聖週間の典礼
明日は受難の主日(枝の主日)であります。新潟教会で、この聖週間の間、司教が司式するミサは以下の通りです。
4月1日 受難の主日 午前9時半のミサ、
4月4日 聖香油のミサ 午前10時
4月5日 聖木曜日 午後7時
4月7日 復活徹夜祭 午後7時
4月8日 復活の主日 午前9時半
なお、新潟教会の4月6日 聖金曜日の聖式は、主任司祭の大瀧神父様が司式されます。どうぞご参加下さい。
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明日は受難の主日(枝の主日)であります。新潟教会で、この聖週間の間、司教が司式するミサは以下の通りです。
4月1日 受難の主日 午前9時半のミサ、
4月4日 聖香油のミサ 午前10時
4月5日 聖木曜日 午後7時
4月7日 復活徹夜祭 午後7時
4月8日 復活の主日 午前9時半
なお、新潟教会の4月6日 聖金曜日の聖式は、主任司祭の大瀧神父様が司式されます。どうぞご参加下さい。
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東京へちょくちょく出かけなかればならないので、上越新幹線にはお世話になります。東海道には存在しないので最初の頃は不思議に見えた「MAXとき」の二階建て車輌も見慣れました。ただ未だに分からないのが、この二階建て車輌の6号車付近に存在する一階と二階の真ん中にあたるフロアの指定席のこと。つまり高さ的には、普通の高さのフロアなのですが、ここに12席ほどの椅子があるのですが、これはどうやって買うのでしょう。たまたまそこに指定されるのか、こっちが指定して買えちゃうのか。いつもは駅ネットのインターネット予約をして乗ることが多いのですが(特に東京からの帰りは携帯で予約できるので、会議の終わりにあわせて便利です)、いまだにこの秘密が分からない。二階建ては基本的に二階から売れていき、空いているのは一階と言うことが多いのですが、これは一階の席は高架橋の側壁に阻まれてまったく視界が効かないためでしょうが、この真ん中フロアはその意味でもちょうど良い。
それから昨晩帰りがけに、コーヒーを車内販売で買いました。そして先日の「のぞみ」の中でかったコーヒーのことを思い出して、一枚。上越新幹線の二階建てはゆらゆらと揺れますから、あの「のぞみ」のようなカップの蓋があればよいのに、などと思ったものでした。
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多くの地方で選挙の季節であります。新潟でも市会議員と県会議員の選挙が始まるようです。偶然、ある方のブログで、首都の知事選挙に出ておられる某候補の政見放送に行き当たり、かなり驚くとともに、なんて言うのでしょう、新鮮な湧き上がるものを感じました。なんといっても、「建設的な提案なんか一つもない」と断言するそのストレートさ。何ものも恐れることなく、自分の言いたいことを、めちゃめちゃにはっきりと、すべて言ってしまう勇気。内容はともかく、その姿勢には恐れ入りました。
こうして新潟教区の方々を対象にして日記を書いていますけれど、当然、教区の方々だけではなく不特定多数の方が見ることが出来るわけですから、それを前提にして文章は綴っているつもりでおります。現在の立場を考えれば、「それを言っちゃあ、おしまいよ」的なこともありますから、言いたいことをぐっと堪えることも少なくありません。また、とても遠回しに、あることをある人たち向けに、ほのめかすような文章もないとは言えません。もっともあまり伝わっていないようなので、それは私の文章力の足りなさですね。そんなわけで、言いたいことを何ものも恐れず、ズバズバッと言っちゃう某候補には、驚きと共に新鮮な何かを感じたのでありました。まねするつもりは、全くありませんけれど。
写真は先日、直江津のフーベルト神父様が、リサイクルショップで見つけたという椅子であります。どこからリサイクルに出てきたのか知りませんが、素敵な椅子なので、新潟教会で頂くことにしました。明日は潮見でカリタスの援助部会会議です。
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毎年二回開催される司祭評議会は、3月と11月に開催されますから、季節の変わり目の風物詩のような雰囲気があります。そして今年の司祭評議会も先日無事終わり、まもなく復活節、すなわち春の始まりであります。会議が終わったから心がうきうきするのではなく、あくまでも春が近づくのでうきうきするのであります。
司祭評議会の設置は、教会法495条に規定されています。それによれば司祭評議会は、「司教に委託された神の民の一部分の司牧的善益をもっとも効果的に促進するため、法律の規定に従って、教区統治において司教を助けることをその責務と」するのだと言うことです。すなわち宣教についての問題は4月にたちあげる宣教司牧評議会で、司祭、信徒、修道者の代表が集まって知恵を絞っていただくのですが、教区の組織としての運営については、司祭評議会や顧問団の助けを頂いて進めていくと言うことになります。現在はこれに、信徒の専門家にも加わっていただいた経済問題諮問委員会もあります。
詳しくは教区報に掲載されると思いますが、今回の司祭評議会で触れた話題を、簡単に紹介しておきましょう。まず第一は昨年の教区財政についての報告がありました。教区の会計年度は1月から12月までです。詳しい数字は教区報に譲りますが、見かけ上は黒字決算ですが、一般会計に含まれる意向が決められた金額を除くと500万円ほどの赤字となりました。教区財政の健全化については、経済問題諮問委員会で話し合いが続いていますし、それに基づき、今後、宣教司牧評議会でも一つの課題として話し合いが進むことが期待されます。
次に教区の現勢報告もありました。それによれば昨年12月31日現在で、新潟教区の信徒総数は7,586人で、人口比では0.16%というかなりの少数派です。ちなみに一年前の統計では、信徒総数が7,611人でしたから、25人の減少と言うことになります。また新潟教区で一番信徒数が多い教会は、秋田教会で信徒数が1,039人。その次が高田教会で811人、次いで新潟教会の744人となっています。
これ以外に取り扱われた話題は、経済問題諮問委員会の中間答申についてとか、今年の教区で働く司祭の集い(6月)についてとか、発表が間近と言われる188殉教者に関連して、米沢でのお祝い(08年5月の予定)についてなどが、様々な角度から話し合われました。また司教館裏にある、ヴィアンネー館の一階部分を、主に引退された司祭の居住空間とするために、今年前半に改装するプランについても報告がありました。なお嬉しいお知らせもありますが、これは稿をあらためてお伝えします。
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本日午後から、新潟教区司祭評議会が開催されます。年に2回、春と秋に行われる定例の会議です。教区全体からそれぞれの地区(秋田・山形・新発田・新潟・長岡)の地区長と代表司祭、そして教区の顧問の司祭が出席します。またそれに先立って、教区の顧問会も行われます。詳しくはまた終了してから。
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いやあ、驚きましたねぇ。ちょうど新潟市内の新津教会で、9時半のミサを始めたところでした。詠唱が終わって本日の福音を読み始めました。律法学者やファリサイ派が現れたあたりで、なにやら目眩でもしているのかと思うような揺れでした。一瞬自分が病気かと思った人が、聖堂内に数人いたようです。福音を聞くために聖堂内では皆立っていますし、私も朗読台の前で、どうしたものやら、とにかくしっかりと台を握りしめて立っていました。たぶんほんの数十秒のことなのでしょうが、かなり長く揺れていたように感じました。揺れが収まったので、さあ、どうしたものやらと思いましたが、とりあえず、「それでは続けましょう」などといって、途中から福音を続けました。ミサの最中に緊急事態が発生すると、なにやら困りますよね。昔神学生だった頃、朝のミサの、まさしく聖変化の最中に地震が起こり、とても慌てる神学生を尻目に、司式司祭は何事もなかったかのように聖変化を続ける姿を見て、司祭への尊敬の念を深めたこともあったのでした。
震源に近い能登半島では、怪我をされた方、亡くなられた方、家を失った方、大勢おられると思います。被害は時間が経つにつれて明らかになりつつあります。通常ではない生活をしばらく強いられることになろうと思います。どうかお体を大切になさって下さい。必要であればカリタスでも支援を考えなければと思います。
ところで新津教会へミサに出かけたのは、主任司祭の鎌田神父様が体調を崩し、数日前に入院されたためです。けっして命に差し障りがあるような重い病気というわけではないのですが、なにぶん鎌田神父様も高齢ですので、しばらくはお休みになって体力を回復していただきたいと思います。なんと言っても新津の主任司祭と、新津と加茂の2幼稚園の園長を兼任していただいておりますから。どうぞ鎌田神父様の回復のために、お祈り下さい。
