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2019年1月27日 (日)

碑文谷教会訪問

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本日の日曜日、目黒区にある碑文谷教会を司牧訪問し、ミサを捧げて参りました。碑文谷教会は、サレジオ教会と呼ばれて地域では親しまれ、教会の前のバス停も「サレジオ教会」です。

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日本の教会としてはちょっと珍しく、イタリアなどでよく見られる、聖堂の正面入り口が直接外の道路に面している造りで、門を通って塀に囲まれた敷地内にある聖堂に入るのではなく、歩道から直接聖堂に入ることができるようになっています。また、鐘楼はシンボル的で、表通りから入ってくるとちょうど正面にそびえて見えるようになっており、独特の雰囲気を醸し出しています。

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現在の主任司祭はサレジオ会のロロピアナ神父様。今日は助任の三島神父は、子どもたちの聖歌の伴奏に回り、協力司祭の張神父が共同司式してくれました。

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1月31日がドンボスコの祝日であることから、碑文谷教会では1月の最後の日曜日にそのお祝いのミサを捧げていると言うことです。また今日は子どもたちの参加するミサで、多くの子どもたちが聖堂の一番前に陣取って、素晴らしい歌声を響かせてくれました。

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また、このドンボスコのお祝いに合わせて、碑文谷教会では毎年、餅つき大会をしていると言うことで、今日もありました、餅つきが。わたしも、おいしい餅を頂いただけではなく、スータンの上にエプロンを羽織って(もちろん用意されていました)、ちょっとばかり餅つきに挑戦させて頂きました。

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碑文谷教会の聖堂については、教区のホームページにこう書いてあります。

「ロマネスク様式で、イタリア産の大理石が荘厳な落ち着いた雰囲気をかもしだしている。教会建設のためにイタリアの多くの人々の協力支援がなされた。故フェラリ修道士の力作である壁画や天井画は祈りの雰囲気を作り上げ、近年入れられたステンドグラスはキリストの生涯や、聖書や教会のシンボルなどを見事に映し出している」

美しい聖堂と素晴らしく活気に満ちた共同体でありました。今日の一日を準備してくださった皆様に感謝。

なお、25日金曜日の早朝、高円寺教会の司祭館で火事がありました。出火の原因は警察と消防で調査中です。ちょうどミサの時間であったため、主任司祭の吉池師をはじめ、怪我などをされた方はおられません。迅速に通報してくださった近隣の方々に感謝いたします。幸い近隣への類焼は免れましたが、早朝から近隣の方々にはご心配とご不便、ご迷惑をおかけしましたこと、大変申し訳ありませんでした。

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2019年1月21日 (月)

シノダリティ

東京教区の皆様には、新年の教区ニュースの冒頭でお願いしているとおり、宣教司牧の基本方針を策定するために、今年の聖霊降臨までに、多くの方の意見を伺いたいとお願いしているところです。(教区ニュースへのリンクです

具体的なお願いの詳細については、あらためて短い文書で、月末までに、各小教区にお願いをいたします。

でもその前に、今回のご意見を伺うに当たって、是非とも心にとめて頂きたい言葉があります。それが、「シノダリティ」です。

昨年10月のシノドス閉会ミサ後のお告げの祈りでの、教皇様のメッセージを、是非ともお読みください。このリンクに、中央協議会の翻訳があります。是非、ご一読を。

その中で、教皇様は、次のように言われます。

「それは「いやしと希望」のときであり、何よりも「傾聴」のときでした。傾聴するためには、時間、注意力、さらには心と気持ちを開け放つことが必要です。しかしその行程は、日々、いやしに変わっていきました」

互いの話に耳を傾け合うことの重要性です。その上で、

「傾聴というこの基本的な手だてを通して、わたしたちは現実を解釈し、現代のしるしを把握しようとしました。そして、みことばと聖霊の光のもとに、「共同体としての識別」が行われました。それは、主からカトリック教会に与えられたもっとも素晴らしいたまものの一つです。つまり、まったく異なる状況にある人々の発言や表情を集め、つねに福音の光のもとに、その現象の利点と複雑性を考慮に入れながら解釈しようとしたのです」

