カテゴリー「司教の日記」の1845件の記事

2017年9月19日 (火)

フィローニ枢機卿来日

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すでにお知らせいたしましたが、福音宣教省の長官であるフィローニ枢機卿が、9月17日に来日され、その晩18時から、東京の教皇庁大使館において、司教団との最初の集いが行われました。(その模様の写真は、こちらのリンクの中央協のサイトで

当日は台風の接近もあり、九州方面や四国の司教様は参加ができませんでしたが、全国から9名の司教が集まり、大使館の聖堂で聖霊の続唱を歌って、集いを開始しました。

聖歌と祈りの後、フィローニ枢機卿の挨拶と、教皇様からの親書の朗読となりました。親書はイタリア語で書かれていますが、すでに日本語訳ができあがっており、中央協議会のホームページで公開されています。こちらのリンクで読むことができます。日本の司教団に向けた親書ですが、是非日本の教会のすべての方に読んでいただきたいと思います。

この親書の中で教皇フランシスコは、日本の殉教者の歴史に触れ、その殉教者の霊性と信仰をあらためて取り戻しながら、社会の様々な困難に直面し、逃げることなく、「地の塩、世の光」として福音宣教に取り組むようにと励ましを与えておられます。

現在の日本の教会の福音宣教への取り組みに関して、次の様に感謝の言葉も下さいました。

「さまざまな国々から来ている信者たちが日本へ融和するよう促進し、とくに弱い人々の世話にまい進する皆さんに心から感謝しています。文化の発展や諸宗教対話、また自然環境保全などに対する皆さんの働きにも感謝いたします」

教皇様の推進されている、だれ一人として排除されない世界の実現のためへの、日本の教会での様々な取り組みを評価され、また長年の伝統である諸宗教対話の重要性と、そして東日本大震災後の環境全般に関する教会の立場への評価であると感じています。

その上で教皇様は、日本の教会が直面する召命の現象や後継者不足といった挑戦を指摘しながら、次の様に励ましを与えられます。

「神のみ国は、イエスの言われる通り、はじめはほんの少量のパン種のような貧しさをもって現れます。まさしくこのシンボルは日本における教会の現状をよく表しています。イエスはこの小さな日本の教会に、大きな霊的、倫理的使命を託したのです。もちろんわたしは、日本の教会に聖職者や修道者、修道女が少ないこと、また一般信徒の限られた参加に由来する、少なからぬ困難のあることを十分承知しております。しかし、働き手の少なさは福音宣教の使命を弱めるわけではありません。かえってますます宣教熱を高揚し、働き手を絶えず求める好機とさえなるのです」

そして教皇様は、社会の次の様な現実に対して、事なかれ主義やあきらめに逃避することがないようにと指摘されます。

「わたしは日本における離婚や自殺率の高さ、若者たちの間における自殺の多さ、また社会生活から完全に孤立して生活することを選び取る人々の存在(「引きこもり」のこと)、宗教や霊性の形骸化、倫理的相対主義、宗教に対する無関心、仕事や儲けに関する過度の執着などのことを考えています。同様に、これも本当のことですが、経済的に発展した社会は、皆さんの中にも見られるように、新たに貧しい人や疎外者、落ちこぼれる人を生み出します。何もわたしは物質的に貧しい人々だけでを指摘しているのではなく、霊的に、また倫理的に貧しい人々のことも考えているのです」

なお教皇様の親書の最後には、「聖座が承認している教会のいくつかの運動体について」、そのカリスマの理解を深め、福音宣教のわざに積極的に参与させるようにとの呼びかけが記されています。

教皇様が「いくつかの運動体」といわれるのが具体的にどういう団体を指しているのかは定かではありませんが、この数年間の福音宣教省長官と日本の司教団の意見交換を前提として考えれば、これが新求道共同体の道を含めていることは明らかです。

あらためて新潟教区の公式な立場を披瀝することはしませんが、運動体をどのようなかたちでそれぞれの教区の福音宣教に生かしていくのかを判断するのは、その教区の司教の務めであり、それはその教区の司祭・修道者・信徒との交わりの中で行われるものです。教皇様のご指摘にあるとおり、さまざまなカリスマを持った運動体は、普遍教会全体にとって欠くべからざる大切な賜物ですが、それを各地域の教会共同体で、まったく同じように生かすことは不可能です。今後も、地域の実情と、教区内の小教区共同体の実情を考慮しながら、教区共同体との交わりの中で、司牧的な判断を積み重ねていきたいと思います。(新潟教区の公式な立場は、2011年2月1日の日記にあります)

なお枢機卿様は、昨日は福岡で神学生と出会い、今日は長崎、明日は広島、その後大阪に行かれ、金曜日には仙台に向かわれます。金曜日は平賀司教様や幸田司教様と一緒に私も同行して、南相馬あたりまでいくことができればと思います。金曜日は午後6時半から、仙台のカテドラルで枢機卿様を迎えてのミサが予定されており、私も共同司式させていただきます。その後土曜日には東京で神学生と出会い、日曜日の夕方には日本の司教団と一緒に関口のカテドラルでミサ。翌25日の月曜には、丸一日、日本の司教団と、教皇様の親書に基づいて、福音宣教の課題についての話し合いが行われる予定です。

