カテゴリー「司教の日記」の1000件の記事

2019年11月 6日 (水)

二つの修道誓願式・など

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10月には、新潟教会での堅信式、あきる野教会、大森教会、高輪教会などで堅信式を行いました。日記更新が滞っていたため、それぞれに日記で触れることができずに申し訳ありません。

そんな中、10月中の土曜日に、二つの女子修道会で初誓願式がありました。ひとつは10月5日のお告げのフランシスコ修道会、もう一つは10月26日の聖ヨハネ布教修道女会。前者は大田区久が原の同会修道院で、後者は聖ヨハネ会が運営に関わる桜町病院のある小金井教会聖堂で、それぞれの修道会でお一人ずつの方が初誓願を宣立され、さらに先輩の修道女の方々が、それぞれの会で修道誓願の銀祝、金祝、ダイアモンド祝を祝われました。

新たに誓願を宣立されたお二人、節目の年を祝われた先輩シスター方に、心からお祝いを申し上げます。

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修道誓願を新たに宣立する会員が誕生することは、一人修道会にとって仲間が増えたという喜びであるだけではなく、普遍教会全体にとって大きな喜びです。それは奉献生活が、その人個人の信仰生活のためだけではなく、教会にとって意味があることだからです。

修道者は一体誰のために誓願を宣立するのか。そもそも修道生活は誰のためなのか。修道者は自分のために修道生活を営むのではありません。自分がより信仰を深め立派な宗教者になるためでもなく、自分だけがより神に近くにあるためでもなく、結局のところ、そして至極当たり前のことですが、修道者は神の民全体のために修道生活を営んでいます。神の民全体で、教会の本質的つとめがまんべんなく果たされるように、その固有の役割を果たしているのです。

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教皇ヨハネパウロ二世の使徒的勧告「奉献生活」にこう記されています。

「奉献生活は、教会の使命の決定的な要素として教会のまさに中心に位置づけられます。奉献生活がこれまで教会にとって助けとなり支えとなってきただけでなく、神の民の現在と将来にとって貴重な欠かすことの出来ないたまものであるということです。」

そして奉献生活者の存在の重要性を、こう指摘します。

「他の人々がいのちと希望を持つことが出来るために、自分のいのちを費やすことが出来る人々も必要です。(104)」

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新しく修道者としての道を歩み始めた方々を見ながら、一人でも多くのキリスト者がそこから信仰における希望を見いだし、自らもその模範に倣おうと決意をされることを祈ります。東京教区の共同体にとって、新たに二人の奉献生活者が加わったことは、大きな喜びであり信仰における希望です。

10月19日には、昨年に引き続いて今年も、受刑者や出所者の支援活動を行っているマザーハウスの主催で、イグナチオ教会を会場に、「受刑者のためのミサ」が捧げられました。マザーハウスの五十嵐さんの話や、実際に刑務所などで教誨を行う司祭と一緒に捧げるミサで、多くの方が参加してくださいました。

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以下は、当日の説教の原稿です。説教の内容は、実はわたしがこのところどこに行っても繰り返しているテーマで、教皇様の訪日に備えるための内容です。

まもなく11月の23日に、教皇様が来日されます。

38年前にヨハネパウロ二世がはじめて来日されたときは、まだ50代後半の若々しい教皇でしたから、そのときと同じように、今年83になる教皇様が、朝から晩まで精力的に行事をこなすというわけには、今回は行きません。もっといろいろな方々に機会を設けて、直接教皇様に会っていただきたかったのですが、今回は最低限の行事だけとなりました。長崎や広島では、核兵器廃絶や平和に関するメッセージが世界に向けて発表されるでしょう。東京では、政府の行事として天皇陛下や首相などとお会いになりますが、教会の行事としては、東北の大震災の被災者を慰め、青年たちと出会い、そして東京ドームでミサを捧げられます。

教皇様が日本を訪れる一番の目的は何でしょうか。
今の段階では、どうしても長崎や広島でのメッセージに注目が集まり、それは教会だけではなく広く一般の方々や政府も、教皇様が核兵器に関する言葉を述べることを重要視しているように感じています。

しかしわたしは、教皇様の来日の目的は、それだけにとどまるものではないと思っています。訪日のテーマは「すべてのいのちを守るため」とされています。わたしはこのテーマにこそ、今回の教皇来日の一番の目的が記されいると感じています。

わたしたちにとって教皇様はもちろんこの世におけるキリストの代理者ですし、世界に10数億人の信徒を抱える巨大組織のトップではありますが、それ以上に重要な役割があります。教皇の地位は、あのガリラヤ湖畔で主イエス御自身が、一番弟子のペトロに天国の鍵を与えて、その首位権を宣言したことに基づいています。

ですから教皇様にとっては、この世界において、一番弟子の後継者としての役割を果たすこと、すなわち教会共同体という大きな群れの先頭に立って、主から与えられた使命を率先して果たしていくこと、またその姿を模範としてすべての人に示していくこと。それこそが、最も重要な一番弟子の使命なのではないかと思うのです。

主ご自身が残された命令の中で一番重要な命令は何か。主が十字架上の受難と死に打ち勝って復活され、御父の元へ戻られるとき弟子たちに対して命じた最後の命令であります。

すなわち「全世界に行って福音を宣べ伝えよ。すべての人に、父と子と聖霊の御名によって洗礼を授けよ」という福音宣教命令であります。
ペトロの後継者にとって一番大切な努めは、皆の先頭に立って、目に見える形で、この福音宣教命令を模範的に果たしていくことであります。

2013年3月に教皇フランシスコが選出されて以来、今日に至るまで、彼が率先して語り、行動してきた最優先事項は、まさしくこの福音宣教命令を率先して実行することであります。

教皇フランシスコは、選出後の初めての司牧訪問先に、地中海に浮かぶランペドゥーザ島を選ばれました。
ここはアフリカに一番近いヨーロッパです。難民が押し寄せていました。そこで教皇はミサを捧げ、世界中に向かって、「忘れられて良い人は一人もいない。排除されて良い人は一人もいない」という彼の福音に生きる姿勢を明確に示す説教をされました。

その説教の中で、世界中の人々が、自分の生活を守ることにばかり固執し、困難を抱える他の人々への思いやりを忘れてしまったと非難し、そういう姿は、むなしいシャボン玉の中に閉じこもっているようだと指摘しました。ここで教皇ははじめて、「無関心のグローバル化」という言葉を使いました。

教皇フランシスコのこの姿勢は、その後に発表された「福音の喜び」で、さらに明確になります。教皇は、教会のあるべき姿として、「出向いていく教会」であることを掲げ、安楽な生活を守ろうとするのではなく、常に挑戦し続ける姿勢を教会に求めました。失敗を恐れずに、常に挑戦を続ける教会です。しかもその挑戦は、困難に直面し、誰かの助けを必要としている人のところへ駆けつける挑戦です。

そして『福音の喜び』には、「イエスは弟子たちに、排他的な集団を作るようには言いませんでした」という言葉もあります。その上で教皇は、「教会は無償のあわれみの場でなければなりません。すべての人が受け入れられ、愛され、ゆるされ、福音に従うよい生活を送るよう励まされると感じられる場でなければならないのです」と指摘します。(114)

神は、この世界に誕生するすべてのいのちを愛しておられる。ひとつとして忘れられることなく、すべてのいのちが与えられた使命を十分に果たすことができる社会が実現されることを求めている。だから教会は、排除するのではなく、弱い立場にある人、世間から忘れられた人、誰からも顧みられない人、困難に直面する人、いのちの危機にある人の元へ、積極的に出向いていかなくてはならない。神の愛しみに満たされて、ともに共同体を作り上げていかなくてはならないと説かれるのです。

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若者のためのシノドスの後に発表された『キリストは生きている』という文書には、和解について述べた箇所があります。教皇はまず、「あなたの霊的成長は、何よりも、兄弟的で寛大で思いやりのある愛において示されます」と指摘します。(163)

その上で、虐殺事件を経験したルワンダ司教団の文書を引用して、次のように言います。
「相手との和解にはまず、その人には神の似姿としての輝きがあると認めることが必要です。・・・真の和解に至るためには、罪を犯した人とその罪や悪行を分けて受け止めることが欠かせません。」

教会は、神のいつくしみを具体的にあらわう存在として、社会の中にあって和解の道を常に示す存在でありたいと思います。互いの人間の尊厳、神の似姿としての価値を認め合い、手を差し伸べあう共同体でありたいと思います。

