カテゴリー「司教の日記」の1948件の記事

2018年11月12日 (月)

合同堅信式@新潟教会

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昨年12月に私が東京へ着座して以来、新潟教区には新しい司教が任命されていません。ですから新潟の司教座は空位です。そのため、いまでもわたしは、東京の大司教とともに、新潟教区の教区管理者を務めています。一日も早く、新しい司教様が新潟教区に任命されるよう、皆様のお祈りを改めてお願いいたします。

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さてそういうわけで、新潟教区の合同堅信式を、11月11日の日曜日午前9時半から、新潟教会で行いました。新潟の司教を私は13年間務めましたが、合同堅信式を行ったのは初めてです。主に新潟県内の信徒の方を中心に、14名が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。

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またこの日のミサでは、拝領後に、子どもたちの祝福の祈りも行いました。10名近い子どもたちが元気に集まっていたのには、うれしい驚きでした。心も体も健やかに育ちますように。

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ミサ後には信徒会館でお祝いの茶話会。前日から用意してくださった軽食を頂きながら、しかも準備された椅子では足りずに、椅子の補充をしなければならないほど多くの方が参加してくださいました。

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茶話会では、私の還暦のお祝いのケーキも頂き、また質問コーナーもあって、久しぶりに新潟での楽しいひとときを過ごしました。

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また前日の土曜日には、集会司会者、聖体授与の臨時の奉仕者の養成講座も行われ、全三回の二回目のこの日には、40名以上の参加者が、新潟県内だけではなく山形県からも、また遠くは秋田からも駆けつけてくださいました。講師は教区管理者代理の大瀧神父様。

ちょうど新しい集会祭儀の儀式書も出たことですし、これからの日本の教会の現状を考えたとき、集会祭儀をふさわしく行う養成を行うことは不可欠です。現実の司祭志願者の数と、現役司祭の年齢を考えれば、数年後には各地で、小教区すべての司祭を配置することは不可能となります。それはすでにいくつかの教区では起こっていることです。司祭の数の増減に左右されて、小教区の数を変更するべきではないのですが、かといってすべての小教区でこれまで通りのミサが行えるかどうかは、厳しい挑戦であると思われます。その中で信徒の方々がふさわしく役割をになってくださり、共同体の祈りの場を保ち続けることは重要です。これから、たとえば東京教区でも、集会祭儀の司会者のふさわしい養成が必要になると考えています。

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2018年11月 9日 (金)

合同追悼ミサの説教@カテドラル

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この数日は、いろいろなところでお話をさせていただく機会をいただきました。まず水曜日の午前中には、府中にあるミラノ会の総会で、集まっていた会員の皆さんに、東京教区の福音宣教についてお話しいたしました。ミラノ会の宣教師の皆さんには、東京をはじめ、各地での宣教司牧への貢献に感謝します。

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そしてその日の夕方には、上石神井にある神学院へ出かけ、神学生の静修でお話をさせていただきました。夕食後に一時間、そしてそのまま神学院に泊まり、翌朝に一時間。そしてお昼前には一緒にミサを捧げ、お昼を一緒にいただいて戻りました。

神学生たちを前にして思うこと。私が今60歳ですから、健康が許せばこれから15年間は司教職を続けることになります。そうすると15年後くらいに教会のリーダーとなっているのは、目の前にいる神学生たちであろうと思います。もしかしたらその中から司教が誕生するかも知れない。15年後が楽しみです。神学院はこれからの長い司祭生活の霊性の土台を築き上げる時期ですから、その時間を有効に生かしていっていただきたいと願っています。

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以下、先日11月4日午後に東京カテドラルでささげられた、合同追悼ミサの説教原稿です。

イエスをキリストと信じる私たちは、イエスに結ばれることで、「イエスを信じ、その御体を食べ、御血を飲む人々を世の終わりに復活させてくださる」のだと確信し、永遠のいのちに生きる大きな希望を持ちながら、この人生を歩んでいます。

同時に、「私をお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人をひとりも失わないで、終わりの日に復活させることである」と言われたイエスの言葉への信頼のうちに、いつくしみ深い神が、その深い愛をもって、すべての人を永遠のいのちのうちに生きるよう招かれていることも信じています。

葬儀や追悼のミサで唱えられる叙唱には、「信じる者にとって、死は滅びではなく、新たないのちへの門であり、地上の生活を終わった後も、天に永遠のすみかが備えられています」と私たちの信仰における希望が記されています。

わたしたちの人生には時間という限りがあり、長寿になったと言ってもそれは長くて100年程度のことであり、人類の歴史、全世界の歴史に比べれば、ほんの一瞬に過ぎない時間です。この世のいのちに限るのであれば、その程度の時間しか、私たちには与えられていません。

人生には順調に進むときもあれば、困難のうちに苦しむときもあります。よろこびの時もあれば、悲しみの時もあります。人生において与えられた時間の間には、自らの努力の結果を味わうことができないこともあります。仮に私たちのいのちが、人類の歴史の中における一瞬ですべてが終わってしまうとしたら、それほどむなしいことはありません。

しかし私たちは、歴史におけるその一瞬の時間が、実は永遠のいのち一部に過ぎないことを知っています。ですから私たちは、「人生が一瞬に過ぎないのであれば、その中で様々な努力をしたり善行をすることはむなしい」、などとあきらめてしまうことはありません。永遠のいのちの流れを見据えながら、わたしたちは常により良く生きるように努力を生み重ね、この命を懸命に生きたその報いが、永遠のいのちに必ずやつながっていくことを信じています。

