2019年12月14日 (土)

教皇の語った言葉から・その3

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教皇様が日本で語られた言葉は、すべてがインパクトのあるものであったと言って差し支えないと思いますが、特にいくつかの言葉が、教会だけではなく広く一般の注目を浴びました。(写真上:東京カテドラルに入る教皇様;©cbcj)

もちろんその一つは、核兵器廃絶に関する発言であり、またもう一つは、帰国の飛行機の中で、『私的な考え』と断った上で語った原子力発電についての考え方でした。もう一つ、あらゆる意味で注目を浴びたのは、『日本も難民を受け入れるべき』と語ったと言われている発言です。

これは教皇滞日中にすでにメディアに流れ、それに対して、滞在中からすでに、「バチカンがまず難民を受け入れるべきだ」というリアクションがありました。そのリアクションについては後で触れるとして、いったいどこで教皇様は難民について語ったでしょう。

教皇様の語ったたくさんの言葉を探していくと、一カ所だけ。それも文章にして4センテンス。ほんの短い言及がありました。東京カテドラルでの青年との集いの中での、以下の発言です。

「さて、とくにお願いしたいのは、友情の手を広げて、ひどくつらい目に遭って皆さんの国に避難して来た人々を受け入れることです。数名の難民のかたが、ここでわたしたちと一緒にいます。皆さんがこの人たちを受け入れてくださったことは、あかしになります。なぜなら多くの人にとってはよそ者である人が、皆さんにとっては兄弟姉妹だからです」

確かに当日、東京カテドラルには数名の難民の青年が来ていました。一番前の列にいたことと、後で触れるロゴ入りのTシャツを着ていたことから教皇様もその存在に気がつかれ、握手をして祝福してくださいました。

この短い言及が、あれだけのリアクションを招くのですから、教皇の語られた言葉の持つ力と影響力には驚かされます。

教皇フランシスコは2013年の就任直後に地中海のランペドゥーザ島を訪れて、アフリカから逃れてきた人々と出会い、そこで記憶に残る説教をされました。

「居心地の良さを求める文化は、私たちを自分のことばかり考えるようにして、他の人々の叫びに対して鈍感になり、見栄えは良いが空しいシャボン玉の中で生きるようにしてしまった。これが私たちに、はかなく空しい夢を与え、そのため私たちは他者へ関心を抱かなくなった。まさしく、これが私たちを無関心のグローバル化へと導いている。このグローバル化した世界で、私たちは無関心のグローバル化に落ち込んでしまった」

それ以来、誰ひとり排除されない社会の実現は教皇フランシスコにとっての優先課題であり、特に助けを必要としている人たちのいのちを守るために行動することが、今の世界のためにも、そして将来の世代のためにも必要なのだと強調されてこられました。

カトリック教会はあのバチカンのテリトリーにとどまる存在ではありませんし、東京カテドラルで教皇は国家元首としてではなく、世界13億人の信徒のリーダーである宗教者として発言されています。

そのリーダーである教皇様の意図を具体化するために、バチカンには様々な機構が設けられていますが、特に慈善活動や助けを求めている人に手を差し伸べる活動を世界的に展開するために設けられているのが、国際カリタスです。教皇パウロ6世によって設立された、国際NGOです。

世界各地、カトリック教会があるところにはすべてカリタスが存在しており、日本にもカリタスジャパンがあります。カリタスジャパンは、例えば東北の大震災直後から今に至るまで、現地の教会と協力して、被害を受けた地域にとどまりながら復興支援活動を続けています。

また1970年代後半からインドシナ難民を日本で受け入れたときには、外務省や国連難民高等弁務官事務所と連携して、全国数カ所に拠点を設けて、難民受け入れ事業を行いました。

世界各地で、今現在も、カリタスは、教皇フランシスコの意を受けて、難民支援事業を展開しています。わたし自身も1995年頃に国際カリタスの行うルワンダ難民支援プログラムに参加して、3ヶ月ほど旧ザイールのキャンプで働きましたが、同様に難民を受け入れ保護する活動を、カトリック教会は長年にわたって実施してきました。

またこの2年ほどは、『Share the Journey』と名付けたキャンペーンを世界的に展開し(日本では『排除ゼロキャンペーン』)、安全を求めて旅を続ける人たちとともに歩む道を探り続けています。(キャンペーンについてはこちらのリンク

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このキャンペーンの先頭に立っていたのは、もちろん教皇フランシスコですが、もう一人、国際カリタス総裁のタグレ枢機卿は自ら世界各地の現場を訪れて、現場からの発信を続けています。そのタグレ枢機卿が、カトリック教会の世界宣教の責任者である福音宣教省長官に教皇フランシスコから任命されたのですから、いまや教皇様が目指しておられる教会の方向性は明確です。(写真上、向かって左がタグレ枢機卿)

そして下の写真でわたしが着用しているのが、このキャンペーンのロゴを入れたTシャツです。

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2019年12月 9日 (月)

福音宣教省長官の交代

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バチカンの重要な役所の一つである福音宣教省の長官が、交代することになりました。

12月8日日曜日のローマ時間正午、教皇様は、マニラの大司教であるアントニオ・タグレ枢機卿を福音宣教省の長官に任命されました。タグレ枢機卿様、おめでとうございます。

