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2006年4月30日 (日)

復活節第三主日

「腑に落ちない」という感覚は、何ともいやなものです。殊に何かを求めているときに、一生懸命に事実を知り知識を蓄えてはいるのだけれど、何となくしっくり来ない、最後の最後で納得がいかない。どこかにその壁を乗り越える鍵があるはずなのに、それが見つからない。

しかし、積極的に「腑に落ちない」のであれば、未だ自分があるところへ到達していないという自覚があるのだからまだ良いのです。そこには追い求める姿勢があります。しかし実は多くの場合、人は「腑に落ちていない」事に気がつかずに、納得してしまっていることがあるのではないかと思うのです。つまりもっと先があるにもかかわらず、それに気がつくこともなく、ある程度で納得してしまっている。実は「腑に落ちていない」にもかかわらず、です。

弟子達の復活の体験とは、究極のところ、イエスの死と復活という出来事を挟んで、彼らの生きる姿勢が大きく転換したことにあるのだと思います。本日教会で朗読されたルカ福音書24章35節から48節の話こそは、イエスが、弟子達が実は「腑に落ちていないのだぞ」という事実を突きつける話ともいえるでしょう。「なぜ、うろたえているのか」という言葉に、「だからおまえ達は分かっていなかったのだ」というイエスの思いが感じられます。

イエスの死に至るときまで、弟子達はイエスと寝食を共にしながら、様々な知識を蓄えてきたことでしょうし、この偉大な「先生」について自分なりの「納得」をしていたことでしょう。しかしそれより先があるのだと言うことに気がついていないのです。だからこそ彼ら自身の「納得」が打ち壊されたとき失望するのであり、今度はイエスが現れて彼らの「納得」よりもっと奥深い先があるのだと明確に示されたとき、恐れてしまうのです。しかし復活の主との出会いは、聖書に言葉によれば、「心の目を開いて」下さることによって、それまで自分なりに納得し理解していたイエスの言葉と行いに、実はさらに先があったのだと、弟子達の知識としての理解を、実体験として深めたのです。つまりそのとき、イエスの言葉と行いが、弟子達の「腑に落ちた」のでした。

私たちには様々な知識の源が与えられています。聖書そのものだけではなく、カテキズムやらありとあらゆる信仰の解説書だとか、数え切れないものがあるでしょう。それをどん欲に吸収して知識として貯えることは、悪いことではありません。でも知識としての信仰の先に、自分の力では納得しきれない神様の領域があることを、常に謙遜に自覚しておかなければならないと思うのです。蓄えた知識は信仰そのものではありません。極論すれば信仰の本質はそこにはありません。本当に求めたいのは、そこに到達する体験、すべての蓄えた知識が「腑に落ちる」体験です。日々、奢ることなくイエスとの出会いを祈り求めたいと思います。

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2006年4月29日 (土)

ELT

午前中に偶然テレビをつけたら浦上天主堂が映ってました。そして純心聖母会のシスター片岡が出演されている。何の番組かと思ったら、ELTのコンサートの記録でありました。昨年12月11日に、浦上天主堂でクリスマスコンサートをしたと、はじめて知りました。いつもとは違う、なるべきアコースティックに近づけた音づくりで、すてきなコンサートであったようです。何度も正面からのショットで、浦上天主堂の大きな正面の十字架を背景に、ELTが歌う姿は迫力があり、圧倒するものがありましたし、番組のタイトルともなっている「愛の謳」は、心に染みいる言葉で良い歌でした。もちろん持田香織さんの伸びのある声も聖堂によく響いてました。番組も適度に教会のことを紹介したり、被爆マリアの紹介もあり、良い出来の番組でした。(TeNYで午前10時半から11時半まででした)

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2006年4月28日 (金)

明日は・・・

明日、4月29日は新潟教区で一番若い高橋学神父様の、司祭叙階1周年の記念日です。どうか、高橋神父様のためにお祈り下さい。同時に、いつものように、高橋神父様に続く若者が、新潟教区の神学生となるように、どうぞ祈りを続けてくださるようにお願いします。

