カテゴリー「旅行・地域」の5件の記事

2015年1月27日 (火)

海外で研修会参加

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先週は海外での司教研修会に参加していました。南米を中心に、アフリカやアジアの司教が約80名の参加。今回はガーナから大勢参加していましたので、いつも一番数の多い南米と比較して、アジアがとても少ない印象の会でした。某国のカトリック系シンクタンクの主催で、私は今回が三回目の参加で、日本からは私ひとりでした。

その研修会に出かけている間に、日本に対する凶悪なテロ行為が発生していました。拘束されている日本人お二人は、すでに昨年末くらいからは『イスラム国』とやら自称する過激派集団に拘束されていたようですが、身代金の要求と処刑の予告という最悪の展開になりました。そしてそのうちのお一人がすでに殺害されたのではないかと思わせる報道もあり、ご家族を始め関係者の方々の心痛は計り知れないものがあろうと思います。一刻も早い解決のためにお祈りいたします。またとらわれている方々の無事な解放のために、心から祈ります。

過激派集団は『イスラム』という宗教の名称を名乗っているものの、その実態は神を恐れ神の前に謙遜に生かされていると自覚する宗教者の行動とは全くかけ離れたものです。宗教の名の下に、神が与えられた生命をないがしろにする行動を、認めることは出来ません。ましてやこのような国際的なテロ行為は、全く関係のない個人を巻き込んで多くの方に恐怖を与え、身勝手な理由で生命を奪い、それをもって国家の体制に挑戦しようとするのですから、まさしく神の権威に正面から反する悪の行動です。テロ集団が日本を巻き込んだこの事件の先にいったい何を狙っているのかを見極めることも、神の秩序に満たされた世界を構築するために不可欠かと思います。

さて先週参加したその研修会のメインスピーカーは、ドイツのミュンヘン・フライジングの大司教ラインハルト・マルクス枢機卿でした。まだ61歳のマルクス枢機卿は、43歳で司教になり、57歳の時に枢機卿になった人物で、現在はドイツの司教協議会の会長。いわゆるC9、つまり教皇フランシスコの顧問枢機卿会のメンバー、さらに新設された経済評議会のメンバーでもあります。流ちょうな英語で、資本主義を超越したその先にある経済体制について、教皇フランシスコが何を目指しているのか、力強く語ってくれました。(上の写真のテーブル中央が、マルクス枢機卿)

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2007年4月10日 (火)

新津といえば

Jrniitsu 昨日は加茂からの帰り、鎌田師を訪ねるために新津を経由したのですが、新津といえば、昔は石油や鉄道で有名な町であったそうです。現在は新潟市と合併し、この4月からは新潟市秋葉区となりました。この新津で全国的に有名なところと言えば、JR東日本の新津車輌製作所であります。同製作所のホームページには、「新津車両製作所は、車両の計画から設計~製造~運用~メンテナンス~リサイクルに至る「車両トータルマネジメントの実現」を目標に、新潟県旧新津市にあった車両修繕工場(新津車両所)を車両新造工場として転換整備し、1994年10月に操業を開始しました」と記してあって、首都圏を中心に様々な新型車両を製造提供しているようです。

その中の一つが東京の中央線を走る新型車両E233系であります。東京駅の中央線ホームといえば言わずとしれたオレンジ色の国電型の名残を残す電車でありますが、これが最新式に入れ替わりつつあるのでした。そしてその車輌を、新津でも製造しているのです。ここから東京まで持っていくのも大変だとは思いますが、ちょうど通り道、旧新津市役所(いまは区役所か?)の目の前に製作所があり、出来上がった新型車E233系が留め置いてありましたので一枚。これだけの車輌を作る製作所が近くにあるのだから、新潟発着の電車もそろそろ更新していったらどうなのかしらと、期待するのでした。

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2006年10月 2日 (月)

あぁぁぁぁ、京葉線

Img_1482 先週の水曜日の朝に成田へ戻ってきました。KLMの成田便はボーイング747か777のどちらかですが、この日は777でありました。ビジネスに乗れるならどちらでも変わりませんが、エコノミーに乗る身としては、座席が新しい777の方が格段にありがたい。なんといってもそれぞれの座席用にモニターがあって、映画などが見られるのですから。なぜか帰りの便ではあまり眠れないのです。昨年、さいたまの矢吹助祭とアフリカから戻ったときは、ずーっとゲームをしていましたが、今回はしっかりと映画とテレビドラマを鑑賞しました。おかげさまで、うわさとなっていた「ダヴィンチコード」も見ることが出来ました。やたら暗い(薄暗い夜や建物内の場面ばかり)ので余りよく見えなかったのですが、そんなに驚くべき内容ではありませんでした。いずれにしろ、そりゃちっと話が飛躍しすぎだろうというお話の連続でした。(ちなみに写真はKLMではなくて、KLMと提携関係にあるケニヤ航空の777機内です。KLM機よりケニヤ航空機の方が、モニター画面が明るくて見やすいのです)