福音宣教省は、日本を含む宣教地域を管轄する役所で、伝統的にPropaganda Fideなどと呼ばれています。教会の福音宣教全般について、様々な調整や情報収集、研究を行う部署ですし、教皇庁宣教事業(Pontifical Mission Society)も配下に擁しており、世界宣教の日の献金を元に、宣教地の様々な活動を援助している機関でもあります。

アジアの各教会は、キリスト教国とされているフィリピンを除いて、すべてが福音宣教省の管轄下にあります。したがって、日本を含む宣教国の司教の任命は、バチカンの司教省ではなくて、福音宣教省の枢機卿会議が事前の調査や調整を行い、福音宣教省長官が最終的に教皇様へ具申することになっています。

バチカンの諸官庁は、バチカンにある事務局とメンバーと呼ばれるいわゆる委員で構成されており、そのメンバーの大半は枢機卿となっています。現在は40名ほどのメンバーが任命されています。その中に常に5名ほどの司教がメンバーとして含まれており、わたしも2014年から福音宣教省のメンバーになっておりますが、もう5年経つので、まもなくどなたか他のアジアの司教に変わることだと思います。

タグレ枢機卿様、おめでとうございます。

なおアジアから長官が選ばれるのは、ボンベイのディアス枢機卿が長官に任命されて以来、2度目です。

また同日、2011年から長官を務められたフィローニ枢機卿様は、Grand Master of the Equestrian Order of the Holy Sepulchre of Jerusalemに任ぜられています。

Cardinal Tagle of Manila has been appointed as the Prefect of the Congregation for the Evangelization of Peoples at noon on 8 December. Congratulations Cardinal Tagle. The Congregation is customary called Propaganda Fide and oversee all the Church activities of Mission countries including Japan. The Congregation also finalizes appointment of Bishops in mission territories.

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2019年12月 7日 (土)

教皇様の語った言葉から・その2

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東京カテドラルでの青年の集いでは、3名の方々が日本における青年たちの生きている現実を話し、同時に教皇様へ問いかけ、それに対して教皇様が回答する形でスピーチをされました。(写真は東京カテドラルでの教皇様。©CBCJ)

一人目は、新潟出身で、現在は日本のカトリック青年たちのリーダーの一人として活躍する女性。二人目は諸宗教の青年として、仏教の女性。三人目が、フィリピン出身のご両親のもと、日本で育った青年。

教皇様が語られた言葉から、その一節です。まず、最初に発言した小林さんの呈した疑問に答えながら、教皇様はこう言います。

「未希さんが語ったことです。彼女は、競争力、生産性ばかりが注目される慌ただしい社会で、若者がどのように神のために時間を割くことができるかを尋ねました。人間や共同体、あるいは社会全体でさえ、外的に高度に発展しても、内的生活は貧しく委縮し、熱意も活力も失っていることがよくあります。中身のない、お人形さんのようになるのです。すべてに退屈しています。夢を見ない若者がいます。夢を見ない若者は悲惨です。夢を見るための時間も、神が入る余地もなく、ワクワクする余裕もない人は、そうして、豊かな人生が味わえなくなるのです。笑うこと、楽しむことを忘れた人たちがいます。すごいと思ったり、驚いたりする感性を失った人たちがいます。ゾンビのように心の鼓動が止まってしまった人がいます。なぜでしょうか。他者との人生を喜べないからです」

日本のマスコミの報道でも注目された「ゾンビ」発言です。いったい何を大切にして生きているのか、疑問を投げかけ、その根底には「他者との人生を喜べない」と、自分にだけ感心を注ぎ、他者に心の目を向けることのない、人間関係の欠如を指摘されます。そして教皇様は、次のように続けられました。

「世界には、物質的には豊かでありながらも、孤独に支配されて生きている人のなんと多いことでしょう。わたしは、繁栄した、しかし顔のない社会の中で、老いも若きも、多くの人が味わっている孤独のことを思います。貧しい人々の中でも、もっとも貧しい人々の中で働いていたマザー・テレサは、かつて預言的で、示唆に富んだことをいっています。「孤独と、愛されていないという思いこそが、もっとも恐ろしい貧困です」。心に聞いてみたらいいと思います。「自分にとって、最悪と思う貧しさは何だろう。自分にとっていちばんの貧しさは何だろうか」。正直に気づくでしょう。抱えている最大の貧しさは、孤独であり、愛されていないと感じることです。」

昨年12月、前田枢機卿、高見大司教、アベイヤ司教と一緒にローマで教皇様とお会いしたとき、日本訪問への様々な思いを教皇様は語られました。教皇様はそこで、ご自分が心を痛めておられる様々な日本の抱える社会の問題を指摘されたのですが、そのうちに一つが、「孤独と孤立」でした。

被災者の集いにおいても、教皇様は「孤独と孤立」の問題を指摘されました。物質的な反映だけで人間は幸福にはならない。互いに支え合い、愛されていると感じる人間関係が不可欠だと呼びかけられます。

教皇様が2013年の就任からしばしば語られる「無関心のグローバル化」。むなしいシャボン玉の中に籠もって、そのかりそめの安住の地から、外への関心を持たない人々への警鐘。教皇様の一貫した主張です。