神の求める道はどこにあるのかを、識別するのです。それも一人でそうするのではなく、共同体としての識別です。そして、

「書面の文書を作成することを第一の目的としない「シノドス様式」です。書面の文書も貴重で有益なものですが、それ以上に、現状に即した司牧的選択をするために、老若男女が集まり、協力しながら傾聴と識別を行う方法を推進することが重要です」

「シノドス様式」と訳されている「シノダリティ」。東京教区の宣教司牧の方針を定めるに当たっても、シノダリティの道を歩みたいと思います。互いの意見に耳を傾けあい、共同体としての識別を重ねたいのです。

ですから、今回、意見を求めるにあったては、個々人の方のご意見ではなくて、二人三人が集まって形成する「共同体」の識別の結果を伺いたいと願っています。小教区全体では無理としても、何らかの形での複数の方の互いの分かち合いと傾聴と、その上での識別の結果をお聞かせ願えればと思います。

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キリスト教一致祈祷週間東京集会@小金井教会

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毎年この時期は、キリスト教一致祈祷週間です。今年は1月18日から25日まで、「ただ正しいことのみを追求しなさい」をテーマに、世界各国で開催されています。

東京教区のエキュメニズム委員会(油谷神父様担当)がプロテスタント諸派の方々と共同で企画をされた東京集会が、1月20日(日)の午後2時半から、カトリック小金井教会を会場に開催されました。

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この祈祷週間のために、小冊子が毎年用意されます。これは世界教会協議会(WCC)と教皇庁のキリスト教一致推進評議会が共同で作成するもので、これを日本キリスト教協議会(NCC)とカトリックで翻訳して利用しています。

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毎年特定の国などをテーマの中心に据えて準備が進められ、その国の教会や人々の状況に思いを馳せながら、祈りの集いがもたれていますが、今年はその対象がインドネシアの教会でした。(写真は、インドネシアの民族衣装を身にまとった、小金井教会主任の加藤豊神父様)

小冊子のテーマの解説には「人口2億6千5百万の86%がムスリムであるインドネシアは、世界最大のムスリム人口を有する国として知られています。しかし、残りの約10%は様々な教派のキリスト者です」と記されており、そこには2千万人を越えるキリスト者が存在していることを教えています。

多様な民族、言語、文化が存在する巨大な国では、多様性のうちに一致することが目指され、そのために時としてキリスト者には困難な状況も発生します。そのような中で、一致をもとめつつも、しかし自らの進む道を妥協することない信仰に生きようと、「ただ正しいことのみを追求しなさい」がテーマとして選ばれたようです。

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小金井教会の集会には、カトリックのみならず多くの教派の方が参加してくださり、聖堂は一杯でした。

礼拝の司式は私が、そして説教は、日本キリスト教協議会(NCC)の議長である渡部信師が行いました。

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確かに考えてみれば、異なるいくつもの教派が一つの名称で合同し、具体的に一つの教会として存在できると安易に考えることは、それぞれの教会に長い歴史の積み重ねがあり、教会のあり方自体に異なる見解がある現在では、非現実的であろうと思います。

しかしながら同じイエスを主キリストと信じ、同じ父を神とあがめ、同じ聖霊の働きを信じるものが、心において共有できるものがないはずがありません。わたしたちは同じ福音を信じているのですから、同じ方向を向いて、同じ価値観に支えられて、現実社会にその価値観を、それぞれの教会を通じてともに証ししていく務めを果たすという意味で、教会の一致が推進されることを祈らざるを得ません。

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2019年1月12日 (土)

東京教区修女連新年研修会@イグナチオ教会

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東京教区の修道女連盟主催で、毎年この時期に行われる新年研修会と新年の感謝ミサが本日1月12日午前9時半から午後3時まで、四谷のイグナチオ教会を会場に開催され、教区内の各地から300名を超えるシスター方が集まりました。

