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2008年5月31日 (土)

来週は司教総会の週です

Ca390068 明日は年間第9主日。「聖書と典礼」によれば、A年の年間第9主日の朗読が読まれるのは1984年以来の久々のことになるとか。いつもは、四旬節や復活節に隠れてしまうこの主日も、今年は復活が早かったので久しぶりの登場です。明日は、長岡地区大会が長岡の福住教会で開催されます。私が殉教者についてお話をする予定になっています。(ちなみにこの写真は、列福を記念して販売されているバナーです。中央協議会のロビーにて。三つの標語それぞれにサイズはもっと小さいものから、大中小と三つあるようです。詳しくは中央協ホームページのこちらまで

来週月曜日、すなわち6月2日の午後から金曜日までは、定例司教総会が開催されます。ちなみにすでにお知らせしたように、最終日、金曜日の午後には、イグナチオ教会でパウロについての公開講演会と三大司教によるパネル・ディスカッションもあります。三大テノールの競演ではなく、三大司教の競演です。司教総会には様々な議案が提出されていますが、いつものように典礼の翻訳が一つの重要な課題です。詳しくはまた現場から。

そしてその次の日曜日、6月8日は新潟市内の青山教会訪問。9日から11日までは教区の司祭の集いの予定となっています。その後6月15日には新潟清心高校を会場に、移住・移動者のための集まりとミサが行われる予定となっています。

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2008年5月30日 (金)

ちょっとは品格を見せつけた国、日本

イエスのみこころの祭日です。みこころへの信心については、以前「初金(はつきん)」について書いた記事があるので、ご参照下さい。秋田や新潟で働いて下さる「聖心の布教姉妹会(本部は藤沢)」の創立記念日にあたるそうです。もともとは初代の新潟教区長ライネルス師(神言会)によって創立された修道会です。新潟教区のために献身して下さるシスター方の働きに感謝いたします。

さてそんなお祝いの日に、日本政府がクラスター爆弾の全面禁止に同意したというニュースが報道されました。一部の最新型を除いての禁止だと言いますが、それでもこれまで大きな問題とされてきた不発弾による紛争や戦争後の長期にわたる市民への被害が少しは減ることが期待されます。特に知らずに不発弾に触れた子どもが被害にあったなどという話を聞くにつけ、こういった人道にもとる兵器は、徐々になくしていく方向へ人類が進むことを祈ります。残念ながら、この兵器を大量に保有しているといわれるロシア、中国、合衆国が今回の協議には参加していないのだそうですが、日本政府の倫理的気高さをちょっとは見せつける格好になった今回の決断が、それらの国へも何らかの影響を及ぼすことを願わずにはいられません。対人地雷禁止条約の時の小渕恵三外務大臣の決断と共に、今回の福田首相の決断も歴史に名を残すすばらしい決断であると思います。

昼前に閉会したTICAD(アフリカ開発会議)でも、日本の貢献がいろいろと賛美されていました。もちろん援助と引き替えの賛美ですから額面通りには受け取れないものの、例えば昨日夕方に演説したコロンビア大学のジェフリー・サックス教授による日本政府賞賛には、多少は素直に喜んでも良いのかもしれません。MDGs(ミレニアム開発目標)実現を通じた貧困撲滅の旗手とも言うべきサックス教授は、02年から06年まで自らが責任者を務めたミレニアム・プロジェクトの中で、日本の貢献を高く評価していました。特に、日本政府が10億を超える資金を拠出したミレニアム・ビレッジと、07年版ODA白書でも外務省が民間との協調の例として掲げる住友化学の薬剤を塗り込んだ蚊帳のを、サックス教授、盛んに称えておりました。「私たちはすでに計画を手にしています。何をするべきかも分かっています。後はそれを実行するだけなのです。道具は用意されています。後はそれを使うだけなのです」と、政治リーダーの決断を、サックス教授は促しておりました。

住友化学のオリセットネットと呼ばれる蚊帳は、マラリア対策として高く評価されているようです。適度に風邪を通すのに編み目を抜ける蚊はしっかりとやっつけてしまう。私がガーナにいたときに、こんな蚊帳があったら良かったのにと思ってしまいます。当時は、年に最低でも2回はマラリアにやられておりましたので。ODA白書には次のようにあります。

『2005年7月、G8グレンイーグルズ・サミットにおいて小泉純一郎総理大臣(当時)は、アフリカにおいて多くの子どもが犠牲となっているマラリア対策として、2007年までに殺虫剤が浸漬した蚊帳1,000万張りをアフリカ諸国で配布する方針を打ち出しました。2007年8月末現在で、主に無償資金協力により国連児童基金を通じて、アフリカ27か国に対して約950万張りの蚊帳(総額約67億円相当)を配布しました」

このうちの約690万張りが、住友化学の製品だと言います。こういう人々の印象に残る援助を行ってこそ、アフリカに本当の友好国が誕生していくのだと思います。この数日、日本はちょっとは国の品格を醸し出すことに成功したのかもしれません。

P.S.

クラスター爆弾の禁止条約に関しては、アイルランドのダブリンで今回の国際会議が始まる前日の十八日、ジェノバを訪問しておられた教皇様も、禁止を強く訴えておられました。CNSによれば、バチカンは長年にわたってクラスター爆弾の禁止を訴えてきており、今回の国際会議で参加各国が責任ある態度で協力で信頼できる枠組みが成立することを希望すると述べられたと言うことです。

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2008年5月29日 (木)

緒方貞子さんの美しい英語

昨日から横浜で、第四回目となるTICAD(アフリカ開発会議)が開催されています。外務省はインターネットで会議場を中継していますから、リアルタイムで様々な方の演説を聴くことができて、興味深い時間を過ごしています。今ちょうど(会議二日目の午後2時から)JICA理事長の緒方貞子さんが演説をされました。いつもながら、なんと美しく流暢な英語であることかと、感じ入りました。ただ、テーマと時間が限られたため、報告演説のようで、緒方さんとしてはもっと言いたいことが個人的にもあっただろうなと想像します。勝手な想像です。

