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2006年3月31日 (金)

やっと新潟へ

名古屋での会議のあと、昨日はカリタスジャパン委員会でしたので、東京へ来ています。中央協議会のカリタスジャパン事務局では、これまで永年勤められた事務長が定年で退かれることになり、そのほかいろいろと異動があるため、昨日は会議のあとに東京駅前で委員会の委員を交えて送別会をいたしました。

そういえば東京駅のあの煉瓦の建物はとうとうもとの姿に戻す工事が始めるようですね。京葉線から丸の内側の改札を出て地下通路を歩いていたら、昔の3階建てに戻す計画がイラストで壁に延々と説明されてました。食事をした丸の内側の地下にある東京食堂も、工事がはじまる関係で3月末日で閉店とありました。

今の東京駅の姿を見慣れていたので、昔の3階建ての姿があまりぴんとこないのですが、左右のドームもしっかりと再建されるとかで、「帝都の表玄関」が威風堂々、故きを温ねて新しきを知る、立派な駅舎の誕生が楽しみです。

やっと新潟へ帰れます。

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2006年3月30日 (木)

名古屋にいます

月曜日は、昼から教区の顧問会議があり、そのあと3時頃から教区の司祭評議会を行いました。秋田、山形、新発田、新潟、長岡の各地区から、司祭の代表が集まる、年に二回の総会です。教区のいろいろな問題について意見を交わしました。特に現在、教区の宣教司牧評議会の立ち上げ会議を5月4日に予定していますから、それに向けて、いろいろ意見の交換がありました。司祭評議会は翌火曜日の午前中も続き、ミサで締めくくりました。そしてその火曜日の午後は新潟にある17のカトリック幼稚園を統括する聖母学園の理事会。そしてその直後、私は名古屋へ飛んできました。

名古屋へ来たのは、理事を務めさせて頂いている、知的障害者の通所更正施設「青空の家」を運営している社会福祉法人の理事会に出席するためです。昔からの友人が施設長を務めているので、この10年間くらいはいろいろな意味でお手伝いをさせて頂いています。名古屋にいる頃はしばしば施設にも出かけることができましたが、さすがに新潟へ来てからはそれもできなくなりました。それにしても社会福祉法人の経営はだんだんと厳しくなり、特に今般の自立支援法の制定で、いろいろと経営的には難しい問題が続出したようです。法律が必要な趣旨はわからないでもないですし、財政の問題もわかりますし、さらにさまざまな業界の絡みも理解できますが、しかし一番に考えなければならないのは、通ってくる人たち一人一人のことだと思うのです。細かな規制や決まり事は、当然一人一人の事情には関係ない一般化されたものですから、細かい決まり事になればなるほど、一人一人の事情とは関係ないところで難しい問題を生み出します。規制緩和では無かったのかなと思ってしまうほど、善意の素人が社会福祉法人を運営できる時代ではなくなりました。どこまでギルド化していくのだろう、と思ってしまいます。

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2006年3月26日 (日)

シスターの集まり

昨日(土)の午後、新潟教会で、シスター達の会議を催しました。新潟教区では、他の教区に較べれば少ないものの、いくつかの修道女会や在俗会が働いてくださっています。大きな教区では、「修女連」なる組織が存在しており、定期的な研修などをしているのですが、如何せん、新潟教区はやはり地理的な問題と交通の便の問題もあり、全教区を対象にしたそう言う組織を作っても、集まること自体が困難です。

でもいま、新潟教区全体の宣教と司牧の方針を明確にするために、司祭の代表と信徒の代表が一堂に会して話し合う場の設置を模索しているのですから、そこに修道女の代表にも一緒にいてもらうことは大切だと思います。5月4日にはそのための意見交換会議を催すことにしています。

そこで昨日、すべての共同体の責任者に招待状を出して、シスター達の間で情報交換や意見交換のためのメカニズムとして、何が可能かを話し合う会議を催しました。とにかく情報を交換する方策を今後模索することで意見が一致しました。DSCF2014