実は明日は私にとっても2年目の記念日であります。何の記念日かというと、教皇様からいただいた司教の任命書に記載されていた日付が、なんと4月29日でありました。司教叙階式の時それを聞いてびっくりしたものです。とういうのも私に教皇大使から打診があったのは、その日付よりもっと後のことでしたから、要は打診があったときにはもう後戻りが出来なかったと言うことなのかもしれません。どうか司教のためにもお祈り下さい。この数日は、5月4日に開催される宣教司牧評議会の設立準備会の事で頭がいっぱいであります。教区からすべての主任司祭と信徒会長に集まっていただき、司教の宣教司牧方針を決定するための最も重要な諮問機関となる、宣教司牧評議会を立ち上げたいのです。どうかこの準備会議がうまく進みますように、教区の皆様のお祈りをお願いします。

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2006年4月24日 (月)

バンコクは今日も暑かった

 カリタスアジアの緊急理事会に出席するため、バンコクへ出かけ、昨日(日曜)の早朝に帰国しました。名古屋からのタイ航空便で往復しましたので、昨日は夜行便で戻りましたが、飛行時間は激しい追い風のおかげなのか4時間半ほどしかなく、おちおち寝てもおられませんでした。新潟へ戻る飛行機まで時間があったので、中部国際空港名物の「宮の湯」で、朝風呂をいただいてきました。確かに湯船からは滑走路が見えますが、建物の制約からドーンと展望が広がるというわけではなく、かろうじて見えるかなあという程度でありました。数日前から臨場感を出すために設置された外の音を伝えるスピーカーは、なかなかおもしろいアイディアであるとは思います。展望デッキと同じフロアですから、外から中が見えてしまうというリスクがあるため(まあ、空港ビルに裸はさすがに奇異ですから)、基本的には見えにくい構造や仕掛けとなっており、それほど飛行機を眺めてゆったり風呂につかるというほどのことではありません。それよりも、朝早く名古屋について、それからどこかに行く場合に、仮に時間の余裕があれば朝風呂でさっぱりできるというのが売りかもしれません。人気に陰りが出ているとのことですが、空港の外から客を呼ぶことより、毎朝、大量に到着する夜行便の乗客に、例えば搭乗券で割り引きとかにして、売り込んだらどうだろうと思います。

Img_0101 バンコクはいつもの通り暑く、そして会議をしたホテルの部屋はいつもの通り、うなりを上げるクーラーのおかげで、上着がないと寒いほどでした。会議は幸いにも一日で終了することが出来、土曜日はバンコクの観光も少しだけ出来ました。いつ訪れても、ワット・ポーやワット・プラケオといった寺院のきらびやかさには、厳粛な気持ちになる以前に圧倒されます。写真はホテルの窓から見たバンコクの夜明けでございます。なお理事会には二人のネパール出身者が参加しておりましたが、なんと言ってもネパールでは国王に反対する政治不安状態が続いており、カリタスとしてはその後の問題にも取り組まなければならず、非常に憂慮しております。

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2006年4月18日 (火)

復活の8日間

復活祭後、第二主日までの8日間は、典礼は特別な祝いの期間と定めています。毎朝のミサでも復活の主日と同じく、復活の続唱を歌うように勧められていたり、復活は信仰にとって一番重要なお祝いですから、じっくりと時間をかけて十分にお祝いするのです。

さて教区司祭団は、毎月一回、泊まりがけで集まりますが、毎年復活祭後には遠出をすることを習いとしております。今年も教区の一方の端である糸魚川方面に向けて進み、名古屋教区へ侵入して、富山を越えて石川県にまで足を伸ばして復活を祝って参りました。折りからの黄砂の影響で、晴天にもかかわらず、富山湾に浮かぶ立山連峰は全く見えることもなく、残念でした。

