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2006年6月29日 (木)

神言会管区長電撃交代!

神言修道会は今全世界で6,000人ほどの会員がおり、日本管区にも120人ほどが在籍しています。もともとドイツ人が創立した宣教のための修道会ですから、かつてはドイツ人を中心にいわゆる欧米人の会員が多数だったのですが、今ではアジアやアフリカの会員が増加の一途をたどっています。その中でもインドネシア出身の会員の増加は著しく、その数も1,000人ほどを数えています。

現在ローマではこの修道会の6年に一度の総会が開催されており、日本からもキサラ管区長をはじめ3名の代表が会議に参加しています。総会の最中には、修道会の総会長から始まって総勢7名の総顧問会を選出する選挙が行われました。総会長にはこれまで6年総会長を務められたフィリピン出身のペルーニア師が再選されたのですが、そのあと顧問の選挙になって、一番最後に日本管区長のキサラ師が顧問に選出されてしまいました。しかもその後の投票でキサラ管区長は、修道会のNo.3にあたる総勧告者にまで選出されました。キサラ神父様おめでとう!

おめでたいのですが、しかし日本管区では管区長をとられてしまう格好となり、玉突きでこの数ヶ月、いろいろな人事が動くことになるでしょう。ちょっとした混乱であります。総顧問というのは、それぞれの所属管区に普段は住んで、会議の時だけローマに出かけるなどと言う生やさしい職務ではなく、完全にローマへ移住して、ローマ人となり(もちろんイタリア語も学び)、ローマの総本部で仕事をするということになりますから、今回の総会議の時点までそれぞれの国でしていた仕事を、すべて投げ打たなくてはならないのです。大混乱が目に浮かびます。

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名古屋へ行ってきました

神言修道会が設立母体である名古屋の南山大学では、全学生が必ずキリスト教の授業を受けることになっています。以前はキリスト教概論とキリスト教思想を一年と二年で必ず履修しなくてはならなかったのですが、近頃は宗教論とか名前を変えてみたり、または以前私自身が非常勤で教えていたのですが、キリスト教に限らず宗教や倫理の側面から広く知識を蓄えることを目的に、「人間の尊厳」という科目を開講するようになっています。この宗教系の科目のために、年に一度、外部からの講師を招いて講演会が行われます。昨日、南山大学の瀬戸キャンパスでは一年生を対象にこの講演会が行われ、私が講師として呼ばれました。2年前まではこの「人間の尊厳」科目のひとつとして、「第三世界の諸問題」を教えていました。開発についての初歩的なことやアフリカについての話をしていたのですが、今回もアフリカの話を中心に、これまで各地で撮影してきた写真を見せながら、90分の話をいたしました。

それにしても大学生のお行儀の悪いこと。おしゃべりは言うに及ばず、平気ですたすたトイレへ出て行く。この瀬戸キャンパスは数理情報学部と総合政策学部のために新設されたキャンパスで、教室でもLAN接続し放題。学生は入学したときにノートパソコンを支給されるとか言うことで、机の上では多くの学生がコンピュータを広げている。もちろん何を見ているかは分かりません。机の上に申し訳なさそうに携帯を広げている学生がかわいく見えるほど、言葉は悪いですが、ふてぶてしい学生の皆さんの姿に、ちょっと新鮮な驚きを感じて参りました。

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2006年6月26日 (月)

高田教会にて

昨日(25日)は、新潟県の上越市にある高田教会で堅信式が行われました。上越市には高田教会と直江津教会があります。(来週の日曜日は直江津教会でミサの予定です)高田教会では14名の方が堅信を受けられました。大人の方々と中学生がほぼ半分ずつ(申し訳ない、正確な人数を失念しました。)またミサの中で、2名の方の入門式と今年の夏に洗礼を予定している高校生の志願式を行い、さらには聖体奉仕者の任命も執り行うという盛りだくさんのミサとなりました。

