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2006年7月31日 (月)

梅雨が明けたようです

Img_0201 この数日の間に新潟でも梅雨が明けたようです。今日は暑い一日でした。写真は、遠来のお客様を案内して数日前に訪れた、新潟県で一番の景勝地といわれる、出雲崎です。良寛さんの生まれ故郷であります。

明日から8月です。教区の様々な小教区や地区でも、夏の行事が行われる季節となりました。妙高教会は、今年はたくさんのそういった行事の場所となりそうです。新潟地区の小学生や中学生(中学生は今回はこれを教区の中学生錬成会とすることになったようです)も、あしたから妙高へ出かけるそうです。土崎教会の若者が中心になって企画したSADEも、妙高で8日から10日まで開催されるそうです。どんどん、いろいろな人がそれぞれの企画を率先して実行していってくださることによって、教区全体が活気づいてくるのではないかと思います。良いアイディアがあれば、是非、主任司祭とご相談下さい。大きな木を生み出す種かもしれません。

どうぞこの夏の間、怪我や病気をなさらないように、また行事の際には事故に気をつけてお元気で夏の暑さを乗り切られますように。

私は8月1日から3日まで、長野県で、名古屋教区の幼稚園連盟の研修会に講師として参加しております。その後、名古屋によってから、来週日曜日の平和祈願ミサには間に合うように新潟へ戻って参ります。

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2006年7月30日 (日)

カ障連全国大会にて

Kashoren06 日本カトリック障害者連絡協議会の全国大会が、昨日と今日、東京カテドラルを会場に開催されました。第9回目を迎える全国大会は三年ごとに開催されていますが、今回はテーマを「人権と信仰」として、神が人間をその似姿として創造されたことにもとづく一人ひとりの人権を見つめ直し、神の望みに基づいた人権を物差しとして、毎日の生活を見直すことを目的としているとのことです。昨日(29日)は、午後1時からの総会に引き続いて基調講演がありましたが、その講師はなんと私でした。障害を持っている方々、付き添いの方々、ボランティアの方々、総勢300人を超える聴衆を前に、カリタスでの体験をもとにして、人間の尊厳についてお話をさせていただきました。もっとも1時間という与えられた時間内に収まりきれないたくさんのことをお話ししようと無理をしてしまったため、端折ったお話になり申し訳ありませんでした。もう少し話題を減らしておくべきでした。手話通訳と要約筆記の方には、早口で申し訳ありませんでした。実はあれでもいつもよりゆっくり話したつもりでした。

こういった集まりに参加していつも感じるのは、障害を持っているという人たちの溢れんばかりのパワーです。もちろんそこに至るまではそれぞれの方の葛藤と戦いの歴史があったのだと思います。その歴史があるからこそ、溢れんばかりのパワーが存在するのだと思います。日本における障害者の方々を取り巻く環境は、この春から障害者自立支援法という「すばらしい」名称の法律が施行されたことにより、大きく変わろうとしています。これまで措置であった福祉は、施設やサービスとの契約方式に変わりました。紙に書かれた制度的には納得できるものだけれど、現実には課題があまりにも多いという声を、障害者の方や関係者から多く聞きます。行政の支援がないよりはあった方がまだましだからという消極的理由から、賛成した障害者の方も多くいたとも聞きました。障害者団体の中でも賛否両論があるとの話も耳にします。私自身が理事として関わっている名古屋の知的障害者通所更正施設を見ていても分かりますが、障害への支援を老人介護と同列に扱うことには多少無理があると感じています。老人介護の場合は、子供や孫など、本人よりも若年層が介護者となることが多くあるのでしょうが、障害者介護は、多くの場合、両親がその任に当たる場合が多く、そうなると、両親が先になくなった場合に残された障害者がどうなっていくのかという現実的な課題もあります。この問題は、いわゆる健常者にとっては切実な課題ではないがために見過ごされがちですが、もう少し世論の注視を受けても良い問題であると思います。これについては様々な場で議論が進んでいますし、私自身ももう少し勉強しなければならないと感じていることです。

