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2008年11月30日 (日)

今日から待降節です

Hirado すでに本日から待降節。クリスマスへの準備の時期となりました。待降節第一主日の福音は、「目を覚ましていなさい」というマルコによる福音でした。待降節は神の到来を待ち望む季節ですから、神のみことばが人となられて最初に来られたことを想起しつつ、再臨を待ち望む自らの姿勢を問い直す時期としなければなりません。その意味で、「目を覚ましていなさい」という呼びかけは、基本的な態度と言えるでしょう。福音には「その時」を待つとあります。つまり目を覚ましている理由は、「その時」を待つことです。そして「主人が突然帰ってきて」とありますから、「その時」とは主人の帰宅です。そんな当たり前のことですが、焦点は、目を覚ましていることそれ自体が大切なのではなく、何のために目を覚ましているのかを自覚していること、つまり、「その時」とはわたしにとって何なのか、わたしは一体今何のために目を覚ましているのか、一体わたしは何を待っているのか、それをはっきりとしておかなければならないということです。何を信じているのか。それがはっきりと分からないのでは、目を覚ましているのは虚しいことです。本日のミサの中でその列福に感謝を捧げた殉教者たちこそ、何を信じているのかをはっきりと知り、そのために常に目を覚ましていたのです。私たちは「その時」を正しく知り理解しているのでしょうか。本当に神が望まれる「その時」を待って目を覚ましているのでしょうか。虚しい偽りの希望を、誤って「その時」だと勘違いしていないでしょうか。自らの信じるところを、常に見直していきたいと思います。(写真は平戸の街角に立つザビエル像)

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2008年11月29日 (土)

巡礼にもいきました

Jyunrei03 列福式にあわせて、数多くの巡礼旅行が企画されていました。わたしもそのうちの一つにご一緒させて頂きました。カトリック新聞が募集した公式巡礼団のCコース29名の方々と、列福式後の火曜日朝から五島に渡り、上五島を巡礼。翌水曜日夕刻に佐世保に渡り、平戸に泊まって、木曜日には平戸と生月を訪れて東京へ戻ってきました。阪急旅行社の企画です。実は旅行社が企画して添乗員さんがついてくるという形の巡礼に同行するのは、生まれて初めての経験でした。(写真は上五島、頭ヶ島教会の遠景)

同じ時期にいくつもの巡礼団が重なったため、ミサで重ならないようにとか、いろいろと旅行社も調整に苦労した模様です。また道路も狭いことですから、同じ時間帯に大型バスが何台も集中しないように、地元とも協議の上スケジュールを決められたようです。長崎から上五島へ渡るジェットフォイルは、そもそも臨時便。平賀司教率いる仙台教区の80名近い大巡礼団や、名古屋の巡礼団と一緒になりました。その後も、上五島の教会を巡る旅では、東京教区の巡礼団や梅村司教率いる横浜教区大巡礼団などと、そこかしこで出会うことになりました。修道会のわたしの先輩や後輩も、長崎やら五島やらの出身者が多くおりますので、話には聞いておりましたが、美しい自然の中に、もうそこら中に教会が建っている。しかも町の真ん中に。いくつもの教会を訪問させて頂き、お祈りを捧げ、またミサをさせて頂きました。

Jyunrei04 私たちのグループは佐世保に本社を置く西肥バスのお世話になりました。その昔、高校2年生の修学旅行で長崎あたりを旅したときも、確か西肥バスでした。上五島の営業所には通常2台しか観光バスを置いていないとかいうことで、今回の巡礼ラッシュのため、わざわざ佐世保からバスをフェリーで運んできたのだとか。細くて曲がりくねった上五島の道を巧みに運転してくれた運転手さんは、ミサが始まると、なんとその制服のままで(もちろん制帽は脱いで)わたしの侍者をしてくださるのでありました。加えてガイドさんもミサに与るという、お二人とも上五島の青方教会の信者さんとのことで、巡礼旅行にはもってこいのお二人でありました。特に各地の聖堂における運転手さんの細かな解説は、小教区の事情まで分かって最高でした。(写真はたぶん、上五島大曽教会の内部)

「五島のお土産は、皆かさばって重たいものばかりでございます」というガイドさんの案内通り、途中で立ち寄った矢堅目の駅(やがためのえき)という天然塩を作っている土産物屋さんでは、前日に列福式に出かけてきたという信者さんのご主人から勧められるままに、皆様、重たくかさばる「かんころもち」などをお買い求めになっておりました。私も頂いて参りました。かんころもちは、おいしいですからね。神学校時代に良く、長崎出身の神学生からお裾分けをいただいておりました。

