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2005年12月31日 (土)

良い年をお迎え下さい

あっという間に大晦日になってしまいました。皆様にとって、この一年はいかがでしたか。この9月には司教としての一年目を無事終了し、二年目を始めることが出来ました。一通り新潟教区全体を訪問し終わり、これまでで分かった範囲で、これからの新潟教区の進む方向性を、9月20日付の司牧書簡である程度明確にしたつもりです。これからその中で示した優先事項を、一つひとつ具体化していくことに取り組んで参ります。中でも小教区共同体の育成とお一人お一人の霊的育成には出来る限りの力を注いで参ります。教区の仕事だけではなく、司教団の仕事としてカリタスジャパンの担当や東京大神学院の運営などに携わっており、そのために東京へ会議で出かけることも多かったと思います。また秋田や山形へ出かけていることもしばしばあり、なかなか新潟で充分に時間を過ごすことが適いませんでした。もっと新潟での地元との「繋がり」を深めて行かなければと反省しています。

「司教の日記」も始めてからまもなく1年になります。信徒の方と話している中から誕生した日記ですが、多少は教区の中での情報交換に役に立ってきたでしょうか。新潟、山形、秋田と離れて暮らす兄弟姉妹が、お互いの存在を感じる縁となればと念じております。先日からはブログ形式に変更しましたが、毎日の管理が容易ではないため、コメントをつけることができないようにしてあります。これは申し訳ありませんが、当分そうしておきます。ご意見や質問がありましたら、メールをご利用下さい。

インターネットが普及して、互いの意見交換が簡単にできるようになった反面、表面的なその場の感情のやりとりのような側面があるように感じます。時として揚げ足取りのような意見交換も見られます。意味のある意見交換も多くありますし、情報伝達が容易になった効果は大きいと思うのですが、反面、空騒ぎとでも言うほどのやりとりで盛り上がる側面も否定できません。それはそれで構わないのですが、なにか本質とは無関係のところで多数が空騒ぎをしている影で、ほくそ笑んでいる何者かがいるような思いも、時にはいたします。

どうぞ皆様、良い年をお迎え下さい。2006年がお一人お一人にとって、心にやすらぎを与え、福音における喜びを頂ける年となりますように。

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2005年12月26日 (月)

いなほの事故

秋田から新潟へ向かっていた特急「いなほ」の事故がありました。亡くなられた方々、怪我をされた方々のために心から祈ります。

私もしばしばあの時間の「いなほ」は使いますし、これからも使います。しかも秋田と新潟を結ぶ「いなほ」は、朝・昼・晩と3本しかなく、他にチョイスがありませんから。酒田と新潟間はもう少し本数が多いのですが、秋田からは、今回の事故の報道から分かるように、6両編成でも40人ほどしか乗客がいないため、秋田と新潟直通はこれ以上本数は増えないのかもしれません。秋田にしても山形にしても新潟にしても東京方面の連絡はよいのですが、日本海側の縦の連絡は本当に貧しいものがあります。羽越本線は単線と複線が入り交じっていたり、海岸線を縫うように走る部分があるため、基本的に高速走行は出来ないのでしょう。事故があった最上川の鉄橋あたりは、何もない平野をまっすぐに突っ切る部分なので、一番スピードを出しやすい部分なのかもしれません。しかし冬にあそこを通過すると分かりますが、基本的に新潟や秋田で雪が降っていなくても、また山形で鶴岡あたりで雪が降っていなくても、あの最上川のあたりは、多くの場合吹雪であることが多いのに驚かされます。夏場でも激しい雨が降るのはあのあたりです。何か地理的な特性があるのかもし得ません。

