カテゴリー「司教の日記」の1935件の記事

2018年9月25日 (火)

さいたま教区司教叙階式@浦和

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9月24日の午前11時から、さいたま市の浦和明の星学園を会場に、マリオ山野内倫昭師の司教叙階式が執り行われました。

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さいたま教区は、2013年に前任の谷司教が引退され、それ以来5年にわたって空位が続いていました。その間は、岡田大司教が教区管理者を務め、岡田大司教は東京大司教引退後も、そのまま管理者を継続されていました。ですので、これで本当に引退です。

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さいたま教区は、東京教会管区に属していますので、叙階式の司式は、私がさせて頂きました。全国のすべての現役司教と、山野内司教と同じサレジオ会員から、東チモールとパプアニューギニアの二人の司教が参加してくださいました。

共同司式してくださった司祭は100名を超えていたと思いますが、正確な数はわかりません。一番下に、当日のビデオをシグニスジャパンが公開していますので、リンクを張っておきますから、是非ご覧ください。なお、説教は岡田大司教です。

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特にさいたま教区の皆さんには、何年も待ち望んでいた司教の誕生です。心からの喜びにあふれている気持ちが、祭壇まで響いてきました。

山野内司教のモットーは「Unum Corpus In Christo(キリストのうちにあって一つのからだ、一つの心となりますように)」です。この日の閉祭の歌は、これに基づいて作曲された、さいたま教区の塩田泉神父オリジナルでした。

司教叙階式は、全国レベルで見れば結構行われていますが、一つの教区単位で見ると、そう滅多にある儀式ミサではありません。ですから、司教叙階式に精通している人はそれほどおらず、かならず式の最中には、何かのハプニングがあるものです。ビデオをよく見ると、結構ハプニングが写っていますが、しかしよく準備された式でした。

また構内の案内など、多くの信徒や修道者の方が協力しながらまとまっている様は、これからのさいたま教区の希望の姿のようにも感じられました。

山野内司教様、おめでとうございます。さいたま教区の皆さん、おめでとうございます。

なお、これで教区管理者の務めから解放された岡田大司教ですが、昨日付で、東京教区の本郷教会に居住し、本郷教会の協力司祭とすることを公示しております。

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国際ミサと堅信式@松戸教会

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9月23日の日曜日は、午前10時半から、千葉県の松戸教会で国際ミサが行われ、出かけて参りました。また、このミサの中で、3名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。

松戸教会のある地域は、千葉県と言っても東京都の隣接地で、私も自分で運転していきましたが、江戸川を挟んでいるものの、東京から千葉へと、街並みは連続しています。ちょっと南へ下ると、江戸川にはあの矢切の渡しがある、そういう地理的場所です。

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現在の主任司祭は、コロンバン会のボニファチオ・フィリップ神父。海外から来られた信徒、特にフィリピン出身の方々の司牧に力を注いでおられます。

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松戸教会は1950年創立で、統計によれば1600人ほどの信徒の方がおられます。教会は大天使聖ミカエルを保護の聖人に頂いているので、この日のミサは、聖ミカエルを記念するミサでもありました。そのためこの日は、祭壇に向かって右に、聖ミカエルの像が置かれました。そしてミサの前に、聖堂の外にあるマリア様のところに、教会学校の子どもたちと一緒に集まり、祈りを捧げた後、一緒に聖堂まで、アーメンハレルヤを歌いながら行列いたしました。教会学校の子どもたちからは、ミサ後に、私の写真をコラージュしたみんなの写真を、プレゼントして頂きました。ありがとうございます。

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ミサは基本的に日本語であったものの、朗読や共同祈願、そして聖歌は、様々な言語が使われ、本当に様々な国の出身の方が、座りきれないほど参加してくださいました。

ミサ後には、一階のホールで交流会。私にとっては新潟教区時代から懐かしい顔の方もおられ、彼のギターでの歌の披露までありました。準備してくださった皆さん、ありがとうございます。

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2018年9月19日 (水)

パリウム授与ミサ@東京カテドラル

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6月29日の聖ペトロ聖パウロの祝日に、サンピエトロ広場で行われた教皇様司式のミサで祝福されたパリウムの授与ミサが、9月17日の午後1時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われ、教皇大使からパリウムを授与していただきました。

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パリウムは、管区大司教(メトロポリタン)の教皇様との一致のしるしとして授けられるものです。中央協議会のホームページには、次のような解説が掲載されています。

「パリウムとは白い羊毛(1月21日、聖アグネスおとめ殉教者の祝日にローマの聖アグネス教会で祝別された羊の毛)で編んだ丸いバンド風のもの(右図参照)で、頭からかぶって肩に掛けるようになっています。前後に同じ布地の垂れがついていて、黒い十字架が刺しゅうしてあります。教会の牧者のかたどり、ローマ司教(教皇)の権威の象徴です。
福音書の中に、よい牧者は見失った1匹の羊を「見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、……」(ルカ15・5-6)とありますが、全世界の信徒を牧する教会の最高指導者としての権威と使命を表すのです。現在は、教会管区大司教にも授けられます。」

この一年間に管区大司教として任命を受けた大司教は世界に30名で、そのうちの28名が、教皇ミサに参加して、箱に入れられたパリウムをいただいて帰国しました。そしてパリウムは、それぞれのカテドラルで、教皇大使から授与されることに、現在の教皇様が定められました。以前は、直接に教皇様から授与されていましたが、管区共同体の一致と協力の証しとして、このようになっています。

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残念ながら、すでに様々な予定がそれぞれの教区では組まれている連休中でしたので、東京教会管区のほかの司教たちには参加していただけませんでしたが、それでも管区司教団を代表して、さいたまの山野内被選司教が参加してくださいました。信徒の方も休日にもかかわらず大勢参加してくださり、特に千葉県の銚子教会からは、50名ほどの方々がバスで駆けつけ、祈りをともにしてくださいました。感謝です。

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以下、パリウムミサの説教の原稿です。

パリウム授与ミサ説教
2018年9月17日
東京カテドラル聖マリア大聖堂

去る6月29日、サンピエトロ広場で捧げられたミサの中で、教皇様はこの一年間に管区大司教として任命された30名の大司教に与えるパリウムを祝福され、ミサの終わりに、当日共同司式に参加した28名の大司教に、パリウムを渡されました。わたしも当日、その28名のひとりとして教皇様のミサで共同司式をし、箱に入ったパリウムをいただいてまいりました。

