7月28日(月)の早朝6時に、ナイロビのソウェト教会を佐藤神父と出発。すさまじいナイロビの朝の渋滞の中、都心を目指します。タンザニアのアルシャ行きのバスは8時出発。朝の通勤時間帯、バス停に到達するまで、優に一時間はかかります。渋滞がなければ20分ほどで到達できるはずの距離でしかありません。なかなかの渋滞です。まだ薄暗い路地を、制服に身を包んだ子どもたちが学校へと急いでいます。小学生も中学生も。子どもたちは恐ろしく早く登校してくるのだとか。最も街中で働く人たちも渋滞を見越してか、恐ろしく早い時間帯から、「歩き」はじめていました。(写真はシマンジロから出かける医療チームの診療に集まったマサイの人たち)
ナイロビでの都市観光通の主役は、ハイエースやキャラバンなど、日本のワゴン車を利用したミニバスです。マタトゥと呼ばれています。こういったミニバス系でもタンザニアに向かうことができるのですが、大概こういうミニバスは定員いっぱいかそれ以上のすし詰めのことが多く、ちょっと敬遠させて頂きました。その代わり今回は、コースターなどのマイクロバスを利用した一日2往復あるというシャトル便を利用。リバーサイドという会社。家族旅行と思わしきインド系の英国人大家族15人に囲まれて、6時間近い大旅行となりました。
ナイロビからタンザニアのアルシャに向かう道路は、中国の企業が担当して補修工事の真っ最中です。そのためバスは、周囲に設けられた仮設道路を通るのですが、これがまた未舗装で揺れること。砂煙を上げながら、バスは100キロ近いスピードで疾走です。ナイロビは標高の高いところにありますから、どちらかと言えば延々と下り坂の感じです。お昼前に国境に到着。
ケニア側のイミグレーションは簡単に通過。そこから歩いてフェンスで二重に仕切られた国境を通過。そしてタンザニアのイミグレーション事務所へ。これがすさまじいことになっているではありませんか。コンビニくらいの大きさの事務所は、たった今同じくらいの時間に国境に到達した制服姿の高校生とおぼしき団体で溢れかえっているのです。後から分かったのですが、3台の大型バスに分乗してナイロビから出かけてきた学生の一団でした。加えて、タンザニアのイミグレーションは、空港などでよく見る通過していくブース式ではなく、普通のお役所のカウンターのような作りです。しかも今年から、一人ひとりの顔写真を撮影することになったとか。よく見るあの丸いコンピュータ用のカメラがカウンターにおいてあるのです。これがなかなかうまく写らない。「近すぎる。もっと離れて。もっと近くに来て」と係官の叫ぶ声が響きます。入国ビザを取得する必要があったため、ここで一時間を費やしました。
国境を越え、タンザニアに入ると雰囲気ががらりと変わります。まさしく大平原。牛や羊の群れに混じってシマウマの群れが。そしてケニアでは見ることがなかったサボテンも自生しています。アルシャへ向かう道はひたすらまっすぐ。午後2時前にアルシャに到着しました。アルシャには現在、ルワンダ虐殺事件を裁く国際法廷が設けられており、街の中はこれまた国連関係のランド・クルーザーとサファリ用のランド・クルーザーで溢れかえっていました。ひとまず神言会の担当する小教区にお邪魔しました。この小教区は大司教館のお隣にあり、カテドラルではないものの、現在は「副」カテドラルとして教区の様々な行事が行われるのだとか。ここからマサイ族の居住地域の真っ直中にあるシマンジロ教会の車(これまたランドクルーザー)に便乗して3時間。火山灰が堆積した土地で、雨期になるとさしものランド・クルーザーでも走破することができなくなるとか。ひと山越えて、シマンジロの町へ到着しました。教会には診療所が併設されており、ドクターがひとり常駐しています。また教会が掘った井戸が近隣の水源となっており、早朝には、教会前に水汲みの人たちが列をなしていました。
翌朝9時過ぎ、診療所で入院患者の回診を済ませたドクターを乗せて、空飛ぶ医療チームのセスナは、シマンジロの教会グランドを飛び立ったのでした。この日は3つの村を巡回します。この空飛ぶ医療チームは男子宣教会の聖霊会(CSSp)が行っている事業で、神言会のポーランド人会員ジャック・ラジマン神父がパイロットの免許を取得して関わっているものです。医療チームを受け入れる各村は、セスナが離着陸できる滑走路を用意することが条件です。といってもよくもまあこんなところに着陸できるなあと思わせるような、まあ、ただのまっすぐな道です。着陸するとどこからともなく村の人たちが集まってきました。患者さんはほとんどが母親と子どもたち。一カ所では木から量りをつるして赤ちゃんの体重測定と予防接種。私はドクターについて、彼の命じるままに持参したスーツケースに並んだ薬ケースから、指示された数の錠剤を数えてプラスチックバックに入れるお手伝いをさせて頂きました。(写真は診療にあたるドクターと手伝うジャック神父)
子どもたちの下痢症、皮膚病、そしてマラリアが一番多く見られる症状です。お母さんたちにも皮膚病などの感染症が蔓延しています。水のあまりない地域なので、どうしても感染症が増えてしまうのでしょう。ドクターはてきぱきと診察していきます。三つ目の村に到着した時点で、午後3時頃。ここではまずセスナの羽の下にテーブルを置き、コーラとパンの昼食。水がないので、ジェル式のアルコールで手を消毒しました。三つ目の村が終わって帰路につこうとすると、ジャック神父が副操縦士席に座らないかと魅惑的なお誘い。フライトシミュレーターに最初に出てくるセスナそのものの操縦席です。彼にいろいろと説明を受けて、感動しながら、そして夕日を眺めながら、シマンジロへ戻りました。時には重病人も発生して、そういう場合には即刻アルシャなどの大病院まで飛行機で患者を移送するそうですが、今回はそこまでの重病人は居なかったものの、しかし集まってきた人たちの安心した表情を見るにつけ、大切な奉仕職であると感じ入りました。誰にでもできることではありませんが、そういう才能を恵まれた方々が、しっかりと果たすことができるように祈りたいと思います。
翌朝は4時半にシマンジロを出発。8時にアルシャからナイロビ行きのバスに乗り、午後2時頃ナイロビ到着。その晩、9時の飛行機で、ローマへ移動したのでありました。