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2019年7月13日 (土)

赤羽教会堅信式

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7月7日の日曜日は、赤羽教会で堅信式ミサでした。赤羽教会はコンベンツアル聖フランシスコ修道会が司牧を担当し、現在は同会員の永尾稔師が主任司祭です。

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ミサの中で、18名の方が堅信を受けられました。おめでとうございます。赤羽教会の聖堂は、古くからの祭壇が残され、荘厳な雰囲気でありました。同会の神学生二人を含む侍者の皆さんも熱心で、共同体全体に祈りと信仰の熱意がこもっているのを感じた日曜でした。

ミサ後には、信徒会館で祝賀会。教会学校の皆さんの歌の披露もあり、楽しいひとときを過ごすことができました。準備してくださった皆さん、ありがとうございます。

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1949年に正式に小教区となった赤羽教会について、東京教区のホームページには次のように記されています。

「赤羽教会の設立は、当初長崎を拠点として活動していたコンベンツアル聖フランシスコ修道会が終戦後、東京に新しい修道院や神学生養成のための神学校の必要性を強く感じ始めたことに起因します。ドナト・ゴスチンスキー神父とゼノ修道士が派遣され、赤羽にその地をみつけ、戦争中の空襲で焼けた工場跡のこの土地を、当時の管区長であったサムエル・ローゼンバイゲル神父がアメリカからの寄付金で購入しました」

以下、当日のミサの説教の録音を文字に起こしたものですが、意味不明なところは直してあります。

 

どうして司教が小教区を訪問するか、皆さんご存じですか?

今日は堅信式があるからと思っておいでかもしれませんが、堅信は、司教の委任で主任司祭が授けることができます。堅信を授けることだけが、司教が小教区にやってくる目的ではないのです。

今年11月に教皇様が日本に来られるという話がテレビや新聞で流れていますね。全て決まっているように思われていますが、実はまだなんにも決まっていません。

カトリック教会ではローマが発表しないとなにも決まらない。正式的にはなにも決まっていませんが、でも教皇様は日本に来られる予定です。

で、なぜ教皇様が日本にやってくるのかというと、それは司教が小教区にやってくる理由と同じ理由なんです。

物見遊山ではない。政治の交渉のためでもないし、もちろん洗礼を授ける為でも堅信を授けるためでもない。あるひとつの目的のために、教皇様はやってくるし、おなじように司教も訪ねてくるのです。

その目的は、教会共同体に励ましを与えることなんです。

では、そもそも教会はどこから始まったのか。

それは聖霊降臨の日、弟子達が聖母マリアと共に集まっているところに聖霊が降(くだって)きた。そこに初めて教会共同体が始まったといわれています。

聖霊降臨の日は教会の誕生の日といわれていますが、あの日から全てが始まっているんです。あの日から全てが始まり、この極東の外れの日本という国にも、その同じ教会共同体が存在しているのです。

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最初に始まった教会共同体にはリーダーがいました。もちろんマリア様もそこにおられていたけれども、リーダーはだれだったのか。

それはイエスご自身が、使徒たちのリーダーとして天国の鍵を授け託した弟子、ペトロです。ペテロを中心として教会共同体が存在していた。

それが徐々に世界に広がってゆくと、ペトロ一人ではやっていけませんから、リーダー役をどんどん分けていくわけですね。つまりそれが司教。

司教たちというのは、そのペトロと11人の使徒から始まり、使徒の後継者として世界中に存在しているのです。

ですから実は、今日こうしてみなさんと一緒にいるこの教会共同体は、あの聖霊降臨の日の、あのペテロを中心として一緒に集まっていた教会共同体と、繋がっているわけですよ。

そしてその教会共同体は、リーダーのペトロによって励ましを受けて福音宣教に遣わされている。

すなわち、司教や教皇様がやってくる一番大きな理由は、そこに存在している教会共同体に、あなた方はただ孤立し自分たちだけで存在している教会ではないのだと、あの聖霊降臨の日から連綿と続いている教会共同体の流れの中に一緒にいるんだと、伝えに来ているということです。

だから私たちはカトリック教会というんですよ。普遍教会、普遍に広がっている教会。

だから与えられている使命をしっかり果たしなさいと、励ましを与える為に教皇様は来られるし、励ましを与えるために私も、小教区の共同体を訪問しているのです。

何を励ましているのかというと、すでに申し上げた通り、福音を告げ知らせること。イエス・キリストの福音を証しすること。

今日の福音では、教会が12人のところから始まり、さらに72人をリーダーとして任命し派遣していくわけです。

その72人を外に向けて派遣していく時に、訪ねていったら何を言えとイエスは言ったか。

イエスはただ、「この家に平和があるように」と。

私がここであなた方に教えたことを教えなさいとか、そんなことをイエスは一言も言わなかった。私達は「平和があるように」という言葉を、伝えていかなければならないのです。

平和っていったいなんでしょう。

戦争しないことだとか、みんなが仲良くしていくこと、などと考えていくと、実はそれは平和の結果なのです。平和の結果として戦争がないのですし、平和の結果として皆さん等しく尊重されて仲よく生活をしていくのです。

平和っていったいなんなんだろう。

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創世記の一番最初に神は混沌としている中で世界を創られていったと記されている。神は思いつきで、世界を作っていったわけではなくて、神は自分が考えられた最善の秩序で世界を生み出していかれた。

最初に創られた世界には、神の秩序が存在していたのです。神が、これが一番最適だと思われる秩序に従って創造したのです。

あの時にこそ、神の完全な秩序が実現していたのです。それを神の平和と呼ぶのです。

つまり、神の平和というのは、神が望まれている世界の秩序が実現している状態です。神が望んでいる実現の象徴。

今どうなのかというと、もちろん実現していません。なぜならばアダムとエバの時、罪の誘惑によって人間が神の望みに背いたために、そこから神の秩序が崩れっぱなしなのです。ずーっと今に至るまで崩れっぱなしです。

だから、あそこでもここでも戦争が起こり、人の命が粗末にされ、そして皆が仲良く生きてゆけないという状況が生まれてくるのです。

神の平和が存在していない所に、我々が考えている平和な世界はないのですよ。

ですから、神が望まれている世界を生み出しましょう。神が望まれている世界を、改めて実現しましょう。神が一番最初に世界を創り、人を創った時の、望まれていた秩序を回復しようということを、実は宣べ伝えたいのです。

そしてイエスが教えておられるさまざまなこと、イエスが私たちに教えられたさまざまな言葉、行いはすべてそこに結ばれているのです。

愛することによって、敵を許すことによって、人の為に命を捧げることによってと、さまざまなことをイエスは教えていらっしゃいます。それはすべて究極的には、神の秩序を実現するところに繋がっているのです。つまり平和の実現に繋がっているのです。