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2017年9月16日 (土)

秋田の聖母の日@聖体奉仕会(9/19に写真を追加)

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第4回目となる秋田の聖母の日が、9月14日と15日、秋田市内の聖体奉仕会で開催されました。今年は両日とも、500人を超える方々が参加してくださり、天気にも恵まれて、マリア様とともに祈りの時間を過ごすことができました。

今年は1917年にポルトガルのファティマで、三人の牧童に聖母が後出現になってから100年という記念の年です。今回の秋田の聖母の日には、この100年を記念して制作されたファティマの聖母像のレプリカが、教皇庁大使館の協力によりやってくることになりました。教皇庁大使館を代表して、オビエジンスキー代理大使が参列くださいました。

木製のマリア像は、今回の記念にファティマで公式に制作された数体のレプリカの一つで、ポーランドの篤志家が寄付をしたことによって、日本にやってきました。このあとこのマリア像は名古屋などを巡回し(すでに出発)、広島教区のカテドラル幟町教会に安置される予定になっています。

今回はこのファティマの御像と、秋田の聖母像の両者を中心に祈りの時が進められました。

14日は午後2時半からロザリオの祈りと十字架の道行き。参加者が多く、一度に全員が聖堂に入りきれないため、グループを分けて、聖堂内のロザリオとお庭の十字架の道行きを同時に初めて、交互にグループ入れ替えとなりました。

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その後午後3時半過ぎから、わたしの講話。今年は、司教団メッセージ「いのちへのまなざし」について、一時間ほどお話しさせていただきました。今の日本において、そして世界において、神からのたまものである命を守り、その尊厳を多くの人に伝え、さらにその使命である相互の助け合いという生き方を証ししなければ、教会の現代社会における存在意義はありません。聖ヨハネパウロ2世の「いのちの福音」も引用させていただきましたが、いのちの尊厳について語ることは、私たちの信仰の基本、一丁目一番地です。いのちの尊厳を脅かすありとあらゆる人間の業に反対の声を上げるだけではなく、同時にそういう状況の中に追いやられ苦しんでいる人々に寄り添い、さらにはそういった状況を生み出す人間の生き方の姿勢や社会の構造的罪を問い続けていかなくてはならないと思います。

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講話の後、16時半頃から十字架称賛の祝日のミサ。わたしが司式し、説教はオビエジンスキー代理大使でした。(イタリア語の説教で、日本語訳がありました)説教ではファティマの出来事についてその歴史と現代的意味が説明されました。

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翌15日は午前9時からファティマの聖母の崇敬式に続いて聖体降福式。その後、全員で庭に出て、歩きながら二列になってロザリオの祈り。子羊の苑の真ん中にはファティマの聖母像が安置され、それを囲んでロザリオを唱えました。祈りの後には、御像を中心にして記念撮影をする人が大勢おられました。

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最後に10時半からのミサ。この日は地元のテレビ局も取材に来ており、夕方のニュースで映像が流れました。悲しみの聖母の記念日のミサはわたしが司式し、秋田地区長のクジュール師(神言会)が日本語と英語で説教をされました。クジュール師は、聖母の七つの悲しみについて、わかりやすく解説してくださいました。

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なおこの日のミサには、ちょうどこの日88歳の誕生日を迎えられたオズワルド・ミュラー神父様も、車いすで元気な姿を見せてくださいました。神言会会員のベテランのドイツ人宣教師です。現在は秋田で引退されておられます。

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多くの方の参加に感謝します。来年もまた、9月14日(金)と15日(土)に、聖母とともに祈るこの催しが続けられます。どうぞご参加ください。

(9月19日追記:広島でのファティマの聖母像安置のミサは、10月25日水曜日の午後6時から幟町教会で、世界平和祈願ミサとして、私も含め多くの司教が参加して行われます。)

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2017年9月11日 (月)

福音宣教省の長官が来日されます

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聖座(ヴァチカン教皇庁)の部署の一つである福音宣教省の長官であるフェルナンド・フィローニ枢機卿が、日本の司教団の招きを受けて初めて来日されます。

9月17日から26日までの滞在ですが、来日中のスケジュールについて、カトリック中央協議会から正式に発表がありましたので、こちらのリンクからご覧ください

中央協議会の発表にもあるとおり、9月24日(日)の17時から、東京の関口教会(カテドラル)において、日本の司教団とミサを共同司式されます。

福音宣教省は「バチカンの省の1つで、全世界の福音宣教、とくに宣教地と呼ばれる地域のカトリック教会(日本の教会も含む)の活動を支援し、援助することを任務にしています」(中央協議会HPより)。また日本カトリック神学院も福音宣教省の管轄下にあるので、長官は福岡と東京の両キャンパスを訪問され、神学生と交流と祈りのひとときをもたれます。

また仙台も訪れて、東日本大震災の被災地を訪問され、仙台のカテドラルでもミサを共同司式されます。仙台の訪問には、わたしも同行する予定でおります。

フィローニ枢機卿は、もともと聖座の外交官で、イラクの教皇大使を務めていたときには武力衝突のさなか、多くの外交官が退去される中、バグダッドに残り続けたと聞いています。フィリピンの教皇大使を務めた後、国務省の次官となり、その後2011年から福音宣教省の長官となられました。わたしも現在、福音宣教省の委員を務めさせていただいております。