さてそもそもTICAD とはなにか、先日の「家庭の友」に書いた拙稿の一部引用から。

『そもそもTICADとは何なのでしょう。外務省は国内向けに「アフリカ開発会議」と称していますが、英語略称の「T」は「東京」の頭文字ですから、本当は「アフリカ開発東京国際会議」という名称の会議です。第一回目は一九九三年十月五日と六日。「アフリカ諸国(四十八か国)、援助国(十二か国)、EC、国際機関(八機関)及びオブザーバー多数、延べ約千名の参加」を得て開催され、「東京宣言」が採択されました。
 「東京宣言」は、アフリカ支援の必要性を強調しつつも、援助だけではアフリカの問題が全て解決されることはないと指摘し、さらに援助のためにはアフリカ諸国の対応(民主化、良い統治等)が必要であることも指摘しています。その上で、アジアにおける経験をアフリカ開発に生かす可能性にも言及していました。
 つまりTICADとは、日本政府が音頭をとって、国連諸機関や世界銀行とともに、アフリカ諸国のリーダーや援助国の代表を一堂に集め、アフリカ開発のための諸課題を話し合い、さらには国際社会にその重要性を訴えようという場なのです。
 日本政府がこのような会議の主催に踏み切った背景には、もちろんいくつもの前向きな動機もあったと想像しますが、その時代の流れも見逃せません。九〇年代初頭という冷戦終結後の世界にあって、ソ連がアフリカ支援の主役から姿を消した後、欧米諸国はアフリカ援助に疲弊感を感じ始めていました。そこで、国連安保理常任理事国問題など、いわゆる日本の大国化政策の一環として、数の多いアフリカ諸国を味方に引き入れようという思惑もあったのではないかという指摘もあります(以上、『家庭の友』6月号より一部引用)

昨日の開会演説で福田首相はかなり思いきった約束を連発しました。90年代初めからかなり強烈に資源外交を進めてきたお隣の中国に、かなり後れをとったことは間違いありません。そういう意味では次々と登壇するアフリカの首脳が、やたらと日本を賛美し感謝する演説をするのは、今回の日本政府の約束へのリップサービスなのか、本心の表れなのかよく分からないところがあります。長期的にアフリカの支持を国際社会で取り付けておきたいのなら、現時点での政権を喜ばせることばかりでなく、やはり広く一般市民が日本に対して良いイメージを持つことができる援助をしていく必要があると思います。その点で、中国が成功しているとは言い難いところがあります。日本政府には、やはり高い倫理規範を掲げ、人道的視点から、地道であっても継続して広く市民社会へ浸透する援助を続けていくことが、長期的には国益に適う結果が得られるであろうと思います。

明日発表される最終宣言にも注目したいと思います。

カリタスジャパンでは国際カリタスなどと協調しながら、G8サミットに向けた葉書キャンペーンを始めています。(詳しくはこちらをクリック)カトリック新聞の次号でも取り上げて頂いています。以前のサミットで行った公約をサミット諸国が捨て去ることのないように、議長国としてリーダーシップを発揮して欲しいと、福田首相に訴える内容です。ご協力頂き、現代世界におけるG8サミットの位置づけなどにも興味を持って頂けると幸いです。少なくとも今回のアフリカ開発会議での公約を通じて、日本政府はアフリカ支援に関して自信を持って発言できる立場を確保したと言えるのではないでしょうか。是非、サミットの場で、他の首脳たちにもアフリカ支援を呼びかけて下さればと思います。

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2008年5月28日 (水)

秋田で顧問会

月曜日の朝8時半頃に新潟駅を出発する羽越線の特急『いなほ』に乗って、秋田へ出かけてきました。教区の顧問会を秋田で行うためです。年に二回、新潟以外の地区で、顧問会を開催することにしています。それで今回は秋田地区。

現在の顧問会には、各地区からの代表が一名ずつ任命されています。それで今回は秋田地区からの顧問、飯野師のご案内で、土崎教会で会議を行うことになりました。新潟駅から乗車したのは、私以外に、総代理の川崎師、事務局長の大瀧師、顧問の高藪師、ブルーノ師。それぞれに分散して窓際に席を確保し、それぞれに分散して3時間半ほどの旅程を、瞑想と思索のうちに「静かに」過ごしたのでありました。

新潟を出発したときには穏やかであった大空は、秋田駅に着くやいなや、一天にわかにかき曇り、バケツをひっくり返したかのような大雨となりました。これにはビックリ。道路脇の排水溝からは、処理しきれなくなった雨水が、逆に噴き出してくるほどの勢い。

実はいろいろとハプニングがありましたが、いずれにしろ土崎教会の信徒の方々に暖かく迎え入れられ、先に到着していた山形の本間神父様を加えて、午後2時頃から5時過ぎまで顧問会を行いました。一番時間をかけたのは、先に開催された宣教司牧評議会での議論を受けて、私が夏には発表するはずの司牧書簡にどのような内容を盛り込むかの意見交換でした。

夜は秋田の街の中心部にある入浴施設を備えたホテルに宿泊。日帰り温泉施設なので、ホテルに泊まるときにも下駄箱に靴を預けるため、洋式ホテル内をスーツ姿で靴を履かずに絨毯の上を歩き回るというスタイルで、何となく違和感があります。夕食のためにそろって入った施設内の食堂では、偶然月に一回のビンゴ大会の日。私以外のすべての顧問が、某かの賞品をゲットしておりました。私は生来クジ運が悪いですから。

翌火曜日は午前10時から土崎教会でミサ。沢山の信徒の方においで頂きました。信徒の皆様には会議のためにいろいろと準備を頂き、感謝申し上げます。

Darc0801 12時半頃の『いなほ』ですぐに新潟へ帰るところ、私と大瀧師は予定を変更し、本間師と共に秋田ダルクへ。入院していた代表の平原さんが退院されたとのことで、お見舞いに出かけました。平原さんの奥様とまだちっちゃなお子さんも、先日秋田教会で洗礼を受けられたと聞きました。6月の教区司祭の集いでは、メインテーマの典礼について典礼委員会の白浜神父様(スルピス会)にいろいろ教えて頂く予定ですが、それ以外にも、カトリック新聞や、カ障連の代表、そしてダルクの方々においで頂き、それぞれのアピールの時間を設けてあります。カトリック新聞は購読者拡大、カ障連は来年の全国大会について、そしてダルクは活動への理解と新潟でのダルク設立への協力要請などをして頂く予定。昨日の秋田ダルク訪問でその内容を少し確認しました。

そのまま本間神父様に酒田まで送ってもらい、3時52分の新潟行き『いなほ』に乗り込み、再び瞑想と思索にふけりながら戻って参りました。(写真は秋田ダルク)

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2008年5月25日 (日)

直江津教会堅信式

Naoetsu080525 WYDの集いの合間を縫って、本日の午前中は上越市にある直江津教会を訪問し、堅信式を行いました。最初の予定では先週の日曜に訪問するはずだったのですが、宮原司教の着座式に出席するため、変更をお願いしたものです。

