秋田教会、奥村功神父様、帰天
秋田教会で隠退生活を送られていた神言会員の奥村功神父様が、本日午前8時6分に帰天されたという連絡をいただきました。77歳でした。奥村功神父様は新潟の新津出身です。
通夜は1月2日(金)の午後4時から、葬儀は3日(土)の午前11時から、秋田教会で執り行われます。永遠の安息のためにお祈り下さい。
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秋田教会で隠退生活を送られていた神言会員の奥村功神父様が、本日午前8時6分に帰天されたという連絡をいただきました。77歳でした。奥村功神父様は新潟の新津出身です。
通夜は1月2日(金)の午後4時から、葬儀は3日(土)の午前11時から、秋田教会で執り行われます。永遠の安息のためにお祈り下さい。
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大晦日と言えば、二年参りの神社で年越しという方も少なくないでしょう。実は教会でも、大晦日に祈りを捧げるところも多くあります。今年の大晦日には、教会へどうぞ。
新潟教会では、12月31日の深夜12時、つまり年が明けて一月一日になった瞬間に、ミサをはじめます。司式はわたしです。一月一日は新しい一年の初めという節目の日ですが、教会にとっては同時に神の母聖マリアの祝日でもあり、世界平和の日ともされています。教皇様は先日、恒例となっている世界平和の日のメッセージを発表されています。「貧困と闘い、平和を築く」と題されたメッセージは、現在の世界規模の経済危機に対して、既存の価値観に対して強く警鐘を打ち鳴らすものです。(翻訳は中央協議会のホームページのこちらをどうぞ)。新潟教会の深夜ミサは毎年、世界平和を祈願するミサとなっております。わたしも教皇様の平和メッセージに関してお話をさせて頂く予定です。
なおその後、新潟教会の一月一日には、午前11時から、神の母聖マリアの祝日を祝うミサも捧げられます。
以前、ガーナの教会で主任司祭をしていた頃は、大晦日の夜10時くらいからみんなでルルド前の信徒ホール(といっても屋根だけ)に集まり、信徒会長が一年の教会や村の主な出来事を読み上げて、感謝の祈りの集いをしていました。そして12時になった瞬間に、村中には銃声が響いて、それから後は、このホールは夜明けまで踊りの場と化すのでありました。あの喧噪が懐かしいです。
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本日のミサ後、新潟教会の信徒会館にて、新潟教会と青山教会の「若者」を中心に集まりがありました。何人かが中心になって自分たちで呼びかけて、結局、20人近い中学生から成人までが集まり、クリスマスの一時を過ごしました。まずはみんなで作ったシチューの昼食。フェルディ神父、坂本助祭、そしてわたしもお呼ばれに与りました。そして食事の後には、今日「聖家族」の主日の福音をみんなで朗読し、坂本助祭の解説を聞いた後、二つのグループに分かれて「わかちあい」になりました。わたしも一つのグループに参加。これまでもしばしばいろいろなテーマを設けての「わかちあい」はありましたが、聖書の言葉に基づく「わかちあい」はあまり体験がありません.そのためなかなか話が出なかったものの、有能なリーダーの巧みな語りかけで、結局はとても興味深い話の一時になりました。最後にみんなでアイスクリームケーキをいただいて終了。寒い荒れ模様の新潟の冬日でしたが、とっても暖かい、そして力をいただいた一時でした。来年の春以降は新潟から出て他の地域の学校へ進学したり就職したりする人もいて、このままのメンバーでいつも集まり活動できるわけではありません。でも今回も、新潟以外に現在住んでいるメンバーも戻ってきて、いわば年に一度の再開の集いになりましたから、これからもその絆を大切にして頂きたいと思います。そしていつの日にかは、また新潟で、教会をリードしていって頂く事を期待しています。
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やっと冬になりました。スキー場関係者は一息つかれていることでしょう。新潟市内でも、昨日は朝から雪模様。しかもシベリア方面から吹き付けてくる寒気団のおかげで、本当に冬になりました。そんななか、そのシベリアから訪問者が。これまで10年間にわたって極東シベリアのハバロフスクで活動されてきた聖母訪問会のシスター方が、このクリスマスで日本へ引き揚げてこられたのです。最後の共同体となったシスター諏訪と瀬谷のお二人に加え、最後と言うことで現在の総長と前の総長もハバロフスクを訪問され、加えてバチカンから福音宣教省で働く前主任司祭も駆けつけて、盛大なクリスマスと送別会になったそうです。それにしても昨日の新潟は寒かったのに、氷点下20度以下のとてつもなく寒いハバロフスクから来られた一行は、新潟は暖かいですねとおっしゃる。たしかに。しかし、私も真冬は知らないものの、以前11月とか3月にシベリアへ出かけたことがありますが、建物の中は真夏のように暖かい。その意味では確かにシベリアから新潟へ来ると外はそれほどでもないかもしれませんが、司教館なんかはすきま風だらけで、かえってシベリアより寒いのかもしれません。シスター方、この10年間ご苦労様でした。ソ連が崩壊してロシアとなって、カトリック教会が再興していく中で、この10年の間、特に極東シベリアのイルクーツク教区が形を整えていく過程では様々な出来事がありました。ハバロフスクでも教会が一応形を見せる存在となりましたし、ロシア正教との関係も改善されました。言葉もなかなかわからない中で、シスター方、本当によく頑張られたと思います。その宣教師魂に脱帽です。ハバロフスクの小さなカトリック共同体を、これからも応援していきたいと思います。
本日は聖ヨハネ使徒福音記者の祝日。新潟県内で働く司祭が集まって、一念に感謝するミサを捧げ降誕のお祝いをする日でもあります。11時から新潟教会でミサを捧げて、その後に昼食会の予定です。昨日からの大荒れの天候は少し落ち着きましたが、道路事情などもあり、欠席者も予想されます。
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クリスマスの今日、新潟は朝から雨模様の肌寒い1日でした。もう少し寒ければ雪になるのでしょうが、雪のクリスマスと雨のクリスマスとでは、同じ天からなにやら降ってくる天候であっても受ける感じがまったく違います。クリスマスには、やはり雪の方がお似合いです。