 

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2019年12月 6日 (金)

築地教会の「堅信堅堂」ミサ

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12月1日の日曜日、築地教会の聖堂の耐震改修工事が終了し、新装なった聖堂の祝福式ミサが行われました。またミサ中には堅信式も行われ、13名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。

築地教会では、この日の一連の行事を堅信に引っかけて、「堅信堅堂」としておられました。築地教会は正面の造りが有名で観光客も訪れますし、近隣のホテルに宿泊している海外からの観光客が、ミサに訪れる機会も増加していると聞きます。お隣は聖路加国際病院です。来年のオリンピックに向けて、さらに訪問客が増えることが想定されています。

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築地教会は、東京教区でも一番古い教会で、その歴史は、1874年の最初の聖堂の献堂にあります。その後、関東大震災などを経て、現在の聖堂は、1927年に献堂されました。

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また築地教会は、1891年から司教座聖堂となり、1920年に関口に移転するまで、東京教区の中心として機能していました。現聖堂は司教座が関口に移転した後に建てられたものですが、正面のギリシャ神殿風の柱で有名で、東京都の歴史的建造物にも指定されています。

主任のレオ神父(コロンバン会)が東京教区のミャンマー支援に関わっていることもあり、築地教会にはミャンマーからの信徒も多く集まります。この日のミサにも、ミャンマー出身の方々が多数参加され、ミサ後には祝賀会で、ミャンマー料理を提供してくださいました。

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堅信を受けられた方々にお祝い申しあげるとともに、築地教会の皆様にも、新しくなった聖堂とともに、これからますます共同体を育て上げて行かれますようにとの願いを込めて、心からお祝い申し上げます。

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2019年12月 3日 (火)

教皇様が語った言葉から・その1

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日本滞在中に、教皇フランシスコは様々な「言葉」を語りました。様々な人と出会う中で、いくつものスピーチを行い、その中で、多くの課題について触れられました。時間が限られていると同時に、宗教指導者であり、同時に国家元首でもあるという立場を考慮して、聖座(バチカン)によってスピーチは、用意周到に準備されていました。(写真は、東京カテドラルにて。©CBCJ)

しかし全体のテーマは、「すべてのいのちを守るために」で貫かれています。人間のいのちは、神からの賜物であり、神の似姿として創造されているところに人間の尊厳の根源があるのだという、信仰の根幹に根ざしたいのちへの理解にしっかりと足場を置いて、様々な課題について発言されていたのだと感じました。

人間のいのちは、その始まりから終わりまで、すべからく護られなくてはならないという信念が、人間のいのちを危機に陥らせている社会の様々な課題に対する教皇様の懸念を、力強いメッセージとして発信させたのだと思います。

たくさんのことを語られたので、すべてを通して読むことは大変かも知れません。かといって、そのほんの一部を切り出したのでは、本当に伝えたいことは理解できません。教皇様のスピーチの中からいくつかのフレーズを、少しばかりまとまった単位で順番に取り上げて、紹介していきたいと思います。

まず東京教区での行事から。11月25日の東京カテドラルにおける青年との集いでの教皇様のスピーチから。まず一つ目。

「皆さんを見ると、今日の日本に生きる若者は、文化的および宗教的に多様なことが分かります。それこそが、皆さんの世代が未来にも手渡せる美しさです。皆さんの間にある友情と、この場にいる一人ひとりの存在が、未来はモノトーンではなく、各人による多種多様な貢献によって実現するものだということを、すべての人に思い起こさせてくれます。わたしたち人類家族にとって、皆が同じようになるのではなく、調和と平和のうちに共存すべきだと学ぶことが、どれほど必要でしょうか。わたしたちは、工場の大量生産で作られたのではないのです。だれもが、両親や家族の愛から生まれたのです。だからこそ、皆、異なるのです。だれもが、分かち合うべき、自分の物語をもっているのです」

カテドラルには900人を超える青年たちが集まっていました。その中には、日本出身の人もいれば、諸外国出身の青年もおり、また多文化のルーツを持つ青年も、様々な混乱を逃れて避難生活を送る人もおられ、多様性のるつぼのような集まりでした。社会の全体の姿を象徴するとともに、今の、そしてこれからの日本のカトリック教会の現実をも象徴するような、多様性のある集まりでした。

その多様性を個々人がどのように生き、「人類家族」として、分裂ではなくて、「調和と平和」のうちに共存する道を探ることが大切だという呼びかけで、教皇様のメッセージははじまりました。メッセージの紹介は次に続きます。

(今回の訪問でわかったこと)

これは今回の体験からの個人的な推測に過ぎませんが、聖座はこういった教皇様の海外訪問において、教皇様が公式に発言することに非常に大きな注意を払って準備をしていると感じました。もちろん訪問先の国の教会からは様々な情報が寄せられます。今回も、聖座の担当部局から、日時を決められて情報提供をするようにとの指示があり、司教協議会の諸委員会はそれぞれの分野での情報を提出しました。

実際にできあがったスピーチは、現地からの情報を確かに参照してはいるものの、やはり聖座の独自の考えを見事に反映した内容となっていました。なにか、現地の教会がこれを教皇様に言ってほしいとか、例えばわたしが個人として教皇様にこう言ってほしいとか、そんなリクエストができるようなシステムにはなっていませんでした。