なお3年後のカ障連の全国大会は、なんと新潟教区で開催されることになりました。実は3年後、すなわち2009年には日本カトリックボランティア連絡協議会の全国大会も新潟で開催されるとのことです。今回の東京大会に出かけていって感じましたが、特にカ障連の全国大会開催には地元のボランティアの存在が欠かせません。2009年には新潟でも、多くのボランティアが必要になると思います。いまから、みなさん、よろしくお願いします。

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2006年7月28日 (金)

聖地に平和を

聖地周辺の戦闘状態は発生からすでに2週間を経て、混迷の度合いを深めています。これまでも繰り返されてきたことですが、客観的に比較すればイスラエルの、度を超えたとも言える激しい攻撃が継続しており、合衆国はいつものように国連の交渉の場で、イスラエルを擁護する立場をとっています。安全保障理事会という場が、外交交渉と妥協の劇場であって、現実に直面している人たちにとって、あまり意味のある解決策を提供できないことは、私たちも先の北朝鮮ミサイル問題の時に再び知らしめられました。そこにおける交渉から分かるのは、どの国が何を考えているかだけなのかもしれません。過去にもルワンダ虐殺が起きていた1994年4月から5月にかけて、その地では毎日のように多くの人が殺されていたのに、何一つ具体的な対応を決めることも出来ずに、言葉遣いの問題で延々と駆け引きを続けていたことがありました。国連安保理は、紛争の発生を未然に防いだり、紛争終結後の後始末をしたりする事にはたけていますが、発生してしまった紛争を止める能力がある組織ではありません。多くの紛争には、当事者以外の周辺国の思惑が絡んでいて、多くの場合その周辺国には常任理事国の名前が見え隠れすることがしばしばあるからです。そうであるにもかかわらず、現時点では一番フェアに国際紛争について話し合うことが出来る場は国連安保理しか存在しないのですから、その議論を見守るしか術がありません。常々言うように、悪意のある存在が引き起こしている犯罪ではなく、歴史的経緯から発生してきた紛争においては、それぞれの当事者にはそれぞれの自己正当化の理由があり、どちらかを簡単に「悪党」と断罪することは適当ではありません。だからといって起きている出来事はそのままでよいといえるわけもありません。国際カリタスは声明を発表し(中央協のHP参照)国連安保理にも働きかけていますが、安保理の理事国である日本政府に対しても同じ働きかけをしています。カリタスジャパンでもこの国際カリタスのメッセージを、外務省に伝えましたが、今のところ、今回の問題で日本政府が安保理で積極的に動くことはなさそうです。

昨年まで国際カリタスの総裁は、レバノンはトリポリのマロン典礼大司教のエルハージ大司教でした。同大司教は昨年病気のため亡くなりましたが、彼が総裁を務めていた間、国際カリタスはレバノンをはじめ聖地や中東の和平構築のために様々なプログラム支援を行ってきました。レバノンにおける移民センター活動もその一つで、今回の紛争でも、カリタスレバノンの緊急支援と共に、この移民センターによる外国人やイラク難民の支援には際だったものがあると報告されています。数日前のカリタスレバノンからの報告ではレバノン国内のインフラはすでに4分の3が破壊され、80万人のレバノン人が避難生活を強いられていると言います。さらにインド人4人、スリランカ人2人を含む401人の市民が犠牲になり、負傷者は1600人を数えると言います。カリタスレバノンの報告では、そう言った激しい攻撃にもかかわらず、ヒズボラが壊滅的な打撃を被ったというニュースは聞いていないのだとも言います。カリタスレバノンの報告は、「この戦闘の中で我々は、平和か死を(peace or decease)待つしかない・・・このままこの地域を巻き込んだ戦争になる前に、政治的軍事的な決着が図られないのであれば、我々は平和よりも死の運命により近いと言える」とまで記されていました。

