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2008年6月30日 (月)

今年も半分終わりました。

Ca390121 六月も今日で最後。2008年もこれで半分終わりです。あっという間の6ヶ月でした。七夕を前にして、新潟の古町アーケードでも明日から七夕祭りが始まるとかで、夕食後に散歩してみたら、綺麗に飾り付けが済んでいました。散歩していても、街全体の雰囲気が何となく夏になって参りました。そろそろ夏本番。暑いのは好きなのですが、この季節はなんと言っても長距離の移動がつらい時期でもあります。今週は水曜日の東京の会議後、木曜と金曜は第17回カトリック学校校長・教頭研修会に顔を出すために仙台へ出かけ(主賓は講演をなさる森司教)、その後札幌へ足を伸ばして、来週は新潟で顧問会や教区司祭の静修のその直後、胎内市で、東京教会管区の定例会議が行われるという、夏前のハードスケジュールです。ちなみに今週はG8サミット前に札幌でWCRP(世界宗教者平和会議)主催で「平和のために提言する世界宗教者会議」が開催され、バチカンからも諸宗教対話評議会議長のトーラン枢機卿が参加すると聞いています。

本日は朝から夕方まで、新潟県内17幼稚園を統括する学校法人「聖母学園」の園長会やら理事会やらが行われました。17園の決算を見ていくだけでも大変ですし、少子化の時代、それぞれの園でも様々な課題を抱えていますから、議論はなかなか結論を見出すことができません。行政側も財政難で昔ほど気前よく補助金は出してくれませんし、どちらかと言えば保育園に手厚くする傾向が強いこともあり、文科省のもとで教育を重視する幼稚園には、経営的に逆風が吹いていると言っても良いでしょう。経営の健全化のためにも、園長会では会計事務所の専門化を招いて、財務についての勉強会も行いました。また恒例となっていますが、八月に新潟市で開催するカトリック保育者研修会の内容についても報告がありました。これは教区が主催して、新潟だけでなく山形や秋田の保育者も対象に毎年行う研修会です。今年は特にモンテッソーリ教育について学びを深める予定です。

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2008年6月29日 (日)

パウロ年

今日の日曜日は、「聖ペトロと聖パウロ」の祭日とされていました。教皇様が定められたとおり、本日から一年間を教会は「パウロ年」としています。詳しくは中央協議会の頁を参照下さい(ここをクリック)。なお新潟教区では教区の殉教者特別年の中で、パウロの生涯について考えていく機会を持ちたいと思います。

イエスの福音が全世界に向けて広められていった礎が、パウロの宣教の働きでした。様々な困難に立ち向かい、敵対するものの前でも信念を曲げることのなかったパウロにとって、常にイエスの福音が自らの生き方を決定するすべてだったのです。パウロの頑固とも言うべき福音への信頼。その徹底的な姿勢に倣って福音の心を全うしたいと思います。

パウロ年を発表された昨年六月二十八日、教皇様は次のように語られました。

「パウロの使徒職の成功は何よりも、彼がキリストに完全に献身しながら自ら福音の告知に努めたことによります。この献身は、危険も困難も迫害も恐れませんでした。パウロはローマの信徒に向けていいます。「死も、いのちも、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマ8・38-39)。ここからわたしたちはすべてのキリスト信者にとってきわめて重要な教訓を引き出すことができます。それは、教会の活動が信用され、力を発揮できるには、教会に属する者がどのような場合においてもキリストへの忠誠を自ら示す用意ができていなければならないということです。このような用意を欠くなら、教会そのものの基盤となる、真理に関する決定的な論拠も失われます」

私たちも様々な現実を前にして、何よりもまず、イエスの福音をすべてとして、頑固に神に従って生きていきたいと思います。

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2008年6月27日 (金)

ちょっと名古屋へ

明日、土曜日の午後5時から、名古屋の聖霊会管区本部(八事修道院)にて、聖霊会の来日一〇〇周年記念行事を締めくくるミサがあります。司式を頼まれていましたので、ちょっと名古屋へ行ってきます。説教は神言会の市瀬管区長様の予定でしたが、市瀬師のお父様が亡くなられたこともあり、私が代わりに説教もすることになりました。なお神言会と聖霊会は、創立者が同じ聖アーノルド・ヤンセンで、神言会が1907年、聖霊会が1908年に来日し、秋田から宣教をはじめました。また新潟教区の初代と第二代の教区長も神言会の宣教師でした。そんな御縁で。