フランシスコ会のフーベルト・ネルスカンプ師が主任を務める直江津教会は、同じ上越市にある高田教会と較べると小さな共同体です。小さいけれど、立派なオルガニストの存在もあり、しっかりと歌ミサができました。堅信を受けたのは三名の方。昨日、講演のために新潟を訪れていた中央協議会の久志師も一緒に来て下さいました。フーベルト師は船員司牧の教区責任者でもありますし、直江津港には信徒の外国籍船員を乗せた船もしばしば入港することから、そういった方々への司牧的配慮もこの教会の重要な役割です。そして地域のためには、保育園の存在もあります。

ミサ後には一階のホールで持ち寄りパーティーとなりました。主任司祭の性格を反映しているかのように、飾らない家庭的なたのしい一時でした。

P.S.  明日と明後日、教区顧問会が秋田で開催されますので、月曜朝の特急「いなほ」で秋田へ出かけます。顧問会終了後、明後日火曜日の午前10時から教区顧問団と一緒に、土崎教会でミサを捧げる予定です。

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WYDプレカテケージス

Wydpre01 昨日24日(土)の午後1時から、新潟教会を会場に、WYD(ワールド・ユース・デー)準備のための若者の集いが行われました。この集まりはWYDの事務局によって企画運営され、全国各地で順次開催されているのですが、今回の新潟の集いが第4回目となります。東京からはるばる駆けつけた青年たちや、仙台とか大阪からやってきた方、さらに教区内各地の青年たちも含め30名近い参加者が集まった昨日の集いは、東京教区の高木神父様の司会進行で始まりました。東京からの参加者には、8月に山梨県で開催される日本版WYDの実行委員の青年たちやネットワーキングミーティングを企画している青年たちがいて、盛んにアピールしておりました。新潟の青年たちにはいろいろな意味で刺激を与えてくれる存在であったと思います。

Wydpre02 昨日の集いでは、まず私が「イエスのまなざしを求めて」というテーマで、信仰の根本になければならない「こと」についてお話をいたしました。「シボレテ」の話です。続いて長崎教区司祭で、現在は中央協議会事務局次長を務める久志利津男師が「信仰宣言について」の講話をされました。どんなおもしろい話であったかは憶えていないのですが、が、しかし、非常にユーモアに富んだ話を交えて、しかしきっちりと信仰宣言の歴史について時間内でまとめあげるあたり、さすがに長崎の司祭です。私にも勉強になりました。(写真は久志師の話に耳を傾ける参加者)

その後質疑応答や30分ほどの「わかちあい」を経て、一緒にミサを捧げて終わりといたしました。質疑応答などに時間がかかったので、予定を30分オーバーして5時半終了でした。その後、私と久志師は、ちょうど到着した松浦悟郎司教やスタッフと夕食に出かけましたが、かなりの青年たちがそのまま新潟教会に泊まっていきましたから(寝袋持参で東京からやってきていました)、そのまま夜遅くまで語り合っていた模様です。つくづく、WYDに参加する司教は、野宿ができなければならないのだと、寝袋を見ながら再確認したのでした。

Wydpre03 そして本日、25日の午後1時からは、会場を長岡の表町教会に移して、第5回目の集いが開催されました。企画者側の意図なのかどうかよく分かりませんが、それほど表立って大きな宣伝はしなかったこともあり、昨日の新潟でもどれほどの参加者があるのか心配でした。実は、空っぽの部屋で話をする夢を見たくらい、心配してました。それで新潟では一応教会で見かけた青年たちに声はかけておいたのです。ありがたいことに、新潟教区出身で東京で学ぶ青年が、友人を連れてやって来るから大丈夫だという応援まで頂き、昨日は30名近い参加者となりました。

さて今日はどうなるのかと、これまた心配。昨日の東京組はそのまま長岡へ移動したものの、地元がどうなるかと心配しました。幸い、高田教会のマリオ師が数名の若者を引き連れて参加して下さり、地元からも数名が参加して、これまた30名近い集まりとなりました。感謝です。話の内容がすばらしかったので、もっと多くの方に聞いて欲しいなと感じた集まりでした。で、そのすばらしい話をして下さったのは、大阪教区補佐司教の松浦悟郎司教様(上の写真)と上智大学や東京大神学院で教えるイエズス会の瀬本正之師(下の写真)。

Wydpre04 講話のテーマは、松浦司教が「聖霊について」、瀬本師は「三位一体について」。どちらも難しいカテケージスです。松浦司教はさすがに長年にわたって青少年指導に当たってこられたこともあり、(野宿も辞さないですし)、弁舌さわやかに、聖霊の働きについて語られました。内容は近日中にWYDのホームページに掲載されるでしょうが、とてもすばらしいお話でした。瀬本師は、難しくならざるを得ない三位一体の話を、これまた巧みに、ちょっと神学的素養も混ぜ合わせわかりやすく語ってくれました。きっと神学校でも、ああやってわかりやすい授業をしておられるのでしょう。また機会を見て、WYDとは違う視点から、今回の三人の講師の方々には、新潟教区でみっちりとお話をして頂きたいと思いました。新潟へ来て頂いて、感謝します。

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2008年5月23日 (金)

中国の教会のために祈る日

今回の地震と直接関係はないのですが、教皇様は5月24日を『中国の教会のために祈る日」と定められ、そのために教皇様が作成されたお祈りが、数日前に国務省から届けられました。教皇様は昨年5月27日付で、『中華人民共和国の司教、司祭、奉献生活者、信徒への手紙』を発表されていますが、その中で毎年5月24日を「中国の教会のために祈る日」とすることを提案されていました。

教皇様が作った「佘山(シェシャン)の聖母への祈り」やその背景については、中央協のホームページ(ここをクリック)を参照して下さい。翻訳が昨日教区事務所に回ってきましたので明日24日に各小教区への配布は間に合いません。明日新潟教会で午後からおこなわれる、WYDの講演会とミサの時には、この祈りを皆で唱えたいと思います。

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2008年5月21日 (水)

カリタスの会議

先週に引き続き、水曜と木曜は東京で会議です。今日はカリタスジャパンのHIV/AIDSデスク会議。前回の会議では、カトリック系の学校においても、あまり表立って語られることのない性的な問題の現実に、どのように対応していったらよいのか悩んでいる現場の声を聞かせていただきました。今日の会議では、それではそういった先生たちのために、カトリック教会の立場を現実に背を向けない形でどのように伝えていくことができるのかなどについて、意見交換の会議となりました。