朝のワイドショーなどでは、運転士の回復運転についての言及がありました。1時間以上の遅れが出ていたためです。尼崎の事故の記憶があるからでしょう。でも「いなほ」にしばしば乗っていれば気がつきますが、あの電車は(特に秋田と新潟間の長距離)、遅れるのが普通です。すでに触れたとおり、単線部分でのすれ違いは、JR貨物の列車が多いこともあり非常に多く、多少は遅れることをかなり承知で常連は乗っていることだと思います。特に1時間も遅れればもう回復運転はしないでしょう。最もこれは運転士さんに聞いてみないと分からないことではありますが。

事故車両はJR 東日本の485系で、国鉄時代から有名な交直両用の特急車両を改装した中でも、どちらかというと新しい車両です。1975年製造の車両も残っているようで、名古屋でもかつて金沢へ行く「しらさぎ」に使われてましたし(ここも米原あたりで交直入れ替わります)、一番格好いいのは八戸開業前に盛岡から「はつかり」に使われていたリニューアル車両でした。とにかくいまでも全国で使われている車両かなりポピュラーな車両です。で、「いなほ」には別編成の古い車両も使われていますが、基本的にはどちらもかなり重たい車両だと思いますから、仮に本当に突風でとばされたのだとしたら、もしあれが最新鋭の軽い車両であったらどうなっていたかと思います。

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2005年12月24日 (土)

クリスマスおめでとうございます

IMG_1536  新潟教区の皆様、主の降誕のお祝いを申し上げます。

今夜のミサは新潟教会で夜8時から捧げさせていただきました。新潟教会ではこのあと12時からも、高橋神父様の司式で真夜中のミサがあります。明日は午前10時から新潟教会で日中のミサを捧げます。明日のミサの説教は大瀧神父様です。

今夜は新潟も聖堂が一杯でした。久しぶりに訪ねたという方も大勢おられましたし、信者ではない方も相当おられました。拝領の時に祝福を求めてこられた方が多数おられました。新潟では小学生の兄妹の洗礼式も致しました。ミサは例年通りデ・アンジェリスのグレゴリアンを唄いました。

大雪で移動に困難を極めている方もおられると思います。明日ミサにお出かけでしたら、気をつけておいで下さい。大雪で無理なら、どうぞ家で心を合わせてお祈り下さい。皆様良いクリスマスを!IMG_1563

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2005年12月22日 (木)

大停電

 新潟は朝から大停電でした。朝食の時は良かったんです。いつものように小倉さんの「とくダネ!」を見ていたら、画面がやにわに乱れたかと思うと停電。一時間くらいで一度は戻ったので、安心したらまた停電。さらにまた戻ったので今度は11時の月曜会のミサに聖堂へ向かう。嵐のような天候なのに8人ほどの会員がミサには集まって、さあ始めようとしたらまた停電。仕方なくだんだんと冷えていく聖堂でミサを捧げ、聖体拝領になって御聖体を掲げたら電気が戻る。さすが御聖体、と思いきや、聖体拝領が終わると同時にまた停電。今度は4時過ぎまで戻りませんでした。

 いやはや電気がないと何も出来ません。もちろんコンピュータは動かない。ストーブも動かない。たまたま司教館には昔ながらの石油ストーブをとってあったので、暖をとることは出来ました。今日は給料日でしたから、振り込みで事務所はてんやわんやでした。

 原因は未だにはっきりと分かっていませんから、東北電力は今日は大変だったでしょう。そうです。新潟は東北電力です。北陸電力や中部電力とは周波数が違うので助けてもらえません。テレビで解説されたような原因であれば、またまた起こる可能性はあります。新潟県庁は非常用の発電機が動かなかったとかで、前回の地震の時の無線の件と言い、知事さんは恐縮しきっていました。こう言うときに弱点が分かって良かったかもしれません。未だに停電の地域があるということで、特に独居高齢者の健康が気遣われています。

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2005年12月21日 (水)