聖地で現在起こっている出来事には様々なレベルの問題が絡んでいるのですが、世界史的背景や現在の国際情勢、国際世論の注視から逃れたいイランの思惑、テロとの戦いを標榜する合衆国の思惑、イスラエルを創り出した責任者とも言うべきイギリスの思惑、自国兵が犠牲になったこともありこの機に国際世論を味方につけたい中国、そしてもちろんこれまでのイスラエルと合衆国の繋がり、それに対抗するシリア。こういった複雑に絡んだ糸を解きほぐすことは、人の業ではないのかもしれません。まもなく平和旬間が始まります。日本における平和を考え祈願すると共に、聖地の平和をも祈りたいと思います。 

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2006年7月22日 (土)

パウロ六世「福音宣教」

教皇パウロ六世が1975年に出された使徒的勧告「福音宣教」が、この度ペトロ文庫として中央協議会から発行されました。文庫本サイズで700円です。今の時代を生きるキリスト者にとって、現実の中でいかに福音の理想を生きるのかを考えるとき、一つの重要な手がかりを与えてくれる文書であると思います。是非、一度手に取り、一人で、またグループで読み進めることによって、福音宣教についての理解を新たにしていただければと思います。

理想と現実には、乗り越えることの出来ない隔たりが常に存在します。殊に、その理想の実現に関わる現実の範囲が広ければ広いほど、理想を現実とする作業には困難が伴います。理想と現実の格差が大きいほど、その理想を実現することよりも、いかに現実を肯定して妥協を図るかに関心は向いてしまいます。そのときに、肯定した現実にのみ自分の存在の場を求め、理想を特別な場に隔離して背後に置き去りにするのか、肯定した現実に自分の存在を置きながらも、常に目前には達成できなかった理想を掲げ、自らの足りなさを知ろうとするのか。理想を常に掲げ、それを達成できない自分の力のなさを悟るとき、はじめて謙虚に自分よりはるかに力のある神に助力を求めることが出来るのだろうと思います。「私は弱いときにこそ強い(2コリント12:10)」と言われる所以です。

イエス・キリストに従って生きることを決意したキリスト者にとって、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい(マルコ16章15節)」というイエスの言葉は、絶対的な宣教命令であるにもかかわらず、現実の生活の中でそれを実践するには様々な困難が存在します。福音に絶対的に従って生きることに始まって、自分の全生涯を通じて福音を告げ知らせることは、私たちにとっての理想的な生き方といえるのかもしれません。そしてその理想を実現させようとする私たちの前には、現実という巨大な壁が立ちはだかっているのです。1コリント3:6-7に、「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」とあります。つまり究極的には、福音宣教は神の業ですから、私たちは素直に自分の非力さを認めて、謙虚に神の助力を求める必要があります。しかしながら同時に、「成長させてくださる神」と共に働く「植える者」と「水を注ぐ者」の存在も欠かせません。それが私たちです。「成長させる」という神の業を実現するためには、その前提条件を整えなくてはなりません。それが私たちにとってなすべき業であろうと思うのです。そうなると、その「成長させてくださる神」と共に働く「植える者」と「水を注ぐ者」として、現実の中でいかにその業を果たしていったらよいのか。それを考えるときに、力強い導き手となるのが、このパウロ六世の「福音宣教」です。

「福音宣教」から一節を引用します。「教会にとって福音をのべつたえるとは、・・・人類を内部から変化させ、新しくするという意味を持っています。・・・教会にとって、ただ単に福音化の地理的領域をたえず拡大して、より多くの人々に福音をのべることだけではなく、神のみことばと救いの計画に背く人間の判断基準、価値観、思想傾向、インスピレーションの源、生活様式などに福音の力によって影響を及ぼし、それらをいわば転倒させることでもあります(18・19)」。

明日、年間第16主日の福音は、宣教から戻った弟子達をディブリーフィングするイエスの姿でもあります。報告した後に、「静かなところへ行って休むように」と主は言われます。静かに自分をふり返る祈りの時を持つようにとの呼びかけなのかもしれません。主日にミサに与りに来る私たちにも、同じ呼びかけがなされているのだと思います。この主の言葉を耳にしながら、毎日の自分をふり返ってみたいと思います。福音の理想に生きることの出来ない自分の弱さ、そもそも掲げるべき理想を自分は分かっているのかどうか、理想を実現できないときに、それを背後にしまい込んでしまっていないか、ふり返る時を持ちたいと思います。そしてよりふさわしい福音の理解で、福音化の業に励みたいと思います。