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2008年6月25日 (水)

佐藤錦の誘い

Yamagata0801 昨日午後から今日の昼にかけて、事務局長と共に山形へ出かけておりました。新潟から国道7号線、新発田を過ぎて胎内市方向へ290号線、関川村あたりから113号線で山形県へ、長井市を経由して山形へ。約170キロほどをほぼ4時間弱。秋には紅葉がきれいなルートですが、今は新緑の美しい山並みを愛でながら、たのしいドライブでした。

山形では地区長の本間神父様と、地区の運営と教区の関係についていろいろな意見交換をしました。昔のような地区全部を丸ごと修道会に委託してしまうような時代ではなくなっていますから、これからの修道会への宣教委託形態を考えて行かなくてはなりません。今回は地区長だけの出席でしたが、管区長様にもお会いしなくてはなりません。今回の意見交換ではなにも結論は出ませんでしたが、今後の話し合いの道筋は見えてきたように思います。(写真は山形教会信徒会館を背に、主任の本間師と助任のスリ・ワルヨ師)

Yamagata0802 会議も終わって本日水曜日の11時からは山形教会で皆さんと一緒にミサを捧げました。平日の昼間にもかかわらず30名を超える方が集まって下さいました。ありがとうございます。しかもちゃんとオルガニストまで来て下さって、ミサ曲も唄う綺麗なミサでした。上の写真のお二人の神父さんの後ろに見える掲示板には、信徒の方の手書きのポスターが掲示してあります。最新版を見せて頂きました。それが左の写真です。いろいろな言葉で、神様の存在を感じさせてくれるすばらしいポスターだと思いました。新潟の街中を散歩していると、近くにはお寺さんがたくさんあるものですから、必ずその門前を通過することになります。するとお寺のいくつかには、門前の掲示板に手書きでちょっといい言葉を掲げているところがあるのですね。おもわずいい言葉だなあと思うことがあります。私たちの宗教はまさしく「人となられた神の御言葉」に基づいているものですから、やはり教会でこういう風に「言葉」をポスターとして掲示することは、力がある宣教であると思います。

新潟と山形を結ぶルートには、果樹園が多くあります。今はサクランボのシーズン。有名な佐藤錦です。そこら中に直売所やサクランボ摘み放題の果樹園とか、たくさんありました。佐藤錦、なかなか大粒で、おいしそうでしたよ。

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2008年6月23日 (月)

秋田から戻りました

Img_3852 木曜日から秋田へ出かけておりましたが、午後4時半過ぎに新潟へ戻りました。今日の秋田からの特急「いなほ」約三時間半の旅は、結構乗客が多くて驚きでした。秋田から新潟まで通しで乗られた方も、思いの外おられましたし(といっても十数名でしょうけれど)、酒田や鶴岡からは、自由席は七割方は席が埋まっておりました。いつもこんなに多ければ、JR東日本も、新潟と秋田の間に、もう一本くらい走らせてくれるかもしれませんが(現在は一日三往復)。

さて先週の木曜日は雨の中、21名の新潟の方々と一緒に、毎年恒例の聖体奉仕会への巡礼でした。主催は新潟で毎月一度集まっている「月曜会」。そのメンバーがそれぞれの小教区で声をかけて、多彩な顔ぶれとなりました。メンバーの中には30年前の涙の出来事を目撃された方もおられます。昼過ぎに秋田に到着してタクシーに分乗して聖体奉仕会へ。すでに列車の中で個人的にロザリオを捧げていましたが、到着後すぐに全員でロザリオを一環。その後ゆるしの秘蹟をしたり、夕方5時からは修道院の方々と一緒にミサを捧げ、おいしい食事も頂いてたのしい一時でした。

