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2007年10月27日 (土)

神言会来日100周年行事

神言修道会が日本で宣教活動を開始したのは、1907年9月8日のことでした。当初は仙台での学校設立なども考えていたようですが、まず日本海側の秋田に入り、パリ外国宣会から引き継いで秋田から宣教活動を開始しました。今年は神言会が来日してから100年となります。そのため全国の神言会が働いている地区ではそれぞれ100周年のお祝いが行われています。日本での宣教開始の地である秋田では、本日、秋田教会にいっぱいの信徒の方々と30名を超える司祭の参加を得て、盛大に行われました。参加してくださった信徒の方々は秋田地区だけでなく、新潟の一番南の糸魚川教会の信徒を始め、新潟・山形の各地から大勢の代表の方が駆けつけました。司祭も神言会の管区長をはじめとして秋田でかつて働いたことのある神言会司祭と、山形、新潟で働いているフランシスコ会、イエズスマリアの聖心会、そして教区司祭と大勢の参加でした。なんと言っても現在の新潟教区と名古屋教区の一部は、元来新潟知牧区として1912年に設立された地域です。そして初代の教区長は神言会のライネルス師でした。その意味で現在の新潟教区の基礎は、神言会によって作られたと言っても良いでしょう。これからも神言会の宣教師たちには、いろいろと助けていただきたいと願っています。なお今回の行事にあわせて教皇大使も初めて新潟教区を公式訪問されました。大使は夏前に腰を悪くされてローマで入院されていたそうで、杖をついての参加でした。一時はこの腰の問題のために訪問の延期も考えたのですが、是非、12月の司教団ローマ訪問の前に訪問したいという意向で、おいで頂きました。明日は秋田の小教区での、普段のミサを是非見ていただきたいので、土崎教会を訪問していただく予定です。なお大使は来週末、11月3日は新潟教会の剣道80周年、その翌日は長岡教会訪問です。

お祝いにあわせて長崎・名古屋・東京からの巡礼団の方々もおいでくださいました。私自身は、今回秋田で是非お会いしたかった方にも会えましたし、楽しいお祝いでしたが、やっぱり大使のような偉い方のお相手は、緊張いたします。(写真は参加者の全体写真と祝賀会で挨拶する大使)

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2007年10月25日 (木)

教皇大使の教区訪問

バチカンに駐在する日本の代表である上野大使が先日、いただいた個人的な文書の中で次のように書いておられました。

「現代における大使(外交使節)派遣システムの源流の一つは、帝政末期(4世紀)に法王が、アルル(現在のフランス)、ニケーア(同トルコ)、サルディア(同ブルガリア)などの司教協議会に法王の代表を派遣したときに遡ると言う」

つまり現代世界に当たり前のように存在する、国家の代表をお互いに交換して駐在させる外交使節の制度は、バチカンがその起源でありその発達に伴って普及してきたのだと言うのです。

現代の教皇大使は、独立国であるバチカン市国の大使という国際政治上の役割と、教皇の代理としての教会内の役割の二つを担っています。この二面性が、他の国の大使とはちょっと違っているのです。外交官としての役割には自ずと国際法上の様々な定めがあるのでしょうが、教会における役割については、教会法にこう書いてあります。

「教皇使節の主な任務は、使徒座と部分教会との間にある一致の絆を絶えずよりいっそう堅固、かつ効果的なものにすることである(364)」

教皇大使になるのは容易ではありません。ローマで勉強している司祭の中から、適任者が肩を叩かれ、専門の養成学校に送り込まれます(ローマのパンテオンの近くにあります)。そしてプロの外交官として各国に送り出され、いくつかの任地で参事官として働いた後に、大使に昇格するというのが一般的です。なかにはバチカンで働いていて、突然大使に転任というケースもあるようです。いずれにしろ良く訓練された、プロの外交官たちです。大使は定期的に任地の教会について教皇様に報告をする必要がありますから、各地域の教会をよく知っておく必要もあります。そのために、教皇大使は教区を公式に訪問することがあります。そして現在の駐日教皇庁使節であるアルベルト・ボッターリ・デ・カスッテロ大司教(イタリア人)が、新潟教区を公式訪問される日が近づいてきました。

明後日、27日土曜日に神言修道会来日100周年のお祝いが秋田地区で行われる機会に、大使が秋田を訪問されます。到着は金曜日。土曜日は秋田教会における一連の行事に参加され、日曜日には土崎教会でミサを司式された後に東京に戻られます。

そして次の週末、11月3日には、今度は新潟です。新潟教会の献堂80周年のお祝いに参加され、翌4日は、主日のミサを長岡の表町教会で司式される予定です。もちろん私も同行いたします。

残るのは山形地区ですが、殉教者のお祝いの時に訪問していただく予定です。駆け足で、しかもほんの一部しか見ていただけないのですが、まずには教区の南北の距離感を感じていただきたいことと、教会が直面する様々な課題に少しでも触れていただければと思っています。

