰り返すことは難しいことではありません。しかし、現実の苦しみと困難の中で、また自分のいのちの危機が迫っている中で、本気でこの言葉を口にし、その言葉通りに真摯に生きることは、簡単なことではありません。

わたし自身の、アフリカでの様々な体験からも、いのちが危機に瀕しているいざというときにあってでさえも、そのように行動しようと決断することは、大きな勇気と深い信仰の力を必要とします。そして、その「大きな勇気と深い信仰の力」は、今必要だからと即席に身につけることができるものではありません。人生をかけた決断は、人生の中での信仰の積み重ねによって初めて可能になります。

ロメロ大司教の人生は、まさしくその積み重ねが生み出した、「友のために命をささげる。それ以上の愛はない」を具体的に生きた人生であります。

オスカル・ロメロが大司教となったのは、エルサルバドルで富裕層と結託した軍事政権が、抑圧的な支配によって、数々の人権侵害が起こっていた時代でした。70年代、貧富の格差にはすさまじいものがあり、貧困層の農民の声を代弁しようとする教会の指導者が多く現れ、軍部や富裕層と激しく対立していました。そのような中で、聖オスカル・ロメロは首都サンサルバドルの大司教に任命されました。

ロメロ大司教は、最初から先頭に立って権力に対峙するような過激な人物ではなく、穏健派とみられていたと言われます。聖人を個人的に知っている人たちは、すくなくともその頃、聖オスカル・ロメロが将来殉教者になるなどとは、誰も想像していなかったと言います。ただ、ロメロ大司教はサンサルバドルに任命される前の3年間、司教を務めたサンチアゴ・デ・マリア教区において、農民に対する激しい抑圧に衝撃を受け、圧迫され搾取されている貧しい農民たちのために何かをしなければならないという思いを強めていたと言われます。

ロメロ大司教が1977年2月22日にサンサルバドル教区に着座した直後、3月12日、イエズス会のルティリオ・グランデ神父が、ミサに向かう途中、殺人集団によって暗殺されました。貧困層のために尽くしていたグランデ神父は、ロメロ大司教の個人的な友人でもありました。

この日を境にロメロ大司教は、保守的で政治に無関心な人物から、貧しい人たち、権利を奪われている人たちのために積極的に発言し、行動するリーダーの立場を明確に生きるようになったと言われます。その決断は、当然、自らの命を危険にさらすものでありました。そしてそのような人生を賭した決断は、簡単にできるものではありません。信仰における勇気は、簡単に手にすることができるものではありません。そこには長い年月の霊的な蓄積があり、堅固な信仰の基盤があったからこそ、自らの信じる福音に忠実に生きようとする決断をすることができたのだと思います。

翌日曜日、ロメロ大司教は教区内のすべてのミサを中止にして、カテドラルでの司教ミサに集まるように呼びかけました。集まった10万人以上の前でロメロ大司教は、「だれでもわたしの司祭に手を出すものは、私に手を出すのだ」と宣言します。そして軍部による誘拐、監禁、拷問、殺害などあらゆる人権侵害の事案について調査する委員会を立ち上げ、被害者の家族を援助する仕組みを構築しました。

そういった彼の「変身」を快く思わない人々は様々な圧力をかけ、とうとう1979年9月には、殺害予告がロメロ大司教のもとに届いたのです。

そして運命の1980年3月24日。その前日のミサの説教でロメロ大司教は軍人たちに向かって語りかけ、倫理にもとる命令には従う義務はないとさとし、こう締めくくりました。「神の名において命じる。抑圧を止めなさい」

10月14日の列聖式ミサで、教皇フランシスコは次のように呼びかけました。
「ロメロ大司教は、福音にしたがって自分の命をささげようとして、貧しい人たちや友と一緒にいるために、イエスとその兄弟姉妹のために心を割いて、この世における安住と自分の身の安全さえも手放しました。」

その上で教皇は、「イエスはラディカルです。彼はすべてを与え、すべてを求めます。完全な愛を与え、揺らぐことのない心を求めます。今日でも主は、ご自身を生きたパンとして与えられます。私たちは、せめてパンくずくらいでさえも、主にお返しできるでしょうか」

友のために、兄弟姉妹のために、その命を危険にさらすことを恐れず戦った聖オスカル・ロメロ大司教は、62歳で殉教の死を遂げました。すべてを与えられた主イエスに、すべてを返されました。

私たちも、聖人の取り次ぎのよって、勇気を持って福音に生きることができるように、祈り続けましょう。

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