明日はカリタスジャパン委員会です。いろいろな課題がありますが、やはり一つの注目は現在取り組んでいる二つの大きな災害への対応でしょう。もともとカリタスという組織は災害救援などの緊急事態に対応するための組織ですから、今回のような大規模災害への取り組みには国際カリタスとして得意分野のはずなのですが、なんといってもミャンマーにしても中国にしても、やたらと政府がすべてを取り仕切りたがる国です。通常のルートでの対応では、援助が確実に被災者の手元に到達する保証すらない。またはそれを検証するすべがない。そういう意味で簡単には援助を出すことはできません。その意味でも、今回はこちらから積極的に行動するようなプロジェクトをくめる可能性が不透明ですから、大きなキャンペーンを張ってはおらず、「受付」という消極的な形になっています。

そうはいっても、まずミャンマーでは国連の仲立ちも少しずつすすみ、国際的NGOが、現地の団体などと直接やりとりができる可能性が見えつつあります。ミャンマーにはカトリック教会がありますから、教会と連携する形で援助を確実に届ける道筋をはっきりさせてから、具体的な支援へとつなげていこうと思います。なんといっても、軍事独裁政権のプロパガンダに利用されるような事態は避けなければなりません。

中国は、先日も書いたように政府系と地下系の教会とは民衆レベルでは区別がつかないものの、やはり公的な組織は政府系ですから、これも教会団体という名称を持っていても直接相手にするのは難しいところがあります。香港の陳枢機卿は、バチカンがもっとも信頼を寄せる対中国問題のの判断基準ともいうべき存在ですが、やはり彼の考えに従わねばなりません。私が司教になる前、まだカリタスジャパンの秘書をしていた時、司教になったばかりの陳枢機卿に香港に呼びつけられたことがあります。もちろんその時の話の詳細は公にはできませんが、いずれにしろアジアのカリタスが中国本土とどのように関わっていくべきかの話でした。その意味でも、今回の地震に対するカリタス香港の対応が一番の基準になろうかと思います。現時点ではカリタス香港は復興時の心理的サポートなどを中心に専門家の派遣も含めて企画しているようです。また香港教区と現地の「教会」との長年の関係もありますから、これもカリタス香港のこういった計画を通じて、カリタスジャパンが集めている募金を確実に現地に届けることができるのではと思います。

いずれにしろ、現地の政治的状況がそのようですから、多の国での災害のように即座に対応するというわけにはいかないことだけは、心に留めていただければ幸いです。

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2008年5月19日 (月)

宮原司教様着座

Miyahara0803 昨日、晴天の福岡で、ドミニコ宮原良治司教の福岡司教着座式が執り行われました。午後2時から行われた式は、福岡での大相撲が興行される巨大な福岡国際センターが会場でした。この広い会場が、福岡教区の司祭・修道者・信徒の方々、宮原司教がこれまで8年間働いてきた大分教区の方々でいっぱいでした。ほぼ全員の日本の司教団とたまたまミラノ会の黙想指導で訪れていたイタリアの司教様、そして教皇大使との共同司式で、まず管区大司教である高見長崎教区長の司式でミサは始まりました。開祭の挨拶の後、早速、教皇様の任命書が教皇大使から福岡教区の司祭に渡され、皆にそれを提示した後で翻訳が朗読されました(原文は特殊な紙に美しく手書きで書かれたラテン語)。朗読に引き続いて高見大司教の先導で宮原司教が中央に一段高く設けられた『司教座』に着席し、象徴的な目に見える形での『着座』が成し遂げられました。このあと信徒代表・修道者代表・司祭代表による忠誠の誓いが行われ、ミサは宮原司教の司式に取って代わって続けられました(説教は高見大司教でした)。

拝領祈願の後に、教皇大使による挨拶、司教協議会会長岡田大司教の挨拶、司祭代表の挨拶、修道者代表の挨拶、信徒使徒職協議会長挨拶と続き、子どもたちからの花束贈呈のあとに宮原司教の挨拶がありました。宮原司教の挨拶は途中からカテキズムの講義の様相を帯び、この日二つ目の説教を聞いたようでしたが、でもとても感銘を受ける内容でした。ミサはこの挨拶も含めてほぼ2時間半で終了となりました。

Miyahara0801 高見大司教の説教でも大使の挨拶でも、同じくとが触れられていました。つまり、まったく新しい司教が任命されて、福岡では60年以上なかった司教叙階式を待ち望んでいた福岡の人も多かったであろうし、実は残念だったと思われた方もおられるかもしれないが、しかしそこにこそ神の働きの神秘があるという趣旨の内容がありました。確かにそうでしょう。また大分では新しい司教を探す作業が始まるのですから、そういう意味では大変なことになったとも言えます。転任させられる司教もこれまでの慣れたところから移り、再びゼロからスタートするのは楽ではありません。しかし大使が強調されたように、それが聖霊の働きであり教会の教会たるところでもあります。加えて宮原司教ご自身は喜んで、そしてすべてを捧げて、福岡に骨を埋めるつもりでこの任命を受け入れたといわれました。福岡教区にとっては祝福であろうと思います。今度は善い牧者が聖霊の働きによって大分教区に与えられるよう、お祈りしたいと思います。

会場の大きさと集まった方々の熱気にも圧倒されましたし、いろいろな会のシスター方が大変沢山おられて、そこここでお手伝いされているのにも感銘いたしました。活気と熱気のある教区であることを、肌で感じました。

Miyahara0802 ミサ後の祝賀会は宮原司教の希望でなるべく多くの人たちと交わることができるようにと、ミサ終了後にそのままの会場でお茶とサンドウィッチを配り、行われました。中央に座った宮原司教のところには多くの人が挨拶のために列を作り、祝福を頂いておられました。その隣に座った教皇大使のところはさながら握手会。大使もにこやかに皆さんと一緒になってカメラに収まっておりました。そんな中、私のところまで挨拶に来られる方が数名。なんとこの『司教の日記』を読んで下さっているとのことです。ありがたいことでございます。感謝します。お友達にもお勧め下さい。

夕食は近くのホテルで司教団の晩餐会。大使に呼ばれたので行くと、今月末に横浜で開催される第4回アフリカ開発会議(TICAD)のことでした。日本政府が主導して開催しているこの会議には、アフリカの多くの国から代表団が日本にやってきます。そして前回と同様に今回も、バチカンは国家としてこの会議に参加するのです。大使は、参事官がいないのでカリタスジャパンの誰かにサポート役で一緒に参加してもらえば良かったのだが、外務省へのID登録期限が過ぎてしまったので残念だった、という話でした。TICADに参加できるかと期待したのですが、残念でした。バチカンからは、教皇庁正義と平和評議会のモンセニョールが代表として来日する予定だと聞きました。