その日はペトロパウロの祝日でしたが、ミサの説教で、「ペトロの生涯と信仰告白を観想することは、使徒の人生につきまとう誘惑について学ぶことでもあるのです」と話され、「ペトロのように、教会もまた、宣教のつまずきとなる悪のささやきに、常にさらされている」と注意を促されました。

また当日の説教で教皇様は、「メシアであるキリストの業に参与することは、キリストの栄光、すなわち十字架に参与すること」と強調され、イエス・キリストにおいて「栄光と十字架は常に共にあり、それらは切り離すことができません」と説かれました。神の栄光は常に苦しみとともにあり、苦しみを避けて、安易な道をたどって栄光に達することはあり得ないと説かれました。

この世において聖なる存在、善なる存在であるはずの教会は、残念ながら時にその道からはずれ、悪のささやきに身をゆだねてしまうことすらあります。

ちょうど今、米国での聖職者による性的虐待問題の報告書など、教会が聖なる道から離れ、善なる存在とは全く異なる過ちを犯した問題が各国で明らかになっています。教会において、聖性の模範であるはずの聖職者が、全く反対の行動をとって多くの人の心と体を傷つけ恐怖を与えてきたことを、特に私たち聖職者は真摯に反省し、許しをこいねがわなければならないと思います。

教会が今直面する危機的状況は、単に偶発的に発生している問題ではなく、結局は、これまでの歴史の積み重ねであり、悪のささやきに身を任せて積み重なった諸々のつまずきが、あらわになっているのだろうと思います。教皇様を頂点とする教会は、結局のところ、この世における巨大組織体ともなっています。組織が巨大になればなるほど、その随所で権力の乱用と腐敗が生じるのは世の常であります。この世の組織としての教会のあり方をも、私たちは今、真摯に反省し、組織を自己実現のためではなく、神の国の実現のために資する共同体へと育てていかなければならない。そういう「とき」に、生きているのだと感じています。

そして、虐待の被害に遭われた多くの方が心に抱いている傷の深さに思いを馳せ、許しを願いながら、その傷にいやしがもたらされるように、できる限りの努力を積み重ねる決意を新たにしたいと思います。また同時に、各地で露見しているこれらの問題の責任を一身に受け、解決のために尽力されている教皇様のためにも祈りたいと思います。

教会は、「キリストの光をもってすべての人を照らそうと切に望む」存在であるはずです。確かに現代社会の様々な現実を客観的に見るならば、私たちは輝く光の中と言うよりも、暗闇の中にさまよっている存在であると感じることがあります。それは特に、神が賜物として与えられた人間のいのち、神の似姿として尊厳を与えられた人間のいのちが、社会の様々な現実の中で危機にさらされていること。その始めから終わりまで、例外なく大切にされ護られなくてはならないいのちが、危機にさらされている様々な現実を目の当たりにするとき、まさしくわたしたちは暗闇の中に生きていると感じさせられます。

その暗闇の中で、教会は、キリストの光を輝かせる存在でなくてはならない。果たしてその役割を真摯に果たしているのだろうか。もし仮に私たちがその光を輝かせていないのであれば、私たちは真摯に自らを省みなくてはなりません。いったい何を恐れて光を輝かせていないのか。どのような困難が、私たちを光り輝く存在から遠いものにしてしまっているか。

教会は、「神との親密な交わりと全人類一致のしるし、道具であり」ます。確かに現代社会の様々な現実を客観的に見るならば、私たちは一致と言うよりも分裂の中に生きていると感じることがあります。教皇様がしばしば指摘されるように、現代社会には排除の論理が横行し、異質な存在を排斥し、時に無視し、自分を中心とした身内だけの一致を護ろうとする傾向が見受けられます。教皇様は、「廃棄の文化」と言う言葉さえ使われます。弱い立場にある人、助けを必要としている人に手を差し伸べるのではなく、そんな人たちは存在しないものとして、社会の枠から追い出されてしまう、捨てられてしまう。

そんな現実の中で、教会は神との交わりのうちにおける一致を、その存在を通じて明確に示しているでしょうか。残念ながら、教会の中にでさえ、不和があり、押しつけがあり、横暴があり、排除があり、一致を明確に示しているとは言いがたい現実があることは否定できません。小教区の中における一致も重要ですし、とりわけ、聖職者の間での不一致は、大きなつまずきとなっています。一致を妨げているものはいったいなんでしょうか。自らの欲望を優先させる利己的な思いは、その要因の一つであると感じることがあります。

教会憲章は、全世界の司教と教皇との交わりを、「一致と愛と平和の絆」における交わりであると指摘します。

教会が一致を明確に示す存在であるように、その牧者である司教団も、教皇様を頭として、まさしく「愛と平和と一致」の証し人とならなければ、存在する意味がありません。

パリウムを教皇様からいただくことで、わたしは、ローマの司教との一致をよりいっそう自覚させられます。教皇様の牧者としての導きに信頼しながら、わたし自身の言葉と行いが、一致と愛と平和の絆の証しとなるように、心がけなくてはならないと思っています。

教皇様のためにお祈りいたしましょう。そして教皇様と一致しながら使徒団を構成する司教のためにも、どうぞお祈りください。さらには、聖性のうちにキリスト者の模範となるべく努力を続ける司祭・聖職者のためにも、どうぞお祈りください。

そして私たち一人ひとりの存在が作り上げている教会のために、ともに祈りましょう。教会が、この社会にあって聖なる存在であるように、この社会に善なる道しるべであるように、そしてこの社会に対して一致の証しとなるように、聖霊が力強く導いてくださるように、ともに祈りを捧げたいと思います。
 
 

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2018年9月16日 (日)

秋田の聖母の日@聖体奉仕会

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今年で5回目となりましたから、恒例の行事と言っても差し支えないでしょう。秋田の聖母の日が、秋田市郊外の聖体奉仕会を会場に、9月14日と15日に開催され、400名近い方が参加し、祈りをともにしました。

今回は、新潟教区内だけではなく、全国各地、そして台湾などからも多くの方がおいでくださいました。私は30名以上の巡礼団の皆さんと一緒に、秋田の聖母の日に先立って二日間、久慈教会、宮古教会、盛岡の四谷教会を巡礼し、東北の震災の被災者の方々のために祈りを捧げる機会がありました。忘れることなく訪問し、祈り続けたいと思います。