フィローニ枢機卿とは、これまでにも日本の福音宣教の課題について、さまざまな意見の交換がありました。これまで日本に来られたことがないということで、是非日本の教会の現状を知っていただきたいと考え、司教団が今年の臨時司教総会(9月25日から29日)にあわせての来日をお願いしていたものです。長官の来日が実り豊かなものとなるように、お祈りをお願いいたします。(写真は、2015年の福音宣教省総会の時に撮影したものです)

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2017年9月10日 (日)

信仰養成講座開催@新潟地区

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毎年秋口になると、新潟地区信徒協の主催で、地区の信仰養成講座が開催されます。この数年間、私が二回の連続講話を担当してきました。ちょうど毎年のように取り上げるべき教会の文書があり、第二バチカン公会議の諸文書や、教皇様の回勅などを紹介する講座を続けてきました。

今年の講座は、講師である私の都合で、いつもより早い開催になってしまい、この9月2日と9日土曜日に、新潟教会で行われ、どちらにも50名を超える方が参加してくださいました。まだ暑さが残る時期で、また新潟教会のセンター二階ホールにはエアコンがないため、参加してくださった方々には、学習環境としてはよくないなかでの開催となり、大変申し訳ありませんでした。

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さて今年の講座は、先頃司教団が発表した「いのちへのまなざし」というメッセージを取り上げました。いのちを守るということは、私たちの信仰にとって最も重要な課題です。いのちは神から与えられた賜物であり、神の似姿として、そして善いものとして創造されたがために「尊厳」があり、そして一つ一つのいのちには、神が託した「使命」があります。

尊厳ある神からのたまものであるが故に、いのちはその始まりから終わりまでまもられなくてはなりません。さらに私たちの信仰は、いのちがこの世界だけで終わるものではなく、キリストの死と復活にあずかることによって、永遠のいのちへとつながるものであり、したがって、神と相まみえる永遠のいのちの世界への希望を生み出す人生が歩まれなければならないと考えます。

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残念ながら、私たちがこのいのちを生きる現実には、神が一人一人に託した使命の実現を阻む壁があり、いのちの尊厳を蔑ろにしようとする状況が存在しています。さらには人生から希望を奪おうとする状況もあり、それらをいのちを創造されたか神の側から見るならば、悲しみに満ちあふれているのではないでしょうか。

いのちを人間の都合で奪い取ろうとする様々な社会の状況に対して、勇気を持って立ち向かっていかなければならないと思います。同時に、そういった社会の現実の中で翻弄され、失われたいのちへの悲しみに生きている多くの人たちに、希望を生み出す優しさに満ちあふれた社会を造り出していきたいと願います。

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今年は、9月2日の一回目の講座の際に、師イエズス修道女会のシスター方が、聖品の販売に訪れてくださいました。師イエズス修道女会といえば、東京、大阪などで、典礼センター「ピエタ」を運営されており、よくお世話になっている方々です。新潟までの訪問販売の機会を設けてくださり、感謝いたします。

また昨日の2回目では、新潟教会の有志の方々が、ケーキやプリンなどのお茶菓子の販売をしてくださいました。これはいつも新潟教会の日曜ミサの後に行われている活動で、売り上げはカリタスジャパンを通じて東日本大震災復興支援のために寄付されるということです。

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2017年9月 8日 (金)

あらためて聖地巡礼へのお誘い

まもなく締め切りの日が近づいていますので、あらためてイスラエルとヨルダンの聖地巡礼へのお誘いです。

出発は11月2日(木)の夜10時頃。成田空港からです。帰国は11月11日(土)の夜7時過ぎに、同じく成田空港。旅行の手配は、今回もパラダイス社にお願いをしています。

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今回の巡礼では、まずガリラヤ湖を中心に、ティベリアで3連泊。その後一泊二日で国境を越えヨルダンを訪れます。その後イスラエルに戻り、エリコに一泊。その後ベトレヘムに2連泊しながら、エルサレムなどを巡礼します。現地では、日本人のガイドに聖書に基づいた詳細な案内をお願いしています。

聖地巡礼に興味のある方。まもなく締切りになります。まずは一度、パラダイス社にお問い合わせください。

電話は045-580-0023(営業時間は、月曜から金曜まで、9時半から18時まで)。FAXは045-580-0024。メールでのお問い合わせは、mary@junrei.co.jpまで。担当は村上さんです。

もちろんわたしが同行し、毎日聖地の各所で、一緒にミサを捧げて祈ります。まずは一度、問い合わせを。

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2017年9月 1日 (金)

被造物を大切にする世界祈願日(まもなく)

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教皇フランシスコは、回勅「ラウダート・シ」を発表されたことで、教会がエコロジーの課題に真摯に取り組むことの大切さを強調されました。その啓発と霊的深化のため、毎年9月1日を「World Day of prayer for the Care of Creation」と定められました。日本の教会はこの祈願日の名称を、「被造物を大切にする世界祈願日」と翻訳し、9月1日は平日にあたることも多いことから、その直後、9月の第一日曜日をその祈願日として定めました。今年は、明後日、9月3日が、日本における祈願日となります。