今年のテーマは、「真の喜びに生きる教会」で、ミサと講話を今年もまた私が担当。昨年も初めてでしたので、ミサと講話を担当しましたが、そのときに話しきれなかったことが多々あったので、(たぶんそういう意味でも)、今年もミサと講話を担当することに。

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テーマは、着座して一年以上が過ぎ、教区の宣教司牧の方針を確立する段階に入ったこともあり、現在の課題について話すことが主眼でした。同時に、先般青年たちの召命や信仰をテーマとしたシノドスがあったことから、「青年と召命」もサブテーマに。

とはいえ、シノドスの最終文書の英語訳は数日前に発表されたばかりで、今回には読み込みが間に合いません。

そこで、シノドス最終日の教皇様のメッセージ(お告げの祈り)と、閉会時に発表された短いメッセージを基にして、いくつかお話しさせて頂きました。

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その中で触れたのは、シノダリティ(シノドス様式とかシノドス的とか)のことです。

今回のシノドスの終わりに当たっての教皇様のメッセージには、今回は参加者と青年たちがともに道を歩みながら互いに傾聴を心がけ、聖霊に導かれて識別を行い、神の呼びかけに応えることを目指したのであり、文書を作成することが最終目的ではなかったと言う言葉がありました。

多くの人が互いの話に耳を傾けあい、自らの体験を分かち合い、祈りをともにし、神の民として一緒に道を歩みながら識別を重ねるところに、シノダリティの本質があるのだと言うことでしょう。

教会のあり方を考えるときに、この点を教皇様はしばしば強調されているように思います。

東京教区にあっても、宣教司牧の方針を定めるに当たって、そういったともに歩みをともにし、互いに耳を傾け合って、祈りのうちに識別を進める道を進みたいと思います。

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準備してくださったシスター方と、イグナチオ教会の皆さんに感謝します。

ところで、2019年度の教区の人事異動に関して、第一次の人事発表が、教区ホームページに掲載されていますので、ご覧ください。このあと、修道会なども含めて、数次にわたり、人事異動が発表されることになります。

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2019年1月 1日 (火)

一月の主な予定

2019年1月の主な予定です。

1月06日(日) 主の公現 (9:30新潟教会)

1月07日(月) 司祭評議会など (教区本部)

1月08日(火) カリタスジャパン会議 (全日、潮見)

1月09日(水) HIV/AIDSデスク会議 (午後、潮見)

1月10日(木) 常任司教委員会、カトリック新聞会議 (全日、潮見)

1月11日(金) ペトロの家会議 (午後、教区本部)

1月12日(土) 東京教区修女連新年研修会 (全日、麹町教会)

1月14日(月) 神言会聖霊会創立者記念日ミサ (午前中、吉祥寺教会)

1月14日(月) 新年の集いミサ (14時 カテドラル)

1月15日~19日 司教国際研修会 (海外)

1月20日(日) キリスト教一致祈祷集会 (14:30小金井教会)

1月21日(月) CTIC会議 (午前中 教区本部)、ロゴス点字図書館会議 (午後、潮見)

1月23日~24日 カリタスアジア理事会 (バンコク)

1月25日(金) 聖パウロの回心、祝日ミサ (夕方、聖パウロ女子修道会)

1月26日(土) 宣教司牧評議会 (14:30教区本部)

1月27日(日) 碑文谷教会ミサ (10:30)

1月28日(月) 司祭月例会 (午前中、教区本部)、教区社会部門連絡会(午後)、平和旬間拡大委員会 (夕方)

1月29日(火) WCRP(世界宗教者平和会議)日本委理事会 (10:30)

1月30日(水) カトリック新聞諮問委員会 (17:00潮見)

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あけましておめでとうございます。

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みなさま、新年あけましておめでとうございます。

2019年が、神様からの祝福と護りのうちに、みなさまそれぞれにとって、喜びと希望、そして平安に満ちた年となりますように、お祈り申し上げます。

2019年1月1日の深夜零時、年が明けてすぐに、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、神の母聖マリアの祝日のミサを捧げました。深夜にもかかわらず、聖堂に一杯の方が参列してくださいました。(上の写真は、今年の新潟教会の馬小屋です)