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もちろん聖体奉仕会の聖堂には、30年ほど前に101回の涙を流すという奇跡的な出来事のあったマリア像があります。その出来事に伴って、聖体奉仕会の会員が、マリア様からのメッセージを受けると言うこともありました。これら一連の出来事については、当時の教区司教である伊藤司教様が書簡を発表され、奇跡出来事であったことを認め、またメッセージについては信仰に反することは記されていない旨を記し、個人的な巡礼を禁じないと宣言されています。新潟教区は、現在も、この伊藤司教様の書簡に記されていることをそのままで継承しており、教区100周年の記念誌には、この書簡も含め、伊藤司教、佐藤司教の様々な書簡をすべて再収録して記録として残してあります。

秋田の聖母の日は、もちろんこういった一連の出来事に関係してはいますが、直接には、日々、聖母への祈りが捧げられる礼拝所において、改めて聖母の信仰における意味を見つめ直し、その取り次ぎのうちに、祈りを捧げる機会です。素晴らしい聖体奉仕会の祈りの雰囲気の中で、聖母とともに歩みながら、神を賛美するひとときであり、奇跡の聖母像を「あがめる」ような類いの行事ではありません。

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14日の午後はロザリオの祈りと聖体礼拝で始まり、わたしの講話もありました。その後、外に出て庭園での十字架の道行き。そしてミサで一日を締めくくりました。

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15日は、私の帰京の時間の関係から、朝9時からミサを捧げ、その後ロザリオと続いて、昼前に終了。参加してくださった皆さんに感謝します。

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以下、14日のミサの説教の原稿です。

                                  十字架称賛
                                2018年9月14日
                                秋田聖体奉仕会

東京という大都会に身を置くようになって、10ヶ月が過ぎました。もちろん新潟市は日本海側唯一の政令指定都市で、その意味では都会ですが、東京とは比較にならないほど、人口密度が違います。新潟ではしばしば夜の町中のアーケード街を散歩して回ったことがありますが、ボッとして歩いていても、誰かにぶつかることはほとんど無い。それが、東京でそんなことをしたら、あっと言う間に、誰かにぶつかってボッとしてるんじゃないと怒鳴られてしまいます。それほど人が多い。

そんな人混みの中を歩いているときに、いつも気になることが一つあります。今更ながらなのですが、そしてそれはもう何年も気にかかっていることでもありますが、とにかく、十字架をどこかにつけている人が結構おられます。年齢や性別にかかわらず。もちろんその多くがアクセサリーでしょう。ペンダントであったり、耳飾りであったり、なかには、なんとロザリオを首からかけている男の子まで見かけることがあります。そのたびにそういった人を一人一人捕まえて、「いったいあなたは何を身につけているのか知っているのか」と問いただしたくなります。もちろんそんなことはできません。でもいつも、問いかけてみたいという欲望に駆られ、人混みに出るたびに、できるできないの葛藤に苦しめられています。

そしてふと思いました。そういえば、キリスト者である自分自身は、どこにも十字架を身につけていない。海外に出かけるときには、かならず司教用の大きな十字架を持参します。そして現地に着くといつも、司教であることをアピールするためのつもりはないのですが、その十字架を身につけています。でも日本にいるときには、わたしを含め、多くの司教が司教十字架を身につけない。

外へ出るときはたいてい、ローマンカラーをつけているので、聖職者であることは隠していないのですが、十字架をつけていない。たしかに神父様たちの中には、スーツの襟などに十字架を常に着用している方もおられます。

わたしたちにとって、十字架の意味は何だろう。もちろんそれは、単なるすてきなアクセサリーではない。恥ずべき物だろうか。そんなはずがありません。

パウロはコリント人への手紙に、こう書いていました。
「キリストがわたしが遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかもキリストの十字架がむなしいものとなってしまわずように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためなだからです。十字架の言葉は.滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」

もちろん洗礼は救いのために必要です。しかし同時に、洗礼を授けるわざにはさらに重要なわざが伴わなくては意味が無いというのです。そのさらなるわざとは、福音を告げ知らせることです。

加えて、福音を告げ知らせるわざは、何か難しい学問を教えることでもないのだと、パウロは強調します。もちろん教会にとって、教会の教えや聖書の教えを伝承していくことは重要です.しかしそこに留まっていては、キリストの十字架がむなしくなるとパウロは強調します。

十字架は、神の愛のわざの目に見えるあかしです。自らいのちを与えられて人間を愛するがあまり、神はその滅びを許されなかった。滅びへの道を歩む人類の罪をあがなうため、自らを十字架の上でいけにえとしてささげられた。これ以上の愛のわざはあり得ません。わたしたちにとって十字架は、悲しい死刑の象徴ではなく、敗北の印ではなく、弱さの象徴でもありません。わたしたちのとって十字架は、希望の印であり、勝利の印であり、強さの象徴であります。そしてなによりも、神の愛のわざの目に見えるあかしのわざであります。

十字架は、キリスト者の生きる姿の象徴であります。他者の喜びのために、自らのいのちを投げ出す。いのちを賭してまでも、他者のために尽くそうとする生き方。キリストご自身の生き方そのものです。わたしたちキリスト者は、優しい人間だから、善人だから、困っている人を助けたり、愛のわざを行うのではありません。そんな、個人の性格に頼った、生やさしい信仰ではありません。

わたしたちは、わたしたちが信じ、ついて行こうと決断した主ご自身が、自らのいのちをかけて他者の救いのために人生を捧げ尽くしたからです。主ご自身の、その崇高な姿を目の当たりにし、その主について行こうと決意をしたからこそ、それにならって他者への愛の奉仕のわざに励むのです。わたしたちが愛の奉仕に努めるのは、主に従う限り、そうぜざるを得ないと信仰のうちに得心しているからであります。

十字架による究極の愛のあかしの傍らには、それが全うされるまで、聖母マリアは寄り添われました。わたしたちが十字架を称賛するとき、その方わらに立ち尽くす聖母マリアの姿を見過ごすことはできません。なぜならば、聖母マリアは、イエスの愛のあかしのわざに伴われ、ご自分の人生そのものを、すべてを神の計画のために与え尽くす人生であったからです。

十字架が神の愛のあかしであるならば、聖母はそのあかしを真っ先に生きた、わたしたちの模範となる方です。悲しみのうちにも、神からのお告げを信じ、神ご自身の生きる姿に倣い、その人生を捧げ尽くしたのです。わたしたちの生きる道しるべは、聖母マリアの人生にあります。