司教館にいればいたで・・・

 昨日は新潟清心女子中学高校のクリスマス礼拝で、ミサをして参りました。いろいろな機会に、信者さんがごく僅かで参加者の大多数が信者さんではないミサを捧げることがあります。なるべく何をしているのか、言葉を労して説明するようにしています。教会でのミサであれば、ちょっと語りすぎかもしれません。とはいえ、ガーナにいたときは、あの文化は語る文化ですから、ミサ中もやたらと話しましたね。聖体拝領後にもう一度説教したりして。奉納の時なんかもやたらと語りました。日本であれをした日には、うるさがられるのだと思います。

 清心にはすてきなハンドベル部があります。生徒さんの中にはすごい技術を持っている子もいて、オペラ座の怪人のテーマをやっていたのですが、両手にそれぞれ二つずつベルを持って、それを交互にひとつずつ早業でならしている姿なんて、見惚れてしまいました。コーラスも迫力がありました。毎年1月に、京都のとある女子校で高校1年生に二日間に渡り修養会で話をしていることを、ここ7・8年続けているのですが、ここの生徒さんたちは蚊の鳴くような声でしか歌が歌えない。それに較べて清心の生徒さんの歌には迫力がありました。アウグスティヌスの言葉でしたか、「歌う人は二倍祈る」です。

 とりとめもないことを書きますが、音楽は教会にとって大事ですよね。もちろん私はかろうじて第二バチカン公会議前のミサを知ってますし、侍者で階段祈祷もラテン語をカタカナ書きで暗記しましたし、小神の頃は毎日曜のミサがラテン語でしたし(歌がグレゴリアンだけでなく、朗読と説教以外はすべてラテン語)、今でもラテン語の歌は最高の典礼の音楽だと思っています。ミサのクレドなんて、一番有名なのは3番でそれもいいのですが、1番を歌った日には涙が出ます。寝る前の祈りで、福音の歌はラテン語が一番美しいですし、ミサをしていて叙唱なんて、ラテン語のメロディーに勝るものはありません。

 そうであるとは思うのですが、しかし、それにもかかわらず、やはり日本語の歌をしみじみと歌うと、心の底から祈ることが出来る。当たり前です。美しく深い音楽に感動することも宗教には大切ですが、やはり自分の言葉で、心から祈ることは不可欠です。第二バチカン公会議が終わってからまだ、たったの40年。40年で最高の典礼音楽が出来るはずもありません。今ある日本語聖歌がすべてすばらしいわけもありません。試行錯誤をこれ間らも続けて、次の次の世代の頃には、是非日本語で本当に心から祈る事が出来る典礼音楽を確立していって欲しいと思っています。ですから当分の間はがちゃがちゃするのです。仕方がないと私は思います。

 私自身、一部の人たちからは蛇蝎の如く忌み嫌われる、ギター伴奏の聖歌を、神学生時代に何十も作曲しました。神学生のミサで歌われ続けて、結局残っているのは2・3曲です。そんなものです。良いものは残っていくのです。駄作は消えていくのです。

 先日クララ会の修道院に泊まったとき、晩の祈りに参加しました。ゆったりと朗唱(レチタティーボで、つまり典礼聖歌の詩編のように歌われる)される詩編を一緒に歌いながら、そこはかとない感動を覚えました。詩編の言葉を味わって祈るには、やはり自分の言葉が一番です。

 

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2005年12月19日 (月)

名古屋は大雪

 私が長年暮らしていた名古屋は50何年ぶりかの大雪だったそうです。今朝は20センチ以上も雪が積もったとか。交通機関の混乱ぶりが想像できます。今現在の新潟市内よりも寒くて雪深いかもしれません。

 教区の公式ホームページはほぼ出来上がりつつありますが、一応イメージを一ページだけ、この「司教の日記」にはいる前の「新潟教区のページ」から見られるようにしておきましたが、ここからもご覧頂けると思います。アドレスを(独自サブ・ドメイン)を取得する手続きを中央協議会でしているところですし、実はまだサーバーが決まってませんので、実際の公開はもう少し先になるかと思いますので、お待ち下さい。http://homepage2.nifty.com/isaoymk/Dioceg01.html