私たちはこの世界にあって、神が望まれていることと違うことがたくさん起こってますよね。命が粗末にされている、人間の命が大切にされていない、戦争が起こる、貧富の格差ががある。様々な状況がある中で、神が望まれている世界を創ろうじゃないか。その為に、イエスが言われているこれを、あれを実行しようと、伝えていきたいのです。それは私たち一人一人が与えられている福音宣教の務めです。

福音宣教の務めは、あんた洗礼を受けなさいなどと言うことではない。勧誘することではないのです。私たちは勧誘する為に派遣されている勧誘員ではないのです。

そうではなくて、この神の秩序を実現する為にイエスが言っていることに耳を傾けようよと、それをなんとか実現していこうよと、神が一番最初に創られたそれを、私たちはこの社会の中に伝えていきたいのです。

しかしそうゆうことは、現実からかなりかけ離れているので、何を夢物語、何を理想を言っているのかと、どうしても言われがちなことですが、その中にあって気が心が萎えてしまっている時に司教がやってくる、教皇様がやってくる。

そして、一番最初の教会から今に至るまで、この萎えた気持ちを神が聖霊によって生かしてくださっているんだ、力付けてくださるんだということを、改めて伝えるのです。

それによって私たちはもう一回力を得て励ましを得て、改めてこの社会の、福音を生きていこうという思いを強めてゆきます。新たにしていきます。

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幸いなことに、堅信の秘跡は、それを目にみえる形で私たちに自覚をさせてくれますよね。祈りがあって油を塗ることによって、堅信を受けられる一人一人に聖霊が注がれるのだといわれています。

聖霊を受けたからといって、なにか急に力がみなぎってきて、エナジードリンクを飲んだように、スーパーマンのように、急にできるようになるわけではないです。

なんにも起こらないのだけども、この萎えた気持ちでも前向きに生きて行こう、萎えた気持ちがあるけれど、でも前向きにイエスの福音を伝えていこうとする思いを、聖霊が後ろから支えてくれるのです。

支えてくれるのが聖霊です。後ろから神がフーッと息を吹きかけて支えてくれるのです。倒れ込まないように支えてくれるのです。それが聖霊を受けること、聖霊の力です。

今日堅信を受けられる方々も、このミサに与っている方々も、聖霊を豊かに受けて萎えた気持ちを改めてふるい立たせ、この社会の中でイエスの言葉に耳を傾けましょう。

あらためて自分の言葉で語り、毎日の生活で証していく。それによって少しでも世界が神の望まれる世界に近付いていくように、努力を続けていきたいと思います。

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豊四季から市川へ、そして新潟から神学院、そして秋田へ

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タイトルは、6月30日から7月6日までの一週間のことであります。移動が続いたため、このところ「司教の日記」の更新が追いつきません。

6月30日の日曜日は、まず豊四季教会で堅信式ミサでした。豊四季教会は、教区の立花神父が主任司祭。20名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。

梅雨空の小雨模様の日曜日でしたが、ミサが終わる頃にはなんとか雨も上がり、全員で聖堂の外に出て、ドローンを飛ばして全体写真を撮影しました。ミサ後には、信徒会館で茶話会も。たくさんの方が積極的に教会の活動に参加し、互いに協力しておられる熱気を感じることができました。

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豊四季教会は、教区のホームページによれば;

 1971年5月、 国道16号線に沿った柏市東台に 「カトリック柏教会」 として最初の教会が献堂されました。 面積240坪あまりの土地に聖堂・ホールが所狭しと建てられ、駐車場も2台分しかありませんでした。  その後、信徒が増加したためにより広いものを求める声が大きくなり、移転が検討され、具体化していきました。土地等の交渉が難航し、想像を絶する努力の末、1991年9月この土地に建設され、白柳大司教により献堂式が行われました。移転に伴い教会名も「カトリック柏教会」から「カトリック豊四季教会」と改められ、主任司祭にスカボロ宣教会のハクシャー神父が赴任されました。 その後4代目の主任司祭だった岡田武夫大司教は東京教区長に任命され現在に至っています。 この教会は、聖母マリアのご保護を願って、 「平和の元后聖マリア」 に捧げられています。

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現在は広い敷地に駐車場も余裕があり、これからのさらなる発展が期待されています。

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さて豊四季教会のミサ後には、市川教会へ。ここでは午後から、松戸、市川、小岩、豊四季に集まるフィリピン出身の信徒の方々の集まりがあり、英語ミサを行いました。中心になっているのは市川教会の主任司祭であるフィリップ神父。コロンバン会員です。

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東京と千葉の全域で、4万人を超えるフィリピン人の方々が居住されていると、以前フィリピン大使館の方からうかがいました。ですから東京教区には、3万8千人以上のフィリピン出身の信徒がいることになります。

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自らの文化のアイデンティティを保ち、異国にあって助け合うためにも、こういった集まりが定期的にあることは大切だと思います。同時に、普遍教会にあっては、言語や文化によって共同体が林立したとしても、それらが全体として一致していることが重要です。東京教区にあっても、様々な言語や文化によって共同体が誕生していますが、それぞれが孤立することなく、同じ教区共同体を一緒に形作っているのだという意識を、常に持ち続けていただきたいと願っています。

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この日は、多くの方が聖堂一杯に集まり、フィリピン大使館からも代表の参加がありました。熱気に満ちたミサの後には、各教会のグループからダンスの披露があり、さらに信徒会館で食事会も行われました。

準備してくださった皆さん、ありがとうございます。

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そして7月3日は、新潟教区司祭の三崎良次師(86才)の、司祭叙階金祝を祝い、新潟近隣で働く司祭団が集まってお祝いのミサを捧げ、昼食会を新潟司教館で行いました。三崎神父様は、司教館で隠退生活を送っておられますが、まだまだお元気です。おめでとうございます。

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そして7月4日と5日の東京神学院での会議を経て、5日の夜から6日にかけて、秋田の聖体奉仕会へ。聖体奉仕会は責任者が新潟教区司教なので、教区管理者として、年に一度の会員総会に出席。長くてばたばたした一週間でした。

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2019年7月 2日 (火)

聖ペトロ・パウロのお祝い@金銀祝とペトロの家

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今年は、聖ペトロ・パウロのお祝いを二回いたしました。一回目は6月24日午前11時に、東京カテドラルを会場にして、教区で働いてくださっている神父様方の司祭叙階ダイアモンド・金・銀のそれぞれのお祝いのミサを、聖ペトロ・パウロの祝日の典礼で捧げさせていただきました。

もともと、土井枢機卿にはじまり、白柳枢機卿、そして前任の岡田大司教と、東京の大司教はこの80年ほど霊名がペトロでありました。ですから聖ペトロ・パウロの祝日に当たる6月29日に一番近い月曜日に皆が集まり、お祝いのミサをしていたとのことです。その中で、その年に記念日を迎えられる司祭のお祝いも含めてきたと。ところが、ここに来て、大司教はペトロではなく、タルチシオです。祝日は8月です。どうするか思案しましたが、恒例のお祝い事ですからこれまで通り6月に行うことにしております。

