山形地区信徒大会
昨日、主の昇天の主日に、山形地区の信徒大会が鶴岡教会を会場に開催され、あいにくの雨模様のなか、150人を超える参加者がありました。山形地区は、山形教会、米沢教会、長井教会、新庄教会、酒田教会、鶴岡教会で構成されており、このうち酒田と長井は巡回、新庄は建物も存在しないため場所を借りての巡回となっています。また山形地区の司牧はイエズスマリアのみこころ会に委託されており、現在、四名の司祭が働いてくださっています。
山形地区としての信徒大会は2000年以来の7年ぶりの開催ということで、今回は私の司牧書簡の中からとられたという「神に与えられたいのち」をテーマに掲げ、準備が進められてきました。今回の信徒大会では午前中に、ノートルダム清心学園の理事長であるシスター渡辺和子を講師にお招きして、「時間の使い方は、命の使い方」と題して、講演を頂きました。そして皆で昼食をいただいたあと、午後から各教会からの報告と活動を始めたばかりの鶴岡ダルクの代表からの挨拶、そしてミサを捧げて終わりとなりました。準備してくださった鶴岡教会の皆様、地区長である本間神父様、ご苦労様でした。以下、プログラムに掲載された私の挨拶文を、ここに再掲しておきます。
山形地区信徒大会開催に向けて
新潟教区の各地区ではこの時期に、若干の名称の違いはあるものの、恒例の行事として地区信徒の集いが開催されています。教会は、キリストの体を形づくるものとして一つの存在ですが、それはローマを中心とした一つの教会があって、その「支店」が各地域にあるというような意味合いではありません。各地域に、キリストの体のどこか一部分が、分かれて存在するなどということはあり得ないからです。キリストを信じる者の交わりがあるところには、それがどのような人数であっても、教会は同じように存在しているのです。ですから地区の大会は、普段は別々に活動している小教区の交流の場だけなのではなく、まさしくこうして集まることによって、山形地区という一つの教会共同体を目に見える形で具体化しているという意味があるのです。こうして集まる皆さんによって、ここにキリストの体が形づくられます。そして普遍教会は、この集まりの内にも存在しています。
山形地区における宣教の歴史において、一つの輝かしい時代を作り上げたのは、かつて迫害の時代に米沢に存在したキリシタンの共同体です。またその信仰の先達の中からは、命を賭して信仰を守り抜いた殉教者も生まれました。私たちの教会は、その殉教者の信仰を受け継いで、現代社会の中で信仰を育んでいるのです。イエス・キリストご自身から始まって、多くの勇気ある人々の言葉と行いを通じて伝えられてきたこの信仰を、いま自分たちのものとして受け継ぎ、さらに次の世代に語り伝える努力をいたしましょう。列福の栄誉に与ることになっている米沢の53殉教者の模範に倣い、私たちもこの時代の中で信仰をより真摯に生き抜く道を模索し、またその信仰をより多くの人々に伝える努力を怠らないようにいたしましょう。
普段は出会うことのない友人と出会う喜びは、信仰の喜びにつながっています。喜びのない信仰は生きた信仰ではありません。この地区大会での出会いの喜びを、信仰の喜びとして大切にして、またそれを分かち合うことが出来るように、主ご自身が私たちを強めてくださるように、願いましょう。(下の写真は、講演されるシスター渡辺和子と集まった信徒の方々)
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