「教会」と一般に呼ぶ場合、何処までを指してその人がそう言っているのか分かりませんが、一人ひとりの信徒からなる総体が「教会」であって、司教や司祭だけが「教会」でないのはいうまでもありません。そう言う意味から見れば、新潟教区が「教会」として社会に関わるためには、シスター達の活動も見逃せない「教会」の貢献の重要な要素です。「カトリック教会・情報ハンドブック」を見れば分かりますが、この小さな教区でさえも17カ所の社会福祉関係の施設があります。私が理事長を務めている見附の新潟カリタス会(児童養護施設と乳児院)も含まれますが、その多くがシスター達の貢献です。確かにそれぞれの活動で忙しいのが現状ですが、何とか教区全体の宣教に、これからも貢献していただきたいと思っています。

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また、司教誕生

「また」、司教誕生といっても、これ「また」日本のことではありません。「またまた」友人の一人が司教に任命されました。昨日(土)のバチカン時間お昼に、教皇様はチリ人の神言会会員 Carlos Pellegrin(カルロス・ペレグリン)神父を、チリのChillánという教区の司教に任命されました。ペレグリン師は私と同い年で、同じ頃、いまから20年前にガーナ管区へ宣教師として派遣されました。私より一年長くガーナにいたはずです。その後チリに戻り、管区の様々な仕事をされていました。ペレグリン師はガーナの北で働き、私は南にいたのですが、何回か休暇の時に遊びに行ったことがあります。特に彼がその頃発生していまでも尾を引いているガーナ北部の部族対立に巻き込まれたときは、何度か励ましに訪れました。訪ねていったある晩、深夜に銃撃の音が響き、教会の近くのチーフの家で、誰かが狙撃された音でした。教会の敷地には南部から派遣されてきた治安維持のための警察隊が寝泊まりしていたのですが、そのときの警官達の大あわての様子はいまでも忘れません。その次の日、本部に救援を要請しようとした警察隊の装甲車に積んだ無線機は故障し、(電話がありませんでしたし、まだ携帯もない時代ですので)、結局司祭館の無線機を使って本部に何とか緊急連絡と応援要請しているの聞き、私はそのまま退散することにしました。南へ向かう私の車の助手席には、その頃いのちを狙われるサイドにいた部族の青年が乗っていました。ペレグリン師に頼まれて、南へ逃げる彼を乗せたのです。とにかくまっすぐ道を南下して、ボルタ川を渡るフェリー乗り場に到着するまで、何度後ろをふり返り、何度私設検問が無いことを祈り、激走したことか。

ペレグリン師はその紛争の間に、幾度か司祭館の床に伏せて、銃撃戦をやり過ごすという恐怖の体験をしています。その数ヶ月語に再び訪ねたときには、今度はもう警察ではなく、軍が出動して治安維持にあたっていました。村に入る道路には機関銃が据えられ、さすがに軍隊が出ると警察と違って威圧感がありました。Carlos

写真はそんな当時のある日、たぶん私の教会を何かのついでに訪れてくれたときに、一緒に飲みながら撮った写真です。左がペレグリン被選司教、右が私です。もう15・6年前のことです。

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2006年3月25日 (土)

四旬節第四主日

イエス・キリストにおける信仰の根幹には、当然いくつかの重要なポイントがあるのですけれど、その中でもひとつ、自己決断という要素が、とても大切だと思うのです。救いは神の愛にもとづく無償の「めぐみ」であるということ、そして我々が勝ち得る類のものではなく、徹底的に与えられるものであるということ。そう記しているこの日曜の第二朗読の言葉を噛みしめながらも、でも、その与えられる「めぐみ」を選び取るのは、最後は私たち自身であることを自覚したいと思います。神が用意したものを選び取るのかどうかは、私たちの自己決断にかかっているということは、要は、誰からも強制されるものではない、一人ひとりの自由意志の発露として決断するのです。私は、自分が必ずしもいつもそうできているとは思わないのです。けれど、何か行動や選択を強制される事が好きではないですし、「みんなが」という言葉に付いていくのもあまり好きではありませんから、このイエス・キリストの信仰における、自分で決めるという姿勢が、ありがたいと思っています。信仰は強制できる類のものではありませんから。