Jyunrei01 最終日は平戸のザビエル記念聖堂で、仙台教区巡礼団や名古屋の巡礼団と一緒にミサを捧げました。司式は平賀司教でわたしが説教をいたしました。ザビエルがいたからこそ日本の信仰の歴史が始まったのです。巡礼の締めくくりのミサを、そのザビエル記念聖堂で捧げることができたことは、大きな感動でありました。わたしは会議などでローマに行くチャンスがあれば、必ずザビエルの右腕の前で祈ってくることにしています。なんといっても彼がいたからこそ、そして彼が万難を排して日本へ到達したからこそ、殉教者たちの歴史があり、そして今の私たちの信仰があるのだと思えば、感謝しないわけにはいきません。(写真はカトリック新聞公式巡礼団の皆様)

巡礼にご一緒頂いた皆様、ありがとうございました。また各地で快く案内し迎えてくださった多くの方々に、感謝します。それにしても、阪急交通社添乗員の松田さん、ご苦労様でした。細やかな配慮と忍耐力、そして疲れを知らない大活躍と笑顔。すばらしい。わたしにはちょっと真似ができません。感謝します。

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2008年11月28日 (金)

列福式も終わり

Reppuku ペトロ岐部と187殉教者の列福式も無事終わり、それに伴って行われた巡礼も終わり、やっと先ほど新潟へ戻ってきました。司教正装など持っていかなければならないなど荷物が多かったので、出発間際にコンピュータを置いていく決意をしたのでした。ですから実況中継ブログ更新もなく、本日に至りました。

今さらですが、雨模様の列福式当日は、式が始まると同時に雨も上がりはじめ、ずぶ濡れの中でのミサにならずには済んだとはいえ、開場してから開式までの2時間ほどを、会場内で待って頂いた参列者の方々は、途中で強くなった雨に打たれて大変だったと思います。参加された皆様、お身体の調子などいかがでしょう。またその数日前から、ぐずついた天気の中、雨に打たれながら会場設営をされ、入念にリハーサルをされ、様々なセッティングをされた長崎教区と九州の教会の皆様には、本当に感謝しかありません。あれほど多くの方々が裏方として参加してくださること自体が、長崎の教会のパワーを表していますし、逆に言えば、長崎だからできた式典であったと思います。

式典は直前に雨脚が強くなり、急遽、祭壇上にテントを設営することになり、少々開始が遅れました。その間バックネット裏の通路で並んで待っていた司教団は、外の様子がまったく分からず、先頭にいた幸田司教が何度も外を見に行っては、祭服の上から雨合羽を羽織ってみたり、始まりの鐘が鳴った頃に(わたしはあれは録音だとばかり思って、グランドに出てみたら、本物の鐘が三つも設営してあるので、ビックリでした)、やっぱり多少の雨でもカッパ無しでいこうと決定して慌てて脱いだり、ばたばたとしておりました。あとで写真を見る限りは、カッパ無しで出て行って良かったと思います。赤の祭服が並ぶのは、やはり美しさがありますから。

ミサや式典自体は事前に教皇庁儀典室と打ち合わせて(列福式の主催は教皇庁ですから)作成された、列福式式典書に基づいて行われました。式典書は様々な動きまで細かいところをすべて「ルブリカ(赤字の典礼註記)」でしるし、そのほかすべてが記載されて正式に製本された本格的なものです。とはいえ、日本語の式典書の細部まで教皇庁の承認が必要なため、実物を私たちが見たのも式典当日の控え室です。式直前に高見大司教が司教団に解説をしました。これがまた大変。韓国、ベトナム、台湾、インド、イタリアの司教さんたちと、ベトナムとインド(福音宣教省長官)の枢機卿という共同司式司教全員に細々と伝えるのですから、とにかく高見大司教が話してわたしが英語で説明をしました。それでもあまり混乱もなくスムースに式が進んだのは、枢機卿さんや司教さんたちが、それなりに機転を利かして動く術を身につけてきたこともありましょうが、やはり教会の伝統に従って配置されていた式典長(チェレモニアリス)と3名の式典係の活躍に負うところが大でしょう。バチカンで行われる式典でも、そもそも枢機卿や司教さんたちが事前にリハーサルをするなんていうことはあり得ず、式典の美しさと荘厳さは、式典長の腕にかかっているのです。私たちは式典長のいうとおりに従って動くだけであります。教会の知恵です。初めての列福式、うまく進んだのは式典長と式典係司祭団の活躍のおかげでした。(祭壇上でスータンを来てスルプリを羽織っていた司祭たち)。