 クリスマスが近くなり、いろいろなところでクリスマスの礼拝や集会やミサや行事が始まっています。明日は新潟の清心女子中学・高校でクリスマス集会があり、ミサをしてくる予定です。クリスマスの行事が続くこの季節にこそ、その雰囲気に浸りながらも、神が自ら人のかたちをとり、親の保護を必要とする幼子となるという仕方で、私たちと同じ人間になって下さったことの意味を、信仰の目でもう一度ふり返る時を持ちたいと思います。一体私たちは何を信じているのか、何に感謝して祈りを捧げるのか、私たちが信じる福音は、私たちの日々の生活に、判断に、行動に、言葉に、一体どういう影響を及ぼしているのか、そもそも実生活に本当に信仰が関与しているのか、それとも信仰は単に日曜日の友なのか、ふり返る時を持ちたいと思います。

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2005年12月18日 (日)

冬本番か?

 この数日、全国的に本格的な冬の気象状況となっているようですが、いつもは雪の少ない新潟市内でも、この数日は雪模様です。特に今日は風が強くて下から舞い上げるように雪が降っていました。

 この週末、神言会のキサラ管区長が所用のため来訪されました。あいにくの天気でしたが、せっかく冬の新潟へ来たのですから、白鳥などの渡り鳥が見られる福島潟へお連れしました。雄大な自然を少しは楽しんでいただけたと思います。私自身も福島潟の入り口にある旧農家を移築した建物の中で、囲炉裏の火に当たり、煙にむせびながら、案内をしてくださるおじいちゃんの話を聞いてお茶を頂き、何かしらほっとする体験をさせていただきました。

 中越や上越では大雪となっていて被害も出始めています。地震の被災者の方々の多くはまだ仮設住宅に住んでおり、雪下ろしに苦労なさっていると聞きました。

 今週末のクリスマスのイブから今度の日曜のクリスマス、そして一気に年末年始へとなだれ込んでいく時期となりました。どうか健康でよい年末年始をお迎え下さい。来年新年1月1日の年頭司牧書簡は印刷が間に合いません。申し訳ないのですが、とりあえずプリントアウトした原稿を主任司祭の方々には1月1日前にファックスさせていただきます。印刷した正式版は年が明けてからの発送となります。申し訳ありません。TS280096

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2005年12月14日 (水)

司教総会終わりました

 特別臨時司教総会が二日間の討議を持って終了しました。一応予定通り終わり、午後からのカリタスの会議も早く終わったので、無事、新潟へ戻ることが出来ました。東京でテレビを見ていると新潟のすべてが雪に覆われているようで心配しました。中越、上越のかたがた、大丈夫ですか?新潟市内は雪はありませんでした。

 司教総会は典礼について話し合うために特別に行われました。ご存じのように現在私たちが使っている日本語の典礼は、第二バチカン公会議後に数年間の試行のために翻訳されたもので、見直しが何十年も前になされるべきものでした。今やっと見直しをしています。見直しを始めて何年も経っています。「聖書と典礼」にはすでに何年も前から、新しい祈願文の試みが掲載されてきました。今回取り扱ったのは典礼の一番中心となるミサのはじめから終わりまでの典礼文です。

 今回は私のようなものにとっては本当に勉強になりました。これまで作業を続けてきた典礼委員会からは4名の方が代表として参加して、なぜそのような翻訳になったのか、これまでの歴史に基づいて説明してくださいました。中でもかつてイタリア司教協議会の典礼顧問やバチカン典礼秘蹟省の秘書を務められた司祭が日本の典礼委員会に存在してくださるのは、心強いものがあります。