Shibuya08 そして金曜日。全国的に大雨というのに、秋田はなんと晴れ上がり、暑い日差しの下で、野外の十字架の道行きを行うことができました。一番上の写真はその時の模様です。そして右の写真は、今回一緒に出かけた方と一緒に。(業務連絡:60年代末から80年代半ば頃までの間に、名古屋の神言神学院に在籍された方はご記憶でしょうが、台所で働いておられた渋谷さんは、80才を超えた今も、お元気です)大雨に見舞われた全国各地の皆様には申し訳ありませんでしたが、秋田は昨日まで本当に良い天気に恵まれました。

そして土曜の夜から本日の朝までは、聖体奉仕会の会員の集いでした。土曜の夜には院外の会員数名も含めて、様々な課題について遅くまでわかちあいをしました。またその午後には、殉教者年に関してお話もさせて頂きました。なにぶん「聖体奉仕会」ですから、ちょうど読み終わったばかりの使徒的勧告「愛の秘跡」についても、特に福音宣教と聖体の関係についての部分を取り上げて、ちょっとだけ解説をさせて頂きました。先日の司祭の集いにおけるお話でも、白濱神父様が、「愛の秘跡は聖体論の教科書にもなります」とお話しされましたが、その通りです。新潟からの行きの電車で読み通せたので、それほどの大分量ではありませんし、神学的に難しい最初の部分は目を通すだけでも良いですので、一度どうぞお読みになることをお勧めします。「やっと読んだ」と思って先ほど司教館へ戻ったら、出版されたばかりの回勅「希望による救い」が届いてました。また読まなくては。

聖体奉仕会も会員が高齢化しているため、今までのように活発にどんどんお客様をお迎えすることが、物理的に続けられるかどうか悩んでいるところです。しかし以前にも書いた事ですが、祈りと黙想のための「時」を満たしてくれる、貴重な「場」ですから、何か方法を考えて「時」と「場」を維持できるようにしていきたいと思います。お祈り下さい。

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2008年6月18日 (水)

秋田へ巡礼

毎年恒例となっていますが、新潟の「月曜会」のメンバーと、秋田へ巡礼に出かけます。明日と明後日。もちろん目的地は聖体奉仕会。今回は21名ほどが参加するとのこと。その後、わたしはそのまま聖体奉仕会に残り、来週の月曜まで、聖体奉仕会の会員たちと過ごす予定です。秋田市郊外の山の中にある聖体奉仕会からは更新も難しいと思われますので、次回更新は来週の月曜日になります。良い週末をお過ごし下さい。

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2008年6月17日 (火)

償い

その「あとがき」を執筆された広島大学名誉教授の金澤先生から頂戴していたので、ホセ・ヨンパルト師の著書「死刑-どうして廃止すべきなのか」(聖母文庫)をまさしく読んでいる最中でした。テレビのニュースでは本日の死刑執行を報じていました。罪を犯した人間が裁判を通じて断罪され制裁を受けることは当然ですし、むやみやたらにゆるしが必要だとも言うつもりはありません。しかし、犯罪であれ、戦争であれ、事故であれ、刑罰であれ、人間の命を強制的に奪うことは悲しいことだと思います。

詳しい法的また倫理的指摘はホセ・ヨンパルト師の著書を是非ご一読頂きたいと思います。もちろん教会は死刑を完全に否定しているわけではありませんが(カテキズムの中でも、「正当防衛」の項目で扱われています)、ヨハネパウロ二世の95年の回勅「いのちの福音」にも記されており、カテキズムにも記されているとおり、それは非常に制限された状況の中でのみ許されることであって、世界的には「非常にまれ」なこととなってきていることを教会は歓迎しているのです。その時代時代の背景によって判断は変化してきているのでしょうが、教皇庁の「社会教説のコンペンディウム(現在日本語へ翻訳中)」でも、死刑反対の世論が強まっていることに希望の光を見出しているとまで述べて、教会の現在の立場、すなわち死刑をできる限り廃止する方向へ向かうこと、を明らかにしています。カテキズムには「今日では、国家が犯罪を効果的に防ぎ、償いの機会を罪人から決定的に取り上げることなしに罪人にそれ以上の罪を犯させないようにすることが可能になってきた」と記されています。日本もそうあって欲しいと思います。法務大臣にこれほどの裁量権の幅があることが妥当なのかどうかも含めて、死刑制度のあり方や刑罰のあり方自体を広く論議する必要があるのではないかと思います。私は、個人としては現在の日本の死刑制度には、賛成ではありません。