教皇様のエコロジーへの配慮とは、単に気候変動に対処しようとか温暖化を食い止めようとかいう課題にとどまってはいません。「ラウダート・シ」の副題として示されているように、課題は「ともに暮らす家を大切に」することであり、究極的には、「この世界でわたしたちは何のために生きるのか、わたしたちはなぜここにいるのか、わたしたちの働きとあらゆる取り組みの目標はいかなるものか、わたしたちは地球から何を望まれているのか、といった問い」(160)に真摯に向き合うことを求めています。

そのために必要な課題を、教皇様はこう指摘されています。

「あらゆるものは密接に関係し合っており、今日の諸問題は、地球規模の危機のあらゆる側面を考慮することの出来る展望を求めています。それゆえここで、こうした危機の人間的側面と社会的側面を明確に取り上げる総合的なエコロジーの、様々な要素を考察していきましょう。」(137)

共通の家で発生しているすべての課題が教会(そして全人類)の取り組みの対象なのであって、総合的に考察することの重要性を回勅は強調しています。

そう考えるとき、総合的エコロジーへの取り組みとは、すなわち、神の平和を確立する取り組みでもあると言い換えることができます。教皇ヨハネ23世の『地上の平和』は、次のように始まります。

「すべての時代にわたり人々が絶え間なく切望してきた地上の平和は、神の定めた秩序が全面的に尊重されなければ、達成されることも保障されることもありません」(「ヨハネ23世地上の平和1)

すなわち、平和とは単に戦争や紛争や武力対立がない状態なのではなく、神が望まれる秩序がまもられ確立されている状態を指すのであって、そうであればこそ、被造物への暴力的姿勢、また環境破壊の問題も、究極的には「平和」の問題であると考えられます。

総合的な被造物の問題を取り扱うことが平和の確立への道である。そうであるからこそ、教皇様は先頃、「総合的人間開発促進の部署(仮訳)」を聖座に設立されました。これまで別々に課題に取り組んでいた、正義と平和、難民移住移動者、開発援助促進、保健従事者の各評議会を発展吸収してできあがった部署です。神の秩序の確立を妨げるあらゆる被造界の課題に対処しようという教皇様の姿勢の表れであって、これまで存在していた評議会が無用になって解散になったわけではありません。総合的視点から、そういった問題すべてを包括して、さらなる取り組みの強化の姿勢を明確にしているのです。

昨今、日本においても気候変動の影響を直接に感じるようになりました。そういった現実を前にしたとき、私たちはどういう姿勢で生きていけばよいのでしょう。回勅にはこういう指摘があります。

「自己満足と呑気な無責任さを助長する、見せかけの、表面的なエコロジーが広がりつつあることが指摘できます。往々にして勇気ある決断が必要とされる深刻な危機の時代にそれは生じ、起きていることがまだ明確ではないとの考えに流されています。汚染や悪化のいくつかの徴候は別として、表面的に見るならば事態はそれほど深刻に見えませんし、地球は当分今のままあり続けるのかもしれません。」(59)

「そうした言い逃れは、現今のライフスタイルと、生産および消費のモデルとを保つためのものです。見ないでおこう、認めないでおこう、重要な決断を先延ばしにしよう。なかったことにしよう。これが、自己破壊的な悪徳を勢いづかせるために人間がとる方策です。」(59)

教皇様は『ライフスタイルの改革』と『エコロジカルな回心』を呼びかけられています。世界祈願日にあたり、あらためて、私たちは何のためにこの共通の家にいのちを与えられているのか、神から託された使命は何であるのか、すべてを創造された神に対する責任は何であるのか、祈りのうちに考えてみたいと思います。

 

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2017年8月26日 (土)

姫路から仙台まで

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今週は火曜日から姫路へ移動、そして金曜日が仙台と、移動の一週間でした。

姫路は、水曜日の朝から木曜日の昼まで、姫路にある賢明女子学院中学・高等学校で、教職員の方の宗教研修会。そして金曜日は、仙台の元寺小路教会で、朝は全ベース会議、午後は仙台教区サポート会議でした。

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賢明女子学院は、設立母体が聖母奉献修道会。1796年にフランスで創立された修道女会です。日本には、1948年にカナダから大阪に会員が初めて派遣されてきています。学校は1951年の開校。姫路城のすぐ目の前に、カトリック姫路教会を挟んで、男子校の淳心学院と女子校の賢明があるという配置は、どこか、カトリック南山教会を挟んで、男子部と女子部が配置されている、名古屋の南山中学高校を思い起こさせました。

教職員の宗教研修会は毎年この時期に行われているとのことで、参加者は、提出していただいたリフレクションペーパーの数から見ると61名。松浦司教のお兄様である松浦校長先生や、理事長のシスター山本も、全日参加してくださいました。