昔、アフリカのガーナで働いていたとき体験したことを少しお話ししたいと思います。ガーナの人たちからしばしば、「祖先たちは今でも皆と一緒に生きている」と言うような話を聞いたことがあります。初めての家などを訪問すると、必ずライベーションが行われました。お酒を、祈りの言葉とともに、少しずつ地面に注ぐ儀式です。どうしてそうするのかと尋ねたとこと、「祖先たちは今でも皆と一緒に生きている」と言われたのです。

つまり、人は死んでいなくなってしまうのではなく、目に見えない形で生きていて、一緒にいるのだ。だから客人が来たら、祖先たちに、この人は悪い人ではないから機嫌を損ねないでほしいと酒を注ぐのだというのです。

祖先たちが一緒に生きているのだという感覚は、大切だとそのとき思いました。キリスト教の信仰に通じるところもあるからです。

私たちも、信仰宣言で「聖徒の交わり」を信じると宣言しています。そもそも教会は「聖徒の交わり」であります。私たちは地上の教会において、御聖体を通じて一致し、一つの体を形作っていること、互いに与えられた賜物を生きることによって体全体を生かす分かち合いにおける交わりに生きています。同時に教会は、地上で信仰を生きている私たちの教会が、天上の教会と結ばれていることも信じています。カテキズムには「地上で旅する者、自分の清めを受けている死者、また天国の至福に与っている者たちが、皆ともに一つの教会を構成している」と記しています。

ですから私たちは互いのために祈るように、亡くなった人たちのために祈り、また聖人たちの取り次ぎを求めて祈るのです。そのすべての祈りは、一つの教会を形作っている兄弟姉妹のための、生きた祈りであります。死んでいなくなってしまった人たちを嘆き悲しむ祈りではなく、今一緒になって一つの教会を作り上げているすべての人たちへの生きた祈りであります。

確かに、祖先たちは、ガーナで言われたように、死んでいなくなってしまった人たちではなく、今一緒になって生きている人たちだと言うこともできるでしょう。

伝統的な信仰の中で、死後すぐに私審判を受け、世の終わりの最後の審判までの間、煉獄で清めの時を過ごす霊魂のために祈ることが勧められてきました。その伝統はなくなってしまったわけではありませんし、教会の教えから、天国や煉獄や地獄がなくなったわけでもありません。

「死者のためのわたしたちの祈りは、死者を助けるだけではなく、死者がわたしたちのために執り成すのを有効にすることができる」とカテキズムに記されています。

私たちは、互いに祈り合う一つの教会に生きているのです。
私たちに先立って永遠のいのちへと旅立たれたすべての霊魂を、いつくしみ深い御父のみ手にゆだねましょう。また私たち一人ひとりも、神のめぐみといつくしみのうちにこの人生をより良く生き、いつの日か先達とともに御父のもとで、ともに永遠のいのちに与ることができるように、「旅する神の民にとって確実な希望と慰めのしるしとして輝いている」聖母マリアの取り次ぎのうちに、神の導きを祈り求めましょう。
 

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2018年11月 5日 (月)

東京教区青年の合宿、そして合同追悼ミサ


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東京教区の青年たちの合宿、「mass mass 楽しい」が、11月3日と4日、イエスのカリタス会管区本部を会場に行われ、60名を超える青年たちが参加しました。

主催は東京教区の青少年委員会。そのホームページには、今回の目的が次のように記されていました。

「神様のもとで、同年代の若者が集うこと。それが第一の目的です。 共に学び、語り合い、食事をし、ミサを受ける中で、仲間の広がりを大事にします。   

そして、ミサについて少しでも知って考えてもらうこと。

ミサに関して、分かっている / 分かっていない ひとまず置いておいて、ひとつひとつ大事な基本要素を学んでいきます。ミサの中で行われることひとつひとつに意味があって、それぞれに思いがあります。 ただ学ぶばかりではなく、ミサについて考え、若者によるミサを作ることを目的にします。

ミサについて、たくさん知っている人は、もっと深めるために、まったく知らない人は、この機会にちょっぴり知るために、興味ない人も、楽しさを見つけ出すために、単純に、仲間と楽しく過ごすために、ぜひ、この青年合宿参加してみてください。」

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というわけで「mass mass 楽しい」をテーマに、参加者は典礼について真剣に学び、いくつかのグループに分かれて意見を交わし、私たちの信仰の中心にある聖体祭儀への理解を深めたようです。

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わたしは二日目の10時から行われたミサを、司式させていただきました。事前にしっかりと学んだこともあり、よく準備され、また積極的に参加する、良い典礼であったと思います。修道院のシスター方も一緒に参加してくださいました。

準備したリーダーたちに感謝。もっとこの輪が広がりますように。

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そして、同じ11月4日の日曜日午後2時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、合同追悼ミサを執り行いました。

11月は死者の月です。11月最初の日曜日に、府中と五日市のそれぞれの教区墓地と、納骨堂のある関口で、合同追悼ミサが行われています。関口の納骨堂にご親戚やご家族が眠っておられる方々を中心に、多くの方がミサに参加され、亡くなられた方々の永遠の安息を祈るとともに、地上の教会と天上の教会の交わりを心にとめ、互いに祈り合うことの大切さを再確認しました。

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復活の主を信じる者にとって、死は終わりではなく永遠のいのちへの門です。私たちは、目に見えるこの世の生活だけで、すべてが完結するものではないことを信じています。常に、永遠のいのちへの希望のうちに生きています。