昨晩の熱気とは打って変わって、今日の10時のミサは、落ち着いた雰囲気となりました。いつもの日曜日と同じくらいの人数でしたでしょうか。復活祭もそうですがクリスマスも、夜と朝の二回にわたって一つの神秘を味わい黙想する機会が与えられています。夜はどちらかというと熱気があっていつもとは違う雰囲気の中での高揚感でいかにもお祝いという感じがしますが、その翌朝は、落ち着いた雰囲気の中でじっくりと深めていく事ができます。
ミサが終わった後は信徒会館でクリスマスのお祝い会がありました。
昨晩と本日のミサでの説教は、原稿を「新潟司教のページ」というホームページに掲載してあります。こちらをクリックすると「新潟司教のページ」に飛びます。その右下の方に「2008」年分の説教がありますから、そちらからどうぞ。なおミサ前に用意した原稿を掲載してありますから、その場でお話しした事と、多少の違いがありますこと、ご了承下さい。
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新潟教区の皆様
主の御降誕、おめでとうございます。
皆様の教会、24日夜のミサはいかがでしたか。新潟では天気にも恵まれ、新潟教会の聖堂は200人を超える方々でいっぱいでした。そして、ミサが始まった時点ですでに気がついたのですが、いつも見慣れた信者さんたちの顔よりも、初めてお見かけする顔の多い事。聖体拝領でそれは確信になりました。集まった人数に較べて、聖体を拝領される人よりも、祝福を求められる人の方が遙かに多い。ようこそクリスマスの聖なる夜に、教会へいらして下さいました。厳しい現実に生きている多くの方々に、神の祝福があるように祈ります。
本日はまもなく午前10時から主の降誕の日中のミサです。今日の午後にでも、昨夜と本日の説教は、別途掲載する予定です。
この数日、クリスマスが近い事もあるのか、カトリック教会が新潟の地域新聞である新潟日報で取り上げられました。まず上越市は高田教会の馬小屋。スペイン人信徒の手によって、白川郷を模した日本的なクリスマスの風景が出現しているとか。そして青山教会協力司祭のアンリ神父さんのシャンソンコンサートが、近くの砂丘館で行われた話。アンリ神父さんはギター片手にシャンソンを歌います。そして教区が経営母体である新潟カリタス会(見附や青山で養護施設などを運営している社会福祉法人です)が「天皇御下賜金」をいただいた事。全国64施設の一つに入れて頂きました。これだけ新聞に取り上げてもらったけれど、肝心のクリスマスのお祝いという神聖なところを取り上げてもらえないのはちょっと残念ではあります。
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クリスマスは言わずとしれたイエス・キリストの誕生を祝う日です。この日にプレゼントを交換するのは、まさしくイエスご自身が神から人間への最大級の贈り物である事にちなみます。このキリスト教にとってとても大切なお祝いの日、教会へ出かけませんか。
クリスマスは12月25日ですが、教会では日没後がすでに翌日なので、24日の夜からお祝いをします。ですから24日の夜に、多くの教会でクリスマスの礼拝が行われます。カトリック教会ではこの礼拝は、ミサ、という儀式をもって行われています。クリスマスには深夜と早朝と日中の三回の異なるミサを捧げることになっています。一般には24日の夜と25日の午前中に、多くの教会でミサが捧げられています。どうぞご参加ください。
西大畑のバス停近くにある双塔の教会、カトリック新潟教会では、24日の午後8時から私の司式でミサがあります。その後深夜12時から大瀧師の司式でミサがあります。続いて25日の午前10時から私の司式でミサがあります。ミサは祈りを捧げる神聖な儀式ですから、それなりの思いでおいでください。それぞれ1時間ほどの時間を要します。
なお新潟市内の他のカトリック教会のミサ予定は次の通りです。
新潟教区ではこれ以外にも新潟県、山形県、秋田県に、それぞれいくつもの教会があります。どうぞ足を運ばれて、静かさの内に神聖な夜をお過ごしください。
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新発田と書いて「シバタ」と読みます。新潟から車で45分ほど。昨日の日曜日は新発田教会(佐藤允広主任司祭)を訪問してミサを捧げ、新築なった信徒会館の祝福もいたしました。新発田教会聖堂の正面は、長い間人目に触れることがあまりありませんでした。というのも1965年に聖堂が出来上がった当時、すでに都市計画で裏手にある道路が拡幅されることが決まっており、設計者はそちらが正面になるようにと配慮して図面を書いたのだそうです。その設計者とは、フランク・ロイド・ライトの助手として来日して以来、各地でさまざまな建築を手掛けたアントニン・レーモンド氏です。そんな人物がどうして新潟の新発田の地に聖堂を建てたのか。それは当時の主任司祭であった神言修道会のノッツオン神父の存在があります。ノッツオン神父はちょうど名古屋の南山大学新築工事当時に管区長に選ばれ、名古屋で南山大学設計を請け負っていたレーモンド氏に出会ったらしいのです。管区長職を終え新発田に戻った神父は、聖堂新築のためにレーモンド氏を招いたとか。建築にあたった地元の新発田建設の渡辺会長は、当時いろいろと注文があって大変だったと良く語って下さいます。地元の土を使ってレンガまで焼いたとか、色が異なるとすべて廃棄したとか。聖堂はさすがにレーモンド設計だけあって、わたしが中学生の頃から15年以上も暮らした神言神学院と雰囲気が細かいところでそっくりです。聖堂は全国の建築の専門家から、高い評価をいただいており、年中見学者が絶えません。
さてその当時から正面になるはずだった拡幅道路は、その後40年間実現しなかったのですが、数年前から具体的になり、やっと今年の11月28日に完成して、聖堂は本来の姿を見せることになりました。市役所や警察、裁判所などが集まっている新発田市の中心部です。そこから国道7号線にまっすぐに抜ける道の一部となるので、早い開通が望まれていたと聞きます。しかし新発田は城下町で入り組んでいるところですから、まっすぐ道を通すための用地買収には、かなり苦労があったと聞いています。最初の計画通りになるとはいえ、実はレーモンド氏が想定していたよりも道路が聖堂にずーっと近づいたため、市側と何度も交渉して、景観を守るために、歩道を広げたりといろいろ工夫をして頂きました。前任の石黒主任司祭には、慣れない役所との交渉で、苦労をしてもらったと思います。写真を見て頂くと、その歩道設計の苦心の跡が見えます。植栽の場所も広くとって頂きました。今の時点では植栽が終了していないので、道路から丸見え状態ですが、春以降にはもう少し落ち着いた雰囲気になる事が期待されます。