ヨハネ福音は、冒頭からそうであるように、今日の福音でも、光と闇の対峙を強調します。つまり私たちの前には、光と闇が用意されていて、どちらをとるかの選択が任されているということです。そしてその選択の結果どうなるのかを裁かれるのではなく、選択それ自体が裁きとなるとまでいいます。選択の結果に責任をとって裁きを受けるのではなく、選択自体が裁きとなるというのです。そうであればこそ、闇に輝く光とは何であるのか、懸命になって探りたいと思います。本当ならば光ははっきりと分かる代物のはずです。ところが、闇にすむ民の目は、闇に慣らされていて、光がまぶしすぎるのかもしれません。光と分かっていながら、まぶしさにたえきれずに、闇に戻ってしまうのかもしれません。しっかりと光を見据えるために、福音にあるように、「真理を行うもの」となる努力をしたいと思います。

四旬節も第四主日となりました。どうぞ良い日曜日をお過ごし下さい。

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2006年3月24日 (金)

教区ホームページもそろそろ

先日来、延々と予告を続けて参りました教区のホームページが一応の完成を見ました。明後日、日曜には、各小教区でも案内があることと思います。アドレスは次の通りです。すでに見ることが出来ます。

http://www.niigata.catholic.jp/

最初のページの右下の矢印をクリックするとメニューページに飛びますが、ちょっと時間がかかるかもしれません。一番最初に見るときは、ちょっと待ってみてください。いろいろと内容がありますから、ゆっくりとご覧下さい。私の司牧書簡については教区のホームページにも掲載されますが、自分のページにも掲載しておきます。

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時の流れに身をまかす

 「時の流れに身をまかせ」はテレサ・テンの歌で、「つぐない」と共に好きな歌のひとつではありますが、「時の流れに身を任す」と、(たぶん)歌っているのは、八神純子の「時の流れに」でありまして、「思い出は美しすぎて」というアルバムに入っていました。昔の話ですね。八神純子は名古屋の人で、同じ年の生まれで(確か)、この歌はとても好きで、アレンジしてバンドで演奏したことがありましたね、そういえば。そんなことはどうでも良いのですが、私としても素直に時の流れに身を任せているのですが、いやはや任せる時の絶対数がちょっと足りなくなってきましてね、こなすべき仕事が溜まってしまい、身動きがとれません。

21日(火)には、新幹線を大宮で乗り継いで那須塩原まで出かけ、アジア学院の理事会・評議員会に出席してきました。昨年よりアジア学院の評議員をさせていただいております。アジア学院は1973年、鶴川学院農村伝道神学校を母体として発足したアジア・アフリカの農業指導者を対象に有機農業を通じて持続可能な農業のリーダーを養成する専門学校です。毎年、アジア・アフリカの各国から20名ほど、そして日本人が5名ほど、9ヶ月間共同生活をしながら、農業を学んでいます。基本的にはプロテスタントの先生方や聖公会の方によって運営されているのですが、カトリックからも一人くらいは、ということで評議員の片隅に名を連ねております。基本的に海外からの研修生からは学費を取らず、日本と海外での募金に頼っているため、厳しい運営が続いており、学校の建物が、まさしく厳しい状況を知らしめております。

こういう時は、牧師先生などとお話しするチャンスでもあり楽しいのですが、同じキリスト教会でも用語が違いますし組織も違うので、時に説明するのが大変なときもあります。例えばカトリックで普通に使う「司牧」という言葉に対応するのは、「牧会」でしょうか。ある牧師先生に、カトリック司教協議会とカトリック中央協議会、そして私の担当するカリタスジャパンとの関係を尋ねられて、分かりにくい説明をしてしまいました。

要するに司教協議会は教会法上の組織で、日本の司教の集まりですね。カリタスジャパンとは司教協議会が設置している司教委員会である社会司教委員会に属する委員会組織のことなのですね。私はそのさらに下にある(つまりカリタスジャパン委員会の下)援助活動推進部会を担当する司教ということであります。

