はき出される生ぬるさ
新約聖書の黙示録に、こう書いてあります。(3章15節から18節)
「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。 熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。」
歴史的な出来事を判断する材料をもっていないので、その出来事の真偽についての判断にここで足を踏み入れるつもりはありませんし、国家としての国際法上の立場があることもよく分かるのですが、でも「狭義の意味ではなかったが広義の意味ではあった」などという国会での議論を聞いていると、そのあまりの生ぬるさに、恥を憶えます。いわゆる従軍慰安婦問題です。もちろん政府の方々が、当時の日本軍にはそのような性的な側面が付随していたことを、その議論をもって正当化しようとしているのではないだろうと信じていますが、どんな形式であったにせよ、それはそれ自体として恥ずかしいことであったと思います。その当時の性に対する日本の価値観を持ち出して云々したところで、歴史の出来事に対して判断を下すのは今の時を生きる人々なのですから、それは苦し紛れの言い訳にしか聞こえません。人間として恥ずかしいことは、恥ずかしいというはっきりとした前提の上で、この議論はしていただきたいなと思うのです。
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