写真は新津教会の玄関ロビー展示の一部です。第二バチカン公会議以前に行われていたミサで使われていた、祭壇上に常におかれていたミサ典文のプレートと終わりの福音のプレートです。もちろんどちらもラテン語です。ご存じのように第二バチカン公会議前のミサは祭壇が壁に向かっていましたから、こういったプレートは常に立てかけておいてありました。それに今のように奉献文が四つあったわけではなく、今でいう第一奉献文のみでしたし、終わりの福音も常に同じでしたから、いちいちミサ典書をあける必要もないようにプレートにされていたようです。加えてラテン語の言葉を間違えるとミサは無効という厳しい時代でしたから、間違えないようにしっかりと見ながらミサは捧げられました。小学生の頃、私も侍者をした経験がありますので、懐かしいものですね。
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着るものに困る時期となりました。もっとも新潟にいるだけなら、暖かければ脱ぎ、寒ければ着ればよいのでしょうが、問題は他の地域へ出かけるとき。今回も水曜日の那須での会議に始まって、その次の日は名古屋、そして金曜は東京と回るときなど、荷物も多くは増やしたくないので、組み合わせに困ります。那須へ出かけるときは新潟は雪が降るほどの寒さでしたから、厚手のコートを羽織っていきました。那須も寒かったのでこれはちょうど良し。ところが名古屋は上着だけで十分なほど暖かい。さらに昨日の東京はまるで春の陽気。戻ってきた新潟は、やはりまだまだ寒い、と。はやく全国的に春になって欲しい、ですね。
名古屋は、社会福祉法人の理事会でした。以前から関わっている知的障害者援護施設(法律が変わり知的障害者通所更正施設から名称変更)ですが、先にも記したようにいわゆる自立支援法が制定されてから、経営がなかなか難しくなっています。「法人」という形態を採用しているのだから当たり前だといわれればそれまでですが、しかし福祉行政は以前からギルドの世界と化しており、制度の詳細や許認可の要件などを、すべて確実に把握している人物が、現場にも行政側にもそれほどいるとは思えないくらい、微に入り細にわたって決まり事に溢れている世界です。そこに法律が新たに定められ、さらにその改善策が追いかけるように細かく出されてくると、地方自治体の担当者でさえも、どのように対応するのかがすぐには分からないというのが現状のようです。
厚労省の自立支援法の円滑運営のための改善策に関する資料を見せていただきましたが、まずまず何を言っているのか、普通の人には分かりにくい。当たり前かもしれませんが、善意で他者を助けたいと思っているだけでは、福祉の仕事は出来ないと感じます。事務処理のプロがいなくてはどうにもならない。また現在、福祉も「サービス提供」という概念へ移行しようとしているようですが、これまた障がいの区分によって報酬単価とそれに見合ったサービス提供職員配置基準が細かく決められており、報酬単価が高くなってもそれに伴って必要職員数は多くなるように定められています。そうすると、結局は支出に占める人件費の割合が高止まりする傾向になりやすく、とてもではないですが、経営は楽ではありません。施設運営でお金を儲ける必要はもちろんありませんが、でもあれだけの重労働をする職員が安心して、また高い志気をもって働くためには、当然十分な労働の対価を払う必要があります。しかし現在の報酬単価では、それが容易ではありません。また収入が日割り計算となっていることも、とくに重度の方が通ってくる施設には少なからず打撃となってしまいます。このあたりには様々な議論があることは承知していますが、いずれにしろ、「サービス」を受ける人、提供する人、ともに喜びをもって、そして安心して生活が出来る制度に徐々に近づけていく努力を、厚労省にはお願いしたいと思います。
一昨日の名古屋での会議のあと、昨日は潮見で、カリタスジャパン委員会でありました。写真は「のぞみ」車内で買ったコーヒーのカップ。このカップの蓋が(そんなこと、すでに、みんなが知ってるのかもしれませんが)、良くできているのに感動して一枚。揺れても漏れないように、飲み口には小さな蓋があり、上部の形状は飲むときに鼻がぶつからないように曲がっているが、ここには他にも何か意味がありそうな雰囲気が。
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27年前の今日、エルサルバドルのサンサルバドール教区長オスカー・ロメロ大司教が、ミサの最中に暗殺されました。当時エルサルバドルでは軍事政権による人権侵害が著しく、それに公然と異を唱えたロメロ大司教は、教会が強い影響力を持つ国にあっては、権力側にとってあまりありがたい存在ではなかったのです。ロメロ大司教の生涯を世界に伝えようと活動をしている人は多くいますが、私が直接触れたのは、イギリス(イングランドとウェールズ)のカリタスであるCAFODの前の事務局長であったジュリアン・フィロコウスキー氏でした。国際カリタスの理事会に一緒に出席していた頃、会議の席上で必ずロメロ大司教の話を始める。CAFODの住所地でさえ、ロメロ・クローズと名前をつけさせてしまったくらいです。(この写真は、ロメロ大司教「殉教」25周年に作られたポスターの一部です)それまで私は、ロメロ大司教のことを名前くらいは知っていたものの、詳しいことは全く知らず、なぜフィロコウスキー氏がこれほどまでに熱心なのか訝しく思ったものでした。でも実際のロメロ大司教を知っている彼から、いろいろと話を聞く内に、そのすばらしい信仰のあかしに触れることが出来ました。
カリタスで働く前には英国議会でも働いていたフィロコウスキー氏は、ロメロ大司教と個人的に交友があった方です。彼によれば、ロメロ大司教はもともととてもシャイで、表だった社会活動をするような人ではなく、どちらかといえばそういった活動に批判的な人物と見なされていたのだと言います。ところが、司教になった後に、実際に教区の農民たちが直面している現実を目の当たりにして、特に農民たちのために働いていた教区司祭が農民と共に惨殺されるという現実に直面した時に、大きな変貌を遂げたのです。イエスの福音を真摯に受け止めれば受け止めるほど、目の前の現実に背を向けることは出来なかったのではないでしょうか。それぞれのおかれた場において、目の前の現実には大きな違いがあります。信仰の目で現実をしっかりと見据え、福音的価値観に対立する現実に対しては、正面から立ち向かう勇気を持ちたいと思います。そして同時に、聖霊の導きに深い信頼を置きたいとも思います。あまりにも世俗化された世界に住んでいる私たちは、ともすると目に見える事象や理性と感覚の世界から宗教をみてしまいがちで、それとはかけ離れた聖霊の働きへの信頼を失っているように感じます。教会が聖霊の働きを忘れてしまっては、存在する意味がないではありませんか。
ロメロ大司教の列福調査は、ヨハネパウロ二世によって始められ、現在も進行中です。
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昨日(21日)は午前10時半から午後3時半頃まで、那須塩原駅の近くにある学校法人「アジア学院」で、評議員会に出席してきました。アジア学院自体は日本キリスト教団の関連団体であり、もともとの農村伝道神学校の流れを汲んだプロテスタントの関係者が中心になって運営されていますが、理事や評議員にはロシア正教の方やカトリックからも数名が加わっております。カトリックからは理事に事務局長を務めている信徒の方が一名、評議員に私がはいっておりましたが、今回から東京教区の伊藤神父様が評議員に加わりました。この伊藤神父様は昨年一年、アジア学院の学生として農業を学ばれたという方で、この春からは東京の神学院で養成担当者になることが決まっています。
アジア学院は学校法人として認可されている各種学校ですが、基本的にはいわゆる途上国から来る学生を無料で受け入れており、その意味で、学費の収入が全くありません。海外からの学生は、それぞれの国の教団や、例えばカリタスのような組織から推薦されて応募してくるのだそうです。日本人の学生も毎年若干名受け入れており、日本人の学生については学費を徴収しているのですが、来年度に関してはこれがゼロになっています。中高や大学などと違って、同じ学校法人でもこういった各種学校の運営には公的補助金が出ていないので、国内の寄付と海外のプロテスタント系団体からの寄付にほぼ寄りかかって、苦しい運営が続いています。アイディアはとてもすばらしいと思うんですよね。アジアやアフリカの国で、有機農業を広めるためのリーダーを養成していこうというのは、これからの持続可能な世界を考えるとき、日本という国ができるすばらしく前向きな貢献の一つであると思います。実際ここを卒業した多くの人が、それぞれの国で農業指導に当たっているという実績もあるようです。またこの数年は、カトリック関係の学生も増えており、特にアフリカからは神父さんがやってくることもしばしばです。もう少し楽に運営ができるように、私も評議員のひとりとしてアピールをしていきたいと思います。