ですからわたしたちは、自らの過去を顧みながら許しを求めている人に善なる道が示されるように、祈りたいと思います。同時に犯罪の被害に遭われた方々には、心と体のいやしがあるように、いつくしみ深い主のみ手が差し伸べられるよう祈りたいと思います。犯罪の加害者の、また被害者の御家族の方々の生きる希望のために、祈りたいと思います。そして、すべてのいのちが神の望まれる道を歩むことができるように、受刑者の方々に、また犯罪の被害者の方々に支援の手を差し伸べるすべての人のために、心から祈りたいと思います。

福音のメッセージをその言葉と行いで、はっきりと日本のすべての人に示すために、来られる教皇様の模範に倣って、わたしたちも勇気を持って、福音を証しして生きていきましょう。

 

 

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2019年9月27日 (金)

ネットワークミーティングと葛西教会50周年

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9月21日の土曜日、お昼過ぎから、千葉の鎌取にある聖母マリア幼稚園を会場にして、全国から150名近い青年たちが集まり、ネットワークミーティングが二日間の日程ではじまりました。

開会式のミサを依頼されたので、東京教区を中心に様々な教区から駆けつけた青年司牧担当の司祭とともに、野外でのミサを捧げました。またこの千葉の地にあっては、先日の台風の被害を受けて、復興に取り組んでおられる方々が大勢おられますし、この幼稚園の周囲でも樹木が大きな被害を受けている様子を目の当たりにしましたので、ミサの中では被害を受けられた方々のために、皆でお祈りをいたしました。

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ネットワークミーティングとは、なにか。

中心になっているのは、カトリック青年連絡協議会です。ホームページがあります。そこに次のように記されています。

「1998年にカトリック中央協議会の青少年委員会が解散するにあたり、全国のカトリックの青年の動きを支えるものを何か残したいということで、カトリック青年連絡協議会の発足の準備が始まりました。従来の青少年委員会の反省から、司祭・修道者と青年が一緒に話し合い考えていくことができるような形の会を目指し、何度も話し合いを進めてきました。

その結果、青年や青年にかかわって活動している人たちが自由に話し合い、交流ができる場「ネットワークミーティング」と、会を責任を持って支えていく場「カトリック青年連絡協議会」とを分けるということが提案されました。

そして、2001年9月、第1回ネットワークミーティングが東京にて開催されました。」

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全国各地で、年に二回ほどネットワークミーティングが開催されています。もちろんこの集まりだけが、日本の教会のすべての青年を網羅しているわけではなくて、それ以外の共同体や運動体も教会にはいくつも存在しています(伝統的には例えばJOCとか、または新しいカリスマによって集まった運動体とか)。また、わたし自身もそうだったのですが、こういった集まりで見知らぬ人と出会うのが苦手で、という人だっていることでしょう。一つの形式にとらわれずに、様々なスタイルで青年たちが教会につながってくれていることを期待すると同時に、教皇様が言われるように、青年は未来の教会の担い手なのではなくて、今の教会を作り上げている力なのですから、その力をまさしく「今」発揮していけるような教会共同体でありたいと思います。

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そして今回37回目となったネットワークミーティングのテーマは、なんと召命。「灯して照明!応えて召命!」でありました。

もちろん召命は、司祭や修道者だけのことではなく、キリスト者としての召命全般のことを指しています。今回の集まりでの出会いによって、それぞれの青年たちが、自らに固有の召命に目覚め、司祭や修道者を含めて、それぞれの呼ばれている道を力強く歩み始めてくれることを、こころから願っています。

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そして翌9月22日の日曜日は、都内の江戸川区にある葛西教会の創立50周年ミサでした。

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葛西教会は、聖アウグスチノ会に司牧が委託されている教会です。現在の主任司祭は、フィリピン出身のアウグスチノ会員ジェス神父。日本の責任者である柴田神父様をはじめ、大勢の司祭が参加してくださいました。またこの教会出身の二人を含め、司牧を手伝ってくださる女子修道会の方がたを含めた奉献生活者も、大勢参加。これからも司祭や修道者の召命が、豊かに与えられるように祈ります。(上の写真、右がジェス神父、左が柴田神父)

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葛西教会の皆さん、50周年おめでとうございます。そしてこれから、次の100周年を目指して、さらに豊かな教会共同体となりますように。また準備してくださった皆さん、素晴らしいお祝いでした。感謝。

以下、当日のお話の内容と少し離れますが、説教の原稿です。

葛西教会が誕生して50年が過ぎました。

1969年の松江教会献堂にはじまり、その後1985年に葛西教会の献堂を経て現在に至るまで、宣教と司牧に献身的に取り組んでこられた聖アウグスチノ修道会のみなさまに、心から感謝するとともに、お喜びを申し上げます。また、この50年の間、宣教師たちとともに教会共同体を育て上げてきた葛西教会の信徒の方々に、心から感謝申し上げます。

今日お集まりの皆さんの中には、50年前、どのような思いを胸に抱きながら、新しい教会の誕生に立ち会ったのか、まだはっきりと記憶しておられる方も多くおられると思います。また34年前の葛西教会の献堂をはっきりと記憶しておられる方も、大勢おられることと思います。あっという間の50年、また34年であっただろうと思いますし、同時にその間には、語り尽くせぬほどの多くの出来事があったことだと思います。

「あなた方は神と富とに仕えることはできない」と先ほど朗読された福音の終わりに記されていました。自らが仕える主人として、神を選択するのか富を選択するのかをイエスは迫っています。

教皇フランシスコは、「福音の喜び」の中で、現代社会が直面する課題の一つとして経済の格差を上げ、「排他性と格差のある経済」は「「人を殺します」とまで指摘されます(53)。

その上で、経済の優位性を最優先する現代社会には、「倫理の拒否と神の否定が潜んでいる」と指摘されています。

わたしたちがイエスの福音に習って生き、その喜びを告げ知らせようとしているこの日本の社会は、いったい何を優先させているのでしょうか。教皇が指摘されているように、もしこの社会にも「倫理の拒否と神の否定が潜んでいる」のであれば、教会共同体は、神に至る道を選択するようにと告げしらせる努力をしなければなりません。教会に与えられた福音宣教の使命です。

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わたしたちは、教会というのは単に聖堂という建物のことだけを指しているのではないことを良く知っています。第二バチカン公会議は教会憲章は冒頭で、教会とは何かを教えてこう記しています。

教会は、「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」です(教会憲章一)。
ですからわたしたちは、この地域社会にあって「神との親密な交わりと全人類の一致のしるし」となるために存在する「神の民」であって、この「神の民」は、「神との親密な交わりと全人類の一致」をもたらす道具でなくてはなりません。

教会はその存在を通じて、「神との親密な交わりと全人類の一致」に生きるとはどういう生き方を選択するのかを示していかなくてはなりません。わたしたちはそれを、自らの言葉と行いで成し遂げます。社会に対して共同体として、神との親密な交わりに生きるとは、人間が生きる上でいったいどのような価値観を優先するべきなのかを明確に示さなければなりません。教会共同体は、わたしたちは「神と富とに仕えることはできない」ということを、明確に証しする存在でなければなりません。

神を選ぶことなく、神から離れた社会は、人間の存在の根本である生命に対する戦いを挑んでいます。
それは例えば、相模原市の津久井やまゆり園での障害者に対する殺傷事件です。

犯行に及んだ元職員の青年の、「重度の障がい者は生きていても仕方がない。安楽死させるべきだ」などという主張に賛同する人も少なくありません。すなわち、わたしたちの社会には、役に立たない命は生かしておく必要はないと判断する価値観が存在していることを、この事件は証明して見せました。

さらには、この数年、少子化が叫ばれているにもかかわらず、せっかく与えられた命を生きている幼子が、愛情の源であるべき親や保護者の手で虐待され、命を暴力的に奪われてしまう事件も相次いでいます。

もっと言えば、1998年をはじまりとして、わたしたちの社会では毎年2万人から3万人を超える方々が、何らかの理由で自ら命を絶つところまで追い詰められてきました。

また社会全体の高齢化が進む中で、高齢者の方々が、孤独のうちに人生を終えるという事例もしばしば耳にいたします。誰にも助けてもらえない。誰からも関心を持ってもらえない。孤立のうちに、いのちの危機へと追い詰められていく人たちも少なくありません。

孤独のうちに希望を失っているのは高齢者ばかりではなく、例えば非正規雇用などの厳しさの中で、不安定な生活を送る若者にも増えています。加えて、海外から来日し、不安定な雇用環境の中で、困難に直面している人たちにも、出会うことが増えてきました。

