2005年9月25日 (日)
今回の教区大会は、とにかく信徒相互の交わりを重視しました。勉強の会ではなく、会議でもなく、共に知り合って分かち合うことを目標としていました。初日の溝部司教様の講話のあと、グループに分かれて名刺交換や自己紹介などをして、奉献されたお酒で親交をさらに深め、お弁当をいただきました。 二日目は朝から聖体賛美式、アンケート結果のわかちあい、そして私が司式のミサで締めくくりました。 写真は初日の夜の集まりで親交を深める各地の信徒の方々。
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第16回となる新潟教区大会は、山形県の鶴岡教会で、23/24の両日、無事開催されました。350人ほどの方々が参加してくださいました。秋田や新潟から駆けつけてくださった方々ありがとうございました。以前は新潟で開催されていたそうですが、今回初めて教区内の他県へ進出いたしました。特に山形の信徒の方々には、新潟教区という意識を深めるためにも意義のある大会だったと思います。次回は3年後ですが、何処で開催するかはこれから考えます。 鶴岡教会の皆様、ご苦労様でした。 写真は初日のミサ、高松教区の溝部司教様司式のミサです。祭壇前には奉献された各地も名物のお酒がずらり。これも今回の特徴ですね。
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2005年9月21日 (水)
昨日の司教叙階一周年にお祝いのメールを下さった皆様、ありがとうございました。すべてに返信申し上げない失礼をお許し下さい。心も新たに二年目を始めたいと思います。 本日は東京でカリタスの援助部会と委員会がありますので、一日中新潟にはいません。今週末金・土には教区大会が鶴岡でありますので、その成功のためにもお祈り下さい。
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2005年9月19日 (月)
昨年9月20日に司教叙階を受けてから一年が経ちました。あっという間に一年が過ぎた気がします。この一年いろいろと支えてくださった皆様に感謝いたします。またまだまだ新潟教区全体を把握し切れていない身で、様々な点で足りないところも多かったと思います。申し訳ありませんでした。支えてくださる教区司祭の皆様、男女修道会の皆様、教区のスタッフ、そして信徒の皆様、ありがとうございます。出来る限りのことには取り組んだつもりですが、皆様の忌憚なきご意見をお願いします。 明日付で司牧書簡を書きました。「御言葉を宣べ伝える共同体であるために」というタイトルで、これからの新潟教区の優先課題を三分野に絞って提示させていただきました。どうぞご一読下さい。また今週末には鶴岡で教区大会もあります。その場でもまたこれからの方向性をお話申し上げたいと思います。 これからもまた皆様のご協力とお祈りを、どうぞよろしくお願い申し上げます。 写真は昨年の叙階式で、按手をしてくださる故佐藤司教様。
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昨日9月18日は亀田教会で堅信式を行いました。亀田といえば「かめだのあられおせんべい」で有名な亀田です。新潟に来るまで、亀田製菓は知っていたものの、亀田という町があることは知りませんでしたね。今年の合併で、亀田は新潟市の一部となりました。堅信は4名の方が受けられました。男性がお一人とあとは女性です。おめでとうございました。 亀田周辺はこれからも人口が増えていくことが期待されています。教会も現在は在籍60名ほどだという事ですが、これから共同体が大きくなっていくことが期待されます。古くなって手狭な聖堂を建て直したいという声も聞かれました。前向きに検討したいと思います。 昨夜は中秋の名月でしたね。皆様の地方では月は見えましたか?新潟市内は夜半に雨が降ったものの、一応しっかりと月を眺めることが出来ました。「ああ、もう秋だなあ」と感じ入ったものです。 写真は亀田教会。
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2005年9月14日 (水)
秋田からの顧問会の帰り、ちょうど笹川流れのあたりで夕刻となりました。写真は日本海に沈む夕日です。沈んでいく直前が一番美しく輝いている、というわけで、没落する前のスーパーパワーの最後の輝きなんかに擬せられるわけですが、ということは、隆盛を誇っているときこそ身を引き締めて振り返らなければならないと言うことですね。ちょうど選挙も終わりました。大勝した自民党のマニフェストにある、残り119の公約にも目を通しておこうと思ったものでした。
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先週末土曜から日曜にかけて、新潟教区最北の小教区、大館教会を訪問しました。神言会担当のこの教会には伴神父様とフェルディマール神父様の二人がおられ、大館とお隣の鹿角の二つを担当しておられます。 どうしても地域柄か若い年齢層がやはり少なく、その代わりに結婚して地域にとけ込んでいるフィリッピン人の奥さんたちが、若い年齢層を形づくっているのが印象的でした。 写真はミサ後に信徒の方々と聖堂の前で。
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2005年9月13日 (火)
昨日と本日は秋田教会を会場に、新潟教区の顧問会を開催しております。年に一度は山形と秋田でも顧問会を開催することにしています。顧問会は私を含めて総勢8名ですから、宿泊などちょっと大変ですね、いろんな意味で。本日は朝から会議を続け、10時45分から秋田教会でミサをして締めくくります。 週末は大館教会におりました。それはまた新潟へ戻ってから。 なお写真は先週滞在した神言会軽井沢修道院の聖堂です。完全な和室ですが、ローマで典礼の規則を書く人たちの頭には、こんな聖堂や、インドなどでの聖堂のことなどは、全く想像もつかないのでしょうかねぇ。
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2005年9月 8日 (木)