事前にいろいろな方から、教皇様にはこういうことを言ってほしいのでぜひ伝えてほしいというリクエストをいくつかいただきましたが、それはそもそも無理な話でありました。

 

 

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2019年11月28日 (木)

教皇様訪日が終わり、新しい一歩がはじまりました

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教皇フランシスコの訪日が無事終了しました。26日火曜日の昼頃に全日空(ANA)の特別機で、羽田を出発してローマに戻られた教皇様は、なんとその翌日水曜日午前中に、サンピエトロ広場で行われた一般謁見に出席し、日本とタイの司牧訪問についてお話をされていました。教皇様のタフさには、驚かされます。

今回の訪日にあたり、教会関係者のみなさんは言うに及ばず、行政や警察、さらには教皇様が立ち寄った施設の近隣のみなさん、交通規制でご迷惑をおかけしたみなさん、ロジを担ってくださった電通の方々に、心から感謝申し上げます。みなさま、本当にありがとうございました。

司教団としての今回の振り返りは、12月に入ってからの司教総会などで行われますので、司教団としての公式の謝辞は、その際に公開されるかと思います。(一番上の写真は、到着直後、教皇庁大使館で司教たちに講話する教皇様。山野内司教から剣玉をもらって笑顔に)

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教皇様の言葉には力がありました。教皇様は、もちろんカトリックの指導者として来日されていますが、同時に国家元首としても来日されています。従ってその発言は、両者を意識してなされていますが、当然、日本国内のみを意識した発言ではなく、また国家元首として他国の内政に干渉するものでもなく、日本という場から世界に向かって発言されました。とりわけ核廃絶のメッセージは、広島や長崎という世界的に意味を持つ二つの都市から世界の政治のリーダーに向けて発信されたものです。教皇の視点は常にグローバルに広がっており、その立ち位置から、教皇の日本での様々な発言を理解したいと思います。なんといっても、教皇は世界に広がる普遍教会(カトリック)の牧者ですから。(上の写真は、東京カテドラルに入られる教皇様。@CBCJ)

もちろんすでに繰り返し述べてきたように、教皇は一番弟子の後継者として、わたしたち日本のキリスト者に福音宣教に取り組む姿の模範を示されました。わたしたちは、教皇の様々な言葉の中に、今の日本で信仰を生きる者に向けられた信仰における示唆を読み取る努力を始めたいと思います。

ですから、教皇の訪日は終わりましたが、信仰に生きるものにとって、それは新たな一歩の始まりです。教皇が語られた様々な言葉に、わたしたちは信仰におけるいのちの息吹を感じ取り、わたしたち自身の信仰を燃え立たせる努力を始めたいと思います。そうしなければ、ただの素敵で興奮した良い思い出で終わってしまいます。

といいながら、わたしもこれから教皇様が語られてことを、もう一度テキストを読んでみなくてはなりません。教皇様のスピーチや説教の公式なテキストは、順次、中央協議会のサイトで公開されていく予定です。わたし自身は、当日のその場になるまで、どの説教もスピーチも内容を知りませんでした。最後の最後まで、原稿の秘密を守るようにバチカンからの厳しい指示があったそうです。事前には原稿は配られていないのです。それにドームミサの説教にいたっては、祭壇上からはスクリーンが見えないので、何を話されているのか全くわかりませんでしたし。

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(上の写真は、教皇様カテドラル入堂の際に、キスで祝福していただいた十字架を持つ、稲川総代理)

東京での行事には、わたしは当地の司教と言うことで、皇居以外はすべてご一緒させていただき、各会場ではエスコートもさせていただきました。圧巻は、パパモービルに同乗して、ドーム内を周回させていただいたことでした。わたしはお付きですから、ただ座って見ているしかないのですが、警備担当者が後ろからよく見ていて、無線で指示を出しては車を止め、幼児を教皇様の元へ連れてきては祝福をしてもらうことの繰り返し。そのたびごとのドーム内の熱狂は凄まじい力がありました。一番前の障害者の方々のところで教皇様は車を降り、一人ひとり順に祝福をされていました。教皇様ご自身は、時間と体力がゆるせば、すべての人と握手をしたいと思うような方です。

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またドームミサでは、歌うことがない教皇様のなんと代わりに、「信仰の神秘」と奉献分の最後の栄唱をラテン語で歌わせていただくというお役もいただき、さすがにあの大観衆の前で、緊張いたしました。(写真は、ドームにてパパモービルの前で教皇様を待っているところ)

以下、東京ドームでのミサの終わりに、わたしが教皇様に述べたお礼の言葉です。

フランシスコ教皇様、この度の来日に対し、日本の教会共同体を代表して、また当地、東京の司教として、心からの感謝を申し上げます。ありがとうございます。 

この度の教皇様来日にあたり、「すべてのいのちを守るため」を、司教団はテーマとして選びました。『ラウダート・シ』に記された「被造物とともにささげるキリスト者の祈り」にあるように、わたしたちは、世界を守り、それぞれのものの価値を見いだし、美と愛と平和の種をまくために働く道具となることが、今の日本にとって大切なことだと思いました。 

