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2019年6月15日 (土)

訃報:新潟教区ペトロ川崎久雄神父。駐アルゼンチン教皇大使カレンガ大司教

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新潟教区司祭ペトロ川崎久雄神父が、6月11日午前11時半、病気のため、入院先の佐渡総合病院で帰天いたしました。まだ70才でした。

川崎神父は、佐渡教会の主任司祭を務めておられましたが、この一年半ほどは癌が進行し、入退院を繰り返しておられました。先日5月11日の佐渡巡礼の際に、大瀧神父と一緒に佐渡総合病院に川崎神父を見舞いましたが、意識も混濁し、非常に厳しい状態であることがわかりました。

川崎神父は佐渡の出身で、ご兄妹をはじめ、佐渡教会の方々によって支えられ、司祭としての人生を全うすることができました。みなさまに感謝いたします。

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6月13日に大瀧神父の司式で、佐渡教会での密葬が行われ、その後6月14日の金曜日の午後から、新潟教会で、私が司式して葬儀を行いました。葬儀ミサには170名を超える方が参列し祈りをともにしてくださいました。感謝します。新潟教区とは長年のおつきあいのあるお隣のさいたま教区や、神学校で同じ頃に学ばれた東京教区の司祭も参列してくださいました。お祈りくださったみなさまに感謝します。新潟教区は、たった二ヶ月の間に、現役の、しかも同じ70才の主任司祭を二人も、御父のもとへとお返ししました。実働の教区司祭が10名ほどしかいない教区ですから、ここで司祭としてはまだ「若い」二人を失ったことは、大きな痛手です。召命のために、どうぞお祈りください。

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川崎神父様は、寡黙な方でした。何を考えているのかわからないことがしばしばでした。2004年の7月に新潟県の三条地域で集中豪雨の被害があった際に、川崎神父様の性格の一端を知るような出来事がありました。(当時のカリタスジャパンニュースに掲載した原稿は、こちらです。)

私は当時、まだ司教叙階前で名古屋にいたため、新幹線を乗り継いで、燕三条の駅に到着。すると当時教区事務局長であった川崎神父と三条の主任であった佐藤允広神父が待ち構えておりました。そのまま三条教会で、佐藤神父が準備していた長靴を履き、自転車に乗って、三人で被災地を見て回り、被害を受けられた方々に声をかけて回りました。7月で結構暑かったことと、坂道が多くて、自転車で走り回るのが大変だったことを記憶しています。特に川崎神父は、当時すでに結構恰幅がよくなっていたので、自転車で回るのは厳しかったと思います。大汗をかいて息が切れていました。それでも文句一ついうでもなく、本当に寡黙に自転車をこぎ、被災地を回られていました。

その日の夜、すべての視察が終わって佐藤神父と別れ、私は川崎神父の車で新潟へ向かいました。車が走り始めてしばらくして、それまで何も言わなかった川崎神父がぽつりと一言。「まさか自転車が用意されているとは思わなかったですねえ」。

かなりきつかったのだと思います。でも川崎神父は、どんなことでもそうでしたが、やらなければならないと理解したときには、それにどんなに不平があったとしても、じっと耐えながらするべきことを果たされる方でした。寡黙さは、単なる口の重さだけではなく、司祭として果たすべき務めを真摯に生きる姿勢の表れでもあったと思います。なかには、まず文句を言わなければ体が動かない人もおります。務めを果たす間中に不平を述べ続ける人もいる中で、川崎神父は、司祭としての務めをしっかりと理解し、それを好きだからとか嫌いだからとかという、自分の考えに左右されずに、果たすべき務めを忠実に果たされる方であったと思います。

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そんな川崎神父は、私が司教に叙階した直後の2004年10月から、東京へ移ることになる2017年12月まで、13年間にわたって、私の司教総代理を務めてくださいました。13年間の新潟司教生活にあって、川崎神父の、静かながらも確実な支えに、どれほど助けられたのかわかりません。感謝します。

川崎神父は、幼稚園教育にも力を注がれました。長年各地の幼稚園に園長として関わり、新潟県内17園で構成する聖母学園の理事長も務めてくださいました。最後の仕事は、佐渡教会に隣接する海星幼稚園を閉園することでありました。始めることも力のいる仕事ですが、事業を辞めることも大変な力を必要とする仕事です。カトリック幼稚園教育への川崎神父の貢献に、心から感謝します。

写真をいろいろと探したのですが、どれもこれも川崎神父らしく、明後日の方向を向いているか、ムスッとしているかで、これだという写真がまだ見つからないのですが、上の写真は、2004年9月の新潟教区司教叙階式の日の、私の右横に立つ、川崎神父です。

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もう一つの訃報です。私の2004年の新潟の司教叙階式には、教皇庁大使館参事官として参加してくださったレオン・カレンガ大司教が、亡くなられました。カレンガ大司教は日本で参事官を務めた後、2008年に教皇大使になりガーナへ赴任。さらにエルサルバドルの教皇大使を務めた後、2018年3月にアルゼンチンの教皇大使に任命されていました。詳細は不明ですが、ちょうど今世界中の教皇大使が集められて教皇様と会議をしていますが、そのローマの病院で6月12日に帰天され、葬儀はローマ時間の今朝7時半に、聖ペトロ大聖堂で教皇様司式で行われました。まだ62才でした。永遠の安息を祈ります。写真は、2010年にガーナの首都アクラの教皇大使館で一緒に撮ったものです。

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