そういえば一昨日、夕方ころに新潟から東京へ出てきたのですが、途中、高崎の新幹線ホームにやたらと警察官が大勢立っているのですね。大宮の駅でもやたらと警察官がホームにいる。最初は地下鉄サリン事件の起こった時期ですから、それに併せて特別警戒でもしているのかなと思いました。そして東京駅に着いてみると、お隣のホームにつながるエスカレーターが、一部上下とも下りになって、乗客がホームにあがれないようにしている。これをみてその事情がすぐに想像できました。そこですぐに南側の改札へ回ってみると、案の定、皇宮警察と警視庁の私服がぞろぞろといるではありませんか。こちら側に東京駅の貴賓室の入り口があるのです。そして改札から出てきたあたりの柱にはロープが用意されている。即座に到着時刻案内を見ると、まさしく今、長野からの「あさま」が到着するではありませんか。頭の片隅には新聞で目にした皇太子一家のスキー旅行の話が浮かんで来ましたので、ちょっと待ってみることにしました。そして携帯で撮った上の写真です。お嬢ちゃんは夫妻の間にいるので見えません。奥様は、やはり、お疲れの様子でした。
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明日は朝から那須塩原駅の近くにあるアジア学院で理事会・評議員会があるので、お出かけであります。以前にも書きましたが、評議員をさせていただいております。アジアやアフリカの農業リーダー育成のために、活力のある活動を長年続けている学校ですが、如何せん、新潟からは遠いこともあり、学校自体へ出かけるのはこの会議の時だけです。
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3月19日は聖家族の長である聖ヨセフの祝日でした。聖ヨセフご自身の存在は聖書の中でそれほどの重量を占めてはいませんが、教会は聖ヨセフの聖家族における役割の重要性からこの祝日を伝統的に大切にしており、四旬節中にもかかわらずグロリアを歌う祭日としております。新潟教会では通常の朝6時半のミサに加え、10時からヨセフ会(男性信徒の会)のためのミサ、そして11時からは私の司式で、恒例の月曜会のミサと、三つのミサが捧げられました。
聖ヨセフの生涯から様々なことを学ぶことが出来ようと思いますが、私は特に次の点に注目したいと思います。すなわち、許嫁であったマリアに起こった出来事とそれに続く神からの呼びかけに対する、聖ヨセフの姿勢です。それは私たちに、信仰とは教条的でもなければ、かといって自分勝手なものでもないことを教えています。聖ヨセフ自身はユダヤ教の掟を熟知した人であったでしょうから、すでに決められたルールに従って事を処理することも出来たでしょうがそうはしなかった。そして引き続いて分かってくる神の意志は、必ずしも自分のコントロールできる範疇のものでもなかった。しかしそれを受け入れる聖ヨセフ。それこそが信仰のあるべき姿ではないでしょうか。ともすれば、書かれた掟や教えに逆に信仰の根幹をコントロールさせてしまうような態度に出ることが、信心深いことだと勘違いする事もよく見られます。そしてその反対に、そういったことを否定しながら、今度は全く逆に、自分の好みにあった、自分が良しとする、すなわち自分がコントロールできる範囲の信仰を正しいと思いこむ。どちらも違うのではないかと思うのです。結局は、信仰の本質は自分ではコントロールできないところにあることを受け入れるところにあると思うのです。自分が好きなことや気に入ったことだけを真実とする姿勢は、聖ヨセフの姿勢とは全く異なるところにあるのではないかと思うのです。
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教皇様の新しい使徒的勧告「Sacramentum Caritatis(愛の秘跡)」が、3月13日に発表となりました。これは2004年10月2日から23日にかけて開催された第11回通常シノドス(世界代表司教会議)の討議の結果を受けて、発表された文書です。シノドスのテーマは「聖体(エウカリスチア)-教会生活と宣教の源泉と頂点」でしたので、今回の使徒的勧告のテーマも当然「聖体」となっています。なおこのシノドスに日本の教会からは、梅村司教様が代表として参加されました。
文書は「愛の秘跡である聖体(エウカリスチア)は、イエス・キリストがご自分からお作りになったたまものであり、すべての人に対する神の限りない愛をあかししているのである」と始まります。教皇様は最初の回勅が「神は愛」であったこともあり、今回も「愛の秘跡」というタイトルをつけられたように、神の愛と言うことを非常に重要なテーマにされております。かなり長い文書ですので、今の時点ではすべてを読み切っていませんし、最初の方はいつものように神学的な考察が続くのでそれほど読みやすいというわけではありませんから、コメントすることはまだ出来ません。もっとも通常、シノドスのあとの使徒的勧告は、シノドスでの話し合いに基づいて書かれていますから、それほどのサプライズはないでしょう。数日してから、様々な評価がいろいろなところで聞かれるようになると思います。なお日本語への翻訳はすぐにも始められると思いますが、如何せん、いつもの事ながら日本の教会のキャパシティーはそんなに幅広いものではなく(人的にも資金的にも)、例えば翻訳にしても何十人もの専属スタッフを抱えているわけではありませんから、多少の時間はかかるであろうと想像されます。
ところでその翌日となる14日には、バチカンの教理省が、久しぶりにある神学者の言説への苦言を公式に発表しました。解放の神学で有名なイエズス会のJon Sobrino(ジョン・ソブリノ)神父の、特にイエスについての神学的解釈に対して、教理省は公式の警告を発表されました。ただ以前の教理省に比較すれば、今回は徹底的に否定するとか、ご本人に対する罰を加えるとか、著作を発行禁止にするとかという事は一切無く、最終的な判断は読者の自主性に任せているところが変わったところであると言えるでしょう。また文書では、教会が貧しい人たちへの配慮を優先させることは当然であると何度も何度も繰り返して、南米の教会の現実に対してかなり配慮しながら、純粋に神学的な問題に集中して指摘するという姿勢を貫いていることも、新しい姿勢であるといえます。
私たちはしばしば「バチカン」とか「ローマ」という言葉を使って、なにやら一つの実体を指し示しているつもりでいるのかもしれませんが、実際にはその様態は多種多様であり、必ずしも一つの実体ではありません。私自身、司教になるまでの6年間、国際カリタスのアジア選出理事(3名)の一人として、それこそバチカンで毎年開催された理事会に参加してきましたので、バチカンなるところの雰囲気をある程度肌で感じ取ってきたつもりでいます。 当たり前のことですが、そのバチカンとは基本的には様々なレベルでの権限を持った様々なレベルの役人の集まりであり、誰が担当者になるかによって、そのセクションの対応は明確に違ってきます。もちろん聖座の最終的な決裁権は教皇様にあり、教皇様が決められたことに対して、叙階にあたって忠誠を誓った司教が逆らうことはほとんど考えられないことですが、そうではないレベルでの決定に関しては、しばしば議論と交渉が必要になることも少なくありません。また信仰のレベルでの決定と、バチカン市国としての政治的な決定には、必ずしも関連性があるとは限りません。特に、国家としての政治的意志は、当然のことながら政治的言語を使って表現されますし、典型的な政治的意思表示方法もしばしば採用されます。そういう意味では、先頃、聖座の政治的な頭痛の種となっている南米のある国での引退司教が大統領候補となろうとしていることなどと、信仰のレベルでの頭痛の種である今回の警告に、関連性があるのかどうかは、憶測のレベルを出ることはありません。
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四旬節第四主日の今日は、新潟市内の青山教会で四旬節の黙想会を行いました。今日の朝の講話は、なんと8時に開始。雪もちらつくとても寒い朝となりましたので、朝早くから教会で出かけてくるだけで、皆さん大変でしたでしょうが、聖堂はほぼ一杯でした。冬の寒い日曜に、普段より一時間も早く教会へ出かけたこと自体が、四旬節の良い「おささげ」になったと言えるやもしれません。
今回は主任司祭のラウル神父様にそのように依頼されたこともあり、「聖書のわかちあいとはなんぞや」という事を中心に話をさせていただきました。またそれに絡めて、先日FABCとバチカンの福音宣教省主催で、タイで開催されたアジア宣教大会で学んだことも話させていただきました。
