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2006年2月28日 (火)

帰国しています

IMG_0213 東ティモールから帰国しております。司教団の東ティモールデスクの活動の評価視察でした。現地では東ティモールデスク現地代表の徳さんやディリとバウカウ両教区の方々、また神言会員にお世話になりました。99年の独立選択後に繰り広げられたインドネシア軍や民兵による破壊と虐殺の傷跡は大きく、難民として流出した人々の数もこれまた大きく、国づくりの最初の段階でなかなか走り出せずに苦しんでいる姿がそこにはありました。またそのうちに詳しくどこかに書くことにします。

同郷のイエズス会の堀江神父様、名古屋時代からのお知り合いの聖心侍女会シスター中村など、日本から派遣されている方々にも多く出会いましたし、信徒宣教者やそのほかのNGOのメンバーとも、日本語のミサを捧げて祈りと楽しい食事の一時を過ごすことも出来ました。それにしても東ティモールはやはりカトリックの国でした。つくづく感じました。

明日からは卒業式シーズンです。まずあしたは新潟の清心高校の卒業式。来週は秋田の聖園短大の卒業感謝ミサが7日、11日に秋田の聖霊短大の卒業式に出席です。その合間に年度末のためいくつもの理事会に参加することになります。また今週末は仙台で平賀司教様の叙階式にも参加します。

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2006年2月18日 (土)

東ティモール

すでに先日の日記でも触れましたが、日本の司教団は、東ティモール支援のために「東ティモールデスク」を設置し、池長大司教様を責任者にこれまで支援・援助活動を続けてきました。現地に駐在員も派遣し、現場ではいろいろなNGOや国際カリタスとも連携して、開発復興に当たってきました。その間、多くの方々が、東ティモールデスクに献金もしてくださいました。この度、このデスクの活動も終了することになり、3月頃をめどにこれまでの活動の評価をしなければなりません。東ティモールデスクを閉鎖したあとに、例えばカリタスジャパンが引き継ぐのかどうかに関しては、今のところ未定です。これまでカリタスジャパンは東ティモールに関わってきませんでしたので、これから考えていきたいと思います。

さてそんなわけで、私はこの評価のうち、主に日本の教会と東ティモールの教会の関係や今後についての部分を担当することになったのですが、そのためにどうしても現地を訪問する必要があります。本来は1月にすでに訪問しているはずだったのですが、鹿児島での司教叙階式が決まったために、延期となっていました。3月末までに評価を済ませることを考えると、そして3月といえば卒業式やいろいろな理事会に出席しなくてはならないことを考えると、どうしても2月中に済ませなくてはなりません。そこで、明日(2月19日)から東ティモールへ出かけてくることにいたしました。7~8日で戻って参ります。明日のお昼頃の飛行機で、インドネシアのバリ島まで行き、そこで乗り換えて東ティモールへ向かう予定です。

また帰国したら、その報告を載せることにいたします。

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2006年2月17日 (金)

司教総会終わる

司教総会は昨日夜、無事終了しました。一応予定では金曜の午前中までの時間を取ってあったのですが、思いのほか議事がスムースに進み、半日早く終了することができました。とはいえ既に金曜の午後に他の会議を入れていたため、未だに潮見を離れることができません。

四旬節が3月1日から始まりますが、四旬節と言えば「愛の献金」です。カリタスジャパンに取って一番重要な行事です。年間の献金の三分の一は、この四旬節献金によっています。カリタス責任者の宮原司教様のメッセージを載せたリーフレットを作成しました。開いて頂くと中に私のメッセージと、活動の写真が掲載されています。ことしは津波被害から立ち直るインドの漁民の写真を大きく掲載しました。是非ご覧下さい。

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2006年2月14日 (火)

司教総会はじまる

司教総会が始まりました。初日は午後2時から、教皇大使のご挨拶で始まりです。今回は初めての参加と言うこともあり、大使は用意されたフォーマルテキストを離れ、日本の教会に期待されるところをいろいろとお話くださいました。

初日はだいたい報告事項です。昨年のシノドスに参加した梅村司教様の報告とか、現在バチカンで審査が進んでいる殉教者の列福に関する報告だとか、私が担当司教になっている10月にタイで開催のアジア宣教大会についてだとか、夕方5時まで報告の山でした。

本日はさらに報告が続いたあと、一番重要な議題である、典礼に関する話し合いがはじまる予定です。よりより司教総会となりますよう、皆様のお祈りをお願いいたします。

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2006年2月12日 (日)