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2008年6月15日 (日)

「海外からの移住・移動者の集会」

Tainichi080601_3 新潟教区難民移住移動者委員会の主催で、初めてとなる「海外からの移住・移動者の集会」が、晴天に恵まれた本日午前10時半から午後4時頃まで、新潟清心女子高校体育館と聖堂を会場に、開催されました。初めての試みでもあり、広く広報をしたわけでもありませんでしたが、それでも日本人の信徒も含めて50人以上の参加者がありました。今回の集いのアイディア自体は長岡地区で滞日外国人信徒司牧にあたるシスター方(無原罪の聖母フランシスコ姉妹会)と教区の滞日外国人司牧担当司祭からでてきたのですが、特にフィリピン人司牧にあたっていることから、今回の集まりも主にフィリピン人信徒が沢山集まって下さいました。同時にそのお子さん方や、ご主人の参加もあり、たのしい一時でした。

Tainichi080602 集いの始めに全員で丸くなって座り、自己紹介の後、担当司祭のフェルディ神父(神言会)による講話。フェルディ神父がこんなにまじめに語るのを、初めて見たような気もしましたが、英語と日本語を両方とも駆使して、なかなか迫力のある話でした。その後ちょっとゲームで身体をほぐしてから、一緒に食事タイムです。事前の準備ではお弁当をどうするかと心配したのですが、やはりそこはさすがにフィリピンの方々です。大量にそしておいしい食事を持ち寄って、和気あいあいとわかちあいの食事となりました。

Tainichi080605 食事後には小グループに分かれて「わかちあい」。大人たちがいろいろと日頃の生活をふり返って福音的生き方について分かち合う間、子どもたちは隣の第二体育館でたのしい一時。大ベテランの子どもたちのリーダーである新発田教会の森田さんの指導で、子どもたちは新聞紙で兜を造ったり、太鼓を叩いたり、踊ったり。「わかちあい」の後には、それぞれのグループから発表がありました。多くの参加者が日頃の生活の様々な出来事について語ったようです。どうしても文化の違いから来る様々な問題が生活にはあり、それを乗り越えるのは一人だけの力では無理です。こういった集まりで出会った仲間たちが、互いに支え合って行くことが期待されます。

Tainichi080604 最後に午後2時過ぎから聖堂でミサを捧げました。ミサは英語で捧げられ、私の説教は英語と日本語で行いました。ちょうど朗読された福音は「刈り入れは多いが働き手が少ない」の箇所でした。日本人の私たちも、海外から来た人たちも、この日本という刈り入れ場で働くために使わされた「働き手」であるという話をしました。そして殉教者特別年ですから、殉教者たちの生き方の模範に倣って、生活を通じて福音をあかししていくことを心掛けようと呼びかけました。多くの人がキリスト教にまったく関係のない家庭に入っていった人たちです。そこで明るく真摯に福音的価値を生きることで、福音を伝えるものになることができるのではないでしょうか。これからの教会を考えるとき、日本人だ、外国人だ、などと言ってはいられません。神によって創造された同じ兄弟姉妹として、互いに手を取って福音を告げる共同体をつくって行かなくてはなりません。海外から来られた信徒の方々は、その意味でも、新潟教区の将来を担う力強い存在です。

初めての試みで、いろいろと不手際もありました。準備の段階でもう少し考えなければならないこともあったと思います。特に準備にあたったフェルディ神父と佐久間シスターや、協力して下さった多くの方々に心から感謝申し上げます。できれば将来的には、フィリピン人の方々だけではなくそのほか多くの国から来られた信徒の方も沢山いるのですから、一緒になってもっと規模を広げ、できれば教区の「国際デー」のようにして行けたらと夢を見ております。ご協力頂いた方、ありがとうございました。今後ともどうぞよろしく。

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2008年6月14日 (土)