この道路拡幅工事完成に会わせて、司祭館裏にあった信徒会館を老朽化のため取り壊し、新築する事になりました。資金はもちろん借り入れや積み立てとともに特別に献金して下さる方もあり、いわば教会共同体自らの手で何とかしたものです。昨日はちょうど完成したばかりの信徒会館をミサ前に祝福し、そしてミサが終わった後に、一番最初の行事として、司教を囲んでのカレーライスでの食事会を行いました。聖堂や司祭館の雰囲気を大切にして、木の温もりを前面に出した信徒会館です。入り口前はひさしを大きく張り出して、冬は落ちる雪から壁を守り、夏なんかにはその下でゆっくり涼む事もできるでしょう。外回りも今はちょっと明るい感じの壁ですが、時間がたつにつれて、渋い色に変化していくと思います。内部には大きな台所と、みんながちょうど座って食事ができるくらいのスペースのホール。断熱がしっかりしているので、エアコンだけでもちょっと暑いくらいになります。活用される事を期待します。
新発田教会では、当初から置かれてある聖堂のイスも老朽化しており、これも設計の一部ですから取り替えるわけにも行かず、信徒たちの手で補修が行われています。(下写真左は信徒会館の内部。右は新発田教会聖堂内陣)
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昨日、20日の土曜日は、午前9時10分から清心高校のクリスマスミサでした。中学から高校まで全校生徒が体育館に集まり、毎年クリスマスのミサに与っています。今年は例年と比較をしても多くの保護者の方が参加されていました。生徒や職員にもカトリック信徒はそれほどいませんが、良く準備されてテキストも用意されているため、それなりの十分なミサとなりました。わたしもなるべく分かるようにお話をしたつもりですし、ミサについても説明をしながら進めたつもりです。このミサに与り少しでも何かを感じて下さればと思います。ミサの後お昼頃までをかけて、例年の通りのクリスマス会でした。歌あり、ハンドベルの演奏あり、奉仕活動の報告あり、イエス誕生のものがたりを見せるタブロー(静止劇・上の写真)あり。華やかな一時でした。ちょっといつもより歌に力がなかったかな。
そして午後2時からは新潟教会を会場にチャリティーコンサートでした。教区の出身で信徒宣教者会からカンボジアに派遣されている高橋君の活動を援助するためのチャリティーでした。今年の夏にスタディーツアーで現地を訪れた青山教会の加藤さんが現地の報告をしてコンサートが始まりました。最初の第一部は市内の女声コーラスグループ「コーロ・ブリランテ」の歌声。第二部には、先ほども聞いてきたのですが清心中学高校のハンドベル部の演奏。続いて渡辺直子さんによるパイプオルガンの演奏。チケット200枚は前売りで完売しており、会場にもほぼ満員のお客様がおいで下さいました。教会関係以外の方も多くおられたようです。(下左はコンサートの様子。下右はライトアップされている新潟教会聖堂)
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今年の夏に訪問したタンザニアの写真を公開しました。右側のサイドバーの「タンザニア08年夏」というところからお入り下さい。20枚ほどあげてあります。ここに戻るためには、写真アルバム頁の左上にあるURLをクリックして下さい。
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子どもは正直が一番です。先日、柏崎教会を訪れたとき、主任司祭のバッシ神父様がついでだからと幼稚園も案内して下さいました。中越沖地震では幼稚園舎も被害を受け、特にホールの床は全面的に張り替えなくてはなりませんでした。というわけで、早速そのホールへ行ってみると、ちょうど子どもたちが体操をしているところ。もちろん子どもたちは、やさしいバッシ園長先生のところへ群がって参ります。カメラ好きのバッシ園長先生は早速、みんなで集まって集合写真を撮ろうということに。「さあさあ、司教様を囲んで」。
子どもたちの注意を集中させようと、担任の先生がみんなに質問をしました。「みんな、この人どこかで見たことないかな?」。「この人」とは、わたしのことであります。ちなみにホールの入り口には右に教皇様の写真が、左に教区長であるわたしの写真が掲げてあるのであります。そして、むべなるかな。子どもたちはそんな写真には気がついてはいない。そこで担任の先生がすぐ上に掲げてある写真を指さして、「ほら、あの写真の人だよ」。わたしも写真に負けないように、笑顔を必死に作るのでした。そうしたらば子どもから、なんとも正直な一言が。
「写真の方が格好いい」
カトリック幼稚園だけあって、子どもは正直に育てられていると、痛感したのでした。ちなみに上の写真は、その時の集合写真ですが、鮮明に写っている子どもたちの顔は、掲載の許可を得ていないのでカットしました。決して正直な一言に腹を立てて、切り取ったわけではありません。右手上部に、その実物よりいい写真が飾ってあります。
今日の午後は二ヶ月に一度通っている近くの眼科へ。正常眼圧緑内障ですので、定期的に検査を受けています。そして今日は半年に一度の視野検査。大きな病院は待ち時間が大変なので、近くの開業医の先生のところに通っているのですが、まずもって人気のある医院で、同時に眼科の診察は毎回検査がつきものなので、どうしても時間がかかります。しかたありません。そして視野検査。完全にコンピュータ化されていますから、検査は淡々と進んでいきます。別に痛いわけではありませんが、それほど居心地がよい検査でもありません。そして今日、ふと思ったのは、例えば段々齢を重ねていって、反射神経が鈍くなったとしたら、この検査は結構大変だろうな、と。つまり機械はどんどん先に進んでいくので、光が見えて躊躇している間に、次から次からと光が移動していったりする。結構早く変化するのです。あれは年齢に応じて、光が移動する感覚が遅くなったりするものかしらと、心配になったのでした。いずれにしろいつもと変わりなく、目薬をいただいてきたのでした。