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2007年10月23日 (火)

カ障連全国大会に向けて

09年は新潟教区でいろいろなことが行われる年になるのですが、その一つが日本カトリック障害者連絡協議会(略称:カ障連)の第10回全国大会の新潟での開催です。

カ障連とは、ホームページによれば、次のような団体です。

『当協議会は、1982年7月に発足したカトリック教会に所属する障害者を中心に、連帯と交流を図ることを目的として結成された、カトリック教会の中にある障害者諸団体の横の連絡機関です。カトリック教会内で、これまでに障害をもつ人が活発に活動してきたところもありますが、多くの教会内では、団体としてはもちろん、個人一人ひとりは声すら出すところがありませんでした。1981年、国際障害者年の年にヨハネ・パウロ2世教皇が訪日され、これをきっかけに、カトリック障害者団体及び有志が集まり、お互いに手を取り、協力しあって、社会の福音化のため、より大きな力となって、一緒に活動することをめざして当協議会を作りました。私達は、カトリック精神に生きるあらゆる人々に呼びかけ、皆さんと共に先輩達の偉業を仰ぎ見ながら謙虚に活動していくことを目的としています』

Kc280044 今日はカ障連の会長、中原えみ子さんを始め3名の方が新潟に来られ、初めての打ち合わせを行いました。今のところ09年8月1日と2日の開催を予定していますが、会場の確保やそのほか諸々、これからのことになります。テーマ設定や細かい内容については協議会の中央で決めるとしても、具体的な運営に関しては、新潟で行わなくてはなりません。今後、カリタス教区担当の町田師や教区事務局長の大瀧師などを中心に実行委員会を立ち上げなくてはなりませんが、こういった活動に興味のある方、ボランティアをしてくださる方、様々な方々のお手伝いをお願いすることになろうかと思います。呼びかけのある際には、どうぞ、積極的にご協力下さいますようにお願い申し上げます。

中原さんは電動車いすで生活をされていますが、今日は新潟駅から直接、車いすで教会へ来られました。考えてみれば電動車いす用のタクシーがあるわけでもなく、車いす用のバスも増えつつあるとはいえ台数が限られていますから、駅から教会へ来ようと思えば、歩道を通ってくるしかない。今日は天気が良かったのですが、雨や雪だったら大変です。新潟の中心部の道路では歩道の改修が続いていますが、今後バリアフリー化がさらに進むことを願います。(写真は新潟市内を走る車いす対応のバス)

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あれから3年

中越大震災が発生してから今日で3年。新潟教区で働くようになって直後の災害でした。その年、04年は7月に三条周辺で洪水もあり、また冬には大雪となり、天災に明け暮れた毎日でした。そしてまた今年の中越沖地震。人間の予測や予定をまったく無視した被造界の動き。超越者の御手の中にある人間の存在のちっぽけさを感じてしまいます。様々な災害で被害を受けられた方々が、一日も早く、日常の生活を取り戻すことができますように、お祈りいたします。

中越大震災にあたって、日本のカトリック教会を代表してカリタスジャパンが取り組んだ援助活動の全体は、こちらをご覧下さい。時系列が発生時に向かって逆に記載されております。その1からその4までございます。

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2007年10月22日 (月)

高田教会堅信式など

Img_2308 日曜日には、高田教会で12名の方の堅信式を行いました。お隣の妙高教会(高田のマリオ神父様の兼任)のお二人と、10名の高田教会の方々。特に高田教会は中学生から高校生までと、若い人たちが多かったことが印象的でした。前晩の土曜の夜は、堅信を受ける人たちとの対話ではなくて、教会の信徒の方々との対話集会で、20名を超える参加者がありました。高田教会には国際部というセクションがあり、海外から来られた方々に様々な対応をしておられます。教会では日本語クラスも開設されています。フィリッピン出身のお母さんたちも数多く、南米から来られた方々も少なくありません。堅信式当日も、フィリピン出身のお母さんたちが、祝賀会の準備などに大奮闘されていました。そういった環境でもありますので、この晩の集会でのテーマも自ずと滞日外国人司牧に関する意見交換になりました。高田教会を中心に主に長岡地区で働くフィリピンのシスター方からは、教区としてもっと明確に外国人司牧への方針を打ち出して欲しいという要望や、海外からの信徒を受け入れる体制が整っていないという厳しい指摘もありました。また日本人の共同体と外国人の共同体が分かれてしまってうまく融合できていないという指摘もありました。私としては、4月の宣教司牧評議会でもう少し教区全体の共通認識としてこの問題を掘り下げてもらいたいという思いがあります。その共通認識を土台にして、具体的な方針を出していきたいとも思っています。また教区内でこういった課題に取り組んでいる方々を一堂に集めた会議(また会議ですが)を、来年早々に開催したいと考えています。もっとも現実に多くの海外出身の方が教区内には住んでおられるのですし、小教区にも通っているのですから、それぞれの小教区で事情に応じて、対応を考えていっていただきたいとも希望しています。いずれにしろ、日本人と外国人との別々の共同体が、同じ小教区に併存することは好ましいことではないと思います。互いにどう理解していくことができるのか、道を探っていきましょう。(写真は高田教会の受堅者と、温かく見守る主任マリオ神父様の後ろ姿)

