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2019年8月10日 (土)

2019年平和旬間

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今年も日本のカトリック教会では恒例となった平和旬間となりました。広島に原爆が投下された8月6日にはじまり、8月9日の長崎の原爆の日を経て、太平洋戦争の戦闘が終結した8月15日までの10日間。毎年この時期、戦争に巻き込まれることでいのちを落とされたすべての方々の永遠の安息を祈りながら、同じような道を歩むことがないように過去の歴史に学び、政治的な判断を下すリーダーたちに平和をアピールをしながら、神が望まれる世界の構築のために進むべき道はどこにあるのかを、祈りのうちに識別しようとするときであります。

中央協議会のホームページには、次のように解説されています。

「1981年2月23日~26日、教皇ヨハネ・パウロ二世は「平和の使者」として日本を訪問し、多くの人々に喜びと希望を与えました。特に広島では、「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことである」と言われ、日本国内外に平和メッセージを発信しました。戦争を振り返り、平和を思うとき、平和は単なる願望ではなく、具体的な行動でなければなりません。

そこで日本のカトリック教会は、その翌年(1982年)、もっとも身近で忘れることのできない、広島や長崎の事実を思い起こすのに適した8月6日から15日までの10日間を「日本カトリック平和旬間」と定めました」

戦争は、一方的な事由で始まると言うよりも、その地域における国際的な様々な出来事と、国々の関係性と、国内の政治の事情と、国内外の経済の事情などが複雑に絡みあった結果として到達するのであって、確かに歴史の中で何年何月何日に戦争は始まったといえるのかも知れませんが、実際には様々な積み重ねがあって到達してしまう現実です。ですから、その事由は様々あり、その絡み合いは複雑さを増していると思います。だからこそ、ありとあらゆる側面で、何もない平時にこそ、戦争へとつながる可能性を解消し続けていくことが大切なのだと思います。

その意味で、核兵器の廃絶は、その可能性を解消するための、大きな選択であろうと思います。今年の広島でも長崎でも、市長による平和宣言では、核兵器禁止条約への署名と批准を政府に求める言及がありました。政府にあっては、様々な外交的課題がその前に立ちはだかっていることでしょうが、少しでもその理想に近づくように、日々前進する努力を怠らないでほしいと願っています。核兵器を使用したその結果を、広島と長崎の現実がはっきりと教えているのですから、人間のいのちの尊厳を思うとき、それに学ばない道は考えられません。宗教に生きる者として、いのちの尊厳と、超越者の前での謙遜を、主張し続けたいと思います。

2017年11月にバチカンで「核兵器のない世界と統合的軍縮への展望」と題した国際会議が開催されました。その会議で教皇フランシスコは、「核兵器は見せかけの安全保障を生み出すだけだ。…核兵器の使用による破壊的な人道的・環境的な影響を心から懸念する。…(核兵器の)偶発的爆発の危険性を考慮すれば、核兵器の使用と威嚇のみならず、その保有そのものも断固として非難されなければならない。この点で極めて重要なのは、広島と長崎の被爆者、ならびに核実験の被害者の証言である彼らの預言的な声が、次世代への警告として役立つよう願っている」と述べています。(訳は中央協議会HPより)

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今年は、8月5日の午後に広島に入り、夕方には平和公園原爆供養塔前で行われた聖公会との合同の祈りの集いに参加。そこから全国各地から集まった、主に若者が中心となった平和行進に参加して、カテドラルである世界平和記念聖堂まで歩きました。平和行進の先頭は十字架。そして聖公会の主教さんと白浜司教のお二人が、白のアルバを着用して全体をリードされました。宗教者による平和のアピールであることが、はっきりしたように感じます。台風の接近もあり、例年よりは暑さが強くなかったように感じました。

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その後、7時から世会平和記念聖堂で平和祈願ミサ。全国から集まった司教や司祭との共同司式で、司式は那覇教区のバーント司教。

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翌朝は、8時から開催された広島市による平和記念式典に、初めて参加しました。この時間はカテドラルでミサもあるのですが、今年は教皇大使が外交団代表6名の一人として花輪をささげることになり、同行するようにと依頼され、私とさいたまの山野内司教が参加。広島市の職員のかたには、教皇大使に専属で夜遅くから朝早くまでお世話くださり、彼女をはじめ多くの職員の方が各所でこの巨大な平和のための式典運営に力を尽くされており、その平和のための働きに感謝です。

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小雨模様であったため、どちらかと言えば涼しい朝でした。会場には朝7時には入りましたが、多くの方が早朝から列をなして、献花に訪れておられました。厳粛な雰囲気の中、8時15分に黙祷。首相の挨拶や市長の平和宣言に耳を傾けましたが、感銘を受けたのは二人の小学生による平和への誓いでありました。将来を担う世代によって力強く宣言された平和への思いが、これからも現実となり、平和が生み出され希望が生み出されることをお祈りします。

平和記念式典後、今度は新潟教区の保育者研修会のため、大阪・伊丹空港を経て移動した新潟は、晴天で猛暑でありました。

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長崎の原爆の日には、仙台で会議のため出かけることができませんでしたが、8月の1日から3日まで、カトリック医療団体協議会の第三回全国大会のために、長崎へ出かけ、お祈りする機会をいただきました。

カトリック医療団体協議会とは、カトリック医師会、カトリック看護協会、カトリック医療施設協会の三つの公認団体の集まりです。私は現時点では、カトリック医療施設協会の顧問司教で、まもなくカトリック看護協会の顧問司教にもなる予定です。

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全国から250名ほどが参加された大会のテーマは、「永井隆について考える」。長崎で被爆され、自らも負傷しながら救護活動に当たったカトリック医師永井隆は、その後1951年になくなるまで、如己堂で病の床に伏せりながら、様々な著作を通して影響を与えた人物です。

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長崎教区の山内清海師が基調講演。その後、研究者である長崎純心大学の教授であるシスター山田幸子、長崎大学名誉教授の朝長万左男先生、そして永井隆の孫である永井徳三郎永井隆記念館館長の三名によるシンポジウムと続きました。

私は、初日朝、中町教会で開会のミサを司式させていただきました。

なお、今年の平和旬間にあたって、司教協議会会長である高見大司教の談話が発表されています。こちらもぜひご一読ください。中央協議会のホームページのリンクはこちらです。

 

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