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新潟県中越沖地震が発生したのは、昨年2007年7月16日でした。2004年の中越大震災からの復興途上であった新潟県の中越地域を、再び地震が襲い。被災者の中には二度にわたって大きなダメージを受けられた方も大勢おられました。中でも被害の大きかった柏崎市の資料によれば、人的被害としては死者14名(そのうち刈羽村の方1名)、負傷者1,664人、建物被害は全壊家屋1,121棟を含んで全部で28,397棟などであったといいます。今年2008年11月23日現在でも、仮設住宅で生活する方々は543世帯の1,354人にも及んでいます。カトリック教会でもカリタスジャパンや教区を通じて、全国の多くの方々からの募金をいただき、これまでもカトリック柏崎教会の方々を中心とした被災当初の炊き出し支援に始まって、行政を通じた被災者支援や、そのほかの催しを通じて、被災者の方々への支援をしてきました。今回カリタスジャパンとしては、これまでにいただいた募金の締めくくりとしての最終段階の支援をさせて頂きました。
今回はカトリック柏崎教会の皆さんの発案にカリタスジャパンが資金提供する形で、仮設住宅にお住まいの皆さんに、クリスマスのプレゼントとして、お米を各世帯に5キロずつ提供しました。一つ一つは5キロとはいえ、全部で600袋ほどになりますから、配布にはいろいろな方のお手伝いをいただいています。そして本日は柏崎教会の信徒の方々が中心になって、三カ所の仮設住宅で配布いたしました。配布には柏崎市の社会福祉協議会の生活支援相談員に協力をいただき、それぞれの相談員の担当地域を一緒に回りながら、在宅の方には手渡しを、そして不在の場合は後日集会所でお渡しできることになりました。プレゼントのお米は、主任司祭のバッシ神父にいわせれば、これ以上においしい米はないという、高柳の「棚田のコシヒカリ、じょんのびの里」です(写真)カリタスジャパンのステッカーを貼らせて頂きました。ちょっと自己顕示しすぎかとも思いましたが、でも実際に現地へ行ってみると、さまざまな提供物資に有名所NGOや団体の名前がしっかりと刻まれておりました。せっかく全国の多くの皆様からいただいた募金ですから、カトリック教会の存在はやはりアピールするべきだろうとも思いました。
午後からは柏崎市役所を訪れて、若山副市長にご挨拶をさせて頂きました。義援金はすでに一度、県庁を通じて手渡した事がありますが、今回は直接柏崎市に被災者のために役立てて頂こうと、募金の最終的な残金となる580万円を寄贈させて頂きました。副市長さんからは、今後の復興計画について、復興の市営住宅建設について、またそのほかの支援の課題について貴重なお話。前回の中越地震の時にも、復興の最終段階で聞いた話ですが、やはりこの地域では、コミュニティーの心の拠り所として、「神社」や「鎮守の社」の復興を行って欲しいと言うリクエストが多くあるとのことでした。今回も復興の締めの段階では、同じように考えなくてはならないとのこと。地域を見る限り、確かにそういった伝統を守ることは大切なのだと思います。
中越沖地震の直後に全国的にも映像が流れて有名になった、柏崎の酒蔵があります。憶えておいででしょうか。伝統のある酒蔵が崩壊してしまった映像。原酒造さんといいます。柏崎教会のすぐそばで、この会社は信者さんの関わりがあります。ご案内をいただいて、崩壊した酒蔵の後に建て直された新しい酒蔵を見学させていただきました。
原酒造は、「越の誉」という銘柄のお酒を造っています。いただいたパンフレットによれば、新しく建て直した酒蔵の名称は「和醸蔵」。そのこころは「和の心にて良酒を醸すべし」ということだそうです。コンピュータ制御のすばらしい近代的なシステムになっていました。そして内部では、崩壊した伝統の酒蔵を支えていた木の柱が、地震の傷跡もそのままに、メモリアルとして数本残されていました。また崩壊した酒蔵から助け出された数本の貯蔵樽も、「元気に(?)」熟成を続けていました。(下の写真はその救い出された樽の一つ)
仮設住宅にお住まいの皆さんをはじめ、被災された多くの方々。これからまた厳しい冬となります。どうかお体にお気をつけになって下さい。1日も早い復興のため、お祈りいたします。
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新潟市でも、市内の各派キリスト教会の合同で、市民クリスマスが本日午後1時半から開催されました。もともと伊藤司教様や佐藤司教様が司教団のエキュメニズム(教会一致運動)担当司教であったこともあり、特に伊藤司教様の頃から、新潟市内の各派教会とは、様々な機会に一緒に活動をしてきた伝統があります。毎年、カトリックも含めた市内の牧師/教師/司祭の会議を行い、クリスマスのための合同の行事を行ってきました。以前は市内で一般の会場を借り、講演会をしたり、劇をしたりという、いわゆる催し物タイプの市民クリスマスだったようですが、ここ数年は、それこそ一般市民の参加が思わしくなく、皆さん悩んでおられました。そこで今年は、新潟の町のど真ん中、古町アーケードの大和デパート前で、毎年行われている救世軍の社会鍋にみんなで参加し、一緒にクリスマスの歌を歌ってアピールをしようという企画となりました。
本日午後1時半に、わたしも大和デパート前に出かけました。新潟の救世軍の小隊は、それほど大勢ではありませんが、今日はラッパも二本参加しておりました。平日は小隊長がお一人で、マイク片手に歌っておられます。そして今日は各派の牧師さんや信徒、そしてカトリックからも数名の信徒の方が参加して、大きなコーラスでクリスマスキャロルです。
ちょうど今年は救世軍が日本で社会鍋を初めて100年の記念する年なのだそうです。当初は、失業などで正月の準備ができない困窮した家庭に、正月のための食糧を詰め合わせた「慰問かご」を配ることから始まったのだそうです。100年以上前のこととはいえ、困窮した方々の家庭を訪問して回ることは、容易ではなかっただろうと想像します。その後、アメリカでの手法をまねて、鍋をつるしての募金集めに転じたのだそうです。いただいた資料によれば、1921年には、単なる慈善ではなく社会へ向けた活動をしていくためにということで「社会鍋」と名称を変更。軍服のような制服を着て、ブラスバンドがあるのは世界中の救世軍の特徴です。寄せ集めのコーラスですし、カトリックにとっては歌詞も違うし、それほど上手な合唱ではなかったと思いますが、それでも足を止めて下さる方も多く、また大勢の方が、社会鍋に募金をされておられるのを目の当たりにして、多少心強いものを感じました。とはいえ、この日記でもたびたび紹介しますからご存じのように、社会鍋を行っているすぐ後ろの大和デパートには、例の歌って踊るウサギたちがいるのであります。しかも社会鍋が置かれている場所の後方5メートルで、ウサギたちが歌って踊っているのであります。どう見ても生身のコーラスよりも、機械仕掛けのウサギの方が「愛らしい」。従って、勝負は目に見えていたのですが、やはり親子連れの皆様は、そちらの前に群がっていたのでありました。