本日は、10時から新潟市のキリスト教連合教師会で講演をさせていただきました。新潟市内のキリスト教各派(勿論カトリックも含めて)の牧師や司祭で構成している団体で、市民クリスマスや一致祈祷週間を企画運営しています。今日は来年の一致祈祷週間についての話し合いのあと、先頃カトリックの司教団が発表した「信教の自由と政教分離のメッセージ」について、メッセージ執筆に関わったひとりとして、その背景を中心にして話をさせていただきました。憲法に関わる現状認識やこれからの話は、11月4日に新潟宗教者平和の会の主催で松浦悟郎司教の講演が新潟市で行われますから、それを是非聞きに行っていただきたいと思います。(いろいろとまったく異なるテーマで講演を依頼されますので、これが準備がなかなか大変なのであります。同じテーマでずーっと話ができると楽なのですが)

夜には見附の愛児園や青山の天使園を運営している新潟カリタス会の理事会が新潟教会で行われました。

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2007年10月19日 (金)

寒くなりました

落差が激しいと言いますか、今年は夏が非常に暑かった分、秋になって気温がどんどん転げ落ちていくような感じがいたします。ポーランドに住んでいる方から、初雪がどかっと降ったというメールを頂きましたが、さすがにそこまでは寒くはないものの、新潟でも朝晩にはエアコンの暖房が欲しいですね。つい数週間前まで、クーラーがなければ生きていけないなんて感じていたのが嘘みたいです。

次の日曜には新潟県の高田教会で堅信式の予定です。主任のマリオ神父様(フランシスコ会)の尽力で、必ず毎年、堅信式が行われています。今回も前日の明日土曜には高田教会へ出向き、夜に受堅者にお話をするチャンスを頂きました。実際の意味合いは多少違うのですが、堅信は大人の信徒として出発する日だというようなことをいつも話しております。

信仰者における信仰の深さを見極めることはまず不可能です。それはいわゆる「プロ」の「宗教者」の霊性を見極めることが困難至極であることと同じであります。外見で見分けることはできず、語る言葉から感じられる知性でも判断できない。見た目が整っているとか、いかにも宗教者然とした格好をしているとか、それらしいことを語るとか、お話が上手だとか、聖書の知識や神学の知識が深いとか、いろいろと判断基準はあるのでしょうが、でもそれを判断基準にしているうちは、本質は分かりません。神学生の養成に関わったことが数年間ありますが、とにかく「すること」とか「語る言葉」では、神学生の霊性は判断できないのです。単に品行方正で命令を良く聞く人物を選択するのであれば、そういった基準で判断できるのかもしれません。でも信仰の本質はそこにはない。最終的には、「人生をどう生きているのか」でしか、判断しようがないのです。そしてこの場合は、「人生を福音に基づいて生きているのか」ということが、判断の基準ではないかと思います。私の修道会の先輩司祭がかつて、「今池のど真ん中でも瞑想はできる、いやできなければ本物ではない」と語っておりました。「今池」というのは今ではそうでもないですが、かつては名古屋の歓楽街であります。さしずめ「新宿のど真ん中でも瞑想はできる、いやできなければ本物ではない」というところでしょうか。問題は中身なのです。そしてその中身、つまり他者の内面を識ることは、簡単ではないのです。

堅信を受ける方々も、またそれを共に祝う方々も、堅信式は自分の信仰をふり返る良い機会です。自分の生き方をふり返り、福音に基づいていると自信を持てるのか良く見極めてみたいと思います。また同時に、目に見える様々な外面的様相に惑わされて、兄弟姉妹を安易に裁いていないか、ふり返りたいと思います。

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2007年10月17日 (水)

新しい枢機卿の任命

Cordes_2  教皇様は本日お昼(イタリア時間)に、11月24日に枢機卿会議を招集することを発表され、同時に18名の新しい枢機卿の任命を発表されました(それ以外に80歳以上で教皇選挙権のない枢機卿を5名の合計23名)。中には予想されていたとおりの名前もありましたし、アジアからはムンバイ(ボンベイ)の大司教が唯一任命されていました。数名のバチカンの役職に就いている大司教が枢機卿に任命されていましたが、その中にちょっとだけ意外な人物が含まれていました。それは教皇庁開発援助促進評議会(Cor Unum)の議長を務めるドイツ人のヨゼフ・コルデス大司教(73)の任命でした。