わたしたちが生きている現実の世界は、残念ながら、神から離れる道を選択し続けています。

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教皇フランシスコは、使徒的勧告「福音の喜び」において、教会は「出向いていく教会」でなければならないと言います。出向いていく教会は、「自分にとって快適な場所から出ていって、福音の光を必要としている隅に追いやられたすべての人に、それを届ける勇気を持つよう招かれている」教会です。

日本の教会はいま、とりわけ地方の教会において、少子高齢化の影響を大きく受けて、どちらかと言えば規模の縮小期に入っています。そういうときに私たちはどうしても、いまあるものを守ることを優先して、後ろ向きの積極性を発揮してしまいがちです。積極性は前向きに発揮しましょう。 

教皇フランシスコは、かつてブエノスアイレスの教会で司祭や信徒に対して語った言葉を、使徒的勧告の中で繰り返しておられます。

「私は出て行ったことで事故に遭い、傷を負い、汚れた教会の方が好きです。閉じこもり、自分の安全地帯にしがみつく気楽さ故に病んだ教会より好きです。中心であろうと心配ばかりしている教会、強迫観念や手順に縛られ、閉じたまま死んでしまう教会は望みません」

教会創立50年という節目に、わたしたちの教会共同体のあり方を今一度見つめ直してみましょう。わたしたち一人ひとりの、福音を生きようとする姿勢を見直してっみましょう。
わたしたちは神との親密な交わりと一致のしるしであり、道具となっているでしょうか。
わたしたちは社会において、神の道を指し示しているでしょうか。
わたしたちは後ろ向きではなくて、前向きの挑戦を続ける積極性を持っているであるでしょうか。
わたしたちは失敗を恐れずに、挑戦し続ける教会でしょうか。
わたしたちは困難に直面し、いのちの危機にさらされている多くの方々に、寄り添いともに歩もうとする共同体でしょうか。

勇気を持って福音を告げしらせる共同体と成長していくことができるように、次の50年を見据えながら、聖霊の導きに教会共同体をゆだねましょう。

 

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2019年9月21日 (土)

秋田の聖母の日2019@聖体奉仕会

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今年で5回目となりますので、そろそろ恒例と呼んでもいいものだと思いますが、秋田の聖体奉仕会を会場に、秋田の聖母の日の祈りの集いが、9月14日と15日に開催され、300人近い方々が、全国は言うに及ばず世界各地から参加してくださいました。

聖体奉仕会は、新潟教区認可の奉献生活者の会ですが、会員が祈りの生活を営む場であり、また聖母の御像に関する奇跡的な出来事があった場であります。新潟教区は、わたしの前々任者である伊藤庄治郎司教が、1984年4月22日に発表された司牧書簡を引き継いでおり、その書簡によって奇跡的な出来事を認め巡礼が許されています。

わたしは今回は、東京教区のカテキスタの認定式があった関係で、少し遅れて秋田に入りましたので、15日日曜日のミサを教区管理者として司式させていただきました。特別な機会ですので、主日ではありますが、悲しみの聖母の記念日のミサを捧げました。

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同日のミサにはポーランドからの巡礼団の司祭や、ベトナムからの司祭も加わり、世界各地から訪れてくださった皆さんと、祈りをともにすることができました。

できれば来年の秋田の聖母の日が行われる頃には、新潟の新しい司教が誕生していてほしいとは思いますが、同時に、一度マリア様に捕らえられると離してもらえなくなるので、わたし自身は来年以降も、少なくとも一日だけでも参加させていただこうと思います。

より多くの方がこの聖なる祈りの場を訪れ、聖母の取り次ぎを祈りながら、回心の道を歩まれますように。

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以下、9月15日のミサの説教の原稿です。

苦しみはいったい何のためにあるのか。

わたしたちが生きている現実には、ありとあらゆる困難が存在しており、様々な意味で苦しみを生み出しています。また理不尽な出来事に翻弄されたり、大きな災害によって人知を遙かに超える苦しみや悲しみに見舞われることさえあります。この数年は、大切な賜物である人間の生命が、まるでもてあそばれているとでも言うような仕方で暴力的に奪い取られる理不尽な事件も続発しています。

理不尽な現実を目の当たりにするとき、どうしてもわたしたちは、「なぜ」という疑問を口にいたします。

2011年の4月に、子どもたちの質問に答えるテレビの企画で、教皇ベネディクト16世は、日本の少女からの質問を受けられました。
東北の大震災を体験した直後のことです。少女は、「なんで子どもも、こんなに悲しいことにならなくてはいけないのですか」と教皇に質問しました。

それに対してベネディクト16世は、「他の人たちが快適に暮らしている一方で、なぜ皆さんがこんなにたくさん苦しまなくてはならないのか? 私たちはこれに対する答えを持ちません」と、正直に応えられました。

その上で、「でも、イエスが皆さんのように無実でありながらも苦しんだこと、イエスにおいて示された本当の神様が、皆さんの側におられることを、私たちは知っています。・・・神様が皆さんのそばにおられるということ、これが皆さんの助けになることはまちがいありません。・・・今、大切なことは、『神様はわたしを愛しておられる』と知ることです」

教皇ヨハネパウロ2世は、1984年の贖い聖年に当たって発表された書簡「サルヴィフィチ・ドローリス」において、苦しみの意味を考察されています。

教皇は、「神は御ひとり子を、人間が悪から解放されるために世に与えられた」と指摘し、その中に、「苦しみについての決定的、絶対的な見地が」示されていると述べています。

御子は、神が愛される人間の救い、すなわち贖いのために、罪と死に打ち勝たなくてはならなかった。そのための戦いが、イエスの人間としての苦しみの生涯なのだというのです。

ベネディクト16世が日本の少女に言われたこと、「イエスが皆さんのように無実でありながらも苦しんだこと」の理由は、神が人間を愛しているからに他ならず、その愛のために、イエスは苦しみ抜かれ、ご自分を贖いの生け贄として十字架上で御父にささげられました。

聖母マリアの人生は、母として、イエスの苦しみの人生に寄り添う生涯でありました。
イエスとともに歩む時の始まりに当たって、シメオンは、「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」と預言します。すなわち、神の愛を実現しようとするイエスには、悪に基づく様々な抵抗があり、罪と死に打ち勝つための苦しみに彩られた生涯が待ち構えているが、聖母もまた一緒に、その苦しみを体験し、「心を刺し貫かれる」というのです。

聖母マリアは、イエスとともに歩む時の終わりである、イエスの十字架上の苦しみにも寄り添いました。
教皇ヨハネパウロ2世は、先ほどの書簡の中で、「キリストの傍らの最も崇高な場所で、いつも聖母が、一生涯を通して、この特別な苦しみの福音を模範的にあかししながら生きてこられた」と述べています。

キリストの生涯は、苦しみが、人類の救いのための力を生み出すことを教えています。

教皇ベネディクト16世は、「希望による救い」のなかに、真の人間の価値をこう指摘されます。
「人とともに、人のために苦しむこと。真理と正義のために苦しむこと。愛ゆえに、真の意味で愛する人となるために苦しむこと。これこそが人間であることの根本的な構成要素です。このことを放棄するなら、人は自分自身を滅ぼす(「希望による救い」39)」

苦しみは、希望を生み出す力であり、人間が真の神の価値を持って生きるために不可欠な要素です。苦しみは、神がわたしたちを愛されるが故に苦しまれた事実を思い起こさせ、神がわたしたちを愛して、この世で苦しむわたしたちと歩みをともにされていることを思い起こさせます。

聖母マリアは教会の模範であります。ですから教会は聖母と一致して、先に模範を示された聖母に倣い、キリストの苦しみにともに身をゆだねます。

聖母マリアは、一人ひとりの信仰者にとっても模範であります。「お言葉通りにこの身になりますように」と天使に応えた聖母は、すべてを神にゆだねる謙遜さの模範を示されました。わたしたちはその謙遜さに倣い、神の計画に身をゆだねる勇気を願いたいと思います。

聖母マリアは、わたしたち一人ひとりの霊的な母であります。真の希望を生み出すために苦しみを耐え忍ばれたイエスに、身も心も併せて歩みをともにされた聖母に倣い、わたしたちも、主イエスの苦しみにあずかり、真の希望への道を切り開いていきたいと思います。

教皇ヨハネパウロ2世は、苦しみについての考察を終えるにあたって、ただ漫然と苦しみに耐えていれば良いというわけはではないことも、指摘することを忘れてはいません。漫然と耐えているだけでは、この世における神の国の実現はあり得ないからです。そこで、教皇は、教会が「善きサマリア人」に倣って生きるようによびかけ、「我々お互いの関係は、苦しむ隣人の方に向かわなければならない」と指摘します。