それにしても、大きな声で歌うと気持ちいいですねえ。車の騒音や、そのほかの音楽に負けないように歌わないと行けませんから。近頃はカラオケなんかには行くこともありませんから(以前、名古屋で大学生の指導担当の頃は、良く付き合いましたが)、久しぶりに歌いまくりました。来週の土曜日にも同じく新潟市内各派教会からの参加を得て、社会鍋が行われます。ちなみにカトリック新潟教会では、来週の土曜日は午後2時からチャリティーコンサートとなっております。
さて2時半頃まで社会鍋にご一緒させて頂いて、その後新潟駅前にある花園教会へ移動。花園教会では午後3時から、絵本作家の葉祥明さんの講演会でした。葉祥明さんは、絵本「地雷ではなく花を下さい」の作者です。世界人権宣言60周年を記念して、新潟のアムネスティで活動している方々が主催して、「葉祥明が語る世界人権宣言のこころ」と題した講演会でした。志を高くもって、正義と平和の理念をしっかりと心に秘め、凛とした生き方をすることによって、少しづつ周囲の人たちにその志を伝えていくことができるというポイントには、同感いたしました。大きく変革をすることは難しいかもしれないが、その中でもくじけることなく、志を高く持ち続けることは大切だと思います。加えてわたしをはじめとした宗教家が、宗教的理念の立場からこの世の人間の営みに対して理想を語らなくなったらば、もう宗教家でいる意味がありません。現実に妥協しても、なにも意味はありません。殉教者たちから学ぶことです。
『十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする」。 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです(コリント前書1章18節以下)』
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毎年1月1日は神の母聖マリアの祝日であるとともに、世界平和の日とも定められています。教皇様は毎年この日にあたり、平和メッセージを発表されますが、09年1月1日の世界平和メッセージが、昨日公表となりました。教皇庁正義と平和評議会の議長であるマルティーノ枢機卿が、昨日バチカンで記者会見を行いました。今年のメッセージは、昨今の世界経済の混乱や、それによって直接にまた間接に被害を受けている人たち、特に貧困に苦しむ人たちや、権利が保障されていない人たちに手を差し伸べることを求めた、時宜に適った内容となっています。日本語訳は中央協議会から近日中に発表されるでしょうが、英語タイトルは「FIGHTING POVERTY TO BUILD PEACE」(つまり「平和構築のための貧困との闘い」とでも訳すでしょうか)になっています。
そもそも教皇様は昨年07年9月に、パウロ六世の回勅「ポプロールム・プログレッシオ(諸民族の進歩推進について)」発表の40周年を記念して、回勅を発表される準備を進めておられました。昨年9月30日のお告げの祈りで教皇様は次のように語りました。
「40年前に教皇パウロ六世が書いた回勅『ポプロールム・プログレッシオ――諸民族の進歩推進について――』は今も忘れることのできない価値をもっています。パウロ六世は飢餓に対する戦いについて次のように述べます。「すべての人が・・・・十分に人間らしい生活を送れるような世界、・・・・貧しいラザロも富める者とともに食卓につくことができる世界を建設することが、目標とされなければなりません」(同47)。回勅はいいます。多くの悲惨な状況の原因は「人間によって」また「十分に制御できない自然によって負わされている隷属状態」(同)です」
この時点で教皇様は次の回勅を社会教説にすることをすでに決めておられ、正義と平和評議会に草案準備を命じておられました。昨年12月のアド・リミナで私たちが正義と平和評議会を訪れたとき、マルティーノ枢機卿は、次の回勅の草案がすでに出来上がっていることに触れておられました。そして大方の予測では今年、つまり08年の9月30日に発表されるといわれていました。タイトルも決まっていました。「Caritas in Veritate」(つまり「真理における愛」とでも訳しましょうか)であると、5月28日頃にベルトーネ国務長官が語ったと伝え聞きます。ところが9月に入ったあたりから世界の経済状況は加速度的に悪化し、どうしてもそのことを強調した内容に書き換えなくてはならなくなったと伝え聞きます。回勅の発表が遅れていたのです。
昨日の記者会見でマルティーノ枢機卿は、今回の世界平和の日メッセージが、その新しい回勅の内容を踏まえていると言明しました。報道によれば(Zenit News)、待たれていたこの社会教説の回勅は、来年早々にも発表となる模様です。
世界平和の日のメッセージは、グローバリゼーションのもたらすさまざまな問題について考察を加えています。教皇様は、貧困と闘うためにはグローバリゼーションという複雑な実体を注意深く理解することが必要だが、同時に単に経済学や社会学の手法を用いるだけでは足りず、そこには霊的倫理的視点が不可欠だと強調されています。そして物質的な貧困のみならず、精神的貧困や権利の否定など、さまざまな形での人間の尊厳をおとしめるような事例が世界中で起きていると指摘しています。
その上で、倫理的な課題として5つの問題を取り上げます。第一に人口増加への対応に関して(それだけを貧困の原因とすることは正しくない)、第二にHIV/AIDSをはじめとする感染症への対応について、第三に子どもたちを襲う貧困について、第四に軍縮と発展の関係について(現在の世界の軍事費はあまりに大きすぎる。軍拡競争をやめて、それを開発発展に向けることこそが、真の平和をもたらす)、そして最後に食糧危機について(政治と経済のシステムが本当の人間の必要に応えていない)詳しく語ります。
最後に教皇様はこれらの指摘を踏まえて、世界的な連帯の必要性を呼びかけます。そして世界にとって今必要なのは、妥協の産物ではなくて、創造主である神に基づいた「倫理的行動基準」を生み出すことだ指摘しています。目先の利益に捕らわれ、自分の保身ばかりを考えた経済行動に走るのではなく、人類の将来を見据えた経済行動をとるようにと、呼びかけています。(メッセージ原文はバチカンのサイトに掲載されています)
