カテゴリー「司教の日記」の1865件の記事

2017年12月 9日 (土)

離任ミサ、そして沖縄に新司教

本日12月9日は、東京大司教への着座式の一週間前です。新潟教区では今日、まもなく新潟教区を離れるわたしのために、離任ミサを企画して下さいました。

今にも雪が降りそうな寒い土曜日でしたが、教区各地から多くの方が参加してくださり、新潟教会聖堂は200人を超える方々で一杯となりました。

また司祭団も、教区司祭団は他の先約があった数名を除いてほぼ全員が、また山形地区や秋田地区からも代表が駆けつけてくださいました。神言会からは管区長のジェブーラ神父が来て下さり、祭壇上では秋田の永山神父様と並ばれたので、新旧管区長のそろい踏みとなりました。ジェブーラ神父はポーランドから学生時代に来日され、わたしとは名古屋の神学院時代を一緒に過ごし、わたしの司祭叙階の日に助祭に叙階されました。また昨年司祭団の黙想会を指導していただいた縁で、サレジオ会の阿部神父さまもおいで下さいました。感謝です。

ミサ後には、センター二階で感謝の集いを開いていただき、多くの方々と挨拶を交わすことができました。また本当に文字通り山のように霊的花束をいただきました。感謝します。これからもどうかわたしがふさわしく司教職を果たすことができるように、みなさまのお祈りをお願いいたします。あと一週間で、新潟教区の司教座は空位となります。一日も早く、ふさわしい司教が任命されるように、お祈り下さい。

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さて教皇様は、先ほど、沖縄は那覇教区の押川司教様の定年による引退願いを受理され、その後任として、那覇教区で働かれるカプチン会のウェイン・バーント神父さまを、新しい那覇教区司教に任命されました。

ウェイン・バーント被選司教は、アメリカ合衆国出身で63歳。長年、さいたま教区や那覇教区で働かれている修道者です。日本の司教団に、海外出身の司教が加わるのは久しぶりで、直近では同じく那覇教区のレイ司教様(1972年に62歳で亡くなられています)以来のことになります。レイ司教様もカプチン会の修道者でした。

どうぞ新しい那覇教区の司教様のためにお祈り下さい。ご本人の写真の良いのが手元になかったのですが、上の写真は、2011年4月、東北の大震災後に初めて仙台で開催された仙台教区サポート会議に参加された時のウェイン・バーント被選司教です。

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2017年12月 2日 (土)

国際カリタス理事会@バチカン

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今週は,年に二回開催される国際カリタスの理事会にあたる地域代表会議(Representative Council)に出席するため、ローマに来ていました。

国際カリタスは世界に160を超えるメンバー団体を持つ連盟組織です。連盟に参加が許されるためには,それぞれの国や地域のカトリック司教協議会の承認が必要です。日本からはカリタスジャパンが連盟に名を連ねています。

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国際カリタス事務局はバチカンのローマ市内にある飛び地のひとつ、サンカリスト宮殿にあり、ここには先般複数の社会福音化活動を担当する部署を統合して誕生した、総合的人間開発促進部署も本部を置いています。(写真上、サンカリストの国際カリタス入り口)

国際カリタスは世界を7つの地域に分けており,わたしが責任者を務めるアジアは、24のカリタスがメンバーとなっています。アジアからこの理事会に参加するのは、わたしと、パキスタンとミャンマーの代表ですが,今回はわたし以外の二人は欠席(教皇様訪問や政治状況など)。アジアからはもう一人、オブザーバーでカリタスアジア事務局長も参加しています。

今回の主な議題は、2015年から19年までの活動計画の中間評価と、19年以降の活動計画の基本方針の確認。そして18年の予算の承認などですが、途中、新しくできたお隣の総合的人間開発の部署の次官(秘書)に任命されたフランス出身のブルーノ・デゥユフェ師においでいただき、総合的人間開発について2時間ほどお話をいただきました。