Img_0163_1 また今回新潟教区にはじめて派遣をお願いした、無原罪の聖母フランシスコ姉妹会のシスター方3名とも、はじめてお会いしました。このシスター方はフィリピンの出身で、すでに数名の会員が京都教区で働いておられます。新潟教区としては特に、新潟県内におけるフィリピン出身者をはじめとした外国籍信徒の方々やその家族の方々との交わりを深めるために、今回の派遣をマニラにいる同会の管区長にお願いしておりましたが、この度2名が新しくフィリピンから派遣され、さらに1名が京都から転任してこられました。三名は高田教会に所属し、現在は日本語の勉強中です。今後の活躍に期待します。シスター方について詳しいことは、また折を見て記すことにしたいと思います。高田教会には老人施設や幼稚園と保育園、さらには母子寮もあり、小教区というよりも一大コンプレックスとなっています。これを築き挙げてきたマリオ神父様のアイディアと手腕には脱帽させられます。またこの地域では、南米出身の方々も多数居住されています。昨年度まではスペイン人のハビエル神父様が助任としておられたのですが、この度出身の高松教区の戻られたため、南米の方々への対応が手薄になっています。全体的に広く対応していくために、何かを考えねばなりません。

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2006年6月24日 (土)

明日は高田教会の堅信式

明日、6月25日は新潟県の高田教会(上越市)で堅信式が行われます。14名の方が堅信を受けられる予定です。どうぞお祈り下さい。また明日は、「聖ペトロ使徒座への献金」の日でもあります。明日の特別献金は教区本部でまとめた後、バチカン大使館を通じて教皇庁へ送付されます。全世界の教会がバチカンを支える献金を行うという伝統は八世紀頃のイギリスの伝統から発展したのだと言うことです。教皇様の様々な活動を支えるために、献金をお願いいたします。

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長崎から戻ってきたものの

Img_0117 長崎教区司祭の黙想会も無事終わり、新潟へ戻って参りました。90名にも及ぶ長崎の教区司祭団は、やはりお話をさせていただくには迫力のある相手でした。大司教館の周囲は、原爆の爆心地をはじめ、浦上天主堂、永井博士の如己堂、平和公園、原爆資料館などなど、核兵器の悲惨さを後世に伝える巡礼の地でもあります。同時に浦上はキリシタンの村として明治に入ってからの迫害の地でもあり、その意味でも巡礼の地であります。教会関係の施設も周囲には多く、カトリック神学院(教区小神学院)、ルドヴィコ神学院(神言会小神学院)、Img_0111 長崎南山中学高校等が点在しています。あまり頻繁に訪れる地でもありませんから、今回このようにして長崎を訪ねることが出来、幸いに思います。(上の左は浦上天主堂。夜10時頃までライトアップされています。右側は長崎大司教館。7階建ての堂々たる建物です。そして下の左側は、その迫力ある長崎教区司祭団を後ろから一枚。私の講話がすべて終わり、最後に高見大司教様がお話をなさっていることろです。それにしても高見大司教様は、私の話を一番前の席でじっと聞かれておられて、それはそれは、先生に睨まれてるみたいで緊張いたしました。)

Img_0129_1 それにしてもどうも近頃、齢を重ねつつあるためか、単に注意力散漫なのか、忘れ物や物忘れをするようになりました。先日、司教総会に参加するために秋田から羽田へ飛んだときも、携帯電話を秋田教会司祭館に置き忘れ、送って下さったスタン主任司祭に途中であわてて戻ってもらう羽目になりました。そして今朝は、新潟へ戻る飛行機に乗ろうと空港へ到着し、自動チェックイン機の前に着て上着のポケットから航空券を取り出そうとしたら、無い、無い、無いのです。正直に告白すると、これまでしばしばそうやって慌ててそこら中のポケットを探っている人を目にしては、内心冷ややかな目で見ていたのであります。「自分はそんなに不注意ではない」と自信を持っていたのであります。そのような傲慢な心に鉄槌が下されたのでありました。真に十分に不注意であります。どこでどうしたのか、全く記憶にない。唖然呆然といたしました。結局もう一度購入することになり、仮に出てくれば払い戻し、出てこなければ半年後くらいに某かの調査料を支払って払い戻しになるとか。気をつけねばなりません。でもたしかに、近頃、ちょっとしたものを忘れるようになったのですねぇ、これが。出かける前まで仕事をしていて、「持って行かなくては」と何度も自分に言い聞かせたフラッシュメモリーとか。そう言えば、長崎教区司祭の黙想会の話の最中にも、どうしてもある人物の名前が思い出せなくて焦りました。話の流れで当たり前のお名前だったので、原稿には名前を書いていなかったのです。「昔のフォーク歌手」といってごまかす羽目になりました。小室等さんごめんなさい。大事なあなたの名前が出てきませんでした。話にはまったく関係ない、井上陽水や吉田拓郎や泉谷しげるの名前は浮かんできたのに。フォーライフつながりで。どうしましょ。