巡礼で一緒になった方から聞きましたが、福音を読んだ「イケメン」は誰かと話題になったそうですが、彼は長崎教区の助祭です。もうひとり、教皇代理の通訳をしていた「声のいい」司祭は誰かと話題になったそうです。(教皇代理の回りについていた、同じくスータンにスルプリの四名は、式典係ではありません)あの「声のいい」司祭は、イエズス会の菅原神父。ローマのグレゴリアン大学の先生です。ちなみにわたしと同じ岩手県出身。確か大船渡の人です。

とにかく式典中は風が強くて、わたしは何度もズケット(赤い小さな帽子のようなもの)が飛ばされそうになって冷や冷やしていました。別に特別な仕掛けがあるわけでもなくて、ちょこんと頭に乗っているだけなのに、教皇代理のマルティンス枢機卿のズケットなんか、ぴくりともしなかった。あれは徳性の違いか?はたまた頭の構造の違いか?

ゆかりの9教区の司教が前に出て、それぞれの殉教者について淡々と述べました。わたしはあの時、いうにいわれぬ感動に襲われていました。テレビで見た人には仕切りにズケットを飛ばされないようにもがいていたようにしか見えなかったかもしれませんが、わたしは言いしれぬ感動で震えておりました。殉教者たちの存在を、あの瞬間にとても身近に感じていました。受け継いだものを伝えなくてはならないという思いに駆られました。

白柳枢機卿の説教もすばらしかった。何処にあんな力があるのかと思うほど、言葉の一つ一つに力がこもった、すばらしい説教でした。さすが気配りのすばらしい白柳枢機卿は、ミサの終わりには祭壇のすぐ目の前に座っていた諸宗教関係者やキリスト教諸派、そして来賓の方々に挨拶に行かれました。

スコアボードの超巨大な肖像画はあの後にどうするのだろうかとか、雨に濡れてだめになったのではと心配する向きもあったようですが、あれはもちろんコピーです。実物はあれほど大きくはありません。

兎にも角にも、式典は終わりました。関係者の皆様、参加してくださった皆様、ありがとうございました。

わたしにとっては、その直後に長崎大司教館前庭で行われた、若者たちによる記念植樹に参加して、植えられた木の祝福をさせて頂いたことも、感激でした。ゆかりの地の司教ということで呼んで頂きありがとう。せっかくだから、新潟教区の若者も参加できれば良かったのですが、残念でした。若者たちはローソクリレーの締めくくりとして、雲仙から歩いて巡礼し、列福式のはじめにリレーしたローソクとゆかりの地の土を奉献し、そしてこの植樹をしたのでした。何か一人では寂しかったので、松浦司教様にも一緒して頂きました。珍しく二人の司教が正装で現れたので、終わった後は写真撮影会でした。今回の若者の活動をコーディネートした長崎教区の皆さん、ありがとう。

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2008年11月21日 (金)

米沢殉教者の絵本が完成

Ehon まもなく列福式です。列福式に参加したいと、ハバロフスクの主任司祭、マルセロ神父も本日来日しました。わたしは明日の夜東京へ出て、日曜の朝にカトリック新聞巡礼団と一緒に羽田から長崎へ向かいます。

さて列福式にあわせて、新潟教区では米沢の殉教者についての絵本を作成しました。すでにカトリック新聞にも宣伝が載っています。絵本といっても子ども向けではなく、大人のための絵本です。しかも日本語だけではなく、英語でも本文が掲載されています。教区としての自費出版ですから定価は定めていません。お求めになる場合、印刷実費として2,000円の献金をお願いしています。新潟教区内の小教区には、一冊ずつ送付しますので、各小教区で注文をまとめてくださると幸いです。注文は山形教会で取り扱います。本文を執筆してくださった山形教会の筒井義之さん、絵を描いてくださった神保亮さん、本文を英語に翻訳してくださった千原通明神父様に感謝します。写真は表紙です。

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2008年11月20日 (木)

真冬のような寒さに

全国的に寒波に襲われているようですが、新潟も昨日から真冬のような寒さです。新潟市内でも昨日は霰のようなものが降り、すさまじい風が吹きすさび、雷が鳴り響きました。そして今日は朝から雪になったり雨になったり。11月中にこんなに寒くなるのは珍しいのではないでしょうか。そういえば車のタイヤもまだ冬用に替えていないし。