21日と22日に、カリタスアジアの緊急理事会がタイのバンコクで開催されるため、明日の夕方から日曜まで留守にします。説明をはじめると長くなるのですが、アジアのカリタスや欧米の教会系の援助団体が、アジアにおける自立的開発援助をめざして70年代に設立されたNGOであるAPHD(アジア人間開発パートナーシップ)とカリタスアジアを2007年までに融合させることをめざして、話し合いが進んでおり、そのための緊急の話し合いが行われることになりました。

さて、またまた知り合いが司教になりました。教皇様は4月12日に、ガーナのKoforidua教区長としてJoseph Kwaku Afrifah-Agyekum神父を任命されました。Koforidua教区とは、私が働いていた教区です。ちょうど1992年に同教区が首都のAccra教区から独立して設置されたとき、彼は司教総代理に任命され、同時に私も司教顧問に任命されたため、共に教区の運営のために働いた友人であります。1954年生まれですから、私より少し年上です。彼がKoforidua教区の第二代目教区長となります。第一代目はCharles Palmer Buckle大司教といいますが、昨年首都の大司教に転任しておりましたので、後任選びが進んでいました。

ところでこのBuckle大司教というのも強者です。1980年代に彼は軍事独裁政権下で、カトリック教会の新聞「スタンダード」の編集長をしておりました。政権側は一般紙を次々と発行停止に追い込み、政権批判を許していなかったのですが、その中で最後まで踏みとどまり政権批判を続けていたのが「スタンダード」でした。もちろん当時の軍事独裁政権のリーダーがカトリックであったことも、スタンダードがかなり最後まで踏みとどまれた理由でもあります。しかしさすがに批判がうっとうしくなり、発行停止も間近かと噂されていた1985年12月26日、神言会のガーナ人ブラザーがアクラ近くの浜辺で溺死体で発見されます。警察は即座に事故死と発表するのですが、この時なくなったブラザーが、容姿も年格好も、髭を生やしているのも、Buckle師とそっくりだったのであります。で、ちまたでは、人違いでこのブラザーが暗殺されたのだと信じられておりました。確かに当時、政敵をヘリに乗せて海へ突き落としているという噂が流れていたこともあり、多くの人がこれを信じていたようです。いずれにしろ「スタンダード」はその後発行停止になり、結局再開が認められたのは、民主化が始まった1992年でした。

この1992年には、4月28日にガーナの新憲法草案への国民投票が行われました。当時、多くの国民は、非常に難しい選択を迫られました。というのも、10年にわたる軍事政権のあと、政党政治が再び確立され、自由選挙による民主政治が行われることを多くの人が望んでいたのは事実ですし、憲法もそれを保障するのですから、反対する理由はありません。ところが憲法草案の中に、過去のすべての軍事政権の行為を免責する条項が加えられていたのです。先に挙げたような現政権のかなりどぎついやり方や各方面での権力の乱用を熟知していた国民は、この条項には納得がいかなかった。しかし国民投票は、草案全体に対して「イエス」か「ノー」かを問うものでした。つまり、この条項が納得できないと「ノー」と投票すれば、民主化自体を否定してしまうことになりかねい。非常に難しい選択であったと思いますが、当時のガーナ国民にとってやはり民主化の方が重要でありましたし、それが当時のアフリカの政治の潮流でしたから、「イエス」が大多数を占め、現在のようなガーナが実現したのは良いことであったと思います。国民投票を規定する際には、やはりどのように投票するのかについて議論を尽くしておくのは大切だろうと、当時思ったものです。

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2006年4月16日 (日)

御復活おめでとうございます

新潟教区の皆様、御復活おめでとうございます。

Img_2012_1 新潟は朝方小雨もぱらつき、多少ぐずついた天候でしたが、皆様の地域ではいかがでしたか。昨夜の聖土曜のミサ、そして今日の主日のミサ、いかがでしたでしょうか。新潟教会では昨夜、二人の方が洗礼を受けられ、新たにメンバーに加わりました。教区全体で何名の方が洗礼を受けられたのか、まだ把握しておりませんが、昨夜新たに洗礼を受け共同体に加わった皆様に、心からお慶び申し上げます。どうぞ教会共同体において、心からの喜びを発見されるように祈ります。