Cor Unumはパウロ六世によって1971年に創設された教会の公式の援助機関です。コルデス大司教は、正義と平和評議会議長とCor Unum議長を兼任していたエチェガライ枢機卿の跡を継いで、95年にCor Unum議長に就任していました。それから12年間、何度も枢機卿にとのうわさがでたはいたのです。それがずっと実現しなかったことから、ちょっとあきらめムードだったのですが、やっとの実現です。数年前に国際カリタスに教会法上の法人格が与えられたとき、聖座はCor Unumをそのいわば監督役として任命しました。そのため今年6月に開催された国際カリタスの総会には、コルデス大司教も初めて参加されていました。数年前からは聖座は国際カリタスがそのカトリック的性格に留意することを強く求めていましたが、Cor Unumを監督役につけることでその要求を強めていたのです。教皇様の最初の回勅「神は愛」の原案を書いたのもコルデス大司教ですが(ご本人は、教皇様が激しく書き換えられたと言われてましたが)、回勅に示された方向性で国際カリタスが動いていくようにとの教皇様の意向が今回の任命にはあるのかもしれません。なんといっても国際カリタスは6月の総会で、その総裁にホンジュラスのロドリゲス・マラディアガ枢機卿を選んでいたのです。しかもCor Unumを通じて事前に提出された候補者リストに対して、国務省は当初、枢機卿や司教は外すようにと要求してきたのですが、それも粘り強い交渉で乗り切り、総会の席でやはり枢機卿を総裁に選択したのです。そうなると当然、その上に立つ監督役が大司教のままというわけにも・・・。どうだったのでしょうね。(写真は国際カリタス総会に出席するコルデス新枢機卿)

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2007年10月16日 (火)

見るからに・・・

長野県にある宗教団体で集団暴行事件があり、被害者の方は命を落とされてしまいました。これから事実関係が明らかになるのでしょうが、20名を超える女性信徒たちが逮捕されたというのにも驚きます。どういう形でそこまで熱狂に走ったのか、人間の心の奥に潜む「悪」の存在を感じてしまいます。事実関係がまだ判然としないので、拙速な論評は避けたいと思いますが、いずれにしろ「いのち」を奪い取ることを是とする宗教はあり得ません。それと、あまり関係ないのですが、一つだけ気になったことが。16日付新潟日報には妙高の女性が逮捕された一団の中に含まれていたと報じ、近所の方の話の中にこうあります。「・・・見るからに宗教関係者という人が自宅を訪れていた」と。「見るからに宗教関係者」って、どういう風にに見える人なんでしょうね。そういう服装をしていたというのか、そういう雰囲気を醸し出していたのか。前者であれば分かりますが、後者であれば、一体どういう雰囲気が「宗教関係者」の感じなのか、知りたいところです。私もそう見えるのでしょうか・・・?

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複雑j怪奇な世界

月曜の午後は、新潟県内のカトリック幼稚園17園を統括する聖母学園の園長会が新潟教会で行われました。今回の園長会では、複雑な消費税の処理などについての理解を深めるために、会計事務所から税理士さんにおいで頂き、勉強会をいたしました。

私自身は学校法人の理事や幼稚園関係の理事長を務めた経験があるものの、現場での実務に関わった経験がなく、学校事務における税金問題を熟知しているわけではないのですが、それにしても複雑怪奇で難しいですねえ。素人の目で見れば、教育の現場でやりとりされる一部のお金に消費税がかかると言うこと自体があまり理解できないのですが、制度上は仕方のないことなのでしょう。給食の提供やバスでの送り迎えは、子どもの数が激減する現実の中で幼稚園を選んでいただく重要な要素ですから、幼稚園教育と切り離せない存在だと思うのですが、こんなところからも消費税を取るというのには驚きました。ついでにご説明いただいた所得税にしても、仕組みは複雑怪奇でありまして、専門家が介在しなければ必ずや間違いが起こるに違いないと思ってしまいました。きめ細かに対応するためには、仕組みは勿論細分化されていくのは仕方がないとしても、それに伴う書類の煩雑さや、特例に分かりにくさ。しかも「知らなかった」では済ませない制度。専門家に対する需要はますますあるのでしょうね。福祉目的に特化させて消費税率を上げるという議論もあるようですが、それ自体には反対ではないものの、できれば食品とか教育とかは除外するようにして欲しいものだと思います。

今日の午前中は、毎月の月曜会のミサでした。私の都合で、火曜日でしたが、月曜会であります。

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2007年10月14日 (日)