で、中央協議会というのはその司教協議会の運営実務を担当する事務局が、宗教法人であるということで、その中にはカリタスジャパンの事務局も一部署として存在するということなのですね。

新潟も暖かくなってきました。桜はいつ頃でしょうね。

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2006年3月18日 (土)

四旬節黙想会

皆様の教会でも、四旬節の黙想会は行われますか?すでに終わった教会もあることでしょうし、まだまだ明日は四旬節第三主日ですから、これからというところも多いでしょう。新潟教会は本日午後と明日午前中、長崎教区から中村倫明神父様をお招きして、黙想会です。中村神父様は福岡にあるサンスルピス神学院(九州の教区司祭を養成する神学校)で倫理神学を教えておいでです。そして新潟教会主任の大瀧神父様と同じ頃にローマに留学されていたとか。

IMG_0288_1 講話のために聖堂に現れた中村神父様は、伝統を重んじる長崎教区司祭らしく、立派なスータン姿でしたが、その講話の中身といったら、とてもおもしろくて、しかもとても具体的で、あっという間の一時間でした。中身を書いてしまっては、神父様の今後の黙想指導がネタバレになって都合が悪いでしょうから書きません。でもひとつだけ。「マジ アイ サンバ」の熱唱がありました。もちろん「マツケン・サンバ」に引っかけているいるのですが、九州の方(かた)の語り口では、「まじ、あいさんば」は、つまり「本当に愛さなければならないな」という意味に聞こえます。すばらしいお話でした。明日のミサとお話が楽しみです。

説教をしたり講話をしたりすることは、もちろん容易いことではありません。その人が持って生まれた才能はもちろんあります。もともと、とても話が上手な人もいます。でも多くの場合は、神学生の頃からいろいろと創意工夫をし、練習をし、上手な人から学び、少しずつ積み上げていくものです。司祭は現役である限り、いつでもより良い話をさせていただくために、胃を痛くしながら、頭を悩ましながら、準備をしていくのだと思います。やはり「神の言葉」が生きていることを伝えるためには、生きた言葉で、具体的な言葉で、そして奥深い言葉で、福音を伝えなければなりません。

「新潟の司教館にいるときに、何をしているのか」という質問があれば、まず第一には、時間さえあれば、話や説教や掲載用の原稿を書くために、資料集めと資料読みに大概の時間を費やしております。これが結構大変であります。同時進行で、いくつもありますから。今週はそんな毎日でした。

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2006年3月17日 (金)

春の嵐

 春の到来も近いのか、寒暖の差の激しい天気が続いています。今週初めはこの冬でいちばん激しいのではないかと思われるほどの吹雪が新潟市内でも吹き荒れましたが、一転、一昨日はとても暖かい日となりました。そして昨夜から今朝にかけては激しい雨と風。午前中に新潟市内の雨は上がり、徐々に暖かくなりつつあります。夕べの風雨は、春の到来を告げる春の嵐ならば良いのですが。

 昨日午前中、アメリカ合衆国のシーファー大使が横田めぐみさんの拉致現場を訪問されました。めぐみさんのご両親が説明に当たられ、彼女が通っていた寄居中学から拉致の現場と見られる附属小学校校門近くの当時の自宅へ向かう曲がり角を訪ね、さらにそのまま連れ去られたと見られる海岸まで歩かれたとのことです。

 寄居中学校は新潟教会のすぐ目の前で、そこから拉致現場、そして海岸までは、私が天気がよい日には普通に散歩するコースのひとつにしているくらいですから、本当にあっという間の距離です。テレビのニュースでは大使が「車で連れ去ったのか」と質問されていましたが、そんなことをするまでもなく、何が起こっているのかも分からない子供を、抱えて連れ去ったのでしょう。横田早紀江さんが「(当時は)このあたりは灌木も多くて寂しいところだった」という趣旨のことを述べておられましたが、確かにいまでも充分に寂しいところです。私は当時のことはよく知りませんが、現在は通過する車の交通量が増えているため、少なくとも人目につく場所となりました。しかし現在でも海岸へ向かう道には広大で静寂な護国神社や変電所、そしてそのまま海岸沿いの林ですから、当時はもっと人目につかない寂しい場所であったと想像いたします。いやしくも国家たるものが、どうしたらこのような行為をすることを思いつくのか、その論理構成が全く理解できません。