アジア宣教大会においては、自らの信仰体験を通じてイエスの物語を「語って伝えていく」ことの重要性が強調されました。またその実践として小グループによる「わかちあい」が中心行事となりました。かつて南米の教会から始まった基礎共同体の動きは、アフリカへ入った段階で今や伝説的存在となった南アフリカのルムコ研究所によってアフリカの現状にあわせる形で霊的に深められ、手法が確立されていきました。キリスト者小共同体育成の中心にあるのは、「聖書のわかちあい」です。
問題は教会が教会自身をどのように理解しているのかという神学的考察であり、その理解に基づいて具体的な現れとしての典礼があるのであり、また具体的な様々な活動があるのです。その一つが「わかちあい」という共同体づくりの手法です。すなわち、どれかの手法が唯一独尊で正しいとか言う話ではなく、または過去はすべて捨て去って今だけが正しいなどと言うことでもなく、教会は常にイエス・キリストから始まって、長年の伝統に基づいて、今の自分自身のあり方にもっともふさわしい典礼や活動を絶えず生み出しています。従って、人間という限界がある存在によることですから、完成はないでしょうし、歴史のある一時点が一番正しいと言うこともあり得ないでしょう。教会の自己理解と切り離して、特定の一側面だけを取り上げ強調することには意味がありません。また今現在の神学において、教会がどのように理解されているのかという点を無視して、私たち自身のあり方を論ずることにも意味がありません。
さて、「わかちあい」には様々な方法があり、ルムコの7段階法はその中でも優れた手法であると思いますが、それとても絶対ではありません。神のことばが今生きていることを信じるのであれば、今耳にする御言葉に導かれて、心に響いたことを互いに言い表す中で、あらたなイエスとの出会いがあるかもしれないのです。原則は心に感じたことに素直になること、議論をしないこと、説教をしないこと、相手に耳を傾ける姿勢であること、またその場で聞いたことをそれ以外の場で広めないこと、などを守りましょう。良く慣れた司会者の存在も大切だと思います。これについては司会者のための手引きなどを作成する努力をしたいと思います。もちろんわかちあいの中での信仰体験は、聖体祭儀におけるイエスとの出会いによって深められなければならないのは、言うまでもありません。
今日は朝早くからの講話のあと、9時からのミサ、その後のゆるしの秘蹟と茶話会で、11時半頃までお付き合いいただきました。青山教会は若い世代にも明るい希望のある共同体ですし、今日の茶話会では大先輩の世代からも出来る限りの協力をするという力強い言葉もありましたから、これからも共同体の絆を深めて発展を続けていただきたいと思います。
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今日は午後1時半から、新潟清心女子中学の卒業式がありました。新潟の清心は他の多くの中高一貫私立校と同様、高校一年の段階でかなりの人数をあらためて入学させますので、中学の卒業生は高校の卒業生に比べると非常に少なくなります。今回は31名の卒業でした。このあと清心高校へ進む生徒たちは、いわゆる中高一貫の6年教育を受けることになるのですが、節目として中学での卒業式は重要な意味を持っていることでしょう。このあと高校では、大多数の同級生が清心の「精神」を知らないことになるのですから、その意味ではこの学校で学んだ良い「精神」を、これからも深め、またそれを周囲へ伝えるために発揮していくことを再確認する契機となるのでしょう。この31名は、そういう意味では、高校での同級生の間に派遣される宣教師みたいなものです。
私自身も名古屋の南山という中高一貫校で教育されましたが、ここでは高校入学時には若干の入学者があるだけで基本的には6年間ほぼ同じメンバーです。そのため中学3年生の時には取り立てて卒業式はなかったと記憶しています。
在校生の送辞も立派なものでしたが、卒業生の答辞も、これまた立派なものでした。いつもながら動作もきびきびして、歌声も力強く、元気にさせられる卒業式でありました。
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この数日、日本海側は本当に冬になりました。11日の日曜に秋田の大館教会から新潟の新発田教会へ黙想指導のためにこられた伴神父さん。午後に秋田行きの「いなほ」に乗り込んだものの、走っては止まりの繰り返しで、通常3時間半のところ、本人曰く、「9時間もかかっちゃったよ」とのこと。ということは入れ替わりで新発田から大館へ出かけた石黒神父様も新潟へ戻れなくなり、結局、大宮経由の新幹線乗り継ぎでやっと帰ってきたと聞きました。そしてその翌日、12日は、すでに書きましたが、一日中の大風で「いなほ」は全休のため、私も秋田行きを一日延期しました。山形での事故以来、JR東日本はとても慎重になっているのでしょう。風が吹けば電車は結構すぐに止まるみたいですね。
さて13日は朝8時過ぎに新潟駅へ。その時点で、酒田からやってくる一番の「いなほ」の新潟到着が1時間遅れ。それでも折り返しとなる秋田行き「いなほ」一号(写真)は、定刻35分遅れで新潟駅を出発。最初は順調でした。まるでこの日のために特に選抜されて乗車したかのように、とても低姿勢で丁寧な車内放送をする車掌さんが、何度も何度も遅れのお詫び放送をしますし、それどころか新潟駅での案内の不備までを詫びる放送を繰り返しているではありませんか。村上あたりまでは何事もなかったのです。「これは難なく、多少の遅れで秋田に到着できそうだな」と思った瞬間、なにやら暗雲が立ちこめるがごとき車内放送が。「秋田方面へお出かけのお客様は、申し訳ございませんが、念のため車掌に行く先をお申し出下さい」。件の車掌さんが検札と一緒に行く先を尋ねて回っていきます。しかしまだこの時点では、乗客の質問に、「秋田から先がちょっと心配なものですから」などと答えていた車掌さん。しかし雲行きの怪しさは、パワー全開で伝わって来るではありませんか。そして、聞け、見よ、学べ(ラテン語でこれを言いますと、Audio, Video, Disco)。鶴岡を過ぎると、「ただいま入りました情報をお知らせいたします。秋田県内の暴風の影響で、この電車は酒田での運転打ち切りが決定しております。」車掌さん、もう一度人数を数え始めました。つまり酒田より先に行く乗客のために、代行バスを用意してくれるとのこと。ありがたい。酒田で放り出されたら、その先をどうするか真剣に悩みましたから。それにしても秋田方面へ出かける人が結構いるものだと関心したのですが(前日が一日運休だったためもあるでしょうが)、酒田駅前には大型観光バスが2台待っていて、これが満席になりました。酒田から秋田駅まで、電車が1時間半ほどかかるところを2時間半ほどかけて、秋田駅まで送っていただきました。とにもかくにも秋田へ到着。
そのまま聖体奉仕会へ。3時から修道院で会員に一時間ほど講話をしてそのままお茶会。いつものようにとてもおいしい食事を会員と一緒に頂いて、ゆっくりと眠りました。さすがに昨年のような大雪はありませんが、それでもこの数日に降った雪がかなりあり、雪深い山の中の静けさがあたりを支配して、いつもながら、聖体奉仕会に来るとよく眠ることが出来ます。翌朝は聖体奉仕会のあのまるでお寺のような聖堂で朝のミサを共に捧げ、これまたおいしい朝食を頂いて、聖霊短大まで送っていただきました。
今回の秋田訪問の第一の目的は、聖霊女子短期大学の卒業式に出席することです。シスター平垣学長に続いて、お祝いのお話をさせていただきました。聖霊女子短期大学は制服なので、華やかさはないものの、清楚で引き締まった感じの式でした。この短大には音楽科があり、卒業式のステージの真ん中にはパイプオルガン調の電子オルガンがおかれ、先生によるすばらしい演奏があるのも、いつも楽しみにしております。
その日の午後には秋田県内の神言会が担当するカトリック幼稚園を束ねる秋田カトリック学園の理事会がありました。神言会の管区長と共に新潟教区長も理事になっています。名古屋から市瀬管区長もやってこられました。超多忙の管区長は、この日東京から新幹線で秋田までこられ、会議が終わったら夕方7時前の飛行機で名古屋へ戻られるとか。ちなみに名古屋便はあのボンバルディア機を使うANAではなく、小牧行きの小型ジェットのJAL便でした。
そしてさらに翌朝、9時前の「いなほ」で一路新潟へ。ふと反対のホームに到着した夜行列車をみましたら、大阪を前の晩に出で青森へ向かう寝台特急「日本海」でありました。そして到着した「日本海」から、どこかで見慣れた制服の高校生の一団が続々と降りてくる。秋田の聖霊高校生でありました。そういえば昨日、短大で、修学旅行に出かけた高校生たちが、悪天候で予定の列車に乗れなくて大変であるという話を聞きました。その高校生たちであります。予定はかなり変更になったでしょうし、添乗員は真っ青だったでしょうし、先生も疲れ切ったでしょうが、彼女たちは楽しそうでありました。旅のハプニングは、結構人生に楽しみを与えてくれるポイントでもあります。(写真はこの日の朝9時前に、ホームに入ってくる青森発の「いなほ」と、お隣のホームに着いた「日本海」)