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2006年7月16日 (日)

長岡・福住教会訪問

長岡には鉄道を挟んで二つの教会がありますが、本日はそのうちのひとつ、福住教会を訪問しました。主任司祭はもう一つの長岡の教会である表町教会と同じフランシスコ会のブルーノ神父様です。最もブルーノ神父様は現在休暇中で不在。そのため主任司祭抜きでの訪問となりました。ちょっと微妙な感じでした。ミサには表町の信徒の方々も参加してくださり、純日本風の聖堂は一杯になりました。また今日は侍者が5人もついて、豪勢なミサでした。なかでもまだ初聖体を受けたばかりの小さなお嬢さんが二人、とてもかわいく侍者をしてくれました。自分では写真を撮影できなかったので、ミサ中に撮影していた方、数枚データで下されば、ここにアップしますけど。ミサの後には一時間くらいお話の時間を設けましたが、もう少し話を短くして質問の時間を十分にとれば良かったと反省しております。

ここ数日、新潟県各地は大雨に見舞われておりますし、今週も雨が続きそうです。どうか土砂崩れなどにご注意下さい。昨日は教区の信徒使徒職協議会の役員会が新潟で行われましたが、この大雨と土砂崩れの影響で、またまた羽越線の特急「いなほ」は運休となり、秋田の代表の方は来ることが出来なかったと言うことです。早く梅雨が明けることを願うばかりです。

報道されているとおり聖地の状況は混迷の度を深めております。教皇様は本日のお昼の「お告げの祈り」の後で、この問題に触れられ、世界中の教会で聖地の平和のために祈りを捧げるように求められました。根深い問題であり、いくつもの当事者グループのそれぞれの「正義」があり、それぞれに正統な「大義名分」があり、一概に勧善懲悪的に捉えることは出来ない問題です。もしかしたら、どこかで誰かが妥協する以外に道は残されていないのかもしれません。しかし、それであったとしても、人の命が、まったく虫けらのいのちのように奪われていく現実だけは、認めるわけにはいきません。聖地に平和があるように、祈りを捧げたいと思います。

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2006年7月15日 (土)

聖地の惨状

それにしても日本政府もなめられたものです。小泉首相がイスラエルのオルメルト首相と会談し、中東の和平を呼びかけ、イスラエルとパレスチナの共存共栄を願っていると強調したのが7月12日。その翌日、いまだ小泉首相がエルサレム観光をしてパレスチナ暫定政府と会談したその日に、イスラエル軍はレバノンへの空爆をはじめたのです。もちろんガザへの攻撃はその前から激しさを増していました。国際カリタスを通じたカリタスエルサレムからの情報では、すでに6月28日のイスラエル空軍による空爆で発電所が壊滅的ダメージを受けたガザでは、電気と水の供給が最低限に制限され、食糧も少なくなり、戦闘による被害者の手当もままならない状況が続いているとのことです。イスラエルとパレスチナとの対立や、イスラエルによるレバノンへの攻撃は、もちろん今に始まったことではなく、特に第二次世界大戦後の1948年以降、しばしば繰り返されてきたことです。戦闘を行う当事者には、それぞれの言い分があるのも当然です。安保理の場でのイスラエル非難に躊躇する合衆国には、これまでの歴史的経緯や、広い意味でのテロリストへの警戒と、レバノンについてはイランの影を見ているであろう事は容易に想像できます。そうであるとしても、今回、お隣の国からミサイルが飛んでくるやもしれないという、ある意味現実的な恐怖を味わった日本人としては、現実に毎日のように、隣から雨あられと攻撃的な飛翔体が飛んでくるイスラエルやパレスチナやレバノンの一般市民の恐怖を、想像しないわけにはいきません。しかもその地は、私たちにとっても、信仰の発祥の地、御言葉が実際に語られた地、主がその復活を示された地、聖地であります。すでに7月2日のお告げの祈りの際に、教皇様はイラクと聖地の混乱を憂慮され、次のように呼びかけておられます。