 今回の翻訳の基本はなるべくラテン語規範版に忠実でありながら、日本の文化と教会の現実へ適応させる事、そのために典礼が出来上がってきた歴史的神学的背景に立ち返る事でした。ラテン語規範版の翻訳には難しいものがあります。これはラテン語を学ばれた人ならすぐ分かるでしょうが、ひとつの言葉が何処にかかるのかだけでも大論争になります。それにラテン系の言葉で簡単に言い表すことが出来ることを日本語にするのも難しい。新しいミサ典書が発行されるときには、詳細な解説書を一緒に出すことも決まりました。

 さてこれをこれから、英語に翻訳して、そしてバチカンの承認を得なくてはなりません。加えて聖週間の典礼や固有の祈願など、まだ翻訳が承認されていない部分は次回以降の司教総会で取り扱うことになります。まだまだ時間がかかりますね。

 東京の本所教会が、久しぶりにテレビに出てますね。日本テレビのドラマ。菅野美穂と玉置浩二の番組です。日本26聖人に捧げられたこの教会には神学生の頃、まだ下山神父様がおられた頃、2月の殉教祭ミサにグレゴリアンを歌ったりブラスバンドの演奏のために毎年訪問したものです。下山神父様がご存命だった頃、一度、大竹しのぶが出演した戦中ドラマでミサのシーンに使われたことがありました。役者さんのまねする昔のミサがあまりにもぎこちないので、下山神父様が結局自分で昔のミサをしたと聞きました。下山神父様が大竹しのぶと撮影した写真を自慢して見せてくれたのを憶えています。

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2005年12月12日 (月)

臨時特別司教総会

 週末、土曜日の夜と日曜日は、東京の豊島教会でお話をさせて頂きました。いろいろと断り切れない義理もありまして、よその教区まで出かけた次第です。さて今日の夜から水曜日にかけては、臨時特別司教総会です。通常は司教総会が6月に、臨時司教総会が2月に開催されるのが恒例なのですが、今回は「特別」に行う2日間だけの臨時司教総会です。二日間をかけて典礼の新しい翻訳について、話し合いが行われる予定です。また今回の総会には先日任命された郡山被選司教様と平賀被選司教様も参加されることになっています。

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2005年12月11日 (日)

仙台司教決定

 昨晩ローマ時間のお昼の、教皇様は仙台教区司教として同教区管理者である平賀徹夫神父様を任命されました。バチカンのホームページで確認いたしました。叙階式は未定です。平賀被選司教様のためにお祈りください。仙台は故佐藤司教様のあと二年ほどのブランクを経て溝部司教様が任命されましたが、溝部司教様は昨年高松へ転任になり、再び一年以上のブランクが続いたことで、心配をしておりましたが、決まって良かったですね。

 ただいま黙想会のため東京の豊島教会にきています。ですから詳しくはまた後日記します。

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2005年12月 8日 (木)

鹿児島の司教叙階式

 先日教皇様から鹿児島教区長に任命された、郡山被選司教様の司教叙階式は、2006年1月29日(日)午後2時から、鹿児島のカテドラルで行われることになりました。当日はどうぞ新しい司教様のためにお祈り下さい。

 ところでこうなると仙台の司教がどうなるかが気にかかります。カトリック新聞などの投書欄にしばしば、早く司教が選ばれるように日本の司教団はどうにかしてくれないかという趣旨の投書が見られたことがありました。わたしが司教団を代表して発言する立場ではありませんが、司教たちも早く決まらないかと気をもむことしか出来ないのです。本当に、他の教区の司教任命に関しては、発表になるその日まで知らされませんし、ましてや教会管区(東京・大阪・長崎)が違っていると、どんな人が司教の候補になるのかも全く知らないのです。司教候補者をバチカンに提案するのは教皇大使の専権事項で、厳しく秘密が守られることになっています。ですから仙台についても、発表されるひまで、私たちも知らずにいます。

 郡山被選司教様は1942年生まれですから、司教団の中で私が一番年下という状況はまだ変わりませんね。仙台がどうなるのか、期待を持って見守りたいと思います。

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2005年12月 7日 (水)