今回のメッセージでもそうですが、貧困との闘いのメッセージには、しばしば「marginalized」という用語が状態を表して使われます。冒頭でも「権利が保証されていない」などと訳していますが、よく使われているのにコンテキストによって訳がしばしば変わる用語です。中心ではなく周辺に追いやられているという意味ですが、本人の意志ではなく状況や構造によって、本来あるべき場所からはるか辺境に追いやられた状況とでもいいましょうか。「小さくされた」とか「見捨てられた」とか、そういう意味合いで使われている言葉です。日本語にしにくくて、通訳を頼まれたときに困る単語の一つであります。
それから、今回のメッセージで、教皇様はヨハネパウロ二世の回勅「新しい課題(Centesimus Annus)を引用されています。とても大切な箇所だと感じましたので、ここに原文から引用しておきます。
「貧しい人々(個人としても、国民としても)を、他人が生産したものを消費しようとする迷惑な盗人のように、厄介者扱いする考え方を捨てることです。貧しい人々は物的材を享受する権利、自らの労働能力を活用する権利を求め、それによって、すべての人にとってより公正で豊かな世界をつくり出そうとしているのです。貧しい人々の進歩は、全人類の道徳的、文化的成長、さらには経済的成長を達成する大いなる機会なのです(28)」
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教皇様は先ほど、すでに76歳に達して辞表を提出していた典礼秘跡省長官のフランシス・アリンゼ枢機卿の退任を承認し、その後任の長官として、スペインのトレド教区長、アントニオ・カニサレス・ ジョヴェラ(Antonio Cañizares Llovera)枢機卿を任命されました。
なおsecretary(次官、通常は局長と訳しています)のランジット大司教も、一緒に交代になるとのうわさがかなり以前から流れていましたが、今回は続投になられたようです。
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昨日は無原罪の聖マリアの祝日でした。ということはガーナのOsonson教会(ルルドの聖母教会)では、その直前の週末、つまり5日金曜の夕方から7日午後にかけて、恒例のマリア巡礼があったはず。あの巡礼は今年も燃えたのでしょうか。特に奇跡や御出現があったというわけではないのですが、この地域のKrobo族のカトリックの皆さんにとって、山の中にあるこのOsonsonのルルドは、一年に一度みんなで集まって祈りを捧げる神聖な場所になっているのです。誰も歴史を書き留めておかなかったので、その起源は定かではないのですが、もうかれこれ50年ほどは続いている巡礼です。写真はそのOsonsonにあるルルドと巡礼のミサで踊るガーナ人の司祭。これはわたしが働いていた10年以上前の写真です。現在の姿はこのブログの右サイドバーにある「ガーナ巡礼写真集」をクリックしてみて頂きたい。2年前のマリア祭の様子がそこに写されています。集まった人々はミサに与り、講話に耳を傾け、ロザリオを唱え、歌い踊り、早朝からローソク行列を行い、最後に司教を迎えてのミサで締めくくるのです。あの熱に溢れた雰囲気を、わたしは主任司祭として7回も経験しました。懐かしい思い出です。ちなみに新潟教会でも昨日は、10時からわたしの司式と大瀧師の説教で、ミサを捧げました。
ところで、先日の列福式の模様を編集した番組が、NHK教育テレビにおいて、12月28日(日)の22時から一時間、「ETV特集」で「殉教者たちのメッセージ ~ペトロ岐部と187殉教者列福式~」として放送されることになったそうです。年末の一時、この番組をどうぞご覧下さい。
それから列福式における白柳枢機卿様の力強いが説教が、東京教区のホームページに掲載されています。どうぞご一読になって、白柳枢機卿様の言葉から力をいただいてください。
久しぶりにまとまった時間を新潟で過ごしているおかげで、この4日間くらいで、09年の年頭司牧書簡を書き上げることができました。まだこれから内容の吟味し直す作業がありますから、印刷に出せるのは来週以降です。従って印刷したものが元旦に間に合うかどうか分かりませんが、いずれにしろテキストだけでも元旦に間に合うように小教区にはファックスをするようにいたします。できるだけ多くの方に、手にとって読んで頂けるようにしたいと思います。それから夏の司牧書簡の英語訳が完成しています。これもまもなく何らかの手段で、英語版を必要としている方々の手に渡るようにしたいと思います。
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列福式の余韻に未だに浸っておりましたら、あっという間に時間は過ぎていくものです。待降節に入って、すでに二回目の主日となりました。今日の日曜日、新潟教区の小教区では、待降節の黙想会を行ったところも多かったのではと思います。新潟教会では、次の主日14日に、東京神学院で働かれる横浜教区の中村吾郎師を招いて黙想会を行う予定になっているそうです。その新潟教会主任の大瀧師は、今朝6時半のミサを新潟教会で司式した後、お隣の青山教会で朝8時から黙想会だったそうです。わたし自身も、第四主日の21日に、新発田教会で黙想会のお話をさせて頂く予定です。新潟教会では、本日のミサ後に、聖堂内の馬小屋の飾り付けが行われました。皆様の小教区では、どのような待降節を過ごされておりますか。(写真は新潟教会の聖堂に本日設置された馬小屋)
本日の福音はマルコ福音書の冒頭部分でした。マルコは、イエス・キリストの「良い知らせ(福音)」を、イエスご自身の言葉や行い、はたまたイエスご自身の歴史からではなく、洗礼者ヨハネの話から始めています。「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」と大見得を切って、真っ先に記すのは旧約のイザヤ書の言葉。すなわち、イエスの福音が、それを耳にする人にとってまさしく「良い知らせ(福音)」であるためには、まずそこに旧約を通じた準備が必要であったこと、旧約と断絶したメッセージではないことを、旧約がイエスのための準備であったことをはっきりとさせています。そして旧約とイエスをつなぐ橋渡し役は洗礼者ヨハネです。洗礼者ヨハネは、イエスによる新しいいのちへの生まれ変わりの準備として、人々の心を神の方へと向ける(回心)役割を果たします。それまで旧約の時代を通じてさんざん神の言葉に接して来た人々の心は、必ずしもその本質を理解しようとしないで、人間的営みの中でさまよっているのです。すなわち荒れ野をさまよい、道に迷いながら、その場の判断であちらこちらへと、本来の進むべき方向を見失っているのです。その民に対して、ヨハネが本当の道を指し示すために現れた。すでに神は基礎を与えているではないか。水の洗礼に象徴されるのは過去を洗い流すことではないでしょうか。人間の営みの中にさまよっていた過去を水で洗い流し、まずもってすでに与えられた神からの基礎に立ち帰り、次に来られる真理に備えよ。そこにこそ、本当のいのちがある。ヨハネはそう伝えながら、人々を神の方向へと向けていくのです。