他の地域でよくあるように、アメリカ合衆国の大使という政治的に重要な人物が、個人的興味からこのように外交的な行動をとることはあり得ません。ちょうどこの日はアメリカ合衆国政府が「国家安全保障戦略」を発表する日でもあり、その発表に当たっての記者会見では、国家安全保障アドバイザーのS. Hadley氏が、北朝鮮を含むいくつかの国と地域の名を挙げて、基本的人権を侵害する圧政国家であり、国際社会に対して一致してこれらに立ち向かうように呼びかけています。大使の新潟訪問もこれにあわせて、強力なメッセージを送ったことだと思います。

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2006年3月15日 (水)

20年が経ちました

ちょっと興奮して寝付かれず、明日(15日)の朝は新潟教会のミサの当番なのに、まだ起きております。実は3月15日は1986年に司祭に叙階されてちょうど20年になる記念日なのです。20年という年月には、当然いろいろと思うところがたくさんあります。後悔しても仕切れないこと、申し訳ないと反省すること、こうしていれば良かったのに一歩が踏み出せない自分のふがいなさ、反省することばかりであります。3月15日、今年のミサの福音はマタイ20章17から28です。そしてこう書いてあります。「あなた方の中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、みなの僕(しもべ)となりなさい。」イエスに従って生きるとは、徹底的に謙虚になることなのだと思うのです。でもやはり自分がかわいいのです。自分の考えがいちばんだと思いたいのです。自分がいちばん偉いと思いたいのです。人間は弱い、人間は弱い、人間は本当に弱い。謙虚に自らの生き方を反省し、仕える者となるように少しの努力を惜しまない人間でありたいと思います。お祈り下さい。

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2006年3月12日 (日)

四旬節第二主日

四旬節も第二週に入りました。どのような日曜を過ごされましたか?復活と春の到来は重なることが多く、ということは今年は春の到来が遅くなるということなのですが、すでに3月に入り、先週は各地で春らしい暖かさにもなり、このまま復活の到来の前に春到来かと思っておりましたが、今日はまた冬のような天気に戻ってしまいました。新潟市内は朝から雨にみぞれが混じり、一時はしっかりと雪が降っておりました。春が待ち遠しい今日この頃です。

「もし神がわたしたちの味方であるならば、誰がわたしたちに敵対できますか」という力強い言葉が、今日のミサの第二朗読にありました。信仰に生きることは、単に「品行方正」で「立派な」生き方をすることではないことは今更いうまでもないことです。もちろんそうできればそれに越したことはありませんが、でもまず何よりも大事なことは、そうできない自分の弱さを知ることであると思います。弱さを知らなければ、力を示してくださる主に頼ることさえ出来ないからです。弱さを知らなければ、外面だけを取り繕った信仰になるかもしれません。信仰に生きることは、格好良く力強く生きることではなく、神に頼りに頼って生きることだと思います。その時初めて「誰がわたしたちに敵対できますか」といえるようになります。私たちの信仰は、勝ちに行く信仰(?)ではなく、主の御前に「負け」を認めることを知る信仰です。そして信仰に生きることは、この世の中ではとてもしんどいことでもあります。四旬節は、そのしんどさを見つめ直し自覚し直すときでもあります。

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濱尾枢機卿様

すでに一般紙にも出ていますし、中央協のホームページにも掲載されていますが、教皇庁移住・移動者司牧評議会議長を務められていた濱尾文郎枢機卿の定年による辞職が教皇様から認められました。教皇庁のこの評議会は前教皇ヨハネパウロ二世によって1988年に設けられたもので、議長は一般的にはバチカンの閣僚級といわれています。東アジアからバチカンのいわゆる閣僚になったのは濱尾枢機卿様が最初でした。同評議会は国際カリタスも本部を置いているバチカンのローマ市内での飛び地であるサンカリスト宮殿にあり、その近くにはトラステヴェレのおいしいレストランがたくさんあり、カリタスの会議でローマに行ったときには濱尾枢機卿様とお昼をご一緒させていただいたりして、枢機卿様の食欲にびっくりさせられたこともしばしばでした。