「わたしはイラクと聖地における出来事にますます強い関心をもち続けています。人びとの痛ましい死をもたらした無差別の暴力と、この数日間悲惨の度合いを増している事態の悪化への恐れを前にして、正義と、真剣で信頼に足る平和に対する取り組みが求められています。しかし、残念ながら、こうした努力の存在を感じることができません。
 それゆえわたしは、すべての人が、信頼をもって、粘り強く祈りをささげてくださるようにお願いします。どうか主が人びとの心を照らしてくださいますように。そして、平和的な共存を築く務めを、誰も放棄することがありませんように。どのような民族に属していても、すべての人が兄弟であることを認めることができますように」(全文は中央協HPで)

2000年7月末に、カリタスの所用でイスラエルに出かけたことがあります。もちろんイスラエル自体はユダヤ教国家ですから、カトリック教会はパレスチナ側の存在となります。クリントン大統領が沖縄サミット欠席も視野に入れて決意を持って望んでいたキャンプデービッドでの和平交渉が決裂した日、ちょうどベトレヘムのあたりにおりました。私もガーナをはじめザイールなどで、しばしば武力衝突の現場にいたり、飛び交う銃弾の中に身を伏せたり、しっかりと酔っぱらった兵隊に銃を突きつけられたりと、比較的軽度とはいえそれなりの修羅場をいくつも体験してきた身です。武力衝突に至る雰囲気を、多少は事前に感じることが出来ると思います。そしてその日のパレスチナ側の雰囲気は、いわゆる「一触即発」でした。西エルサレム側へ戻ると、パレスチナ人の友人が、街中の一軒家に連れて行ってくれました。彼の家ではありません。誰かが住んでいる。ところが中にすむ住人を気にかける様子もなく、庭まで入り込み、その庭の一本の木を指さして教えてくれました。「この木は、自分の父親が生まれた記念に、祖父母が植えた木だ」。イスラエルが出来る前は、そこが彼らの家だったというのです。そして、「1947年以前に戻らない限り、何も解決しない」と。カーテンの陰から、現在の住人がじっと見つめていました。単純に理解できる問題ではなく、すでに互いの憎悪は簡単にぬぐい去れないところまで深まり、さらに様々な国の思惑も絡まり、中東和平は魔法のように手にすることが出来るものではない。その根深さを感じた一言でした。

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2006年7月14日 (金)

札幌といえば・・・

東京教会管区の会議のために、12/13日と、札幌へ出かけて参りました。東京教会管区とは東京大司教区を中心にして、札幌、仙台、新潟、さいたま、横浜の各教区からなる集まりで、こういった管区の中心の大司教(この場合は東京大司教)をメトロポリタン大司教(首座大司教などと訳されています)と呼び習わしています。メトロポリタン大司教には教皇様からそのしるしとしてパリウムなる首かけが与えられています。

毎年一回、管区内の教区持ち回りで開催されるこの会議には、各教区の司教と事務局長等が参加して、情報交換をしたり様々な共通の問題について意見を交換したりします。新潟教区から今年の会議には、私と、川崎司教総代理、大瀧事務局長の三名が参加しました。他の教区におけるいろいろと新しい取り組みなどをうかがい、非常に勉強になりました。新潟教区でも、確かに地理的な問題があり全体としての集まりが非常に難しいことや、そもそも信徒も司祭も修道者も、全体の数が少ないために、どうしても同じ人に役割が集中しがちである点など、課題はありますが、少しずつ解決して道をつけていきたいことがたくさんあります。