Img_0102 新潟から長崎へは直行便がないので、福岡まで飛んで、博多駅からJRの特急、「かもめ」に乗って長崎へ向かいました。「かもめ」はあの「しろいかもめ」です。内装もフローリングの床とか革張りの座席とか、いやはやJR九州の特急列車はデザインにも内装にも凝った車輌が豊富で、うらやましい限りです。博多駅のホームでは、そう言った凝りに凝った特急車両をいくつも目にしました。「かもめ」があるなら長崎へ新幹線はいらないと思ったりもしましたが、もっとも諫早に近づくにつれて単線区間でのすれ違い停車が多くなり、たしかにあまりの停車の多さに不満が出るのも宜なるかなと思いました。それにしてもJR東日本さんも、あれくらいの車輌はどうでしょう?

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2006年6月20日 (火)

長崎は今日も暑かった

新潟教区の皆様、いかがお過ごしですか。いやはや長崎はとても暑い、の一言です。

長崎教区司祭の黙想会がはじまりました。長崎の平和公園のすぐ近くに煉瓦色も美しい浦上天主堂がそびえております。その向かい側に、これまたそびえ立つのが長崎大司教館であります。七階建てです。屋根には大聖堂鐘楼を模したかのような塔屋が二つ、一階玄関はとても広いの一言に尽きる大建築です。大司教様の居室や事務室、教区の事務局などもそれぞれフロアに分かれており、そして今回の黙想会もこの建物の中で行われております。3階には聖堂と会議室がいくつかあるのですが、これが会場です。もちろん新潟の司教館にも聖堂と会議室はありますが、それはそれは規模が違います。黙想会場にいる教区司祭、その数90名以上。その人数が余裕ではいる聖堂と会議室ですから、大きさは想像頂けると思います。新潟司教館の聖堂は、司教の専用ですから、4人もはいったら、立錐の余地なしであります。この参加者は、大司教館でも何名の方が宿泊されておるようですが、道を挟んで向かい側のカトリックセンjターにも宿泊されている司祭がおられるようです。ここは現在ユースホステルにもなっており、長崎観光や巡礼の折りには、手軽なお値段の宿となっております。黙想会参加者はカトリックセンター一階にあるカフェテリアで食事を頂いております。90名も司祭がいれば若い神父さんもたくさんいる訳で、昼食後にはバスケットボールに興じておられる。そうなんです。大司教館には体育館まである。これはすぐ裏にある教区の小神学校のためであると聞きました。

司祭に対して霊的な話をすることほど難しいことはないにもかかわらず、しかもそれを90名以上の、しかもそれをカトリックの伝統の地長崎の神父様方に対して、しかもそれを一日に二回もするに至っては、久しぶりに話したあとに強烈な腹痛に襲われました。緊張の極みであります。目の前に浦上天主堂が見えますから、ちょっと訪ねてみました。表の案内板になんと書いてあると思います?この小教区には8千人の信徒がいて、日本で一番大きい小教区です、と記してあります。新潟教区全体の信徒数は7千人ほどですから、圧倒されずにはおられません。

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2006年6月18日 (日)

今週は長崎です

今週は明日から長崎に出かけておりますので、新潟には不在です。火曜の朝から金曜のお昼まで、長崎教区司祭の年次黙想会でお話をさせていただきます。日本で一番伝統があり、教区司祭の人数も一番多い教区ですから、緊張いたします。黙想会の様子などは、またお知らせいたします。