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ミサの奉献では、亡くなられた方々を追悼して記入された名簿が奉納されました。またミサ後には、地下の納骨堂へ移り、祈りが捧げられました。

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亡くなられた方々の、永遠の安息を、心からお祈りいたします。

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60歳となりました

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11月1日は、私の60歳の誕生日でありました。多くの方々からお祝いの言葉やお祈りをいただいたことに、心から感謝申し上げます。これまでも多くの方々のお祈りによる支えをいただき、司教職をなんとか務めることができました。健康が許すならば、司教職の定年は75歳ですので、まだ15年も先があることになります。どうか皆様のお祈りによる支えをいただきますように、心からお願い申し上げます。お一人お一人に、御礼を申し上げることが適いませんので、この場を借りて、感謝申し上げます。

還暦ですから、何か赤いものを身につけるのが慣例ですが、先般行われた東京教区の司祭研修会では、伝統的な還暦の衣装をいただきました。その写真は、白黒ですが、教区ニュースの最新号に掲載されています。

カリタスジャパンのチームからは、10月末に行われた全国担当者会議の懇親会で、Share the Journeyキャンペーン(日本では排除ゼロキャンペーン)のTシャツを、記念にいただきました。もちろん赤色のTシャツです(写真上)。

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そこでもお祝いのケーキをいただきましたが、日曜日のイエスのカリタス会管区本部で行われていた教区の青年の集まりでも、ミサの後の振り返りの集まりで、お祝いのケーキをいただきました。配慮してくださった青年のリーダーたちに感謝します。(写真上)

これからも、職務に忠実で、そして懸命に使命を果たしていくことができるように、皆様の変わらぬお祈りをお願いいたします。

感謝のうちに。

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2018年10月31日 (水)

日曜日は清瀬教会へ、そして・・・

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10月28日の日曜日は、清瀬教会を訪問し、10時の主日のミサを、主任司祭の伊藤淳神父と一緒に捧げました。

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もちろん聖堂に一杯の信徒の方々が集まり祈りをともにしてくださったことは大きなよろこびですが、同時に侍者をしてくれた『少年・少女』が10名もいたことに、ちょっと感動。これからも、楽しく教会に通い続けてくれることを、期待してます。

また、清瀬教会にも長年にわたってフィリピン出身信徒のグループがあり、みなと一緒に協力しながら共同体を育てている姿が印象的でした。

カトリック教会は、日本において、「日本人の教会」や「フィリピン人の教会」など「○○人の教会」を生み出さないようにしたいと思っています。なぜなら私たちの教会は、「一つの教会」です。キリストの教会です。信仰は一つ、洗礼は一つ。同じキリストの元に集まっている教会です。日本に生まれた人も、海外からやってきた人も、同じ神を信じ、同じキリストの名の下に集まるとき、おなじように安心して心やすく、信仰生活を歩めるようにすることが重要だと思います。ですから教会は、もちろん不安定な立場にあり、文化の違いに戸惑う人たちに手を差し伸べますが、同時に、同じいつくしみの心を持って、日本に生まれた多くの人たちの生きる困難さにも寄り添い手を差し伸べる存在でありたいと思います。

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ちょうどバチカンでは若者をテーマにした世界司教会議(シノドス)が終了しました。最終文書が中央協議会でいずれ翻訳されますが、参加された勝谷司教からも様々な発信が始まることが期待されます。これからの次代を担う青年たちが、文化や国籍の違いを乗り越え、外にも内に心を配りながら教会共同体を生かしていくように、失敗を恐れず歩み始めることを期待しています。

11月4日には青年たちの集まりがイエスのカリタス会を会場に行われ、これには主に日本人共同体の青年たちが集まります。そして11月18日にはCTIC主催で、国際青年の集いがカテドラルで行われます。近い将来、この二つが合同して、一緒に歩みを初めてくれることを、心から願っています。

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清瀬教会では、ミサ後に30分間お話をさせていただき、その後30分間の質疑応答をいたしました。時間があれば、ほかの教会を訪問したときにも(堅信式など行事がないときには)こういう質疑応答の時間も持ちたいと思います。

そしてその後は懇親会。準備してくださった皆さん、ありがとうございます。

この日は、清瀬教会からの帰り、お隣の小平教会へちょっと立ち寄りました。ちょうどサンマを焼く集まり中。おいしいサンマをいただきました。ごちそうさま。小池神父様が率先してサンマやらなにやら、バーベキュー係のように働く姿が光ってました。

そしてそのまま、米軍の横田基地の横を通過して八王子へ。

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八王子にある、師イエズス修道会の日本管区本部修道院へ。この日が会のお祝いの日だと言うことで、管区本部と、その隣にある修道院のシスター方があつまり、午後4時半からミサ。ミサ後は一緒に夕食をいただき、シスター方からの合唱の歓迎もありました。

今更言うまでもなく、師イエズス修道会のシスター方は御聖体の前での祈りとともに、典礼のために奉仕してくださるカリスマで、教会関係者なら必ずお世話になる典礼用品店「ピエタ」を運営しておられます。シスター方の使徒職に、感謝します。今月10月は、東京教区のために取りなしの祈りをしていただきました。感謝。

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2018年10月27日 (土)

聖オスカル・ロメロ大司教列聖感謝ミサ@東京カテドラル

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去る10月14日にローマにおいて列聖されたエルサルバドルの殉教者、聖オスカル・ロメロ大司教の、列聖感謝ミサが、本日10月27日の土曜日午前10時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂でささげられました。

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私が司式し教皇大使が共同司式された今日のミサは、エルサルバドル大使館の主催で行われました。駐日エルサルバドル大使のマルタ・リディア・セラヤンディア・シスネロス 閣下が、8月の中頃に大司教館においでになり、是非とも母国の偉大な聖人の列聖に感謝してミサを捧げたいと希望を述べられたことからすべてが始まりました。(上の写真、右端がエルサルバドル大使、その隣は教皇大使)

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今日のミサには、東京在住の外交団からも、大使の招きに応じてたくさんの方が参加してくださいました。また信徒の方々もおいでくださったことに感謝します。

また聖オスカル・ロメロ大司教は、国際カリタスの保護の聖人の一人でもあります。そのこともあり、今回カリタスジャパンでも列聖記念のカードを作り、今日のミサでも受付などで協力させていただきました。

エルサルバドルの兄弟姉妹の皆さんに、心からお祝いを申し上げます。

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以下、本日のミサの説教の原稿です。

1980年3月24日午後6時ころ。エルサルバドルの首都サンサルバドル教区のオスカル・ロメロ大司教は、住まいとしていた神の摂理病院の聖堂でミサを捧げておられました。午後6時25分、説教を終えて奉献に移ったところで、聖堂の扉の陰に隠れていた暗殺者の放った銃弾によって、聖オスカル・ロメロ大司教は殉教の死を遂げました。 

去る10月14日、教皇フランシスコはサンピエトロ広場で行われたミサの中で、7名の方々を聖人として宣言し、その中には、第二バチカン公会議を主導した聖パウロ6世、そしてエルサルバドルの殉教者聖オスカル・ロメロ大司教が含まれています。

聖オスカル・ロメロ大司教は、エルサルバドルの方々にとって尊敬するべき聖人であるとともに、全教会にとっても、そして特に私が長年にわたって担当させていただいている教会の人道援助団体である国際カリタスにとっても、重要な位置を占める聖人であります。

世界各地160を越える地域のカリタスを束ねる国際カリタスは、3名の保護の聖人を定めています。一人目は、聖マルチン・デ・ポレス。1579年にペルーのリマで生まれたドミニコ会士は、謙遜のうちに生き、祈りに多くの時間をささげ、人種や皮膚の色、社会的地位によらず、すべての人を大切にし、貧しい人たちに奉仕した聖人です。困難に直面する人たちへの奉仕の模範の聖人です。

もう一人は、コルカタの聖テレサ。マザーテレサとして有名な聖女について、あらためて説明するまでもないと思います。

そして三人目が聖オスカル・ロメロ。『友のために命をささげる。それ以上の愛はない』と言うイエスの言葉を、人生のすべてをかけて、その行いと言葉で証しをした聖人です。

『友のために命をささげる。それ以上の愛はない』と、聖書の言葉を口で繰り返すことは難しいことではありません。しかし、現実の苦しみと困難の中で、また自分のいのちの危機が迫っている中で、本気でこの言葉を口にし、その言葉通りに真摯に生きることは、簡単なことではありません。

わたし自身の、アフリカでの様々な体験からも、いのちが危機に瀕しているいざというときにあってでさえも、そのように行動しようと決断することは、大きな勇気と深い信仰の力を必要とします。そして、その「大きな勇気と深い信仰の力」は、今必要だからと即席に身につけることができるものではありません。人生をかけた決断は、人生の中での信仰の積み重ねによって初めて可能になります。

ロメロ大司教の人生は、まさしくその積み重ねが生み出した、「友のために命をささげる。それ以上の愛はない」を具体的に生きた人生であります。

オスカル・ロメロが大司教となったのは、エルサルバドルで富裕層と結託した軍事政権が、抑圧的な支配によって、数々の人権侵害が起こっていた時代でした。70年代、貧富の格差にはすさまじいものがあり、貧困層の農民の声を代弁しようとする教会の指導者が多く現れ、軍部や富裕層と激しく対立していました。そのような中で、聖オスカル・ロメロは首都サンサルバドルの大司教に任命されました。

ロメロ大司教は、最初から先頭に立って権力に対峙するような過激な人物ではなく、穏健派とみられていたと言われます。聖人を個人的に知っている人たちは、すくなくともその頃、聖オスカル・ロメロが将来殉教者になるなどとは、誰も想像していなかったと言います。ただ、ロメロ大司教はサンサルバドルに任命される前の3年間、司教を務めたサンチアゴ・デ・マリア教区において、農民に対する激しい抑圧に衝撃を受け、圧迫され搾取されている貧しい農民たちのために何かをしなければならないという思いを強めていたと言われます。

ロメロ大司教が1977年2月22日にサンサルバドル教区に着座した直後、3月12日、イエズス会のルティリオ・グランデ神父が、ミサに向かう途中、殺人集団によって暗殺されました。貧困層のために尽くしていたグランデ神父は、ロメロ大司教の個人的な友人でもありました。

この日を境にロメロ大司教は、保守的で政治に無関心な人物から、貧しい人たち、権利を奪われている人たちのために積極的に発言し、行動するリーダーの立場を明確に生きるようになったと言われます。その決断は、当然、自らの命を危険にさらすものでありました。そしてそのような人生を賭した決断は、簡単にできるものではありません。信仰における勇気は、簡単に手にすることができるものではありません。そこには長い年月の霊的な蓄積があり、堅固な信仰の基盤があったからこそ、自らの信じる福音に忠実に生きようとする決断をすることができたのだと思います。