その上で、教皇は「苦しみは、また、人間の人格の中で、愛を誘発するために存在している」とまで述べて、困難に直面する人たち、苦しみのうちにある人たちへ、徹底的に自己を与え尽くすことによって奉仕し、寄り添うことが必要であると説きます。苦しみの福音は、善きサマリア人としての生きたとを通じて、常に希望へと方向付けられるのです。

わたしたちは今日、イエスと苦しみの生涯をともに歩まれた聖母の悲しみを記念しています。聖母の悲しみは、ただ悲嘆に暮れる悲しみではなく、希望に向かって歩み出すための力を生み出す苦しみであります。困難に直面する人たちへと、わたしたちのまなざしを向ける苦しみであります。

聖母に倣って、社会の現実の中で、主イエスの耐え忍ばれた苦しみを心にとめ、主と歩みをともにしながら、希望を生み出すために力をいただき、手を差し伸べる存在であり続けましょう。 

 

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2019年9月18日 (水)

教区カテキスタ認定・任命ミサ@東京カテドラル

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9月14日の土曜日、一年間にわたる養成講座を修了した26名の信徒の方が、東京大司教区のカテキスタとして認定され、さらに来春からの実際の活動へと任命・派遣されるミサが、東京カテドラルの地下聖堂を会場に行われました。地下聖堂にはスタッフとして協力してくださった信徒の方々、カテキスタとして認定される方々の友人や家族、そしてカテキスタの方々の所属教会の司祭など、多くの方が集まってくださいました。

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ミサの最中に、カテキスタとして認定された方々は、信仰宣言と決意の表明の後、ひとりひとりに認定書と任命書が手渡されました(写真は委員会の担当者である猪熊神父様が用意してくださった、認定書と任命書。個人の名前や、派遣先については画像を加工してあります)。

またミサに先立って、わたしが一時間ほど講話をさせていただき、その終わりには、講座の修了証もお渡ししました。カテキスタとして認定された方々は、今度は来春から、協力してくださる小教区に派遣され、そこで求道者の要理教育など信仰養成に具体的に関わることになります。

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初めての挑戦ですから、いろいろとあらためなくてはならないことが出てくるものと思います。教区の将来を考えるとき、司祭とともに信仰養成に関わってくださる方々の存在は不可欠だと思います。今回は26名もの方々が参加してくださいましたが、次期の講座には10名ほどの申し込みがあるそうです。毎年10名ほどの方が参加してくださると、長期的な視点から、小教区における信仰養成を考えていくことが可能になると期待しています。担当者である猪熊神父様には、一年間本当にご苦労様でした。感謝しています。これからもさらに充実させた講座を継続して行かれますように、また実際に現場で取り組むカテキスタのシステムがより良く運営されるように、猪熊神父様にはさらなるご尽力をお願いいたします。

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以下、今回のカテキスタ養成講座に至った考え方をまとめた、養成委員会のメンバーである高木賢一神父の一文を、教区ニュースから転載します。

『2013年の「信仰年」をきっかけに、東京教区では、再度、生涯養成委員会が立ち上がりました。  

その際、10年後の東京教区の在り方を見据えると、これからの教区では、様々な試みが求められるであろうことが見通されました。信徒たちが信徒を養成する必要性が生まれることは容易に想定されましたが、これを実現するための準備に費やすべき時間が、これから、どれ程かかるかと考えると、そのための具体的な対応は急務であるという理解に至り、生涯養成委員会において、具体的な準備を進めることになった次第です。  

そのような理解のもとに生まれた分科会の一つが、「ウェルカム・テーブルを考える会」です。  
当初、生涯養成委員会の中には、もう一つの分科会である「入門講座担当者養成講座」というグループがあり、その目指す内容は、「信徒が信徒を養成することができるようになるための準備」ということに、軸足が置かれていました。  

しかし、議論の回数を重ねるうちに、まず、「司祭の数が減っていく中で、一人の司祭が、複数の教会を担当し、主日ミサの司式に専念せざるを得ない状況で、司祭単独で、どこまで、新しく教会を訪れた人たちに関わることができるのだろうか? 自ずと限界が顕わになってくるのではなかろうか?」ということが、懸念されました。  

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次に、「これから司祭が不足して、一つの教会に一人の司祭が常駐できなくなった時が来ると、どうしても、特定の教会に通う求道者が、受洗準備として、要理教育を受けるために、『拠点教会』と呼ばれるような大きい教会に通わざるを得なくなる。しかし、その際、その求道者が、それまで通っていた教会ではなく、その『拠点教会』に属したいと希望するようになると、求道者を送り出した側の教会は、新しく教会を訪れた人たちを、自分たちの仲間として迎える機会が、ますます減っていってしまう。それこそ、『大きい教会は、ますます大きくなり、小さい教会は、ますます小さくなるばかり』という状態にならないだろうか?」ということが、同時に、懸念されるようになったのです。 そこで、

①新しく教会を訪れ、洗礼を希望するようになった求道者を迎えた教会が、その人を信仰生活に導くための機会を提供すること。
②同時に、その時、その人には、教会共同体の一員に加わっているという自覚を持ってもらえるような関わり方をすること。
③その上で、要理教育が行われる「拠点教会」に送り出すためには、どのような教会の在り方が考えられるか? という内容が話し合われることになりました。  

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このような経緯のもとに生まれたのが、「ウェルカム・テーブルを考える会」であり、私たちは、この分科会の名称を字義通りに解釈し、新しく教会を訪れた人を迎えるための「受け皿」を作れば、それで事足りる、とは思っていません。折に触れて、私たちの教会の体質改善も含めた提言をさせて頂きたいと思っております。  

新しく教会を訪れた人たちが、信仰生活へと歩みを続けていくための一連の流れの最初に「ウェルカム・テーブル」があり、その後、具体的な学びの場として、要理教育が提供される。その要理教育を担当することのできる信徒たちの養成をするのが、「入門講座担当者養成講座」であるということなのです。』

 

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2019年9月12日 (木)

マザーテレサの祝日@足立教会。そして堅信式@徳田教会

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9月5日はコルカタの聖テレサの記念日です。コルカタの聖テレサというよりも、マザーテレサの方が聞きなじみある名前ですし、コルカタよりもカルカッタの方が、これまた聞きなじみがあります。マザーテレサが亡くなられて22年。列聖されて3年です。東京で働かれる神の愛の宣教者会のシスターたちと、9月7日の土曜日に、修道院の近くにある足立教会で感謝ミサを捧げました。


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すべての人の命の尊厳を守るために尽くされたマザーテレサの偉業は、あらためてここで語るまでもありません。また世界中の厳しい社会環境の場で、困難に直面する人たちのため、社会から排除された人たちのため、命の危機に直面している人たちのために、ありとあらゆる困難を乗り越えて尽くそうとする神の愛の宣教者会のシスター方の活躍についても、あらためてわたしが語るまでもありません。シスター方の活動に、心から敬意を表したいと思います。また男子のブラザーたちも、山谷で活動を続けておられます。


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すべての人が自分で、マザーテレサや神の愛の宣教者会のシスター方と同じことができるわけではありませんが、その生きる姿勢や関わりから、私たち自身の生き方への指針を見いだしたいといつも思います。

ミサ後には、足立教会の一階をお借りして、参加した皆で昼食会となりました。

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わたし自身はマザーテレサには直接お会いしたことはありません。列福された翌年、2004年の春に、カリタスジャパンの援助プログラムの視察でカルカッタに出かけた際、修道院を訪問して、修道院聖堂に葬られたマザーテレサの墓の前でお祈りを捧げる機会がありました。

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カリタスジャパンの援助プログラム視察で、アジアやアフリカの様々な国へ出かけましたが、どこに行ってもあのブルーのラインが入った白いサリーの修道服に出会いました。これからも主イエスのいつくしみの福音の証し人として、活躍を続けられますように。

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翌、9月8日は、東京都内中野の徳田教会で堅信式がありました。徳田教会は、主任司祭が教区司祭の大倉神父様。同じく教区司祭で、信徒カテキスタ養成を担当している猪熊神父様が協力司祭です。

徳田教会はベタニア修道女会の本部に隣接し、さらに隣はかつての慈生会病院(現在は総合東京病院)です。

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今回は、8名の方が堅信の秘跡を受けられました。そのうちお二人は高円寺教会の方でした。先日の高円寺での堅信式の際には、体調を崩されておられたため、今回合流となりました。堅信を受けられた皆さん、おめでとうございます。

