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2019年4月20日 (土)

聖香油ミサ@新潟、東京

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教会の秘跡の執行に重要な役割を持つ聖なる油は、三種類あります。病者の油、洗礼志願者の油、そして聖香油です。これらの油は、毎年一度、その教区で働く司祭団と信徒修道者の代表と一緒にミサを捧げる司教が、祝福することになっています。聖香油ミサと呼ばれています。通常は聖週間の聖木曜日の午前中に行われることになっていますが、教区によっては知り的に広くて、その晩の主の晩餐のミサに間に合わない可能性もあります。そのため聖木曜日以外の日や、ほかの皆が集まることのできる日に行うことできるように定められています。

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現在、私が教区管理者を務めている新潟の聖香油ミサは、聖週間の水曜日の午前10時から行われました。東京教区の聖香油ミサは、聖木曜日の午前10時半から行われ、こちらには教皇大使をはじめ、岡田名誉大司教と森名誉司教も参加されました。個々に掲載した数枚の写真を見比べていただけるとわかりますが、新潟と東京では、教区の規模が本当に違います。新潟では司祭団は教区司祭と修道会司祭の全員が集まっても30人ほど。この日ミサに参加したのは20名ほどです。比べて東京は教区司祭団が70名ほど、修道会も100名を遙かに超えるので、秘めたちからと可能性はまだまだあるかと・・・。

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以下、当日の説教の原稿です。なお原稿にはありませんが、パリのノートルダム大聖堂の火事についても、冒頭で触れました。

残念なことですが、今の時点で教会を語るときに、どうしても避けて通れないのは、聖職者による性的虐待、なかでも未成年者に対する性的虐待の問題です。様々な国で過去から現在に至る中での問題が明らかにされ、社会全体から厳しい目が注がれる中で、日本においても同様の問題があることが明らかになりました。

教会は社会の現実の中でいかに善なる生き方をするべきなのかを、しばしば語ってきましたし、神の望まれる世界とは異なる世界のありように対して、厳しく批判を続けてきました。また私たちの生命が神からの賜物であり、始まりから終わりまで徹底的にその尊厳を守られなくてはならないと主張しつづけてきました。だからこそ、今その責任を厳しく問われています。
 

例外なくすべての生命を守らなくてはならないと説くものが、その立場を利用して弱い立場にある子どもや女性の人格を否定するような行動をとることは、本末転倒であります。神の望まれる世界の実現を説くものが、その神が大切にされる一人一人を排除するような行動をとることも、大きな矛盾であります。

私たち聖職者は、過去から現在に至る歴史の中で、その召命を裏切ってしまうような行動をとり、弱い立場にある女性や子どもたちを深く傷つけてしまった数々の出来事を認め反省し、特に心に深い傷を負われた被害者の方々のために、どのようなことができるのか、また同じようなことが繰り返されないために何をすべきなのか、善なる道へと戻る方策を見いだす努力を徹底して続けたいと思います。私たちの司祭叙階第一日目を思い起こし、自らに与えられた使命を再確認いたしましょう。

すでに数日前、司教協議会会長の高見大司教が被害を受けられた方の集会に参加し、一般に向けて公表したところですが、特に未成年者への性的虐待については、できる限り早い時期に全国的調査をあらためて行うことになりました。これを、語っていることを実行する誠実な教会であり続けるための、新たなる一歩を歩み始める機会としたいと思います。

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さて、そのような状況の中でも、私たちはイエスの福音を宣べ伝えることをやめるわけには行きません。それこそが私たちの第一の使命だからです。いや、教会が危機的な状況に直面しているからこそ、私たちが真摯に生きるべき姿勢は何であるのかを明確に意識しなおし、自らの本来の使命を再確認し、それに生きる決意を新たにしなくてはなりません。

私たちは、イエスの福音を告げると言いながら、恐怖や絶望を伝えたいわけではありません。暗闇をもたらしたいわけでもありません。私たちは、喜びと希望を告げ知らせたい。光をもたらしたい。

今年の10月に予定されている福音宣教のための特別月間にむけて、司教団のメッセージ、「ともに喜びをもって福音を伝える教会へ」が先日発表されました。

その中に、これまで何度も指摘されてきたことですが、次のように記されています。
「今日の日本の文化や社会の中には、すでに福音的な芽生えもありますが、多くの人々を弱い立場に追いやり、抑圧、差別している現実もあります。」

社会の常識や社会情勢が醸し出す雰囲気、法律の壁、経済の状況、政治の状況などなど、また年齢、国籍など様々な社会的要因がそこには絡んで、残念ながら社会の中心から排除されてしまう人たち、機会を奪われてしまう人たち、孤独と孤立に追いやられてしまう人たちも少なくありません。排除されるだけではなく、生命の危機に直面する人たちもおられます。

教会は、そういった社会のただ中にあって、希望の光を照らし続ける灯台でありたいと思います。安心して碇をおろすことのできる港でありたいと思います。

司教団のメッセージは、こう結ばれています。
「教皇フランシスコは2019年11月に日本を訪問する意向を示されています。わたしたちは、教皇の訪日を日本の教会に向けられた「神の恵みの風」とうけとめ、「全世界に行って…福音をのべ伝えなさい」(マルコ16・15)というキリストの呼びかけに応えて、『新たな熱意、手段、表現をもって』、絶えず全力で福音宣教に取り組む決意を新たにしたいと思います。」

まさしくその通り、私たちは今日、「『新たな熱意、手段、表現をもって』、絶えず全力で福音宣教に取り組む決意を新たにしたい」、そう思います。

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さて聖香油ミサは、日頃は目に見える形で共に働いているわけではない東京教区の司祭団が、司教と共に祭壇を囲み、信徒を代表する皆さんと一緒になってミサを捧げることによって、教会の共同体性と一致を再確認する機会です。教会憲章に「教会はキリストにおけるいわば秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具である」と記されていますが、こうして司祭団が司教と一緒に祭壇を囲んで聖体の秘跡に与ることが、「神との親密な交わりと全人類の一致の」本当に目に見える「しるし」となっていることを、心から願っています。この共同体が、社会の現実の中で、希望の光となる努力を怠らないようにいたしましょう。

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加えて、この説教のあとで司祭団は、それぞれが司祭に叙階された日の決意を思い起こし、初心に立ち返ってその決意を新たにいたします。一年に一度、司祭はこのようにして共に集い、自らの叙階の日、すなわち司祭としての第一日目を思い起こしながら、主イエスから与えられた使命の根本を再確認し、あらためてその使命に熱く生きることを誓います。

お集まりの皆さん、どうか、私たち司祭が、主キリストから与えられた使命に忠実に生き、日々の生活の中でそれを見失うことなく、生涯を通じて使命に生き抜くことが出来るように、お祈りくださるよう、お願いいたします。

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