司教総会

明日2月13日午後から17日お昼まで、2005年度臨時司教総会が開催されます。「臨時」とはいえ、実は毎年恒例で開催されているのですが、6月に開催される総会が定例総会で、2月を臨時としております。全国の司教が集まります。今回も典礼の翻訳の問題等を中心に突っ込んだ話し合いが行われる予定です。また新しく任命された二人の司教様達の歓迎会も開かれることになっております。

IMG_1642_00 本日は午後から新潟教会で、昨年の平和旬間に司教団として発表した平和メッセージ「非暴力による平和への道」について、その出来上がってきた背景についてお話をさせていただきました。教会の社会への関わりにおいては常に第二バチカン公会議前後の社会教説を念頭に置く必要があります。とりわけ「現代世界憲章」は何度読んでみても、その都度新しい示唆を得られるすばらしい文書ですが、この憲章に沿って、社会への関わりを考えていくことが重要です。現代世界憲章はこう始まります。「現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、特に貧しい人々とすべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子達の喜びと希望、悲しみと苦しみでもある。」この現代世界憲章はご一読なさることをお勧めいたします。今日は、司教団のメッセージが依拠している社会教説を中心に、メッセージの出来上がるまでの過程についても、短い時間でしたがお話をさせていただきました。参加下さった方々、ありがとうございました。

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2006年2月11日 (土)

2月11日

朝食後に勇んで出かけました。医者へ。これでもいろいろと、がたが来ておりまして、もう長いこと血圧の安定のために毎月一度は内科医院へ通っております。名古屋でお世話になっていた先生の友人の先生をこちらで紹介していただきまして、はい。海底トンネルを渡った先ですので車で行きましてね、医院の駐車場が目に入りましたら空っぽ。「ラッキィー!」なんて思いましてね、車を乗り入れるとどうも雰囲気がおかしい。玄関のシャッターが閉まっているんですよ。「えぇぇぇぇ!いつの間にかやめちゃったの?」と真剣に思ってしまいました。しばらく理由が分からなかったのですが、通りかかったバスが国旗をなびかせていたので、旗(しゃれのつもりです)と気がつきました。そう言えば本日は祝日ではないですか。いくつかの祝日が月曜日に移動したりしてますでしょう。ついつい祝日は月曜になってしまった気もしましてね。月曜になった祝日もあれば、そうでないのもあるんでしたね。「く、薬が切れるぅぅぅ」と焦りましたが、幸いまだ月曜の朝の分まではある。まだ生き延びられそうです。

で、2月11日といえば、もちろん「ルルドの聖母」の祝日です。1858年2月11日に、無原罪の聖母がベルナデッタにご出現された日です。そしてそれにちなんで1993年以来、前教皇ヨハネ・パウロ2世によって、世界病者の日とも定められております。カトリック中央協議会のホームページに、本日のための教皇様のメッセージが掲載されていますから、是非ご一読下さい。

さて、それにちなんで、マリア様について少し書いておきたいと思います。といいますか、マリア様がいかに、(言葉を選んでいるつもりですが)、私を離さないかということを。

Ghana012b 本当に正直に言えば、私は神学生の頃、ロザリオにはあまり興味がありませんで、出来ればそう言った信心を避ける口実を探しておりました。ところが司祭になって初めて派遣された教会は、ガーナのオソンソンという村にある「ルルドの聖母教会」でした。写真はこの教会の庭にある、立派なルルド(グロット)であります。毎年12月8日前後の週末、2泊3日で、この地域の部族の信徒が集まり、大巡礼を繰り広げる教会、その責任者になったのでありました。しかも毎週土曜日には、早朝5時頃からレジオ・マリエの面々が集まり、ルルドの前でロザリオを捧げる。神父が寝ているわけにはいきません。しかも近くの村から来る不思議な治癒力を持った女性までそこにはおりまして、不思議な土を額に塗って、病気を癒すのですね。全部が治るわけではないですけど、治ることもある。7年間にわたって、マリア様にはいろいろと不思議な体験をさせていただきました。

で、日本に戻ってきたら、今度は召命のために祈ってくださるおばあちゃん達のグループに毎月一度ミサをするように呼ばれました。ちょうどその頃神言会の「召命募集」担当をしていたためです。(「召命募集」とかいた名刺を普通の人が見たら、驚くでしょう)その集まりが、ミサと食事とロザリオでした。しっかり毎月一回、マリア様は私にロザリオを唱えさせるのでした。

そして言わずもがなですが、新潟教区の司教になっても、当然その縁は切れるわけもない。昨日も書いた「月曜会」であります。司教館の目の前にはルルドもあります。秋田もあります。もうこうなってくると、ヨナの気分でして、マリア様からは逃げられない、という本当は至極当たり前のことを、分かりました。もちろんそれ以前に、神様から逃れられるはずはないのです、私たちは。