わたしたちの共通の家である地球は蹂躙され、うめき声をあげています。教皇様は、この嘆き声に耳を傾け、地球を保全し、未来の世代のためにその美しさを守るように、世界の人々に呼びかけておられます。 

今日の日本は、環境、経済、近隣諸国との共存の関係、大震災からの復興、そして原発事故の影響など、さまざまなレベルで人間のいのちにかかわる問題に直面しています。人間のいのちの尊厳を踏みにじるような事件も少なからず発生し、さまざまな要因から、孤独や孤立のうちに誰からも理解されず、助けを得ることもなく、いのちの危機に瀕している方も少なくありません。 

フランシスコ教皇様、この度の日本訪問で、教皇様は日本に住む多くの人々に、神のいやしと愛と希望を示してくださいました。 

わたしたちは、小さな共同体ですが、教皇様の励ましをいただき、アジアの兄弟姉妹と手を取り合い、歩みをともにしながら、神から与えられたいのちの尊厳を守り、いつくしみの神のいやしと、希望の福音を宣べ伝えていきます。 

教皇様、あなたの力強いことばと模範を通して、わたしたちを、すべてのいのちに仕える奉仕者になるようお導きくださり、感謝申し上げます。 

最後に、もう一度、教皇様、日本を訪れていただき、ありがとうございました。

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(写真は、教皇様のバンコクからの到着を待つ、麻生副総理ほか関係者)

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(写真は、教皇様帰国の準備中の全日空特別機)

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2019年11月22日 (金)

使徒ヨハネ田中康晴神父様葬儀・告別式

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東京教区司祭使徒ヨハネ田中康晴神父様は、11月16日朝に、入院先の病院で帰天されました。84歳でした。

田中神父様の葬儀・告別式は、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、11月20日午後に執り行われました。

田中神父様は、1935年4月3日生まれ、1966年4月17日に司祭叙階。叙階後は様々な病気に苦しまれましたが、その困難な状況の中でも、ご自分ができる限りの力を持って司祭職を全うされました。面倒見の良い方だったとうかがっています。いろいろなところに喜んで連れて行ってくれたという話を、多くの方から伺いました。わたし自身は、東京へ赴任した2年前に、田中神父様はすでに入院されていましたので、一緒に働いた体験がありません。

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東京教区は、先日の市川神父様に続いて、今年は二人の司祭を失いました。司祭は定年で引退したからと言って、または病気で引退したからと言って、それで司祭でなくなるわけではありません。叙階の秘跡は役職の有無に左右されないからです。病気にあっても、老齢にあっても、司祭は祈ることで司祭職は果たすことができます。その意味で、大切な働き手が、また一人、御父の元へ変えられました。田中康晴神父様の永遠の安息を、お祈りください。

以下、当日の説教の原稿です。

「神の計らいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる」

人知を遙かに超えた全能の神は、私たちのいのちを支配されている。だからわたしたちは、神の限りない愛による計らいに信頼し、それに身をゆだねていのちを全うしていこう。そう心に刻みながら、わたしたちは信仰の道を歩んでまいります。

本日わたしたちは、神の計らいに身をゆだね、生涯を司祭として神の救いの計画の実現のために捧げられた、東京教区の司祭使徒ヨハネ田中康晴神父様に、別れを告げ、その永遠の安息を祈るためにここに集まっています。

わたしは、東京教区へ赴任して2年ですが、そのとき田中神父様はすでに入院しておられましたので、残念ながら一緒に働いた体験がありません。ただ、田中神父様の司祭としての人生は、必ずしも順風満帆ではなかったとうかがっています。

教区ニュースの2012年5月号に、田中神父様の紹介記事が掲載されていました。
そこには、大学生の頃に不思議な出会いから洗礼を受けた体験や、お父さんの強い反対を押し切って神学校へ入学した経緯などが記されていました。

そして、司祭叙階後しばらくして病を得て、それから長い年月にわたって、病と闘いながら、ご自分にとって可能な限り、司祭として様々な分野での奉仕職に当たられてきたことが述べられています。

締めくくりには、次のような田中神父様の言葉が記されていました。
「神さまのはからいのままに、神さまの意に従って働くことが大事。病気を経験したことで、自分はもとより他者に注がれる神さまの愛、恵みをたくさんいただいていることに気づかせてもらう。たくさんの人を通していただくお恵み、その元をただせば、それは神さまです。出てくる言葉は「神に感謝!」

「神の計らいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる」。
この答唱句を持つ典礼聖歌は、詩篇90編で、「あなたの目には千年も過ぎ去った一日のよう、夜回りのひとときに過ぎない。人の命は草のよう、あしたには花を開くが夕べにはしおれて枯れる」と歌います。

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健康に生きることも、病と共に生きることも、人間の意図するところではなく、神の計らいの中にあることなのだ。そしてそれに生きることによって、新たな気づきがある。すべては与えられているのだから、与えてくださる神に感謝。そのように、田中神父様は述べておられました。

わたしたちが生きている現実には、ありとあらゆる困難が存在しており、様々な意味でわたしたちの人生に苦しみを生み出しています。そういった現実に直面するとき、わたしたちはどうしても、苦しみは何のために存在するのか、なぜわたしに苦しみが与えられるのか、という問いかけを発してしまいます。