翌日曜日、ロメロ大司教は教区内のすべてのミサを中止にして、カテドラルでの司教ミサに集まるように呼びかけました。集まった10万人以上の前でロメロ大司教は、「だれでもわたしの司祭に手を出すものは、私に手を出すのだ」と宣言します。そして軍部による誘拐、監禁、拷問、殺害などあらゆる人権侵害の事案について調査する委員会を立ち上げ、被害者の家族を援助する仕組みを構築しました。

そういった彼の「変身」を快く思わない人々は様々な圧力をかけ、とうとう1979年9月には、殺害予告がロメロ大司教のもとに届いたのです。

そして運命の1980年3月24日。その前日のミサの説教でロメロ大司教は軍人たちに向かって語りかけ、倫理にもとる命令には従う義務はないとさとし、こう締めくくりました。「神の名において命じる。抑圧を止めなさい」

10月14日の列聖式ミサで、教皇フランシスコは次のように呼びかけました。
「ロメロ大司教は、福音にしたがって自分の命をささげようとして、貧しい人たちや友と一緒にいるために、イエスとその兄弟姉妹のために心を割いて、この世における安住と自分の身の安全さえも手放しました。」

その上で教皇は、「イエスはラディカルです。彼はすべてを与え、すべてを求めます。完全な愛を与え、揺らぐことのない心を求めます。今日でも主は、ご自身を生きたパンとして与えられます。私たちは、せめてパンくずくらいでさえも、主にお返しできるでしょうか」

友のために、兄弟姉妹のために、その命を危険にさらすことを恐れず戦った聖オスカル・ロメロ大司教は、62歳で殉教の死を遂げました。すべてを与えられた主イエスに、すべてを返されました。

私たちも、聖人の取り次ぎのよって、勇気を持って福音に生きることができるように、祈り続けましょう。

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2018年10月22日 (月)

堅信式の、ダブルヘッダー@目黒&上野毛

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10月21日の日曜日、素晴らしい秋晴れの主日となりましたが、この日は二つの教会で堅信式が行われ、合計で93名の方々が堅信の秘跡を受けられました。

司式した私にとっては、いわばダブルヘッダーでありましたが、まず午前10時から目黒教会で。そして午後2時半から上野毛教会で、それぞれ行われました。

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午前中の目黒教会。こちらでは49名が、港品川宣教協力体から。港品川宣教協力体は、目黒、高輪、麻布からなり、それぞれの主任(目黒のマルコ師、高輪の古郡師、麻布の稲川師)と、マルコ師と同じグアダルペ宣教会のイグナシオ師も共同司式に参加してくださいました。

目黒教会の建物は、その昔、ベネディクト会が建設したもので、聖堂の裏手にある司祭館は、いかにも修道院の作りです。聖堂は、設計者がアントニン・レーモンドですから、名古屋の南山大学や、神言神学院にそっくり。特に聖堂の床のデザインは、神言神学院聖堂の床と配色まで同じです。

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目黒教会では、堅信を受けられた後、受堅者一人ひとりがともされたロウソクを、神様への感謝として奉献してくださいました。皆さんおめでとうございます。

さて目黒教会を終えて、車で上野毛教会へ移動。日曜日ですいていることもあり、30分程度のドライブでした。

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まず午後2時から、堅信のために集まった方々へ20分間のお話。堅信を受けたのは44名。世田谷南宣教協力体の、上野毛、田園調布、そして碑文谷教会の皆さんです。

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三人の主任司祭ももちろん参加。この宣教協力体は、小教区のそれぞれが異なる修道会です。まず上野毛の松田師はカルメル会。田園調布の竹内師はフランシスコ会。そして碑文谷のロロピアナ師はサレジオ会です。また式長として、今年叙階したばかりの志村師が、上手に侍者団をまとめて、全体にまとまりのある堅信式ミサとしてくださいました。

そういえば、まだ碑文谷には出かけていないので、来年1月27日の日曜日に訪問させていただく約束をしました。

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上野毛は、いわゆる修道院の聖堂の作りなのだと思いますが、御聖体を挟んで、祭壇後ろの壁の向こうにもう一つ小聖堂があり、その間の壁にはスリットが入っています。写真をご覧ください。

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たくさんの方に集まっていただきました。堅信式の後は、目黒でも上野毛でも、受堅者を迎えてお祝いの茶話会が催されました。皆さんおめでとうございます。

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2018年10月21日 (日)

「初めてのミサ」

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10月20日土曜日の午後3時から、関口の東京カテドラル聖マリア大聖堂を会場に、カトリックアクション同志会の主催になるラテン語でのミサが行われました。

毎年恒例で行われているこのミサには、東京教区内は言うに及ばず、全国各地(今年は沖縄からの参加者もあったとうかがいました)から、ラテン語の聖歌を中心に練習を積んだ聖歌隊の方々が集まります。聖堂内は参加者で一杯でした。

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毎年このミサのために各地から駆けつける司祭たちもおられ、その中には、私の修道会の大先輩である青山玄神父の姿も。教皇大使と参事官も参加され、特に参事官は素晴らしい歌声で、福音を歌ってくださいました。

司式は私です。ほぼすべて歌ミサにしました。どのように思って頂いたのかわかりませんが、私はラテン語のミサを司式するのは生まれて初めてです。つまり1986年に司祭に叙階されてから、昨日まで、ラテン語でミサを司式したことはありません。人生の初体験をいたしました。

もっとも、会議の関係で毎年何度もラテン語で捧げられるミサには出たことがありますし、その昔、小神学校の日曜日のミサはラテン語でしたので、ミサ自体は生まれて初めてではありませんが、自ら司式したのは初めてでした。