ちなみに,わたしの国際カリタス関係の関わりは,カリタスアジアの責任者(President)の任期が終われば終了します。任期は一期4年の現在2期目で、2019年5月までです。規定でそれ以上の再選はありません。(写真下、朝霧のテベレ川。毎朝、途中でバスを降り、この川沿いを散策しながら会議に向かいます)

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カリタスの業は単なる愛の奉仕のとどまるのではなく、神から与えられた賜物であるこの尊厳あるいのちを、十全に生きることができる社会を生み出すことを目指して行われています。ですから,一部の心優しい人の特別な活動なのではなく、神を信じる人にとって当然取り組まなければならない業でもあります。

人間開発は,私たちの信仰的には,神から与えられたタレントを十分に生きることができ,それによって一人一人の使命が果たされるような状況を生み出すことであり、それは貧富の問題や飢餓の問題や難民問題にだけ留まるのではなく,人が生きるという現実のすべての課題に及ぶがために、総合的なのです。

すべての信仰者が,カリタスの業に開かれている教会共同体を目指したいと願っています。

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2017年11月25日 (土)

神言会という修道会

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ご存じのように、わたしは「神言会」という修道会の会員です。教区司祭から司教になった者と、修道会員から司教になった者に何か違いがあるのかと言えば、司教としては何も異なりませんが、ただその育ってきた背景が違っていると言うことができます。(写真は1986年のわたしの司祭叙階式です。司式は故相馬信夫司教様です)

修道者は司教になることによって修道会を退会するわけでも、修道者を辞めてしまうわけでもありません。ですからわたしは、自分の名前の後に「SVD」と記します。神言会のラテン語の名称の頭文字です。

教会法には定めがあって、こう記されています。「705条:司教職にあげられた修道者は、その会の会員として留まる。ただし、従順の誓願の効力によってローマ教皇のみに服属する。また、自らの賢明な判断によって自己の立場と相容れないと認められる義務には拘束されない」

修道者は、常に総長や院長といった「上長」の下にあり、従順の誓願によって生きていますが、司教になると修道会の上長ではなく、直接教皇様への従順の義務が生じます。ですから、わたしが修道者の司教だと言っても、修道会の上長に相談したり許可をもらったりすることはありません。加えて、修道会の会憲で、司教になった時から、修道会内部におけるすべての選挙権(投票権と被選挙権)を失っています。その意味で、修道会の会員でありながら、その実そうでもないという、微妙な立場なのかもしれません。

もちろんご存じのように、教皇様ご自身もイエズス会という修道会の会員である修道者として、司教になられています。

さて、東京教区において神言会と言えば、吉祥寺教会の司牧を担当している修道会です。他の多くの修道会が東京に日本の本部を置く中で、神言会は名古屋に日本の本部を置いています。

名古屋では、主に愛知県内と岐阜県の教会司牧とともに、南山学園の運営に携わっています。小学校から大学院まで。わたしもそこで、中学から大学院まで学びました。名古屋には司祭養成のための神学院も持っています。

そして、長崎には長崎南山学園で中学と高校、そして西町教会の司牧と南山第二学園で幼稚園と小学校の運営に携わっています。

さらに新潟教区内では、秋田県全域と、山形県と新潟県でも教会司牧に携わっています。現在はこれ以外にも、福岡教区や仙台教区で会員が司牧に関与するために派遣されています。

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「神言会」という漢字の名称でも、日本の修道会ではありません。

1875年にドイツ人の司祭、聖アーノルド・ヤンセンが創立した修道会です。当時ドイツには宣教師を派遣する会がなかったので、ヤンセン神父は、中国に宣教師を送るために会を創立することを長年考えていました。紆余曲折を経て、宣教修道会を創立することになりましたが、当時はビスマルクの時代で、ドイツ国内では修道会創立に困難があったため、国境を越えてオランダに入り、シュタイルという町で創立されました。「神のことばの修道会」ですので、それぞれの国の言葉に訳されて、日本では神言会、台湾では聖言会、英語圏ではSociety of the Divine WordとかDivine Word Missionariesと呼ばれています。(写真は、オランダはシュタイルにある創立の修道院地下聖堂の創立者の墓所)

