« 新庄教会で雪の聖母祭@山形県 | トップページ | 世界病者の日ミサ@東京カテドラル、2月11日 »

2019年2月16日 (土)

藤岡師、國枝師、納骨式@府中墓地

Fujiokakunieda1907b

今日の土曜日午前11時から、府中墓地において、二人の教区司祭の納骨式を執り行い、多くの方に参列していただきました。幸い、暖かな日差しに恵まれた穏やかな土曜日となりました。

お二人の教区司祭は、パドアのアントニオ藤岡和滋神父とペトロ國枝夏夫神父。藤岡師は昨年の11月21日に、國枝師はその5日後の11月26日に亡くなられました。藤岡師が87歳、國枝師が86歳。(上の写真、向かって左が國枝師、右が藤岡師)

ほぼ同じ時間の流れの中で、二人は司祭職を果たしてこられました。興味深いことに、お二人とも8月のお生まれでした。藤岡師は1931年8月8日、國枝師は1932年8月5日。

Fujiokakunieda1901

同じ時間を歩んできたお二人でしたが、その司祭としての人生は、同じ内容ではありませんでした。私にとってはお二人の現役時代のことは、伝聞でしか知らないのですが、その司祭人生は全く異なっていたようです。

藤岡師は、最後の最後までミサをささげることに全力を尽くした司祭でした。病気が進んで、立つことがままならなくなっても、ミサにだけは出てこようと努力なさっていました。亡くなる三日前の日曜日にも、関口教会のミサを司式されようと努力をしておられましたが、残念ながら体力がそれを許しませんでした。藤岡師の司祭としての人生は、小教区での司牧活動に全力を挙げた人生でありました。

國枝師のそれは、学生の指導司祭や様々な活動に身を投じ、どちらかというと小教区司牧とは異なる道を歩まれたようです。

しかしいずれの人生も、ローマの教会への手紙でパウロが語るように、「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません」を具体的に生きた人生であったと思います。それはまさしく「司祭」を生きた人生であったと思います。

Fujiokakunieda1904

すなわち「司祭」として生きることは、いわゆる職業としての司祭を務めることなのではなく、司祭を生きることそのものであります。「これとこれの、定められた業務を果たせば司祭がつとまる」のではなく、その生涯をかけて、最後の瞬間まで司祭を生きるのだと思います。その司祭を生きる人生は、自分のためではなく、主のために、さらにはすべての人のために、生き、死んでいく人生です。

生涯を司祭として生き抜き、いのちへの道を歩み続けた二人の司祭の、永遠の安息をお祈りください。

|

« 新庄教会で雪の聖母祭@山形県 | トップページ | 世界病者の日ミサ@東京カテドラル、2月11日 »

司教の日記」カテゴリの記事