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で、あらためて感じ入ったのは、高田三郎先生の偉大さでありました。カトリック聖歌集ができあがり発行されたのは、第二バチカン公会議のさなかの1965年ですが、中心になられた南山大学の教授であった山本直忠先生(山本直純氏のお父様)とともに作業に取り組まれた高田三郎先生が、それ以降の日本の典礼音楽の中核を担われるきっかけになりました。

高田先生はそれから日本語の典礼が急ピッチで翻訳されるのにあわせ、もちろん詩篇を歌うことができるようにと典礼聖歌を作曲する中心におられましたが、それ以上に、膨大な量となる典礼の本文を、歌えるように作曲をされました。現行のミサ典書は、使用頻度が少ない箇所や複数の選択肢がある場合などを考慮して、翻訳を後回しにした部分があるため暫定と呼ばれますが、歌ミサのために、縦書きの特長を生かして、行の左右に点を打つことで音の上がり下がりを譜面なしで示しています。

私は、特にカテドラルなどでミサをする機会には、できる限り歌うようにしていますが、昨日ラテン語で叙唱や第一奉献文を歌いながら、高田先生が、ラテン語の旋律の特長を生かしながら日本語のミサの旋律を作曲された細やかな配慮と、その作業をかなりの短時間のうちに成し遂げた驚異の集中力に、あらためて気がつかさせられました、というよりも、先生、恐れ入りました、としか言い様がありません。

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さて、今回のミサの意向は、「世界の難民と日本人拉致被害者のため」とされていました。世界各国語でささげられた共同祈願に象徴されるように、人類普遍の願いとして、すべての人の人間の尊厳が護られるようにと、祈りが捧げられました。またこのミサの意向にあわせ、拉致被害者のご家族の方も、数名、ミサに参加してくださいました。国家の政治的な意図による暴力で人間の尊厳を踏みにじられるような非道なことがなくなり、被害に遭われたすべての方々に希望の光がもたらされますように。

以下、説教の原稿です。

わたしたちの人生は、すべて旅路のなかにあります。それは、時の流れを人生の終わりに向かって歩み続ける旅であり、またいつかどこか、他の場所へと、具体的に移動をする旅でもあります。時にその旅路は、喜びや希望のうちにあり、また悲しみや不安の中で続けられる旅もあります。時にその旅路は、いのちの危険をもたらす旅路であったり、人間としての尊厳を危機にさらす旅路であったりもします。

現代社会にあっては様々な理由から、生まれ故郷を離れ、見知らぬ地へと移り住む人が少なくありません。また地域の紛争によっていのちが脅かされ、安全のために移り住むことを余儀なくされる人たちも大勢おられます。また自らの意思に反して、人間の尊厳を危機に陥れるような旅路に出ざるを得ない人たちすら存在します。

教会は、その旅路がどのような理由で始められようとも、そのどこにあっても、どのような状況にあっても、神の似姿である人間のいのちの尊厳は、常に守られなくてはならないと主張します。

先ほど朗読された申命記には、「あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった」と記されていました。困難に直面する人々に、救いの手を差し伸べることは、キリスト者の務めです。

わたしたちが最優先するべきなのは、移住者の現在の法律的な立場ではなく、人間としての尊厳であると、教会は長年にわたり主張してきました。例えば1996年世界移住の日のメッセージで、教皇ヨハネパウロ二世はこう指摘しています。

「違法な状態にあるからといって、移住者の尊厳をおろそかにすることは許されません。・・・違法状態にある移住者が滞在許可を得ることができるように、手続きに必要な書類をそろえるために協力することはとても大切なことです。・・・特に、長年その国に滞在し地域社会に深く根をおろして、出身国への帰還が逆の意味で移住の形になるような人々のために、この種の努力をしなければなりません。」

教皇フランシスコは、難民や移住者への配慮を、いのちの尊厳に基づいて強調されています。それぞれの国家の法律の枠内では保護の対象とならなかったり、時には犯罪者のように扱われたり、さらには社会にあって異質な存在として必ずしも歓迎されないどころか、しばしば排除されている人たちが世界に多く存在する。教皇フランシスコは、危機に直面するそのようないのちの現実を前にして、法律的議論はさておいて、人間のいのちをいかにして護るのかを最優先にするよう呼びかけています。

教皇就任直後に、教皇はイタリアのランペドゥーザ島を司牧訪問されました。
この島は、イタリアと言っても限りなくアフリカ大陸に近い島です。2000年頃から、アフリカからの移民船が漂着するようになり、亡くなる人も多く出て、社会問題化していました。

難破した船のさまざまな部品を組み立てたような祭壇や朗読台。この象徴的な朗読台の前に立ち、教皇はこの日の説教で、その後何度も繰り返すことになる「無関心のグローバル化」という事実を指摘しました。その説教の一部です。

「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった。これが私たちに、はかなく空しい夢を与え、そのため私たちは他者へ関心を抱かなくなった。まさしく、これが私たちを無関心のグローバル化へと導いている。このグローバル化した世界で、私たちは無関心のグローバル化に落ち込んでしまった」

母国を離れようとする人には、他人が推し量ることなどできない様々な事情と決断があったことでしょう。それがいかなる理由であったにしろ、危機に直面する命にいったい誰が手を差し伸べたのか。その境遇に、その死に、誰が涙を流したのか。誰が一緒になって彼らと苦しんだのか。教皇は力強くそう問いかけました。