さて話は続きまして、この「いなほ」に乗った私は、実は新潟まで行かなかったのでありました。村上で降りました。小和田家ゆかりの町であります。毎年、7月7日頃には、山車が何台も出る勇壮なお祭りある町であります。三面川を上ってくる「鮭」でも有名な町であります。毎年この時期、3月1日から4月2日まで、「町屋の人形様巡り」と称して、街中の様々な家に飾ってあるおひな様を、ぐぐーいと家の中まで押し入りまして見せていただける貴重なお祭りの時期でもあります。いろいろと説明もしていただけます。でも大概がお店屋さんなので、なにか、そこで売っているものを買いたくもなるように出来ています。お上手。今年で第8回目であるといいます。実は昨年も、この人形様巡りを見に出かけました。ちなみに私は本当は「出不精」です。子どもの頃から(などと書くと人間の中身を分析されそうで怖いので、詳しくは書きません)お外へ遊びに行くのがとても苦手で、お友達の家に遊びに行くなんて事は滅多になかったですし、学生時代もいわゆるサークル系なんかでみんなでどこかに遊びに出かけるというのが一番苦手でした。そして今では世界を股にかけて飛び回るフットワークが軽い人間などといわれたことまでありますが、そんなことは実は全くなくて、家で一人でぽつねんとしているのが一番好きなのであります。いまだにどうしてわざわざ家を出て、喫茶店なんかに「一人で」お茶を飲みに行くのが良いのか理解できない。誰かとお会いするときは行きますが、一人で?でそんなわけですから、わざわざ一人で村上に降りるわけがありません。そうです。村上駅の改札口には、横浜教区の梅村司教様が待ちかまえていたのでありました。きっと後輩司教の私を心配なさって、力づけに来てくださったのでしょう。村上の町を見てから、少し暖まるところでゆっくりとご接待させていただいて、先ほど新潟へ戻って参りました。梅村司教様も横浜へ戻られました。明日は新潟で、清心中学校の卒業式です。(写真は村上の町屋で、展示されているおひな様飾りに見とれる梅村司教様)
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教区のホームページにも掲載されていますが、新潟教区では「聖体奉仕者」は一年限りの任命です。従って4月1日以降も小教区において聖体奉仕者としての役割を果たされる方は、主任司祭を通じて新たに任命を私から受けるようになさってください。またその際に、ふさわしい準備のための講座などを司祭から必ず受けることが条件です。先日、長岡地区では合同で講座を開催したとのことですが、私たちにとって一番大切な主イエスの御体である聖体への奉仕ですから、聖体の秘跡と典礼についての知識を深めるように、日頃から努力を怠らないようにお願いいたします。
また聖体奉仕者には、司祭が複数の小教区を担当しているなどの事情で主日にミサを捧げることが出来ない小教区において、集会祭儀を司る役目が与えられている場合もあることだと思います。このような信徒の方による集会祭儀などについては、聖座の指針の翻訳などを含めて、「ミサ以外のときの聖体拝領と聖体礼拝」という儀式書が、1989年にカトリック中央協議会から発行されています。指導される司祭方にはご留意いただいていると思いますが、奉仕者の方々にはよく学んで役目を果たしていただきたいと思います。
日曜日(主日)に共同体が共に集い感謝の祭儀を祝い生きることの重要性を、教皇ヨハネパウロ二世は、使徒的書簡「主の日」で丁寧に説明され教えておられます。一番大切な根本を忘れないようにお願いしたいと思います。一番大切なことは、共同体が主の日に共にひとつに集い、共に祝い、信仰に生きることです。ともすれば目に見える規則的な事柄の細かな点にばかり注意が向けられて、そのことで対立を生んでしまうこともあるやに聞きます。重要なことは、十分な敬虔さをもって、丁寧に、集まったお一人お一人の心に向けて、ふさわしく儀式を司ることであり、御聖体を授ける機会があるときには、それにふさわしい礼を尽くすことによって、共同体のお一人お一人の信仰を深める手助けをするという意識であろうと思います。聖体奉仕者は単なる式典の「司会者」でもなければ、御聖体の「配布係」でもありません。「司祭不在の時の主日の集会祭儀指針」には次のように記されています。
「指名を受けた信徒は、ゆだねられた任務が名誉であるよりは、むしろ、使命であること、何よりもまず、主任司祭の権威のもとで行う、兄弟への奉仕であることを自覚しなければならない」
私たちの教会生活の中心となる主の日を、喜びの心を持って祝い、また心が満たされる日となるように、それぞれの与えられた使命に基づいて、役目を果たしていきたいと思います。
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今更私が書く必要もないのでしょうが、暖冬はこのまま春に突入かと思いきや、この数日冬に逆戻りで、特に今日は激しく冬に逆戻りです。新潟市内でも雪が降ったり止んだり、かと思えば日が照ってみたり、そして風がとても強い荒れた日となりました。先ほどのお昼のニュースでは、山形県の酒田あたりで32メートルを超える風が吹いたそうで、どうりで羽越線は止まるわけです。実は今日のお昼の「いなほ」に乗って秋田へ出かける予定にしていたのです。水曜日に秋田の聖霊短大の卒業式と秋田カトリック学園の理事会が行われるので、それにあわせて聖体奉仕会に顔を出そうと考えたのでありましたが、JR東日本は早々に本日の秋田方面への「いなほ」をすべて運休にされたのでありました。この風では確かに無理です。明日の朝はどうなるか、途中の庄内あたりの風と雪が心配で自動車で行くというわけにも行きませんし、いざとなれば、大宮経由で「こまち」となるやもしれません。
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四旬節第二週の土曜日にあたる今朝のミサ。福音の朗読は、ルカにある、いわゆる「放蕩息子」の話でした。ゆるす事ってとても難しいことですよね。特に深い傷が心に刻み込まれてしまっているときに、「ゆるしなさい」などと言えるだけの心の力を私は持っていません。ですからこの「放蕩息子」の話で言い表される「ゆるし」が万能薬のお話だというわけではありません。ただ、神と人間の関係についてイエスが何を考えておられたのか、その心に少し触れたいと思うのです。
よく考えたら、このお父さんはすごい人ですよね。財産の半分を持って行ってそれをすべて食いつぶして、帰ってくる息子をああして迎えるのですから。それに、後半で心底怒っているお兄ちゃんの怒りはごくごく常識的な反応です。どう見たって「不公平」ですから。この話を表面的に読めば、すべてを水に流し、怒りを忘れ、過去を問わずにゆるすことが大切だなどというお話になってしまいそうですが、もちろんそうではない。私は次の二つの部分が大切だと思って読んでいます。
『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』
『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ』
人は共同体の交わりの中でしか生きていくことは出来ないのです。神を中心とした交わりに連なっているとき、「生きている」のです。自分だけの領域があるはずだと勝手に判断し、自己中心的な領域を確保しようとするとき(最初の弟の言葉)、人は交わりから飛び出し、「死んだ」ものとなるのです。だから「ゆるし」は、水に流して忘れることではなくて、交わりのうちに存在を取り戻すことなのです。共同体の交わりに連なっていなければ、命を得ることはないのです。だから教会は、ことあるごとに共同体の大切さを説くのです。私たちの信仰は、個人の領域に切り取って仕舞い込んで生きることは出来ないのです。物理的に繋がっていることよりも、心の領域の問題です。
もちろん交わりに立ち帰るためには、かつて自分が自己の領域を確保しようと身勝手な行動に走った事への自覚が不可欠です。それから、お兄ちゃんの怒りへの対応がこの話には欠けています。つまりこのあと弟がどうなったかが書いてありません。交わりへ再び迎え入れられる事による「ゆるし」が、お兄ちゃんの怒りを形成する社会的責任を免除してくれるとは思いませんから、弟は生活の中で何らかの責任をとらされたのかもしれませんね。水に流すだけでは、新たな関係を築き上げることは出来ません。現実は正面から立ち向かわなくてはならないでしょう。でもそのときの判断のよすがは、断たれた関係を新たに築き上げることであり、罪に定めることで責任をとらせることではないし、水に流して不問にすることでもない。やっぱり、難しいですね。