寒さも和らぎ・・・

 昨日の雪とうってかわって、新潟市内、本日は日が少し射しています。暖かいとは言えないものの、風が吹いていない分、昨日よりは過ごしやすい日となりました。

 来年の夏頃から主に上越地域を中心に新潟教区で働いて下さる予定の、無原罪の聖母フランシスコ姉妹会のシスター方が本日午前中に司教館を訪問されました。フィリッピンの修道会で、すでに京都教区で滞日外国人司牧のためにこの10年ほど働いてくださっています。新潟教区に何名のシスターが来られて何処でどういう仕事をするかなど、細かい打ち合わせはこれからとなります。

 今夜から明日午前中にかけては、東京神学院の司教常任委員会のため、東京へ出かけます。日本の教会は原則として教区司祭養成を東京管区と大阪管区は東京神学院、長崎管区は福岡のサンスルピス神学院で行うことになっています。東京については以前はイエズス会に教育を委託していましたし、神学生も上智大学に入学していましたが、現在は司教団が自前で運営する形式となっており、上智に入学することもありません。昨年からはバチカンのウルバノ大学と提携して、所定の単位を取得した場合にはウルバノ大学の学士号を取得できるようになっています。

 神学院を独立して運営すると言うことは、そのカリキュラムから考えても容易なことではありません。神学院で教える資格を持った教員(その多くが司祭)を、必要なだけそろえることが一番難しく、そのため日本に数軒ある教区と修道会の神学校では、互いに兼任する教員を抱えることになります。教会全体の規模から言っても、効率の悪い話です。先頃発表された教区司祭養成の神学院を統一する話も、そう言う流れから出てきました。修道会系の神学校も、神学教授の場としては将来的に集約されていくのかもしれません。

 写真は東京大神学院の聖堂。IMG_0970

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2005年12月 5日 (月)

新潟は雪・雪・雪

 新潟市内は今日は朝から雪・雪・雪です。長岡や上越あたりではあまり降っていなかったようですが、新潟市内はこの時期にしてはとても珍しく、思いっきり降りました。土曜日にタイヤ変えておいて正解でしたね。

 で、今日はこの雪の中、新潟県内17のカトリック幼稚園を統括する学校法人聖母学園の理事会(理事長は高藪神父様)と園長会がお昼から開かれました。そしてそのあと夕食からは、教区司祭の待降節の静修です。今回は東京教区の澤田神父様に指導をお願いしました。澤田神父様は80を超える超大先輩ですが、新幹線に乗って新潟まで来ていただきました。そしていつものように、よく考えさせるお話をしていただきました。静修は明日の午前中まで続きます。

 澤田神父様と言えば、私が神学生時代の20年以上前にも、名古屋の神学院で隔週講義をお願いしていました。「霊性神学」です。おいでになるときはいつもの長靴によれよれ姿で、朝早く、東京からの夜行バスで到着されました。ある朝、新人神学生がミサの前に、「不審者が神学院をうろついている」と大騒ぎになったことがありますが、不審者とは、誰あろう、よれよれ姿の澤田神父様でした。

左は集まった教区司祭、右はお話しされる澤田神父様。IMG_0068  IMG_0069

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2005年12月 4日 (日)

長岡での堅信式

 下でも触れましたが、本日は長岡で堅信式でした。長岡にはJR線を挟んで福住と表町の二つの小教区があります。それぞれの幼稚園が付属しています。どちらかというと表町の方が長い間フランシスコ会ボロニャ管区の拠点修道院であったこともあり、コンクリートの大きな建物です。設計は柏崎のバッシ神父様だそうです。長岡の主任はブルーノ神父様で、福住と表町、さらに十日町の主任をかねておられます。さらに日曜日には浦佐にある大学へも外国人留学生のためにミサをささげに行くという、超人的な働きをしておられる神父様です。