Img_2067_1 新潟教会では本日、ミサの後、ミニバザーが開催されました。信徒宣教者会(JLMM)からカンボジアに派遣された、山形出身で、新潟教会にもおられた高橋さんの活動を支援するための、募金活動でした。またミサ後は信徒会館で、洗礼を受けられたお二人を中心に祝賀会もいたしました。祝賀会では、この度、青山教会主任に転任されるラウル神父様の送別会も行われました。

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2006年4月15日 (土)

聖金曜日

Img_1972_1 昨日は聖金曜日でした。午後3時頃にイエスは息を引き取ったとありますから、それを記念し黙想する聖式は、午後3時に行うのが適当なのかもしれません。しかし平日の午後3時では、参加してくださる方も限られるため、多くの教会で、夜行っているのだと思います。新潟教会でも、昨夜7時から、大瀧主任司祭司式で、聖式が行われました。

聖金曜日の聖式は、日本人にとっては何となく落ち着かない始まり方と終わり方をします。つまり、歌も何もなく唐突にそして物静かに司祭が入堂し、これまた何も言わずに床に突っ伏してしまうのです。しばらくするとむんずと起き上がり、やにわに祈りを、しかも何も言わずに突然に祈り始めます。終わりも突然です。聖体拝領が終わると、祈願を唱え、会衆のための祈りをし、そしたらこれまた何も言わずに司祭は帰っていきます。つまり、日本の文化にとても特徴的な、始めと終わりの「かけ声」がないのです。何となく始まった気分にならず、何となく終わった気分にならない。例えば「ただいまより・・・・」、「これをもちまして・・・」がないと、落ち着かないのと同じです。

そんなの別になくても構わないと思ったのは、アフリカにいるときでした。ここでは最初の挨拶もなければ、終わりの挨拶もなく、集会は何気なく誰かのスピーチで始まり、いつの間にか散会している。ところ変われば、であります。

昨晩は平日の夜と言うこともあり、参加者は多くはなかったのですが、そうなると、十字架礼拝式の時に聖歌隊が困ります。歌う歌はたくさんあって何番もあって長いのに、礼拝にでる人たちがあっという間に終わっては、喉の見せ場がない。これまた、ところ変わればですが、ガーナの南部の人たちは葬式が大好きで、ですから聖金曜日は教会と関係ない人まで含めて、超満員です。だいたい午前11時から、教会からはじめて村の真ん中まで道路沿いに設置された十字架の道行きの絵をたどって、数組に分かれての十字架の道行きが延々と続きます。そしてそれが終わるのがちょうど2時半頃。そのまま聖式に突入です。聖式のクライマックスは、十字架礼拝。一人ひとり歌にあわせて踊りながら出てきては、踊るのでなかなか十字架にたどり着かない人までいて、そして十字架の前に来るや、やにわに崩れ落ち、十字架に接吻をして、そして隣に置いてある洗面器に献金を入れていくのであります。年間で一番献金の多いのも聖金曜日でした。

今夜は聖土曜日。典礼の暦では日没と共に翌日ですから、聖土曜日はミサも何も全くなしで、土曜の夜は、日曜の典礼です。復活徹夜祭では、火の祝別から始まって洗礼式もあります。7時から、どうぞご参加下さい。明日は新潟教会では、9時からミサです。司教の司式です。

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2006年4月14日 (金)

聖木曜日

昨晩(4月13日)は聖木曜日でした。この日は通常、多くの教会で、夕刻にミサが捧げられます。司牧的に重大な理由がない限り、この日は一度だけしかミサは捧げられません。イエスが最後の晩餐で、聖体祭儀を制定された日にあたりますから、まさしく「記念」としてのミサです。