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当日は多くの司祭に集まっていただき、記念日を迎える司祭の中からも、それぞれ数名の参加がありました。残念なことにこの日は荒れた梅雨の天気で大雨が降り、多くの司祭や信徒の方が参加を断念された模様です。節目の年を迎えられた神父様方に、心からお祝いも仕上げるとともに、これからもどうぞよろしくお願いします。神様のかわらぬ守りと導きを祈ります。以下一番下は、当日の説教の原稿です。

そして6月29日の午後2時半からは、東京教区の引退された司祭方の家「ペトロの家」の、後援会の方々とともに捧げるミサでした。ペトロの家は、高齢で現役を退かれた司祭や、病気療養中の司祭が暮らされる家で、高度なケアが必要となる前の段階で自立しておられる方々を中心に共同生活を営んでいる家です。修道会出身の私などには、なにか修道院共同体のようにもみえるところです。

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常日頃から、ボランティアや祈りや献金で、ペトロの家を支えてくださる方々をお招きして、感謝のミサを捧げ、その後は神父様方と懇談会をもよしました。70名を超える方がおいでくださり、聖堂に入りきれないほどでした。みなさまの日頃のご支援とお祈りに、感謝申し上げます。

司祭は引退するのではなく、そのいのちが尽きる日まで、司祭として生き続けます。役職を果たすことがなくなっても、それが司祭としての引退ではありません。ベットの上に寝たきりになろうが、車椅子であろうが、生きている限り、司祭は司祭としての務めをそれぞれにとって可能のかたちで果たし、その生き様を持って、福音をあかし続けています。その意味でも、ペトロの家のように、ともに支え合いながら、祈りの生活を持って共同体を作っている姿は、福音のあかしとして、重要だと思います。これからも、ペトロの家で生活される司祭のために、お祈りください。

以下、6月24日のカテドラルでのミサの説教の原稿です。

「それではあなた方は私を何者だというのか」
わたしたちはこの主からの問いかけに、自信をもって回答する言葉を持ち合わせているでしょうか。いくらでも学んだ知識を基にして、模範的な回答を並べることはできるかも知れません。でもそれは、結局のところ、誰かによって生み出され、わたしに与えられた知識でしかありません。

「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」と言うイエスの問いかけに対して、弟子たちは様々に回答をいたします。それらの回答は、皆どこかの誰かがそう言っていたという伝聞の知識であります。
しかし一通りどこからか聞いてきた情報の開示が終わるのを待ったイエスは、「それではあなた方は私を何者だというのか」と問いかけます。

イエスのこの言葉には、「そこら中で聞いてきたことを、そのまま繰り返すことは許さないぞ」と言う迫力があります。「どこからか聞いてきた知識は今出し尽くしただろう。もうそれに引きずられてはならない。自分の心の奥底にある本当の思いを言いなさい」と迫る、迫力があります。

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イエスに迫られて、わたしたち自身はいったいなにをどのように答えるのでしょうか。しどろもどろになりながら絞り出す回答は、本音であればあるほど、模範解答とはかけ離れた、自分自身の心の奥底に潜む信仰の叫びであるのかも知れません。

私たち信仰者の人生は、終わりの時まで、このイエスの迫力ある問いかけに、自分はどのように答えることができるのかを模索し続ける旅路でもあると思います。とりわけ聖職者にあっては、わたしたちが人生のすべてをかけて付き従おうとする主なのですから、その方が自分にとって何者なのか、人生のすべての時にその答えを追い求めて生きなくてはなりません。

2019年に、司祭叙階の銀祝や金祝、そしてダイアモンド祝などをお祝いされる神父様方に、心からお祝いを申し上げます。司祭叙階されてから25年、そしてさらなる25年、さらにはその先までと、司祭としての人生の長い道のりは、常にこのイエスからの問いかけに答えようとする模索の旅路ではなかったかと思います。その模索の積み重ねが、それぞれの神父様の霊性を深めて来られたのだろうと推測いたします。25年、また50年、さらにその先へと続く司祭としてのお働きに、心から感謝申し上げるとともに、これからさらに教会の牧者として、またイエスの弟子として、人生の終わりまで豊かな模索の旅路を続けられますように、神様の祝福と導きをお祈りいたします。(叙階銀祝の猪熊師とガクタン師) 

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司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」と、教会憲章に記されています(28)。もちろん小教区での司牧や典礼を執り行うことは重要であり、また司祭に固有の役割でもありますが、それとともに、いやそれ以上に重要な司祭の務めは、福音を証しして生きること、つまり福音宣教であろうと思います。

自らの日々の生活を通じて、自らの日々の言葉と行いを通じて、まさしく「それではあなた方は私を何者だというのか」と言う主イエスの問いかけへの答えを力強く宣言できるような、そういう生き方が司祭には求められているのではないかと思います。

いまの日本社会にあって福音を宣べ伝えようとする司祭には、使徒たちの時代のような、または日本の宣教初期のような、肉体的な迫害という苦しみはありません。しかしそこには、肉体的な迫害に勝るとも劣らない精神的な挑戦、すなわち徹底的な宗教への無関心と、それを生み出すすさまじい世俗化、超越者への畏敬の欠如、いのちへの尊厳の軽視、などという様々な挑戦が存在しています。とりわけ、その始まりから終わりまで、徹底的に守り抜かれなければならない賜物である私たちのいのちが、これほどまでに軽く扱われ、その価値をこの世の価値観によって決めつけられている現実には、大きな危機感を覚えます。

わたしたちは、社会の勝ち組、負け組などという言葉が飛び交い、互いに助け合うことや困窮する人に手を差し伸べることには意味がない、自己責任だなどとまで言うような社会で、互いに助け合う者としての福音を証ししようとしています。

自分たちの生活を守るためには、異質な存在を排除し、時に武力を行使することも致し方がないと考える社会の中で、神の平和の確立、神の秩序の実現を求めています。

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今年の復活の主日の、ウルビ・エト・オルビのメッセージで、教皇様は次のように言われました。
「現代の多くの苦しみに対して冷淡で無関心な者として、いのちの主がわたしたちのことをご覧になりませんように。わたしたちを、壁ではなく橋を築く者にしてください。・・・墓の入り口を開け放ち復活したキリストが、わたしたちの心を、困窮している人、無防備な人、貧しい人、失業した人、社会の片隅に追いやられた人、さらにはパンと逃れ場を求め、自分の尊厳が認められるよう望みながらわたしたちの扉をたたいている人に対して開いてくださいますように」

わたしたちは愚直に、そして誠実に、主イエスの「それではあなた方は私を何者だというのか」という問いかけに対する答えの模索に、全力を傾けて生きていきたいと思います。

この世の常識にとっては愚かしいことであっても、夢物語だといわれても、勇気を失うことなく、福音をあかし続けていきたいと思います。

その始めから終わりまで、一つの例外もなくいのちの尊厳が守り抜かれるように主張し続け、社会にあって生きる希望と喜びを生み出す存在でありたいと思います。

司祭の長年の働きが、希望と喜びの源となりますように、生ける神の子、主イエスに、これからも勇気を持って付き従ってまいりましょう。

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2019年6月27日 (木)