秋田は寒くなってました

Img_2283 金曜日から秋田へ出かけて、土曜日は大館教会の創立50周年記念ミサと祝賀会、そして本日、日曜はお隣の鹿角教会の公式訪問。無事に済ませて、先ほど「いなほ」で新潟へ戻りました。土曜日の午前中は、大館の市長さんも迎えて幼稚園の創立50周年も行われましたが、こちらは失礼させていただきました。大館教会のミサには秋田地区の神言会司祭や小教区の代表の信徒の方々も集まり、25年ほど前に当時主任司祭だった故金子神父様の時代に建設された聖堂は、参加者で一杯になりました。創設当時に故アドレル神父様によって建てられた二階建ての司祭館は今でも健在で、整理整頓と掃除の大好きな岡崎主任司祭の性格を反映して、ぴかぴかに磨き上げられておりました。ミサ後、お隣にある結婚式や会議場のある施設で祝賀会を行いました。ちなみにこの施設にはとても素敵な真っ白なチャペルが併設されており、なんと支配人は牧師の資格を持っておられるのだとか。祝賀会では、懐かしい昔の写真も上映されて、昔を思い出しながらの楽しい一時となりました(上の写真は上映された一枚。創設当初の司祭館)

Img_2293 日曜の朝には鹿角教会主任の伴神父様に運転していただいて、小坂を通って鹿角へ向かいました。このあたりは昔は南部藩で、秋田よりも盛岡をむいている地域です。東北高速道路の小坂インターチェンジもあり、盛岡や仙台へ出る方が簡単なのかもしれません。昔の小坂には鉱山があり、非常に栄えた町だったようです。当時の名残の鉱山事務所は素敵な建築ですし、明治43年頃から娯楽施設として栄えた芝居小屋の康楽館(国の重要文化財)は、息を吹き返して今でも現役です。前に立ってみると「こんな山奥にどうして」と必ず思うことでしょうが、かつての反映を今に伝える優雅な建物です。そしてここには聖心の布教姉妹会がかつて運営していた保育園もあったのです。昭和7年に建設された天使館は鉱山事務所のお隣に今でも残されており、その前には、写真のように当時働いていたシスターを象った銅像まで建立されておりました。以前は小坂にも教会がありましたが、今では鹿角教会に統合されています。途中で3人の方を伴神父の車に乗せて、鹿角へ向かいました。

鹿角(以前は毛馬内教会と呼ばれていました)教会は1920年に神言会宣教師によって創立された由緒ある教会です。第二代主任となったプール神父があまりにも強烈な印象を残し、また町の名士でもあったことから、多くの人にとって「プールさん」とは固有名詞と言うよりも、神父の代名詞となっていたそうで、プール神父のあとに来た宣教師は、町の人から「今度来たプールさん」と呼ばれたとか。今日のミサは17名の方が参加してくださり、ミサのあとには一緒にお弁当を頂きながら、楽しい一時を過ごすことができました。幼稚園が併設されており、教会よりも幼稚園の方が町では有名なのでしょうが、やはり過疎と少子高齢化の影響があり、園児数を確保する努力が以前よりも必要になっているとのことでした。(下の写真。左は大館教会の祝賀会で。右は鹿角教会にて)

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2007年10月12日 (金)

大館教会も50周年です

秋田県の北部にある大館教会も、この度創立50周年を迎え、明日、土曜日の午後から記念のミサと祝賀会が行われます。大館教会は今年度から神言会の岡崎神父様が主任司祭を務めておられます。岡崎神父様は私が神学生であった頃名古屋の神学校で聖書学の教授をしておられ、神学生の養成担当もされていた方です。南山大学を定年され延長されることなく、是非秋田で司牧にあたりたいと志願されておいでになった方です。神父様の聖書の知識を教区のために活用していただければと願っています。明後日の日曜日はお隣の鹿角教会でミサを捧げて参ります。大館は車で行くと秋田からさらに2時間ほどかかってしまうため、前回これを一度に新潟まで走ったら、翌日は血圧が上がり熱まで出て大変でしたので、今回は素直に電車に乗って参ります。

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2007年10月11日 (木)

新潟県庁へ

Img_2270 7月に発生した新潟中越沖地震の際には、全国の多くの方々からお見舞いを頂き、ありがとうございました。また私が担当するカリタスジャパンへも、多くの方からの募金が寄せられました。感謝いたします。カリタスジャパンの部分について、本日、その一部を被災者に直接手渡される義援金としていただくために、新潟県庁を田所事務局長と教区担当の町田師と共に訪問し、目録の贈呈をさせていただきました。詳しくは今後カリタスジャパンニュースなどに掲載されると思いますが、本日は義援金として3,500万円を県にお預けしました。義援金については、県が基金やそのほかの目的に使うことなく、被災者の方々が自由に使っていただけるように、他の義援金とあわせて被災者に手渡される事になります。残念ながら泉田県知事にはお会いできませんでしたが、神保和男副知事にお会いすることができました(写真は神保副知事に目録を手渡すところ)。またこのあと、かなりの時間をさいて、防災局の方々にいろいろと救援事業についてご説明を頂き、意見交換もさせていただきました。午後1時半頃に県庁の知事秘書室に足を踏み入れたら、かなりのテレビカメラが待ちかまえていて、カリタスも有名になったものだと感じ入っていましたら、残念ながらそれはもっと「大切な」他の方々を待ち受けている取材陣でありました。何だったのでしょう。今晩のニュースになるのかな?