あっという間に、再び週の終わりに

今朝は揺れました。新聞を読んでいたら、ユサリユサリと司教館が波間に漂う小舟のように揺れるではありませんか。あの瞬間、「今この時の決断が生死に関わるかもしれない」と思うと、さあ次の動きをどうするのか、感覚を研ぎ澄ませて観察しながら、いろいろな可能性を考えるものです。テレビがついていたのですけれど、例の緊急地震速報みたいなのはなかったので、NHKにチャンネルを変えたら、ちょうど速報をして注意を促しているところでした。あまり役に立つようには思えません(訂正。先ほどお昼の食事時に他の司祭方に尋ねたら、皆さん速報に気がついたとのこと。実際の揺れまで20秒ほどあったのではないかと。新聞を読んでテレビをつけていたので、気がつかなかったのかもしれません。)震源は岩手県南部。その後テレビに映る映像は一関市あたり。つまり私の父方の実家があるあたりではないですか。秋田もかなり揺れたようです。横手あたり、どうでしょう。もう少し時間が経てば、被害状況も詳しく分かってくるでしょう。待ちます。

6月12日はフィリピンの独立記念日だと言うことですが、それにちなんだというわけでもないのでしょうが、明日、15日の日曜日には、教区の難民移住移動者委員会が主催して、「海外からの移住・移動者の集会」が開催されます。場所は新潟清心女子高校。プログラムは10時半から始まり、講話やわかちあいがあり、2時15分頃から私の司式のミサで終了となる予定です。委員会が掲げたテーマは「新しき若い元気な信仰の証人となるために」。野望に充ちたテーマであります。

「難民移住移動者委員会」という名称がどうも分かりにくいのでもありますが、基本的には滞日外国人の方々に関わる様々な課題に取り組む委員会です。教皇庁の評議会(故濱尾枢機卿が責任者でした)の名称に対応して日本でも使われるようになりました。

一般に「外国人」という呼び方でひとくくりにされている人たちにも、様々な来歴があるのであり、国家という枠組みに基礎をおく「何とか人」という括りで見るよりも、もっと世界的な視点から「人類」という括りで見るときに、「移住者」「移動者」という呼び方の方がふさわしいのだと思います。新潟教区においても、様々な理由から日本に来られた多くの方々が在住しており、その中にはすでに信徒である方も大勢おられます。そういった人たちが、同じキリスト者としてどうしたら一緒に教会共同体を作り上げていくことができるのかを、一緒に考えていきたいと思います。同時に、特に新潟教区の各地で顕著に見られる、日本人の男性と結婚して家庭を築いている移住・移動者の女性たちの存在は、教会の将来を考えるとき大変重要であるとも思うのです。その国際結婚を通じて、教会が現状では福音を伝え切れていない地域に、そういった方々が家庭を築いていると言うことは、福音宣教の機会をそれだけ多く与えられていると言うことでもあります。今回の集まりを通じて、参加する方々にそういう意識を持って頂きたいと思いますし、また教会との絆を再確認して頂きたいし、また同時にそういった集まりを身近に見て知ることによって、日本人の信徒にも共に歩んでいこうとする意識を深めて頂きたいと思います。

今回の集まりは、とにかく初めてなのでチャレンジしてみようという担当者の意気込みだけで進んできたので、計画にちょっと荒削りの部分が目立ちます。しかし、まず取り組んでみて、そして定着させ発展させていけばよいのです。呼びかけの範囲も限られていたのでどれくらいの方々が集まるか不明ですが、今回の集まりから、何か次に繋がる方向性を見出したいと思います。

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2008年6月11日 (水)

司祭の集い08年

Tsuruoka080611 毎年一回開催されている、新潟教区司祭の集い。今年度の集いが30名近い司祭の参加を得て、鶴岡郊外の湯野浜温泉で、月曜から本日水曜まで開催されました。司祭の集いは、秋田・山形・新潟で働く教区司祭や修道会司祭すべてが集まって、一緒に学んだり話し合ったり、情報交換をしたり信仰を深めたりする一時です。地理的な問題もあり、同じ教区で働いている司祭でも普段は会うことも少ないのですから、こういった機会にお互いの働いている場での諸課題について、じっくりと話し合うことは重要だと感じています。

今回の集いは、まず研修として、月曜の午後と火曜の午前中に、東京神学院の養成スタッフでスルピス会員であり司教団の典礼委員を長く務めておられる白濱神父様においで頂き、典礼についての勉強会といたしました。特に、現在改訂翻訳が進められているミサ典書について、ミサ典書の総則第3版(現行版)に基づいて留意すべき点に関して具体的な指摘が多くあり、いろいろと気づかされることも多く、有意義な研修でした。