聖母マリアに倣い、わたしたちも、この社会の中で、自信を持って十字架を掲げ、十字架による愛の証しに倣って、言葉と行いを持って、福音を告げ知らせて参りましょう。

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2018年9月 7日 (金)

コルカタの聖テレサの記念日

北海道で発生した地震の被害に遭われた皆様に、心からお見舞い申し上げます。またこの数日、台風による大きな被害に遭われた方も多く、災害の中で亡くなられた方々もおられます。被災され亡くなられた方々の永遠の安息を祈るとともに、一日も早い復興をお祈りします。札幌教区をはじめ被災された地の教区と連絡を取り合いながら、教会としてできる長期的支援を考えております。

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さて、9月5日はコルカタの聖テレサの記念日でした。コルカタの聖テレサというよりは、カルカッタの聖テレサ、そしてそれよりもマザーテレサの方がよく知られた名前です。(カルカッタは現在、コルカタと呼ばれています)。列聖されてから2年となります。

記念日のミサを捧げるように神の愛の宣教者会のシスター方に招かれたので、足立区西新井にあるシスター方の修道院へ出かけてまいりました。

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住宅街にある質素な修道院の聖堂には、近隣の教会の信徒の方々をはじめ、シスター方の支援者、そして男子のブラザーたちも加わり、入りきれない人が建物の外からもミサに与られました。

この日は、ちょうど訪日中の男子のブラザーの会の総会長も参加されていました。

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キリスト者は個人の性格として優しいから善い業を行うわけではなく、主であるイエス自身の生き方に倣い、いのちの与え主である神に従うからこそ、信仰の上で納得して愛の業を行います。人間の性格を変えることは容易ではありませんが、なぜそうしなくてはならないかを納得させることは不可能ではありません。使徒ヨハネも、その手紙の中で、何度も何度も、なぜ愛さなければならないかを繰り返しといています。その理由を、繰り返しといています。納得させようと、説いています。

そして、愛の業が不可欠であることを納得してもらうのに、一番力があるのは、目に見えるあかしの業とあかしの言葉です。その意味で、神の愛の宣教者会の方々が、マザーテレサの模範に倣って、目に見える形で、耳に聞こえるかたちで、愛の奉仕を証ししてくださるのは、力強い福音宣教の業であると思います。

これからも、神の愛の宣教者会の日本での活動が、豊かな実りを生み出すように、お祈りしています。

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2018年8月26日 (日)

吉祥寺教会で福音宣教講演会

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8月25日の土曜日、午後1時半から、神言修道会日本管区の宣教事務局主催で、福音宣教について考える講演会が開催されました。宣教事務局長のディンド神父から依頼を受けましたので、当日、講演をさせていただきました。

また参加者の方々には、そのまま、午後4時からの小教区のミサにご参加いただき、わたしが司式いたしました。

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なお当日は、名古屋の神言神学院で学ぶ神学生たち6名(そのうち二人は助祭)が、養成担当の暮林神父と一緒に参加され、講演の休憩時間に歌を披露したり、ミサの時に助祭の奉仕と侍者をしてくれました。(上の写真、左端が暮林神父。そして神学生たち)

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また吉祥寺教会の聖歌隊の皆さんも(写真上)、休憩時間に歌を披露したり、ミサの歌を担当してくださいました。感謝です。そして吉祥寺教会の信徒の多くの方が、プログラム進行に協力くださいました。ありがとうございます。

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神言会の宣教事務局とは、海外に派遣されている宣教師の会員を支援したり、来日する宣教師会員を支援したり。また地域の教会で、福音宣教への意識を高めるための様々な活動を行う事務所です。わたし自身も、その昔、ガーナへ派遣されていた当時は、募金を集めていただいたり、ガーナからのニュースを国内で配布していただいたり、帰国時には宣教地のお話をする機会を設けていただいたりと、様々な形で宣教事務局のお世話になりました。(宣教事務局長のディンド神父は、写真上の右端)

神言修道会では、各管区に規模の違いはあれど、宣教事務局があり、その中でも、ドイツと米国シカゴの宣教事務局は、宣教地への物資の提供なども行う非常に大きな組織となっています。

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さて、講演は、福音宣教のよろこびについて、二つお話をしろとのリクエスト。

一つ目は、主に第二バチカン公会議の教会憲章から、教会の本性としての福音宣教についてお話をし、さらに第二バチカン公会議の最後にやっと採択された「宣教教令(Ad Gentes)」の成立に神言会がどれほど関わり、今の神言会がその具体化のために務めていることをお話ししました。後半では、アドリミナの時にベネディクト16世から質問された「教区の希望」について、特に山形県新庄のフィリピン出身の信徒の方々の活躍について、お話させていただきました。

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参加してくださった皆さん、ありがとうございます。困難な道であっても、くじけることなく、勇気を失うことなく、「あなたをおいて誰のところへ行きましょう」の心意気を持って、福音を言葉と行いで証ししていきましょう。

パウロ6世の言葉の通り、神様はご自分だけがご存じの方法で、愛する人類を救うに違いないのですが、かといってそのために召された私たちが、恐れや恥や誤った説によって福音宣教を怠るなら、果たして私たちの救いはあるでしょうか?忘れずに。

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2018年8月22日 (水)

生まれ故郷の教会へ@岩手県宮古市

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8月19日の日曜日は、岩手県の宮古市にある宮古カトリック教会で、主日のミサを捧げることができました。

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わたし自身が、60年前、1958年に、幼児洗礼を受けた教会です。当時私の両親はそれぞれ、宮古カトリック教会と隣の小百合幼稚園で働いていたため、教会の敷地内に住んでおりました。今の小百合幼稚園の二階ホールあたりに、職員の住宅がありました。ですから、宮古カトリック教会は、私にとっての受洗教会であり、かつ、生まれ故郷でもあります。

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教会は宮古駅のすぐ隣にあり、海からは少し離れているために、2011年の津波も、過去の多くの津波も、このあたりには到達しませんでした。

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聖堂や鐘楼は、多少改築されたものの、昔のままで残っています。幼稚園と司祭館は建て直されました。