最初の宣教師は、やはり中国に派遣されました。イタリア人の会員で、聖ヨゼフ・フライナーデメッツ神父と言います。ちなみにこの大先輩の列聖のための病気治癒の奇跡は、名古屋で記録されています。わたしがガーナから日本に戻った後のことですから、いってみればつい最近です。

全世界70以上の国に、6千人を超える会員が派遣されています。現在会員の中で一番多い国籍はインドネシアであろうと思います。日本管区には120名ほどが派遣されています。なお、総本部はローマにあり、現在の総会長は、長年フィリピンで働いたドイツ人司祭です。

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神言会は、宣教修道会です。

なかでも宣教が困難で初期段階にある地域で、積極的に働こうとする修道会です。またできる限り様々な国の出身者が、言葉や文化の違いを超えて一緒に生活し働くことを基本としています。そのため、わたしも1986年に司祭に叙階されてから8年間、アフリカのガーナに派遣されて、小教区で働いていました。当時一緒に派遣された共同体(地区)で働いていたのは、ガーナ人、ポーランド人、インド人、フィリピン人、パラグアイ人の会員でした。(写真は、2010年にガーナ管区の修練院で)

教育は、1907年に神言会員が初めて日本に派遣されて以来、重要な福音のあかしの場と考えられてきました。最初に秋田に会員が派遣されたことから、新潟教区は神言会員が初代の教区長となりました。1912年のことです。その初代新潟教区長であったライネルス師は、当初から学校の設立を考え、その後名古屋教区長に移ってから、すぐに南山中学校(旧制)を創立されました。1932年のことです。

なお、聖霊会も同じ聖アーノルド・ヤンセンが創立した修道会で、聖霊奉侍布教修道女会が正式名称です。日本には1908年に、やはり秋田に派遣されてきましたが、現在は神言会と同じく、名古屋に日本の本部を置いています。

また聖アーノルド・ヤンセンは、御聖体の永久礼拝会も創立し、永久礼拝の聖霊会は、アジアではフィリピンなどにいくつかありますが、来日はしていません。

この機会に、神言会という修道会を、少しでも多くの信徒の方々に知っていただくことができれば、幸いです。

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2017年11月24日 (金)

長崎は、雨で寒かった@宗教改革500年

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11月23日は、長崎の浦上カテドラルを会場に、宗教改革500年を記念した日本福音ルーテル教会と日本カトリック司教協議会の共催の行事が行われましたので、前日から二日間長崎へ出かけてきました。

11月22日の長崎は、雨でした。長崎には、確かに雨が似合うけれど、でも晴れてほしい。祈りが通じたのか23日は晴れてはいましたが、「これが秋の長崎か」と思うほど寒い一日でした。

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雨の中、久しぶりに平和公園に登ってみました。下の表通りから一番上まで、屋根付きのエスカレーターができていたのには驚きましたが、おかげで雨の中でも難なく平和祈念像の前まで。平和公園といい、爆心地といい、訪れるたびに、いろいろと考えさせられる場所です。敵対する勢力の武力の衝突が、画面やスクリーンや写真の中での出来事ではなく、自分自身の生身を巻き込んで実際に起こるということを、具体的に想像できる力が人間にはあるはずで、その痛みや恐怖や悲しみを具体的に想像できるのであれば、そうはならない道を必死になって模索しようとするのではないだろうか。

戦争や武力衝突の具体的な現場に立つ時、それがどんな結果になってしまうのかを仮に知っていたのなら、何か違う道を必死で求めることができたのではないかと、いつも思います。

結局のところ歴史はあらゆる選択の結果でしかないので、後の時代に当時の選択の誤りを指摘するのは簡単なことで、そのときを生きていた人たちは最善と信じて選択をした、と信じたいのですが、しかしその選択が招いた悲惨な結果を考える時、やはり異なる道もあったのではないかと、どうしても思うのです。