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新発田教会にて

Img_0122 新発田地区の信徒大会が新発田教会で行われました。新発田地区の栃尾、三条、見附、加茂、村松、新津、新発田、村上の各教会から90名以上の方が参加されました。信徒大会は10時の堅信式ミサで始まりました。新発田だけでなく三条と栃尾からも堅信を受ける方がおられ、受堅者は9名でした。ミサは私の司式で、新発田の石黒師、三条・栃尾の佐藤允広師、加茂の佐藤勤師が共同司式されました。見附の真壁師と新津の鎌田師は所用のため参加されませんでした。

ミサの後には各教会でのこの一年の活動の報告があり、引き続いて幼稚園ホールで昼食となりました。昼食には新発田教会の方々が用意してくださった豚汁が振る舞われました。昼食後は聖堂に戻り聖体の前でのしばしの沈黙と、聖堂の回りを一周した聖体行列もありました。その後分科会に分かれて、共同体づくりについての取り組みのわかちあいが行われました。

Img_0136_1 新発田教会の周辺では道路拡幅工事のために立ち退いた家も多く、今までは聖堂が周囲の住宅に埋もれていましたが、目立つようになりました。新発田市と交渉を続けている道路の通る線は、多少なりとも譲歩していただいているかと思います。道路の全体線は変わらないものの、歩道の幅に配慮して、なるべく教会側が広くなるように配慮してくださるようです。新発田教会の聖堂は名古屋の南山大学を設計したレーモンド氏が設計したものです。レーモンド氏は帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの弟子だと言うことです。昨年には日本建築家協会から25年賞のグランプリを頂いた建物ですから、大切にしたいと思います。

準備をしてくださった石黒神父様と新発田教会の皆様には、感謝いたします。

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新発田地区信徒の集い

本日はキリストの聖体の主日です。私たちの信仰生活の中心にある聖体について、祈りのうちに黙想したいと思います。新潟県の新発田地区では本日が信徒の集いの日に当たります。集まりは10時から新発田教会で。10時からのミサでは新発田、三条、栃尾から9名の方が堅信を受けられる予定です。また昼食後には聖体礼拝や、プログラムによれば聖体行列も予定されているようで、どのようなかたちになるのか、また今晩にでもお知らせいたします。教区の皆様、聖体の前でしばし主の現存を黙想しながら、善い日曜日をお過ごし下さい。

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2006年6月17日 (土)

気になること

どうも気になることがいくつかあります。司教総会の間にラテン語の教会用語の日本語訳確定という議題があって、気になったのですが、当たり前のことですけど同じひとつの単語に、複数の意味合いを持った訳語がつけられる。つまり同じ言葉を使っても、意味するところは実は異なると言うことですよね。だから思ったのですが、それは日本語でも同じ事ですよね。つまり同じ日本語の単語でも、使う人によって、それに込めた意味は全く違う。同じ単語を使っても、その背景にある考え方を明白にすることは大事だと思います。

それから昔の教会が善かったという人は、もちろん教会の権威についてもその当時が善かったと言うことですよね。

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司教総会終わりました

2006年度の定例司教総会は、潮見のカトリック会館で6月12日から16日まで、全国の17名の現役司教の参加を得て、開催されました。12日(金)のお昼で、無事すべての議事が終了し、閉幕となりました。詳細については中央協議会のホームページやカトリック新聞に掲載されることになるかと思いますので、参照下さい。

今回の会議でも、典礼の翻訳については重要な議題のひとつでした。ご存じのようにローマミサ典書(バチカンの発行するミサのための規範版)は、2002年に第三版が発行されており、現在は世界中の司教団が、自国語に翻訳する作業に取り組んでいます。英語やスペイン語やフランス語などは、複数の国で使用されるために、共同作業の委員会などが設置されて、そのため各国から大勢の専門家が参加できますが、日本語などのようにひとつの国でしか使われない場合、専門家の人数も限定されるため作業には時間がかかってしまいます。もちろん原本はラテン語ですから、出来る限り忠実に、そして意味するところを正しい日本語で、しかも格調を持って、置き換えていくのは、楽な作業ではありません。さらに今回の議題のひとつにもなりましたが、他の教会の公式文書との間で、使用される訳語に統一がとられていなければなりません。それは特に教会用語において、必ず守られなければなりません。現在、第二バチカン公会議の公文書の再翻訳作業が進んでいますが、ラテン語の日本語への翻訳において、それとの整合性を図ること自体が、簡単な作業ではありません。作業にあたってくださっている多くの専門家の方々に、感謝しなければなりません。