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2006年2月10日 (金)

新潟点描

インフルエンザがはやっています。教区司祭でもインフルエンザと診断されて寝込んでいる神父様もちらほら。どうか皆様も気をつけてください。私も気をつけなければとは思うのですが、うがいと手洗いと、あとはいつもより少しは早く寝るくらいで、あとは祈るしかないです、か。

月に一度「月曜会」という集まりでミサをしていますが、今月は私の都合で金曜日の今日に「月曜会」をしていただきました。伊藤司教様の頃に始まった、秋田の聖体奉仕会準会員がロザリオの祈りを捧げる集まりです。だんだんとメンバーも高齢になられて、特にこの季節のように風邪などがはやっていると、どうしても参加者が減少してしまいます。風邪を引いておられるメンバーもいるようで、今日はこれまでで一番少ない7名という参加でした。

TS280119 午後、いつものように(二月に一度)近くの眼科へ行った帰り、髪を切りにいつもの理容店へ出かけました。新潟に来てから数軒回ってやっと見つけた、なかなかお気に入りの店です。きっとご主人の性格もあるのでしょうが、無駄な世間話に気をもむこともない。「お子さんはおいくつですか」なんて質問に、一生懸命作り話をする必要もない。いやもちろん作り話をする必要はないのですが、いまの立場を説明する方がしんどいので、ついつい。ストーリーを忘れないように最初から最後まで首尾一貫させるのも大変です。ところがいま通っている理容店は、椅子に座るなり、目の前におかれたモニターで世界の大自然の番組が始まるのです。今日はナショナル・ジオグラフィック制作のボツワナでのライオンの話。これがおもしろい。前回は鯨の話。その前は北極のシロクマの話でした。いやはや、全く話をする必要がなくて、しかも興味深い話で、私はこういうところが、実は好きです。

その理容店から出て古町の方へ向かうと、ビルの間に仏像が。そこにTS280118 建てられたのにはいろいろと、いわれがあるのだとか。その前を抜けて行くと古町のアーケード街にでます。歩いていると名古屋の大須を思い起こさせる雰囲気で好きな通りです。閑古鳥が鳴いていた大須商店街は、私が学生の頃、大須アメ横ビルが出来て、それ以来電気関係やコンピュータ関係で大きく息を吹き返し、いまの大商店街になりました。古町にもなにか核になるお店が集中してくるともっと活気がでるような気もします。そのなかで近頃出来ておもしろそうなのが、演芸場。お芝居が終わるたびに、おばあちゃん達で黒山の人だかりになります。商店街を大事にしないと、マンションでいくら人口が増えても、町が死んでしまいますから。

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2006年2月 7日 (火)

園長会やら静修やら

すでにご存じのように新潟の教区司祭は、毎月一度全員で集まることを心がけています。他の教区では月集などと呼び習わされていますが、新潟では静修と呼んでいます。実際に講話の指導者をお願いして「静かに修める」のは四旬節と待降節、それから9月は一週間の黙想会としています。それ以外では、お正月と復活はそれぞれお祝いのためにも集まります。今月のような普段の月は、様々な課題を持って話し合いのために一泊で集まり、二日目の昼のミサで締めくくる事にしています。

今月の「静修」は、昨日、月曜の夕食に始まり、先ほどお昼で終了いたしました。いま現在、教区司祭の間では、教区の組織の見直しをいろいろと議論しており、現時点では特に教区財政に関わる諸問題を話し合っているところです。

Kashiwazaki01 昨日は静修に先立って午後に幼稚園の園長会も開かれました。新潟県内の17園(新発田・新潟・長岡地区全体でひとつの学校法人です)の園長を務める司祭とシスターが集まって、これからの教区における幼稚園運営についての方針を話し合いました。今後も継続して話し合う課題です。

園長会議に来られていた柏崎教会主任のバッシ神父様は、Kashiwazaki03 柏崎の幼稚園だけではなく、十日町の幼稚園の園長も兼任されておられます。バッシ神父様の年齢を聞いたらびっくりしますよ。怖くてここにかけません。ひとつの教会の主任と二つの幼稚園の園長現役です。で、バッシ神父様が十日町の雪の様子の写真を持ってきてくださったので、掲載します。ショベルカーが必死に雪を掘っている右側に埋まっているかの如く見えているのが、十日町の幼稚園園舎です。もう一枚が十日町に向かう道路の左右に壁のようにそびえている雪・雪・雪であります。