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なんとしたことでしょう。申し訳ない。ついつい忘れていました。この3月6日は、ガーナの独立記念日で、しかも50周年ではないですか。ガーナの皆さん、おめでとうございます。昨年の12月に訪れたことは書きましたし、サイドバーのところにそのときの写真もあげてありますから、是非ご覧下さい。
21年前に初めてガーナの土を踏んだとき心に抱いていた「燃える炎」を、持ち続けたいと願うのですが、なにやら近頃は、気をつけていないと、いつの間にやら消えてしまいそうです。私が働いていたOsonson教会の今の主任司祭であるガーナ人のドゴジ神父様から、今日手紙が来ていました。やはり、発展を続けているのは都会だけで、村落部は取り残されていること。そのために学校へ行った若者は、どうしても村へ戻ってこないこと。村には教員がなかなか来てくれないこと。そしてやはり村での共同体の高齢化について、苦しい毎日の現実が記されていました。今回Osonsonを訪ねて一番ショックだったのは、教会の小学校の建物が、私が日本へ戻った94年の時から全く手入れされておらず、しかも二棟のうち一棟が完全に崩壊していたことでした。それすらも立て直す資金が手に入らない現実です。(写真は、その頃、Osonsonの教会で聖体行列へ出かけるところ。十字架をもっている侍者の少年は、いまでは大神学生となった)
90年頃、軍事独裁政権でありいろいろと批判は浴びていたものの、当時のローリングス政権は世界銀行と上手にやりとりをしながら、様々な側面で、市民の生活を立て直していました。ちょうどその頃私は、世界銀行の関係者(ガーナ駐在とワシントンの担当者の両方)に知り合いが出来たので、いろいろと聞くことが出来ましたが、その頃の教育改革の基本が本当にそのまま完全に実践されていたら、周辺部がもっと大切にされ、今のような首都偏重の状況にはならなかったような気がします。残念ながら、民主化された社会は、都市部に富を集中させる傾向に走るようなのです。(写真は、その頃のOsonson教会でのミサ。後ろ姿は説教中の私.)
( P.S.) こちらの写真は、その頃、二ヶ月に一度ほどで通っていた巡回教会へ行く道です。Osonsonから車で一時間くらい走り、車をおいてさらに2時間ほど歩いてやっと到着の奥まった村でした。ちょうど雨期だったため、小川は一杯に溢れて、丸太の橋も水につかりそうでした。乾期には今度は全く水が無くなり、結構な高さの橋になります。天気さえ良ければ、楽しい遠出でしたが、雨が降ったり、マラリアで調子が悪かったりすると、地獄の巡回でした。当時はとても苦しい思いもしていたはずですが、良くある話で、時間が経った今では、しかも20年ほどしか経っていないにもかかわらず、どれもこれも楽しい思い出に感じるというのは、人間の記憶は全く当てにならない不思議なものだと、つくづく思います。
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長岡で長年宣教に励んでおられるフランシスコ会のブルーノ神父様が、自転車で転倒され(他の自転車がぶつかってきたそうです)、右足を負傷されました。今日の午後、お見舞いに長岡まで行ってきましたが、とてもお元気で安心しました。靱帯に関係する骨折系の負傷で、右足は完全にギプスで固められ、6週間の安静が必要だということです。ブルーノ神父様は長岡の表町教会と福住教会という二つの教会の主任、そして十日町教会の主任などを兼任され、幼稚園長も二つ兼任されている超スーパーマン・イタリアンのフランシスコ会士で、今回も車いすに乗ってでもミサをすると主張されておりますが、回復には時間がかかりそうです。どうか素早く完全な回復のために、皆様のお祈りをお願いいたします。
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新約聖書の黙示録に、こう書いてあります。(3章15節から18節)
「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。 熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。」
歴史的な出来事を判断する材料をもっていないので、その出来事の真偽についての判断にここで足を踏み入れるつもりはありませんし、国家としての国際法上の立場があることもよく分かるのですが、でも「狭義の意味ではなかったが広義の意味ではあった」などという国会での議論を聞いていると、そのあまりの生ぬるさに、恥を憶えます。いわゆる従軍慰安婦問題です。もちろん政府の方々が、当時の日本軍にはそのような性的な側面が付随していたことを、その議論をもって正当化しようとしているのではないだろうと信じていますが、どんな形式であったにせよ、それはそれ自体として恥ずかしいことであったと思います。その当時の性に対する日本の価値観を持ち出して云々したところで、歴史の出来事に対して判断を下すのは今の時を生きる人々なのですから、それは苦し紛れの言い訳にしか聞こえません。人間として恥ずかしいことは、恥ずかしいというはっきりとした前提の上で、この議論はしていただきたいなと思うのです。
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姿勢を正して、呼吸を整えながら、吐く息に意識を集中させると、「鈴(りん)」が一打ちされ、澄み切った音が余韻を引きながら、心を落ち着かせてくれました。
昨日夕方から本日の昼にかけて、教区司祭団の四旬節静修が新潟教会で行われ、内観瞑想を深めておられる大阪教区の藤原直達神父様にご指導を頂きました。内観は、あの法令違反の改造で有名になったビジネスホテルチェーンの社長(現会長)が心酔していることで一般に名前が知られた精神療法的な自己発見の手法ですが、もともとは浄土真宗の伝統的な修行である「見調べ」に端を発する非常に宗教的な黙想の方法であるといわれます。
キリスト教にはすでに「罪の糾明」というものが存在しているから理解しやすいような思いがしましたが、一人静かに孤独の内に、「していただいたこと、お返ししたこと、迷惑をかけたこと」の三つの視点から自分の過去を調べていくのだと言うことです。自分を見つめ直す内に、自分の感謝の足りなさ、受けた愛を悟らない足りなさなどに気付き、感謝と悔い改めのうちに、対人関係が改善されていくということです。藤原神父様は屏風で仕切られた中で座ることを勧めておられます。集中内観は一週間行われると言うことで、藤原神父様の主宰される大阪にある「心のいほり・内観瞑想センター」では、全国各地でこの黙想会を開催されています。詳しくは同センターのホームページまで。http://www.com-unity.co.jp/naikan/
今回の静修は二日でしたし、内観について詳しく伺うのも初めてでしたから、実際に体験するよりも、「いったい内観とはなんぞや」というお話を伺いました。また呼吸法については実際に行いました。吐く息の中に三位一体の神の存在を感じながら、心を落ち着けることが出来た気がします。確かにキリスト教はロゴスの宗教ですから、語ることは重要ですし、文字にされた文献の存在も重要です。共同体づくりでも、「わかちあい」という名前の「語り合うこと」が重要視されていますが、ともすれば言葉のやりとりに心がおぼれてしまう嫌いもあります。私たちの信仰には、必ずや「静と動」の側面があり、「個」の信仰が確立されて初めて「全体」が成り立つのだと思います。どうしてもどちらかにばかり目がいってしまう。イエスご自身がその活動のさなかで、必ず弟子を連れて祈りのために身を隠されたという話が福音書にはありますが、同じように機会を見つけて自分自身を静かに見つめ直すときは、信仰生活の上で不可欠であろうと思います。(写真は藤原神父様と神父様が持ち歩く鈴)
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そういえば先日、文部科学大臣には「人権メタボリック症候群」なんていうご発言があったようですが、確かに「権利には義務が伴う」という考えはある意味その通りであろうと思います。もっとも生まれながらに伴う基本的人権については、私の立場から見れば、それは神から与えられたものであって、義務を果たさないから取り上げるかどうかは、神に属する事であるとも思います。
それはさておき、それで、「国民の責務」たるものにはいったい何があるのやら、興味深く感じたのでした。教育基本法の改定のときにも、家庭における教育の義務などで取りざたされましたが、そういった良く取り上げられる責務でなく、そのほかいろいろと法律に記されている「国民の責務」をちょっと覗いてみたら、あることあること。もちろんこれらの責務には罰則規定があるわけではないので、いわば「努力しましょう」と言うことなのでしょうが、それはそれで、日本国民であることはなんとも様々な努力を要することであるなあと思ったのでした。例えば次のような項目が、皆様、用意されております。責務、果たしてますか?