Img_1866_1 また福音によれば、晩餐の折りにイエスは弟子達の足を洗った(もっともヨハネ福音では、「過ぎ越し祭の前」とあるだけで、最後の晩餐の席でと特定しているわけではないのですが)と記されていることから、聖木曜のミサでは「洗足式」が行われます。新潟教会でも、象徴的に12人の男性信徒が一番前の席に並び、洗足式に臨みました。

洗足式と言えば、20年ほど前に、働いていたガーナの教会で、とんでもない目にあったの思い出しました。聖木曜日ミサで説教が終わって、ぞろぞろと代表の信者さん達が前に出てきたのはいいのですが、なにやらどことなく嬉しそうにして出てくるのです。祭壇の前に、集まった会衆に向かって席に着くと、真ん中は一番嬉しそうにしている信徒会長さんでした。「何事か」と訝しく思いながら足を洗い始めて会長さんのところまで来ると、なんとお芝居が始まったのであります。ペトロになりきった会長さんは、「主よあなたが私の足を洗ってくださるのですか?」と思いっきり芝居長に台詞を言って、私の方をじっと見つめている。そう、私にも芝居で返せということであります。「そんな聞いてないよ」と思いつつ、しないわけにはいかない雰囲気だし、かといって聖書の台詞をそのまま憶えてるわけないでしょう、と躊躇していると、待ってましたとばかりに、横に立っていたカテキスト氏(お祭りが好きなおじいちゃんでした)が、私に代わってイエス役をこれまたとても芝居がかって演じてくれました。そして当然、聖堂内からはやんやの喝采です。日本からガーナへ来たばかりの神父には、これは堪えました。聖木曜日って厳粛なものだろうと思っていたら、お芝居で大喝采であります。私にとってはガーナの「厳粛」という概念を学ぶ、とても良い第一撃でありました。

Img_1929_1 もちろん、昨晩の新潟教会ではそんなお芝居みたいなことはありません。厳粛なうちに洗足式は粛々と執り行われました。聖体拝領が終わると、御聖体を墓所のように飾られた小聖堂へと行列をして移します。昨晩は11時まで聖体礼拝が行われました。本日、聖金曜日の新潟教会は、午後3時から十字架の道行き、午後7時から聖式が行われます。通常のミサはありません。聖金曜日の聖式は、普段とは全く異なる儀式が行われます。一年に一度ですから、是非、ご参加下さい。

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2006年4月12日 (水)

聖香油ミサ

Img_0301_1 やっと新潟では桜が咲き始め、特に今日は気温も上がって、春らしい日となりました。本日午前10時から、新潟教会で聖香油ミサを行いました。聖香油ミサはその名の通り、洗礼や堅信に使われる聖香油を聖別し、病者の塗油に使う油、そして洗礼志願者の油のを祝福するためのミサです。これから一年、様々な機会に教区内の教会で使われる油は、このミサで作られ、司祭に配布されています。ですから今日のミサには、新潟県内だけでなく、秋田や山形からも代表の神父様方が参加してくださいました。

また聖香油のミサは、本来、司祭職が制定された記念の日でもある聖木曜日に行われ、教区で働く司祭団と司教の結びつきの深さを象徴しています。またこのミサの中で、司祭は叙階式の誓いを新たにします。新潟では地理的な状況を考慮して、聖木曜日ではなく、水曜日に聖香油ミサを行っています。Img_1772

油はオリーブ油です。聖香油については香料を混ぜることになっており、たいていは「バルサム」という香料をオリーブ油に混ぜあわせます。バルサムが一体何かはよく知りませんが、たいてい黒っぽくて、塊であることが多く、なかなか溶けたものではありません。事前に温めておいたりしないと、肝心の式中に、容器から出てこなくて、司教が必死になることも、他の国で見たことがあります。新潟で使っているバルサムは、ほどよく柔らかいもので、今日は思わず入れすぎてしまったような気がします。まるで祭壇前で調理でもしているような写真は、そのバルサムを一生懸命油に混ぜているところであります。少量のオリーブオイルを入れたスープ皿のようなものにバルサムを落とし込み、スプーンで懸命に混ぜているのですが、何かいつものミサと違うことをするので、気恥ずかしくもあります。