この数日、お天気が気になってしかたありません。日韓司教交流会の時は本当に好天に恵まれ、冬はまだまだ先と思わせるような暖かい毎日でした。それがこの数日の変化の激しさ。心配なのは来週の月曜日の長崎地方。そう、列福式は野外であります。なんといっても長崎はヨハネパウロ2世が来られたときの野外ミサで雪を降らせた地であります。九州というと私たちは南国というイメージがありますが、長崎はしっかり寒くなる地。天気予報によれば、なぜかその前後は晴れそうなのに、当日だけは曇り一時雨。降水確率60%であります。祭壇上には屋根がありませんし、祭服の上に雨合羽を羽織るわけにも行かないですねえ。雨が降ったら、聖体拝領もさぞかし大変だろうと思います。今回の188殉教者に含まれる殉教者ゆかりの教区司教は、聖体拝領の係になっておりますから。そういえば、高見大司教様が出席した昨年のカナダでの国際聖体大会は大雨の中でミサだったとか。おそろしい・・というか、楽しみです。

来年の5月16日土曜日には、米沢の殉教地、北山原で感謝ミサを行います。11時からの予定です。教皇大使もおいで下さるとのことです。これもまた天気が良くなることを今から祈ります。

それにしても、この数日、日本中を震撼させている元お役人を対象にしたテロと思われる事件。意見の相違や憎しみを具体的に暴力として行動に移し、命を奪う行為は絶対に許されるものではありません。加えてテロはまさしく恐怖を広く与えることが目的ですから、この事件がいろいろな意味で顔色をうかがって言動を自粛する雰囲気を醸成するのかもしれません。その行き着く先は、決して「幸福」を感じることができる社会ではないように思います。

ところで下の写真は、先日の日韓司教交流会の全体写真ですが、先日アップしたものではクリックしても一人ひとりの顔が分からないとのことで、ちょっとトリミングしてみました。少しは顔が分かりますか。ちなみにわたしは一番右端の後ろです。

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2008年11月18日 (火)

顧問会やら司祭評議会やら

昨日(月曜日)の午後から本日(火曜日)のお昼にかけて、新潟教区司祭評議会が開催されています。年に二回、3月と11月の開催です。例年はあと一週間遅く開催していましたが、今年は列福式の関係で早めの開催となりました。宣教司牧評議会のこと、教区大会のこと、教区100周年のこと、米沢での列福感謝式典のことなど、様々な事が議題となっています。

司祭評議会に先駆けて、昨日は10時から月曜会の例会。ミサとロザリオの祈りで、そのあとに年に一度の昼食会を消防署から道を挟んだ向かい側にあるネルソンの庭で行いました。20名近い、どちらかというと人生の大先輩の(失礼)女性軍に、男がひとり囲まれて食事をしている姿も、事情を知らない人たちからは珍しく見えたのかもしれません。その後1時15分から3時過ぎまで教区顧問会を開催。

本日(火曜日)はお昼で司祭評議会が終了しますが、その後2時半から、学校法人聖母学園(新潟県内17のカトリック幼稚園を統括する法人)の新採用職員研修会が新潟教会で開催されます。初めての研修会となりますので、今回はわたしが講話を行い、その後グループディスカッションを行いますが、15名の新任職員が参加してくださる予定です。

新潟は雨模様。寒くなりました。来週月曜日の、長崎の天候が気にかかります。とにかく雨だけは勘弁して欲しいところです。

P.S. 先ほど長崎教区からファックスが入っていましたが、イエズス会の結城了悟神父様が亡くなられたということです。86歳。通夜は今晩7時から長崎の中町教会。葬儀は明日の午後1時から同じく中町教会。結城神父様はもともとスペインの方ですが、日本に帰化され、その際にはキリシタン史を深く研究されていたこともあり、殉教者に因んで結城了悟と名乗られました。長崎の26聖人記念館の館長を長く務められ、米沢の殉教者についても小冊子を書いてくださいました。列福の記念に再版した小冊子です。今回の188人の列福を一番心待ちにされていたのではないでしょうか。列福式には殉教者とともに天国からの参加ということになりました。日本の教会のための、お働きに感謝します。R.I.P.