ところで前の駐日教皇庁大使であり現在駐オーストラリア教皇庁大使であるエンブローズ・デ・パオリ大司教が、病気のため亡くなられたとのことです。73歳でした。とても気さくなアメリカ人で、人の話を良く聞いてくださる素敵な方でした。お祈り下さい。R.I.P.

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2007年10月 9日 (火)

仙台にて

Sendai0701 日曜日に米沢教会を訪問したあと、仙台へ出かけておりました。スペルマン病院や仙台司教館がある小高い丘の頂上に、オタワ愛徳修道女会の本部修道院があります。その昔はこの一帯がドミニコ会の修道院だったとか。オタワの本部修道院も、かつては丘の上に建ついかにも修道院然とした建物であったそうです。いまではその修道院も、超先進的な現代建築になっております。そのオタワ愛徳修道女会の日本管区集会のために、土曜日から集まっていたシスター方に、昨日一日、お話をさせていただきミサを共にいたしました。管区長であるシスター木田から依頼されたのは、「イエスを証しする修道者」というテーマでした。これからの日本の教会の中で、修道者がどのように生きていくべきなのかというポイントを指摘して欲しいと。難しいテーマであります。

Sendai0702 いずこの修道会も召命が激減しており、共同体の高齢化と後継者不足に悩んでおります。しかしかつて人数が増えてきた頃に拡張してきた諸事業に対する社会的責任は増すばかりで、どうしても考えは消極的に、すなわちどうやって維持していくのか、どうやって縮小していくのかという内向きな道をたどり始めてしまう嫌いがあります。現実的になるならば仕方のないことかもしれません。しかし、そのような傾向があるとはいえ、それではいま、日本において、修道者として生きていくことにはどういう意味があるのか、積極的な方向を見いだしていかない限り、極論すれば、修道者である意味はありません。勿論、教会が必要だからという理由で修道者が修道生活をしているわけではなく、修道生活に意味があるからこそ、修道者は自らその道を選択しているのです。だからこそ、どうして自分は修道者であるのかという根本を、今どういう責務が教会内であるのかとか、事業の継続とか言う側面から切り離して、一度見つめ直してみる必要があるのではと思います。1994年10月に開催されたシノドスを受けて発布された「Vita Consecrata(奉献生活)」において、教皇ヨハネパウロ2世は、「現代世界は、しばしば現存のしるしを見失っているように思われます。このような世界にあって、奉献された人々の預言者的な強い証しはますます必要です。・・・預言のとりわけ説得力ある力は、福音の宣言と生活の一致から生じます(85)」と述べました。いま、修道者に求められるのは、「福音の宣言と生活の一致」を通じて、現代社会における「現存のしるし」であろうとすることだと思うのです。

昨晩は遅くまで、シスター方の大歌唱大会に一緒させていただいて、楽しい一時を過ごしました。お隣にお住まいの平賀司教様にも、教区司祭の葬儀などでお忙しい中、お会いすることが出来ましたし、すばらしい司教館も見学させていただきました。木の温もりのある素敵な司教館でした。教区本部とカテドラルまで、ちょっと遠いのが難かもしれません。(写真はオタワ愛徳修道女会本部修道院聖堂外観と聖堂内部)

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2007年10月 7日 (日)

米沢教会でびっくり

本日の日曜日は、山形県の米沢教会訪問の日でした。ご存じのように米沢といえば、今般列福の栄誉を賜ることになった188人の殉教者のうち、ルイス甘粕右衛門をはじめとする53名の殉教者を生んだ土地です。教会から少し離れた北山原に、殉教者たちを処刑した場所が残されています。

Yonezawa0702 昨晩は6時から米沢教会で殉教者の列福に関する米沢でのお祝いについて、信徒の方々と話し合いを行いました。その結果、米沢でのお祝いは09年5月16日の土曜日に行うことになりました。教区としてはその前の一年間を特別な祈りの期間と定め、そのための特別な祈りを作成して霊的に深めたいと思っています。またこの列福を、教区の一致と福音宣教に資するものともしたいと思います。そのために何か良いアイディアがあおりの方は、私までメールなりお手紙なりでご連絡ください。お祝いのために、米沢教会の方々と共に考えながら、小冊子の発行や記念の碑の建立などを考えていますが、具体的に決定した段階でお知らせいたします。同時にこういった一連の行事を成功させるためには、どうしても資金的な面も考慮しなくてはなりません。小教区にも今一度、改めて呼びかけをしたいと思いますが、どうぞ教区の特別献金にご協力くださいますようお願いいたします。

本日、日曜の米沢教会ミサは、聖堂いっぱいの人で捧げられました。スロバキアから来日中のプロのヴィオラ奏者がコンサートの合間を縫ってミサに参加してくださり(ご本人は正教徒)、拝領の時にはすばらしい演奏を聴かせてくださいました。近隣の立正佼成会の青年たちも訪れていました。お隣の長井教会の信徒の方々も参加してくださり、元気のあるミサとなりました。ミサが終わってから信徒の方々と北山原の殉教地(上の写真)を訪れて祈り捧げ、教会に戻ってお昼を頂き、その後信徒の方々とお茶を飲んでいたら、びっくりでした。