現在、宮古教会には司祭が常駐していません。というよりも、盛岡の四ツ家教会に二人の司祭が常駐し、さらに週末の仙台からの応援司祭を含め3人の司祭で、盛岡(四ツ家と志家)、宮古、釜石、遠野、花巻の教会を担当しており、司祭たちの週末の移動距離たるや凄まじいものがあります。盛岡から宮古までは、車で2時間強です。時に、ひとりの司祭で一日に三カ所の教会を訪れてミサをすることもあるとうかがいました。大都市圏から離れた地域での教会の現状には、厳しいものがあります。

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当然この日もわたしが主日のミサをするので、ほかの司祭は、ほかの教会へ出かけ、宮古教会はわたしひとりです。本来は午後にミサがある日でしたが、この日はわたしの帰りのこともあるので、午前10時からにしていただきました。

ミサには、盛岡や遠野、北上などからも信徒の方がおいでくださり、宮古教会の聖堂は一杯でした。普段の日曜日は、10名ほどのミサ参加者だとうかがいました。

わたしがこどもの頃お世話になった方々が、まだまだお元気で、優しく迎えてくださいました。昔から存じ上げているわたしの年代(60歳前後)のメンバーが、数名集まりましたが、どちらかというとこのあたりが教会を支える「若い力」です。それでもミサには、赤ちゃんを連れた若い家族もおられましたから、明るい未来がないことはない、とも思います。子どもたちがいないので、侍者は女性が二人ついてくださいました。(写真下は、1960年代初頭の、宮古教会の皆さん。わたしもどこかにいます。一番右端は主任司祭で、ベトレヘム外国宣教会のバウマン神父)

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ミサ後には、隣接する幼稚園の園長の好意で(園長は、その昔、わたしと一緒に、その幼稚園に通った同級生です)、幼稚園ホールをお借りしてお弁当の昼食会。ちょうど、復興支援でチャリティーコンサートをするために、北海道から来ていた音楽家たちのうち二人が、演奏を披露してくださいました。ピアノとオーボエです。

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宮古教会をはじめ、岩手県の教会の皆様には、司祭の時代から今に至るまで、お祈りを持ってわたしの召命を支えてくださっていることに、心から感謝申し上げます。

キリスト教が絶対的な少数派である社会にあって、信仰に生き、信仰を証し続けることは、容易ではないと、訪れる度に感じます。宮古教会の皆様のうえに、神様の豊かな祝福と報いがありますように、お祈りいたします。

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2018年8月16日 (木)

聖母被昇天祭@関口教会

8月15日は終戦の日であるとともに、聖母被昇天祭です。そしてもともとは初代教会時代の殉教者であるタルチシオの記念日。わたしの霊名です。8月15日は、8世紀くらいから聖母被昇天の日として祝われていたようですが、教義として決定されたのは1950年のこと。

昨日の聖母被昇天祭は、関口教会の晩6時のミサでお祝いしました。当初の予定ではルルドの前で行うはずでしたが、暑さもある事と台風のために風が強く、断念。聖堂で行いましが、韓人教会と共催であったので、カテドラルの聖堂も一杯でした。思いつきましたが、来年以降は、まずルルドの前でお祈りをして、聖母行列で聖堂に入り、ミサにしたらどうでしょう。

ミサの最後には、霊名のお祝いの花束も頂きました。感謝。ミサ後には関口会館で納涼会。楽しいひとときを、集まった皆さんとともにしました。

以下、聖母被昇天祭ミサの説教の原稿です。

聖母被昇天祭
2018年8月15日
東京カテドラル関口教会

聖母被昇天祭の8月15日は、戦争のない平和な世界について思いを巡らせ祈る日でもあります。

かつての戦争で生命を奪われた多くの方々、敵味方に分かれた双方の軍隊にいた人たち、一般の市民、戦場になった地で巻き込まれてしまった多くの方々。理不尽な形でその尊厳を奪われ、暴力的に命を失った多くの方々への責任から、私たちは逃れることはできません。「戦争は人間のしわざ」だからです。

過去の歴史を振り返り、その命に対する責任を思う時、私たちの選択肢は、同じ過ちを繰り返さないという決意を新たにする道しかあり得ないと思います。

はたして私たちは、いま、どのような道を歩もうとしているのか。あらためて、国家間の対立を解決する手段は武力の行使ではなく、対話でしかないことを、世界の政治の指導者たちが心に留めてくれるように、祈りたいと思います。対立や孤立ではなく、対話と協力の道を選び取る勇気と英知が、国家の指導者たちに与えられるよう、聖霊の照らしを祈りましょう。

さて、聖母被昇天祭に当たり、私たちの母であり教会の母であるマリア様について、少し考えてみたいと思います。

教皇フランシスコは、聖母マリアは祈りと観想のうちに、密やかに生きる信仰生活の姿を示しているだけではなく、その霊的な土台の上に、助けを必要とする他者のために積極的に行動する力強い信仰者の姿の模範でもあると指摘されます。

使徒的勧告「福音の喜び」の終わりに、次のように記しています。
「聖霊とともにマリアは民の中につねにおられます。マリアは、福音を宣べ伝える教会の母です。・・・教会の福音宣教の活動には、マリアという生き方があります。というのは、マリアへと目を向けるたびに、優しさと愛情の革命的な力をあらためて信じるようになるからです」(288).教皇はそう記しておられます。

その上で、先ほど朗読された聖母讃歌(マグニフィカト)に、その「優しさと愛情の革命的な力」を読み取ることが出来ると、教皇は指摘されています。「革命的な力」です。

聖母マリアの人生を見れば、それは決して弱さのうちに恐れているような生き方ではありません。それどころか、神から選ばれ救い主の母となるというすさまじいまでの人生の転換点にあって、恐れることなくその運命を受け入れ、主イエスとともに歩み、その受難の苦しみをともにしながら死と復活に立ち会い、そして聖霊降臨の時に弟子たちとともに祈ることで、教会の歴史の始まりにも重要な位置を占めるのです。これほどに強い存在はありません。まさしく、「革命的な力」であります。

しかし聖母マリアは、あくまでもその強さを誇ることなく、謙虚さと優しさのうちに生きて行かれます。ですから謙虚さと優しさは、弱い者の特徴ではなくて、本当に強い者が持つ特徴です。

教皇フランシスコの言葉は、現代社会が優先するさまざまな価値観への警鐘であることがしばしばですが、ここでも、いったい本当に力のあるものはだれなのかという、この世の価値基準への警告が含まれていると思います。今の世界では、いったいどういう人が強いものだと考えられているのか。その判断基準は本当の強さに基づいているのか。聖母マリアの生き方を見ると、本当の強さとは、謙虚さと優しさという徳のうちにあるのだとわかります。