教皇ヨハネパウロ2世は、1984年の贖い聖年にあたり、苦しみの意味を考察する書簡を発表されています。
教皇は、「神は御ひとり子を、人間が悪から解放されるために世に与えられた」と指摘し、その中に、「苦しみについての決定的、絶対的な見地が」示されていると述べています。

十字架の苦しみは、永遠のいのちへの門を開く、希望を生み出す苦しみです。十字架の苦しみは、あふれ出る神の愛を多くの人に与えるための、愛の源としての苦しみです。

田中神父様は、人生の様々な苦しみに直面しながらも、それを神の計らいのなせる業だと受け入れ、病気による人生の苦しみは、「自分はもとより他者に注がれる神さまの愛、恵みをたくさんいただいていることに気づかせて」くれたのだと言われ、その苦しみから神の愛が生み出されたのだとして、インタビューを「神に感謝」と締めくくられました。

そういった生きる姿勢は、司祭として忠実に召命に生きた姿でもありました。司祭が忠実にその使命に生きる姿は、勇気を持って神からの呼びかけに応える姿として、すべてのキリスト者の模範であります。

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司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。

すなわち司祭には、三つの重要な役割があるとそこには記されています。一つ目は「福音を宣教すること」。二つ目が「信者を司牧すること」。そして三つ目が、「神の祭礼を執行する」ことです。

小教区を担当する司祭として、また様々な役職につく司祭として、その人生を全うすることも、司祭としての召命を生きる姿であります。しかし、病を得て、その病と闘いながら、苦しみのうちから神の愛を見いだしている姿も、司祭としての召命を生きる姿であります。

実際に体を充分に動かすことができなくなっても、司祭は祈ることができます。
苦しみとの戦いの中で神の計らいに身をゆだねている姿の模範で、司祭は福音を告げしらせることができます。
病床にあっても、出会う人々との絆の中で、司祭は信徒を司牧することができます。

「苦しみは、また、人間の人格の中で、愛を誘発するために存在している」と述べられたのは、教皇ヨハネパウロ2世でありました。
人生の苦しみのなかから、神は愛を生み出そうとしているに違いない。そう信じて、神の計画に身をゆだねて司祭職を生きた田中神父様は、それぞれの召命を生きているキリスト者にとって、一つの模範を示す存在です。 

天に召された兄弟である司祭の人生から、わたしたちが生きる道を学び、その働きを引き継いで、すべての人に神の愛の福音をのべ伝え、祈りを捧げ、互いに共同体にあって支えていくことができるよう、神様の計らいに身をゆだねたいと思います。

そしてわたしたちも、様々な困難に出会う中で、神に感謝とすべてを締めくくることができるように、人生の道程を歩んでいきたいと思います。

 

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2019年11月20日 (水)

教皇様がまもなく来日されます

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教皇様の来日まで、秒読み段階に入りました。

いろいろな期待があることでしょうし、様々な方の様々な思いが交錯する訪日です。わたし自身の訪日への期待は、長崎と広島での核兵器廃絶や平和メッセージも大切だけれど、同時に全体のテーマである「すべてのいのちを守るため」に通じるメッセージも重要だと思っています。その意味で、東京における、東北の被災者との集いや青年との集い、そしてドームミサでの教皇様のメッセージに注目したいと思っています。そういったことに関しての記事が、だいぶ前から「論座」に掲載されていますので、まだご覧になっておられなければ、ご一読ください。リンクです。

日本における教皇様司式のミサは、インターネットで中継されます。その他の行事も中継できるように調整中だと聞きました。これが38年前と大きく異なる点です。以前はマスコミ各社の報道や中継に頼るしかありませんでしたが、今では、映像を即座に共有することができます。是非ともご活用ください。機材が整えば、大きく映写して、パブリックビューイングもできるかと思います。中央協議会の特設サイトから飛ぶか、またはこのリンクからYouTubeのサイトへ入ってみてください

また長崎と東京での、教皇様司式のミサの式次第もPDFで公表されています。こちらのリンクです

ミサの内容については、使用する言語や使われる聖歌に至るまで、日本の担当者とバチカンの教皇儀典室とのやりとりが繰り返され、最終的に儀典室から認可を受けた内容になっています。なぜなら、教皇様の典礼は、どこで行われていても、教皇庁の主催する典礼行事であり、それぞれの国の教会が自由にできるものではないからです。

東京のミサは、その意向が今回の訪日のテーマに合わせて、「すべてのいのちを守るため」とされました。困難だったのは、ミサの公式祈願をどうするのか。教皇儀典室によれば、すでに典礼秘跡省の認可を受けているテキストでなければならないことと、仮にこのミサ用に新しく作るのであれば、やはり典礼秘跡省の認可を求めなくてはならないと指摘されたことだったと、担当者からうかがいました。日本語の現行ミサ典書にも、ラテン語規範版にもふさわしい祈願がなくて苦慮していたところ、最新版の英語のミサ典書にふさわしい祈願が掲載されていることに、どなたかが気がつかれました。ラテン語規範版にはない、英語版の独自の祈願ですが、もちろん典礼秘跡省から認可されています。そのため、東京ドームのミサは、基本的に教皇様はラテン語で司式されますが、公式祈願はそういうわけで英語となっています。