たまには自分が神言会会員であることも思い出すため、軽井沢にある神言会の修道院で行われている黙想会に顔を出しております。全国から20人近い会員が集まっています。夏の間には同様の黙想が4度開催されますので、全国で働く120名ほどの会員の大多数が集まってまいります。 今日は神言会が1875年にオランダのシュタイルで創設された記念日です。神言会はSVDという略称ですが、かつてSmoke we don't, so we drink.(たばこは吸わないが酒は飲む)と揶揄されたそうです。ドイツ人のWの発音が英語のVにきこえるからのSVDの意味合いですね。もっとも130年前の本日、創立者は酒場の建物を買い取ってそこでビールで仲間と乾杯して神言会を始めたといいますので、あながち間違いではありません。今では酒だけでなく、たばこを吸うことも許可されるようになりましたが。 さて今日は午後から社会司教委員会があるため、半日だけ東京に出かけます。
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2005年9月 5日 (月)
今日は午後一杯、新潟県のカトリック幼稚園17園を統括する聖母学園の理事会と園長会が、司教館で行われました。理事長は高藪神父様です。幼稚園ですから大学や高校と違うとはいえ、他の幼稚園法人と多少違い、17もの園が傘下にある大きな法人ですから、事務処理も並ではありません。明日から土曜日まで神言会の黙想会に参加するため軽井沢におります。その後次の日曜は秋田県の大館教会訪問、来週の月・火は秋田で教区顧問会です。 ところでアフガニスタンで殺害された二人の方、本当にお気の毒だったと思います。アフガニスタン入国の実際の経緯はご本人たちしか分からないのですから、安易な批判は控えたいと思いますが、無理をしたなという印象はあります。こういうときにすぐ「外務省の渡航情報が出ていたのにどうして出かけた」みたいな批判が出るものですが、あれが参考情報程度にしか役に立たないのは現場で働いていたものはだいたい知っていることでしょう。親身になる人物もいることは確かですが、一般に日本の大使館が他国に較べても情報不足であることも、第三世界諸国で働いたことがあって危ない目にあった人はだいたい知っているでしょう。
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先ほど報道ステーションにCNNからの映像でウィントン・マルサリスが出てましたね。彼のお父さんはニューオーリンズのフレンチクォーター裏手にある聖アウグスチン教会のオルガニストでした。聖アウグスチン教会は神言会が担当しているカトリック教会で、南部で働く神言会員のうちこの教会の主任司祭だけが、最後まで安否が確認されていませんでしたが、先ほど消防隊員に無事を確認されたようです。 救援において政府が人種差別をしているという指摘は、あたっているようですが、実はそうではありません。その点では自らマイノリティー出身の(とえいるかは実は疑問もあるのですが)ライス国務長官が政府を擁護したのも当然でしょう。問題の根幹は今にあるのではなくて、これまでの歴史にあるのであり、黒人だろうと白人だろうと、合衆国の構造の中で貧困層にある人たちを直撃したと言うことであり、そして貧困層には黒人が多いと言うことです。すでに災害が起こる前からこの人たちはvulnerableであったと言うことです。もちろんイラク戦争で亡くなる人たちにも貧困層の人たちが多いというのも同じ構造です。 問題は今始まったのではなく、すでに存在していたのです。
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2005年9月 3日 (土)
ところで不在の間に合衆国ではハリケーンがありましたね。ニュースに良く登場するビロクシという街の隣には、神言会の修道院があります。かつてアフリカンアメリカン(黒人)が合衆国内では司祭になれなかった時代に、唯一彼らを神学生として受け入れていた神学校があったところです。神言会と言えば合衆国ではアフリカンアメリカンを中心に、当時の人種差別を乗り越えた修道会として名前がしれています。そのためかアフリカンアメリカンの司教にも神言会員が多く任命されています。その一人メンフィスの教区長スタイブ司教も、たまたまそこに居合わせて孤立しているようです。修道院はめちゃめちゃに破壊されたと言うことですが、連絡がうまく取れずに、詳しいことは分かっていません。 合衆国政府が遅まきながら乗り出しているので、だんだんと何とかなっていくと思います。そういうと怒られるのかもしれませんが、やはり相手が合衆国ですから、日本のマスコミに登場する情報量は圧倒的に多いですね。それだから助けなくて良いと言っているわけではないので誤解して欲しくはないのですが、毎年バングラデシュなどを襲っている洪水は、被害規模も同じようなものですが、なかなかあそこまで報道されることはありませんよね。 写真はナイロビのスラム街キベラにて。
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昨日アフリカ視察旅行から帰国しました。留守にしてすみません。今回はカリタスジャパンの援助先視察です。基本的に現在は東アフリカを中心に資金提供をしています。ケニヤに信頼できる現地担当事務所があることが一番の理由ですが、これまでの関わりの経緯もあります。今回は私と援助部会委員でさいたま教区の矢吹助祭がウガンダへ、同じく援助部会委員のロジェ神父が、現地で合流した佐藤新神父(ケニア派遣の宣教師)とともにルワンダへ出かけ、最後に合流してナイロビのキベラというスラムで、援助している女性自立プログラムを視察して終わりました。最後にコンゴ国籍のロジェ神父がオランダの通過ビザを持っていなかったために帰国便に搭乗できないというハプニングがありましたが、基本的には無事に終了しました。ちなみにロジェ神父はまだ帰ってきません・・・! さて今回の訪問についてはまた詳しく記しますが。写真は訪問したウガンダ北部グル郊外の避難民キャンプで撮影した水くみ場です。一万人はいると思われるキャンプに唯一のポンプには、水を入れるプラスチックタンクが列をなしていました。報道は全くと言ってありませんが、かなり過酷な状況でした。
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