テーマは、「いのちへのまなざし」。もちろん先頃司教団が発表したメッセージのタイトルです。先生方や職員の方々を通じて、ミッションスクールで今生徒さんたちに伝えてほしいことの核心は、いのちの大切さをおいて他にありません。いのちを、その始まりから終わりまで、徹底的に守りぬくことが、神から賜物としてそのいのちを与えられたわたしたちにとって、最優先の課題だと考えるからです。そして残念なことに現代社会は、様々なレベルで、いのちよりも他の価値観を優先する選択を続けているように思いますし、その傾向はさらに強まっているように感じます。神が善いものとして創造し、完全である自らに似せて創造されたことによって尊厳を与えた賜物であるいのちを優先するとき、どのような社会を構築し、どのような人間関係を構築するのかは、定まってくるように思います。

とはいえ、現実の社会の中で生きる若い世代に、そのことを直接伝えるのは至難の業であることもその通りだと思います。それでは具体的にどうしたらよいのだろうかという質問も、先生方からたくさんいただきました。もちろん人間は一朝一夕で変身はしないので、信仰の立場から主張していることがそのまますぐに受け入れられるとは思いません。でも繰り返しそれを伝え、言葉と行いで「あかし」続けることで、心の片隅に、大切すべき理想はどこにあるのかが残り続けてくれるなら、いざというときにどのような道を選ぶかの道しるべになるのではなかろうかと期待をしています。

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姫路まで招いてくださった先生方、ありがとうございます。真っ白になった姫路城、美しかったです。

木曜日の夕方にはそのまま姫路から仙台へ移動。金曜日は仙台で、東北大震災の復興支援の定例会議でした。午前中は、各ベースでの活動に関して報告をいただき、午後は、平賀司教を中心に、全国の教会管区代表が集まって情報交換。今回は、平賀司教、幸田司教(東京教会管区)、諏訪司教(大阪教会管区)、浜口司教(長崎教会管区)と私を加えて、関係司教全員がそろいました。

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ところで、その会議でも話が出ましたが、聖座の福音宣教省長官、フィローニ枢機卿が9月末に来日され、一日だけですが仙台にもおいでになります。これは仙台教区から正式に発表されることでしょうが、9月22日(金)には、被災地視察の後、夕方18:30から、カテドラルの元寺小路教会で、枢機卿様も参加してミサが捧げられます。私も一緒する予定です。

福音宣教省は、世界の中で、いわゆる宣教地とされている地域を管轄する役所で、大雑把に言えばアジアではフィリピンを除くすべての国が、福音宣教省の管轄です。一般にそのラテン語旧称から「プロパガンダ」と呼ばれます。いわゆるキリスト教国に関しては、司教省が司教の任命などに関して権限を持っていますが、日本などの宣教国では福音宣教省が司教の任命を管轄しています。それ以外にも、宣教地での活動の資金的援助や、各地の神学院の管轄でもあります。(なお日本の教会は、すでに何年も前から、福音宣教省からの資金援助は申請していませんが、毎年、世界宣教の日の献金などを通じて、アジアやアフリカの宣教地支援に福音宣教省を通じて貢献しています。)バチカンの役所は、実際のローマにある役所本体と、それを支える委員会(メンバー)から成り立っており、枢機卿さんたちはすべて、どこかの役所の(複数の)メンバーとして教皇様から任命されています。それ以外のメンバーも多く任命されており、私も、現在、福音宣教省のメンバーとしての任命をいただいています。

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2017年8月21日 (月)

横手教会司牧訪問@秋田地区

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この日曜日、8月20日は、秋田県の南の内陸部にある横手教会を司牧訪問しました。新潟からは車で5時間強のドライブです。

車のナビは最速として、磐越道>東北道>秋田道と遠回りを勧めますが、ちょっとイメージ的に遠すぎる。後のチョイスは、海岸線を国道7号で由利本荘まで行き、そこから内陸に走るコースと、鶴岡から最上川沿いに新庄へ抜け、そこから湯沢を通って横手へ北上するルート。今回は、行きを海岸線から由利本荘へ向かうルート、帰りを湯沢から新庄へ抜けて鶴岡へ向かうルートにいたしました。どちらもほぼ5時間強。遠いです。もっと長めの休憩を入れたりしたら、あっという間に6時間を越えるロングドライブ。ちなみに電車で行こうとしたら、いったん秋田まで直行して、そこから奥羽線を各駅停車で南下するくらいしか手がありません。

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横手教会は神言会のマルティヌス・オマン師が主任司祭。インドネシア出身のオマン師は、横手で働いてもう11年です。隣接する保育園、横手マリア園の園長も務めておられます。教区のホームページなどでもお伝えしていますが、横手教会の聖堂は、先頃横手市から指定文化財に認定されています。

土曜日は教会の近くで、数名の信徒の方と懇親会。会長さん他に加えて今回は、珍しく(失礼)、若手が4名も参加。もっとも若手の皆さんは日曜日は仕事で教会にはなかなか来られないとのこと。心で教会につながっていてくださればと、願っています。

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日曜日のミサは9時半から。この地区にはお嫁さんとして家庭に入り定住しているフィリピン出身の信徒もおられるので、ミサには思いの外多くの方が参加してくださいました。

ちょうど横手市の町おこしなのか、「音フェス」なるものを市内で開催中。市内中心部に何カ所かのステージを設けて、ライブ演奏を披露する催しです。朝から夕方までひっきりなしに演奏が続いて、ひとつのグループの持ち時間が20分程度ですから、かなりの数の参加者です。各地からやってきたバンドなどの演奏が、市内各所で鳴り響いていました。