今回の会議では受難の主日に始まって、聖土曜日までの典礼文を取り上げました。まだまだ先は長いのですが、日本中の多くの教会で、数年前に発行したミサ典書がぼろぼろになってきているのは良く目にするところですから、何とか早くすべてを翻訳し、バチカンの認可を受けて、発行にこぎつけたいと思います。今回の議論の中で、典礼文の翻訳認可は典礼秘跡省だけでなく、特に秘跡の制定句においては、教理省の認可と教皇様の直接の裁決が必要であることをはじめて知りました。日本での独自の適応についても、典礼秘跡省は良く研究しておられるとのことで、今後はしっかりと対話しながら、早い段階での認可を受けたいと思います。

それ以外には列福の決定が待たれるペトロ岐部と187殉教者の列福式準備に関する議題もありました。列福に関してはすでに列聖省からのゴーサインが出ており、残すのは枢機卿会議での決定と教皇様の裁可です。今年中の決定が期待されており、来年には日本で列福式が行われる予定です。今後、準備委員会を設置したり、「殉教者を想い、共に祈る週間」を2007年2月4日から11日に開催するなど、いろいろな行事が行われていくことになりました。列福式の開催地はまだ未定ですが、新潟教区ではこの188人のうち53人と、一番多い殉教者が山形県の米沢で殉教していますので、新潟教区のお祝いも別途行うことを、これから考えて行かなくてはなりません。米沢教会の方々だけでなく、全教区を挙げたお祝いにしていきたいと思います。

今回は水曜日の夜に参加司教全員が教皇庁大使館に出かけ、大使と夕食を共にしました。私にとっては初めての体験でした。また大使は初日の開会メッセージだけでなく、木曜日の午後にもおいでになり、司教団と様々な点で意見を交換して行かれました。そのうち新潟教区にも、公式訪問をしていただかねばなりません。

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2006年6月16日 (金)

トラックバックは停止します

今朝ほど日記をごらんになった方には、やにわに「ホスト」の話が掲載されていて、驚かれた方もおいでだったと思います。どうやるのか素人の私にはわかりませんが、トラックバックからの全文掲載だったようです。トラックバックは公開と非公開をこちらで選択できるはずなのですが、Niftyさんどうなってるんでしょう?いずれにしろ、当面はコメントだけでなく、トラックバックも停止します。

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2006年6月15日 (木)

そういえば京葉線

司教総会中はカトリック会館裏にあるアネックスと呼ばれる建物に泊まっているのですが、食堂の窓からはいろいろなものが見えます。私にとって一番おもしろいのは羽田に降りる飛行機が遠目に見えることでしょうか。月曜日に秋田から羽田に飛んだときも、C滑走路に都心側から降りる、つまりお台場を右手に見ながらB滑走路(横風)に進入するかに見せかけて、ぐいぐいと左旋回しながら着陸するという、かつての香港は啓徳空港への着陸を彷彿とさせる、しかしあの迫力にはかなわない程度ではあるがパイロットはきっと張り切ってるだろうなと想像させる、あの着陸へと向かっている飛行機が見えるので、ひじょうに「わくわく」いたします。そして、窓の左手には京葉線の新木場の駅が見えるのですが、新木場の駅はかなり高い位置にホームがあります。しかしその真下にはお台場方面に向かうりんかい線のホームもあります。で、潮見を出た下り京葉線は、新木場手前でほぼ90度に左へカーブを切るのであります。加えて潮見駅手前でトンネルから出てくる京葉線は右にかなり鋭角のカーブを切るのですが、そこには左手に向かって渡り線が存在します。渡り線の先は総武線の亀戸まで続いている貨物線であります。ここにももともとの計画では潮見を通過する京葉線なる旅客線は存在していなかったのではないかと感じさせる線路のつながりがございます。本来はこのりんかい線と現在の京葉線は、一連のまっすぐ通じる鉄道として計画されていたのではないか。京葉線のトンネル地下部分はそのまま亀戸方面へ抜けて成田へ行くはずではなかったか。