キリストの聖体の主日に@築地、そして麹町

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キリストの聖体の主日は、毎年恒例なのですが、午前中に築地教会で歴代教区長の追悼ミサを捧げました。

築地教会は、東京で一番最初に建てられた教会で、1877年にオズーフ司教が日本北教区の司教座を置かれました。1920年に司教座が関口教会に移るまで、カテドラルとしての役割を果たしていた教会です。

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現在は、近隣のホテルに泊る海外からの観光客も多くミサに訪れる教会ですが、その歴史のある聖堂は、今年の末頃の完成を目指して、耐震修復工事中です。そのため、ミサは信徒会館二階ホールで行われました。

現在の主任司祭はレオ神父。大司教秘書のディンド神父と三人の共同司式ミサでは、お二人が初聖体を受けられました。おめでとうございます。

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そして同じ日の午後3時半からは、麹町のイグナチオ教会での堅信式です。141名の方が堅信の秘跡を受けられ、英主任司祭と李助任司祭に加え、司牧に協力してくださるイエズス会の司祭たちも共同司式。

ミサでは入祭の挨拶の後、灌水式も行われました。イグナチオ教会では、毎年100人を優に超える方が堅信を受けられます。交通の便が良いこともありますが、多くの協力司祭と、シスター方、信徒の方がチームを組んで、入門講座や堅信の準備、さらには結婚講座の充実に取り組んでおられる努力の成果であろうと思います。これからも、充実した信仰養成の努力を続けられますように。

ミサ後には、ホールに場所を移して、堅信式のお祝いも行われました。皆さん、おめでとうございます。これからも教会での活躍を期待しています。

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以下は、当日のイグナチオ教会での説教を、ある方が録音から文字おこししてくださったものです。

今日の御ミサの中で、堅信の秘跡を受けられる方々が141名おられると伺いました。141名の堅信を受けられる方々に、心からお祝いを申し上げたいと思います。

141名もいるということは、そこには141通りの信仰の出会いの物語があり、141通りの信仰の歩みがそれぞれあるのだと思います。みな同じイエス・キリストを信じているというところでは変わらないのでしょうけれども、イエス様にどこでどのように出会ったのか、そしてイエス様をどれくらい理解しているのか、というあたりでは一人一人に違いがあることだと思います。でもその141通りの違うイエス様との出会い、イエス様における信仰、その違いがあるけれども、一つのことでは みな同じように役割を与えられていると思います。

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その役割は一体何なのかといえば、先ほど朗読でパウロのコリントの教会への手紙が読まれましたが、 今日はキリストの聖体、御聖体の祝日でありますので、パウロのコリントの教会への手紙は、最後の晩餐における主イエス・キリストによるご聖体の制定の物語でありました。そしてそれはわたしたちがミサに預かる度ごとに耳にしている、司祭が聖変化の時に唱えるあの言葉でありますけれども、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。」そして「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」 パンはご自分の体、そして杯に満ちたぶどう酒はご自分の血であると言われ、ご自分の体をわたしたちのために渡してくださった。そのご聖体の制定の出来事が起こった、最後の晩餐が今日のパウロのコリント人への手紙の中に記されています。

問題はそこに書かれている「記念として」と書いてあります。「記念」とは何とか記念日「わたしの記念としてこのように行いなさい」「飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」記念と書いてあります。ミサの中でも記念という言葉を司祭は唱えます。「わたしの記念としてこれを行いなさい。」記念とは何をどうしようと言っているのか。

ミサの中でも、さらりとこの部分は過ぎ去ってしまう言葉だと思います。でも考えてみたら、イエス様ご自身はもうこれで最後だ。 弟子たちと生きている間に食事を共にするのは最後。すなわち弟子たちに教えを伝えるのは、これが最後のチャンスだということをよく知っておられたわけです。その上でこれが最後だという思いを込めて、弟子たちに対して記念として行う。その記念とは何なのか。

「忘れるな」ということです。わたしが今まで語ってきたことを、わたしが行ってきたことを、あなた方が目の当たりにしてきた出来事を、決して忘れてくれるな。というイエス様の切なる願いがこの記念としてという言葉には込められていると思います。そしてその記念は誕生日とか、何かの出来事の記念日とか、自分の内輪でお祝いをするものではないのです。あの最後の晩餐の日に、イエス様はこんなことを言ったんだ。すごいな、と言って自分の心の中だけでお祝いをすることではなくて、実はこの記念は外に向かっての記念なのです。

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どうしてそう言えるかというと、そのパウロのコリント人への手紙の続きの部分に、パウロはイエス様の言葉に続けて「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」と記しています。決してパウロは、「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、」内輪でお祝いするんです。とは言われないんです。「主の死を告げ知らせるのです。」 と記しています。

すなわちこの記念は、ああ、すごいことがあった。と言って、自分の心の中でそれを覚えているだけにとどまらず、そこから外に出て行って、何が起こったのか、何が言われたのか、何が伝えられたのかを他の人たちに告げ知らせていく。他の人たちにそれを教えていく。それが記念の意味であります。

従ってご聖体を受ける時にわたしたちは、ただ単にイエス様がわたしたちに来てくださった。イエス様がわたしと一緒にいてくださるといって、自分の心を満足させる。それも重要なことだし、主がいつもいてくださるということを心で感じる、それもとても重要なことです。けれども そこにとどまっていたのでは、イエス様が最後の晩餐に言われた記念としてそれを行えというところには足りないわけです。わたしたちはあのイエス様の言葉に従っていくためには、イエス様が来られるまで、つまり世の終わりまで何が言われたのか、何が伝えられたのか、何が起こったのかを多くの人達に宣べ伝えていく義務を背負って生きているんです。

今日、堅信を受けられるお一人お一人は、聖霊はその秘跡によって豊かに与えられる。そして聖霊による様々な賜物が与えられることになります。あちらの台にはろうそくが並べてあって、聖霊の七つの賜物が記されています。弱い人間であり、力も足りない人間であるわたしたちが、イエス様がおっしゃったことを、たくさんの人に告げ知らせるなんて、とてもとてもできることではないと、おじけづく時に、この堅信の秘跡によって与えられる聖霊の力がわたしたちを後ろから押してくれるんです。

聖霊を受けたから、急に今日からスーパーマンに変わるわけではないです。聖霊を受けたら急に言葉ができるようになるとか、何かすごい力をもらう とかはないのです。そうではなくて、わたしは何と弱いんだと思った時に、わたしは何もできないと思った時に、聖霊が後ろから一生懸命支えてくれるんです。後ろから後押しをしてくれるんです。何を後押ししてくれるかというと、イエス様が何を言われたのか、イエス様が何をされたのか、わたしたちに何を残されたのか、それを他の人たちに伝えようとする、その心意気を後ろから聖霊が一生懸命になって支えてくれる。

