仙台で強烈に祈る3人の人影
久しぶりに雪だという仙台を体験して参りました。一昨日の日曜は、仙台も真っ白。おかげで泊めていただいた仙台司教館まで、迎えの車が上がってこられない。なんと言っても仙台司教館は、スペルマン病院のお隣の小高い丘の上にありますから、そこへ至る直線の坂道は、滑り台状態であります。ちなみに昨年訪問したオタワ愛徳修道女会の修道院は、さらにその上の丘の頂上になるのでした。
仙台と新潟を結ぶ高速バス。仙台へ出かける人なんてそんなにいないだろうと高をくくって新潟駅前のバス停に出かけてみると、人だかりがしているではありませんか。新潟交通の仙台行きは満席でありました。案内された東仙台教会(司教館と同じ敷地内)では、午後6時から集まった信徒全員で、しかも聖堂一杯の全員で、教会の祈りを利用した夕の祈り。司式したのは平賀司教様。その後、ホールでの夕食会となりました。今回の黙想会は東仙台教会とカテドラルの元寺小路教会との合同黙想会ということで、前晩の夕食会からすでに合同であります。おいしく鍋を囲んで、そしておいしくお酒も頂きました。翌日は朝9時半から元寺小路教会でミサ。そしてその後1時間半ほどを頂いて、講話をさせていただきました。ミサ中には灰の式もあり、また講話の後には10分ほどの沈黙の一時と祈りがあり、プログラム終了は1時近くになりました。最後は持参の弁当で昼食会。
何とはなしに書きましたが、特筆すべき事が。それは、到着してから帰るまで、平賀司教様を除いて神父様にあったのは、日曜のミサの間だけ。ミサ前の香部屋で氏家師にあって一緒にミサをした間だけで、それ以外は一切神父が存在しない。にもかかわらず、土曜の夜の夕の祈りから始まって日曜の最後の祈りまで、信徒の手によってしっかりと企画され運営されている。これはすばらしいことでした。この地域は共同司牧になっており、司祭は複数の教会を抱えるため、必ずしも司祭が中心になって教会行事を進めるということではなく、信徒が中心になって行事が進められていく。これまでのいきさつの話は、両方の教会の信徒会長さんを始め信徒の方々から聞かせていただきました。いろいろと長年の苦労があって、ここまで到達したとのこと。自分の所属小教区のことだけを考える姿勢から、全体としての教会の姿を捉えて考えるようになってきたこと。4月からの人事異動ではこの地区に配置される司祭の数が増えるとのことで、これまで培われた信徒の自立した動きに、司祭がまた深く関わることで、よりいっそうの共同体の成長があることでしょう。またミサ後には、数名が鹿児島のネットワークミーティングに出かけたというものの、しっかりと若者が集まって楽しく学びあっておりました。前晩の夕食の時もこの日も、若い人たちの人数の多さに、多少のうらやましさも憶えました。
元寺小路の聖堂は二階席まで一杯でした。祭壇あたりからふと二階を見上げると、一番右端に一生懸命祈る三人の人影が。微動だにせず真剣に祈る姿が気になってちらちら見ていましたが、ミサ後に良く眺めてみると、彫像でありました。何の彫像か聞くのを忘れました。
帰りの高速バスはこれまた満席。私の回りはどこかの高校のラクロス部の女子高生たち。それはそれで疲れてしまいました。新潟駅に着いてから、名古屋の味「ココイチ」で夕食。(写真は元寺小路教会の聖堂内で沈黙のうちに祈る黙想会参加者)
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