教皇様は教理省長官であった頃からバチカンのスリム化を提唱されていたとか言うことで、今回は同評議会の議長に正義と平和評議会議長のレナート・ラファエレ・マルティーノ枢機卿を兼任で任命されました。同時に「当面」、教皇庁諸宗教対話評議会の議長職を教皇庁文化評議会の議長職に統合されました。「当面」という言葉遣いに、近い将来これらの部門がそれぞれ合併になるのではという推測もあるようです。

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2006年3月11日 (土)

新潟へ

一週間のご無沙汰でした、とは昔よく聞いた台詞。とはいえ確か「ロッテ歌のアルバム」は日曜の昼間放送で、教会に「まじめに」入り浸っていたので、本当は実際には見たことがなく、翌日、学校で話題に入れなかったりしました、そういえば。

月曜日の夕方から本日(土曜日)夜まで、秋田へお邪魔しておりました。火曜日には聖園短期大学の卒業感謝ミサを秋田教会で、金曜日には秋田カトリック学園の理事会、そして本日午前中は聖霊短大の卒業式でした。その間に聖体奉仕会にもお邪魔してきました。TS280133 今年の秋田はやはり大雪だったようですが、秋田市内よりちょっと標高の高い湯沢台ではさらに大雪だったとのことで、なんと駐車場の屋根がつぶれていました。写真はつぶれたカーポートで、その後ろが聖体奉仕会の聖堂です。純和風で、美しい聖堂です。秋田教会では正面の千秋公園の池に面した建物がなくなり、駅方面から広小路を歩いてくると、聖堂が目の前に見えるようになりました。再びこの土地に何かが建つのかどうかは定かではありませんが、いまはよく目立つ教会となりました。

昨年は聖霊短大の卒業式当日はとても寒く、体の芯から冷えてしまいました。今年も、秋田駅に着いたときは確かに新潟よりは少し寒さが厳しいと思ったものの、幸い今日は暖かく、それに昨年の教訓でかなり暖かくしていきましたので、体育館の卒業式も無事でした。卒業式を迎えられた皆様おめでとうございます。

四旬節に入り各地の小教区では黙想会も行われていることだと思います。新潟教区内での司祭の交流も少しずつ進んでいる模様で、今日は大館の伴神父様が三条へ、そして三条の佐藤神父様が大館へ向かわれ、さらに新潟の大瀧神父様は秋田教会へ向かわれました。そのほかにもいろいろな神父様が指導に出かけておいでだと思います。今後も教区内での司祭の交流が進みますように願っています。佐藤神父様と大瀧神父様とは秋田駅の改札で出会いました。お二人が乗ってきた「いなほ」に乗って、私は新潟へ戻ってきました。昨年の事故があった余目付近の現場では、「安全を確認して通過しております」とのアナウンスがあり、手前の鉄橋あたりから最徐行でした。今日は天気も良く風もなくあの日の厳しい天候は想像できませんでしたが、同じ時間帯でしたので、そのとき急に事故に遭遇した方々が心から驚かれたであろうこと、心中を思い、祈らずにはいられませんでした。

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2006年3月 6日 (月)

秋田へ

明日は秋田の聖園短大の卒業感謝ミサ、金曜日は秋田カトリック学園(秋田県のカトリック幼稚園の法人)の理事会、そして土曜日は秋田聖霊短大の卒業式。というわけで、本日午後より秋田へ出かけております。秋田にて更新できれば、日記も更新するつもりではおります。

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2006年3月 5日 (日)