この音フェスでは、横手マリア園の子どもたちが演奏を披露することに。ミサが終わってからオマン神父や信徒会長さんと出かけました。横手の駅が新しく橋上駅になって、これまでの東側の出入り口に加えて西側に出入り口と駅前広場ができたとのこと。その西口広場に設けられたテントステージでの演奏でした。子どもたちのハンドベルと歌の披露で、拍手喝采。なんといってもどんなグループよりも聴衆が多かったですから。

いろいろと準備をしてくださった横手教会の皆さん、ありがとうございました。

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なお、先週、8月17日には、新潟教区の保育者研修会が、新潟市内のホテルを会場に開催されました。今回で46回目となる研修会は、新潟県、山形県、秋田県にあるカトリックの保育にかかわる施設の職員が対象で、幼稚園や保育園の他、児童養護施設の職員も対象になっています。

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今回は「食の力ー子どもの心を支える食ー」というテーマで東京教区の伊藤幸史神父が講演をしてくれました。東京教区の伊藤幸史神父といっても、実際は新潟教区の新津教会の主任司祭を務めてくれています。140名の参加者を、時に泣かせる、素晴らしいお話でした。

研修会には、チャプレンとして任命されている司祭も多く参加しましたので、午後には全員で共同司式しながら、感謝ミサを捧げて終わりとなりました。

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2017年8月15日 (火)

聖母被昇天祭ミサ@新潟教会

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本日は聖母被昇天祭でありました。また終戦記念日でもあります。第二次世界大戦で亡くなられた多くの方々の永遠の安息を祈り、聖母マリアの取り次ぎによって、神の平和がもたらされるようにと、ミサに参加してくださったみなさまとお祈りいたしました。

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全国各地ではっきりとしない天気の日であったようですが、珍しく新潟市内は雨も降らず、お昼頃には青空も見られました。それでも気温は30度に達せず、思いの外涼しい8月15日でした。

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ミサ後には、新潟教会では恒例ですが、バーベキューパーティー。子どもたちも参加してくれたことですから、定番のスイカ割りも行われ、短い時間でしたが楽しい夏のひとときを過ごすことができました。準備してくださったみなさま、そしてこの暑い中、鉄板の前でバーベキューに取り組んでくださったみなさま、感謝します。またタルチシオの霊名にあたり、霊的花束を贈ってくださった多くの教会の方々に、心から感謝いたします。私は、ヤコブ書5章16節の言葉、すなわち「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」を、信じています。お祈りに感謝。

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以下、本日のミサ説教の原稿です。

東北の大震災の後、わたし自身もしばしば口にするのですが、「忘れない」という言葉が繰り返されてきました。確かに、カリタスジャパンでの経験からいっても、世界の様々な地域で、大きな災害などの被害に遭われ復興に取り組んでおられる方々や、紛争によって家を追われ避難生活を続けておられる方々の口から、「忘れないでほしい」という願いを聞かされることがしばしばあります。

困難に直面し苦悩のうちにも生きる道を模索するとき、だれからも助けの手が差し伸べられず孤立するのであれば、人間の心から希望が奪いとられてしまいます。「忘れないでほしい」という願いは、単に記憶にとどめておいてほしいという願いではなく、ともに寄り添って歩んでほしいという願いであります。それは神によってともに支え合って生きるようにと私たちのいのちが創造されているからこそ、当然の心の叫びでもあります。

イエスご自身が最後の晩餐において御聖体を制定されたときの言葉、すなわち「私の記念としてこれを行いなさい」こそは、私たちの信仰が「忘れない」ということに基づいていることを思い起こさせます。それは、単にイエスという存在を記憶にとどめておいてほしいという願いではなく、御聖体の秘跡にあずかることによって、常に主ご自身と歩みをともにするようにという招きでもあります。それは単なる過去の記憶ではなく、その出来事を今の視点からあらためて理解し、あらためてその出来事を今生きようとすることです。その意味で私たちの信仰は、「忘れない」信仰です。

旧約聖書のイザヤ書には、神ご自身の「忘れない」姿勢がこう記されています。
「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける」(49章15節)

ここでイザヤの預言は、「忘れない」ということは、単に記憶にとどめておくことだけではなく、さらには寄り添い歩みをともにすることにとどまるのでもなく、それをはるかに越えて相手の存在を自分の心に深く刻みつけることなのだといわれます。私たちの「忘れない」信仰は、そこまでの徹底的な生き方を求めています。

教皇フランシスコは、「福音の喜び」の終わりの部分で、聖母マリアについて考察を加えています。その中で次のように述べられます。
「教会の福音宣教の活動には、マリアという生き方があります」

その上で教皇は、本日の福音に記されたマリアによるエリザベト訪問を取り上げ、次のように記します。
「マリアは、祈りかつ働くナザレの女性であり、すぐに動かれる聖母、人に手を貸すために自分の村から『急いで』出かける方です。正義と優しさの力、観想と他者に向けて歩む力、これこそがマリアを、福音宣教する教会の模範とするのです」