Yonezawa0701 なんと米沢市長の安部三十郎氏が教会に現れたのでありました。53歳の若々しい市長さんは、米沢の歴史をよく研究されている方で、心の底から米沢という地を愛しておられる方だとお見受けしました。愛する郷土の殉教者が世界的に顕彰されるということで、市長さんとしても興味がおありのようでした。当然ですが、「宗教の面は教会で、歴史の面では市も協力したい」との申し出。大河ドラマのこともありますし、殉教者の存在が米沢の町の歴史の面から注目されることは、もしかしたら米沢の活性化に貢献できるかもしれませんし、大歓迎です。市長さんも、長崎での列福式がいつになったか気になっていたようで、ロータリークラブの大会が近くであった帰りに、ふらりと教会へ寄ってくださったとのこと。感謝します。(写真中央が、安部市長)

そして今宵は、仙台のオタワ愛徳修道女会本部修道院にお泊まりです。なんともすばらしい修道院であります。そのすばらしさは、またそのうちに。明日何をシスターたちに話すのか、実はまだ決定稿が手元になくて、眠られそうにありません。

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2007年10月 6日 (土)

シノドスなど

Kc280042 特別臨時司教総会は、驚くべきことに、時間通り昨日4時に終わりました。シノドスの準備文書への回答を全国各地から求め、それを高見大司教様が一つにまとめた文書についての話し合いだったのですけれど、そういう性質の文書ですから、内容についていろいろと議論すること自体がそもそも難しい。書かれていることは、確かに誰かが表明された意見ですから、その可否を議論しても仕方がない。そこでそのまとめの文書は文書として、全国的にいろいろな意見が様々にあったことをそのまま記すことにして、これを第二部とし、第一部には会議で出された司教さんたちの様々な意見をまとめて記すことにしました。聖体に続く次のシノドスのテーマは御言葉です。世界的に見て修道会などでも御言葉に対するテーマはトレンドですし、伝統的ないわゆる「要理」中心に陥ることなく、また御言葉を単に要理の傍証として利用するだけではなく、御言葉自体に耳を傾け、祈り、学び、さらに御言葉に基づいて分かち合うことの重要さは無視することが出来ません。聖書の研究も重要ですし、わかちあいも重要ですが、加えて今回の文書には伝統的な修道院での聖書による朗読と瞑想に基づく祈りの方法である「レクツィオ・ディビィナ」の重要性が繰り返し述べられています。テーマ自体は大変時宜に適ったモノであるとは思いますが、従来のシノドスという会議の手法がはたして教会全体にとって即効力のある影響を及ぼすだけのモノになっているかどうかには疑問も残ります。そろそろ一度、シノドスの運営方法について、見直してみることも必要ではないかと感じました。(写真は総会の行われた、潮見にあるカトリック会館の大会議室であるマレラ・ホール)

ところで、来年は教会にとって二つの重要な国際的行事があります。一つは7月にオーストラリアのシドニーで開催される世界青年大会(WYD)。もう一つは6月にカナダのケベックで開催される世界聖体大会。巡礼団に参加してみませんか。青年はWYDに。それ以外の方々は国際聖体大会に、いかがでしょう。前者の団長は郡山司教、後者の団長は高見大司教です。

WYDについては公式ホームページをご参照下さい。新潟教区からも是非、教区の代表として青年に参加していただきたいと願っています。興味のある方は、教区の青少年司牧担当の石黒師・高橋師にご相談になるか、主任司祭にご相談下さい。なおシドニーの日程が7月ですので学生の参加が難しいと思われるため、8月に日本でも日本版が開催されることになっています。これにも参加者が新潟教区からあればと願います。

国際聖体大会は今後案内が掲載されるようになると思いますが、日程は、大会自体が08年6月15日から22日。巡礼団は6月14日出発で大会後にカナディアン・ロッキーの観光付き14日間コースと、モントリオール市内観光付きの12日間が用意される予定です。

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2007年10月 4日 (木)

一体何を会して議するやら

またまた東京です。月の第一木曜日は、10時から常任司教委員会。よくもまあ、毎月一回集まって話し合うことがあるものだと感心いたします。今日は常任が終わると社会司教委員会。そして明日は臨時特別司教総会であります。ほぼ全員の司教が集結して、一体どのような一大事が話し合われるのかと言えば、次回のシノドスに代表として出る高見大司教様がまとめられたシノドスのリニアメンタへの回答書を全員で話し合う。絶対に早く、インターネットなどを利用したテレビ会議システムを導入するべきだと思うのでありました。金曜は会議後に新潟へ戻り、土曜の午後には米沢へ。殉教者の列福に関して、米沢での準備について意見交換の予定。そして7日の日曜は米沢教会でミサ。そのまま車で仙台へ。8日の月曜は仙台のオタワ愛徳修道女会でシスター方にお話をして、9日の火曜には新潟へ戻ります。

