世界遺産
昨日、帰国しました。タイでは会議が思いの外素早く終了してしまったため、せっかくなので、というかまるで最初から予定されていたかのように、どこかへ行こうということになりました。出かけた先は、バンコックから飛行機で50分ほど、タイ北西部にあるスコータイ遺跡で、世界遺産の一つであります。この地域の歴史をよく知らなかったので、今回はいろいろと勉強になりましたが、13世紀から14世紀にかけて栄えたタイ族の最初の王朝であるスコータイ王朝の遺跡です。その次が、山田長政などで日本でも知られたアユタヤ王朝だとか。バンコックからタイ航空で近くの町ピサヌロックへ飛び、そこから車で一時間でスコータイの新市街。さらに10分ほどで遺跡群のあるスコータイの旧市街です。周囲はバンコクのような大都会とはまったく異なる、美しい田園風景が広がっています。
全部で一体いくつあるのか分かりませんが、広大な地域に寺院の遺跡が点在している。ゆっくりと時間をかけなければ、すべてを見ることはできないだろうと思います。中心は城壁(土塁)で囲まれたスコータイ旧市街に集中しているいくつかの寺院(写真)。あまりの数の多さに、スクーターを借りて炎天下をいくつも走り回ったので、日本でのこの季節には不釣り合いな鼻先が真っ赤になるという妙な日焼けをしてしまいました。廃墟のような寺院の中にかすかに残された仏像の痕や、形がしっかりと残っている、または修復された仏像、柱だけが残されている多くの建物。復元図を眺めながら、700年近い時間の流れの力を実感しながらも、しかしまだそこに残されている神聖さには身も心も引き締まるような思いがいたしました。その昔、一体そこにはどのような時間が流れていたのでしょう。
ユネスコによる世界遺産というシステムが近頃日本でも注目されるようになっていますので、新しい制度かと思って今回調べたら、思いの外歴史のある制度だったのですね。無知でした。世界遺産条約自体は1972年に成立して75年には発効。きっかけはエジプトのアスワン・ハイ・ダム建設に伴い水没する遺跡の保護だったとか。しかしこうした制度があるおかげで、例えばジャングルの中に埋もれ朽ち果てていってもおかしくないスコータイのような遺跡が保護され、後世に伝えられていくのですから、その意味ではよい制度であると思います。そして今回見た限りでは、登録されることで観光客も増加し、地元には観光産業によって生計を立てている人も増加するという意味での経済効果もある。国も空港や道路を整備する。観光によって外貨収入を得る必要のある国にとっては、とても魅力的な登録制度であろうと想像します。
ところで、さらにせっかくなので、スコータイから車に乗って3時間ほどさらに西へむかい、メーソットの町で歩いて国境をわたり、ミャンマーをちょっとだけ訪ねてきました。タイ側のメーソットとミャンマー側のミャワディの間にはモエイという細い川が流れており、ここには立派な国境の橋が架かっております。タイ側で出国の手続きをして、ミャンマー側へと歩きますと、橋の中央部、それこそ国境付近では車線が一車線に絞り込まれ信号機がついています(動いていませんでしたが)。というのもこの地点で、道路の通行方式がタイの左側通行(日本と同じ)からミャンマーの右側通行に入れ替わるのであります。ミャンマー側につくと500バーツ(1800円ほど)を払ってパスポートを預け、引換券をもらって「夕方5時までには帰るように。ミャワディからでないように」と指示されて、ミャンマー入国となりました。このあたりからさらに南部にかけては、ミャンマーの少数部族であり、かつ長年にわたって自治を主張して戦っているカレン族の拠点地域です。折しもこの日はカレン族が闘いを始めてから59回目の記念日。先のヤンゴンなどにおける僧侶を中心とした反政府行動による暴動のこともありますから、さぞかし緊張しているかと思いきや、あにはからんや。非常にのんびりと、いつものように、賑やかにそして穏やかに、時間は過ぎておりました。日本人の味覚にとてもマッチしたおいしいミャンマーのご飯を頂いて、マーケットを見て回って、金ぴかのお寺を訪問して電飾に飾られた仏像を拝見し、帰って参りました。
ミャンマーにおけるカレン族とカトリック教会の関わりについて、いつかどこかに書く準備をしようとは思います。植民地時代、植民地内に部族対立による緊張を持ち込み、外部からのコントロールを容易くするという、おきまりの植民地政策のためにカレン族へ意図的なキリスト教化が図られたと言います。そして独立後は、仏教が中心のビルマ族政権は、独立を目指すカレン族を抑えるために、カレン族内の仏教徒優遇策をとって分裂を誘発させようとしてきたようです。カトリック教会は、立場としては少数民族側に立ってきているのですし、その意味で政府とは微妙な関係に常におかれています。先回の暴動の際にミャンマー司教協議会が出した声明には、そのあたりの事情が如実に反映されているのですし、その背景とミャンマーにおける教会の立場を理解できれば、あの声明が本当に言いたいことが本文の間から見えてくるのだと思います。
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