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堅信を受けられるお一人お一人は、是非とも今日からその聖霊の力を後ろから受けて、 勇気を抱いて、 イエス様の言葉を伝えていく。どう伝えていくのかはお一人お一人それぞれ生きておられる現実の中で考えていただけたらいいと思います。お一人お一人が、日々の生活の中で語る言葉、行いによって 福音の証しをしていっていただきたいと思います。かつては堅信を受けると、キリストの兵士になるんだという言い方もしました。今は堅信を受けると成熟した大人の信徒になるのだという人もいます。まさしくその通りだと思います。一人一人に与えられた義務を、務めを、勇気を持ってしっかりと果たしていこうとする。大人の信徒としてのこれからの毎日の生活を歩んでいただければと思います+

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2019年6月26日 (水)

SIGNIS Japan第43回日本カトリック映画賞@なかのZERO

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ぼけますから、よろしくお願いします。」というかなり衝撃的なタイトルの映画が、43回目となる日本カトリック映画賞を受賞することになり、その上映会と授賞式が、6月22日土曜日の午後に「なかのZERO」の大ホールで開催されました。

この映画賞を出しているのは、SIGNIS JAPANというカトリックの世界的な団体の日本支部で、東京教区の晴佐久神父が顧問司祭、そして私が顧問司教を務めています。その関係で、普段はあまり映画を見ないのですが、会場に出かけてきました。

SIGNIS JAPANのホームページには、自らの団体について次のような紹介が掲載されています。

「SIGNISは、バチカンの教皇庁広報評議会の下に活動する世界的団体で、80年を越える歴史があります。
本部はベルギーのブリュッセルにあり、ローマに技術サービスセンターを持つほか、全世界140ヶ国に支部があります。教皇ヨハネ・パウロ2世の強い思いで、 2001年に、OCIC(映画・視聴覚)とUNDA(ラジオ・テレビ)の2つの組織が統合され、新しく”SIGNIS”が誕生しました。
各国・地域により活動形態は様々ですが、映画、TV・ラジオ、インターネットなど様々なメディアを通して福音を宣べ伝えています。

日本では、SIGNIS JAPAN  (カトリックメディア協議会)として、聖職者、信者、求道者が連携して活動しています。全員がボランティアの小さな集まりですが、それを支えて下さる賛助会員の方と共に、私たちが出会った福音を多くの方に告げ知らせていきたいと思います。」

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当日は、監督であり撮影をされた信友直子さんも来場され、上映後に授賞式、そして晴佐久神父と信友さんの対談が行われ、集まった千人近い皆さんは、最後まで楽しんで行かれたことと思います。私も、上映中はその映像と内容に魅了されて、目が離せなかったですし、はじまる前にお会いした信友監督も素晴らしい女性で、笑顔の中に生きることへの力強さを感じさせる方にお会いしたと感じました。

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「ぼけますから、よろしくお願いします。」と言う映画は、信友監督が高齢となったご自分のご両親の日常を撮影されたドキュメンタリーで、主役はお父さんとお母さん。監督自身もその中で重要な役割を果たされます。90を遙かに超えたお父さんが、80代で認知症を発症されているお母さんと共に生きていく姿。その日常に、二人の長年の夫婦愛の絆と、それに基づく監督との親子愛の絆を目の当たりにして、感動しました。

同時に、いまの日本の現実である高齢者が高齢者を介護せざるを得ない、いわゆる「老老介護」の問題点とそれを克服するための課題について、いろいろなことを考えさせられる内容です。単に外側の制度を整えればすべてが解決するわけではなく、やはり人間の関係性が重要であることを感じさせる映画でした。

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素晴らしい映画を選択してくださったことに、SIGNIS JAPANの皆さん、ありがとうございます。

 

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2019年6月22日 (土)

吉祥寺教会で堅信式、そしてその後・・・

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16日の三位一体の主日は、吉祥寺教会で堅信式。吉祥寺教会と麹町教会は、毎年多数の受堅者がいるので、それぞれ独立した堅信式ミサが行われています。今年の吉祥寺は、主任司祭の松本勝男神父に言わせれば『少ない』のですが、それでも22名の方が秘跡を受けられました。おめでとうございます。

先日長崎教区には補佐司教が任命されましたが、東京は幸田司教が引退されて以来、補佐司教がおられません。やはりこうやって堅信式がいくつも続くと、補佐司教さんがいてくれると分担できるのに、などと思ってしまいます。とはいえ、緊急時には岡田名誉大司教が積極的にお手伝いくださいますし、森名誉司教にも幾度か代わりをお願いしました。できる限り、小教区の要望に応えていくように努力します。

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ミサは、現在吉祥寺教会におられる神言会会員の4名の司祭と、4月から私の秘書を務めてくださっているディンド神父、そして所用のため吉祥寺教会を訪問中の神言会日本管区長ジェブラ神父の6名と私の共同司式でした。司牧実習に来ている広島教区の神学生をはじめ、侍者はよく練習を重ね、荘厳なミサでした。吉祥寺教会は祭壇から見ると右後ろにパイプオルガンがあり、祭壇すぐ右手側に聖歌隊がおられます。よく練習された聖歌隊が、オルガンとともに前方からリードする歌ミサは、司式者にとっても歌いやすい配置かと思いますし、ミサにあずかる方々にとっても、祈りにぐいぐいと引き込まれる感じになろうかと思います。


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ちなみに聖歌隊を指揮してくださっているのは、私の中学高校時代の一級先輩です。神学校時代には、一緒に聖歌隊をしておりました。また訪問されていた神言会日本管区長のジェブラ神父も一緒に神学院で学び生活したなかで、私の司祭叙階式の時、彼とほかにレデンプトール会の神学生も含めて4名の助祭叙階式でした。『主は水辺に立った』の日本語訳を最初にしたのは、彼でした。

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今回は椅子に座って堅信を授けました。時に、座るか立つかどちらが良いのかと尋ねられることがあります。バクルス(牧杖)を左手にもって堅信を授ける場合、実は立っている方が授けやすいのです。杖が私の身長より長いので、座って左手に持つと、全体のかなり下を持つことになり、安定しないためです。いずれにしろ、その教会で事前に準備された方法に従って、立っても座っても、バクルスを持っても持たなくても、どちらでも授けることは可能です。

堅信式ミサ後には、信徒会館でお祝いの食事会も開催され、教会学校の皆さんの歌の披露もあり、楽しい時間を過ごさせて頂きました。あめてめて、堅信を受けられた皆さん、おめでとうございます。

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明けて翌月曜日。午前10時からは東京教会管区(東京、横浜、新潟、さいたま、仙台、札幌)の各教区事務局長が集まっての会議に同席。その後、夕方には中野サンプラザへ。日本カトリック老人施設協会の関東支部研修大会に参加。

過去の司教の日記を検索してみたら、わたしは新潟司教と札幌の管理者も4年ほど兼任していたので、その頃に何度もこの日本カトリック老人施設協会の様々なレベルの研修会でお話をさせて頂いていたことに、今になって気がつきました。