私たちの世界は「謙虚さと優しさ」に満ちているでしょうか。残念ながらそうとはいえません。それよりも、自分たちが一番、自分たちこそが強いと虚勢を張って他者を排除し、困難に直面する人や助けを必要とする存在に手を差し伸べるどころか、不必要なものとして関心を寄せることもない。そんな価値観が力を持ち始めてはいないでしょうか。

この世界は人間が支配している、自分たちがすべてを決めることができるのだ、などと、世界の創造主である神の前で、謙遜さを忘れてはいないでしょうか。

賜物であるいのちの価値を、役に立つのか立たないのかなどという自分たちの都合で決めることができる、などという、傲慢さに満ちあふれていないでしょうか。

「自分の重要さを実感するために他者を虐げる」のは、本当に強い者の徳ではないと、教皇は指摘されているのです。しかし現実の世界は、「自分の重要さを実感するために」、弱い立場にある者、対立関係にある者、意見を異にする者、生き方を異にする者、社会の中の少数派を、排除する傲慢さに満ちあふれていないでしょうか。

教皇ヨハネパウロ二世も、聖母マリアの讃歌から、困難に直面する人、とりわけ貧しい人を優先する教会の姿勢を学ぶべきだと、回勅「救い主の母」で次のように指摘されていました。

「マリアの『マグニフィカト』には、貧しい人たちを優先する教会の愛が見事に刻み込まれています。・・・救いの神であり、すべての恵みの源である神と、貧しい人たち、見下げられた人たちを優先させる神とを分けて考えてはいけない」

この言葉をうけて教皇フランシスコは、「福音の喜び」にこう記しています。
「自分の生活における選択のために他の事柄により注意を払っているので,貧しい人に対しては距離をおいているなどと、だれもいってはなりません。・・・貧しい人と社会正義に対し心を砕くことを免れている人は、誰一人いません。(201)」

聖母マリアは、ただ単に祈るだけの動こうとしない人ではありませんでした。聖母マリアはエリザベトのところへ手を貸しともにいるために、急いで出かけたのです。福音宣教におけるマリアという生き方とは、すなわち、深い祈りという霊性に支えられながらも、つねに行動することをいとわず、困難に直面する人のために手を貸すためであれば待つことなく即座にそのもとへ出かけていく、生き方であります。

私たちも「正義と優しさ、観想と他者に向けて歩む力」に満ちあふれたいつくしみ深い聖母の生き方に、少しでも倣っていきたいと思います。

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2018年8月13日 (月)

平和を実現する人は幸い@東京教区

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8月6日から15日までのカトリック平和旬間の間、各地の教区で様々な行事が行われます。東京教区では、教区の平和旬間委員会の企画と、宣教協力体ごとの企画や小教区の独自企画などが行われています。

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教区の行事は8月11日土曜日。午後2時からイグナチオ教会のヨセフホールを会場に、講演会が行われました。今年のテーマは「難民と共に生きる、日本社会の未来」と題して、弁護士で白百合女子大学の非常勤講師も務める駒井知会さんにお話をお願いしました。駒井弁護士は、難民認定を求める方々の法的支援に積極的に関わっておられる方で、法律家としての立場から、日本にやってきた難民申請者が、多くの場合、どう見ても人道的とはいえない扱いを受けている現実に対して、その救済のために取り組んでいる体験を、熱く熱く、分かち合ってくださいました。

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今回このお話をお願いしたのは、まずもってカリタスジャパンと難民移住移動者委員会が、国際カリタスの呼びかける国際的キャンペーン「Share the Journey」に「排除ゼロキャンペーン」と題して取り組んでいることから、これを今年のテーマとしようと提案させていただいたからです。

確かに偽装難民と思われる例もあることはあるが、しかし全体としては、たまたま最初に取得できたのが日本の観光ヴィザであり、その意味で必死に助けを求めてやってきた大多数の人たちを、杓子定規の規則で取り扱うことには問題があるとの指摘は、もう何年にもわたって変わりなく、その通りです。

かつては日本の入管難民法に60日ルールがあり、入国してから60日以内に申請をしなければ申請自体ができなくなったものですが、今はさすがにそこは改正されたものの、難民認定のハードルが非常に高いことは、よく知られているところです。加えて、そういった申請者を、あたかも犯罪者のように施設に収容することは、用語としては優しく響くものの、実態は刑務所のような場所に閉じ込めてしまうのですから、その状況に遭遇する人たちの驚きと恐怖と失望はいかばかりかと思います。

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人間はそう簡単に母国を捨てて旅には出ません.それは自分自身の立場から想像すれば、少しはわかることかと思います。母国を出て未知の国へ先のわからない旅に出ることには、それなりの大きな決断が伴うことだと思います。その旅路が、どれほど不安に満ちた心細いものであることか。

それが、到着をした全く言葉のわからない国で、わからない言葉でまくし立てられて、支援者に会うことも適わず閉鎖施設に入れられることは、自分の身で想像すれば、かなり恐ろしいことではないでしょうか。多少なりとも想像力を働かせて、自分の身にそういうことが仮に起こったとして、と考えれば、どうでしょう。

拙著「カリタスジャパンと世界」から、難民の定義の項です。

「現在、国際社会において「難民」を定義しているのは、1951年に採択された「難民の地位に関する条約(難民条約)」と、これに付随する1966年の議定書です。この条約では、次のような人たちが「難民」と呼ばれています。

「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいるものであって、その国籍国の保護を受けることが出来ないものまたはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないものおよび常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有している国に帰ることが出来ないものまたはそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの(難民条約第一条A2項)」

すなわち「難民」となるためには、次の条件を総て同時に満たしていなければなりません。まず第一に、国籍国または常居所の外にいること、つまり国境を越えている必要があります。そして第二に迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖があり、第三にその迫害が特定の理由によるものであり、さらに第四として、国籍国等の保護が受けられないか受けることを望まず、帰還することも希望していないということです。

客観的に見れば、この定義はかなり曖昧だと言わざるを得ません。そもそも「恐怖」というのは多分に主観的概念であって、人によって同じ状況に直面してもそれを恐怖と感じるかどうかは一様ではありません。しかし基本的人権の保護という立場に立つならば、この曖昧さこそが、迫害を受けている多くの人の命を救う鍵とも言えるのです」

