ローマから・その7
今回の司教研修のハイライトは、なんと言ってもカステルガンドルフォに教皇様を訪ねることでした。23日(土)は朝6時45分にコレジオ・サンパオロを三台のバスで出発し、まず聖ペトロ大聖堂へ。生まれて初めて裏からはいって、日本の普通の小教区聖堂よりも大きいのではないかと思われる巨大な香部屋へ。99人の司教が一度に祭服に着替えるので、さすがにその巨大な香部屋でもスペースがないのか、着替えは聖ペトロ大聖堂の後ろの一角を仕切って用意されていました。そこで荘厳に着替えて、全員でミトラをかぶってこれ以上はないくらいに荘厳に大聖堂の一番後ろから主祭壇の横を通過してその後ろにある祭壇へ。ここで福音宣教省長官のディアス枢機卿司式でミサを捧げました。まあ司教様方の写真を撮ること、撮ること。私も負けずに撮ったのがこの一枚です。ちょうど訪れた観光客の人たちにとっては、ぞろぞろと司教が出てくるので、格好の写真ネタだったと思います。撮られまくりました。ミサ後は荘厳に行列を連ねて地下におり、聖ペトロの墓とヨハネパウロ二世の墓に詣でました。
その後、再びバスに分乗し、一路カステルガンドルフォへ。ここで予想だにしない事態に。白バイ(といってもここでは青バイ)が三台、このバスご一行を先導してくれるというではありませんか。まあ、普通に通行している車にはものすごく迷惑だったことでしょう。申し訳ない、と痛切に感じながらも、一番前のバスの一番前に座っていた私は、この2週間で一番興奮した体験をいたしました。たった3台の白バイで、3台のバスを、見事に一度も停止させることなく、ローマ郊外にあるカステルガンドルフォまで導く警官の技術。ありとあらゆる交差点で車を止め、バスの間に他の自動車が入ればさっと来て排除し、驚くべき早さで到着しました。何度となくこの道は車に乗せられて走ったことがありますが、通常の半分の時間で到着しました。ドライバーの皆様、本当に申し訳なかった。写真は先導役の警官と談笑するディアス枢機卿。
思いっきり早くついてしまったため、司教団はカステルガンドルフォの庭園を満喫するように指示されました。ぞろぞろと黒のスータンを来て赤い帽子をかぶった一団がバスから降りてくるので、ここでも観光客の格好の写真アイテムでした。まあ、この庭園のすばらしいこと。しかも、これ以上は司教でも立ち入り禁止。ここから先は教皇様しかだめだというエリアまであって、正直驚きました。セキュリティだけで一体何人が働いていることか。やにわに物陰から現れるのですから。この庭園で一時間ほどをつぶして、やっとカステルガンドルフォ内部へ。さらに、とても偉いらしい枢機卿が教皇様と会っているので待つようにと指示されて、中庭でさらに1時間。やっと廷内の謁見ホールに通されました。教皇様は、さすがにこの数日いろいろあったのが堪えているのか(と思われるくらい疲れ切っていました)、非常にお疲れの様子で、それでもスピーチをされ(イタリア語でしたから何もわかりませんでしたが、モガディシュで殺されたシスターのことに触れて、宣教の困難さを語ったのだけはわかりました)、その後に一人一人と握手をして言葉を交わされました。まあ、100人近くも司教がいるのですから、誰が誰やらおわかりにはならなかったでしょうけれど。その後おみやげにロザリオを頂戴して、再びバスへ。それから30分ほどバスで走って、昼食となりました。このとき午後2時。で、朝6時45分からこの2時に至るまで、我々の近くには手洗いというものが一つもなかったのでありまして、いや、大変でした。私より年配の司教様が多くいたわけですから、もっと大変だったと思います。どうでもいいことですが。
今回は、いろいろと福音宣教省には見せつけられたと言うことかもしれません。変な言い方ですが、バチカンの力を見せつけられたというか。教皇庁が我々宣教地の司教や、同時に司教省管轄の司教たちを招いてこういった研修をするようになったのも、今の教皇庁の深い悩みを感じさせます。本日久しぶりに出会ったチリのペレグリン司教によると、司教省管轄下の司教たちは160人以上で、ローマの郊外にあるあるとても伝統的な神学校に缶詰になって研修をしたとか。この神学校は400人近い神学生がおり、しっかりと黒のスータンと着て生活する伝統的な場所として有名なところです。我々はイタリア語でしたが、そちらの典礼はすべてラテン語だったそうで、こういうところに欧米の司教たちを缶詰にするということにも、教皇庁の深い悩みを感じることができます。火曜日の朝にはローマを出発して、日本に向かいます。写真は今回の研修に参加した三人の神言会司教。台湾の洪司教、インドのバルワ司教と一緒に。
| 固定リンク | 0