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2019年は、教皇フランシスコの来日が期待されている年です。最終的にはバチカンと日本政府の交渉によって、実現するかどうかは決まるのですが、現時点では、教皇様をはじめ教皇庁の方々は、訪日実現に向けて動いてくださっています。実現を信じながら、わたしたちは、単に訪問のときだけの準備をするのではなく、訪問が日本における福音宣教をさらに強める契機となるように、事前に霊的にも良い準備をしていきたいと思います。

その手始めとして、教皇フランシスコの書かれた文書を、あらためて読み直すことなどはどうでしょうか。ひとりでは難しくても、何人かのグループで、例えば「福音の喜び」などや、または文庫で出ている説教集などを読んでみる会を開いてみるのはいかがでしょう。日本にお迎えする教皇が、どのような教会のあり方を望んでおられるのか、学ぶことは大切だと思います。

勉強はちょっと、と言う方には、ぜひとも、教皇様のために、また教皇様の意向のために、祈ることができます。これもひとりでは大変かも知れませんが、何人かのグループで、例えばロザリオを一緒に唱えることもできるでしょう。教皇様は、常々、ご自分のために祈ってほしいと願われています。

また、2019年は、日本にあっては平成の時代が終わり、今上天皇が譲位され、新しい時代が始まる年でもあります。憲法の精神が豊かに生かされ、新しい国民統合の象徴をいただき、世界に誇る平和国家日本の存在が強められることを、心から祈ります。

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東日本大震災の発生から、この3月で8年となります。被災した各県の復興状況は異なりますが、日本の教会全体としての関わりは、様々な地域で、様々なレベルで継続されています。東京教区が関わる南相馬にあっては、取り組みが新たな次元に入ろうとしています。これからも歩みをともにする道を進みたいと思います。東北以外にも、昨年は全国各地で災害が続きました。教会の様々な取り組みをもって、いのちの与え主である神の、誰ひとり忘れてはいないと言う思いを、目に見える形にしていくことができればと思います。

創造主としての神が望まれる世界秩序が実現しない限り、本当の平和はあり得ないと思います。残念ながら、神が望まれる世界のあり方とは異なる方向に向かう出来事は、各地に数限りなく存在しています。神の御旨に誠実にしたがって、生きる勇気を願いたいと思います。

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以下、深夜ミサの説教の原稿です。

お集まりの皆さん、新年明けましておめでとうございます。

主イエスの降誕の出来事を喜びのうちに記念する私たちは、それから一週間がたったこの日、1月1日に、神の母である聖マリアを記念します。

先ほど朗読された福音には、主イエスの誕生の夜、羊飼いたちが天使に導かれて聖家族のもとに駆けつけ、そこで目の当たりにした神による不思議なわざを、今度はさらに多くの人たちに告げ知らせていった様が描かれておりました。福音には「不思議に思った」と記されていますが、実際にはどうだったのでしょう。

今でも、世界各地では、常識を裏切るような出来事がしばしば発生し、そのたびごとに私たちは大騒ぎをいたします。よりよい対応ができずに、たとえば予想を上回るような大災害が発生すると、「想定外」などといった言葉も使われます。そういった「想定外」の出来事が起こるとき、今の時代にはインターネットをはじめとした様々なコミュニケーション手段があるのですから、出来事のインパクトが大きければ大きいほど、多くの人を巻き込んだ騒ぎとなります。多くの人が熱狂します。

もし仮に、2000年前にそのようなコミュニケーション手段があったとしたら、天使に導かれて聖家族に到達した羊飼いの話はあっという間に広まり、ちょっとした騒ぎを巻き起こしていたのかもしれません。

でもわたしたちは、そういった熱狂が一時的であることを、体験を持って知っています。熱はあっという間に冷めてしまい、そうなると誰も起こった出来事に関心を持たなくなってしまう。

