「主は水辺に立った」
日曜日に鹿児島で行われた郡山司教様の叙階式でも、聖体拝領のあとに管楽器の伴奏付きで、「主は水辺に立った」が聖歌隊によって歌われました。各地で歌われるようになったこの歌、耳にするたびに「よくぞここまで来た」という思いを新たにすると共に、「いいものだけが残る」といういつもの私の聖歌に対する確信を再確認させられます。
書かれたものが何処にも残っていないので、ここまで有名になった歌の誕生について記しておきます。現在日本語では同じメロディーのあの歌に二つのバージョンが存在します。もともとの歌はスペイン語であったようです。いま私が取り上げているのは、「主は水辺に立った。私に声をかけた。みことばで漁に出た」と始まるバージョンです。
翻訳者名は譜面に記されていますが、「ゲネク」となっています。現在名古屋で司牧をしている神言会のエウゲニウス・ジェブーラ神父です。彼がまだ神学生だった1982年頃のことです。当時名古屋の神学校では「ゴスペルフォークバンド」と銘打って、バンド活動をしていました。行く先々の教会のサイズやそのときのニーズ(例えばバザーの余興とか)に対応するために、管楽器からドラム等まで入った大編成と、ギター1・2本と歌だけの小編成の二本立てでしたが、ジェブーラ師はその小編成のギター弾きでした。歌っていたのは私です。
ある日彼が一枚の譜面を持って神学校の私の部屋にやってきました。「ポーランドで歌っている良い歌があるので、翻訳した」というのです。それが「主は水辺に立った」でした。当時彼は日本語を習い始めてから4年ほどしか経っていなかったと思いますが、最初に手書きで持ってきた翻訳詩は、現在のものとほぼ変わりません。早速ギターで彼が聞かせてくれました。素朴でいい歌だと思いました。でも歌詞の手直しの必要も感じたので、私と松風師(故人)の二人で、とにかく最初の翻訳の素朴な感じを残すために、最低限の手直しだけをすることにしました。
大きく手を入れたのは二つの言葉です。最初は「主は海岸に立った」となっていました。これを松風師(故人)が、「主は水辺に立った」としました。「ご一緒に釣りに」とあったところを、私が「みことばで漁に」としました。残りは多少の細かい手直しを除いて、ほぼ最初の翻訳通りです。いま唄ってみても、ジェブーラ師の翻訳は、あの日イエスとペトロの間に起こった出来事が、ダイレクトに伝わる良い歌詞だと思います。
即座に譜面を書いて神学院のミサで歌いました。当時私が書いた譜面がそのままコピーされて、いまでも思っても見なかったような場所で目にすることがあって、そのたびにうれしくなります。いかにも手書きのト音記号と、和文タイプでスペースを調整しながら打った歌詞の、譜面からのちょっとしたずれが、すぐにオリジナル譜面だと分かる代物です。最初に当時神学院で使っていた簡易版の「SVD歌集」に掲載され、その後、1984年11月1日の改訂版、そして現在も神言神学院の典礼で使われている「SVD歌集」に掲載されてきました。ちなみに当時の簡易版「SVD歌集」には、これまた現在も随所で歌われている「Walk in the Light」も掲載されています。これも神言神学院のオリジナル翻訳です。ジェブーラ師が日本に来る前に英語を学んでいたイギリスで出会った曲を私たちに紹介し、当時神学生だった久松氏が翻訳しました。
これからも歌い継がれて行くことを願いながら。
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