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2006年2月 5日 (日)

司教誕生

「司教誕生」と言っても日本でのことではありません。友人の司祭が、司教に任命されました。インド人の神言会員でJohn Barwa(ジョン・バルワ)師といいます。1955年生まれで私とほぼ同年齢。インドはオリッサ州の第二の都市、カルカッタから南西に下ったROURKELAという教区の協働司教に任命されました。現在の司教も神言会員です。

provincial99 どうして友人なのかというと、お互いにちょうど同じ時期、神言会で管区長をしていたからです。彼はインド東管区の管区長でした。1999年にアジアの神言会の管区長を集めた会議が、インドのボンベイ(ムンバイ)で開催されました。写真はそのときのものです。そこで初めて出会い、それ以後、様々な機会、といっても会議ですが、に出会い意気投合しました。04年4月には、カリタスの視察でインドへ出向き、彼がそこにいるとは気がつかずにサンバルプールへ出かけ、偶然そこにインド東管区の管区長館があることに気がついて、彼の働く場所で再会できました。オリッサ州は、経済的にも気候的にも厳しいところですし、先住民族の存在も重要な課題を投げかけています。

ところでこの1999年アジアの管区長の集合写真では、前列一番右端が今回司教に任命されたJohn Barwa被選司教、前列左から3番目が私、さらに右から二人目はその後パプアニューギニアのマウント・ハーゲン大司教区補佐司教になったYoung師、そして右から四番目がインドのジャブア教区司教になったChacko師です。

新しい司教のためにどうぞお祈り下さい。

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典礼を学ぶために

底冷えのする日曜日ですが、いかがお過ごしですか。寒さや雪のために教会まで足を運ぶことが出来なかった方も、せめて少しの時間をとって、お祈りをお捧げ下さい。主の日ですから。

さて私は2006年の年頭司牧書簡に、「典礼を豊かにすることによって、私たちの信仰は喜びに満たされます。そのためにも、典礼を学ぶことは不可欠です。単なる形式としてではなく、長い歴史の中でたびたび刷新されながらも深められてきた典礼の歴史に触れ、背景に込められた意味を理解するよう、それぞれの共同体で努力をしてくださることをお願いいたします」と記しました。

Tenreibook01 典礼を学ぶといってもどうしたらよいものやら見当もつかない、と思われたかもしれません。何気なく与っている日曜のミサですが、その典礼は一朝一夕で出来上がったのではなく、また誰かの頭の中でひらめいたアイディアで出来上がってきたものでもありません。長い教会の伝統に基づいて、時代時代の要請を取り入れながら、現在のような形になってきたのです。特に40年前に開催された第二バチカン公会議の決定と、それに至った当時の典礼改革の流れは、いまの私たちの捧げるミサのあり方を大きく変化させました。日本語への翻訳も当時試用に供されたテキストがそのままいまでも通用しており、現時点でも懸命に完成を目指した作業が続いています。

典礼については是非皆様お一人お一人に、理解を深めていただきたいと思っています。そのために、是非一読をお薦めしたい本を紹介しましょう。タイトルは「典礼奉仕への招き」。昨年(05年)1月に、オリエンス宗教研究所から出版された本です。オリエンスといえば、毎週日曜日に手にする「聖書と典礼」を制作しているところです。お値段は千四百円となっています。典礼の意味や実践へのヒント、はては侍者など祭壇奉仕の知識はイラスト入りで解説されていたり、読みやすい本です。「典礼奉仕への招き」を是非どうぞ。

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2006年2月 4日 (土)

25年前の司教団

今年の2月で教皇来日25周年になるのだそうです。先ほど中央協議会のホームページを見ていて気がつきました。1981年2月23日にヨハネパウロ2世が来日されたのでしたね。そう言えば、私はまだそのときは修練士(ノビス)でした。最初の日に東京カテドラルで行われた修道者の集いに、修練長と他の修練士(当時は総勢10名もいました)とともに、名古屋から出かけて行きました。聖堂内はさながら修道服の展覧会状態で、もちろん私たちもスータンを持参しました。教皇様が日本語で話し始められたときは、拍手と歓声がやみませんでした。共にクレドの3番を唄ったときは、感動したものです。そしてなんとか握手を試みようと、中央通路に押し寄せる修道者、とりわけシスターたちのパワーに圧倒されたことだけをよく憶えています。