いのちの危機にさらされ、困難の中で希望を見失っている人たちへの無関心が広がる一方で、異なるものを排除することで安心を得ようとする社会の傾向も強まっており、排除や排斥によって人間の尊厳が危機にさらされる事態も相次いでいます。

こういった事態を打破するために、互いをよく知ろうと努力することが不可欠だと教皇フランシスコは強調されます。私たちは、未知の存在と対峙するとき、どうしても警戒感を持ってしまうからです。対話がない限り互いの理解はありえず、理解のないところに支えあいはあり得ません。

今年の世界難民移住移動者の日のメッセージで、教皇フランシスコは「出会いの文化」を生み出すことの必要性を強調しながら、ヨハネパウロ二世の言葉を引用されています。

「共生というのは、移住者が自らの文化的アイデンティティを抑圧され、忘れ去ってしまうような同化を意味しているのではありません。むしろ、他の人とのかかわりは、彼らがもつすばらしい面を快く受け入れるように心を開き、他者の中にある『隠されているもの』を見つけ出すように導きます。そして、お互いにもっとよく知り合うようになるのです」

神における一つの体として生きるわたしたちは、いのちの危機にさらされ、困難の中で希望を見失っている兄弟姉妹を見捨てることはできません。

福音の光に導かれて生きようとする私たちは、神から賜物として与えられた人間のいのちが、その始まりから終わりまで、一つの例外もなく尊重され護られなくてはならないと、あらためて強調します。人間のいのちを危機にさらすような現実を生み出している社会のありとあらゆる意図、さらには政治的な意図に対して、あらためて人間のいのちの尊厳を最優先とするように、教会は呼びかけます。

神が自らの似姿として愛を込めて生み出されたいのち。一人ひとりのいのちが大切にされ、その人間の尊厳が尊重される社会が実現するよう、聖霊の導きを祈り求めたいと思います。

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2018年10月14日 (日)

受刑者のためのミサ@イグナチオ

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13日の土曜日午後2時から、イグナチオ教会を会場に、受刑者のためのミサが捧げられました。

主催したのは、受刑者との交流や出所者の支援を続ける特定非営利活動法人マザーハウス。200名近い方々が聖堂に集まり、祈りをともにしました。

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ミサの司式は私と、ちょうどこの日が75歳の誕生日となった教皇大使のジョゼフ・チェノットゥ大司教。そして大使館の参事官をはじめ、教誨師などとしてこの活動に関わる司祭5名加わってくださいました。ミサの終わりに、大使には誕生祝いの花束が贈られました。

マザーハウスの活動については、こちらのホームページを参照ください。

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ミサの後にはヨゼフホールで茶話会があり、その中で、弁護士の海渡先生と私で、ちょっとした質疑応答の時間もありました。

以前からこの活動を立ち上げたマザーハウス理事長の五十嵐氏から、このような機会を設けてほしいとリクエストを受けていました。教皇フランシスコも、いつくしみの特別聖年の間に、受刑者のためのミサを捧げられましたし。ご自身が毎年聖週間に刑務所を訪問され、洗足式を行ったり、受刑者への励ましを与え、人権を擁護するように、呼びかけています。

もちろん犯罪を犯した人がその罪を償うことは大切ですし、同時にそういった犯罪被害に遭われた方々のうけた大きな心身の傷にも十分な手当があり、思いをはせ祈ることは重要です。

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しかし教会は、罪を償うにあたっても、神が与えられたいのちの尊厳が護られるようにと呼びかけます。誰一人として本来は犯罪の被害に遭うといういのちの尊厳を脅かされるような状態に出会うことのないように努めなければならないように、罪を償う人のいのちの尊厳も軽視されてよいということもありません。その意味で、刑務所などにおける人間の尊厳を脅かすような事態は改善されるべきだと、教会は長年にわたって呼びかけてきました。

また出所した後にも、なかなか社会に受け入れられず、生活の困難を抱えている人や、また、犯罪の加害者にあっても被害者にあっても、そのご家族の方々が直面する困難にも思いをはせる必要があります。課題は山積しています。

教会は、神が愛する人間が、一人として排除されてよいわけがないと主張します。その意味で、教会共同体としても、愛といつくしみのうちに、マザーハウスをはじめ、各地でのこういった支援活動に協力していく姿勢を失わないように努めたいと思います。

人を裁くのであれば、自分自身も同じ秤で量り返されることを、心にとめたいと思います。

以下は、当日のミサの時手元にあった説教の原稿です(実際にお話しした内容と、少し異なっています)

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」

毎日の生活を積み重ねる中で、私たちは一つのことを痛感しています。それは、わたしたちが、どれほど自分に優しい目を向け、他人に対して厳しい目を向けていることか。他人の言葉や行いを見て、口には出さないものの、どれほど心の中でそれを値踏みしていることか。 自分自身のことは、できる限り多くの人に理解してもらいたい。自分自身のことは、みんなから大切にしてももらい。そのように願うのだけれど、それでは肝心の自分はほかの人たちに対してどうだろう。「あいつはダメだ」などと、あっという間に判断を下してしまう私たち。

例えば、テレビやインターネットを見て、誰かのスキャンダルなどが報じられていようものなら、あっという間に私たちは、その人物がどのような人なのか、自分なりの判断を下してしまいます。でも考えてみれば、その興味の対象になっている人に、実際には出会ったことすらない。全く接点がなくて知らない人。本当に限定された情報しか自分の手元にはないにもかかわらず、私たちは簡単に価値判断を下し、他人を裁いてしまいます。

