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2006年7月15日 (土)

聖地の惨状

それにしても日本政府もなめられたものです。小泉首相がイスラエルのオルメルト首相と会談し、中東の和平を呼びかけ、イスラエルとパレスチナの共存共栄を願っていると強調したのが7月12日。その翌日、いまだ小泉首相がエルサレム観光をしてパレスチナ暫定政府と会談したその日に、イスラエル軍はレバノンへの空爆をはじめたのです。もちろんガザへの攻撃はその前から激しさを増していました。国際カリタスを通じたカリタスエルサレムからの情報では、すでに6月28日のイスラエル空軍による空爆で発電所が壊滅的ダメージを受けたガザでは、電気と水の供給が最低限に制限され、食糧も少なくなり、戦闘による被害者の手当もままならない状況が続いているとのことです。イスラエルとパレスチナとの対立や、イスラエルによるレバノンへの攻撃は、もちろん今に始まったことではなく、特に第二次世界大戦後の1948年以降、しばしば繰り返されてきたことです。戦闘を行う当事者には、それぞれの言い分があるのも当然です。安保理の場でのイスラエル非難に躊躇する合衆国には、これまでの歴史的経緯や、広い意味でのテロリストへの警戒と、レバノンについてはイランの影を見ているであろう事は容易に想像できます。そうであるとしても、今回、お隣の国からミサイルが飛んでくるやもしれないという、ある意味現実的な恐怖を味わった日本人としては、現実に毎日のように、隣から雨あられと攻撃的な飛翔体が飛んでくるイスラエルやパレスチナやレバノンの一般市民の恐怖を、想像しないわけにはいきません。しかもその地は、私たちにとっても、信仰の発祥の地、御言葉が実際に語られた地、主がその復活を示された地、聖地であります。すでに7月2日のお告げの祈りの際に、教皇様はイラクと聖地の混乱を憂慮され、次のように呼びかけておられます。

「わたしはイラクと聖地における出来事にますます強い関心をもち続けています。人びとの痛ましい死をもたらした無差別の暴力と、この数日間悲惨の度合いを増している事態の悪化への恐れを前にして、正義と、真剣で信頼に足る平和に対する取り組みが求められています。しかし、残念ながら、こうした努力の存在を感じることができません。
 それゆえわたしは、すべての人が、信頼をもって、粘り強く祈りをささげてくださるようにお願いします。どうか主が人びとの心を照らしてくださいますように。そして、平和的な共存を築く務めを、誰も放棄することがありませんように。どのような民族に属していても、すべての人が兄弟であることを認めることができますように」(全文は中央協HPで)

2000年7月末に、カリタスの所用でイスラエルに出かけたことがあります。もちろんイスラエル自体はユダヤ教国家ですから、カトリック教会はパレスチナ側の存在となります。クリントン大統領が沖縄サミット欠席も視野に入れて決意を持って望んでいたキャンプデービッドでの和平交渉が決裂した日、ちょうどベトレヘムのあたりにおりました。私もガーナをはじめザイールなどで、しばしば武力衝突の現場にいたり、飛び交う銃弾の中に身を伏せたり、しっかりと酔っぱらった兵隊に銃を突きつけられたりと、比較的軽度とはいえそれなりの修羅場をいくつも体験してきた身です。武力衝突に至る雰囲気を、多少は事前に感じることが出来ると思います。そしてその日のパレスチナ側の雰囲気は、いわゆる「一触即発」でした。西エルサレム側へ戻ると、パレスチナ人の友人が、街中の一軒家に連れて行ってくれました。彼の家ではありません。誰かが住んでいる。ところが中にすむ住人を気にかける様子もなく、庭まで入り込み、その庭の一本の木を指さして教えてくれました。「この木は、自分の父親が生まれた記念に、祖父母が植えた木だ」。イスラエルが出来る前は、そこが彼らの家だったというのです。そして、「1947年以前に戻らない限り、何も解決しない」と。カーテンの陰から、現在の住人がじっと見つめていました。単純に理解できる問題ではなく、すでに互いの憎悪は簡単にぬぐい去れないところまで深まり、さらに様々な国の思惑も絡まり、中東和平は魔法のように手にすることが出来るものではない。その根深さを感じた一言でした。

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