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2008年11月16日 (日)

週末の出来事2題

新潟教区では、1950年代後半頃から、教区内各地区の宣教をいくつかの修道会にお任せしてきました。単に教区長が修道会員を小教区の主任司祭として任命するということではなく、当時は、地区全体を一括して修道会と委託契約を結び、小教区の運営から司祭の派遣までを修道会にお任せしてきたのです。時代も変わり教会法も変わり、修道会の状況にも変化がありました。そのため現在では、地区を丸ごと委託する契約を採用するよりも、多くの教区で、小教区を特定して委託する契約に変更したり、または修道会が教区の宣教司牧のために人数を特定して教区に会員を派遣し、教区長が任命をするような契約へと姿を変えつつあります。とは言いながらも、長年の伝統から修道会が活動の本拠地にしている小教区や、もともと修道院の聖堂に人が集まり始めて小教区に発展した教会など、修道会との結びつきが特別な教会も存在します。以前はそういった教会は修道会小教区などと呼ばれてきましたが、現在の教会法ではその概念がなくなり、期限を定めずに委託する小教区という考え方をしています。

Ofm50 前置きが長くなりました。新潟県の長岡地区は50年前に、それまで担当していた神言会からフランシスコ会に宣教委託がなされ、今年がその50周年ということになりました。昨日の土曜日、長岡の表町教会にフランシスコ会の長谷川日本管区長とイタリアはボローニャ管区のブルーノ管区長を迎えて、50周年感謝ミサが捧げられました。(ブルーノ管区長とは主任のブルーノ神父とは別人です)というのも長岡地区の宣教は、50年前に中国本土から追放されてきたフランシスコ会のボローニャ管区の宣教師に委託されたのです。これまで多くの宣教師がボローニャ管区から派遣されて、長岡地区を発展させてきました。感謝します。フランシスコ会の日本における宣教は、当初は海外の様々な管区が直接に担当するかたちをとってきました。そのため同じフランシスコ会でも、様々な管区を背負って別々に活動していたのです。わたしの前任者である佐藤敬一司教様が1977年に最初の管区長となって、日本管区として統一されました。さすがのフランシスコ会も以前のように潤沢な会員が日本管区にいるということではなく、やはり召命の危機に悩んでおられます。現在、長岡地区で働いてくださっている会員も、いつまでもお若いわけではありません。そうしてみると、やはり教区として、単純に地区を修道会に丸ごとお任せしておくわけにもいかない将来が、確実に見通せるではありませんか。今回の50周年を機会に、次の50年、長岡地区の宣教司牧にどう取り組むのか、考えてみたいと思いました。(写真は昨日のお祝いに用意されたケーキ)

Haresaku そして本日の日曜日、午後2時から、新潟教会聖堂を会場に、新潟女性の会主催の講演会が催されました。あいにくの雨模様で肌寒い午後でしたが、新潟教会聖堂は満員。さすが講師の魅力であります。講師は東京教区高円寺教会主任の晴佐久昌英神父様。その語り口と、福音宣言を推し進める姿勢で有名な方です。加えて高円寺教会での洗礼者の多さでも有名な司祭です。カリスマ司祭などとも呼ばれたりしますが、ご本人もいうとおり、司祭にはカリスマが与えられていて当然だし、すべての人にそれぞれのカリスマが与えられているのだから、特別な呼び名ではないと。実は彼の話を直接耳にするのは初めてでした。どこにその魅力があるのか、一生懸命に聞き耳を立てました。で、結局ですが、もちろん声のトーンが心地よいことと話し方が丁寧で言葉遣いが巧みであることもありますが、最終的には語る内容に自信がある、というか信じていることを直接語っていることが、語る言葉に力を与えているのだと感じました。(写真は聖堂の様子)

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2008年11月15日 (土)

日韓司教交流会も無事終了

Korea0805 第14回目となる日韓司教交流会が、11日から3日間、韓国の馬山教区教育館を会場に開催されました。今回の交流会には、韓国側から16名、日本側からは14名の司教が参加して、「移住者の神学」についての研修を行いました。会場となった馬山教区の教育館とは、教区のための宿泊研修施設で、この6月に完成したばかり。現在も庭の整備が進められていました。かつて米軍の砲台がおかれていたという海を見下ろす山の頂上部分。毎年、正月には馬山の人たちがご来光を拝みに登ってくる丘なのだそうです。このご来光の丘部分に市民が自由に立ち入ることを許すことを条件に、この米軍施設だった土地を購入したのだとか。道理で、あたかもこの教育館だけに行くために作られたように、山の頂上まで道路が延びているわけです。馬山教区は地域の人口のほぼ6%にあたる15万人ほどの信徒を抱え、教区司祭も100人以上を数える、日本的水準からいえば大きな教区です。やはりその規模に見合って、黙想会や研修会のためにはそれなりの宿泊施設が必要となり、教区全体をあげて数年をかけて資金を捻出し、この建物を完成させたのだそうです。それにしても、その資金捻出方法は、ちょっと日本では不可能な、ビックリするような信徒の結晶です。すばらしい眺め。十分な設備。おいしい食事。小共同体づくりなどに精力的に取り組んでいる韓国の教会ですから、きっと十分に活用されていくのでしょう。(写真は参加した日韓の司教団)