後になって歴史を振り返れば、悲劇が起こるためのきっかけとなる決定的な出来事が指摘されたりするのでしょうが、でもその中に生きている時には、その出来事が決定的だなどとは感じることもなく、普通に時間が流れ、気がついたら悲劇の直中に引きずり込まれていたというのが実際のところでしょう。その意味でも、流されて生きるのではなく、時の流れにしっかりと目をこらして、悲劇的な選択をしてしまう前に、どうにかする努力を怠らないようにしたいと、あらためて思います。

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そして今回の宗教改革500年の記念合同行事のテーマは、「平和を実現する人は幸い」。長崎にふさわしいテーマでした。

行事の詳細は、中央協議会のサイトに報じられているので参照下さい。リンクです。

午前中はシンポジウム。浦上教会の方々が提供して下さった全員の昼食後、合同礼拝。ルーテルからは立山忠浩牧師(日本福音ルーテル教会総会議長)が、カトリックからは髙見三明大司教(長崎教区/日本カトリック司教協議会会長)が説教をされました。ルーテルの牧師先生たちも、カトリックの司祭団も、どちらも白いアルバに赤いストラでしたので、内陣にずらりと並んだときには、誰がルーテルで誰がカトリックかは見分けがつきません。その意味でも、分裂と対立を乗り越えて、キリストの一つの体を生み出していこうとする両教会の姿勢が、目に見える形で現れたのではないでしょうか。

当日のビデオを見ることもできます。スライダーを進めれば、どんどん途中を飛ばしてみることもできます。わたしも後半の合同礼拝の説教の後で、ルンドの共同声明を、カトリック代表で、大塚司教とともに、朗読させていただきましたので、そこに登場します。(4:17:20あたり)

あの広い浦上のカテドラルが、ルーテルとカトリックの方々で、一杯でした。

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2017年11月21日 (火)

新潟司教として最後の司牧訪問@新庄教会

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11月19日の日曜日、山形県の北部にある新庄教会を司牧訪問し、主日ミサを捧げてきました。

わたしは、まもなく12月16日から新潟司教ではなくなるわけですが、その新潟司教としてこれまで13年間、秋田県、山形県、新潟県内にある30を越える教会共同体を、「公式訪問(司牧訪問)」という名称で訪れてきました。ときにはそういう機会に堅信式も行われたりしましたが、基本的には教区の中のそれぞれの教会共同体の方々とともに祈り、ひとときを過ごし、少しでも現実を理解するためにと、これまで続けてきました。

その、新潟司教としての最後の「公式訪問(司牧訪問)」が、この日の新庄教会です。最後の訪問としてわざわざ予定されたのではなく、たまたまですが、もともとの年間予定の中で、この日に新庄を訪れることになっていたのです。しかしそれはある意味わたしにとって、非常に象徴的な共同体を最後に訪問することになりました。新庄教会は、わたしにとって、新潟教区内の大切な教会共同体の中でも、とりわけ大切な教会共同体の一つだからです。

この教会が誕生した経緯は、こちらの以前の「司教の日記」をご覧下さい。リンクです

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2010年に、この地域で暮らすフィリピン出身の信徒の方々と(多くがこの地域で結婚している人たち)、以前からおられた日本人の信徒の方々が一緒になり、教区内外の多くの方の支援で誕生しました。わたしの記憶が正しければ、その頃、90名近い共同体の信徒の中で、日本人信徒は3名だけだったと思います。

教会ができた当初から、主にフィリピン人のお母さんたちの共同体でしたが、一つだけ要求をしました。それは日本にある教会なのだから、基本的に日本語でミサをするように。ときに外から司祭を招いてそれぞれの言葉でミサや黙想会があっても良いけれど、日曜日のミサは基本的に日本語でと、それだけを要求しました。彼らの子どもたちやご主人たち、そして地域の人たちへと教会の輪を広げるためには、日本語で教会を造ることが不可欠だと思うからです。