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2008年5月17日 (土)

明日は宮原司教着座式

三位一体の主日である明日18日、宮原福岡教区司教の着座式が、午後2時から福岡国際センターで行われますので、明日の朝一番の名古屋行きの飛行機で出かけて参ります。新潟と福岡を結ぶ全日空便は朝便が廃止され、現時点では夕方便だけですので、行きは名古屋で、月曜日の帰りは伊丹で乗り継ぎです。着座式の模様は月曜に戻ってから。

カリタス香港とのやり取りの結果、中国の地震に対して、復興の段階で援助をできる見通しがつきました。昨日からカリタスジャパンでも募金を受け付けております。ただ現時点ではカリタスジャパンが単独で何かをできる足がかりが中国にはありませんから、積極的にキャンペーンを張って大々的に募金を呼びかけているわけではありません。できる範囲で、主にカリタス香港などの支援事業をサポートしていきたいと考えています。

ところで中国の教会の現状について、政府系の愛国協会と地下教会とに完全に二分されて対立しているというようなイメージを持っておられる向きがあるようですが、事はそう簡単ではありません。詳しくは是非ここをお読み下さい(中央協HPへ)。ただ簡単ではないがために、こちらからすればどこと付き合ったらよいのかの判断が、なかなか難しいのです。

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2008年5月16日 (金)

パウロ年の講演会

教皇様は今年の6月28日から一年間を、「パウロ年」とされることを、昨年発表されておられました。異邦人へと福音を告げた、いわば最初の宣教師でもある使徒パウロの生誕2000年を記念するこの一年は、私たちがパウロの生き方から現代世界における福音宣教への示唆を得ようとする一年でもあります。

教皇様は昨年の聖ペトロ・聖パウロの祝日の前晩の祈りの際に講話をなさり、その中で次のように呼びかけておられます。(中央協HPより)

『パウロはローマの信徒に向けていいます。「死も、いのちも、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にあるものも、低い所にあるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマ8・38-39)。ここからわたしたちはすべてのキリスト信者にとってきわめて重要な教訓を引き出すことができます。それは、教会の活動が信用され、力を発揮できるには、教会に属する者がどのような場合においてもキリストへの忠誠を自ら示す用意ができていなければならないということです。このような用意を欠くなら、教会そのものの基盤となる、真理に関する決定的な論拠も失われます。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。初めと同じように、今もキリストは、すすんで自らを犠牲にする使徒を必要としています。キリストは聖パウロと同じようなあかしと殉教を必要としています。パウロはキリスト教徒を厳しく迫害していたとき、ダマスコに向かう途中で神の光により目が見えなくなって地に倒れました。そしてためらうことなく、十字架につけられたかたの側につき、ただちにこのかたに従いました。パウロはキリストのために生き、キリストのために働きました。キリストのために苦しみ、キリストのために死にました。現代にあっても、パウロの模範はどれほど意味深いことでしょう』

さてこのような全教会の特別な年にあたり、司教団としてもパウロの霊性について学ぶ機会を持ちたいという要望が司教達の会議で出されました。現代日本における福音宣教に対して、パウロの生き方からどのような示唆を得ることができるのか、共に学び考える必要があると言うことで意見が一致しました。毎年6月の司教総会では、半日ほどの時間を裂いて司教の勉強会を開催しています。そこで今年の勉強会はパウロについて学ぶことにしました。その企画をいろいろと練っていたときに、これは司教だけではもったいない、より多くの人にも一緒に学んでもらうべきではないかという意見があり、結局、司教と共に学ぶ公開講座とすることになりました。

公開講座は、6月6日(金)午後2時から5時まで、東京の四谷にあるイグナチオ教会で行われます。日本の現役司教は全員が出席しますから、普段見たことのない司教の顔を見るチャンスでもあるかもしれません。澤田豊成師(パウロ会)による講話と、教皇様がエキュメニカルな視点を取り入れるようにと呼びかけられたこともあり、朴憲郁師(東京神学大学教授、日本基督教団千歳船橋教会牧師)による講話が行われます。その後に、このお二人と三人の大司教(岡田、池長、高見)によるシンポジウムが行われます。全体のテーマは「パウロから学ぶ日本の福音化」です。入場無料ですから、東京近辺の方で時間があれば、どうぞご一緒下さい。(詳しくはこちらをクリック

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2008年5月15日 (木)

大好きな会議の山盛り

水曜から金曜まで、会議のために東京泊まりです。昨日はカリタスジャパンの援助の会議。やはり、ミャンマーはどのように対応できるのか不透明なのですが、ヤンゴンの大司教区を中心に少しは取り組みへの可能性が見えてきたようです。援助できるかどうか、道筋がはっきりするにはもうちょっと時間がかかりそうです。中国も同様。すさまじい規模の災害ですから、カリタスジャパンとしても救援活動をする能力はありませんが、緊急時を過ぎたあとの物資の支援などに協力することはできるかもしれません。しかしこれも、どこを相手にしたらよいのか。国際カリタスも現時点では、どうやって入り込むのかの道筋を発見しようと躍起になっております。すでに現地での実績もあるカリタス香港やカリタスマカオを通じて、援助の可能性を探っているところですので、来週初めくらいには道筋が見えてくることが期待されます。

どうして今すぐ募金を開始しないのかという疑問もあられるでしょう。カリタスジャパンはカトリック教会の組織ですから、活動の様々な部分において教会の決まり事を守らなくてはなりません。例えば「中国の地震のために」という「意向」で限定した募金をした場合、集まった募金はその「意向」以外の使途に回すことは絶対にできません。被災地にすでにカトリック教会組織がありカリタス組織がある場合や、すでにつきあいのあるパートナー団体がある場合はよいのですが、今回のように相手先がはっきりしていない場合、「意向」付きで集めたものの、その意向通りに使うことが難しいという場合も想定されるのです。そうなると、なるべく「意向」に近い形でと無理にでも相手を探し出すということになり、必ずしも十分に「意向」が生かされる形で募金を相手先に届けることができなくなる可能性もあるのです。そのために今回のミャンマーでも中国でも、相手先の問題からカリタスとしては迅速に呼びかけることができずにおります。ご理解ください。いずれにしろ、国際カリタスと密に連絡を取りながら、早急に結論を出すように努力しております。