で、今回も講話とミサを依頼されていたので、翌火曜日の午前中、研修会参加者の皆さんと徳田教会に移動して、お話をさせて頂きましたが、後で気がついて、同じようなことを以前に話してはいないか、必死になって確認しました。たぶん似たような話でしたが、全く同じではなかったので安心。ミサは、主任司祭の大倉神父と一緒に。

そのまま、火曜日の夜9時過ぎに羽田空港へ。全日空深夜便で、日が変わり水曜深夜の羽田からバンコクへ。到着は水曜のバンコク時間朝4時半で、電車がまだ動いていないので、メータータクシーで市内のホテルへ。さすがにこの時間は道路も空いていて、記録的短時間で5時半前にはホテルに到着。

一眠りした後に、歩いて15分ほどにあるカリタスアジアの事務局へ。午前10時頃から会議でした。

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私はこれまで8年間、カリタスアジアの責任者を務めてきましたが、私をはじめとした5名の理事会の過去4年間の活動の外部評価を受け、その結果と、これまでの4年間の決定事項の一覧や財務諸表をもとに、新しく選出された責任者であるバングラデシュ出身のドクター・アロをはじめとした理事会に業務を引き継ぐための、一日半の会議。外部評価はプロのコンサルタントに依頼して、わたしも先日のローマの会議の際に聞き取り調査を受けましたが、50ページに及ぶ評価書が届きました。ヨーロッパにいるコンサルタントご自身とスカイプで結び、一時間にわたる解説を受けました。厳しい指摘も結構ありましたが、全般的には良い評価をいただき、自信を持って引き継ぐことができました。この四年間、一緒に理事会を務めた、パキスタン、ミャンマー、モンゴル、マカオの代表と、バンコクの事務局員に感謝です。会議には、先日総会で選出された、国際カリタスの新しい事務局長アロイシウス・ジョン氏も参加しました。

真夏の暑さのバンコクから、金曜の午後には羽田に戻りました。これで、8年間続いたバンコクとの頻繁な往復は、やっと終わりました。

なおこの間、新潟県と山形県の県境の海中を震源に大きな地震が発生しました。被害を受けられた方々に、お見舞い申し上げます。教会関係では、新潟教区本部からの連絡では、鶴岡教会聖堂で聖像が被害を受けたほか、大きな被害の報告はないとのことです。ご心配いただいた皆様に、感謝申し上げます。

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2019年6月15日 (土)

訃報:新潟教区ペトロ川崎久雄神父。駐アルゼンチン教皇大使カレンガ大司教

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新潟教区司祭ペトロ川崎久雄神父が、6月11日午前11時半、病気のため、入院先の佐渡総合病院で帰天いたしました。まだ70才でした。

川崎神父は、佐渡教会の主任司祭を務めておられましたが、この一年半ほどは癌が進行し、入退院を繰り返しておられました。先日5月11日の佐渡巡礼の際に、大瀧神父と一緒に佐渡総合病院に川崎神父を見舞いましたが、意識も混濁し、非常に厳しい状態であることがわかりました。

川崎神父は佐渡の出身で、ご兄妹をはじめ、佐渡教会の方々によって支えられ、司祭としての人生を全うすることができました。みなさまに感謝いたします。

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6月13日に大瀧神父の司式で、佐渡教会での密葬が行われ、その後6月14日の金曜日の午後から、新潟教会で、私が司式して葬儀を行いました。葬儀ミサには170名を超える方が参列し祈りをともにしてくださいました。感謝します。新潟教区とは長年のおつきあいのあるお隣のさいたま教区や、神学校で同じ頃に学ばれた東京教区の司祭も参列してくださいました。お祈りくださったみなさまに感謝します。新潟教区は、たった二ヶ月の間に、現役の、しかも同じ70才の主任司祭を二人も、御父のもとへとお返ししました。実働の教区司祭が10名ほどしかいない教区ですから、ここで司祭としてはまだ「若い」二人を失ったことは、大きな痛手です。召命のために、どうぞお祈りください。

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川崎神父様は、寡黙な方でした。何を考えているのかわからないことがしばしばでした。2004年の7月に新潟県の三条地域で集中豪雨の被害があった際に、川崎神父様の性格の一端を知るような出来事がありました。(当時のカリタスジャパンニュースに掲載した原稿は、こちらです。)

私は当時、まだ司教叙階前で名古屋にいたため、新幹線を乗り継いで、燕三条の駅に到着。すると当時教区事務局長であった川崎神父と三条の主任であった佐藤允広神父が待ち構えておりました。そのまま三条教会で、佐藤神父が準備していた長靴を履き、自転車に乗って、三人で被災地を見て回り、被害を受けられた方々に声をかけて回りました。7月で結構暑かったことと、坂道が多くて、自転車で走り回るのが大変だったことを記憶しています。特に川崎神父は、当時すでに結構恰幅がよくなっていたので、自転車で回るのは厳しかったと思います。大汗をかいて息が切れていました。それでも文句一ついうでもなく、本当に寡黙に自転車をこぎ、被災地を回られていました。

その日の夜、すべての視察が終わって佐藤神父と別れ、私は川崎神父の車で新潟へ向かいました。車が走り始めてしばらくして、それまで何も言わなかった川崎神父がぽつりと一言。「まさか自転車が用意されているとは思わなかったですねえ」。

かなりきつかったのだと思います。でも川崎神父は、どんなことでもそうでしたが、やらなければならないと理解したときには、それにどんなに不平があったとしても、じっと耐えながらするべきことを果たされる方でした。寡黙さは、単なる口の重さだけではなく、司祭として果たすべき務めを真摯に生きる姿勢の表れでもあったと思います。なかには、まず文句を言わなければ体が動かない人もおります。務めを果たす間中に不平を述べ続ける人もいる中で、川崎神父は、司祭としての務めをしっかりと理解し、それを好きだからとか嫌いだからとかという、自分の考えに左右されずに、果たすべき務めを忠実に果たされる方であったと思います。

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そんな川崎神父は、私が司教に叙階した直後の2004年10月から、東京へ移ることになる2017年12月まで、13年間にわたって、私の司教総代理を務めてくださいました。13年間の新潟司教生活にあって、川崎神父の、静かながらも確実な支えに、どれほど助けられたのかわかりません。感謝します。

川崎神父は、幼稚園教育にも力を注がれました。長年各地の幼稚園に園長として関わり、新潟県内17園で構成する聖母学園の理事長も務めてくださいました。最後の仕事は、佐渡教会に隣接する海星幼稚園を閉園することでありました。始めることも力のいる仕事ですが、事業を辞めることも大変な力を必要とする仕事です。カトリック幼稚園教育への川崎神父の貢献に、心から感謝します。

