聖ヨセフから学ぶ
3月19日は聖家族の長である聖ヨセフの祝日でした。聖ヨセフご自身の存在は聖書の中でそれほどの重量を占めてはいませんが、教会は聖ヨセフの聖家族における役割の重要性からこの祝日を伝統的に大切にしており、四旬節中にもかかわらずグロリアを歌う祭日としております。新潟教会では通常の朝6時半のミサに加え、10時からヨセフ会(男性信徒の会)のためのミサ、そして11時からは私の司式で、恒例の月曜会のミサと、三つのミサが捧げられました。
聖ヨセフの生涯から様々なことを学ぶことが出来ようと思いますが、私は特に次の点に注目したいと思います。すなわち、許嫁であったマリアに起こった出来事とそれに続く神からの呼びかけに対する、聖ヨセフの姿勢です。それは私たちに、信仰とは教条的でもなければ、かといって自分勝手なものでもないことを教えています。聖ヨセフ自身はユダヤ教の掟を熟知した人であったでしょうから、すでに決められたルールに従って事を処理することも出来たでしょうがそうはしなかった。そして引き続いて分かってくる神の意志は、必ずしも自分のコントロールできる範疇のものでもなかった。しかしそれを受け入れる聖ヨセフ。それこそが信仰のあるべき姿ではないでしょうか。ともすれば、書かれた掟や教えに逆に信仰の根幹をコントロールさせてしまうような態度に出ることが、信心深いことだと勘違いする事もよく見られます。そしてその反対に、そういったことを否定しながら、今度は全く逆に、自分の好みにあった、自分が良しとする、すなわち自分がコントロールできる範囲の信仰を正しいと思いこむ。どちらも違うのではないかと思うのです。結局は、信仰の本質は自分ではコントロールできないところにあることを受け入れるところにあると思うのです。自分が好きなことや気に入ったことだけを真実とする姿勢は、聖ヨセフの姿勢とは全く異なるところにあるのではないかと思うのです。
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