私たちは、どうしてこんなに簡単に、他人を裁いてしまうのでしょう。どうして思いやりの心を持つことができないのでしょう。

教皇フランシスコは、その教皇職のはじめから、神のいつくしみについて繰り返し語ってこられました。ご記憶のように、2015年12月から一年間を、「いつくしみの特別聖年」と定められたほどです。その聖年を告げる大勅書の中に、次の言葉があります。

「神のいつくしみとは抽象的な概念ではなく、わが子のことでからだの奥からわき起こる親の愛のように、神がご自分の愛を明かす具体的な現実なのです。実に『はらわたがちぎれるほどの』愛ということです」

「わが子のことでからだの奥からわき起こる親の愛」をもって、ほかの人たちを見ることができるのであれば、そこには相手を理解しよう、受け入れよう、助けようとするいつくしみと思いやりの気持ちがわき上がるのではないでしょうか。

実に、人類の誕生を描いた創世記には、私たちのいのちが創造された理由に、「人がひとりでいることは良くない。彼にあう助ける者を造ろう」という神のいつくしみに満ちあふれた配慮があるのだと記されています。

教皇様は大勅書で、この親のような愛を、次のように述べられています。
「この愛は深い自然な気持ちとして心からわき起こるもので、優しさ、共感、寛大さ、そしてゆるしの気持ちです」

教会は、神が愛のうちに創造されたこの人間のいのちには、尊厳があるのだと主張します。それは、いのちが完全である神の似姿として創造され、神ご自身が良いものだとされたと創世記に記されているからです。

すべてのいのちは、どのような状態にあったとしても、すべてのレベルにおいて、尊厳のうちに護られなければならず、「優しさ、共感、寛大さ、そしてゆるしの気持ち」のうちに、神のいつくしみに包まれ続けなければなりません。

さて今日私たちは、受刑者のためのミサをともにささげています。それには様々な側面からの祈りが必要です。

過去を顧みながら許しを求めている人に善なる道が示されるように、祈りたいと思います。同時に犯罪の被害に遭われた方々の、心と体のいやしのために、祈りたいと思います。加害者の、また被害者の御家族の方々の生きる希望のために、祈りたいと思います。そして、すべての人が神の望まれる道を歩むことができるように、受刑者の方々に、また犯罪の被害者の方々に支援の手を差し伸べるすべての人のために、心から祈りたいと思います。

教皇フランシスコは、難民や移民の受け入れに消極的な世界に向かって、無関心のからを打ち破って手を差し伸べようと呼びかけてこられました。同じことを今日呼びかけたいと思います。様々な理由から、社会の周辺部へと追いやられている多くの方々に、無関心のからを打ち破って手を差し伸べる教会でありたいと思います。

その上で、教皇は、私たちが無関心のからを打ち破り、共感の心を持つために、四つの行動が大切だと言われます。それは、「受け入れる、守る、促進する、共生する」という四つの行動です。この四つは、社会の中心から排除され忘れ去られている人たち、すべてに対して、手を差し伸べようとするときに必要だと感じます。

「受け入れる、守る、促進する、共生する」
私たちすべてが、大なり小なり、必ずや罪人であるのだという現実をまず直視し、その中で、いかに互いをいつくしみをもって受け入れあい、善なる道を進むことができるように守りあい、希望を失わないように促し、手を携えてより良い共同体を生み出していくことができるのか。あらためて祈りのうちに、考えていきたいと思います。

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2018年10月11日 (木)

中野司教叙階式@鹿児島

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教区司教の定年は75歳です。もちろん司教は叙階ですから、司教そのものからの引退という意味ではなく、教区長職からの引退です。前任の郡山健次郎司教の定年引退に伴い、新たに鹿児島教区司教として任命されたフランシスコザビエル中野裕明師の司教叙階式が、10月8日午後1時から、鹿児島市の宝山ホールで行われました。

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会場の宝山ホールは1500名収容です。ほぼ一杯でしたから、鹿児島教区をはじめ各地から、千人を超える方々が参加してくださったことになります。日本の司教団も、シノドスに参加している勝谷司教と海外出張中のアベイヤ司教を除いて、ほぼ全員が参加。沖縄の押川名誉司教や、鹿児島と協力関係にある韓国の仁川教区の司教様も参加されました。

司式は引退される郡山司教。その両隣には前田枢機卿と高見大司教が(司教叙階には通常主司式に二人の司教が付きそう3名が最低でも必要と言われます)。

中野司教様は1951年生まれで、司祭叙階は1978年。ローマに留学経験もあり、この数年間は神学生養成に関わり、神学院院長も務めておられ、東京にお住まいだったことから、東京教区の各地でも司牧のお手伝いなどをしていただいておりました。

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また中野司教様も長崎南山の卒業生。結構な人数の日本の司教たちは、実は長崎と名古屋の二つの南山高校の、どちらかの卒業生です。

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叙階式終了後、会場をサンロイヤルホテルに移し、祝賀会が開催されました。前回、郡山司教様が叙階されたときも、同じ会場で祝賀会でありました。前回の日記はこちらです。そして前回と同様、今回も、結婚式のような新旧司教の入場がありました。歌あり踊りありの、本当によろこびにあふれた祝賀会でありました。

なお、中野司教様のモットーは、マタイ福音6章33節の「まず、神の国とその義を求めよ」からとられた言葉で、「QUAERITE PRIMUM REGNUM DEI(まず、神の国を求めよ)」とされています。

叙階式の模様を撮影したビデオが、このリンクの鹿児島教区ホームページで公開されていますので、どうぞご覧ください。

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