Img_0177 札幌といえば、ラーメン横町。散歩がてら足を運びましたが、何せ夕食後の散歩で、残念ながらラーメンを修めるスペースが腹にはありませんでした。札幌といえば、ジンギスカン。有名所のそばを通りましたが、何せ私は数年前のモンゴル視察旅行以来、羊は出来れば避けたいので、これまた腹には収めませんでした。あのとき10日間近く、朝から晩まで食べ続けた羊のことは、忘れられません。会議終了後の帰途に、札幌教区の上杉神父様の案内で、千歳に近い美しい丘の上にある、とても素敵な喫茶店で、おいしいコーヒーを頂きました。写真はその素敵な喫茶店であります。牧草地やジャガイモ畑が広がり、もう少し平らだったら、合衆国のアイオワ州あたりを彷彿とさせる風景と「香り」でありました。そう言えば、パリウムは子羊の毛で出来てるんだっけ・・・。

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2006年7月10日 (月)

寺尾教会訪問など

Img_0168_2 昨日は新潟市内の寺尾教会を訪問しました。主任司祭は今年の春から町田神父様です。町田神父様はこれまですぐ隣の青山教会におられたので、ついつい「寺尾」のことを「青山」と間違えてしまって、失礼しました。新潟大学がすぐ近く、また新潟地震後に発展した新しい住宅地域ですから、信者さんのの年齢層も幅広く、少人数ながら力にみなぎる良い共同体だと感じました。ミサに参加されるのは70名ほどでしょうか。昨日はミサ後に信徒の方々との対話集会と、役員の方々との話し合いを行いました。

この日記はNiftyのココログを利用していますが、メンテナンスのため明日11日の昼から13日の昼まで休止となります。今現在も非常にレスポンスが悪くなっています。またこれまでの例から、13日の昼にはメンテナンスは終わらないことでしょう。いずれにしろ終わるまで更新はありません。寺尾の写真もその後にあげておきます。本日、月曜日は教区の顧問会が司教館で行われます。また東京教会管区の会議のため12日と13日は札幌に出かけています。

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2006年7月 7日 (金)

「初金」です

本日は7月の第一金曜日、つまり「初金(はつきん)」です。新潟教会も「初金」には毎日の朝6時半のミサに加えて、午前10時と午後6時にミサが行われます。初金のミサは伝統的に「イエスのみこころ」の信心であるといわれています。17世紀後半の聖女マルガリータ・マリア・アラコクの出来事にもとづく伝統であります。聖体の前で祈る聖女に対して主イエスが出現され、自らの心臓を指し示して人々への回心を呼びかけた出来事があり、それに基づいて、9ヶ月の間、初金に聖体拝領を受ける人には特別なめぐみがあるといわれる伝統的信心です。イエス様がこちらをじっと見つめながら、手には燃えるような自分の心臓を持っている絵を目にしたことがありませんか。十字架上で刺し貫かれたイエスのみこころは、全人類に対する神の愛の象徴として、神の心そのものとして称えられるのです。

教皇ベネディクト十六世は、教皇ピオ十二世回勅『ハウリエティス・アクアス』発布50周年に際して、2006年5月15日付でイエズス会の総長に宛てて送った書簡のなかで、イエスのみこころへの信心は決して過去のものではなく現代的な意味があると述べながら、次のように記します。

「内面的に神を受け入れた人は皆、神によって形づくられます。神の愛を経験した人は、その愛を「召命」として生きなければなりません。人はこの「召命」にこたえなければなりません。主は「わたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」(マタイ8・17)かたです。この主に目を注ぐことによって、わたしたちは人の苦しみと必要にもっと気づくことができるようになります。
 槍で刺し貫かれたイエスの脇腹を礼拝しながら観想することにより、わたしたちは、人びとを救おうとする神のみ旨を感じることができるようになります。この観想によって、わたしたちは、救いをもたらす神の憐れみに自分をゆだねることができるようになります。それと同時に、この観想は、神の救いのわざにあずかり、神の道具となりたいというわたしたちの望みを強めます。」(全文は中央協議会のHPで)

初金にあたり、イエスのみこころに満ちあふれた神の愛を想い、その愛に与りながら、自らも神の意志を実現する道具として生きる決意を新たにすると共に、神が作られた命を育むすべての兄弟姉妹に、思いを馳せて生きたいと思います。