さて帰国した翌日は、東京で会議でしたので、朝から長野新幹線に乗って出かけました。東京が近づくと車内放送があるではありませんか。「京葉線は信号故障のため運転を見合わせております」と。京葉線といえば、中央協議会のある潮見への唯一の交通手段です。その後車内放送は、いかにして東京ディズニーランドへ行き着くことが出来るかの案内の繰り返しでした。東京駅へ到着すると、構内放送がありました。「京葉線は停電のため運転を見合わせております」と。「信号故障と停電」くらいなら、待てば何とかなるだろうと思って京葉線方面へ向かうと、駅員の皆様がそのあたりにたくさん立っておられる。そこで「潮見へ行くにはどうしたらよいでしょう」と尋ねてみると、やはり駅員氏にも良い手は思いつかれないとのこと。「有楽町まで行って、地下鉄で新木場。そこからタクシーですかねえ」そこでその通りに。新木場について東京メトロの改札を出ようとして掲示板をふと見ると、「JR京葉線は、東京駅構内の火災のため」と書いてあるではありませんか。「か・さ・い」だぁ!それは一大事。きっと東京駅ではパニックになるのを避けるために、「火災」などと不用意にいわないように注意したのでしょう。賢明です(皮肉ではありません)。で後で新聞を読めば、確かに配電盤などで火災が発生していたといいます。

とにかく新木場まで来ました。ここから潮見までは一駅。外へ出てみると案の定、タクシー乗り場は長蛇の列です。駅前の交番に入り、屈強な若い警官に、潮見までの道を尋ねました。「そこを右にずーっと行って、新潟運輸のところで左曲がればすぐっすよ」「歩いて何分くらいですかね」「20分ですかね」確かにあなたのような元気な警察官であれば、軽く20分でしょう。しかも何の縁なのか、目印は「新潟」運輸であります。「ああ早く新潟に戻りたい」と思いながら、歩き始めました。

しばらく行くと道の左側は陸上競技場になります。「夢の島競技場」とあるではありませんか。「おお、ここがあの夢の島か」と、小学生時代にニュース映画やテレビや新聞の報道などでしばしば目にした、あのゴミ埋め立て処分場の姿が脳裏に浮かんで来るのでした。変われば変わるものです。都心にこれだけ近いのに、交通が不便なためなのかもしれませんが、みどりのオアシスに変身しているではありませんか。

さすがに20分は無理でしたが、30分以内に潮見に到着でした。ローマで蓄えた体内脂肪が、少しは消費されたといいのですが。それにしても潮見は京葉線が止まってしまうと、後は東陽町へ出る都営バスくらいしか交通機関はなく、しかもバスの本数たるや両手の指で数えられるくらいしかないので、陸の孤島と化すのであります。仮に地震でも来て、例えば埋め立て地を結んでいる橋でも落ちた日には、本当の孤島になるでありましょう。夕方の会議後には、タクシーを呼んでもらったのはいうまでもありません。

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2006年6月15日 (木)

そういえば京葉線

司教総会中はカトリック会館裏にあるアネックスと呼ばれる建物に泊まっているのですが、食堂の窓からはいろいろなものが見えます。私にとって一番おもしろいのは羽田に降りる飛行機が遠目に見えることでしょうか。月曜日に秋田から羽田に飛んだときも、C滑走路に都心側から降りる、つまりお台場を右手に見ながらB滑走路(横風)に進入するかに見せかけて、ぐいぐいと左旋回しながら着陸するという、かつての香港は啓徳空港への着陸を彷彿とさせる、しかしあの迫力にはかなわない程度ではあるがパイロットはきっと張り切ってるだろうなと想像させる、あの着陸へと向かっている飛行機が見えるので、ひじょうに「わくわく」いたします。そして、窓の左手には京葉線の新木場の駅が見えるのですが、新木場の駅はかなり高い位置にホームがあります。しかしその真下にはお台場方面に向かうりんかい線のホームもあります。で、潮見を出た下り京葉線は、新木場手前でほぼ90度に左へカーブを切るのであります。加えて潮見駅手前でトンネルから出てくる京葉線は右にかなり鋭角のカーブを切るのですが、そこには左手に向かって渡り線が存在します。渡り線の先は総武線の亀戸まで続いている貨物線であります。ここにももともとの計画では潮見を通過する京葉線なる旅客線は存在していなかったのではないかと感じさせる線路のつながりがございます。本来はこのりんかい線と現在の京葉線は、一連のまっすぐ通じる鉄道として計画されていたのではないか。京葉線のトンネル地下部分はそのまま亀戸方面へ抜けて成田へ行くはずではなかったか。

そんなこと司教総会には関係ありませんが、それくらいしか楽しいことはないということでございます。

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2006年5月 2日 (火)

小泉首相がガーナに!