Img_1811_1 今日のミサは、例年に較べても信徒の方々の参加が多く、聖堂はほぼ一杯でした。各地の教会からわざわざおいでいただいた皆様、ありがとうございました。聖香油のミサの間に司祭が叙階式の誓いを新たにすると共に、司教は参加している信徒の方々に、司祭のために祈ることを求めます。今日のミサに参加することが出来なかった皆様も、どうか明日の聖木曜のミサ、または御復活にでも、ミサの中で司祭のためにお祈り下さい。

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2006年4月10日 (月)

受難の主日

Img_1757 昨日は、受難の主日(枝の主日)でした。新潟教会でも午前9時半のミサで、枝を持っての行列を行いました。新潟は幸いに天気も良く、ようやく春らしくなってきましたので、気持ちの良い日曜日でした。

皆様の小教区では毎年どのように行列をされてますか?きっとそれぞれの教会で、伝統的に行われている形式があることだと思います。神学生の頃、名古屋の神学院では聖堂前の玄関からはじめて、外へ出て、神学院前の道のところを垣根沿いに歌いながら一周しましたが、何せまだ朝の7時台です。しかも日曜日です。高歌放吟です。真っ黒なスータンに身を包んだ集団です。今でこそ南山大学が購入してキャンパスになっているから良いものの、当時は神学院の前の向かいは丸紅の社員住宅でしたから、まあ、物珍しそうに見られたものです。

Img_1670 新潟教会は、聖堂の前にある信徒会館の一室に集まり、枝の祝別をしたあとに、聖堂に向かい、聖堂の中を一周いたします。靴を脱がなければ入れない聖堂ですから、玄関での混乱は致し方ありません。

聖週間です。春を満喫しながら、良い一週間を過ごされますように。

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2006年4月 8日 (土)

聖週間

明日、4月9日は受難の主日です。枝の主日とも言われますが、明日から御復活まで、聖週間が始まります。

新潟教会で、この聖週間の間に司教司式のミサは以下の通りです。

4月9日 受難の主日 午前9時半のミサ、

4月12日 聖香油のミサ 午前10時

4月13日 聖木曜日 午後7時

4月15日 復活徹夜祭 午後7時

4月16日 復活の主日 午前9時半

なお、新潟教会の4月14日 聖金曜日の聖式は、主任司祭の大瀧神父様が司式されます。皆様どうぞご参加下さい。

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2006年4月 7日 (金)

清心はやはり歌が良い

年間を通じて野球の試合130近くありますが、感動する試合は数少ないものです。そんな試合のひとつが、今日ありました。ジャイアンツとドラゴンズ。しかもホームのナゴヤドーム。相手はエース上原。ドラゴンズだってエース川上だ。1点リードされていやなムードを吹き飛ばした福留のホームランは言うまでもありませんが、9回裏、満塁で飛び出した、立浪のサヨナラホームラン。この数年間、苦しいときの立浪頼みのドラゴンズですから、まさしくその通りの試合でした。すばらしい。

さて今日は午後1時半から、新潟清心女子中学・高校の入学式でした。理事長のシスター渡辺和子出席されておりました。校長の式辞のあとがシスター渡辺のお話、そして私の祝辞ですから、話しにくいことこの上ない。お話の上手なお二人に続いて話をするというのは、難儀なものです。そして清心の歌は今日も健在でした。音楽の先生は、この年代の生徒さんを、どうやってあれだけ溌剌と大きな声で歌を歌えるようにしているのか。そこらあたりにも、清心の教育のすばらしさが隠されているような気がします。