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2006年7月 6日 (木)

一粒会ミサのことなど

新潟教区の一粒会の会員の皆様のために、毎月一回、司教がミサを捧げることになっております。今月のミサは7月3日(月)に捧げさせていただきました。召命のためにお祈り下さり、また御献金下さる皆様に感謝もうあげると共に、皆様の上に主の豊かな祝福があることを祈ります。

今週の月曜と火曜は教区司祭の定例の集まり、「静修」でした。今月は全員での祈りと話し合いの時間といたしました。また昨日は夕方にHIV/AIDSデスク会議があったため、午後だけ東京の潮見に出かけておりました。

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分別を失ったものが・・・

Aoki9802_1 1998年8月11日に、私はナイロビにある在ケニア日本大使館に、当時駐在しておられた青木盛久大使を訪ねました。ペルーでの事件の後、ケニア大使に転出された青木大使が着任して一ヶ月ほどの時だったと思います。ナイロビ中心街の巨大なビルの一角に入居している日本大使館内は、多少ピリピリしていたものの、拍子抜けするほどセキュリティーが普通であったことだけを良く憶えています。その翌日、12日に、ルワンダの首都キガリへ出かけるために早朝のナイロビ空港(ジョモ・ケニヤッタ空港)へ出かけたときも、稼働していない金属探知機に唖然としたものです。というのも、その数日前、8月7日に、ナイロビの中心街にあるアメリカ大使館が爆破され、300人に近い人が命を落とした大事件が発生していたのです。この時はダルエスサラームの合衆国大使館も爆破され、例のオサマさんが犯人だと名指しされた時です。そんな大事件が発生していたのに、ナイロビの街も普段と変わらず生活が営まれていました。もちろんそれには理由があります。起こった事件は大規模であり、確かに多数の犠牲者が出てしまったものの、その目的や対象が明白であり、それ以上のことはおこらないだろう事が容易に想像できたからなのでしょう。攻撃を仕掛けた相手が、何を狙っているかがはっきりしているときには、むやみに恐怖をあおって狼狽えることはないということだと思います。

それにしても昨日早朝のミサイル(飛翔体という言葉があることを学びました)には驚きました。失敗だったのか、その程度の技術だったのか、自ら抑制した単なる脅しなのか、専門的なことは専門家が今まさに検証と議論を重ねていることでしょうから、そのうちに明らかになることでしょう。もしかしたら、もう少し飛ばなければ米軍などのデータの収集に益しなかったかもしれません。発射の決断自体にも驚きましたが、そんなにたくさん持っているはずもないのに、そして一本だけでもかなりお金がかかるはずなのに、あれだけポンポンと打ち出すのにも驚きました。一般の私たちには背景の情報が限定されていますから、詳しいことも分からず、なにやら恐怖心があおられてしまいます。もっとも日本政府の対応自体は、そう言った闇雲な恐怖を煽らずに、かえってそれを鎮めるるかのように、落ち着いたものであったと思います。合衆国にしてもそうです。政府にしても合衆国にしても、ある程度、今回のミサイルの持つ意味合いを見限っているからこそ、必要以上のアジテーションもすることなく、落ち着いて対応できているのでしょう。昨日は朝からCNNを見ていましたが、なにやら「待ってました」とばかりの、変な言い方ですが、胸が躍っているようなコメントが多いのが、妙に気になりました。日米の思惑が国際社会にどのように受け取られていくのか、今後の安保理の討議の行方が、それを教えてくれるような気がします。

聖書にこうありました。「分別を失ったものが、火矢を、死の矢を射る(箴言26章18節)」

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2006年7月 3日 (月)

直江津教会へ

Img_0167 昨日、日曜日は直江津教会を訪問しました。直江津といえば港町ですから、主任司祭のフーベルト神父様は教区の船員司牧担当者でもあります。ちなみに次週、7月9日の日曜日は「船員の日」となっております。直江津教会は同じ上越市内にある高田教会と較べると比較的小さな共同体です。左の写真は昨日のミサに参加した方々との記念写真ですから、家庭的な共同体であることがよく分かります。フィリピン出身の方やペルー出身の方もおられ、ミサ後には集会室でお茶を飲みながら話し合いが続いていました。教会には保育園が併設されてあり、ここでは行政との連携のもと、子育て支援事業も行っています。