火曜の午後にはカトリック新聞のキャンペーンや、来年新潟で開催される日本カトリック障害者連絡協議会に関するアピール、鶴岡ダルクの活動紹介などがありました。そして本日午前中は、教区内の各担当からの情報交換の時間がとられ、私の司式するミサで締めくくりとなりました。写真は帰りがけに立ち寄った鶴岡教会に安置されている「黒いマリア像」です。修復も無事に終わり先日教会に戻ってきたばかりです。

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2008年6月 8日 (日)

青山教会訪問

Img_3746 本日の日曜日は、新潟市内の青山教会公式訪問と堅信式でした。青山教会は、新潟大学近くの寺尾教会と共に、周囲が住宅地で、将来の共同体の発展が望まれる地域の一つです。またこの小教区内には新潟カリタス会が運営にあたる児童養護施設「新潟天使園」もあり、今日も子どもたちがミサに一緒に与ってくれました。難しくておもしろくない話の連続だったのに、みんな、とてもお行儀が良かったですよ。

ミサ中には堅信式(お一人、写真)も行われました。主任司祭はメキシコ出身のラウル師です。ミサ後には信徒会館でテーブルを囲み、ちょっとだけの私の話と、40分近い質疑応答。特に青年たちのコミュニケーションや活動について、いろいろと質問や提言があったのには感激しました。その後、そのままテーブルを囲んでおにぎりと豚汁のお昼をみんなで頂きました。そういえばだいぶ前に、青山を訪問したら歌を唄うと約束していたのに、そんなことすっかり忘れており、何にも準備しないでがっかりさせてごめんなさいね。ギター用のコードネームをつけてある譜面であれば、ピアノやオルガンで弾いて歌えますから、次回はそんな歌集を与えて下されば、何でも歌います。

明日から水曜日までは、鶴岡郊外で、典礼を学ぶ教区司祭の集いです。

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2008年6月 7日 (土)

週の終わりに

司教総会の長い一週間がやっと終わります。昨日は会議を午前中にすべて終え、午後2時から四谷の麹町教会(イグナチオ教会)で、パウロ年公開講座が行われ、それに参加してから新潟へ戻りました。今回の講座は、そもそもパウロ年にあたり、まず司教団としてパウロについて学び直そうという趣旨で計画され、教皇様の意向に沿ってエキュメニカルな要素も取り入れて、カトリックとプロテスタント両方の講師をお呼びすることにしたのでした。その過程で、せっかくだから信徒の方々にも公開にしてはどうだろうかというアイディアが出て、イグナチオ教会のご協力を得て行われたのでした。

イグナチオの聖堂がいっぱいになるほどに集まって下さった聴衆を前に、一番最前列に司教団が陣取って講演会は始まりました。総合司会はエキュメニズム担当の押川司教。まずパウロ会の澤田豊成師が、「キリストがすべてにおいてすべてとなるように」と題して50分ほど講演。その後、朴憲郁師(東京神学大学教授)による「パウロが捉えた福音と私たちの生」と題した講演が50分。そして岡田、池長、高見の三大司教とお二人の講師とでパネルディスカッションが50分ほど。予定通り5時には終了となりました。お二人の講師のお話は、わかりやすく、しかもたぶん厖大な資料に基づいて、一年間くらいかけて話しても良いような内容を、コンパクトにまとめて下さり、パウロ年のすばらしい導入となりました。

パウロの人生は私たちにとって様々な不思議と魅力に溢れたものです。ダマスコ途上での回心の出来事、実際には出会ったことのないイエスについて力強く語る生き方。「私は福音を告げ知らせずにはいられないのです。福音を告げ知らせないなら、私は不幸なのです(1コリント9章16節)」とまで言い切る徹底的な福音宣教への姿勢。わたし自身はいつも教会で語るとき、「キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです(1コリント1章17節)」を引用します。福音を告げ知らせる生き方、しかも難解な言辞を弄してのことではなく、イエスご自身の十字架上での死という「あかし」と同じく、生き方をもって、語る言葉を持って、行いをもって、福音を「あかし」していくことが大切であろうと思っています。パウロに倣って、現代社会のコンテキストの中で、福音を告げ知らせる生き方を徹底的に追求していきたいと思います。

