聖木曜日
夕方7時から、新潟教会で聖木曜日・主の晩餐のミサを行いました。ミサの中では最後の晩餐の出来事に倣って、洗足式が行われました。12人の男性に前へ出ていただきましたが、近頃はこの12人を確保するのが難しいとか。司教座はその地理的条件から、すぐ近くに住んでいる人が限られているため、なかなか新しいメンバーが増えないのが悩みです。ミサに続いて聖体礼拝が小聖堂で行われ、11時までで終了しました。
ところで、この小聖堂でイエスの「私の記念として」という言葉について考えていたとき、ふと、人間の記憶なんて頼りにならないものだと気づきました。小聖堂は教皇様来日を記念して伊藤司教様が作られたのですが、それで教皇様来日のことを思い出しました。東京カテドラルへ他の修練者と一緒に行ったことは憶えています。でも名古屋からそこまでどうやっていって、どうやって帰ったのか、全く記憶にありません。取捨選択していらないことは忘れるように出来ているのでしょうか。
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