ところで入学式の帰りの車の中で、菅さんと小沢さんの演説を耳にしました。民主党という政党のことやお二人の政治信条は関係なく、完全に小沢さんの演説の方が、今日はうまかった。上手な演説でした。昨日記者に囲まれて、「話す練習でもしようかな。僕は話すのが上手じゃないから」というような発言をしてましたが、それまでさんざん、「菅さんの方が演説は一枚上手」とニュースなんかで言われていたのですから、すさまじい皮肉でした。そして今日、それを実証して見せた。スピーチライターがしっかりしていたのかもしれませんけれど。なにかしら「戦争広告代理店」という本の中身を思い出してしまいました。

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2006年4月 6日 (木)

一周してきました

昨日から今日にかけて、ぐるりとJR一周の旅をして参りました。もちろん出発点は新潟。昨日は午後3時から会議があったので東京へ。そして会議が午後7時に終了後、東京駅8時4分発最終の「こまち」で秋田へ。秋田駅には雪の影響もなく定刻11時54分到着。そのまま秋田に泊まって、今日は午前10時から秋田聖霊中学・高等学校の入学式。少子化が進む地方都市にあって、これからも一段と私学経営は挑戦的局面に立たされるでしょう。これからが勝負です。しかしそれにしても、すばらしいブラスバンドの音色を聞いて、慰められました。この学校は、ハンドベルもすばらしいが、今年のブラスバンド部は出色の出来映えです。元気の良いマーチなんかは何とか格好が付くものですが、それでも各楽器がしっかりとのばした音の安定していること。上にも下にもぶれない。そしてこれが一番大切だと思うのですが、ピッチが安定してしかもあっている。すばらしい。とてもすばらしい演奏でした。

入学式終了後、秋田教会に突然現れて、お昼を頂き、今度は「いなほ」に乗って新潟へ戻りました。ぐるりと回った距離は、営業キロで1265キロにも及びます。だからどうしたもないのですが。昔東京へ初めていったのは小学3年生が終わった春休みでした。父親と一緒に盛岡から上野まで、もちろん夜行列車です。早朝上野について、寒い中、父親と上野公園を歩いた時の興奮は、鮮明に覚えています。岩手県に住んでいる者にとって、東北本線を上って東京へ出るのは、一大旅行だったのです。それがいまは新幹線のおかげで、あっという間。夜8時に東京を出て、その日のうちに、もう秋田まで。

明日は、新潟清心女子中学・高等学校の入学式です。

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2006年4月 3日 (月)

まるでサハラのように

 今日は風の強い一日でした。所用のため朝8時台の新幹線で東京へ向かっていました。越後湯沢あたりはまだ深い雪に覆われていたものの、トンネルを抜けて群馬県側へ出ると、とても良い天気で、ここまではいつもの通りでした。ところが高崎を過ぎたあたりから、新幹線の周囲は砂嵐。いやはやあんな光景ははじめて見ました。町全体が、うすい砂のベールに覆われているのです。砂が舞い上がっている様子が、新幹線からははっきりと分かりました。

 西アフリカの国々は、クリスマスを過ぎた頃からちょうど今頃まで、ハルマターン(またはハーマターン)という季節に突入します。場所によりけりですが、からからに乾いた乾期の真っ最中に、季節風は内陸から海に向かって、つまり北から南へ向かって吹きます。そうすると、サハラ砂漠の砂が風に乗って押し寄せてくるのです。今日、群馬県から埼玉県の県境あたりで午前中に霞のような砂に覆われた人たちは、まさしくサハラの砂に巻き込まれたハルマターンのアフリカの人たちと同じ経験をしましたよ!あれが毎日です。すべてに砂埃が入り込む。しかも太陽を肉眼で見つめることが出来る。朝晩はものすごく冷え込み、そして昼間は40度を超える灼熱地獄。砂埃で、乾燥していて、とても暑いというのは、耐え難いものです。しかも乾期で水が不足しますから、水浴びというわけにも行かない。 ガーナにいる友人の皆さん、乗り切っていますか、今年の乾期を?復活祭が来ると、だから来週くらい、大風が吹き荒れて、雨期がやってきますから、もう少しの辛抱です!