聖母マリアは、ただ単に忘れないだけではなく、またその存在を心に留めているだけでもなく、思いもよらない人生の転換で不安にあったエリザベトのもとへ、ともにいるために出かけていかれました。しかも自分自身も、思いもよらない神からのお告げを受けて、人生が大きく転換するという出来事の中で翻弄されていたときに、自らの都合はさておき、手を貸すために出かけていかれた。そのマリアの「他者に向けて歩む力」を、教皇様は、「優しさと愛情の革命的な力」と表現されています。そして福音の中でエリザベトは、そういったマリアの生き方を表現して、マリアこそは「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方」なのだといいます。私たちの「忘れない」信仰は、革命的な力強さを持った信仰です。

1981年に広島を訪問された教皇ヨハネパウロ二世は、平和メッセージの中で、「過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです」と四回も繰り返され、核兵器の廃絶と戦争のない平和の確立を訴えられました。

8月15日に私たちは毎年、第二次世界大戦の悲劇を思い起こしながら、敵味方に分かれた双方の亡くなられた方々の永遠の安息を祈り、平和への誓いを新たにしています。残念なことにいま、東アジアのこの一角では、以前にも増して核による攻撃への恐怖が増し、あたかも武力攻撃が不可避であるかのような論調さえ聞こえてきます。その現実の中で、「忘れない」信仰に生きているわたしたちは、教皇ヨハネパウロ二世の呼びかけに応えて、「過去を振り返り」、その上で将来に対してどのような責任をとる行動を今とるのか考えなくてはなりません。

平和メッセージで教皇はこう呼びかけました。
「人類は、自己破壊という運命のもとにあるものではありません。イデオロギー、国家目的の差や、求めるもののくい違いは、戦争や暴力行為のほかの手段をもって解決されねばなりません。」

教会はこの現代社会にあって、「正義と優しさの力、観想と他者に向けて歩む力」を聖母マリアに倣って生き抜かなくてはなりません。教会は、過去の悲しい記憶を、ただ単に忘れないだけではなく、その意味を現代の視点からあらためて理解し、将来へ向かって責任ある歩みを進めるようにと、社会に対して呼びかけなくてはなりません。

教会はこの現代社会にあって、紛争や混乱した状況が続く世界各地の人々に心を留め、常に寄り添って歩み続けることを示さなくてはなりません。

教会はこの現代社会にあって、虐げられ、忘れられ、孤立し、排除されている人々に、いのちの創造主である神が一人ひとりの名をその手のひらに刻まれているのだということを、伝えていかなくてはなりません。

聖母マリアの生き方が、私たち一人一人の生き方となりますように。勇気を持って「忘れない」信仰に生きることが出来るように、神様の導きを願いましょう。
 

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2017年8月12日 (土)

聖クララ会、上越高田で30年

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昨日、8月11日は聖クララの祝日でした。新潟県上越市高田には、観想修道会である聖クララ会の上越修道院があります。私の前任である故佐藤敬一司教様が、聖クララ会を新潟教区に招聘し、八王子の修道院からこの地にシスター方が派遣されてきてから今年で30年。毎年8月11日は修道院で聖クララの記念ミサが捧げられますが、昨日は特に30年記念ということで多くの方が集まり、修道院の小さな聖堂は一杯になりました。

佐藤司教様は、教区の霊的な支柱として、観想修道会の存在が不可欠だと考えられ、この地に同じフランシスコファミリーのシスター方を招かれたと伺いました。もちろん教区はすべての方々の祈りによって支えられているのですが、そのなかでも、南で聖クララ会の皆さんが、そして北では聖体奉仕会の皆さんが、日々の祈りを持って教区を支える霊的支柱となってくださっています。毎日のお祈りに感謝いたします。

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昨日のミサには、近隣で療養生活を続けておられるフランシスコ会のブルーノ神父さまと教区の高藪神父さまも参加してくださり、元気なお声を聞かせてくださいました。(写真は、ブルーノ神父と一緒に)

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先般、聖クララ会は八王子の修道院を閉鎖されました。何名かの会員が高田に移ってこられ、共同体は少しですが大きくなりました。また閉鎖に伴い、八王子修道院にあった聖クララの御像やアシジのフランシスコの御像が、新発田建設の協力で移設され、高田修道院の庭に設置されました。普段は禁域で入ることの出来ない庭ですが、昨日は私が同行して、ミサ後の懇親会に参加された方にも見学していただきました。聖クララ会は、町中の小さな観想修道院が基本だと伺ったことがあります。高田修道院も住宅地にある小さな修道院です。この修道院で観想生活のうちに教会の霊的な支柱となってくださる方々が、一人でも現れることを祈っています。聖クララ会の召し出しのためにも祈りましょう。

以下、聖クララ会修道院での昨日のミサの説教原稿です。

聖クララ会の上越修道院がこの高田の地に創立されて30年。新潟教区にあって、その福音宣教の活動を毎日の祈りと観想の生活を持って霊的に支えてくださる会員のみなさまに、まずもって心から感謝申し上げます。