そんなこと司教総会には関係ありませんが、それくらいしか楽しいことはないということでございます。

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2006年6月13日 (火)

司教総会はじまる

定例司教総会が昨日12日から16日金曜日までの予定で、東京の潮見にあるカトリック会館ではじまりました。初日は教皇大使の挨拶にはじまり、さまざまな報告事項で終わりました。一日目の報告事項で毎年一番重要なのは、福岡と東京の両神学院院長による事業報告でしょうか。現在は、すでに決定されているように両神学院の合同の可能性を探っているところですから、両神学院の違いをこの報告で知ることは重要な意味を持っています。

それにしても潮見というのは地理的に東京駅には近く、電車も東京駅から8分ほどしかかからないのに、どういう訳か不便としか感じられないところにあります。それというのも、東京ディズニーランドに出かけたことがある人はご存じでしょうが、京葉線の地下ホームというのが隣の駅ではないかと思うほど東京駅から遠い。延々と地下通路を歩いていかねばなりません。加えて、総武線に成田方面の特急を通した関係で、房総半島向けの特急電車がすべてこちらへ移ってしまった。しかももともと京葉線は貨物線としての計画であったと思うのですが、追いこし設備が豊富にあるわけではない。潮見のように各駅停車しか泊まらない駅では、都内の他線に比べても各駅停車の間隔が長く感じられてしまう嫌いがあります。土地の選定にあたっては当時東京教区が潮見教会の隣にこの土地を持っていたというのが一番の理由であったのだろうと思います。「ありのまち」が移ってきた潮見の地であります。

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秋田地区大会、大館で開催

Ohdate01 秋田地区の信徒の集い(信徒大会)が、秋田県の北、大館教会を会場に開催されました。当日は秋田県で働くすべての司祭(ただし、秋田教会のロボ神父様は秋田教会のミサのために残られました)と修道者の代表、そして信徒の方々と、総勢110名ほどが参加され、さすがに100名は収容できない大館教会の聖堂ではなく、すぐ裏にある公共の施設をお借りして、講演会と昼食、その後幼稚園に会場を移して感謝のミサを捧げて散会となりました。講演は吉祥寺教会の後藤文雄神父様でした。後藤神父様はかつてカンボジア難民の子供たちの里親をされたり、その後もカンボジアに学校を建設する活動を行っているなど、体験に基づいたお話を聞かせてくださいました。後藤神父様は、そろそろ70代も後半のはずですが、ますます持ってお元気で、話はあっちへゆらりこっちへゆらりと、非常に興味深いものがありました。

Goto 大館教会は比較的小さな教会ですが、司祭館のお隣にはまぶしく輝く白亜の聖堂が忽然と姿を現しておりました。もちろん結婚式場です。それにしてものロケーションであります。こういった結婚式場聖堂は決して何十年も長持ちしそうにないのですが、流行が去ったあとは壊されてしまうのでしょうか。日本各地に一見大聖堂と見まがう教会がいくつも建っていてびっくりしますが、よく見るといかにも張りぼてみたいなもので、街に決して品位を与えるものではないなと思います。

Ohdate02 秋田地区は全県の宣教を神言修道会に委託しています。その神言修道会は、来年が日本宣教100周年となります。100年前に秋田からはじまりました。秋田県は神言会にとっても歴史のある宣教地の一つであり、また日本そのものが、神言修道会創立者、聖アーノルド・ヤンセンが、亡くなる前に自分で決定した最後の宣教地であったこともあり、来年には秋田でも盛大なお祝いが予定されています。100年という時間を振り返り、これまでの成果を謙虚に見極めて、これからの秋田における宣教にさらに力をいただければと思います。

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2006年6月 9日 (金)

秋田地区大会へ

明後日、6月11日は三位一体の主日ですが、新潟教区の秋田地区では信徒大会が行われます。昨年は秋田教会が会場でしたが、今年の信徒大会は、秋田県の北の端、大館教会が会場です。私も明日のお昼頃の「いなほ」に乗って秋田まで行き、さらに青森行きの「かもしか」に乗り継いで、夕方7時頃には大館に到着の予定です。自教区の中での移動なのに6時間を超える長旅であります。この時期、普通なら自分で運転していくところですが、(なお車では8時間近くかかってしまいます)月曜日の午後からは東京で、定例司教総会が開催されるため、日曜日はそのまま泊まり、月曜日に秋田空港から羽田へ飛ぼうという算段であります。司教総会は、来週の月曜日の午後から金曜日のお昼までの予定です。大館での信徒大会には、東京の吉祥寺教会におられる後藤文雄神父様が講演をしてくださるとのこと、辛口の名説教師ですから、楽しみにしております。