つまり福音とは、単に耳にすればそれで自動的に何かが起きるようなお手軽なものではなく、それを聞こうとする正しい方向を向いた姿勢が必要であるということではないでしょうか。せっかくの「良い知らせ」をただこの世界に垂れ流していただけでは、実はなにも起こらない。私たちはすでにそれを受けたものとして、洗礼者ヨハネの役割を果たしていくことが必要なのではないでしょうか。彼ほど極端ではないにしても、この世に対して、自分たちの生き方と言葉を通じて、神への方向性を示すことが必要です。米沢の地で多くの人々を魅了したキリスト者共同体は、まさしくその生き方、行いと言葉を通じて、神への方向性を多くの人々に示したのです。その模範に倣いたいと思います。
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12月6日といえば、教会では聖ニコラオ司教の祝日です。毎日の読書には、「リュキア(現在のトルコ)のミュラの司教。四世紀半ばに死去。彼に対する崇敬は、特に十世紀から全教会に広まった」とだけ簡単に記されていますが、よく知られているように、サンタクロースの起源の聖人だといわれています。
サンタクロースの服装が赤いのは、聖ニコラオ司教にあやかって赤い司教服を着ているからだと聞いたことがあります。あの赤い帽子も、ミトラから派生したものだとか。そういえば、先日の長崎での列福式で、教皇代理を務めたサライバ・マルティンス枢機卿は、その赤い司教服姿でした。「赤」といっても、司教の赤はどちらかというと「明るい紫」で、枢機卿は「真紅」。共同司式をしないでミサに与る場合の正装が、先日のマルティンス枢機卿の装いでした。それこそバチカンにでもいればしばしば目にする姿かもしれませんが、日本ではかなり珍しかったのではないでしょうか。赤いスータンに白のスルプリ(正式にはスルプリではないらしい)を着て、その上にモゼッタとか呼ばれる肩掛けのようなものをまとっております。英語ではchoir dressと呼ぶのだそうです。自分自身もその中にどっぷりと浸かっているはずなのですが、別に「司教服装の手引き」が存在するわけでもなく、伝統として誰かの頭の中に残されて伝えられている知識ですから、いまもってまったくよく分からない世界が、この教会の服装の伝統であります。知りたければ自分で知識は盗めとでも言わんばかりの、伝統の世界であります。
こういった伝統的な正装は、第二バチカン公会議まではかなり細かく規定されて、いろいろと機会に応じて揃えられていたようです。海外にはそれを研究している人もいるみたいですね。この執念には脱帽。マーケットが小さい世界ですから、結構スータン(カソック)とかは、お高いのですよね。採寸から始まる完全なオーダーメイドですから、ワンセット揃えると、並のオーダースーツには負けないお値段になります。
それで話を元に戻すと、たしかに枢機卿の赤い服とサンタクロースの赤い服には類似点もあるけれど、しかし聖ニコラオ司教から一足飛びに今のサンタクロースには結びつかないなと思っておりました。そしたら、まあ、サンタクロースだけでいろいろと調べておいでの方が、この世界にはおられるのです。サンタクロースで検索しただけで、いろいろなサイトに行き着きました。中には初めて聞くような「伝説」もあって、深い。ヨーロッパ各地の伝統では、別に服装は赤だけではなかったとか、実はコカコーラの宣伝のイメージで赤が定着したのだとか、時間をかけて生み出されたサンタクロース伝説の世界は、本当に深いものがありそうです。
それはともかく、聖ニコラオ司教の祝日に当たり、困難に直面する人々に手を差し伸べた聖人の姿にならい、私たちは与えることによってさらに豊かにされるということを心に再び刻みたいと思います。(下左は先日の列福式でのマルティンス枢機卿。右はハバロフスクでロシア正教カテドラルを訪問した際の、故濱尾枢機卿の姿)
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報道されているとおりですが、オスロで行われていたクラスター爆弾禁止条約の署名式が、94カ国の署名をもって終了したということです。手続きの関係で署名に間に合わなかった国もあるといわれ、最終的には100以上の国が署名するものと見られています。もっとも国際条約は署名したとしても批准されなければなりませんし、少なくとも30以上の国の批准が必要です。日本政府も、小渕総理の時に地雷禁止条約のためにかなり積極的な役割を果たした経緯もあり、今回も、主要同盟国である合衆国がコミットしない中で、かなり重要な立場をとったと思います。ですから今後は批准に向けて政府の働きかけには期待しても良いのだろうと信じています。中曽根外務大臣も署名式に出発する前に成田で記者団にこう語ったと外務省のHPにありました。
「今後米国、中国、ロシアにも働きかけをしていきたいと思います。従来から不発弾や地雷の除去等に対しては、支援をずっと行ってきました。38カ国及び地域に350億円を今まで支援してきましたが、今回更に積極的に約7億円支援するということで、私が現地で署名の時に表明することとしています」
日本政府の積極的な行動に期待します。
わたし自身は、地雷の恐怖は体験したことがありますが、クラスター爆弾の被害を目の当たりにしたことはありません。しかし様々なところで見聞きする体験談から、特に戦闘終結後にまで発生する一般市民、特に子どもたちに対しての甚大な被害を知るとき、是非ともその使用をやめて欲しいと願います。