あと数日です。教皇様は現在バンコクにおられます。暑いタイから寒い日本へ、週末に移動されます。教皇様の健康のために、是非ともお祈りください。

 

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豊島教会での堅信式と青年の集まり

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教皇様の訪日が迫って準備に追われる中、以前から予定していた行事はそのまま進めていかなくてはなりません。そういうわけで、11月17日の日曜日は、またまたダブルヘッダーでした。

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午前中は9時半から、豊島教会で堅信式。豊島教会へは、山手通りを通って、関口から車で20分ほど。以前はコロンバン会の担当の小教区で、ですから聖パトリック教会です。現在の主任司祭は東京教区司祭の田中隆弘神父様。

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ミサの最中に18名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。豊島教会では、9時半の日本語ミサの後に12時から英語のミサが行われており、英語を話すかたがたの共同体もあります。アフリカから来られた方々にもお目にかかりました。

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今回の堅信式には、英語共同体も含めて、全体の共同体から18名の受堅者でした。女性も含めて、きびきびと動く侍者もたくさんおり、全体的に引き締まった感じの典礼でした。18名の方々おめでとうございます。ミサ後には、お隣の会館で、堅信祝いの茶話会が開催されました。

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そして午後からは、東京教区の国際センター(CTIC)、外国籍のカトリック青年たちの集まりであるTICYG (Tokyo International Catholic Youth Gathering)が企画する青年の集いに途中から参加。

これは「キリストを通して皆が1つになること」を目的に、TICYG (Tokyo International Catholic Youth Gathering)が、毎年開催しているNational Youth Gatheringを、今年はカリタスジャパンと日本カトリック難民移住移動者委員会(J-CaRM)が共同で行っている国際的キャンペーンである「Share the Journey(日本名は「排除ZEROキャンペーン ~国籍をこえて人びとが出会うために~」)と合流する形で企画された集まりでした。

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プログラム自体は午前中から、関口のケルンホールではじまり、全体としては150名ほどが参加。基本的に英語で行われ、日本語の通訳がつきました。

午前中は、司教団の青年担当でもあるさいたま教区の山野内司教が来られ、午後からはわたしが参加。わたしの役目は、このキャンペーンについて英語で説明すること。わたしの20分ほどの話の後に、二人の青年がその体験を分かち合ってくれました。

そして4時からカテドラル聖マリア大聖堂で派遣ミサ。様々な文化的背景を持った青年たちの聖歌隊が、美しいハーモニーを響かせてくれました。ミサは基本的に日本語でしたが、朗読や共同祈願は多言語で、わたしも日本語と英語で説教させていただきました。

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昨年もこの集まりで感じましたが、理念としてはまさしくキャンペーンの「排除ゼロ」ですが、現実には様々な課題があって、簡単に日本人も含めた多国籍多文化の集いを即座に実現できる訳ではありません。しかし、東京教区をはじめ、関東圏の教会の現実を見れば、すでに教会は各地で多国籍多文化の共同体であり、その現実を反映して、共同体も育てていかなくてはなりません。まだまだ模索状態ですが、さらに良い方向を目指して、来年もまた企画していただきたいです。

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2019年11月11日 (月)

二人の大先輩司祭逝く@新潟教区

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既報の通り、新潟教区の二人の大先輩司祭が、相次いで亡くなられました。アシジのフランシスコ鎌田耕一郎師(91歳)は11月5日の午前中に、ロベルト三崎良次師(87歳)は翌日11月6日の未明に帰天されました。葬儀は11月8日金曜日の午前11時から、カトリック新潟教会で行われ、新潟教区の使徒座管理区長として司式してまいりました。

鎌田師は1928年秋田県生まれで、盛岡で学校に通っている当時に受洗されたとうかがったことがありました。1958年に司祭叙階、その後新潟県内の教会の主任を各地で務めるとともに、幼稚園の園長として活躍されました。また、私の前任である佐藤敬一司教様時代には、司教総代理を務めておられました。2016年に引退されて司教館の隣のビアンネ館に移られましたが、そのときまで新津教会の主任や幼稚園長を務められ、今年の8月くらいまでは、腰の痛みなどの持病はあったものの、お元気に過ごされておられました。

三崎師は1932年新潟県生まれで、1969年に司祭叙階。その後、県内各地の教会で主任を務め、やはり幼稚園の園長としても活躍されました。残念ながら体調不良に悩まされ、わたしが新潟に赴任した頃から、病気療養生活に入られ、その後回復されたものの、主任などの役職からは退かれ、新潟教会の協力司祭として長年勤めてくださいました。今年の7月には、司祭叙階金祝をお祝いしたばかりでした。

新潟教区は、今年すでに70歳の働き盛りの司祭を二人失っています。今回の大先輩お二人で4人です。教区司祭団は12名となってしまいました。

ぜひとも、新潟教区の司祭の召命のためにも、お祈りくださいますようにお願いします。

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以下、葬儀ミサの説教の原稿です。

「神のはからいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる」

新潟教区の数少ない教区司祭団の中から、今年はすでに二人の働き盛りの司祭を失っています。そしてまた、この数日の間に、相次いでさらに二人のベテラン司祭が、神様のもとに召されてしまいました。