 本日の堅信式は福住と表町両方の合同堅信式で。表町の聖堂で行いました。すでに土曜の夜7時に集まって、堅信を受ける人たちをはじめそのほかの信徒の方々も集まり、待降節の黙想会をしました。聖体顕示のあとに私が話をして、終わってからは持ち寄りで楽しく夕食でした。本日は年齢も中学生から70代まで、7名の方が堅信を受けられました。おめでとうございます。

 心配だった雪も今日の午後は晴れてきたので道路も問題はありませんでしたが、この数日、高速道路は横風が強くて、運転も大変です。IMG_0062 TS280094

右は本日の受堅者とブルーノ師。

左は新潟市内古町の大和デパート恒例の踊るクリスマスウサギ

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鹿児島教区に新司教

 長岡、表町教会での堅信式から戻り、いまバチカンのホームページを何気なく見たら、昨日(12月3日)の昼、すなわち日本での昨晩、教皇様は鹿児島教区の糸永司教の引退を認め、後任として同教区の志布志教会主任である郡山健次郎師を司教に任命されたということです。郡山被選司教は1942年に奄美大島生まれの63歳。叙階式などの日程は未定です。これまでは発表の当日の朝頃には各司教には大使館から連絡があったのですが、今回は全く知りませんでしたので、驚きましたね。新しい教皇様になった手法が代わったのかもしれません。

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2005年12月 3日 (土)

雪もちらつく週末

 新潟はこの週末、厳しい寒さとなっています。新潟市内でもみぞれのような雨模様になっていますので、山間部では本格的に雪が降っている模様です。明日は長岡の2教会(福住と表町)合同の堅信式が予定されています。長岡に出かけるために、先ほどあわてて車のタイヤを冬用に替えてきました。

 来週は教区司祭の静修のあと、東京神学院の常任委員会(運営委員会のようなものです)、そしてそのあとに臨時特別司教総会が控えています。12月13日と14日です。今回は二日間かけてミサ典書の新しい翻訳に関して話し合う予定です。典礼は教会の中心ですから、出来る限り原文(ラテン語)に忠実でありながら、かつ日本語としておかしくないどころか、日本人が美しいと感じる翻訳にならなければいけません。もちろん一朝一夕で出来上がるものではなく、典礼委員会がこの数年間、典礼学者、国語学者、音楽家など様々な分野の専門家を入れた小委員会を設置し、会議を繰り返して出来上がってきた原案を、神学校や修道院、そしていくつかの小教区で数ヶ月実際に試用してみた上で、再び作り直して練りに練った原案が出来てきています。すでに今年の2月と6月の司教総会でも典礼委員会からの説明を聞いて討議したのですが、まだいくつかの点について討議が尽くされていないと感じたために、今回の臨時特別司教総会開催となりました。この資料を読んで準備するだけで大変なことであります。

 日本語に翻訳しなければならない典礼書はまだ山のようにあるのですが、(例えば教会の祈りは本来は4分冊ですが、日本では今でも簡略一冊版ですし、典礼書の中でも荘厳な祝福などは翻訳がすんでいませんし、大切な聖週間の典礼は今でも決定訳ではありません)翻訳に当たることが出来る人数や典礼の専門家も限られているため、時間のかかる作業となっています。

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2005年12月 1日 (木)

世界エイズデー

 12月1日は世界エイズデーです。全体として数字的にはまだ少ないものの、日本においても様々な要因から感染してしまう人が増えていると言われます。もちろんアフリカをはじめとした第三世界諸国でHIV/AIDSは国家の根幹を揺るがす深刻な問題ですが、先進国の中でも日本では一般に危機感が持たれていないためか、将来的な感染の急増も心配されています。カリタスジャパンのエイズデスクでは今日のためにメッセージを作成しました。カトリック中央協議会のホームページに掲載されます。また国際カリタスもメッセージを出しています。長くなりますが、全文掲載します。届いたばかりなので、英語のままです。写真は新潟市内ネクスト21でのエイズデー関連の展示。

World AIDS Day 2005

Statement of Caritas Internationalis:

“Keeping the Promise in Service, Advocacy, and Faith”

In 1987, more than 150 members of Caritas Internationalis[1] included the situation of HIV and AIDS as a concern for prioritized reflection and action in the Confederation Work Plan. At each subsequent General Assembly of Caritas Internationalis, held every four years, the HIV pandemic has warranted similar attention and commitment.