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2007年10月 2日 (火)

試される理念

アフリカには50を超える国が存在しますが、その中にはいくつかの島国が含まれています。大西洋に浮かぶカーポベルデもその一つ。サルという島に国際空港があります。あまり人に知られることもないこの空港に、15年ほど前まではある航空会社のジャンボ機が頻繁に飛来していました。飛来していたのは、南アフリカ航空のヨハネスブルグと欧州を結ぶ便。1994年に南アフリカが人種隔離のアパルトヘイト政策を廃止するまで、アフリカの多くの国が南アフリカと断交しており、同航空会社の便も寄港や領空通過を拒否されていたのです。そのためひたすら大西洋上を迂回して飛ぶしかなく、この小さな空港で給油をして欧州へと向かっていました。

その頃私たちの国は、表向きはアパルトヘイト政策を批判していたものの、経済的交流に関してはかなりあいまいな方針をとっていました。一体その人種隔離政策を批判しているのか容認しているのか、表向きの説明でなく現実の態度から、日本はあいまいさを、非公式に非難されてきました。外交の理念が問われたのです。

いままた、ミャンマーで起こっている出来事に対して、日本政府がどのように対応するのか、結構注視されているのではないかと私は思っています。とりわけ、不幸なことに日本人のジャーナリストが凶弾に倒れるという事件もあり、この事件を巡って日本政府がどのような対応をとるのか、アジアにおけるリーダーを目指す大国が、果たして理念を持って外交にあたるのかどうかが問われるのではないでしょうか。経済問題や歴史的関係などを含めて、様々なしがらみがあろうとは思いますが、外交の根本に確固たる倫理観に裏打ちされた理念を持って取り組んでいただきたいと思います。

教皇様は日曜日のお告げの祈りの際に、次のように呼びかけておられます。

「わたしは大きな不安をもって最近ミャンマーで起こっている事態を見守っています。そして、今悲しむべき試練を経験している愛するミャンマーの人々に心を寄せていることを表明したいと思います。わたしは彼らと連帯し、深い祈りをささげることを約束します。また、わたしと同じことをしてくださるよう全教会にお願いします。わたしはミャンマーの善のために平和的な解決が見いだされることを強く希望します」

ミャンマーのカトリック教会は、祈りのうちに平和を求めるように呼びかけています。ミャンマーの教会の方々と心を合わせ、ミャンマー全体に真の平和が与えられるように祈りたいと思います。

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長岡にて聖フランシスコのお祝い

Img_2238 毎年10月の最初の火曜日には、長岡の表町教会で、アシジの聖フランシスコのお祝いが行われます。長岡地区のフランシスコ会会員と第三会員、そして教区司祭も参加して共にミサを捧げ、そのあとは長岡のフランシスコ会ご自慢のイタリア料理を皆で頂きます。本日10月2日は、今年の10月の第一火曜でしたから、11時からミサを捧げ、そのあと昼食をいただいて参りました。数名の教区司祭が、明後日までさいたま教区司祭と共にスペインへの巡礼に出かけているために、例年より参加者がちょっと少なかったものの、楽しい一時でした。食事の最後は主任のブルーノ師ご自慢のイタリア式エスプレッソ・コーヒーで締めくくりでした。写真はケーキカットをするブルーノ師と教区司祭代表の高藪師。

先週の福岡では、久しぶりにアルスの司祭聖ヴィアンネの聖人伝を耳にする機会に恵まれましたが、ヴィアンネの生涯はそれはそれは常人が決して耐えることの出来ないようなすさまじいものでした。寝るひまも惜しんで告解を聞き、訪れる人の相談に乗り、祈り、ミサを捧げ、苦行も忘れない。自らの人生は決して自分のためにあるのではなく、すべて誰かの役に立つために捧げるという、究極的な福音の精神に基づいた生き方です。アシジの聖フランシスコも同様に、福音に基づいて生きようとした究極の生き方をしたのだと思います。勿論私たちは聖人と同じような生き方が簡単にできるはずもありませんが、しかしその精神には多少なりとも与りたいと思います。イエス・キリストに従う人生は徹底的な自己犠牲を求めるのではないでしょうか。徹底的に福音的価値観に生きることを求めるのではないでしょうか。そしてそうすることが出来ない自分の弱さに直面するとき、素直に神に助けを求める謙遜さが必要なのではないでしょうか。徹底的に福音に生きようとすることもなく、それが出来ない自分の弱さを認めて謙遜になることもなく、ごくごく表面的な事柄に囚われて互いに口汚くののしりあう人間の性には、救いは見いだし得ません。自分は神の前に一体何ものであるかを神にどう申し開きをするつもりなのか、考えてみることも、時には必要でしょう。

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