週刊大司教第209回:復活節第五主日C
復活節も第五週となりました。
教皇レオ14世の公式写真が公開されています。バチカンメディアのサイトからダウンロード可能で、個人的に、または教会内で使うことができますが、営利目的、商用には許可が必要です。
教皇選挙後にも、新しい教皇様と枢機卿団のミサや集まりが開催されたこともあり、また帰りの便の席を確保する関係から(いつ終わるか不明で、帰りの便を事前に予約ができなかったので)、やっと水曜夜にローマを出る便の席が確保できましたので、帰国しました。ただ、教皇フランシスコの帰天から教皇選挙という一連の出来事が起こる前から、国際カリタスの行事と会議でメキシコなどへ出かけることが決まっており、その前半はキャンセルしましたが、後半の国際カリタス理事会は出席できますので、数日後にはまた一週間、不在となります。
そのため、残念ながら明日の主日の教皇様の就任ミサには参加できませんが、昨晩、5月16日の夜6時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、教皇大使にもおいでいただき、教皇レオ14世のためのミサを捧げました。400人を超える方に参加いただきました。ありがとうございます。なおこのミサのビデオは公開されていますので、一番下にリンクを張っておきます。
以下、本日午後6時配信、週刊大司教第209回、復活節第5主日のメッセージです。
復活節第五主日C(ビデオ配信メッセージ)
週刊大司教第209回
2025年5月18日5月は、教会の伝統において聖母の月とされています。1917年5月13日に、ポルトガルのファティマで、聖母マリアが、ルチア、フランシスコ、ヤシンタと言う三人の子どもに出現され、自らを「ロザリオの元后」と名乗られた奇跡的御出現に基づき、5月13日はファティマの聖母の記念日です。そして、5月31日には聖母マリアの訪問の祝日も定められています。
教皇フランシスコは聖なる年、聖年を告知する大勅書「希望は欺かない」の終わりに、聖母について次のように記しています。
「神の母は、希望の最も偉大なあかし人です。この方を見ると、希望は中身のない楽観主義ではなく、生の現実の中の恵みの賜物であることが分かります。・・・無実のイエスが苦しみ死ぬのを見ている間、すさまじい苦しみにありながらも、主に対する希望と信頼を失うことなく、はいと言い続けたのです(24)」
その上で教皇様は、「海の星(ステラ・マリス)・・この称号は、人生の荒波に中にあるわたしたちを、神の母は助けに来てくださり、支えてくださり、信頼を持って希望し続けるように招いてくださるという、確かな希望を表しています」と記しています。
人生の道をともに歩むわたしたちに、十字架の主が常に共にいてくださり、荒波に飲み込まれ流されることのないようにしっかりと支えてくださっています。その人生の荒波にあって、希望の光を照らし続ける海の星、ステラ・マリスは、神の母マリアであります。聖母はわたしたちの希望の星です。この困難な時代にあって、神からの賜物であるいのちが、暴力から守られ、その尊厳が確立されますように、わたしたちのいのちの希望の道を照らす星、聖母の取り次ぎを祈りましょう
ヨハネ福音は、「互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」という、イエスが最後の晩餐の席で弟子たちに与えた「新しい掟」を記しています。 イエスの愛とは、永遠のいのちへの道を切り開いた、十字架の上での受難と死を通じて示された愛であります。徹底的な自己譲与の愛だからこそ、永遠のいのちへの希望を与えることができました。聖母マリアも十字架の傍らにたたずみ、イエスの苦しみをともにしながら、それでもすべてを捧げて、最初の日に天使ガブリエルに応えたように、「お言葉通りこの身になりますように」と徹底的に捧げ尽くした人生でした。
愛し合うためには、互いの存在を受け入れることが必要です。いのちの危機の中で、自己防衛の思いは、どうしても人間を利己的にしてしまいます。異質なものへの拒否感と排除の感情を強めます。今の時代だからこそ、「互いに愛し合いなさい」という言葉が必要です。
互いに心を開き、耳を傾けあい、支え合い、祈り合う信仰の絆こそがこの絶望的な状況から抜け出すための希望を生み出すのだと、シノドスの道はわたしたちに教えています。
なお次週の週間大司教は一回お休みさせていただきます。6月1日の主の昇天から再開します。
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