「神の計らいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる」と歌う答唱句ではじまる典礼聖歌は、詩篇90編で、「あなたの目には千年も過ぎ去った一日のよう、夜回りのひとときに過ぎない。人の命は草のよう、あしたには花を開くが夕べにはしおれて枯れる」と歌います。

人知を遙かに超えた全能の神は、わたしたち人間の知恵を遙かに超えて、私たちのいのちを支配されている。だからわたしたちは、神の限りない愛による計らいに信頼し、それに身をゆだねていのちを全うしていこう。

そうわたしたちは信じて、神様にこの人生をゆだねようとしています。しかし、神様のお考えになることはわたしたちの理解を超えていて、この小さな教区から、一年のうちに司祭を4名も御許に召されるとは、神様はいったい何をお考えなのだろうかという思いがよぎります。

しかし、限りない計らいのうちに、神様は何かを計画されているに違いない。この日本海側の地にあって、神様はその福音が少しでも広まり、ご自分が創造されたすべてのいのちが救いに与るようにと配慮されているに違いない。「苦しみは、また、人間の人格の中で、愛を誘発するために存在している」と述べられたのは、教皇ヨハネパウロ2世でありました。

ですから、この大きな悲しみと喪失感の中にある新潟教区にも、何らかの計らいがあるに違いない。この悲しみと苦しみから、神は愛を生み出そうとしているに違いない。天に召された司祭たちの人生から、わたしたちが生きる道を学び、その働きを引き継いで、すべての人に神の愛の福音をのべ伝えるようにと、導いてくださるに違いない。そう信じています。

わたしたちにとって召命とは、司祭であれ信徒であれ、キリストに従うすべての者に与えられている神からの呼びかけですから、この出来事の中にも、わたしたち一人ひとりへの召命の道が示されているはずです。

その中でも司祭が忠実にその使命に生きる姿は、勇気を持って神からの呼びかけに応える姿として、すべてのキリスト者の模範であります。
司祭は叙階の秘跡によって、「最高永遠の祭司であるキリストにかたどられて、新約の真の祭司として、福音を宣教し信者を司牧し神の祭礼を執行するために聖別される」とカテキズムには記されています。

すなわち司祭には、三つの重要な役割があるとそこには記されています。一つ目は「福音を宣教すること」。二つ目が「信者を司牧すること」。そして三つ目が、「神の祭礼を執行する」ことです。

その三つの務めのすべては、すべてのキリスト者にとって生きる姿勢への模範を示すものでもあります。

鎌田神父様も、三崎神父様も、長い司祭としての人生の中で、小教区の主任司祭として多くの人と関わり、また幼稚園の園長として多くの幼子たちに関わり、福音を宣教し、教会共同体を作り上げ、宗教者として聖なる者であろうとしました。

晩年は、年齢と病気のため、お二人とも、ご自分たちが意図されたような活躍ができなかったかも知れません。しかし鎌田神父様にあっては、つい数年前まで小教区で主任として働き、幼稚園の園長を務められました。三崎神父様も、体調の制約がある中で、新潟教会の協力司祭として、懸命に尽くしてくださいました。

お二人の司祭としての長年の働きに敬意を表するとともに、わたしたちもその模範に倣って、それぞれに与えられた場で福音を宣教し、教会共同体を育て、聖なる者である努力を続けていきたいと思います。

イエスをキリストと信じる私たちは、イエスに結ばれることで、「イエスを信じ、その御体を食べ、御血を飲む人々を世の終わりに復活させてくださる」のだと確信し、永遠のいのちに生きる大きな希望を持ちながら、この人生を歩んでいます。

同時に、「私をお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人をひとりも失わないで、終わりの日に復活させることである」と言われたイエスの言葉への信頼のうちに、いつくしみ深い神が、その深い愛をもって、すべての人を永遠のいのちのうちに生きるよう招かれていることも信じています。

葬儀ミサで唱えられる叙唱には、「信じる者にとって、死は滅びではなく、新たないのちへの門であり、地上の生活を終わった後も、天に永遠のすみかが備えられています」と私たちの信仰における希望が記されています。

鎌田神父様と三崎神父様は、ともに、50年以上を司祭として、教会のために、すべての人のために、そして神のためにささげられました。今年の7月に三崎神父様の司祭叙階金祝を、鎌田神父様も交えてお祝いしたことを、つい昨日のように思い出します。

お二人は、ある意味での頑固さをもって、司祭として生きることにすべてをかけられた、司祭として生涯現役の人生を送られたと思います。
永遠のいのちへの希望は、「イエスを信じ、その御体を食べ、御血を飲む」ことにあるのですから、お二人とも毎日のミサを最後まで捧げることは、かくことのできない人生の一部であり続けたと思います。

ともに同じ屋根の下で隠退生活を送っておられたお二人が、ほぼ同じ日に旅立たれたことは、不思議で仕方がありません。そこにはわたしたちが理解できない、神の限りない計らいがあることでしょう。

お二人の大先輩の司祭の人生の模範に励まされながら、わたしたちも神の深い計らいの中で、その導きに信頼して、司祭の模範に倣いながら、福音を告げしらせ、教会共同体を育て、聖なる者としての道を歩み続けてまいりましょう。

 

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