さてその中央協議会のホームページには、当時の写真が掲載されています。その中の一枚に、1981年当時の日本司教団が教皇様を囲んで、教皇大使館で撮影した写真があります。当時現役だった司教の中で、いまでも現役で残っているのは、日本司教団の中では松永司教様のみ。それ以外ではバチカンにいる濱尾枢機卿だけです。糸永司教様もおられますが、先日引退されたばかりです。2000年以降だけでも9名の司教が新しく任命されていますから、たった25年しか経過していないのに、日本の司教団もメンバーががらりと変わったものだと感慨を新たにしました。(私はまだ40代で、未だに一番若いので、25年後も現役です・・・)

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明日の日曜日は・・・

明日は2月5日、年間第五主日です。例年ならば2月5日は日本26聖人殉教者の祝日ですが、今年は日曜にあたるため、主日が優先されます。日本以外の国では、もともと2月5日は聖アガタの祝日で26聖人は2月6日に「聖パウロ三木と同志殉教者」として祝われていますから、今年は日本の教会ではもしかしたら触れられず、他の国では月曜に祝われることになるのかもしれません。いずれにしろ明日のミサの中で、主日を祝うと共に、私たちの信仰の先達である聖パウロ三木をはじめとした日本の殉教者のことを、どうぞ思い起こしてください。教会のはじめの頃の教父テルトゥリアヌスは、「殉教者の血はキリスト者の種である」と言われたそうです。まさしく26聖人をはじめとした数限りない殉教者の血の礎の上に、私たちの教会は建っているのですから。

なお毎年、新潟教区ではこの26聖人の祝日に近い日曜を、「教区青少年の日」と定めています。かつて新潟教区でも「青年大会」が行われていた頃には、「教区青年の日」であったとうかがいました。その後「青年大会」が行われなくなると、「青少年の日」と改称され、教区の青少年活動について祈り、また特別献金をもって青少年活動を支える日曜ともなったのだそうです。例年通り、今年もまた明日は、教区の青少年活動のために、特別献金をお願いいたします。

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2006年2月 3日 (金)

寒い一日に

今日は寒い一日となりました。司教館も足元が冷え込んでいます。昨日はカリタスジャパン委員会がありましたので東京へ出かけ、今朝は東ティモールデスク関連の打ち合わせを済ませて、昼過ぎに新潟へ戻ってきました。

独立前後の混乱から復興を続けている東ティモールへの支援は、これまで司教団の東ティモールデスクが中心になって行ってきました。長いことポルトガルの植民地そしてインドネシアへの併合という歴史を経て、1999年8月に国民投票が行われ独立が選択されましたが、それに伴ってインドネシア軍や民兵によって大規模の破壊や住民殺害がありました。規模が大きい事件であったことや、長年にわたって日本教会の様々な人たちが様々な形で東ティモール支援に関わっていたこと、また当時のディリ教区長ベロ司教様と日本の司教の繋がりから、通常のカリタスジャパンによる支援ではなく、司教団が責任を持って支援を行うという決断が99年当時なされ、東ティモールデスクが開設されました。現地に人を派遣したり、様々なNGOや政府機関と協力しながら、東ティモール各地で開発プログラムや復興プログラムに携わってきました。そのデスクの活動もこの3月で終了となります。そのためにこれまでの活動を評価する必要があり、私も幸いにその評価業務に携わることが出来ることになったのです。

東ティモールの復興について、カトリック教会は国際カリタスが中心になって活動してきました。国際カリタスといってもNGOとしての実働部隊を持っているわけではなく、各国のカリタス組織の連盟ですから、いきおい各地での援助や支援活動はどこかの国のカリタスが中心になって国際カリタスの名称で行うことになります。東ティモールではそれまでの歴史的経緯もありカリタスオーストラリアが中心となってきたということです。また合衆国のカリタスであるCRSはすでにアジアに確固たる基盤を築いていますから、やはり東ティモールにも独自に深く関わっています。もちろん国際カリタスは事務局としてそれぞれの活動がカリタスの名に恥じないものとなるように調整や指導を行いますが、必ずしも世界いずこにおいても同じスタンダードで活動が出来ているとは言い難いのも事実であり、それが国際カリタスにとっての大きな課題でもあると思います。

カリタスジャパンは上記の経緯もあり、国際カリタスが東ティモールで行ってきた活動にこれまで関わってきませんでした。この度デスクが活動を終了することから、今後のカリタスジャパンの東ティモールへの関わりを、これから初めて模索することになります。

ところで新潟教区のカリタス担当者である町田神父様は、長崎、大分、さいたまの教区担当者とカリタス委員一人と共に、本日からインドへ視察旅行へ出かけられました。カルカッタに入り、その後オリッサへ出かけ、カリタスジャパンが支援してたてられた先住民族の子供たちのための寄宿舎をいくつか視察してこられます。

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