9月8日は、今年は主日と重なったため主日の典礼が優先されますが、聖母の誕生の祝日です。そしてその一週間後の9月15日は、これもまた今年は主日と重なりますが、悲しみの聖母の記念日。聖母マリアが主イエスとともに歩んだ旅路は、常識を越えた苦しみに直面する人生でした。シメオンに告げられたように、イエスの人生も様々な反対に直面する困難の人生ですが、聖母もまたその心が剣で刺し貫かれるほどの苦しみの人生でした。それはイエスの十字架での受難のときまで続きます。つまり聖母は、受難によって罪と死に打ち勝ち、救いの計画を遂行した主イエスに常に寄り添って苦しみをともにされました。

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言うまでもなく、現実社会における様々な困難を、そのままで良いと放置することは、ふさわしいことではないと思います。私たちは神の秩序の実現を、今生きているこの世界でも追い求めたいと思います。同時に、福音を生きようとするとき、目前に示される選択肢には、困難を伴う道と妥協のうちに安楽な道とが含まれていることでしょう。そのようなとき、困難に直面することを厭わなかった主御自身の姿と、「我になれかし」とその苦しみに身をゆだねることを厭わなかった聖母の姿を思い浮かべたいと思います。

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堅信式ミサ後には、信徒会館で、祝賀会が催され、わたしも歌をひとつふたつ披露させていただきました。

 

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2019年9月 2日 (月)

夏は過ぎゆきつつあります

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あっという間に8月は終わり、9月となってしまいました。その9月1日の日曜日、教皇様は新しい枢機卿の任命を発表され、13名の名前を昨日公表されました。そのうち10名が80歳未満で教皇選挙の投票権を持っています。親任式の枢機卿会は10月5日に開かれます。その13名のうちに、以前上智大学でも教えておられたイエズス会員で、ルクセンブルグのオロリッシュ大司教が含まれていました。おめでとうございます。これで、枢機卿団のなかに、前田枢機卿とともに、日本語を話す方がもうひとり増えました。

さて、手遅れになる前に、8月後半の出来事を一興に掲載します。

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8月18日の日曜日は、生まれ故郷である岩手県の宮古教会で主日ミサを捧げてきました。毎年少なくとも一度は、故郷の教会でミサを捧げさせていただいてます。わたしが通っていた教会の幼稚園の先生はまだまだご健在ですし、土曜の夜には同級生やそのあたりの年代の方々と夕食会もあり、旧交を温めました。

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8月22日と23日は、東北の復興支援を行っている仙台教区サポート会議が、今回は南相馬の原町教会で開催されました。22日には福島第一原発の周辺地域を訪れ、東電の廃炉作業に資料館も訪れて、これからの工程について学び、帰還困難区域がまだまだ残る被災地を訪ねました。

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23日には、福島県内で支援活動に取り組んでおられる方々からお話を伺い、その後、いつものような定例会議でこれからについてを話し合いました。福島の地で復興に取り組まれる方々と、各地で避難生活を続ける方々、また廃炉作業に取り組む多くの方々と、様々な命を生きる現実を受け止め、歩みをともにする決意を新たにしました。震災と事故によってもたらされた地域社会の分断は、簡単には修復できない溝を生み出しているように感じました。その修復のお手伝いが少しでもできればと思います。

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8月24日は、日本カテキスタ会の恒例の信仰養成講座で、お話をさせていただきました。日本カテキスタ会は、神言会の故ゲマインダー神父が創設したもので、今年で50年。わたしにとっても大先輩が関わったことですし、わたしの神言会の小神学校進学にも関連しているので、特別な思いがあります。講演は、これからの日本の教会について、お話しさせていただきました。12月には同じ内容で、長崎でも話をするように依頼を受けています。

またこの日の夜には、青山学院大学で、母校である名古屋の南山中学高校の同窓会の依頼で、教皇フランシスコについてお話しする機会もいただきました。

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8月29日から31日は、東京教区の3名の神学生と、2名の養成担当者、そして司教総代理とわたしの7名で、那須の聖ヨセフ山の家を会場に、神学生合宿を行いました。初日は日光まで足を伸ばし、夜にはわたしの講話。二日目は神学生面談の後に、会津の大内宿まで足を伸ばし、その日の夜は養成担当者による講話。朝早くの祈りとミサにはじまって、夜遅くの講話まで、みっちりと詰まったスケジュール。お世話くださったベタニアのシスター方に感謝。

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わたしは最終日一足早く新幹線で帰京し、上智大学へ。今般横浜で開催されたアフリカ開発会議TICADの関連で、外務省やイタリア政府も加わり、立正佼成会と聖エジディオ共同体と上智大学の共催で開催された、「アフリカの新たなビジョン2019」国際会議に参加して、ご挨拶。午後の「白熱教室」では、パネリストのひとりにも加わりました。NGOの専門家の方々の専門性と、会場に詰めかけた立正佼成会の方々の熱気に圧倒されて、あまりまともなコメントができなかったのが悔やまれます。

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そして9月1日は、カトリック教育学会で講演と閉会ミサを頼まれていたので、名古屋の母校、南山大学へ。全国から50名ほどの方々が参加。生命の尊厳について、司教団のメッセージ「いのちへのまなざし」と、わたしのアフリカの体験に基づいて、講演させていただきました。南山大学の教室で話をしたのは、司教になる前に非常勤で教えていた時以来ですので、15年ぶりでした。南山大学は、新しい教室も増え、様変わりしていました。閉会ミサは、わたしが中学一年から大学院までを過ごした、南山大学の隣にある神言神学院の聖堂で。これまた懐かしくミサを捧げさせていただきました。これで8月は終わりました。

というわけで、9月の主な予定です。

  • 9月3日 日本聖書協会会議 (午前中、銀座)
  • 9月5日 常任司教委員会他 (終日、潮見)
  • 9月6日 日本聖書協会理事会 (午前中、聖書協会)
  • 9月7日 コルカタの聖テレサ記念日ミサ (10時半 足立教会)
  • 9月8日 徳田教会堅信式ミサ (10時)
  • 9月9日 教区顧問会他 (終日)
  • 9月14日 教区カテキスタ養成講座修了式 (関口)、秋田巡礼 (聖体奉仕会)
  • 9月15日~17日 秋田巡礼 (聖体奉仕会など)
  • 9月20日 臨時司教会議 (終日、潮見)
  • 9月21日 ネットワークミーティング・ミサ (12時半、千葉、鎌取)
  • 9月22日 葛西教会50周年ミサ (11時)
  • 9月24日 ロゴス点字図書館会議 (午後潮見)
  • 9月25日 新潟教区顧問会
  • 9月26日 WCRP(宗教者世界平和会議日本委員会)理事会 (終日、京都)
  • 9月28日 カトリック聴覚障害者の会全国大会ミサ (13時から、船橋)
  • 9月29日 青梅教会堅信式ミサ (11時)、聖グレゴリオの家40周年ミサ (16時半)
  • 9月30日 司祭月例会 (10時半、関口)、教区会議 (午後、関口)

ところで、このところ香港では非常に不安定な状態が続き、警察と反政府デモとの激しい対立や暴力的鎮圧、また北京政府の介入の恐れなどが報道されているのはご存じの通りです。香港には、わたしも知人や友人が大勢いますから、メールで様々な情報が伝わってきています。非常に心配です。香港教区は、わたしの長年の友人であったミカエル楊司教が今年の1月に病気で亡くなられて以来、司教座空位が続いており、前教区長の湯枢機卿が管理者に任命されています。湯枢機卿は、香港の方々と、香港政府と、北京政府の間の緊張関係の中で、なんとか事態を平和裏に終結させようと、日々仲介の努力をされています。香港のために、祈り続けたいですし、これ以上の混乱がないように、関係者が自制心を持って行動されるように聖霊の照らしを祈っています。

心苦しいのは、近隣の国で起こるこういった事態に対して、そもそも他の国の司教協議会やそれぞれの司教は、現地からの要請がない限り、他の国の政治当局などに対して批判したり呼びかけをしたりすることが許されていないため、今にいたるまで何も言えないことです。加えて中国に関しては、本土に信教の自由を完全には保障されていない兄弟姉妹がいる中で、彼らを困難な状況に陥らせるような外からの発言は、賢明ではありませんから、慎まなくてはなりません。

そうなのですが、しかし今の状況を目の当たりにし、友人たちからの叫びを受け取っているなかで、ただ黙っていることはできません。北京政府は、香港の人々に現在保障されている様々な権利や自由をあからさまに侵害したり、様々な手法を持って制限したり、また暴力的に弾圧することなく、平和裏に共存する道を選ぶように賢明な判断をされることをこころから望みます。自由と民主主義を尊重する世界の多くの国々が、北京政府と香港政府の行動を見つめていることを、リーダーたちが心にとめられことを、真摯に期待します。そして賜物である生命を尊重するキリスト者は、北京政府と香港政府の賢明な判断と行動を求めます。