署名の直後に即刻批准したのは中心的役割を果たしてきたノルウェーをはじめ4カ国ですが、その一つがバチカンでした。署名したバチカン国務省の外務局長(外務大臣)マンベルティ大司教は、「力強い政治的シグナルを送るため、聖座は署名と同じ日にこの条約を批准する。まず第一に、聖座と教会が、被害者の側にいる事をお伝えしたい。そして、私たちはクラスター爆弾の製造国、輸出国、使用する可能性のある国に対して、この条約に加わるようにとのアピールをはじめたい。それによって被害者と被害を受けている国のメッセージが理解されるようにしたいのだ」と述べたとZenitニュースが伝えています。残念ながら合衆国やロシア、そして中国やイスラエルといった大量保有国が今回の条約には背を向けています。今後、バチカンも様々な外交チャンネルを通じて、この条約の署名と批准を呼びかけていくものと思います。
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毎月の第一木曜日は、原則として常任司教委員会の日です。そして今日は12月の最初の木曜日で、午前10時から定例の常任司教委員会が東京の潮見で行われたので、夕方まで東京でした。珍しく話し合いが紛糾することもなく、議題も思いの外少なく、会議はお昼で終了。お弁当をいただいて、カリタスジャパンの事務局に顔を出して、早めに新潟へ戻ることができました。たぶんこれが今年最後の東京での会議になろうかと思います。何事もなければ、来年1月の第一週まで、東京へ出かけなくて済むかもしれません。新幹線車内でひとり寂しくお弁当を食べる日々も嫌いではないですが、やはり自分の家がよいですから。加えて、わたしはたぶん自意識過剰なのだろうと思うのですが、外でひとりで食堂に入り食事をするということが、この上なく苦痛ですので、そういう意味では、東京で当分会議がないのはありがたい。
それにしても教皇庁をはじめ、教会のさまざまなレベルで、研修会や会議の企画の多いこと。今日の会議でもいくつかの研修会や会議への「招待」について、一体誰を出すのかが話し合われましたが、そもそもどういうわけかこういった集まりは、第一に連絡が遅くて、第二に日程が長い。3月に一週間近くバチカンで集まりをするから来るようにと今になっていわれても、日程調整は困難を極めます。せめて一年前くらいに日程だけでも分かっていればと思うのです。とはいえそれぞれの会議や集まりが開催できるかどうかは、資金を調達できるかどうかにかかっていることもありますから、資金調達のめどがつかないうちから、開催を公言できないのかもしれません。そういえば1月にインドで開催予定であったアジア司教協議会連盟の4年に一度の総会も、5月または8月のどちらかに延期となり、まだ決定していないため、参加代表に選出されているわたしは、どちらの日程もあけておかなくてはならない。しかも10日間分も。これまた困ります。
加えて来年中には、今回の列福式でお披露目された福者の聖遺物を入れた顕示台をもって、教皇様に感謝を述べてそれを贈呈する巡礼も行うとか。米沢の殉教者が含まれているのですから、これもたぶん行かなくてはいけないのでしょう。この顕示台は、できれば来年5月の米沢での感謝式典にお借りしてこようと思います。
冒頭の写真は先日の列福式後の巡礼で訪れた、上五島の頭ヶ島教会です。世界遺産の候補の一つで国の重要文化財だとか。この地の教会建築でたびたび名前を耳にする鉄川与助さんの手になる教会で、1910年から10年の歳月をかけて建設された石造りの教会です。西日本唯一の石造り教会だということで、しかも信徒の手で石が積み重ねられていったのだとか。その痕跡は、積み上げられた石に刻まれている数字(下の写真)。順番に数字に従って積み重ねていったのでしょう。当時の五島の信徒の方々の、自分たちの聖堂を造るのだという熱意が、積み重ねられた石から伝わってきました。造形の美しさや、内部の落ち着いた雰囲気以上に、積み重ねられた石から伝わる信徒の息づかいに、心を奪われました。生活のすべてを貫いて信仰があり、福音に生きることが当然であり、ご聖体の前で聖堂に祈ることが自然である生き方。厳しい迫害の時代を経て、そうした世界がそこに展開した事へのうらやましさを感じるとともに、この基本がしっかりとしていないのであれば、そのほかのことは虚しいとも感じた、五島の旅でした。
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あっという間に12月が始まりました。というわけで、巷はすでにクリスマスモードに突入していますが、新潟中心部でも恒例のクリスマスの飾り付けが始まっていますので、その写真を二点ばかり。
まずいつもの古町のスター、大和(ダイワ)デパートのショーウィンドウを飾る、踊るウサギさんたち。今年の衣装はこれであります。よっぽど毎年のメンテナンスが良くできているのでしょう.今年もスムースに歌い踊っておりました(ぁ、歌は録音か)。
そしてその横は、古町アーケード5にあるクリスマスツリー。その横でバットを振っているのは、誰あろう、「ドカベン」こと山田太郎であります。この通りには、ドカベンの銅像がそこら中に設置されているのであります。アーケードの音楽はすでにクリスマス。そんな気分にさせられる新潟の町でした。
P.S. 新潟教区司祭は本日と明日、聖ベネディクト会のエドワード・ヴェベロン師を招いて、待降節の静修です。
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毎年12月1日は、世界エイズデーです。カリタスジャパンのHIV/AIDSデスクでは今年も世界エイズデーにあわせた活動を行っています。今年はお財布にも入るミニカードとメッセージを作成しました。詳しくはこちらをクリックください。カリタスジャパンのホームページに入ります。
メッセージの中には、祈りとして次のように記してあります。
「12 月1 日は世界エイズデーです。世界では毎分1 人、15 歳未満の子どもがエイズが原因で命を落としています。15 秒に1 人、15 歳から24 歳までの若者がHIV に感染しています。日本でも確実に感染が広がってきています。予防には意識をもった生活が大切です。私たちがこの病気に対する理解を深めることができますように。そして感染した人が周りの人々から差別や偏見を受けることなく、神の愛にふれることができますように」
今年の世界エイズデーのテーマは「LivingTogether~ちょっとの愛からはじまる事~」だそうです。しっかりとした知識を持って感染の危険を避けることは重要ですし、同時にそういった危険の中に生きている人たちへの働きかけや、また感染してしまった人たちの不安に寄り添うことや、加えてそういった方々への偏見に立ち向かうことも必要であろうと思います。
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