昨日夕方には、教会の墓参が行われ、寺尾と日和山の両墓地で祈りが捧げられました。私も新潟教会近くにある日和山の墓地へ出かけ、大瀧主任司祭や集まった数名の信徒・シスター方と祈って参りました。また夏休み中の坂本神学生(教区)、パウロ神学生(神言会)の二人も一緒でした。丁度お盆の時期ですから、普段はひっそりとしているこの地域も、時ならぬ交通渋滞となっていました。特に新潟教会のある周辺は南北にお寺さんがずらりと並んでおり、それぞれの墓地を訪れる人が、花を手に町にあふれかえっております。私たちも墓地で聖歌を歌い、聖書に耳を傾け、ロザリオも祈り、香も焚きましたが、すぐお隣からは読経のひびきもあり、各宗教入り乱れての祈りの雰囲気でした。線香のにおいといい、読経のひびきといい、夏の雰囲気であります。
さてこの時期に日本にいれば、先に亡くなられた方々の追悼ということを、どうしても考えさせられます。他の宗教の死者に関する行事に参加することについて、信仰に反するのかどうか、逆に社会生活上不可欠だとかいろいろな議論があります。そう言った疑問に答えるために、1985年に諸宗教委員会が「祖先と死者についてのカトリック信者の手引き」を作成し発行しています(税込み158円、中央協議会)。そこにはまず、教会の生者と死者の関係についての教えが、次のように記されています。
「キリストの神秘体に属する人たちのうち、ある人はすでに神の栄光を受け、三位一体の神を直観し、至福のうちにいますが、ある人たちは地上の生活を終えて清めを受けており、また、ある人たちはこの地上にあって週末の栄光に向かって旅路を続けています。死者と聖者とは異なった状態におかれていますが、同じ「キリストのからだ」に属しています。ですから、神の愛と隣人愛によって、霊的交わりのうちに固く結ばれているのです。」
第二バチカン公会議の精神に従えば、キリストの復活の秘儀へ与ることは、「キリスト信者ばかりでなく、心の中に恩恵が目に見えない方法で働きかけているすべての善意の人たちについても言うことが出来る(現代世界憲章22)」とされます。同時に第二バチカン公会議は、「これらの宗教の中にある真実なものと、聖なるものを退けない(キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言2)」として、諸宗教との対話のうちに、福音的価値観を見いだし、共に真理を目指す必要性も説いています。その精神に沿って、他の宗教で行われる伝統に従ったふさわしい方法での死者の追悼を否定する必要はありません。
さてそのような前提の上で、この「手引き」には、様々な具体的な指針がQ&Aの形で記されています。基本的にはカトリック者としての自己同一性をしっかりと自覚しながらも、他の宗教の儀式を否定する必要はないということになるのでしょう。但し、常に自らの信仰の立場を明らかにして、不必要に他の宗教に妥協するべきでもないことも教えています。親戚や家族の中で自分一人がカトリックである場合などは特に、自分以外の方々の宗教心を尊重し、礼を失することのないような対応が求められるのは言うまでもありません。もちろん現在でも根本的には主の十戒に変更があるわけではありませんから、同上「態度についての宣言」でも、「しかしながら教会は絶えずキリストを告げ、また告げなければならない」と釘を刺している事を忘れてはなりません。
以下、昨年の8月17日の日記に書いたことの繰り返しです。
「他の宗教の儀式であっても、家族や親類縁者の方々との関係、または隣近所のお付き合いの中で、積極的な参加が求められることも多いことでしょう。そのときにも、他の宗教への尊敬を持ちながら、しかし出来る限り自分の立場を明らかにして、自らの信仰と良心に基づいて、賢明な行動をとりましょう。しかしそれは、自らの信仰を妥協させて積極的に関わるという性質のものではなく、あくまでも、自分と他の人たちとの関係の中での出来事であることに留意するべきです。ご家族が、親類縁者の方々が、亡くなられた方々に思いを馳せながら、神社などに参拝に出かけていくとき、同行することは、個々人の自由です。どのような形で自らの信仰を表現するのかも、基本的には個々人の良心の自由の問題です。政治的な問題は、もちろん様々な課題がそこにはあるとはいえ、今語りたいこととは全く別次元の問題です。
しかしそうであっても、決して忘れてはいけないことは、私たちの教会は、キリシタン時代から始まって今に至るまで、数限りなく流された殉教者の血とその苦しみの上に成り立っているということであり、その信仰の先達に導かれる私たちは、その苦難の歴史を、無にしてはいけないということです。そして、その必然性もないのに、請われたわけでもないのに、自ら進んで自分の信仰を妥協させるような行動をとることが、私たちの信仰の先達の神の御前における尊い犠牲を蔑ろにするということに思いを馳せたいと、私は一人のキリスト者として思います。」
なおこれに関連して、近頃、しばしば耳にする問題が一つあるので、それについて一言記しておきたいと思います。すなわち巷間言われる1936年の布教聖省訓令においてバチカンが「靖国神社」を認めているという指摘です。歴史的背景や、当時バチカンにまで問い合わせをせざるを得なかったほどに追い詰められた司教団の状況など、これにまつわる歴史的な諸問題はあるのでしょうが、少なくとも36年訓令には「靖国神社」という固有名詞は登場せず、現在はすでにその存在がない「国家神道の神社」という一般的な名称しか登場しません。記録のためにその部分を引用しておきます。原文はラテン語です。
「日本帝国の司教たちは次のことを、信者たちに教えるべきである。政府によって国家神道の神社として管理されている神社において通常なされる儀式は(政府が数回にわたって行った明らかな宣言から確実に分かるとおり)、国家当局者によって、単なる愛国心のしるし、すなわち皇室や国の恩人たちに対する尊敬のしるしと見なされている。また、文化人たちの共通の見解も同様なものである。したがって、これらの儀式が単なる社会的な意味しかもっていないものになったので、カトリック信者がそれに参加し、他の国民と同じように振る舞うことが許される。ただし、自分の振る舞いに対するまちがった解釈を取り除く必要があると思われる場合には、信者たちは自分たちの意向を説明すべきである。」
素直に読めばごく常識的なことしか書かれていません。これをことさらに特定の話題につなげようとする「意図」が、個人的には理解できません。