日本の16ある教区の中で、信徒総数が一万人を下回る教区はいくつかありますが、そのなかでも、新潟教区は南は新潟県の糸魚川から北は秋田県の大館まで、地理的に広大な教区です。信徒数の少なさ、つまり教会共同体の規模が小さいことと、地理的に広大で皆が集まることにおいて困難があり、さらには歴史的に見ても仏教などの伝統が文化に強く根付いている地域ですから、福音を告げ知らせることは容易ではありません。

教皇ヨハネパウロ二世の使徒的勧告「奉献生活」には、聖クララ会のように観想に全面的に献げられた会の修道者について、こう記されています。
 「(観想修道会の修道者は)その生活と使命をとおして、山上で祈るキリストに倣い、歴史において神が主であることをあかしし、来たるべき栄光を先取りします。・・・彼らは教会共同体に、主に対する教会の愛を見事にあかしし、秘められた使徒的豊かさによって、神の民の成長に貢献しています」

教皇様は、教会共同体の成長のために、観想修道会の修道者の存在が重要であると指摘しているのです。ここでいわれる教会共同体が豊かに成長することとは、単に信徒の人数が増えることを意味しているのではなく、神の民に属する一人ひとりが霊的に成長し、日々の生活で福音に生き抜き、福音のあかしとなることをも意味しています。その結果として、信徒が増えるということもついてくるのかもしれません。新潟教区の教会共同体が豊かに成長するために、上越高田の聖クララ会の皆さんの霊的なあかしの生活は不可欠であり、私たちの模範となり、また私たちの成長を支えてくださいます。

この福音宣教について、同じ「奉献生活」の中で、教皇ヨハネパウロ二世は次のようにも指摘し、奉献生活者の福音宣教への貢献についてこう述べられます。
 「外に現れる活動以上に、宣教は、個人的なあかしによってキリストをこの世に示すことのうちに存在します。これは挑戦であり、これこそ奉献生活の第一の務めです。奉献された人々がキリストにいっそう似たものとなるよう努めれば努めるほど、キリストはすべての人の救いのために、この世においていっそうはっきりと現れ、活動するのです」

したがって、この修道院の中で生活する会員の皆さんは、隠れて籠もっているのではなく、徹底的にキリストに従うその生活のあかしを通じて、共同体としてこの場でキリストを社会に向けてあかしをすることで、教区における福音宣教に直接に貢献してもるのです。

その意味で、心からこの30年のこの地でのあかしの生活に感謝申し上げますし、これからも新潟教区を霊的に支え、私たちに信仰生活の模範を示し、社会に対してキリストをあかししていってくださいますように、お願い申し上げます。

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さて、私たちが福音をあかしし伝えていかなければならない社会は、いまや「いのち」が危機に瀕している社会であります。近隣の国との緊張関係の中で、今にも戦争が始まるのではないかという危機感が煽られてもいますが、紛争状態が続き難民が大量に発生している地域もあります。武力紛争や戦争は人間のいのちを暴力的に奪い取る行為として、教会は常に反対の意志を表明してきました。ちょうど8月のこの時期は日本の教会にとって平和を考えるときですが、私たちは広島を訪問されたヨハネパウロ2世の平和メッセージのこの一説を思い起こしたいと思います。
 「人類は、自己破壊という運命のもとにあるものではありません。イデオロギー、国家目的の差や、求めるもののくい違いは、戦争や暴力行為のほかの手段をもって解決されねばなりません。人類は、紛争や対立を平和的手段で解決するにふさわしい存在です」

戦争や紛争の状態に直接巻き込まれてはいない者の、私たちの国においても、いのちが危機に瀕していることには変わりがありません。そういった現実を踏まえて、司教団は先頃、「いのちへのまなざし」というメッセージを改定して発表しました。神から賜物として与えられたいのち、神の似姿として善いものとして創造された人間のいのち。その尊いいのちと人間の尊厳が、ないがしろにされるような事件が起こったり、状況が発生したりしています。

その最たるものは、昨年相模原で起こった障害と共に生きる人たち19名を殺害した事件です。犯人の青年の、障害のある人たちを役に立たない存在と決めつけ、社会から無駄を省くために彼らを抹殺することを良しとする思想や価値観には、同意できるところはまったくありません。しかしそれ以上に、その考え方に賛同する人たちが、今の日本の社会に少なからず存在することも、今回の事件は明らかにしました。独りの特異な人物の突出した考えなのではなく、ある一定数の人たちの心の底にうごめいているいのちへの価値観が浮き彫りになりました。

人間のいのちは、その存在自体が価値あるものであって、役に立つのか立たないのかで、その存在を判断されるのではないということを、わたしたちは、この社会の現実の中で伝えていきたいと思います。

人間のいのちが存在しなければ、当然人間による共同体は存在せず、共同体が存在しなければ、福音を伝えることにも意味はありません。したがって、いのちを守ることはすべての根本にあることがらであると思います。

いのちが危機に瀕しているこの社会であるからこそ、私たちは勇気を持って福音をあかししていかなければなりません。

聖クララ会の会員のみなさまには、これからも主の福音をあかしする存在として、新潟教区のみなの模範となり、その霊的生活を通じて、教区全体の福音宣教を支えてくださるようにお願い申し上げます。ともに、この社会の直中で、いのちの福音をあかしして参りましょう。

 

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