明日の日曜日は新潟市内の青山教会訪問と堅信式です。月曜の午後から水曜までは山形県の鶴岡近くで新潟教区の司祭の集いが行われます。新潟教区で働く教区司祭と修道会司祭すべてを対象にして、毎年一回開催される研修会です。今年は神学院でも教えている白濱師(スルピス会)においで頂き、典礼について学び直す一時といたしました。

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2008年6月 5日 (木)

司教総会真っ最中

Ca390106 月曜の午後にはじまった定例司教総会は、なんといってもいつものように早く終わったら帰ることができるわけではないため、淡々と、そしてじっくりと議論が進んでいます。金曜日の午後に、司教の勉強会としてイグナチオ教会でパウロ年に関した講演会が行われるためです。いつもは早く終わって早く帰ろうというインセンティブが働くのですが、今回は、なにか、じっくりと話し合いましょうという気分です。決定事項など詳しいことはカトリック新聞でまた報道されるでしょうから、そちらにお任せします。

ご存じのように潮見で発生した殺人事件の現場は、カトリック会館のすぐ近くです。さしたる理由もなく、自分の欲望だけのために、何の関係もない、まともに面識もない隣人を拉致し殺害し、しかもバラバラにして捨て去るとはなんということか。何ともいえない悲しくなるような犯行です。そして殺害された女性のご遺体が発見されないため、警察は毎日のように下水道の捜索です。カトリック会館の前の道路は、連日大量の警察車両がならび、テレビ局も押しかけ、妙な熱気に包まれています。(写真は、道路に並んだ捜査車両の群れ)

昨日の国籍法を違憲とした最高裁判決。やっとそこまで行き着いたのかと感慨深いものがあります。以前大学で途上国開発の入門的な授業を担当していた頃、難民について語る時にどうしても国籍とは何かを語ることになりました。そのたびに日本の国籍法の、子供が生まれた時点で、父または母が日本国籍であることという法的結婚を前提とした規定が、現実にそぐわなくなってきていることが気がかりになっておりました。しかも男性が日本国籍で女性が外国国籍の場合、出生前に認知しなくてはならないなんてことを普通の日本の男が知っているわけもなく、気がついた時には手遅れなどということで、子供の国籍が認められないのは、子供自身に何も責任がないのに何とも不公平なことであると感じておりました。最高裁の判決をもって、政治が法律を早急に改正してくれることを期待します。

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2008年6月 2日 (月)

長岡地区大会

Nagaoka080502 長岡地区大会が、昨日午前10時から午後3時過ぎまで、長岡市の福住教会を会場に開催されました。午後2時からのミサでは、200人分のホスチアを用意されたと言うことでしたが、それがほぼ拝領されましたので、子どもも含めれば、250人は参加者があったのではないでしょうか。福住の聖堂には入りきれませんから、幼稚園のホールですべての行事が行われました。

今回のテーマは「殉教者に学ぶ」。第一部として私が講演をしました。といっても私は殉教者の歴史に詳しいわけでもなく、9月の教区大会では専門家の溝部司教様が講演されますから、歴史についてはさておいて、先日米沢で説教したことを基本に、今をどう生きるのか、当時の米沢の信徒共同体に倣って、如何に社会から尊敬され慕われる共同体を作り上げていくのか、またそれこそが宣教にも繋がるという話をいたしました。もちろん、当時とて、キリシタンの掲げる価値観と倫理観はこの世の価値観や倫理観と同じものでは中ってでしょうし、この世の方がよいのであれば、何もわざわざキリストを信じる必要もないのですから、私たちの信仰に自信を持って共同体を作り上げていくように心掛けましょうと話しました。

その後グループに分かれてのわかちあい。英語やタガログを使うグループもふたつできました。そしてたのしくお弁当を頂いて最後にミサとなりました。長岡地区はフランシスコ会の神父様方です。いろいろと細かく準備を頂いてありがとうございました。長岡の主任のブルーノ神父様は先日手術を受けられたばかりにもかかわらず、杖をつきながらもしっかりと陣頭指揮に当たって下さりご苦労様でした。

さあ、午後から一週間の司教総会の開幕です。

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