大館といえば、秋田から大館に至る途中には、能代もあり(能代には小教区もあります)、二人の幼い命が相次いで失われるという今般の悲劇的な事件の現場がすぐ近くにあります。全くの不条理な状況の中で息子さんを奪われたご両親には、どうしても事の成り行きが理解できない苦しみと愛する子供を失った悲しみが繰り返し押し寄せておられるだろう事を思うと、またそこには裏切られたという思いも深くあることでしょうから、お二人をはじめ家族の方々の心痛は察するにあまりあります。逮捕された女性が一体どのような背景を持ちどのような動機があったのか、いろいろと報道されていますが、井戸端会議的な好奇心を満たしてくれるような内容ばかりで、本当のところは興奮が収まった後にしか分からないのでしょう。最初にお嬢さんを亡くされた悲劇の主が犯人だったというセンセーショナルな筋立てがさらに一層の好奇心を呼び寄せるのでしょうが、先日の川崎での事件の犯人に関する報道と比較しても、今回はプライベートな生活を暴いていくような内容が多いように感じて、報道には余りよい気分はいたしません。「社会の状況が犯罪を生んだ」などと言う短絡的な主張をするつもりは全くありませんが、しかし、「特別に悪い人がいて、その悪い人が起こした、特別な事件だ」というような捉え方に持って行くことが、良いことだとは思いません。幼い命を狙ったかのような事件が頻発する背景には、やはり考えねばならない心の荒廃を生み出している時代が控えているように思うのです。

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2006年6月 8日 (木)

新潟教区司祭の集い

Img_0119 新潟教区で働く司祭がすべて集まる集いが、6月5日午後から7日昼まで、鳥海山の秋田県側にあるホテル「フォレスタ鳥海」を会場に、30名近い参加者を得て開催されました。毎年必ず開催される司祭の集いは、教区司祭だけでなく修道会の司祭も含めて、研鑽を深め互いの信仰と親交も深めることを目的としています。外部から講師を招くこともありますが、今回は久しぶりに二泊三日と長い時間をとり(昨年は一泊二日)、会場も新潟県ではなく秋田県として出来る限り多くの司祭の参加を図り、たっぷりと時間をとって意見交換を主たる目的としました。特に教区にとって大きな課題である、滞日外国人の方々への取り組みと、青少年層への取り組みについて、それぞれの担当者からの提言を受けて、時間をかけて意見交換をいたしました。理想と現実の開きをどのように埋めていくのかが、今後の課題かもしれません。

Img_0129 特にこの地域で顕著に見られる、教会とあまり関係がない日本人と結婚している、外国籍の主に女性信徒が抱える様々な問題に、教会としてどのように関わっていくのかは、微妙な問題も絡んでくることから、慎重に対応しなければなりません。教会法の厳格な適用も必要ながら、しかし基本的には「司牧的配慮」を優先しつつ、やはり教会としての責務も出来るだけ果たしていく道を探っていきたいと思います。家庭内での文化の違いに起因する問題や、顕著に聞かれるようになった家庭内暴力の問題など、配慮すべき課題は多くありますし、すでにこれまでもいくつもの事例に教会として具体的に対応してきたところです。

それにしてもこのフォレスタ鳥海というホテルは、司祭大会のような集まりを開催するには十分なすばらしい施設で、温泉もあって、食事もおいしく、さらには食事会場にカラオケがあり、おもわずステージに上がる方もいるなど、ありがたい会場でした。がぁ、しかし(これは森田健作の名調子の台詞です)、道が分からない。山の中の道で迷いに迷い、偶然に道ばたで出会った「おばあちゃん」に道を教えてもらい、しばらく走ったら、なんと同じ「おばあちゃん」にまた会った(つまりぐるりと回って同じところに戻った)等という、興味深い経験をした神父様もおられました。

