アドリミナの公式行事最終日となった12月15日(土)は、個人謁見となった司教様方を除いて残りの全員でまず国務省へ出かけました。国務省は教皇宮殿と同じ建物の中にあり、さすがにバチカンの中枢部ですから、他の省庁と違って簡単には立ち入ることができません。スイス衛兵による何度のも確認のあと、やっと国務省に通され、残念ながら長官は不在でしたが次長とお会いすることができました。国務省からは日本の政治状況についてとか、平和憲法の行方、北朝鮮の問題などについて、いろいろと質問がありました。すでに司教団の社会問題に関するメッセージなどの資料は翻訳して提出されていますし、さすが国務省では、日本を取り巻く政治状況についてかなり細かい問題まで把握されている様子でした。
12時からは司教団全員で教皇様と謁見です。全員が司教のスータン姿になって勢揃いするのは、私にとって初めての経験です。通されたのはクレメントの広間のもう一つ奥にある大広間。枢機卿会議の時に使われる部屋だと聞きました。教皇様の席に向かって左からまず会長である岡田大司教と副会長の池長大司教。その次に高見大司教。あとはいわゆるオルド順(司教に叙階された順番)であります。岡田大司教の挨拶、教皇様のメッセージ、一人ひとりがご挨拶に行き胸掛け十字架を頂き、最後に祝福を頂いて全員写真を撮影して終わりです。岡田大司教の挨拶のあとにちょっとしたハプニングが。挨拶が終わると岡田大司教が教皇様のところへ進み出て、挨拶文を手渡して握手することになっていたのですが、手間取っている内に教皇様のほうから席から降りて岡田大司教の方へすたすたと近づいてくる。というのも、司教団では西陣織の聖母子像の額を贈り物に用意していたのですが、その目録を渡すかどうかでちょっと手間取ってしまったのでした。でもそうやって教皇様が直接歩いてこられて、にこやかに岡田大司教の方へ手を伸ばされて、その場の雰囲気は確実に和やかになりました。
教皇様のメッセージは、まもなく邦訳が中央協のホームページにも掲載されることでしょうが、日本の教会としては予想以上のすばらしいメッセージを頂きました。まず宣教の必要について次のように述べられました。
『大胆に、勇気をもってキリストを宣べ伝えなければならないことは、教会にとって変わることのない優先課題です。実際それはキリストが教会に与えた荘厳な務めです。キリストは使徒たちにこう命じたからです。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16・16)。現代の皆様の課題は、現代日本の文化的状況の中で、キリストの知らせを生き生きとしたしかたでもたらすための新しい方法を探ることです。キリスト信者が人口のわずかな割合を占めるにすぎないとはいえ、信仰は日本社会全体に分かち与えなければならない宝です』
次に、日本社会に対して神への希望を呼び覚ますことを求めて次のように述べられました。
『皆様の国のようなきわめて発展した国々においても、経済的な成功や技術の進歩だけでは人間の心を満たすことができないことに多くの人が気づいています。神を知らない人には「究極的な意味で希望がありません。すなわち、人生全体を支える偉大な希望がありません」(教皇ベネディクト十六世回勅『キリスト教的希望について(Spe salvi)』27)。人生には職業上の成功や利益を超えたものがあることを、人々に思い起こさせてください』
そして日本の教会の信徒の半分が、外国籍であることにふれ、『すべての人が教会に受け入れられていると感じることができるような措置を講じることによって、皆様は移住者がもたらす多くのたまものを活用できます』と言われました。
さらに、日本がこれまで国際社会で果たしてきた平和をあかしする立場を、世界の他の国々が学ぶことのできる知恵だとして評価した上で、『皆様は、武力紛争が罪のない人々に多くの苦しみをもたらしている世界の中で、この平和へのあかしの変わることのない重要性について、ますます教会の声を示してこられました。わたしは、皆様が日本の国民生活における公共的なことがらに関して発言し続け、さまざまな声明の広報と宣伝に努めてくださるよう勧めます。それは、これらの声明が社会のあらゆるレベルで適切なしかたで知られるようになるためです』と司教団の社会的活動と発言を評価してくださいました。
12月16日(日)には、早朝に帰国された一部の司教たちを除いて、残っている司教が参加して、梅村司教の司式で濱尾枢機卿の追悼ミサを行いました。会場となったイエズス会総本部聖堂には、上野駐バチカン大使を始め、カトリック日本人会の方々、移住移動者評議会の職員の方々など、多くの参加を頂きました。濱尾枢機卿がローマでいかに愛され尊敬されていたのかを感じることのできる一時でした。そういえば、サンタマルタでも、掃除をしてくださる職員の方々が、私にはその中のフィリピン人の方を通じて、いかにサンタマルタの職員たちが濱尾枢機卿を尊敬していたかを語ってくれました。日本の教会にとっても大きな損失でした。
12月17日(月)午後には、アドリミナと直接関係はないものの、上野大使と国際カリタスのナイト事務局長と、市内の中華料理屋で昼食を共にしながらいろいろと話し合いました。非常に興味深い一時でありました。
今日はアッピア街道にある聖セバスチアノのカタコンブに初めて出かけてきました。いつもは何十人のグループで説明を聞くのだそうですが、ありがたいことにクリスマス直前のオフシーズンで他にグループはなく、たった二人でガイドさんに説明を受けました。あの有名な「クオ・バディス・ドミネ(主よ、どこに行かれるのですか)」の聖堂にも行ってきました。大きなイエスの足跡が残っています(すぐ上の写真。実はレプリカで本物は聖セバスチアノ聖堂に)。さあ、明日は、日本へ、帰ります。