久しぶりに日本のニュースで「ガーナ」という国の名前を聞きました。なんと言っても、いつもは「ガーナ」と言えば、ロッテのチョコレートの名前でしか耳にしませんから。小泉首相がこの連休中にアフリカ訪問に出かけたとか言うことで、エチオピアとガーナの二カ国を訪問されております。お膳立てをした外務省もいろいろと思惑はあるのでしょうし、国会開催中は連休中しか外国には行けないという事情もあるのでしょうが、国内外でおこっている様々なことをさておいて、この二つの国(+スウェーデン)へ出かける意義がどこらにあるのか、はっきりとしません。

もちろん外務省は2002年以来「ODA総合戦略会議」というものを設置して、政府開発援助の見直しを行っているのですが、その中で国別援助計画の改訂作業を行っています。アフリカについては2004年以来、エチオピアとガーナが特に選ばれて、それぞれの援助計画の改訂作業が進んでいる、そう言う意味では、この二つの国に特に首相が出かけていくことには、政治的意味合いがあるといえるでしょう。(エジプトも入っていますが、エジプトはアフリカでありながら限りなくアラブ国家です)

ガーナが選ばれた理由は分かりやすいものがあります。ガーナは、はっきり言って援助の世界で評判がよいのです。あの悪名高いSAP(構造調整プログラム)はアフリカの多くの国で失敗の歴史を刻んできましたが、なぜかガーナでは結構うまくいったといわれています。西アフリカの国々はリベリアやシエラレオネを中心に、さらにはこの地域の超大国ナイジェリアを含めて、政情不安や内戦がこの20年近く続いてきましたが、ガーナでは1981年12月31日以降、クーデターが起こっておらず、軍事政権は1993年に第4共和制民主国家に変身し、その後軍事独裁者から民主大統領に転じたローリングス氏から現在のアクフォ大統領へと政権委譲もスムースに行われ、その意味でもこの地域の優等生です。西アフリカ経済共同体(ECOWAS)でもナイジェリアに次いでリーダーシップをとり、軍事面でも長年にわたってレバノンの国連レバノン暫定隊(UNIFIL)に兵員を派遣するなど、活躍してきました。ルワンダでも虐殺事件の時、最後まで粘った軍事要員の中に勇敢なガーナ兵がおりました。日本からもかつてこの地でなくなった野口英世博士を記念して、首都アクラ郊外のレゴンという地にあるガーナ大学敷地内に基礎医学研究所を30年ほど前に建設し、長年にわたって医療面での協力も行ってきました。外務省がその国を安全と考えているかどうかは、派遣されている青年協力隊の規模に比例するなどという向きもありますが、80年代後半には軽く100人を超える協力隊員がガーナにはいたはずです(そうでしたよね?)。日本とは太平洋戦争中の出会いまであり、英国軍の一部としてビルマに派遣された当時のゴールドコーストの兵隊は日本軍とであっていたともいわれます。首都アクラにはそれにちなんでビルマキャンプという軍事基地があるほどです。いずれにしろ、日本にとっては、安心してつきあえる数少ないアフリカの国なのかもしれません。

エチオピアを選んだ理由は定かではありませんが、近隣にはダールフール問題を抱えるスーダンや、無政府状態が続くソマリアなどもあり、そう言った国々への間接的な関わりを持つこと、またアフリカ連合(AU)の本部があることなどから、選定されたと思われます。

時間が限られているのでこれが現時点での最善の選択である二カ国なのでしょうから仕方がないのですが、しかし、ニュースなどで訪問の理由の一つに挙げていた国連安保理常任理事国入りへの支持を得るため、という目的には、たぶんあまり役に立たないでしょう。(たしかに現在のアナン事務総長はガーナ人ですが、あまりガーナで働いたことのない方ですから、それほど関係があるとは思えません。)もし本当にアフリカからの支持を取り付けたいのであれば、小泉さんが退任前にもう一度出かけるか、新しい首相が、避けて通れない合衆国参りが終わったあとにすぐにでも出かけるかして、ナイジェリアやケニアやウガンダ(英語圏ばかりですが、フランス語圏は今どこの国が力を持っているのか、よく分かりませんので)などを訪問しなければならないような気がします。

とにもかくにも、小泉首相には、よくぞガーナまで行ってくれたと思います。

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