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2019年8月16日 (金)

聖母被昇天祭@東京カテドラル

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8月15日は様々な思いが去来する日です。470年前に聖フランシスコ・ザビエルが日本に初めて福音をもたらした日であり、ザビエルが日本を聖母に奉献した日でもあります。

74年前には、日本が降伏を受け入れ、戦争が終結することが明らかになった日でもあります。ですから、8月15日は過去の歴史を振り返り、戦争という手段を国家間の争いごとの解決のために選択はしないという決意を新たにする日です。日本の教会は、8月6日の広島の原爆の日からはじまり、9日の長崎の原爆の日とともに、15日までの10日間を平和旬間として、過去に学び、今の生命に生き、将来の平和を祈り続ける『時』としてきました。

わたし自身とっては、3世紀のローマの殉教者である聖タルチシオの記念日でもあります。(現在は聖母被昇天祭の関係で、8月12日に移りましたが、たぶん多くのタルチシオを霊名にいただいている人は、いまでも8月15日に祝っていると思います)

そして、教会にとっては、聖母被昇天祭であります。

『聖母の被昇天の祝日は、1950年に「無原罪の聖母が地上の生涯の終わりにからだも魂もろとも天にあげられた」と教皇ピオ12世によって定義されたように、マリアが栄光につつまれて天国へ上げられたことを祝います。(女子パウロ会Laudateから)』

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東京カテドラル聖マリア大聖堂では、午前10時のミサに続いて、夕方6時からもミサが行われ、夕方のミサは私が司式いたしました。当初の予定では、カテドラル構内で一番歴史の長いルルドの前で祈りを捧げ、そこから大聖堂までロウソク行列をする予定でした。残念ながら、台風の影響で雨が降り、ロウソク行列は取りやめになってしまいました。昨年も強い風が吹いたため、この日の外での行事は中止でしたが、来年の好天に期待しましょう。

ミサは同じ聖マリア大聖堂で祈りを捧げている、カトリック関口教会(小教区)と東京韓人教会(属人小教区)の合同で行われ、ミサ後にはカトリックセンターホールで、納涼会も行われました。参加してくださった多くの方々に感謝します。

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以下、昨晩のミサの説教の原稿です。

「ともに手をとり合って、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか。」

38年前の2月25日、教皇ヨハネパウロ二世は、広島での平和メッセージのなかで、特に若者に対して呼びかけて、そのように述べられました。

第二次世界大戦が終結したものの、ベトナム戦争をはじめアフリカや世界各地での紛争や内戦は頻発し、さらにはイデオロギーの相違から来る東西の対立が深刻となり、全面的な核戦争の可能性も否定できなかった時代に、教皇は「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」と力強く宣言して広島の平和メッセージを始められました。

戦争は、自然発生的に生まれてくるものではなく、人間の意図によって引き起こされるものだからこそ、人間は生命の破壊を避けるために自ら行動することができるのだし、そうしなければならないと、教皇は広島から世界に向かって呼びかけられました。

今わたしたちが生きている38年後の現実は、平和を確立できたのでしょうか。

世界は「ともに手をとり合って、友情と団結のある未来を」実現してはいません。地域紛争は各地で絶えることがなく、自らと異質な存在を排除しようとする動きは消え去るどころか、勢いを増しています。

「窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか」という教皇の呼びかけは、格差が拡大し、教皇フランシスコの言われる「廃棄の文化」と排除が進み、その存在すら無視される人々をさえ世界各地で生み出しています。38年経っても、平和は実現されていません。

かつての戦争で生命を奪われた多くの方々、敵味方に分かれた双方の軍隊にいた人たち、一般の市民、戦場になった地で巻き込まれてしまった多くの方々。理不尽な形でその尊厳を奪われ、暴力的に生命を失った多くの方々の生命への責任から、私たちは逃れることはできません。「戦争は人間のしわざ」だからです。

過去の歴史を振り返り、その生命に対する責任を思う時、私たちの選択肢は、同じ過ちを繰り返さないという決意を新たにする道でしかあり得ないと思います。

あらためて、戦争で亡くなられた数多くの方々の永遠の安息を祈りたいと思います。その上で、国家間の対立を解決する手段は武力の行使ではなく、対話による信頼醸成にしかないことを、世界の政治指導者たちが心に留めてくれるように、神様の導きを祈りたいと思います。対立や排除ではなく、対話と協力の道を選び取る勇気と英知が与えられるよう、国家の指導者たちに聖霊の照らしがありますように。

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本日のルカの福音には、聖母讃歌(マグニフィカト)が記されていました。聖母マリアは、全身全霊をもって神を褒め称える理由は、へりくだるものに目をとめられる主のあわれみにあるのだと宣言されています。

すなわち、神の偉大さは、人間の常識が重要だと判断している当たり前の価値観とは異なっている神ご自身の価値観に基づいて、自らが創造されたすべてのいのちが、一つの例外もなく大切なのだと言うことを、常に具体的行動で示されるところにあるのだと、聖母は自らの選びに照らし合わせて宣言します。

まさしく教皇フランシスコが、神のいつくしみを強調し、誰ひとりとして排除されてよい人はおらず、誰ひとりとしてその存在を無視されてよい人はいないと、常々強調されていることに、聖母の讃歌はつながっております。

勝ち組、負け組などという言葉がもてはやされ、他者を押しのけてさえも、自分の利益や立場を確保することがよいことだとでも言わんばかりの社会に対して、人間の尊厳は神から与えられたいのちを生きていること、その事実にあるのだと言うことを明確に示されています。

自分の力に頼るのではなく、創造主である神の存在の前に謙遜にたたずむときに初めて、神のいつくしみはわたしたちに働きかけることができます。自分が、自分がと、自らの力に頼って生きているときには、神のいつくしみは、あたかもバリアに跳ね返されるようにして、わたしたちに働くことはできません。聖母マリアの選びは、「お言葉通りに、この身になりますように」という、天使ガブリエルへのへりくだりの言葉によって、初めて実現しました。

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教皇パウロ六世は、ベトナム戦争が激化し、東西の対立が鮮明になっていた1969年の聖母月10月に、平和のためにロザリオを祈るようにと呼びかける使徒的勧告を発表され、そこでこう述べておられます。

「『平和の君』、平和のしるしのもとにお生まれになったかた、『平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる』と全世界に向けて宣言された方の母となったのは、ナザレの慎ましいおとめです。福音書はわたしたちに、マリアは人々の必要に敏感な方であると教えています。・・・それなら、わたしたちが心から祈っただけでも、マリアが尊い宝である平和のために仲介しないことなど、どうしてあり得るでしょうか。(レクレンス・メンシス・オクトーベル)」

今日、聖母被昇天を祝っているわたしたちは、同時に世界の平和のためにも祈りを捧げます。それならばこそ、平和の君である主イエスの母であるマリア様に、平和を求めて取り次ぎを祈らないわけにはいきません。聖母讃歌の中で、マリア様ご自身が神の望まれる世界の姿を示唆されたように、その世界が、すなわち神の平和が達成されている世界が実現するように、聖母の取り次ぎを祈りましょう。

パウロ六世は、ロザリオの祈りの重要さを説いたこの文書の続きにこう記します。

「マリアは非常に簡単に『葡萄酒がなくなりました』と知らせ、キリストは大変寛大にこたえました。それならば『平和がなくなりました』と告げるマリアに、キリストが同じ寛大さをお示しにならないことがあるでしょうか」

わたしたちも聖母の取り次ぎに信頼しながら、ひたすら神の平和の実現のために祈り、自らの言葉で神の平和を語り、そして『お言葉通りにこの身になりますように』と応えた聖母に謙遜さを学びながら、神の国の実現のために行動してまいりましょう。

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2019年8月12日 (月)

東京教区の2019年平和旬間行事

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8月6日から15日までの平和旬間ですが、東京教区でも各地で関連の行事が行われています。

教区には平和旬間委員会があり、司祭や信徒の方々が集まって、一年前から様々な企画を練ってきました。今年は、全体のテーマを「平和を実現する人々は幸い」を継続して掲げ、サブテーマとして、正月の世界平和の日の教皇フランシスコのメッセージから、「よい政治は平和に寄与する」を選びました。

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毎年行っている期間中の24時間の祈りのリレーは、今年も見事につながっています。参加してくださっている皆さんに感謝します。祈りのリレーについては、教区のホームページのこちらのリンクからご覧ください。現在、1万5千9百名の方が、延べで参加してくださっています。