長岡へ

今日は長岡の教会の公式訪問でした。長岡には鉄道を挟んで二つの教会があります。もともと神言会が担当していた福住教会と、フランシスコ会の修道院として建てられた表町教会ですが、現在はどちらの教会もフランシスコ会のブルーノ神父様が主任を兼任しておられます。そして両方の教会に幼稚園が併設されています。距離的にはかなり近く、それなりに交流もある二つの教会ですが、歴史的経緯もあり、簡単にひとつにしてしまえばよいということではありません。今日は両方の教会の信者さんがたが、表町に集まってくださいました。

TS280129  司教の公式訪問というのが厳密には何を意味するのか疑問に思うところもありますが、それでも今日はミサの始まる前、朝の8時半には両教会の信徒会役員の方々にお集まりいただき、それぞれの教会の諸問題をうかがい、10時15分からミサ、そしてそのあとに二階ホールで交流会となりました。交流会ではそれぞれが自己紹介文をしたためて、出来る限り多くの方と知り合いになろうという試みでした。TS280131 でもやっぱり話し込んでしまうのですよね。結局5・6人くらいの方としか話が出来ませんでしたね。写真はミサ後に語り合う信徒の皆様。

今日も役員会で話が出ましたが、これから何処の教会でも問題になってくることだと思いますが、教会の建物の維持管理には多くの方が頭を悩ませています。殊にもともと修道会が担当していて、戦後の一時期に修道会の資金で聖堂が建設されたところの多くは、そろそろ更新期に入っていることもあり、さらに戦後のような海外からの資金調達もままならず、これからどのように資金を調達するかが大きな課題となります。お金の話ばかりはいくら知恵を絞ってもなかなか解決が見えてきません。

それ以外にも、共同体づくりの具体的な困難に話が及びました。私が年頭書簡などで、「理想の共同体とは何か」を話し合って欲しいとお願いしているのは、今日も申し上げましたが、教区内の様々なレベルでのコミュニケーション不足を感じているからです。ですからまず教会の小さなグループレベルで、互いに意見を語り合い、さらに他の人の話に耳を傾けるというコミュニケーションを始めていただきたいのです。そこから教区全体のコミュニケーションへつなげていきたいと願います。そのために手始めとして、「理想の共同体」についての話し合いをしていただき、その話し合いの輪を、他の諸々の話題にも広げていっていただきたいと思うのです。

そして自ら語ることは容易でも、他者の言葉に耳を傾けることは難しいと実感することも大切です。自分のその点での限界を意識しておかないと、イエスの言葉にも耳を傾けることが出来なくなると思うのです。

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2006年3月 4日 (土)

平賀司教様叙階式

 本日(3月4日)、午後1時から、仙台の白百合高等学校ホールで、平賀徹夫司教様の司教叙階式が行われました。教区内外から千人を超える信徒の方が参加され、また全国の司教達と60人は超える司祭の共同司式で盛大な叙階式でした。司式は東京の岡田大司教様。司教叙階が有効であるためには教皇様の任命書と最低3名の司教による按手が必要ですが、そのために陪席司教(というのかどうか)として谷司教様とワタクシが岡田大司教の横につきました。といっても別に何をしたわけでもなかったのですが。立派なホールで、とても荘厳でした。仙台教区は故佐藤司教様の引退以来、二度にわたって長期の司教空位を経験されて、その意味でも今日の喜びはひとしおであったと想像いたします。また平賀司教様は岩手県出身でもあり、教区からの司教選出というのも、喜びをさらに増したことと思います。司教様と仙台教区の皆様のために、新潟教区の皆様も是非お祈り下さい。

平賀司教様のモットーは「Ut Filii Lucis、光の子として」です。エフェソ書5章の言葉からです。

私は明日の朝は長岡の表町教会訪問のため、今日は祝賀会には出ずに早々に新潟へ戻ってきました。それにしても仙台の駅もそうですし、盛岡もそうですし、さらに大宮もそうなのですが、駅ビルの分かりにくいことと言ったらありません。一階の入り口を入るとまるでデパートみたいになっていて、一体何処へ行けば改札口なのか、地方から始めてくると戸惑ってしまいます。今日も仙台駅で一階の入り口から入って、新幹線のためのみどりの窓口を見つけるのに一苦労し、さらに改札口を見つけるTS280127 のにまた一苦労しました。地元で馴れている人にはなんと言うことはないのでしょうけれど。大宮駅も、先日一階から入ったら、何処へ行ったらよいのか分からず往生しました。写真は今日の東北新幹線から上越新幹線に乗り換えるとき、大宮駅の18番線ホーム上で見かけた案内板です。小さくて分かりづらいでしょうが、よく考えないと訳の分からない案内板です。略図の東口と西口の位置関係と、下の案内の東口と西口が逆さになっているのは、何か実態に即した意味があるのかもしれませんが、ちょっとおもしろい構図でした。(赤と青の線は、私が写真に書き込んだものです)

