聖体奉仕会へ巡礼
今年もまた快晴に恵まれた中、水曜日から木曜日にかけて、秋田の聖体奉仕会への巡礼に出かけました。毎月一回新潟教会で集まり、ミサに与りロザリオを唱える「月曜会」のメンバーを中心に、25名ほどの参加がありました。昨年も同じ時期に出かけましたが、昨年同様、これ以上はないほどの晴天で、楽しく二日間の旅をすることができました。
水曜日は朝8時半の「いなほ」に乗って、三時間半の旅です。昨年は出かける前に、駅まで送ってくれたフェルディ師の車に、前の車が突然バックで追突するという考えられない事故があったことも忘れられず、今年は素直にタクシーをお願いして、無事に駅まで到着。晴れた日の羽越線の旅は、日本海沿いに走るものですから、景色も良く、それだけでもいやされます。秋田到着がお昼過ぎですから、とりあえず到着前に車内で駅弁を頂き、これまたおいしい。「鮭の焼きつけ弁当」と言いましたか、新潟県の村上あたりで有名な鮭を焼くのか薫製にするのか、なにやらよくわかりませんが、おいしく調理したものを中心にした、このあたりの名物駅弁であります。秋田駅でタクシーに分乗して一路聖体奉仕会へ。タクシーの運転手氏は、「聖体奉仕会」といったとたんに何もそれ以上聞くことなく車を出発させましたから、やはり普段から訪れる人が多いのでしょう。
聖体奉仕会へ到着後、聖堂で聖体礼拝とロザリオを唱え、その後、参加者の自己紹介。そして夕方には聖体奉仕会の会員と共に、ミサを捧げました。ミサにはちょうどお祈りに訪れていた海外からのお客様も参加されたり、秋田市内からも数名の信徒の方が、司教が来ていると聞きつけてミサに参加してくださいました。
聖体奉仕会の修道院は、通常、週末だけの宿泊を受け付けていますが、この「月曜会」の巡礼だけは、その聖体奉仕会の上長ともいうべき司教の主催と言うことで、無理を言って平日に行っています。聖体奉仕会の会員もだんだんと高齢化していますし、人数が増えているわけでもないので、あまりに多くの巡礼者や黙想者の宿泊が重なると、少ない限られた人数ではどうしても食事の準備などをさばききれなくなってしまいます。そのため宿泊での巡礼や黙想会は週末だけに限定しているのです。もちろん宿泊をせずに訪れて祈ることは、平日でも可能です。是非一度どうぞ。
二日目は、新潟へ帰る「いなほ」の時間のこともありますから、朝食後9時過ぎから十字架の道行き(野外で雄大に)、その後、しばしの散策を経て、12時半頃の「いなほ」に乗るために参加者は秋田駅へ移動です。私は、本日、つまり金曜日に東京で会議があるために、そのまま夕方まで聖体奉仕会に残り、夕方の飛行機で東京へ。
聖体奉仕会を訪れる方は、国内だけではなく海外からも数多くおられますが、言うまでもなく30年ほど前に起こったマリア像の落涙にまつわる神秘的な出来事に触れるためにこられるのだろうと思います。そのマリア像は現在も聖堂の左回廊に安置してあり、多くの方がその前で祈りを捧げています。奇跡や奇跡的出来事、または神秘的な出来事などは、それ自体が「神聖」であるということではなく、それを通じて神の神聖さと偉大さが表されたという「事実」が大切であると私は思います。そしてそのことは、神からの一方的な働きかけであって、人間の側の都合とは何も関係がないというところにも重要性があるのだと思います。すなわち、そこに介在する人間やものは、あくまでも神によって使われた手段であって、それを目の当たりにして祈る時に、それ自体を神聖とあがめる間違いを犯してはなりません。常に視線は、その出来事やものの先におられる偉大なる神に向けられていなくては意味がありません。神は「時と場所」を、ご自分が望むままに準備されます。そしてそれは、私たちの都合とは何も関係がないのです。
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