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ですからこの日のわたしのミサも、日本語でした。ミサの最後に、皆さんのメッセージと花束をいただいたので、そのお礼の言葉だけは英語で話しましたけれど。

前日の土曜の晩に、いつものように何人か集まって、一緒に夕食会になりました。この楽しい夕食会は、ときに近隣の住民も巻き込んで、いつも明るい笑い声が絶えない新庄教会のシンボルになっていると思います。

これからも、地域に根ざした共同体を、この地で育て上げ、地域の人たちにも、その笑顔の源であるイエスとの出会いを広げていって下さることを、新庄教会の皆さんには期待しています。

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なお、これで公式訪問は終わりですが、次の日曜日、11月16日の王であるキリストの主日は、例年通り、新潟教会でミサを捧げます。

山形はこの日大雪が降り始めていました。新潟の帰り道、小国のあたりの峠道は、すでに除雪車が大活躍していました。わたしの車も直前に、冬タイヤに変えておいて助かりました。

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2017年11月15日 (水)

聖地巡礼を終えました

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聖地巡礼から,先週の土曜日、11月11日夜に帰国しました。以前から予定されていた巡礼だったとはいえ、このたび東京への任命をいただき,新しい場へ移る前に、霊的な準備をする機会をいただきました。(写真上、オリーブ山からエルサレム旧市街を望む)

わたしと添乗員を含めて16名の巡礼団でしたが、結構平均年齢は高かったと思います。聖地巡礼は,エルサレム旧市街など思いの外歩かなくてはならないのですが、皆さん元気に健脚を披露してくださいました。また今年司祭叙階銀祝を迎えた鶴岡教会の伴八郎神父も,同行してくれました。

また数年前に比べて,政治や治安状況が安定しているためか、観光客や巡礼者が戻ってきているようで、どこに行っても駐車場に入りきれないほどのバスが列をなし、重要な巡礼地では長時間列に並ぶこともありました。

それでも今回初めて,ガイドの方に無線のイヤホーンガイドを使ってもらったのですが,これがガイド以外にも役に立ちました。まずは旧市街での十字架の道行き。人混みの中で,大声で祈るわけにも行きませんので、イヤホーンガイドを使って一緒に祈ることができました。そして長蛇の列になった聖誕教会。待っている間に,皆で一緒に小さな声でロザリオを唱えることができ、長い待ち時間も祈りのうちに過ごすことができました。(写真下、エインカレムの洗礼者聖ヨハネ誕生教会小聖堂でのミサ)

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今回の巡礼は、まずガリラヤ湖畔から始まり、ティベリアに三泊しながら,イエス様が弟子たちと過ごした地を訪れました。その後、国境を越えてヨルダンへ行き、モーセの終焉の地であるネボ山で約束の地を望みながらミサを捧げ、世界遺産でもあるペトラの遺跡も訪ねました。(写真下、ヨルダンのペトラ遺跡)

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その後、ネボ山近くのヨルダン側の死海湖畔で、死海遊泳。再び国境をわたり、エリコからベトレヘム、そしてエルサレムと進みました。(写真下、ベトレヘム郊外の羊飼いの野の教会で,伴神父と)

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巡礼の地はどこでも感動しますが、わたしにとって今回は、とくにモーゼが約束の地を望みながら入ることができないと神から告げられたネボ山が印象深くありました。人間の望み通りにはならない。神の計画が成し遂げられることを,心に刻み込まれました。

参加してくださった方、お祈りくださった方、ありがとうございます。

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2017年11月 5日 (日)

聖地巡礼中です

今週は,かねてより予定されていた聖地巡礼中です。参加者全員元気で、日曜の朝を迎えました。今日は、カナで主日ミサの予定です。写真は今朝のガリラヤ湖の朝日。

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2017年11月 4日 (土)