水質汚濁防止法
(国民の責務)
第十四条の五 何人も、公共用水域の水質の保全を図るため、調理くず、廃食用油等の処理、洗剤の使用等を適正に行うよう心がけるとともに、国又は地方公共団体による生活排水対策の実施に協力しなければならない。
自殺対策基本法
(国民の責務)
第六条 国民は、自殺対策の重要性に対する関心と理解を深めるよう努めるものとする。
人権教育及び人権啓発の推進に関する法律
(国民の責務)
第6条 国民は、人権尊重の精神の涵養に努めるとともに、人権が尊重される社会の実現に寄与するよう努めなければならない。
少子化社会対策基本法
(国民の責務)
第六条 国民は、家庭や子育てに夢を持ち、かつ、安心して子どもを生み、育てることができる社会の実現に資するよう努めるものとする。
食育基本法
(国民の責務)
第十三条 国民は、家庭、学校、保育所、地域その他の社会のあらゆる分野において、基本理念にのっとり、生涯にわたり健全な食生活の実現に自ら努めるとともに、食育の推進に寄与するよう努めるものとする。
国等による環境物品等の調達の推進等に関する法律
(事業者及び国民の責務)
第五条 事業者及び国民は、物品を購入し、若しくは借り受け、又は役務の提供を受ける場合には、できる限り環境物品等を選択するよう努めるものとする。
健康増進法
(国民の責務)
第二条 国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない。
それにしても、「生涯にわたり健全な食生活の実現に自ら努める」こととか、「できる限り環境物品等を選択するよう努める」こととか、「生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努め」ることとか、「洗剤の使用等を適正に行うよう心がける」など、この国の国民としての責務は多岐にわたり、お正月の一年の目標のようで、たくさんありすぎて、なんとも、大変でありました。
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3月3日の夜に、待ちに待った188人の殉教者の列福が決定したと、喜ばれた方もおいでであったろうと思います。私もそれを聞いて、驚きました。「そんなに早く話が進んだの?」と思ったからで、慌てていろいろと調べたけれど、話の出所は、「在バチカンの外交筋」としかわからずじまい。「在バチカンの外交筋」で共同通信に話をする人って、つまり日本政府の人って言う意味の言葉なのかと思うのですが、どうでしょう。それにしても「筋」っていったい何?
いずれにしろ、ニュースの中身はすでにカトリック新聞などでも伝えられている事と変わりなく(2月18日付一面)、2月6日の枢機卿会議を通過してあとは教皇様の裁可を待つばかりの状況は変わっておりません。加わった情報は、その裁可が復活祭前後になることくらいでしょうか。私が「ある筋」から聞いたところでは、その裁可の宣言文書には、列福式の日時と場所、そして司式する枢機卿の任命まで記されていなければならず、これについての事務方での調整が時間がかかるとか。早く決まって下さることを祈るばかりです。これだけの規模の行事を実行する長崎の準備の苦労のこともありますし、土壇場になって日程変更でもあろうものなら、全国の教区での行事日程変更にも繋がりますし。
それにしても、今回共同通信がこのように配信してくださったことはありがたいことではあります。いくら教会がカトリック新聞などを通じて情報を全国に発信しているとはいえ、全国の一般新聞に掲載されるのとはニュースの伝わり方が全く違うと言うことを実感いたしますね。山形の新聞にも掲載されてましたが、せっかくご当地米沢の人物が一番多い53人もいるのだから、もうちょっと突っ込んで調べて書いてくれても良いような気もします。取り上げてもらえるように、正式発表になった段階で流せるように、まとめた資料でも用意しておかねばなりませんね。
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四旬節第二主日の本日は、山形教会の公式訪問をいたしました。すでに教区内のいろいろな教会を公式訪問という名称で訪ねてきましたが、今回の山形教会訪問は、信徒の方々によっていろいろとプログラムが考えられており、豊かな内容の一日となりました。
プログラムは午前10時からの私の講話で始まりました。プログラムを考えてくださった信徒の方々からのリクエストは、「私のイエスの物語」についてでありました。確かに昨年10月にタイにおけるアジア宣教大会に参加して以来、このテーマについて私は何度も語っております。また今回の司教総会でも、福音宣教推進全国会議(いわゆるナイス)から20年経って、今再びその精神に立ち返り日本における宣教を考えてみることが決まったわけですが、まさしくいま、アジア宣教大会で感じたことが日本の教会には必要だと思うのです。私がそういって呼びかけているのだから、まず自分のイエスの物語を語りなさいというリクエストであろうと思います。とはいえ、宣教についてのふり返りには考えなくてはならない全体的なこともありますから、総論を50分ほど話しました。
そのあと、11時半までの時間をとって、8人ずつのグループに分かれて、それぞれの信仰体験についてわかちあいを行いました。わかちあいに引き続いて、私への質疑応答。いろいろと現実的で難しい質問を頂きました。でも信仰は、現実と離れた幻想の世界の出来事ではなく、まさしく私たちが生きている日々の生活の中でこそ意味を持たなければならないのですから、現実の厳しい質問は大切です。そして12時過ぎからは、信徒会館に用意されたおにぎりを「わかちあって」の、食事タイム。ミサは2時からでしたので、それまでの時間は語り合ったり、聖堂ではゆるしの秘蹟も行いました。
普段の日曜日、山形教会では2時から英語のミサが行われていますが、今日はその英語のミサのグループと日本語のグループとの合同ミサとなりました。ミサの式文は日本語でしたが、朗読も私の説教も英語と日本語両方で行いました。もちろん歌も、日本語と英語と両方。説教では、私にとってのイエスの物語の一つを話しました。私にとっては、豊かな意味合いのあるミサでした。参加された方、いかがでしたでしょう?天気も悪くはなく暖かい午後でしたから、ミサ後には聖堂と信徒会館の前の庭にテーブルを出して皆でコーヒーを頂きましたが、こういう一時が楽しいですよね。
準備してくださった皆さんありがとうございました。新潟への帰りは、結局またお隣の二つの教区を通過しての旅となりました。山形駅から「つばさ」に乗って福島経由(仙台教区)で大宮へ(さいたま教区)。そして「とき」に乗り換えて新潟へ。水曜日に新潟から「いなほ」に乗って日本海を秋田へと北上してきた続きですから、結局ぐるりと一周してきたことになります。
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山形にはすでに50年以上に渡って地域の方々と共に無認可ではあるものの、幼児保育に取り組んできたこまくさ保育園があります。小教区からちょっと離れた山側にあるものの、教会の施設として、オタワのシスターが園長を務めながら、地域に根ざした保育に励んでこられました。このたび長年の悲願が叶い、正式に山形市から認可され(山形市で27園目の認可保育園だそうです)、すでに山形市でみこころの園などの老人施設を運営している社会福祉法人山形公和会の所属施設として、その名も「マリアこまくさ保育園」として4月から新たなスタートを切ることになりました。それにあわせて、これまでの保育園のすぐ近くに、新しい園舎を建築していましたが、本日、落成祝別式と相成りました。