The Caritas Confederation of national Catholic emergency relief, social service, and development organisations has kept its promise to contribute significantly to the global response to HIV and AIDS in the following ways:

  • by disseminating information and educational opportunities about HIV and AIDS among its member organizations and other Church structures in all parts of the world;
  • by promoting solidarity in support of HIV and AIDS programs sponsored by Caritas and other Catholic structures in developing countries;
  • by advocating on the global, national, and local levels for a more comprehensive laws and policies to assure full access to care, treatment, support and education among those living with and/or affected by the pandemic;
  • by discouraging stigma and discrimination and encouraging compassionate, non-judgmental care and attention toward those who directly know the impact of HIV.

In June 2005, Pope Benedict XVI indicated his intention to maintain the policy of his predecessor, Pope John Paul II, who distinguished himself through particular care and concern for those living with HIV and AIDS. Thus Pope Benedict urged a group of African Bishops visiting the Holy See:

I urge you to continue your efforts to fight this virus, which not only kills but seriously threatens the economic and social stability of the continent. The Catholic Church has always been in the forefront, both in prevention and in treatment of this illness.[2]

Inspired by the encouragement offered by our Holy Father, Caritas Internationalis pledges itself to “keep the promise” in the global response to HIV and AIDS by building capacity among its member organisations and other Catholic health and social service organisations worldwide: TS280093

·       to “scale up” their HIV- and AIDS-related activities as is demanded by the growing threat and impact of this pandemic;

·       to fulfill the commitment of collaboration with UNAIDS in accord with the Memorandum of Understanding between our two organisations first established in 1999, but always maintaining conformity to the teachings of the Catholic Church which provide the foundation of Caritas action in the world;

·       to advocate for more transparent and more comprehensive “keeping the promises” made by governments in the 2001 UN General Assembly Special Session on HIV and AIDS and in the Millennium Development Summit;

·       to join with our sisters and brothers living with HIV and AIDS in their attempts to live positively and responsibly with this virus.

On this World AIDS Day 2005, Caritas Internationalis renews its faith in God and its adherence to the strategies promoted by Pope John Paul II in his message to the observance of the World Day of the Sick, held on

11 February 2005

, in

Yaounde

,

Cameroon

:

Everyone must feel involved in the battle against AIDS. In this area too, it is the task of government leaders and civil authorities to make available to citizens clear and correct information, and to earmark sufficient resources to provide education in health care for young people. I encourage international organizations to promote initiatives in this field that are inspired by wisdom and solidarity, and always to strive to defend human dignity and to protect the inviolable right to life …

Of course, financial resources are necessary for scientific research in the health-care sector and further resources are required to put the newly discovered drugs on the market, but in the face of emergencies such as AIDS, the preservation of human life must come before any other criterion …

At the next World Day of the Sick, let us therefore proclaim the hope of total health for

Africa

and for all humanity, as we strive to work with greater determination at the service of this important cause.[3]


[1] As of November 2005, Caritas Internationalis has 162 national member organisations working in more than 200 countries of the world.

[2] L’Osservatore Romano

15 June 2005

[3] Pope John Paul II, Message to Observance of World Day of the Sick,

11 February 2005

, http://www.vatican.va/holy_father/john_paul_ii/messages/sick/documents/hf_jp-ii_mes_20040929_world-day-of-the-sick-2005_en.html

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