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2006年3月 2日 (木)

四旬節

 昨日は灰の水曜日でした。新潟教会でも、昨日朝6時半のミサで、灰の式を司式させて頂き、信徒の方も何人か参加しておいででした。小教区では次の日曜日に灰の式をするところも多いかと思います。「あなたはちりであり、ちりに返るのです」という言葉を耳にして、実際に灰を額に受けるとき、神の前にいかに力のない小さな存在であるかに、思いを馳せ、謙虚になりたいと思います。神によって創造されたという事実を思うとき、その前でどれほど謙虚になってもなりすぎることはないでしょう。

 教皇様は四旬節にあたりメッセージを発表しておられます。(全文は中央協議会のホームページでご覧ください。)その中で特に先日発表された「Deus Caritas Est(神は愛である)」を意識されて、貧困にあえぐ人々に対するイエスのまなざしを自分のものとしようと呼びかけながら、こう記されます。

「世界のあまりにも多くの人々を苦しめている貧困というとてつもない難題を前にして、無関心と利己主義は、キリストの「まなざし」とあまりにも懸け離れています。教会が四旬節の間にとくに勧める、祈りを伴った断食と献金は、わたしたちがこの「まなざし」に従う者となるためにふさわしい手段です。」

そしてこうも記します。「福者コルカタのテレサがしきりに述べていたように、最悪の貧困はキリストを知らないことなのです。ですから、わたしたちは他の人が、キリストのいつくしみ深いみ顔のうちに神を見いだす助けとならなければなりません。こうした観点がなければ、文明社会は確かな基盤を欠いてしまいます。」

 この四旬節にあたり、世界の貧困にあえぐ人々に思いを馳せるとともに、「最悪の貧困」にあると言っても過言ではない日本の現実に対して、人間の尊厳を最大限に尊重する福音のメッセージを伝える努力を続けていきたいと思います。

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会議に追われる日々

 年度末の故、会議がたくさん追いかけてまいります。昨日は午前中に新潟清心女子高校の卒業式に出席させて頂きました。この学校ではいつも感心させられるのですが、本当に大きな声で歌を歌ってくださる。管区長時代には名古屋で南山のいくつかの高校で卒業式に出席させて頂きましたし、それ以外でも卒業式ではないものの、女子高校の行事に参加したことがありますが、おしなべて歌声は小さい。蚊の無く声もかくやといわんばかりのか細い声であります。きっと一人一人がマイクを握ったら違うのかもしれません。キーが高いとか低いとかの問題もあるのでしょう。高校の一般の合唱(コーラス部なんかはもちろん違いますから)というのは、つまり全校での合唱なんて言うのはこういうものかと思っておりました。ですから清心で、クリスマスの式でしたか、力にみなぎった歌声を聞いたときにはびっくりしました。感動しました。そして今回も、卒業式ではすばらしい合唱を、本当におなかの底からの力ある声で聞かせてくれました。すばらしい!

 午後からは東京でHIV/AIDSデスク会議(カリタスジャパン)とそれに続いて夜8時過ぎまで、社会司教委員会でした。そしてきょうもまた・・・。午前中は評議員を務めております、那須にある学校法人「アジア学院」の打ち合わせ。(アジア学院については3月末の理事会・評議員会に参加してからまた詳しく記します。)夜は理事長を務めさせて頂いている社会福祉法人「新潟カリタス会」(見附市で養護施設などを運営しております)の理事会を新潟で。年度末はどうしても仕方がないです。

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