教区としては、まず8月10日土曜日の午後2時半から、目白駅から関口までの平和巡礼ウォークが行われました。これは平和行進ほどの大げさなことではなく、平和を思い祈りを捧げながら、三々五々歩いて行こうという企画で、今年からは猛暑の中熱中症を警戒して、短めの目白駅からのコースだけとしました。

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その後午後3時半から、サブテーマに沿って、上智大学の中野晃一先生の講演会。

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そして午後6時から、韓人教会の皆さんと、各地からおいでくださった方々と一緒に、聖マリア大聖堂で私が司式して平和を願うミサを捧げました。

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8月11日の日曜日は、いくつかの宣教協力体で行事が行われ、習志野教会では森司教の講演とミサがありました。私は午前10時から八王子教会に出かけ、辻神父様と一緒に平和を願うミサを捧げました。その後、『貧困と開発と真の発展』をテーマに講演をさせていただきました。

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その11日の夜には、午後6時半から梅田教会に出かけました。

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梅田教会の荒川師の発想で、地域の方々にも平和を考えていただこうと、松下アキラさんの演芸会が催され、トランプ大統領と小泉もと首相の演説を聴きました。着替えの幕間に、私と荒川師で、平和旬間やカトリックの考えについて、話をさせていただきました。演芸会は非常に興味深い内容でしたが、よく笑わせてもいただきました。

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12日の月曜日は、吉祥寺教会で講演会とミサ。午前10時から、大阪の釜が崎で、40年以上にわたって子どもたちの命を守る活動を続けている荘保共子さんの講演会。その後11時半から、吉祥寺教会司祭団と、高円寺の吉池師、荻窪管理者の浦野師などと一緒に、平和を願うミサを捧げました。

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暑い中、ともに平和を考え、平和のために祈ってくださるみなさまに感謝します。まだ15日まで平和旬間は続きます。祈り続けましょう。

以下、10日土曜日の聖マリア大聖堂でのミサの説教の原稿です。

わたしたちは今、戦いのまっただ中にあります。

確かにわたしたちの国は、1945年の敗戦以来、平和憲法を掲げる国家として、武器を取っての戦争とは極力無縁であろうとしてきました。その意味では、曲がりなりにも1945年から今にいたるまで、わたしたちが平和を享受してきたことには感謝しなければ成りません。

しかしながらこの数年、わたしたちの国は武器を手にすることなく進行する戦いのまっただ中にあります。それは、人間の命に対する脅威であり、それを守る戦いであります。

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相模原市の津久井やまゆり園で殺傷事件が発生してから、先日の7月26日で3年目となりました。障がいと共に生きている方々19名が殺害され、20名を超える方々が負傷された凄まじい事件でありました。

その衝撃のすさまじさは、犯行に及んだ元職員の青年の行動以上に、その言葉によってもたらされています。自らの行為を正当化するだけにとどまらず、『重度の障がい者は生きていても仕方がない。安楽死させるべきだ』などと真剣に主張していたと報じられました。加えて、この犯人の命に対する考え方に対して、賛同する意見も、インターネットの中に少なからず見られました。

すなわち、わたしたちの社会には、役に立たない命は生かしておく必要はないと判断する価値観が存在していることを、この事件は証明して見せました。その価値観に飲み込まれるようにして、いのちに対する暴力的行動に走る人が出現し続けています。多くの人の命が一瞬にして奪われる理不尽な事件は、カリタス小学校や、京都アニメーションの事件としても発生し続けています。

いったいわたしたちの社会は、人間のいのちをどのような価値観に基づいてみているのか。大きな疑問を抱かせるような事件であり、人間のいのちが危機に直面していることを直接的に感じさせる事件の頻発でもあります。

さらには、この数年、少子化が叫ばれているにもかかわらず、せっかく与えられた命を生きている幼子が、愛情の源であるべき親や保護者の手で虐待され、命を暴力的に奪われてしまう事件も相次いでいます。報道によれば、年間10万件を超える虐待の報告が全国の児童相談所に寄せられていると言います。

もっと言えば、1998年をはじめとして2011年まで、わたしたちの社会では毎年3万人を超える方々が、何らかの理由で自ら命を絶つところまで追い詰められてきました。この数年は少しは改善したとはいえ、やはり2万人を遙かに超える人たちが、様々な要因から自死へと追い詰められています。

また社会全体の高齢化が進む中で、高齢者の方々が、孤独のうちに人生を終えるという事例もしばしば耳にいたします。誰にも助けてもらえない。誰からも関心を持ってもらえない。孤立のうちに、いのちの危機へと追い詰められていく人たちも少なくありません。

孤独のうちに希望を失っているのは高齢者ばかりではなく、例えば非正規雇用などの厳しさの中で、不安定な生活を送る若者にも増えています。加えて、海外から来日し、不安定な雇用環境の中で、困難に直面している人たちにも、出会うことが増えてきました。

わたしたちの生きているこの国の社会は、実際に武器を使った戦いの中で命が危機にさらされている、例えばシリアなどの中東やアフリカの国々のような意味でのいのちの危機に直面はしていませんが、経済的にある程度安定し政治もある意味で安定している中で、しかし全く異なる状況で命が危機に瀕しています。

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教皇ヨハネ・パウロ2世は、「いのちの福音」の中で、次のように述べられました。
「教会は、いのちの福音を日ごと心を込めて受け止め、あらゆる時代、あらゆる文化の人々への『よい知らせ』として、あくまでも忠実にのべ伝えなければなりません」(1)

その上で、「神の子が受肉することによって、ある意味で自らをすべての人間と一致させた」ことにより、神は「すべての人格には比類のない価値があることを人類に啓示し」たと教皇ヨハネ・パウロ2世は言います。

「人間の尊厳と生命に対するすべての脅威について無関心でいるわけにはいきません」と指摘する教皇は、人間のいのちへの脅威が、「神の子の受肉が救いをもたらすという信仰の根底に影響を及ぼさずにはおかないのです」と警鐘を鳴らされます。

信仰に生きているわたしたちは、命を危機にさらす戦争や紛争、政治的な判断や行動に対して、命を守るようにとの立場からしばしば声を上げています。

しかし今わたしたちは、社会における命に対する価値観それ自体が、人間のいのちに対する脅威となりつつあることを実感しながら、それを守ろうとしなければならないときに生きていると感じます。命を守るための戦いの中に、わたしたちは信仰者として生きています。

今年の平和旬間に当たっての談話の中で、司教協議会会長の高見大司教は、教皇フランシスコの言葉を引用しながら、次のように述べています。

『教皇フランシスコによると、「すべての人の全人的発展」とは、諸国民の間に経済格差や排除がないこと、社会がだれ一人排除されず、だれもが参加できる開かれたものであること、人間の成長発展になくてはならない経済、文化、家庭生活、宗教などが保障されること、個人が自由であると同時に共同体の一員であること、一人ひとりに神が現存されることなどを意味します。平和は、この「すべての人の全人的な発展の実り」として生まれるのです(使徒的勧告『福音の喜び』219)」

『すべての人の全人的発展』は、ただ単に経済的な裕福さを勝ち得ることではなく、それぞれに与えられた命という賜物を、すべての人が十全に生きていくことができるような社会を実現することです。

教皇フランシスコがしばしば強調されるように、誰ひとりとして排除されず、互いに支え合い関心を持ち続ける社会を実現するためには、一人ひとりの命が、その始まりから終わりまで、例外なく大切にされ守られる社会を実現していかなくてはなりません。

私たち信仰者は、この社会にあって、対立ではなく生きる希望を生み出す存在でありたいと思います。排除ではなく、支え合う喜びと安心を生み出す存在でありたいと思います。死をもたらす文化ではなく、命を豊かに育む文化を開花させたいと思います。
人類家族の善と幸福を望んでおられる御父の使者、真のあかし人となれる「平和の作り手」となることができるように、聖霊の導きを祈り続けましょう。

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2019年8月10日 (土)

2019年平和旬間

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今年も日本のカトリック教会では恒例となった平和旬間となりました。広島に原爆が投下された8月6日にはじまり、8月9日の長崎の原爆の日を経て、太平洋戦争の戦闘が終結した8月15日までの10日間。毎年この時期、戦争に巻き込まれることでいのちを落とされたすべての方々の永遠の安息を祈りながら、同じような道を歩むことがないように過去の歴史に学び、政治的な判断を下すリーダーたちに平和をアピールをしながら、神が望まれる世界の構築のために進むべき道はどこにあるのかを、祈りのうちに識別しようとするときであります。