本日の木曜日は常任司教委員会でした。通常は毎月の第一木曜日なのですが、今月の会議では6月の司教総会の議題を確定するという作業があるため、議題や資料が出そろうのをぎりぎりまで待つ意味もあり、今週の開催となりました。案の定、10時から始まった会議の大部分は、議題の最終調整かなりの時間をとられてしまいました。今回の総会では殉教者関係の議題も多くあります。列福後のためにミサの公式祈願を策定してバチカンの承認を求めたり、殉教者の祈りを策定したり、次の段階である列聖につなげたり、殉教者の祝日を定めたりと、簡単なようでいてその実なかなか司教の意見を統一するのが難しい課題ばかりが並んでおります。それ以外にもこのところ連続して話し合っているローマ・ミサ典書規範版第三版の翻訳。そろそろ終わりに近づきつつあるものの、できる限り規範版に忠実であるために、作業にあたり準備してくださる典礼委員会の皆様は、多大な努力をされています。感謝です。

そして明日は東京神学院の常任司教委員会。夕方には新潟へ帰れるのでしょう。

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2008年5月13日 (火)

厳戒態勢の新潟で・・・

G8niig0801 空陸海の厳戒態勢が続く新潟で、何があったかと言えば、教区司祭の月に一度の集まりでした。昨日から今日にかけて、新潟司教館に集まった教区司祭団は、先日開催された宣教司牧評議会を受けて、司祭団としても宣教の優先課題を話し合ったのでした。かなり突っ込んだ話し合いがありました。現場からは、幼稚園を今後どうしていくのかという事へのはっきりした方針を明示して欲しいという要望や、確かに信徒の養成プログラムは必要だという意見が相次ぎましたが、同時に、その充実のためには専従で仕事に当たる人物を配置することも必要ではないかという指摘もありました。どうしてもボランティア的にこういった仕事に取り組むと、中途半端になりがちであると言うことです。来年度以降、果たして専従に人を裂くことが可能かどうか考えてみたいと思います。経済問題もそうですが、一つ一つの共同体は小さいのでできることには限界があるのは当然ですから、教区全体がみんなで力を合わせて順番に少しずつ成し遂げていけば、それぞれの負担が小さくても大きな事を成し遂げていくことが可能ではないでしょうか。

それと同時に、議論があまりに内向きになってしまっているのではないかという指摘もありました。組織の維持のことが中心になって、肝心の外に向けての福音宣教の視点がおろそかになっているのではなかろうかという指摘です。確かに。ちょうど今日のミサの福音に、主の言葉として「まだ悟らないのか(マルコ8章21節)」という厳しい指摘がありましたが、もしかしたら私たちも悟らなければならないことを忘れて、パンのことで議論に夢中になっているのかもしれません。心して今後の方向性を定めていきたいと思います。

G8の労働大臣サミットが日曜から本日まで新潟で開催されていました。肝心の労働大臣は、政治日程の都合で日本の舛添大臣以外は副大臣級の来日だったようですが、それでも新潟は厳戒態勢でした。会議場が港に面しているので、写真は警戒に当たる海上保安庁のボートです。昨晩は司教館の近くにある行形亭(いきなりや)という有名な料亭で晩餐会だったようで、暗がりの路地のそこここに警察官がズラーリと配置されていて、ちょっとシュールな光景でした。

中国で大規模な地震が発生。先日のミャンマーのサイクロン被害に続いての大規模災害がアジアで発生しましたが、同時にどちらの国もカリタスにとっては援助がやりにくい国です。ミャンマーには入るのが難しいし、中国は誰を相手にしたらよいのか分からない。教会としての対応はかなり困難だと思います。明日のカリタスの会議の議題となることでしょう。

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2008年5月12日 (月)

殉教者特別年開始ミサ

Yonezawa0801_2  新潟教区は昨日から、殉教者特別年を開始しました。来年の5月16日までの一年間です。その始めと終わりには、ルイス甘糟右衛門他53名が殉教した地である米沢でミサを共に捧げます。昨日は午前10時半から、米沢教会聖堂で。殉教者特別年開始ミサを行いました。米沢教会の信徒だけではなく、山形教会、長井教会(巡回)、鶴岡教会、酒田教会(巡回)の方々と、山形地区の大会のような盛大な集まりになりました。またちょうど巡礼にこられていた横浜の山手教会の方々にも参加して頂きました。

いつもは閉め切っている聖堂正面の扉を開けて外にテントを張り、スピーカーも外に出してのミサでした。そのためか、ご近所の耳にも歌声や話が届いたのでしょう。歩道まで出てこられて、何事やらと教会を覗く姿もちらほら見られました。私が司式したミサは、主任司祭の成田師、地区長の本間師、そして坂本助祭との共同司式でした。イエズスマリアのみこころ会では、この時期ちょうどマニラで会議があり、日本にいる会員はこのお二人以外すべて出張中と言うことでした。

雨の予報でしたが、何とか曇り空で持ちこたえ、穏やかな日となって助かりました。少ない人数の中で準備にあたって下さった米沢教会の皆様には感謝いたします。来年の5月16日の式典の日には、北山原の殉教地でミサを行いたいと思います。来年のミサでは、司祭と会衆のやりとりの部分も歌いますから、練習しておいてくださいね。せっかくのお祝いなので、臨時でも地区で聖歌隊を編成しても良いかもしれませんね。お考え下さい。

Yonezawa0802 ミサ後に北山原を訪れました。写真はその時に、山形教会の方々と一緒にとったものです。来年のお祝いまでには、新しい石碑を建立する予定で、米沢の実行委員会で話し合いがすすでいます。かつては街の外れの畑や田んぼの中だったようですが、今では周囲を住宅に囲まれてしまっているのがちょっと残念です。殉教地自体は結構広く場所を確保してあるのですが、駐車場がありません。こればかりはすでに周囲に住宅が建ち並んでいるために、土地を確保するのは難しいかもしれませんし、なんといっても教区にはそれだけの資金がないですから。しかし、どうにかしたい課題の一つです。

米沢に行くために、新発田の菊水の工場あたりから胎内の方に抜ける道を走りましたが、道路の右も左も皆さん総出で田植えの真っ最中でした。田植えをしている水田は、美しいですね。米沢へ抜ける小国街道は新緑の輝く季節のすがすがしいドライブでした。

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2008年5月 9日 (金)