Korea0804 オーストラリアで働くイタリア人宣教師による移住者の神学についての講演は、まだその分野が十分に研究されていないと断りながらも、聞き応えのある内容でした。教会自体が民(共同体)として常に旅にある存在であること。イエスの派遣には常に移動する姿勢が求められていること。見知らぬ人や旅にある人をもてなすことは、本質的に聖書的であること。イエス自身の教えや実践を中心にするとき、旅する人に対して手を差し伸べることは、選択の余地のあることではなく、そうしなければならないこと。信仰においてイエスを中心において考えるとき、旅する人、周辺に追いやられた人に対して手を差し伸べることは、個人の好みや優しさなどに起因する偶発的なことではなく、そうしないはずがない必然であることなど。興味のあるお話をいただきました。(写真は教育館から眺める海。釜山の方向を臨む)

韓国の司教さんたちとのわかちあいを通じて、どちらも移住移動者の司牧を課題としているが、それぞれの状況が違うことからアプローチも異なっていることも分かりました。つまり韓国では地元の信徒が多数であって、そこに少数の移住移動者が存在する構図であるのに対して、日本の都市部では地元の信徒よりも移住移動者信徒の方が遙かに多いという現実です。お互いに通訳を介してで下が、グループでの話し合いや夜のお酒を通じてのコミュニケーションの一時など、いろいろと互いの状況について理解を深めることができました。

交流会は木曜のお昼で終了しましたが、航空便の関係でもう1日残ることになったわたしを含めて数名は、午後から馬山から車で2時間ほど離れた 双磎寺(サンゲサ)という、723年に創建されたお茶で有名な、そして韓国の仏教の中でも非常に権威のあるというお寺を訪問しました。馬山教区の神父さんと懇意にしているという住職は、文筆家でもあり音楽家でもあるようですが、いろいろと説明してくださったあとに、我々一行を部屋に招き入れ、お茶をごちそうしてくださいました。このお寺では夕方6時になると鐘がつかれるとともに大きな太鼓を、70人はいるという修行僧の中から選ばれた一団が、順番にリズムをつけて一心不乱に叩いていたのが美しくもあり、神秘的でもありました。(下左は色彩豊かなお寺の建物。右はお茶を入れてくれる住職)

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2008年11月10日 (月)

08年の日韓司教交流会は馬山にて

今年の日韓司教交流会は、韓国の馬山教区で行われます。明日の午後4時頃までに釜山空港に集合。その後バスで馬山へ移動とのこと。今年は移住移動者の現状について、お互いの情報交換を行う予定です。

新潟空港からも毎日のソウル便があるのですが、時間的にあわないことや、仁川から金浦への移動が必要なことと、新潟からソウル経由で釜山へ飛ぶと、結局かなり高いチケットになってしまうこともあり、他のルートを探すことにしました。で結局、明朝、ANAで札幌へ飛び、札幌から大韓航空で釜山へ。そして金曜日に釜山から名古屋へ飛んで、新潟へ戻るルートを利用することに。札幌・釜山・名古屋はほぼ3万円程度。新潟・札幌と名古屋・新潟は旅割でとても安くとれましたので、これで出かけて参ります。詳しくは金曜日以降に、帰国後。

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2008年11月 9日 (日)

亀田教会で堅信式

Kameda081101 昨晩から今日まで、新潟市内の亀田教会を訪問しておりました。昨晩は時間を作って集まってくださった信徒の方々と、お鍋を囲んで、おいしい日本酒もいただきながらの歓談会。そして本日は9時からのミサで、一名の方の堅信式も行いました。亀田教会の聖堂は、昨年の4月に献堂されたばかりの新しい聖堂です。(献堂式については昨年07年4月22日と23日の記事をバックナンバーからご覧下さい。07年4月はこちらをクリック)当時カトリック新聞にも取り上げられましたが、30軒ほどの信徒世帯数で、長年にわたる積み立てと、随意に信徒の方が行われた寄付、そして亡くなられた前任の山田主任司祭の残されたもの、教会共同体の努力で建設された聖堂です。教区の共済基金からの借り入れも一部ありますが、それも期日より早い返済が可能だという、会計担当者の力強い言葉もいただきました。もちろんどの教会でも同じ事が可能だとは思いませんが、教区全体の視点から見れば、教会共同体が互いに助け合うことによって、教区の中の30以上の教会も、必要な補修や改築、そして新築も、不可能ではないなと、亀田教会の信徒の方々と時を過ごして感じました。