中央協議会のホームページには、次のように解説されています。

「1981年2月23日~26日、教皇ヨハネ・パウロ二世は「平和の使者」として日本を訪問し、多くの人々に喜びと希望を与えました。特に広島では、「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことである」と言われ、日本国内外に平和メッセージを発信しました。戦争を振り返り、平和を思うとき、平和は単なる願望ではなく、具体的な行動でなければなりません。

そこで日本のカトリック教会は、その翌年(1982年)、もっとも身近で忘れることのできない、広島や長崎の事実を思い起こすのに適した8月6日から15日までの10日間を「日本カトリック平和旬間」と定めました」

戦争は、一方的な事由で始まると言うよりも、その地域における国際的な様々な出来事と、国々の関係性と、国内の政治の事情と、国内外の経済の事情などが複雑に絡みあった結果として到達するのであって、確かに歴史の中で何年何月何日に戦争は始まったといえるのかも知れませんが、実際には様々な積み重ねがあって到達してしまう現実です。ですから、その事由は様々あり、その絡み合いは複雑さを増していると思います。だからこそ、ありとあらゆる側面で、何もない平時にこそ、戦争へとつながる可能性を解消し続けていくことが大切なのだと思います。

その意味で、核兵器の廃絶は、その可能性を解消するための、大きな選択であろうと思います。今年の広島でも長崎でも、市長による平和宣言では、核兵器禁止条約への署名と批准を政府に求める言及がありました。政府にあっては、様々な外交的課題がその前に立ちはだかっていることでしょうが、少しでもその理想に近づくように、日々前進する努力を怠らないでほしいと願っています。核兵器を使用したその結果を、広島と長崎の現実がはっきりと教えているのですから、人間のいのちの尊厳を思うとき、それに学ばない道は考えられません。宗教に生きる者として、いのちの尊厳と、超越者の前での謙遜を、主張し続けたいと思います。

2017年11月にバチカンで「核兵器のない世界と統合的軍縮への展望」と題した国際会議が開催されました。その会議で教皇フランシスコは、「核兵器は見せかけの安全保障を生み出すだけだ。…核兵器の使用による破壊的な人道的・環境的な影響を心から懸念する。…(核兵器の)偶発的爆発の危険性を考慮すれば、核兵器の使用と威嚇のみならず、その保有そのものも断固として非難されなければならない。この点で極めて重要なのは、広島と長崎の被爆者、ならびに核実験の被害者の証言である彼らの預言的な声が、次世代への警告として役立つよう願っている」と述べています。(訳は中央協議会HPより)

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今年は、8月5日の午後に広島に入り、夕方には平和公園原爆供養塔前で行われた聖公会との合同の祈りの集いに参加。そこから全国各地から集まった、主に若者が中心となった平和行進に参加して、カテドラルである世界平和記念聖堂まで歩きました。平和行進の先頭は十字架。そして聖公会の主教さんと白浜司教のお二人が、白のアルバを着用して全体をリードされました。宗教者による平和のアピールであることが、はっきりしたように感じます。台風の接近もあり、例年よりは暑さが強くなかったように感じました。

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その後、7時から世会平和記念聖堂で平和祈願ミサ。全国から集まった司教や司祭との共同司式で、司式は那覇教区のバーント司教。

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翌朝は、8時から開催された広島市による平和記念式典に、初めて参加しました。この時間はカテドラルでミサもあるのですが、今年は教皇大使が外交団代表6名の一人として花輪をささげることになり、同行するようにと依頼され、私とさいたまの山野内司教が参加。広島市の職員のかたには、教皇大使に専属で夜遅くから朝早くまでお世話くださり、彼女をはじめ多くの職員の方が各所でこの巨大な平和のための式典運営に力を尽くされており、その平和のための働きに感謝です。

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小雨模様であったため、どちらかと言えば涼しい朝でした。会場には朝7時には入りましたが、多くの方が早朝から列をなして、献花に訪れておられました。厳粛な雰囲気の中、8時15分に黙祷。首相の挨拶や市長の平和宣言に耳を傾けましたが、感銘を受けたのは二人の小学生による平和への誓いでありました。将来を担う世代によって力強く宣言された平和への思いが、これからも現実となり、平和が生み出され希望が生み出されることをお祈りします。

平和記念式典後、今度は新潟教区の保育者研修会のため、大阪・伊丹空港を経て移動した新潟は、晴天で猛暑でありました。

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長崎の原爆の日には、仙台で会議のため出かけることができませんでしたが、8月の1日から3日まで、カトリック医療団体協議会の第三回全国大会のために、長崎へ出かけ、お祈りする機会をいただきました。

カトリック医療団体協議会とは、カトリック医師会、カトリック看護協会、カトリック医療施設協会の三つの公認団体の集まりです。私は現時点では、カトリック医療施設協会の顧問司教で、まもなくカトリック看護協会の顧問司教にもなる予定です。

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全国から250名ほどが参加された大会のテーマは、「永井隆について考える」。長崎で被爆され、自らも負傷しながら救護活動に当たったカトリック医師永井隆は、その後1951年になくなるまで、如己堂で病の床に伏せりながら、様々な著作を通して影響を与えた人物です。

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長崎教区の山内清海師が基調講演。その後、研究者である長崎純心大学の教授であるシスター山田幸子、長崎大学名誉教授の朝長万左男先生、そして永井隆の孫である永井徳三郎永井隆記念館館長の三名によるシンポジウムと続きました。

私は、初日朝、中町教会で開会のミサを司式させていただきました。

なお、今年の平和旬間にあたって、司教協議会会長である高見大司教の談話が発表されています。こちらもぜひご一読ください。中央協議会のホームページのリンクはこちらです。

 

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2019年7月29日 (月)

荻窪、高円寺、そして中国センター

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このところ多忙を極め、また移動していることが多く、司教の日記のエントリーが大変遅れており、申し訳ありません。

前回のポスト以降、7月14日には荻窪教会を訪問し、堅信式を行いました。荻窪教会に出かけるのは、実は東京の大司教になってから二回目です。一回目は、着座式の翌日の日曜日、当時の小教区管理者であった高木師に同行して、サプライズでミサをささげに出かけました。今回は堅信式ミサで、公式の訪問です。現在の小教区管理者は教区事務局長の浦野師です。10名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。ミサ後には、信徒会館で祝賀会も行われました。(写真上が荻窪教会)

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そして次週の7月21日。まず午前中は高円寺教会へ。高円寺教会は、先般、朝ミサの間に司祭館が火災で焼失しました。漏電とみられています。ちょうどミサの間で、主任司祭の吉池師も信徒の方も聖堂におられ無事でしたが、火災はたまたま通りかかった方が通報してくださったそうです。残念ながら全焼で、現在は取り壊して更地になっています。このため主任の吉池師はカテドラル構内に仮住まい中。朝早く、荻窪に向かう浦野師の車に、私と吉池師が同乗して、高円寺教会へ向かいました。一日も早く、司祭館の再建工事がはじまるように準備が進められています。(写真上は高円寺教会。なお聖堂は火災の被害を受けていません)

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この日のミサでは、14名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。ミサには私と吉池師と一緒に、近くに修道院のあるクラレチアン会の梅﨑神父様の、共同司式してくださいました。(写真上も高円寺教会)

そしてこの日は、午後から、上野教会へ向かい、この小教区にあるイエズス会の中国センターでの中国出身の共同体の方々のミサに共同司式で参加しました。中国本土出身の方々が主なメンバーです。ビジネスだったり留学だったり。定住している方も多くおられ、なんと言っても子どもたちが多い。(下の写真が上野教会)

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ここでは、上野教会の主に日本人の共同体と、主に中国人の共同体が、全く別々になることなく、互いに協力し合いながら、小教区が運営されています。

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私は中国語ができないので、この日のミサの司式は、イエズス会の山岡師。中国センターの創立者でもあるディーターズ師(上の写真右端)は、90を超えてもまだまだ元気に共同司式に参加。そして中国センターの責任者である井上神父様(上の写真左端)。

聖歌隊はとてもよく練習を積んできたのでしょう。素晴らしい歌でしたし、侍者の子どもたちも大勢でした。

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ミサ後には、上野教会の一階のホールで、歓迎の集まりを開いてくださいました。子どもたちだけではなく、大人の女性陣も歌とダンスを披露、そしてなんと男性陣のダンス披露では山岡師も参加。写真は、ちょっと公開できないです。(上の写真右が山岡師)

東京教区の共同体の一員としての意識を保ちながら、これからも活力ある共同体を育てていってくださいますように。

 

 

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