新潟教区殉教者特別年、まもなく

Img_3646 11日の日曜日は聖霊降臨の主日です。新潟教区では来年の5月16日までの一年間、殉教者特別年と定めています。11日の日曜日は、午前10時半から米沢教会で特別年を開始するミサを行います。私の司式で、先日叙階したばかりの坂本助祭も東京の神学校から駆けつけて手伝ってくれる予定です。またこの日の米沢でのミサは山形地区の全体のミサとして、可能な方は各教会から米沢においで頂く予定です。教区内の各小教区でも、ミサの中で一緒にお祈り頂くと共に、殉教者列福に関連する教区の様々な活動や行事のために、11日には特別献金をお願いしております。よろしくご協力下さい。

来週は月曜と火曜が教区司祭の毎月の集まりの日です。5月は話し合いの月で、先月行われた宣教司牧評議会の話し合いを受けて、教区司祭団でも意見交換を主に行う予定です。水曜日から金曜日までは、カリタスの会議、常任司教委員会、東京神学院常任委員会と続きます。そしてその次、18日の日曜日は福岡で宮原司教の着座式です。(写真は新潟教会のルルドです。5月はマリア様の月です)

福岡行きは、新潟から全日空の直行便が以前は朝と晩の2便あったので便利だったのですが、全日空的には利用率があまり良くないと判断されたようで、廃止となる寸前でした。地元の懇願で何とか夕方の一往復だけが残っているのですが、これが使い勝手が悪い。そのため福岡は、新潟から名古屋へ飛んで乗り換えて福岡へ行き、帰りは月曜日に福岡から伊丹へ飛んで新潟へ戻るということになります。面倒なだけではなく、うまく早めに予約しないと、直行便の割引切符に較べてかなり割高です。

ついでに5月の残りの主な予定を記しておきます。21日と22日はカリタスの会議と社会司教委員会。24日土曜日は午後からWYDの講演会が新潟教会で。私の話と中央協議会事務局次長の久志師の話の後、ミサで締めくくりです。詳しくはこちらをクリック。ちなみに25日には、松浦悟郎司教とイエズス会の瀬本師が、同じくWYDの講演で長岡に来られます。興味のある方、どうぞ。そして25日、私は直江津教会の訪問。26日と27日は教区顧問会を秋田で開催。27日は午前中に秋田教会でミサを捧げさせて頂けるかと思います。28日夜は新潟カリタス会の理事会。これでほぼ5月は終わりです。WYDの講演会(司教のカテキズム)の準備と6月1日の長岡地区大会の講演(殉教者について)の準備で、この数日は苦しみました。テーマも違うし、どちらも私が苦手とする内容の話ですから。書けないときは、本当に見事に何も書けないものです。

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2008年5月 8日 (木)

ミャンマーと関わる難しさ

ミャンマーのサイクロン被害は拡大しています。ミャンマー軍事政権は、赤十字や国連など国際機関の救援に関しては受け入れを認めたようですが、NGOに対しては対応がまだはっきりとしていない模様です。特に物資の受け入れや送金に関しては政府が窓口になること以外は認めていない様子で、これまでも海外からの送金などには一般的に難しさがあったのですから、非常時にあってもその方針は変わっておらず、国際カリタスでもどのように対応するべきなのか現在苦慮しているようです。

ミャンマーにおけるカトリック教会の立場も微妙なところがあります。以下は、「家庭の友・5月号」に書いた記事からの抜粋です。

『ミャンマーはビルマ族が大多数を占める国ですが、それ以外にもカレン族、チン族、モン族、ナガ族、ラカイン族、ロヒンジャー族などの多数の少数民族が居住しており、少数民族が占める割合は全人口の三分の一超、居住地域も全土の半分以上だといわれます。かつて第二次世界大戦前の英国植民地支配下にあっては、英国お得意の分割統治が行われ、多数を占めるビルマ族の地域と、少数民族が居住していた周辺地域とに異なる行政システムを導入したといいます。また植民地統治においても少数民族を登用することで、多数派のビルマ族の不満が直接英国に向かわずに、少数民族に向かうように仕向けたともいわれます。加えて英国はビルマ族の仏教を保護すると同時に少数民族のキリスト教化も推進して、ここでも対立の構図を持ち込みます。第二次世界大戦中は、当初はビルマ族の主流派が日本側について戦い、少数民族は英国側に加勢したことも当然の成り行きです。結果として戦後には、異なる民族同士の互いの遺恨のみが残りました。これが独立後のミャンマーの社会状況を不安定にしたのです。
 少数民族のなかでもカレン族はミャンマー独立当初から、ビルマに加わるよりも自主独立を求め、カレン民族同盟(KNU)を結成して武力闘争を繰り広げてきました。現在ミャンマー国内には三百万を優に超えるカレン族が居住しているといわれます。こういった少数民族の動きに対して、特に現在の軍事政権は人権侵害ともいうべき抑圧政策をとってきており、国際的な非難を浴びていることは良く知られているところです。もっとも、日本を始め国際社会が思い切った制裁行動をとることができないのは、結局のところ、軍事政権が崩壊した場合、独立を求める少数民族が乱立し、国家としての存続が危ぶまれるほどの不安定状態が避けられないと考えているからです。人権侵害と地域の不安定化。どちらも避けたいというジレンマに、国際社会は頭を悩ませているのです。
 ところで少数民族に対する軍事政権側の抑圧政策は、仏教以外の宗教への不当な弾圧にもつながりました。殊にキリスト教の諸教会は、歴史的経緯から少数民族側に多く存在しており、当然のように軍事政権からの様々な形での介入と圧力を受けてきたのです』

というような背景で、現地における教会の立場を考慮しながら、活動を進めていかなければなりません。ミャンマーにしても中国にしても、国内における教会と政府との関係が微妙である場合、外部の教会が勝手な行動をするわけにはいきません。

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2008年5月 6日 (火)

ミャンマーの災害

2日から3日にかけてミャンマーを襲った大型のサイクロンの被害は、首都ヤンゴンを中心に拡大している模様です。報道では、現時点で1万5千人が死亡、3万人以上が行方不明だといわれています。ロイター通信の記事によれば、アジアにおいては、バングラデシュで14万3千人の命を奪った1991年のサイクロン以降で、最大規模のサイクロンによる被災になると予測されています。

国際赤十字はすでにマレーシアに備蓄されている救援物資を速やかに空輸できるように、ミャンマー政府と交渉中とのことです。国際カリタスも、昨日5月5日の午後、電話会議を開催して、今後の対応の検討を開始しました。会議の結果はまだ報告が来ていませんが、なにぶんミャンマーの軍事政権と同国におけるカトリック教会の存在は微妙な関係にあり、殊に軍事政権側が国外からのNGO活動を快く受け入れない体制であるため、救援活動にも困難が伴うことは想像に難くありません。