残念ながら現在の日本の入管行政は、この幅の広い難民の定義を、限りなく狭く厳密に解釈されているように思えます。

この日は、今年の高温の天候を考慮して、距離の長い、麹町から関口までの巡礼ウォークは中止としました。目白駅や豊島教会、本郷教会からは多くの方が歩かれました。

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夕方6時からカテドラルで、平和を願うミサを捧げました。聖堂一杯の多くの方が参加して祈りをともにしました。以下、ミサの説教の原稿です。

福音の光に照らされながら平和を語り求める教会は、教皇フランシスコの言葉に励まされながら、この世界に忘れられて構わない人はだれ一人いない、排除されて良い人は誰ひとりいないと、あらためて強調します。それは私たちが、すべての人の命は例外なく、神の似姿として創造された尊厳ある存在であると、信仰のうちに信じているからに他なりません。

私たちが希求する平和の根本には、人の命はその始めから終わりまで、尊厳を保ちながら守られなければならないという、ヨハネパウロ二世の言われる「命の文化」が横たわっています。

世界各地で議論を巻き起こしている話題ではありますが、教皇フランシスコの裁可を持って教理省は先日、カテキズムの項目の改訂を通じて、国家の刑罰としての死刑を認めない姿勢を明確にされました。犯罪を罰しないという意味ではなく、人間のいのちの尊厳は、たとえ刑罰であっても奪うことが許されないと強調することで、教会はあらためて人間のいのちの尊厳こそが、すべての根本にあるのだと主張しています。

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教皇フランシスコは、難民や移住者への配慮も、命の尊厳に基づいて強調されています。それぞれの国家の法律の枠内では保護の対象とならなかったり、時には犯罪者のように扱われたり、さらには社会にあって異質な存在として必ずしも歓迎されないどころか、しばしば排除されている人たちが世界に多く存在します。教皇フランシスコは、危機に直面する命の現実を前にして、法律的議論はさておいて、人間のいのちをいかにして護るのかを最優先にするよう呼びかけています。

教皇就任直後に、教皇はイタリアのランペドゥーザ島を司牧訪問されました。
この島は、イタリアと言っても限りなくアフリカ大陸に近い島です。2000年頃から、アフリカからの移民船が漂着するようになり、亡くなる人も多く出て、社会問題化していました。

難破した船のさまざまな部品を組み立てたような祭壇や朗読台。この象徴的な朗読台の前に立ち、教皇はこの日の説教で、その後何度も繰り返すことになる「無関心のグローバル化」という事実を指摘しました。その説教の一部です。

「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった。これが私たちに、はかなく空しい夢を与え、そのため私たちは他者へ関心を抱かなくなった。まさしく、これが私たちを無関心のグローバル化へと導いている。このグローバル化した世界で、私たちは無関心のグローバル化に落ち込んでしまった」

母国を離れようとする人には、他人が推し量ることなどできない様々な事情と決断があったことでしょう。それがいかなる理由であったにしろ、危機に直面する命にいったい誰が手を差し伸べたのか。その境遇に、その死に、誰が涙を流したのか。誰が一緒になって彼らと苦しんだのか。教皇は力強くそう問いかけました。

無関心のグローバル化を打ち破るためには、互いをよく知ろうと努力することが不可欠です。私たちは、未知の存在と対峙するとき、どうしても警戒感を持ってしまうからです。対話がない限り互いの理解はなく、理解のないところに支えあいはあり得ません。

教会は、移住者の法律的な立場ではなく、人間としての尊厳を優先しなければならないと、長年にわたり主張してきました。一九九六年世界移住の日のメッセージで、教皇ヨハネパウロ二世もこう指摘しています。

「違法な状態にあるからといって、移住者の尊厳をおろそかにすることは許されません。・・・違法状態にある移住者が滞在許可を得ることができるように、手続きに必要な書類をそろえるために協力することはとても大切なことです。・・・特に、長年その国に滞在し地域社会に深く根をおろして、出身国への帰還が逆の意味で移住の形になるような人々のために、この種の努力をしなければなりません。」

「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」

先ほど朗読されたマタイ福音書には、そのように記されていました。
そもそも私たちのキリスト者が語る『平和』とは、どういう状況を指しているのでしょうか。

しばしば繰り返し強調されてきたことですが、教会が語っている『平和』というのは、単に戦争がないことや、または『抑止力』と呼ばれる戦う能力の均衡によってもたらされる緊張感の内にあるバランス状態のことではありません。さらには、世界の人がとりあえず仲良く生きているというような状態でもありません。

教皇ヨハネ23世は、回勅「地上の平和」を持ち出すまでもなく、教会が語っている『平和』とは、神の定めた秩序が実現している世界、すなわち神が望まれる被造物の完全な状態が達成されている世界を意味しています。

そのためには、神ご自身が賜物として与えてくださった命が、例外なく尊重され護られることではないでしょうか。賜物である命がないところに、世界はあり得ないからです。

残念なことに、この数年の間、私たちの周囲では、役に立たない命は存在する価値がないなどと言う主張が聞かれたり、犯罪行為に走る人まで現れています。しかもそういった考えは、いまや一部の人の特別な考えかたではなく、少しずつ多くの人の心に入り込みつつある価値観であるようにも感じます。命の尊厳を人間が左右できると考えるところに、神の秩序の実現はあり得ず、従って平和が達成されることもありません。私たちはそういった命の尊厳を脅かす価値観を受け入れることはできません。この価値観の行き着く先は、利己的な目的のために他者を犠牲にしても構わないという生き方に他なりません。命の尊厳を軽視するところに、真の平和はあり得ません。排除のあるところに、真の平和はあり得ません。無関心が支配する世界に、真の平和はあり得ません。

互いに尊重し、助け合い、それぞれの命が例外なく大切にされる社会を目指してまいりましょう。

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2018年8月10日 (金)

平和旬間です

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8月6日は広島、そして8月9日は長崎の、それぞれの原爆投下という戦争の悲劇を記憶する日であり、犠牲者の永遠の安息と、平和を祈念する日でもありました。