Kameda081103 本日のミサ、ラテラン教会献堂の記念日でもありましたが、ミサの中で一名の方が堅信を受けられました。おめでとうございます。お母様の大喜びのお顔が印象的でした。大きな教会で行う大規模な堅信式にも荘厳なものがあって良いのですが、亀田教会のように30名ほどの方の集まる小さな共同体で、家族に見守られるような雰囲気の中で行う堅信式には、暖かさが満ちあふれていてすてきな雰囲気があります。私たちの信仰の本質が、単に見た目の荘厳さや美しさにあるのではなく、信仰における兄弟姉妹の「絆」の温もりのうちに存在するのだと感じる一時です。そしてその「絆」は、本日の第二朗読にあったようにイエスという土台の上に成り立っているからこそ、単なる同好会のような友人の集まりで感じる楽しさとは違い、その土台から伝わってくるよろこびと安心を感じさせる、温もりのある「絆」となるのです。そこにこそ、私たちの信仰の本質があります。弟子たちを集め共同体として派遣したイエスの思いが、共同体には満ちあふれているはずなのですが、やはりどうしてもそれは大きな共同体では感じることが難しい。小さな小教区の良さは、それを肌で感じることができる可能性を秘めているところにあるのでしょう。

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2008年11月 8日 (土)

これから亀田へ

一昨日は10時からの常任司教委員会のあと、午後3時半から社会司教委員会。そして昨日はカリタスジャパンの援助活動推進部会でした。夕方7時前に新潟へ戻り、秋田から客人が来訪されていたので即座に夕食にお付き合いして、秋田の様子をいろいろと聞かせて頂きました。そして今日はこれから亀田教会です。「亀田のあられ、おせんべい」で全国的に有名な亀田製菓のある亀田。現在は新潟市に合併されてその一部となっていますが、住宅地として人口が増加中で、その証左に、この地域では一番大きなイーオンのショッピングセンターが近頃開業しています。今日の夜は信徒の方々と信徒会館での夕食懇談会。明日の日曜はミサをともに捧げてまいります。

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2008年11月 6日 (木)

語る言葉の力

Pc081 昨日は高田(上越市)にあるクララ会修道院で院長選挙でした。会憲に従いその前には教区長が、修道院のメンバーの個人面接をしなくてはなりません。それで前日に出かけました。といっても病気で入院中のメンバーを除くと5人の共同体ですから、すぐ終わるだろうと思いきや、2時から始めて5時半頃までみっちりと話をさせて頂きました。そして二日目には早朝のミサ、そして朝食後に再び聖堂に集まり、クララ会の伝統に従って様々な祈りを行った後に選挙となりました。結果としては現在のシスター近江が院長に再任されました。観想修道院のシスター方が教区に存在するという意味は、祈りをもって教区全体を支えてくださる力が教区にあるということです。私たち多くは、実際に社会の中でそれぞれ与えられた役割を実際に果たして福音宣教にあたっているのですが、それを背後から、または下から、祈りの力を持って支えてくださっているのです。つまり、観想修道院の生活は、それ自体が教区の宣教の業の一環です。誰にでもできる生き方ではありませんが、でもそういう祈りの生活に呼ばれている人も教会にはいるのです。(あなたにもその召命はありませんか?)選挙が終わってから共同体に1時間ほど講話をして、早めにお昼を頂いてから新潟へ。

司教館に戻るとちょうど合衆国の大統領選挙の大勢が判明して、オバマ氏が勝利宣言をする瞬間でした。テレビで中継を見ました。演説のうまいオバマさんにしては、かなり抑えめの話し方であったと感じました。スタッフに才能のあるスピーチライターや演出家がいるのでしょう。スピーチの中身はともかく、上手に聴衆を巻き込む繰り返しフレーズを連発し、あの場にいたら、感動の涙を流さざるを得ないような展開でした。確信を持って話す言葉には力があると感じます。ミサの説教でも、力のある言葉を語りたいと思います。