カリタスジャパンも今後どのように対応するか、まず国際カリタスを通じたミャンマーのカリタスの動きの情報を得てから、できるだけ速やかに決定するよう努力いたします。

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2008年5月 4日 (日)

ボストン・リーガル

すばらしい晴天の、主の昇天の主日でした。連休中は格段の予定もなく、今日も新潟教会朝6時半ミサを司式して、ゆっくりとした一日を過ごさせて頂きました。感謝。来週、聖霊降臨の主日は、米沢教会で新潟教区の殉教者特別年の開始ミサを、山形地区の信徒の方々と一緒に捧げることになっています。殉教者特別年お祈りを、坂本助祭を始めいろいろな協力を得て作成いたしました。殉教者への思い入れが強くあるので、ちょっと長い祈りになってしまいましたが、カードを作成いたしましたので、まもなく小教区に届くことになると思います。どうぞ一枚手に取り、共に殉教者の取り次ぎを願っていいのりを捧げましょう。

さてそんなわけでゆっくりとした午後に、FOXテレビで「ボストン・リーガル」というアメリカ合衆国の弁護士事務所を題材にした連続ドラマを、日本語字幕版で一挙にシリーズを放映していたので、夕方7時頃まで釘付けになって堪能いたしました。「ボストン・リーガル」は以前放映されていた「ザ・プラクティス」から派生したドラマで、ジェームス・スペイダーと言う独特な雰囲気を持った俳優の演じる「アラン・ショア」という辣腕弁護士が、前作ドラマでも中心人物でしたが、今回はますます中心人物として配置されています。「ザ・プラクティス」でもそうでしたが、「ボストン・リーガル」も法廷における様々な駆け引きや、陪審員を前にしたすばらしい弁論を中心に据え、いくつかの法廷が同時進行する中に、様々な人間ドラマを交えるという、魅力的な筋立てです。日本語吹き替えよりも、英語のままで字幕版の方が、法廷での緊張した雰囲気を堪能できる気がします。英語の練習にもなりますし。

シリーズ一挙放映でしたから、ありとあらゆる事件が発生し、ありとあらゆる弁論が行われたのですが、その中の一つ。公立小学校でのハロウィーンを巡る訴訟の弁論のなかで、少数派の立場を異常だと決めつける権利は誰にもないと主張する中で、マルティン・ニーメラーの詩が朗読されました。先ほど調べてみたら、いろいろなバージョンが存在するようですが、「ナチスが共産主義者を攻撃したとき、不安を感じたが私は共産主義者ではなかったから、黙っていた」で始まる詩です。以前にもどこかで何度か聞いたことがありました。詩は、ユダヤ人が迫害されたときも、自分はユダヤ人ではなかったので黙っていた、などと、共産主義者から始まり、社会主義者、労働組合などをナチスが攻撃したとき、自分は関係がないから黙っていた。そして教会が攻撃されたとき、気がついてみると、私のために声を上げるものは誰も残っていなかった、と続くのです。

自分には関係がないからと目をつぶっていたり、少数の変わり者だから関係ないと無視したりしているうちに、いつの間にやら自分の回りは包囲されていた。その時には手遅れだったという詩からは、今の社会の状況の中で考えさせられることが多々あります。時間を経てから、後悔したくはありません。

ドラマに釘付けになっていたので、楽天の勝利も、ドラゴンズのサヨナラ勝ちも、見逃してしまいました。

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2008年5月 3日 (土)

ハバロフスク写真掲載

右側のサイドバーのところに、先日のハバロフスク訪問から20枚程度の写真を掲載してあります。「ハバロフスク08」となっているところをクリックしてアルバムにお入り下さい。

とてつもなく晴天の憲法記念日となりました。ゴールデンウィークもこれと言って特別なことはなく、新潟で静かにしております。神言会は金祝は銀祝のお祝いを名古屋の南山教会で、本日夕方から行うことになっております。以前秋田で働いておられた安田神父様は、司祭叙階60周年のお祝いの年だそうです。おめでとうございます。出かけたかったのですが、今日はちょっと新潟で用事があって、欠席でした。

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2008年5月 1日 (木)

もう一つ、ハバロフスク

今日は新潟の古町で爆弾騒ぎがあったようです。放置されたスーツケースにはビデオテープが一本入っていただけだったようですが、警察の爆弾処理班まで出動して、まもなく新潟で開催されるG8労働大臣サミットの警備のための実戦訓練になったのかもしれません。

ハバロフスクでの写真は、何枚か選んで明日にでも右側サイドバーのところにアップすることにいたします。で、その前に、ハバロフスクの話をもう一つ。ハバロフスクで見かけた日本とでもいいましょうか。

Khava0820 新潟東港付近にはロシアなどへ輸出するための中古車取り扱いのロシア人の業者が沢山おられるわけですし、確かに新潟の人が、「私の前の車はロシアに売れたらしい」なんて言っているのも耳にします。確かにハバロフスクの街には、中古の日本車がいっぱい。もっともロシアはヨーロッパ世界で、自動車は右側を走りますからハンドルが逆になってしまいます。でもそんなの関係ないんですね。さすがに市内のバスはドアの向きもあるので、韓国の中古が大勢を占めていました。乗り込んでみたら、ソウルの街中を走っている雰囲気がそのまま。かと思えば、日本でも見たことのないぴかぴかのレクサスが走っていたり、欧米仕様の日本車の新車も数多く見られました。中古車の中には日本の駐車証票をそのままつけていたり、日本の会社名がそのまま残されていたり。写真はそんな中の一台。佐川急便の名前が残ったままのトラックです。

Khava0814ハバロフスクの中央市場へ出かけてみました。左の写真です。肉売り場では豪快に、ナタを使って肉や骨を切り刻んでおりました。果物売り場には、乾燥した杏なども売っておりましたが、新鮮な果物も豊富です。よく見ると日本語が。なんと新潟から輸出された「越後姫」というイチゴのパックが売っているではないですか。下の左の写真。アムール川沿いの道を歩いていると、日本語の看板が。「みちのく銀行」です。歩道の先に直立している緑色の看板に、日本語で記してあります。青森にあるこの銀行は長年にわたって交流を続けてきたと言うことで、教会の信徒の中にも、みちのく銀行の交流プログラムで日本へ出かけたことがあるという人もおりました。また街中の公園には、みちのく銀行の支援でできたという池もありました。そして忘れてならないハバロフスクにおける日本人の足跡。それは戦後の抑留者が建設に携わったという建物の数々。アムール川近くにある船舶関係の会館も、かつて日本人の抑留者が建設したものだと聞きました。写真の下です。

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