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2005年4月29日 (金)

新潟教区に司祭誕生(3)


 高橋学神父様は5月1日付で、新潟教会の助任に任命いたしました。また石黒神父様の補佐として、青少年の担当もしていただきます。これからの活躍に期待します。
 また教区の信徒の皆様には、彼に続く神学生の発掘にさらにご協力をお願いします。次にまた「10年ぶりの司祭」では、寂しいですから。

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新潟教区に司祭誕生(2)


 10年前に叙階された石黒神父様(新発田教会主任)は、これまでずーっと一番若い教区司祭でしたが、これでやっと後輩が出来てほっとしていることでしょう。
 私にとっても初めての叙階式でしたし、新潟教会という若干狭い場所ですので、叙階の儀式自体が信徒の方の間近に見えて、それはそれは緊張しました。間違えたらすぐ分かってしまう気がするからです。私の助祭叙階式の時は相馬司教様が熱があったそうで、肝心の按手を忘れて、後日やり直しになって大騒ぎでしたけど・・・。今日は忘れずにしっかりと按手をしましたから大丈夫です。

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新潟教区に10年ぶりで司祭誕生(1)


 本日、新潟教区では10年ぶりに司祭が誕生しました。仙台出身のドミニコ高橋学神父の司祭叙階式が、お昼からカテドラル新潟教会で行われました。教区内外から30名の司祭が参加してくださり、近隣の教区の信徒の方も加わって、聖堂は一杯でした。
 

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2005年4月26日 (火)

再び東京へ

 26日の午後からは中央協議会(東京・潮見)で、HIV/AIDSデスク会議があります。現在カリタスジャパンが担当している問題ですので、宮原司教様と私も参加します。また翌27日は、カリタスジャパンの全国担当者会議が、同じく中央協議会で開催されます。全国各教区でカリタスを担当されている方々がおられるおかげで、カリタスジャパンの活動は成り立っています。
 写真は先日カルカッタへ出かけた折にお会いした、神の愛の宣教者会総長シスター・ニルマナです。マザーテレザを継いだ方だけあって、とてもすばらしいシスターでした。カリタスに関わるものとしては、「さすがにそこまで徹底的には出来ないなあ」という自分の弱さへの忸怩たる思いはあるものの、でもシスター方の徹底的な無私・献身の生き方は、宗教に生きる者としては見習わなければならない生きる姿勢だとも感じます。

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2005年4月24日 (日)

京都教区聖書講演会

 木曜日と金曜日は東京の潮見でカリタスの会議でした。本日は京都のカテドラル、河原町教会で聖書講演会をしておりました。京都では昨年まで聖書の連続講座を一回担当させて頂いておりましたが、今年からはそうも行きませんので、本日の聖書講演会をさせて頂きました。カリタスから見た世界などというテーマで話しました。
 ところでこの写真は潮見の中央協議会の6階窓から撮影した潮見駅付近です。10年前に初めてカリタスの仕事に関わって潮見を訪れたときは、駅以外のマンションはいっさいありませんでした。駅前のスーパーもありませんでした。本当にマンションブームですね、あっという間にこれだけマンションが建ち並ぶ町になってしまいました。

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2005年4月21日 (木)

ベネディクト16世誕生

 コンクラーベは「根」を「競べ」る暇もないほど、あっけなく終了し、新しい教皇様が誕生しました。78歳と高齢ながら、ベネディクト16世はこれまでヨハネパウロ2世と長年に亘って歩みをともにして来られた指導者ですから、即座に実務に入られることでしょう。聖霊の働きに信頼しています。また教皇といえども、また司教や司祭であっても、自分の力で働いているわけではなく、多くの人々の祈りに支えられているのですから、やはりここは、教皇様のために更に祈らねばと思うのです。これほど、イメージが固定化されてしまっていて、事前に世界的にある程度評価が定まっており、かつ有名である人が、教皇になるということは、ご本人にとってはさぞかし大変なことだと想像します。
 さらに付け加えれば、ヨハネパウロ二世の時もそうでしたが、バチカンというのは巨大な官僚組織であって、その組織から我々が受ける印象を、結局は代表者がひとりで決定して発言しているように考えがちですが、現実はそんなことはあり得ません。それも勘案して、代表を務める人たちの言動を理解しなければとも思います。過度の不安も、過度の期待も、現時点では持つ必要はないでしょう。

 

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2005年4月19日 (火)

教区司祭静修

 昨日と本日(18日と19日)は、教区司祭の静修の日でした。もちろん昨日から始まったコンクラーベのために、教区司祭一同でミサを捧げました。いまの時点ではまだ決まっていないようですね。一日も早く、ふさわしい方が新しい牧者として与えられるように祈りましょう。
 新潟は桜が見頃となっています。やっと春です。新潟市内を流れる信濃川に沿って広がる「やすらぎ堤」にも桜がありますが、新潟の象徴でもある万代橋沿いに美しく咲いていました。

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鶴岡教会堅信式

 17日の日曜日は山形県の鶴岡教会で堅信式がありました。13名の方々が堅信を受けられました。鶴岡教会は建築後100年ほどを経ている歴史のある教会の建物で、国の重要文化財にも指定されています。鶴岡はまだ桜が咲いていなかったものの、好天に恵まれました。堅信を受けられた皆様、おめでとうございます。