日本のカトリック教会は、8月6日から15日までの10日間を、毎年『平和旬間』と定め、各地で様々な関連行事が行われ、祈りが捧げられます。

東京教区では、明日、8月11日に教区としての行事が行われます。講演会と、平和巡礼ウォークと平和祈願ミサ。今年は、ちょうど教皇様の呼びかけに応えて、難民移住者委員会とカリタスジャパンの共催で、国際的なキャンペーン「Share the journey、排除ゼロキャンペーン」を実施中であることから、難民問題に焦点を当てた講演をお願いいたしました。

明日土曜日、午後2時から、聖イグナチオ麹町教会のヨセフホールで、弁護士の駒井知会さんによる「難民とともに生きる、日本社会の未来」というお話があります。

その後、関口へ向けて各所から平和巡礼ウォーク。詳しくは東京教区ホームページへこちらのリンクから。酷暑も予測されますので、気温を見定めながら。

最後に、東京カテドラル関口教会で午後6時から、私の司式で、平和を願うミサを捧げます。

また各宣教協力体などでそれぞれの企画もあります。詳細は、上掲の教区ホームページのリンクをご覧ください。

なお私は、12日日曜日は、上野教会で午前10時からミサ後に講演会。さらにその日の夕方6時半から立川教会でミサを捧げます。

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平和旬間を始めるに当たり、広島の祈りの日の前日、8月5日に、広島教区の平和行事が行われましたので、広島まで出かけてきました。午後には幟町教会を中心に講演会や分科会が行われ、夕方5時から平和公園の原爆供養塔前で聖公会と共催の祈りの集い。(上の写真)全国各地から、主に青年を中心に参加者があり、東京教区からも数名が参加。広島教区と姉妹関係にある釜山教区からも青年たちがおそろいのTシャツで参加。(下の写真は、長崎からバスで来た子どもたち)

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祈りと、聖公会主教、前田枢機卿、白浜司教による献水に続いて、カテドラルまでの平和行進となりました。今年は、基本的には歌を歌うなどせず、祈りのうちに静かに歩みを進める祈りの行進が企画されました。もっとも黙って商店街のアーケードを歩み続けるのも困難で、途中からは聖歌も聴かれました。でも、祈りのうちに歩み続ける行進にも、意味があると感じます。沈黙の祈りと、聖歌が組み合わさるような企画になればと思いました。

Hiroshima1802

幟町の世界平和記念聖堂は改修工事中のため、今年の平和祈願ミサは、お隣のエリザベト音楽大学のホールで。司式と説教は岡田大司教。教皇大使や前田枢機卿はじめ、全国の多くの司教司祭が共同司式でした。

核兵器廃絶は、教皇ヨハネ23世の「地上の平和」から始まって今に至るまで、歴代教皇が強調する優先課題の一つであり、国連などの外交の場でも、繰り返し聖座が主張してきたことです。

例えば、2017年の5月2日から、ウィーンで開催された「2020年核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議第1回準備委員会」では、参加した聖座代表は次のように述べて、聖座(バチカン)の立場を明らかにしています。

『この準備委員会への聖座の参加は、「核兵器から解放された世界をめざし、核不拡散条約の文字通りでその精神をくみ取った完全な履行によって、これらの兵器の完全な禁止という目標に向かって働く」その努力に、倫理的権威から協力しようとするものです』(私訳)

その上で、核抑止力についてこう述べています。

『核兵器は、間違った安全保障の感覚をもたらします。また、力のバランスによって、後ろ向きな平和(a negative peace)をもたらそうとします。国家は、自らの安全保障を保持する権利と義務がありますが、それは集団安全保障や、共通善や、平和と強く関係しています。この観点から、平和の前向きな理念が必要です。平和は、正義と、総合的人間開発と、基本的人権の尊重と、被造物の保護と、公共へのすべての人の参加と、人々の間の信頼と、平和構築に献身する諸機関の支援と、対話と連帯に基づいて構築されなければなりません』(私訳)

また2017年9月20日には、聖座は核兵器禁止条約に署名批准し、その際に総会において、国務省のギャラガー大司教は演説でこう述べています。

「皆が兵器拡散の重大な影響を非難する一方で、実際の世界では大きな変化は見られません。なぜならば、教皇フランシスコが指摘するように、「私たちは『戦争反対』と声を上げるものの、同時に兵器を生産し、紛争当事者に売りつけているからです」

「二年前の今日、教皇フランシスコは国連総会で演説し『核拡散防止条約(NPT))の文字通りの適用を通じて、核兵器の完全な禁止を目指しながら、核兵器のない世界の実現のために働く緊急の必要性』を強調されました。」

「聖座は、核兵器禁止条約に署名しすでに批准もいたしました。なぜならば、核兵器の完全な拡散防止と軍縮のために、核拡散防止条約の署名国にとって、早い時期に核軍拡競争をやめるため、また核軍縮のための交渉に誠実にあたるための取り組みを実現させる大きな前進であり、厳密で効果的な国際的監視下での完全な軍縮交渉に向けての一歩として、全体としては大きな貢献であると信じるからです。」(私訳)

教皇様ご自身は、その後、「戦争がもたらすもの」という言葉を入れた、いわゆる「焼き場に立つ少年」の写真を広く配布したりしたことで、核兵器の廃絶を強く求める立場を明確にしています。

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もちろん、多くの人が、「核兵器のない世界」の方が、「核兵器におびえる世界」よりも望ましいと言うこと自体には賛成していることでしょう。同時に、国際政治の力関係や実際の軍事バランスを考えて、同じ目的地であっても、採用する道筋は異なることも確かです。加えて残念なことに、核兵器を保有している国同士の相互不信は根本で払拭されそうもありません。

当然、核兵器の廃絶が一朝一夕で達成されるなどと、夢のようなことを考えているわけではありません。

しかし同時に、現実は、立場の異なる当事者が、それぞれの採用した道筋こそが正統であり正しいのだと主張するばかりで、目的地の山頂はガスの中に隠れてしまっているような状態です。だからこそ、教皇様のあの写真なのです。書類の上の文字ではなく、外交交渉の言葉ではなく、ののしり合いではなく、実際に肌と心で感じる悲しみ、苦しみ、喪失感、嘆き。その具体的な感覚を、具体的な心の叫びを忘れてしまっては、頂上が見えなくなるのです。

具体的な心の叫びをあらためて主張し、見失われそうになった頂上を、あえて見せつけ思いを呼び覚まそうとすることは、祈りとともに、理想を掲げ続ける宗教者の務めの一つであろうと思います。

戦争は想像の産物ではなく、「人間のしわざ」だからです。

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