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2006年6月 4日 (日)

聖霊降臨の主日

Img_0106 今日は聖霊降臨の主日です。主イエスが復活され昇天されるにあたり、教会を導く真理の霊を約束されわけですが、本日朗読された有名な使徒言行録の一節にあるように、五旬祭の日、集まった弟子達に聖霊がくだり、私たちもその一員である教会が始まりました。ですから教会の誕生日とも言われています。聖霊のお祝いですから、各地で堅信式が行われていますが、新潟教区では新潟市の花園教会で堅信式を行い、15名の方が堅信を受けられました。花園教会の堅信式は聖霊降臨の使徒言行録の話のように、日本人だけでなく韓国の方やスペインの方や、いろいろな国の人たちが祭壇の前に立ち、教会の多様性における一致を象徴するような式となりました。

教会は聖霊によって導かれているのですが、如何せん、聖霊の働きは目に見えるものでもなく感じられるものでもありません。人間は疑い深いものですから、心の底からどっしりと構えて聖霊の導きを信用しきれないのではないでしょうか。信用しきれない分、目に見えるもの、書かれたもの、誰かの考え、誰かの言い分、誰かが創ったものと、安心できるところへと身を置いてしまいがちです。しかし、今日の福音にある力強い主の約束をもう一度心に刻み、教会を導いてくださる聖霊の力に信頼したいと思います。また日々の生活にも、日々の活動にも、聖霊の導きを素直に願いましょう。Img_0104

昨日も書きましたが、月曜日には福岡のカテドラルで亡くなられた松永司教様の葬儀が行われますので、参加して参ります。また明日、月曜の午後から水曜の昼にかけて、新潟教区で働く司祭の大会が行われます。教区司祭と修道会の司祭があつまり、教区の宣教の方針と手法について二日間話し合う集まりです。今回は鳥海山に近い秋田県内で行われることになっています。司祭のためにお祈り下さい。私も福岡の葬儀が終わったあと新潟へ戻り、一日遅れで参加いたします。

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2006年6月 2日 (金)

松永司教様が亡くなられました

Matsunaga_1 福岡教区長のヨセフ松永久次郎司教様が、今朝早く、亡くなられました。76歳でした。この数年、体調が思わしくなかったのですが、直接には脳出血のためだと言うことです。すでに定年の75歳になられた昨年、教皇庁には辞表を提出されていたのですが、通例通り、後任が決まるまでは職にとどまるようにとのことで、後任の司教が決まるのを心待ちにされておられました。また今年が司祭叙階の金祝にあたり、この6月4日には福岡のカテドラルでお祝いのミサも予定されていたそうです。

通夜は6月4日19時から、葬儀は6月5日11時から、カテドラルの大名町教会で執り行われます。私も日曜日の夜の飛行機で福岡へ飛び、葬儀には参列させていただく予定にしております。どうぞ、松永司教様の永遠の安息のために、お祈り下さい。

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一粒会会員のために

「一粒会(いちりゅうかい)」という組織は、全国的に教区に設けられている司祭の召命のために祈る組織ですが、教区の規模によってその組織形態には違いが見られます。実際の活動団体として機能している大きな教区もあるのですが、新潟教区では、すでにお知らせしたように、この4月から規則を見直し、「会」とは言いながら組織体を設けず、召命のために祈りまた献金を捧げる運動として位置づけたところです。すでに多くの方々から継続して献金を頂いています。感謝いたします。毎月一回の献金を送って下さる方もおられます。頂いた献金は、東京大神学院の運営費負担や、神学生がいれば(今は新潟は一人もいません)その養成費に充てられます。同時に召命を育成するために教区内の活動にも、少ないですが補助をいたします。すでに長岡地区の活動に補助をさせていただきました。

会員のためには、私が月に一回ミサを捧げることになっております。6月のミサは昨日、6月1日に捧げさせていただきました。一粒会については各小教区に案内のパンフレットが配布されていおりますので、ご覧下さい。そしてどうぞ召命のために祈り、またすばらし青年がいれば司祭職への道を励ましてあげて下さい。もちろん、最終的には聖霊の働きでありすべては神の御手の中にあることなのですが。

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