写真をいろいろと探したのですが、どれもこれも川崎神父らしく、明後日の方向を向いているか、ムスッとしているかで、これだという写真がまだ見つからないのですが、上の写真は、2004年9月の新潟教区司教叙階式の日の、私の右横に立つ、川崎神父です。

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もう一つの訃報です。私の2004年の新潟の司教叙階式には、教皇庁大使館参事官として参加してくださったレオン・カレンガ大司教が、亡くなられました。カレンガ大司教は日本で参事官を務めた後、2008年に教皇大使になりガーナへ赴任。さらにエルサルバドルの教皇大使を務めた後、2018年3月にアルゼンチンの教皇大使に任命されていました。詳細は不明ですが、ちょうど今世界中の教皇大使が集められて教皇様と会議をしていますが、そのローマの病院で6月12日に帰天され、葬儀はローマ時間の今朝7時半に、聖ペトロ大聖堂で教皇様司式で行われました。まだ62才でした。永遠の安息を祈ります。写真は、2010年にガーナの首都アクラの教皇大使館で一緒に撮ったものです。

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2019年6月11日 (火)

聖霊降臨の主日、合同堅信式@東京カテドラル

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聖霊降臨の主日の午後2時半、東京カテドラル聖マリア大聖堂において、東京教区の合同堅信式が行われました。

毎年、それぞれの小教区で堅信式を定期的に行う大きな共同体もいくつかありますし、または司教訪問の際に堅信式をする小教区もありますが、それではすべてを年内にカバーできないので、こういった合同堅信式も大切です。

とりわけ、教区はその司教とともに歩みをともにする一つの共同体なのですが、その「ひとつであること」を感じる機会はそれほど多くはありません。どうしても、一人ひとりが所属する小教区共同体を基準に教会を考えますし、それは当然です。しかし同時に、教区としての共同体の意識は重要ですし、その意識はひいては教皇様を牧者とする普遍教会の共同体の意識を持つためにも、重要です。わたしたちは一緒になって、時の流れの中を旅し続ける、神の民だからです。

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今年は、22の小教区から168名の方が、合同堅信式に参加してくださいました。昨年は、わたしひとりですべての堅信を授けた結果、ミサの終了が夕方5時を遙かに過ぎることになってしまいました。遠方から来られる方も少なくありませんので、今年は、私と一緒に、堅信を授ける権能を委任した、関口教会と韓人教会の両主任司祭に、一緒に手伝っていただくことにいたしました。2時半に始まったミサは、4時半には終えることができました。

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多くの神父様が共同司式に参加してくださり、今年からの式典係(小池、江部、高田神父様方)に従い、堅信前の按手の祈りでは、共同司式司祭が一列に並び、手を差し伸べて聖霊の助力を祈りました。なかなかの壮観ではなかったかと思います。

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堅信を受けられた皆さん、おめでとうございます。それぞれの心の内に秘めた思いはわかりませんが、それに関わらず、聖霊の力をもってわたしたちをご自分の考えのように使われるのは、主ご自身であることを忘れずにいましょう。

以下、ミサ説教の原稿ですが、ミサ中には少し変更してお話ししています。 

この世界で、与えられたいのちをより良く生きていくために必要なことは、いったいなんでしょうか。

人ぞれぞれに思うところもあるでしょうし、それぞれの置かれた事情も異なりますから、そこには様々な答えがあることでしょう。わたしは、与えられたいのちをより良く生きていくために必要なことの一つは、未来への希望であると思っています。

何年も前に訪問したアフリカの難民キャンプで、キャンプのリーダーに、「何が必要か」と尋ねたとき、彼は「俺たちは世界中から忘れられた。まだここにいることを、皆に知らせてくれ」と訴えました。食べるものも住むところも不足し、着るものさえも不足している。ないないづくしの困難の中で彼が真っ先に訴えたのは、皆から忘れ去られることへの絶望でした。

このとき、人が生きていくためには、もちろん衣食住がそろっていることが不可欠だけれど、それ以上に、人とのつながりの中で、将来への希望を見いだすことが大切なのだと知りました。

希望のない世界で、いのちを豊かに生きることには、大きな困難がつきまといます。いのちの大切さを訴えるわたしたち教会は、生きていくための希望を失っている人たちに、なんとかその希望をもたらしていきたい。希望を生み出す社会を生み出していきたい。そもそもわたしたち教会の共同体が、生きる希望を見いだす場でありたい。そう思います。

復活祭のスリランカでの事件や、先日のカリタス小学校での事件のように、大切な人間のいのちが、暴力的に奪われる事件が相次ぎました。亡くなられた方々の永遠の安息を祈るとともに、残された方々の上に神様の慈しみ深いいやしの手が差し伸べられるように、心から祈りたいと思います。

その上で、あらためて、神から与えられたいのちの尊厳が守られ、賜物である命が始めから終わりまで守られるようにと、わたしたち教会は主張します。同時に、暴力的な犯罪に手を染めてしまったを犯人も含めて、すべての人に生きる希望が生み出されるように、希望に満ちあふれた社会を生み出していくことができるように、務めていきたいとも思います。

さて、五旬祭の日に、弟子たちは一つになって集まっていたと、第一朗読に記されていました。そこには共同体として一致している弟子たちの姿が描かれています。人々を恐れて隠れてしまうというほどに消極的だった弟子たちは、聖霊を受けることによって、「霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」と記されています。
この弟子たちの様子を目撃した人々の言葉にこうあります。「彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」。
すなわち弟子たちは聖霊に満たされることによって、神の業を語り始めたのだけれど、それは人々が理解できる言葉であったということです。

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堅信の秘跡を受ける信仰者は、大人の信徒としての道を歩み始めます。大人の信仰には、与えられた賜物に応えていく責任が伴います。その責任とは、主イエス御自身が弟子たちを通じて私たちに与えられている、福音宣教の命令です。大人の信徒の責任は、派遣されて出た社会の現実の中で、人々が理解できる言葉で福音を語ることであります。いや、言葉以上に、わたしたちの生きる姿勢で、福音を目に見えるものとしているかであります。

わたしたちは、自分の生きる姿を通じて、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。わたしたちはイエスのいつくしみを表すような生き方をしているでしょうか。いのちを大切にするような生き方をしているでしょうか。いのちを生きる希望に満たされているでしょうか。

わたしたちは、ほかの方々との関わりの中で、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。忘れ去られる人のいないように、手を差し伸べようとしているでしょうか。人間関係の中で、希望を生み出しているでしょうか。

わたしたちは、愛の奉仕の業を行うことで、福音をあかしいたします。それがわたしたちの福音宣教です。わたしたちは、困難に直面する人たちの存在に気がついているでしょうか。必要な助け手をなり得ているでしょうか。愛において希望を生み出しているでしょうか。

本日の第二の朗読、ローマの教会への手紙でパウロは、霊の望むところと、肉の望むところは相反しているのだ。私たちは霊の導きに従って神の子となり生かされるのだ、と教えます。