Img_0164 聖堂は建物の二階にあるため、階段の上り下りに困難を感じる世代が増加したこともあり、この度エレベーターを設置することになりました。信徒の方々の献金や積み立てそして寄付を元手に、8月には工事が始まる予定と言うことです。教区内には同じような悩み(聖堂が2階)を抱えている教会もいくつかあり、エレベーター設置は避けて通れないのかもしれません。

直江津教会ではいろいろな活動が行われていますが、霊的成長のための活動として、8月6日には高田にある聖クララ会修道院まで巡礼が企画されています。これはクララ会で朝9時半から捧げられるミサに向けて、歩くことが可能な人は直江津教会を朝7時頃に出発して、ロザリオを唱えながら2時間ほど徒歩での巡礼をめざすのだと言うことです。また同日(8月6日)午後6時からは、上越市内キリスト教各派が直江津平和祈念公園に集まり、平和を求める祈りの集いが行われると言うことです。

昨日は帰り道に道を間違えて、北陸自動車道に入ることが出来ず、結果として、ちょうど天気が回復した美しい海岸線を、2時間ばかりドライブしながら新潟へ帰ってくることが出来ました。特に柏崎から国道を離れ、寺泊へと抜ける海岸線の道は、とても爽快な道程でした。

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2006年7月 1日 (土)

明日は直江津教会へ

明日の日曜日は、直江津教会の公式訪問です。直江津教会は今回が二回目の訪問ですが、前回は保育園のお祝いの席であったため、教会共同体の方々とゆっくりお会いする機会がありませんでした。直江津教会の主任司祭はフランシスコ会のフーベルト・ネルスカンプ神父様で、長岡地区長を務められています。長岡地区のフランシスコ会員はイタリア人がほとんどですが、フーベルト神父様はドイツ出身です。そう言えばワールドカップではイタリアとドイツが対戦するのでした。

ワールドカップといえば、ガーナがよく頑張って、ガーナ本国での興奮ぶりが想像できます。確かにサッカーはボールひとつと広い場所があれば出来るお手軽なスポーツですし、私がガーナにいたときも、ひまさえあれば子供達はサッカーに興じていました。子供達はサッカーボールを持っていないので、ぼろを丸くしてボール代わりにしたり、絶対まずくて食えないと主張するグレープフルーツをボール代わりにして遊んでいました。地域のリーグに始まって全国リーグもありますから、日曜の午後ともなれば、ラジオの中継に集まって耳を傾け、ひいきのチームが得点すれば、山間のそこここから、「ウォー」と叫び声が聞こえたものでした。確かにサッカーはそう言う意味でお手軽なスポーツですし。貧しい国の方が小さい頃から徹底的にボールけりに関わることもあるでしょうから、ガーナの各地にも上手な選手がたくさんいるのは事実です。しかしそれをナショナルチームとして組織したり、海外に遠征に出したり、合宿をしたり、ましてや国際大会に出場となればスタッフの費用から何から、お金がかかります。日本でも仮に競技が一般に知られていないマイナーなものであったりすると、スポンサーが付かずに資金繰りで苦労するのImg_1699 と似たような構図が、国家レベルであるのだと思います。それでも近頃は、ガーナあたりからも欧米のプロチームに所属する選手が出てきたり、多少は状況が好転しているのかもしれません。フィジカルやテクニカルに強いだけでは、ワールドカップのファイナルには到達できないのかもしれません。それを支える組織と資金力も欠かせないのでしょう。それにしても、ガーナはよく頑張りました。

上の写真はガーナではありません。ケニヤの首都ナイロビにあるキベラという巨大スラムの学校で、子供達がサッカーボール代わりに使っていたぼろ布の球を見せてもらっているところです。

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