今日は10時から常任司教委員会ですので、昨晩から潮見です。

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2008年11月 3日 (月)

聖霊学園100周年式典開催

11月1日の誕生日に当たり、多くの方々にお祝いのメールを頂きました。ありがとうございます。

Seirei100 さてその11月1日、秋田市において幼稚園、中学高校、短大を擁する聖霊学園が創立100周年を迎え、その記念式典が午後1時から秋田県民会館で開催されました。100年前に聖霊学園を創立したのは、当時来日したばかりの聖霊奉侍布教修道女会のシスター方です。頂いた記念誌によれば、1908年6月8日に来日して、その同じ年の11月3日に「楢山幼稚園」を開設、さらに翌年09年4月5日には「女子職業学校」を開設したというのですから、その行動力には驚きます。中心になったのが、今でも敬愛されて記念されているシスター・ピア。ドイツ人のこのシスターは、1914年には日本に帰化し、園部ピアと名乗ったといいます。当時の学校経営に責任を持つためには、外国籍よりもふさわしいと判断したのでしょうか。決断力と実行力に溢れた人物だったと想像します。聖霊会と神言会は同じ創立者を頂き、まず1907年に神言会宣教師が来日し、その後聖霊会が来日して、ともに秋田の地から宣教をはじめたのでした。日本語もままならない中で、多くの善意の協力者を得ていたとはいえ、やはり当時の宣教師たちには、ものすごい行動力があった事に間違いありません。

さて記念式典はまず学校教育委員長の池長大司教様司式のミサで始まり、ミサが終わった後の2時10分から、寺田秋田県知事にも出席頂いて、式典が行われました。寺田知事とひな壇に一緒に並ぶのは二度目ですが、緞帳が開く前のステージで、カトリック教会についていろいろと質問してくること。なにやらご興味がおありのようでした。式典はそれぞれの学校や園の校歌・園歌の斉唱で始まりました。一番最初が幼稚園園歌。一生懸命に園児たちが歌う姿は、感動でした。ミサの説教は池長大司教様でしたので、わたしは式典の中で祝辞を述べさせて頂きました。そして式典の締めくくりは、今回のために特別に作られた「聖霊学園学園歌」の披露です。歌うのは幼稚園から短大までの在校生たち。伴奏は中学高校の吹奏楽部。すばらしい演奏と歌でした。「春 萌えあがる 自然は語る」と始まるこの学園歌を作詞作曲されたのは、新垣壬敏(つぐとし)先生。カトリックの典礼聖歌の世界では、高田三郎先生に次いで有名な人物であり、現在は白百合女子大学の教授を務めておられます。この日も式典に参加され、演奏後には花束の贈呈もありました。新垣先生は今回の殉教者列福に関連してもいくつか作曲されており、米沢の殉教者のためにも、楠神父様の歌詞に曲をつけて頂いております。来年の感謝式典で歌われます。

舞台の目の前の会場最前列が吹奏楽団でしたが、久しぶりに目の前でブラスのひびきを耳にしました。迫力がありました。式典の一番最後に再び生徒・学生全員で合唱した「ハレルヤ」もすばらしかった。生徒・学生の皆さん、本当によく練習されました。また指導の先生方もすばらしかった。学園歌のアレンジも抜群でした。

今年の諸聖人の祭日と死者の日のミサは、聖体奉仕会で会員共同体と一緒に捧げました。11月のはじめのこの時期は良く晴れるという印象があったのですが、1日の式典のあった午後だけが秋晴れで、その前後ははっきりしない天候でした。加えて昨日の秋田は大荒れでした。

さて始まったばかりの今月ですが、もう終わりが見えている。明日と明後日は高田のクララ会修道院の訪問。木曜は常任司教委員会と社会司教委員会、金曜はカリタスの会議で東京。8日土曜の午後から次の9日日曜日は、新潟市内の亀田教会訪問の予定です。その後11日から14日は、定例の日韓司教交流会で韓国の馬山教区へ。15日はフランシスコ会ボローニャ管区長を迎えて長岡でミサと集まり。17日と18日には月曜会と教区顧問会と年に二回の教区司祭評議会。加えて18日の午後には幼稚園の新任研修会でお話。21日にカリタスの会議、22日はアジア学院の評議員会、23日から27日までは長崎巡礼で、当然24日は列福式。東京に戻ってそのまま28日は午前中がカリタスの会議で午後は東京神学院の会議。これで11月も終わりです。

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