東京の着座式について

先日教皇様からいただいた東京教区大司教の任命ですが、任命されますと2ヶ月以内に,その新しい司教座に「着座」をしなければならないと定められています。

わたしは東京教区司教座に,正式に着座をするまでは,新潟教区の教区司教です。

その着座式は、12月16日土曜日の午前11時から、東京教区のカテドラルである関口教会で行われることになりました。お時間がありましたら,ご出席くださり、一緒にお祈りください。

また、新潟教区の教区司教を離れるに当たり、新潟教区では離任ミサをしてくださることになりました。それは着座式の一週間前、12月9日土曜日の午後1時から、新潟教会で行われます。こちらも参加していただけると幸いですが、ただ東京とは異なり新潟教会の聖堂は300人ほどしか収容できませんので、そのことはご承知おきください。

新潟教区の司教座は、12月16日から「空位」(教区司教が任命されていない状態)となります。しかし教区は生きていますから、教区管理者が任命されます。それについては、空位期間が始まってから、発表となります。

なお、東京教区の皆さんにあっては、わたしが着座後即座に、ばりばりと東京で働くことをご期待いただくのやもしれませんが、もうしわけない。

なにぶん年末から来年1月末までは,すでに数年前からお約束した事などが山積みで、それを順番に行っていかなくてはならず、そのため東京への引っ越しも着座式以降になろうかと思います。もちろん着座式前に,少しずつ東京に住むことができるようにはいたします。ですから何月何日をもって,きれいに新潟を去り,東京へ移りました、とはならないことをも,ご承知おきください。

どうぞみなさまのお祈りによるお支えを,心よりお願いいたします。

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2017年10月29日 (日)

酒田教会50周年で堅信式ミサ@山形県酒田市

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東京に移ることが急遽決まったため、新潟司教としての司牧訪問は、予定されているあと二つを残すのみとなりました。

そのうちの一つ、酒田教会を本日の日曜日に訪問し、ミサを捧げました。主任司祭は鶴岡と兼任で神言会の伴神父。ちょうど今年は酒田教会ができて50年になり、そのお祝いと、先週に続き主任司祭の伴神父の叙階銀祝のお祝いなど、様々な祈りを込めたミサでした。

ミサの中ではおひとりの方が、堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。

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酒田教会は、住宅地にある小さな教会で、いつもは10数名の方がミサに参加されると伺いました。今日は、7年前に亡くなられた信徒の方の追悼も含まれていたので、そのご家族も参加され、20名を超える方で小さな聖堂は一杯でした。

ミサ後には聖堂隣の部屋で、食事会が催されました。終わりには伴神父さまの銀祝のために用意されたケーキと、さらにはわたしの東京大司教任命を祝って、もう一つのケーキまで用意していただきました。感謝します。

台風が接近して荒れ模様でしたが、温かく、それこそ「家庭的」な酒田教会のもてなしに、心温まって新潟へ戻りました。

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上の写真は、酒田教会の会議室に掲げられているものですが、コリント人への第一の手紙1章27節以下の言葉。ちょっと今の状況から、心に語りかけるものがありました。

新潟司教として最後の司牧訪問は、新潟教会を除けば、11月19日の新庄教会を残すのみとなりました。

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2017年10月26日 (木)

東京大司教の任命をいただきました

教皇様は昨日10月25日、東京教区のペトロ岡田武夫大司教の定年に伴う引退願いを受理されました。その上で教皇様は、後任の東京大司教に、わたしを任命されました。

東京での着座式は12月中頃を予定していますが、決定次第、お知らせいたします。

東京は信徒数から言えば9万人を超えて、日本で一番大きな教区です。わたしは東京に住んだことも、そこで働いたこともありません。まったく何をどうしたらよいのか見当もつかない中での任命で、教皇大使から内示を受けてからのこの数日、そして今でも、大きな困惑のうちにおります。どうぞ務めを忠実に、より良く果たすことができるように、みなさまのお祈りをお願いいたします。

またこれまで13年間、司教として育ててくださった新潟教区の皆さんには、心から感謝申し上げます。以下、今回の任命にあたって、新潟教区の皆さんに向けた挨拶のビデオです。

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