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2006年4月 2日 (日)

あれから一年

 前教皇ヨハネパウロ二世が亡くなられて、今日4月2日で一年が経ちました。思い返してみても力に満ちあふれたリーダーであったと思います。すでに聖人の呼び声も高く、列福されるのも時間の問題かもしれません。後生の歴史に名を残す大教皇でした。どうぞ祈りのうちに、ヨハネパウロ二世をしのび、お祈り下さい。

 四旬節も第五主日となりました。あと一週間で、聖週間が始まります。

 何の罪もない幼い子供が、全く面識のない男性に、しかも今のところ何一つ明確な理由がないままに、マンションの15階から突き落とされて亡くなるという、何とも理不尽な事件が起こりました。犯人と目される人物が逮捕されたものの、残された家族の方々の無念さは尽きることがないでしょうし、周囲の人たちにとっても、理解の範疇を超えた出来事が身近に起こり、決して安心することが出来ない日々が続いていることだと思います。しかしそれよりも何よりも、殺されてしまった幼子自身の心を思うとき、なぜそうなったのかも分からないまま味わった、一生を終えていくことの悔しさと恐怖。その心に思いを馳せて、涙せずにはいられません。理不尽な出来事は、なぜそうなるのかという理屈が全く分からないために、同様の事柄は誰にでも起こる可能性があるという恐怖を抱かせてしまいますから、目に見える形で犯人が捕まったとはいえ、多くの人の心の底に、「得体の知れない恐怖」の種を蒔いてしまいます。そして「得体の知れない恐怖」は、疑心暗鬼を生み出すだけです。

この理不尽な出来事も、人間の仕業である限りにおいては、何か犯人の心にはその人なりの理由があるのかもしれません。でもそれはあまりに身勝手で、あまりに内向きです。

 四旬節第五主日にあたり福音は、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである・・・」という有名なヨハネの一節を朗読します。イエスが求める信仰は、徹底的に外向きの信仰です。種の内にこもり、自分のためだけの信仰を守り、自分のためだけに生きるのであれば、それはそのまま失われていく種です。「自分の命を愛するものは、それを失う」とまで言われます。

 自分勝手な理由から、罪もない他人の命を奪う心。その心の思いは形を変えて、すべての人の心に潜む悪の力のひとつなのだろうと思うのです。私たちは、自分のためだけに生きることは出来ません。イエスに従い、イエスの福音に生きることを誓った私たちは、そのような悪の誘いに徹底的に立ち向かわなければなりません。そして、自らの人生を、他の人への奉仕の生き方と出来るように努力したいと思います。

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2006年4月 1日 (土)

新年度開始

4月1日です。2006年度になりました。早速、入学式の学校もあることでしょう(名古屋の南山大学のように)。東京では桜が満開のようですが、新潟では少しずつ春の気配が忍び寄りつつある毎日です。とはいえ、山間部ではまだまだ雪が降り続いています。新年度に入ったとは言え、今年は復活がまだですから、つまり教会では人事異動がまだおこなわれていないところも多く、新しく始まったという気がしません。もう少しの辛抱です。

3月29日の新潟日報に、吉祥寺教会の後藤文雄神父様が、「米百俵賞」を受賞することになったという記事が載っていました。カンボジアでの支援活動が評価されたようです。後藤神父様は里親になってみたり、現地で学校を建設したり、長年にわたってカンボジア支援を継続されています。そして長岡市出身で、お寺さんの生まれです。神言会という修道会の中でも、なかなかユニークな存在の方です。後藤神父様おめでとうございます。

待ちに待ったセリーグは昨日開幕。愛しのドラゴンズは、開幕勝利とはなりませんでした。また熱い毎日が始まりました。

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