羊飼いたちにしても、そうであったかもしれません。その晩起こった出来事の不思議さを耳にした人たちは、一時的に興奮し熱狂したのかもしれませんが、それはすぐに忘れ去られていったことでしょう。それを福音は、「不思議に思った」という言葉で記します。

それに対して神の母である聖マリアは、出来事にいちいち興奮することなく、「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」のだと福音は記します。

すべての出来事は神の御手の中にあって起こっています。起こる出来事のいくつかを通じて、神はご自分の計画を示されることでしょう。興奮していては、熱狂していては、その神の声を聞き分けることはできません。熱狂は、結局はイエスを十字架につけて殺してしまったのです。

マリアは、観想のうちに落ち着きながら、神の思いを識別する姿の模範を私たちに示します。

いちいち例を挙げるまでもなく、諸外国との関係にあっても、国内で起こる様々な出来事にあっても、私たちは、圧倒的な情報の前で一喜一憂し、時に興奮し、熱狂のうちにあっという間の判断を下してしまいます。落ち着きましょう。私たちが興奮して焦って、人間の思い通りに何かを進めても、それが神の計画にかなうものとは限らない、どころか、しばしば反対の結果になるのです。

教皇フランシスコはこのことを、「時間は空間に勝る」という言葉で示されています。

使徒的勧告『福音の喜び』に、平和を実現するための4つの原理というのがあって、最初に言われているのがこの「時間は空間に勝る」という原理です。

教皇はこの原理について、こう言います。
「この原理は、早急に結果を出さず、長期的な取り組みを可能にします。…空間を優先することは、現時点ですべてを解決しようとする、あるいは、権力と自己主張が及ぶ空間すべてを我が物にしようとする愚かな行動へと人を導きます。」(『福音の喜び』223)

マリアは、熱狂のうちに興奮して拙速な判断をすることなく、時間を優先して、落ち着きのうちに、神の御旨を知ろうとする謙遜な姿の模範を示しています。

「時間は空間に勝る」は、平和を実現するための四つの原理の一つでありましたが、この1月1日を教会は、世界平和の日とも定めています。今年の世界平和の日にあたり、教皇フランシスコは、「よい政治は平和に寄与する」という題名のメッセージを発表され、政治に携わる人々に語りかけ、また多くの人がよりよい政治の実現に関心を寄せるようにと呼びかけられています。

その中で教皇様は、まず次のように指摘されます。
「平和をもたらすことは、キリストの弟子の使命の核心です。そしてその相手は、人類の歴史に刻まれた悲劇と暴力のただ中で、平和を願い求めるすべての人です」

その上で、政治の果たすべき役割の重要性に触れながら、次のように政治に対する前向きな期待を述べられています。

「人間のいのちと自由、尊厳に対する根本的な敬意のもとに行われるとき、政治は愛のわざの卓越したかたちとなるにちがいありません。」

そして、政治家の理想的な姿を表現するものとして、2002年に死去したベトナム出身のフランシスコ・ザヴィエル・ヴァン・トゥアン枢機卿の「政治家の真福八端」を掲げます。
こう書いてあります。

        「自分の役割に対して高い意識と深い理解をもつ政治家は、幸いである。
          信頼できる人柄の政治家は、幸いである。
          自分の利益のためにではなく、共通善のために働く政治家は、幸いである。
          一貫して忠実である政治家は、幸いである。
          一致を実現する政治家は、幸いである。
          抜本的改革を行うために尽力する政治家は、幸いである。
          耳を傾けることのできる政治家は、幸いである。
          ひるまない政治家は、幸いである」

そして教皇様は、終わりにこう指摘されます。
「政治が平和に寄与するのは、各人のカリスマと能力を正当に評価し、それを明らかにするときです。」

新しい年の初めに当たり、この一年が私たちにとって、熱狂ではなく観想のうちに、神の御旨を識別する年となりますように、またすべての人が、それぞれに与えられたカリスマと能力を正当に評価され、それに十全に生きることのできる社会が実現しますように、ともに神の母である聖母マリアの取り次ぎのうちに、神の導きを祈りましょう。

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