11時から行われた落成式には、設計や建築の関係者の方々、地域の代表の方々、山形市長さんの代理の方など教会とはあまり縁のない方々もたくさんおいで頂き、教会からはイエズスマリアのみこころ会の成田管区長、鶴岡の本間神父様、オタワ修道会のシスター木田管区長(前の園長さんです)ほか山形で働くシスター方と司祭団が参加されました。いつものことですが、こういう機会にお話をするのは楽しくもあり難しくも感じます。普段あんまりキリスト教とは関係のない人たちに、どうやって聖書を朗読したあとに、頭と心にすんなりはいる話をするのか、準備にはかなり気を遣います。できる限り、自分たちにしかわからない「業界用語」は避ける努力をしているつもりですが、どうしても知らないうちに使ってしまうこともありますね。保育園の先生たちの美しい歌もあって、きれいな式となりました。
新しい園舎は、これまでの園舎のコンセプトのままに、中央の広間にみんなが出てこられるようにホールを囲んで保育室が配置され、天井の高い保育室には天井から太陽の光がいっぱい差し込んで、きらきらしていました。また屋根にはちょっとした太陽光発電のパネルも据え付けられ、園舎内には一目で発電量がわかるパネルも設置されていました。環境への配慮ですね。ちょうど今日は山形教会主任司祭のピアス神父様の誕生日でもあり、園舎完成のケーキカットのあとには、ピアス神父様にもプレゼントがありました。
教会はこれまでの日本の宣教の歴史の中で、やはりどうしても教育という側面に注目してきたためでしょう、幼児教育にあっては幼稚園に力を入れてきましたので、保育園はそれほど多い存在ではありません。社会の事情が変わり幼稚園も保育園的に変化しつつありますが、関わっている神父様方の間でも、幼児教育と言うことの重要性を考えるとき、やはり保育園よりも幼稚園という考えもあれば、社会のニーズを考えて保育園にシフトすべしという考えもあります。個人的には確かに社会のニーズに応える形で保育園に少し力点を移すべきかとも思うのですが、ただ、保育園を必要としている社会の状況がそのまま子供たちの発育に良い状況であるとも思えないので、単に需要があるから保育園と簡単に判断はできないとも感じます。需要に応え、必要としている人に助けの手をさしのべることは大切ですが、同時に、社会の中に少し変わってもらわなければならない点もあるように思います。そしてやはり、幼児期からの教育的施設は必要であるとも思うのです。とはいえ、いつかも書いたように、かつての時代のように司祭がすべてを背負って運営できた時は既に過ぎ去っていると思います。できるところから、多くの方々の支援と協力を頂いて、責任を分担していく方向に向かわなくてはならないと思います。幼稚園と保育園の合体のような話も政府は進めているようですが、どうも幼稚園が保育園を併設するにはハードルが非常に高く(少なくとも新潟県では)、今の段階では、新潟で挑戦してみようとは思えません。(すぐ上の写真は、新しいホールで挨拶するシスター木田管区長の後ろ姿。ちなみに本日は乾杯用のシャンパンからビールまで、すべてノン・アルコール飲料でした)
新しい保育園が、子供たちの心を豊かに育む場となることを祈ります。
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新潟教区にはいわゆるミッションスクールの高校が二つしかありません。一つは新潟の清心高校、もう一つは秋田の聖霊高校です。聖霊は聖霊短期大学附属高校が正式名称ですが、どちらの学校も女子校で、新潟教区にとっては、このレベルでの普通の(?)若者たちに関わる場として、とても重要な存在です。
3月1日は両方の高校の卒業式。どちらにも出席することは、ヘリコプターでも持ってない限り不可能なので、隔年でそれぞれ順番に出席させて頂いています。今年はそういうわけで秋田の聖霊高校の卒業式へ。一昨年の秋田の卒業式の時は、秋田市内には雪があり、とても寒くて仕方がなかったのを覚えています。ところが今年は雪は全くないどころか、とても良い陽気で、散歩したくなるような暖かさでした。尾籠な話で恐縮ですが、寒いと必ずやトイレが近くなるものですから、一昨年は確か舞台の上で平静を保つのに苦労したのを覚えています。今年は余裕でした。
今年は今頃になってインフルエンザが蔓延し始めたと言うことで、卒業生の中にもマスク姿の人や額に冷えピタを貼り付けたままの人や、欠席者も目につく式でした。いつものように校長先生のお話は社会に旅立つ女子高生にはまだまだ難しいのではと思うほど、現時点での社会情勢を的確に捉え、目を開くようにと呼びかけるすばらしいお話でした。
秋田教会の前にある千秋公園にはすてきな池があるのですが、秋田駅を挟んで突き抜ける中央道路のトンネル工事のため長らく池は工事用の足場で覆われていました。今回はその足場も撤去され、池は以前のような美しさを取り戻していました。おかげで、秋田駅から広小路通りを進んでくると、真正面に教会が見える。左手にある背の高いのが秋田で一番高いマンション。右手にあるのは新築中の秋田警察署。教会の裏に当たります。教会は見えにくいですが、真ん中にある白い建物の前にある三角形です。ちょっと逆光でわかりませんね。秋田駅から歩いて10分程度でしょうか。
秋田の聖霊高校は聖霊会が来日した1908年直後に、早速にも始めた学校が母体となっているので、まもなく創立100年を迎えるのだそうです。聖霊高校に限らず、歴史ある多くの私立学校が、明治以来の私たちの国の教育の重要な部分を支えてきたのは事実です。特に草創期には、公教育の手の届かない範囲をカバーしてきたのは私立学校であり、基本的には戦後においてもそのスタンスは変わっていないと思います。それはキリスト教系に限らず仏教を始め様々な宗教系の私立であったり、そのほか教育に志されて様々な方によって創立された多くの学校があります。公立学校を公教育の現場において補完することももちろん大事な側面ですし、それぞれの学校には公立学校が出し得ない独特の教育目標も存在します。その側面からも、日本の教育界において私立学校が果たしてきた役割には大きなものがあると思います。中でも聖霊のように私立学校が女子の教育で果たした役割には大きなものがあったし、これからもあるのだと確信します。少子化もあり経営は厳しい現実に直面しているのですが、これからも建学の精神に則り、教育に取り組んで頂きたいと思います。
今夜は6時半から、山形市にある老人施設「みこころの園」で、職員研修のお話をさせて頂きました。100人以上の職員の方が集まってくださいました。オタワ愛徳会のシスターが施設長を務めておられます。秋田から山形へ移動するのが、なかなか困難で、一番早い方法と言うことで、「こまち」にのって秋田から仙台へ出て、そこから快速に乗って山形へ移動しました。自教区内の移動に、隣の教区を通過した方が早いというのも妙なことでありました。
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