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2005年4月15日 (金)

桜もちらほら

 とても天気の良い一日でした。新潟では久しぶりの好天が続いています。桜も咲き始めました。町の真ん中の信濃川沿いではかろうじて咲き始めていました。若者のグループが、桜は余り見えないので、川をみながら、興じておりました。来週くらいが見頃でしょうか。
 日曜の堅信式のため、明日の午後には鶴岡教会へ出かけます。

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2005年4月14日 (木)

ガーナへの宣教師

 神言会の会員で昨年10月に司祭に叙階され、この5月に宣教師としてアフリカのガーナへ派遣されることになった三枝師が、出発前の挨拶にと新潟を数日間訪問してくれました。三枝師は私が10年ほど前に名古屋で神学生の指導担当をしていた頃、志願生(いわゆる哲学生で、神言会では大学の1/2年生)で、夜遅くまで飲んで語り合ったものです。日本からのガーナへの宣教師派遣は私に次いで二人目となります。これからの健闘を祈ります。
 この1週間は新潟に「珍しく」おります。おりますが、抱えている講演やら原稿やらの準備で、もっと時間が欲しい、です。
 新潟は本日、桜の開花宣言がありました。やっと春になりました。市中心部の信濃川沿いではチューリップの祭りも開かれているようです。

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2005年4月11日 (月)

新庄市共同体訪問


 酒田でミサを済ませたあと、今度は新庄市にある共同体を訪れミサをいたしました。新庄市には教会がありませんが、山形教会が担当して、定期的に公共施設を借りてミサが捧げられています。昨日もホールには50人以上の方が集まりました。その多くが近隣で結婚しているフィリッピン人のお母さんたちです。日本人の信徒の方も3名ほどおられ、互いに協力しながら、長年に亘ってこのような形での共同体が継続しています。
 子供たちも大変多く、教会の将来のためにもその信仰教育が大切です。
 当日はひとりの赤ちゃんの洗礼式も行われ、なにやらばたばたしたミサで、アフリカにいたときのことを思い出してしまいました。とても楽しいミサでした。写真は受洗者のファミリーと山形教会のピアス神父様です。
 ミサのあと夕方には山形教会へ移動して、山形県で働いている全ての司祭修道者と夕食を一緒にしました。といってもイエズスマリアの聖心会司祭3名とオタワ会のシスター3名で、それが山形県の全てなのです!

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酒田教会訪問


 並の殿様より権勢を誇ったといわれる本間家で有名な山形県の酒田へ行ってきました。復活節第3主日に酒田教会で2名の方が堅信を受けられました。
 酒田教会は2~30名ほどの信徒の共同体で、現在は鶴岡教会の巡回となっていますが、共同体は元気で、コーラス有り、お茶会有りと、元気いっぱいに共同体作りが進んでいます。ミサのない日曜には、信徒のリーダーの方による集会祭儀も行われ、信徒の方の結びつきはとても強いように感じました。

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2005年4月 8日 (金)

教皇様葬儀


 本日は故ヨハネパウロ二世教皇様の葬儀の日でした。それにあわせて東京カテドラルでも司教団主催の追悼ミサが11時から行われました。ミサには天皇陛下の名代として皇太子様が参加され、政府からは杉浦官房副長官と谷川外務副大臣が参加されました。参加された方には聖体拝領の途中になぜ拝領祈願から告別式へと進んでしまったのかといぶかしく思われた方も多かったと思います。実は宮内庁から、皇太子様がこういった式に45分以上(だったと思います。正確ではないかもしれません)参列するという前例がないという申し入れがあり、12時2分には退出されるということで、それにあわせて拝領祈願の時間が決まっておりました。ま、教皇様は宗教の指導者でもありながら同時に政治の世界では国家元首ですから、プロトコール上はそんなこともあろうさ、というところです。政治的立場でのバチカンと教皇様の言動と、その宗教的立場を混同して語る方も若干おられるので・・・。
 新潟教区でも本日夜7時より追悼ミサを行い、270人を超える方々が参加して下さりました。ありがとうございます。次は18日から始まる教皇選挙のために祈りましょう

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2005年4月 6日 (水)

インドから帰国しました

 本日夕方、インドから帰国しました。カリタスジャパンの援助した西ベンガルのいくつかのプロジェクトと、津波からの復興に取り組んでいるタミルナドへ行ってきました。もちろんその間に教皇様が亡くなられました。インドでも大きなニュースとして取り扱われ、インド政府は3日間の喪に服すことを宣言し、半旗を政府機関で掲げました。ヒンズー教のインドでもそうですし、世界の多くの国では、非キリスト教国でさえもそれなりの対応をしていますが、なぜか日本ではそうではないようです。そこらあたりに日本の国際政治感覚の「特別」さがあるような気がします。葬儀には日本政府からはどなたが行かれるのでしょうね?
 司教団は8日11時から関口のカテドラルで、また新潟教区では同じ8日夜7時から新潟教会で公式の追悼ミサを行います。時間があればどうぞご参加下さり、祈りをともにいたしましょう。
 インドについては追々報告します。写真は2000年に神言会の総会議の折に教皇様に謁見させていただいた時のものです。

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