肉の望むところ、すなわちわたしたちが実際に生きているこの世界が大切だ、大事なのだと教えるところにしたがっていくることです。残念ながら、わたしたちが生きているこの世界は、完全なところではありません。悲しみや恐れを生じさせ、いのちを奪うことさえ許してしまうような世界です。

それに対してパウロは、霊にしたがって生きる、すなわち神の霊によって導かれ、神の望まれるような生き方をするときに、わたしたちは神の子となり、イエスと同じ相続人となるのだと教えます。

イエスご自身の人生は、他者のために自らを犠牲にする人生でありました。わたしたちはそのイエスと同じ相続人となろうとするのですから、イエスとおなじように、他者への犠牲のうちに生きようとするのです。

わたしたちは相続人ですから、イエスとおなじようにいのちを生きる希望を告げしらせるのです。

わたしたちは相続人ですから、悲しむ人へ慰めをもたらし、すべての人が神に愛される大切な存在であることを、言葉と行いで示すのです。

一人ひとりの能力には限界があります。私たちはひとりでは完璧にはなることができません。でも私たちには互いを支え合う信仰の共同体があります。そしてなによりも、私たちを支え導く聖霊の照らしがあります。「上知、聡明、賢慮、勇気、知識、孝愛、主への畏敬の七つの賜物が、聖霊によって与えられます。聖霊の導きに信頼しながら、そして共同体の支えに力づけられながら、勇気を持って、自らの言葉と行いで、希望を掲げてまいりましょう。

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2019年6月 8日 (土)

成城教会で堅信式、そして新潟司祭大会

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6月2日の日曜日午後、都内の成城教会を訪問し、堅信式ミサを行いました。このミサの中で、36名の方が堅信の秘跡を受けられ、お一人が初聖体を受けられました。おめでとうございます。

主任司祭の山本量太郎神父様によれば、司教の訪問が4年ぶりと言うことで、堅信を待たれていた方も大勢おられたようです。いつもの堅信式のように中高生もたくさんおられましたが、それ以上に大人の受堅者の多さが目立ちました。わたしの記憶違いでなければ、90才を超える人生の大先輩もおられたような。

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1953年に創立されたという成城教会は、閑静な住宅街の中にあり、2,500人を超える信徒数の教会です。その信徒数の多さの割に聖堂はそれほど大きくなく、今回の堅信式でも、会衆席の半分くらいまでは、受堅者と代父母で埋め尽くされました。主日は土曜の晩に一度と日曜日に二度のミサが行われますが、聖堂はいつも一杯とのこと。堅信式のような特別な機会も、主日の普通のミサで一緒にすることが難しいため、今回のように午後に特別な時間を設けて行われるとのことでした。

ミサ後には、信徒会館で祝賀会が行われ、教会学校の皆さんの歌の披露もありました。わたしの作曲した歌まで歌っていただいて、感謝します。

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堅信の秘跡を通じて、「上知、聡明、賢慮、勇気、知識、孝愛、主への畏敬」の聖霊の七つの賜物に満たされて、より良い実りを人生の中で生み出すことができるように、信仰の歩みを続けられますように。

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6月3日から5日までは、新潟教区の司祭の集い(司祭大会)でありました。新潟県、山形県、秋田県で働く司祭のほぼ全員に当たる24名ほどが参加。毎年なるべく全員が集まり、寝食を共にして、祈り、学び、分かち合う、新潟教区にとって大切な場です。集まるのは教区司祭だけではなく、修道会司祭も含めた全員が対象です。

会場は新潟県の胎内市。毎年持ち回りで三県を回りますが、今年は新潟。いつも利用させていただいている胎内市のホテルです。平成の大合併前に、この地域の村おこしのために村長さんが中心になって立ち上げた大自然のリゾートの中核施設です。

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今回のテーマは、「教会の中の性虐待・性暴力を防止する。わたしたち一人ひとりの問題として」とされ、講師としてカウンセラーの竹之下雅代氏をお願いいたしました。教会にとって今最も大事な問題ですし、他人事で済まされることではありません。これからのより良い教会共同体のあり方を確立していくためにも、また牧者である司祭がよりふさわしく忠実に責務を果たすために、大切な研修会となりました。

一日目の講話の後、二日目はグループに分かれて話し合い。三日目がわたしの話で、昼の派遣ミサで解散。新潟教区は、ただでさえ少ない教区司祭団です。名簿上は15名。そのうち4名が引退され、1名が病気療養中ですから、実働は10名。しかもつい先日、70歳と、司祭としては働き盛りの山頭神父を病気のために失ったばかりです。他の教区(東京、高松)からの応援司祭と、神言会、フランシスコ会、イエズスマリアのみこころ会の三つの修道会司祭の協力で、秋田、山形、新潟の37の教会(分教会、巡回、集会所を含む)を担当しています。新潟教区における司祭の召命のために、どうかお祈りください。

またわたしが離れた後の、後任の新潟司教もまだ決まっていません。わたしが現在も教区管理者を務めています。つい先日には、宮原司教が引退されたことで福岡教区も空位となりましたが、この二つの教区に新しい司教が一日も早く任命されますように、これもまたお祈りをお願いいたします。

 

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2019年6月 1日 (土)

海外にいる間に

国際カリタスの総会のためローマにいる間に、日本では生命に関わる悲しい事件が発生していました。

28日の朝、登校するためにスクールバスを待っていた川崎市のカリタス小学校の子どもたちが刃物を持った大人に襲われ、6年生の女の子おひとりと、保護者の男性おひとりが生命を奪われ、17名が傷を負われたと聞きました。

大切な存在を突然暴力的に奪われた方々。その心の悲しみに対しては、どんな言葉も足りないのだと思います。心からお悔やみ申し上げるとともに、わたしも言葉にならないくらいに悲しいことだけをお伝えします。亡くなられた方々の永遠の安息をお祈りするとともに、傷を負われた子どもたちの一日も早い回復をお祈りします。

カリタス小学校に通われている多くの子どもたち、その家族、そして教職員。多くの方が心におわれた悲しみ、恐れ、怒りなどを思うとき、犯行に及んだ人物の凄まじい暴力の負の力に、わたし自身の心をつぶされそうに感じます。どんな理由があっても、神が与えられ愛される人間のいのちを、暴力的に奪い取ることは許されません。ましてや、人から生きるための希望を暴力的に奪うような暴虐も、許されてはなりません。

これからしばらくの間は、犯行に及んだ人物の背景などが報道されることでしょう。確かに背後には社会的な要因も指摘されることでしょうし、そういった社会的要因の解消に取り組むことも避けてはならないでしょう。しかし、何にもまして、わたしは、この社会にあって、人間の生命を大切にすることは人間の務めであるという価値観が、普遍的な価値観でなければならないことを、主張し続けたいと思います。生命における希望を奪い取ることは許されないのだと言うことを、主張し続けたいと思います。

カリタス小学校の皆さんに、そして関係する多くの方々に、生命の創造主である神様のいつくしみと力に満ちた守りがあるように、心から祈ります。ただただ、悲しいです。

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