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2009年3月31日 (火)

ナミュール・ノートルダム修道女会の新潟修道院閉鎖

4月1日付ですべての小教区にはお知らせを送付いたしますので、次の日曜日には掲示されていることと思いますが、ここでもお知らせしておきます。正式な文書は掲示をご覧下さい。

1964年以来、新潟清心女子高等学校の設立母体として教区における教育宣教司牧に協力いただいたナミュール・ノートルダム修道女会は、2009年3月31日をもって新潟修道院を閉鎖し、新潟教区で働くすべての会員が教区を離れることになりました。

それに伴い、新潟清心女子中学高等学校の経営母体は学校法人ノートルダム清心学園を離れ、4月1日より独立した学校法人となります。新法人は学校法人ノートルダム新潟清心学園と称し、理事長には、新潟トヨタ自動車会長の等々力好泰氏が就任されます。

「カトリック学校」という認定は教区長がそれを行います。新理事会には新潟司教である私とナミュール・ノートルダム修道女会のシスター方2名が加わっていること、また学校においては専任の講師を雇用し宗教教育がこれまで通りカトリックの信仰に基づいて継続されることが保証されておりますので、当面の間、新潟清心女子中学高等学校をカトリック学校と認定しました。

教区の皆様には、カトリック信仰に基づいた教育が今後も新潟教区内において継続されますよう、祈りを持って支えて下さいますようお願い申し上げます。

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横山さんの葬儀

Yokoyamasogi1 新潟教会で長年にわたり働いて下さった聖体奉仕会の会員、横山無枝(ムエ)さんの葬儀が、本日火曜日午後12時半から、新潟教会で執り行われました。長年にわたってさまざまな人と親交があったことですし、教会内外で横山さんにいろいろとお世話になった人も多いことから、聖堂はいっぱいでした。折しも、昨日午後から本日昼にかけて、新潟教区の司祭評議会が開催されておりましたので、昨晩の通夜にも、また本日の葬儀にも多くの司祭が参加しました。特に教区司祭にあっては、みなさん、それぞれが横山さんといろいろなエピソードをお持ちで、昨晩の司祭評議会後には、その話で持ちきりでした。横山さん、いろいろとありがとう。新潟教会の鐘が鳴る度に、横山さんがいるような気がしてしまいます。R.I.P.

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2009年3月30日 (月)

訃報:横山先生

突然ですが、長年にわたって新潟教会で働いて頂いた聖体奉仕会の会員でもある横山ムエさんが、昨日亡くなられました。81歳でした。お茶やお花の先生としても、ご活躍なさいました。土曜日には保育園の卒園式や新潟教会での結婚式のためにお花を用意されたりとお元気でしたので、驚いております。

通夜は公益社のアーバンホール(青山)において、本日3月30日午後7時から。そして葬儀は明日3月31日12時半から新潟教会に於いて執り行われます。お祈り下さい。R.I.P.

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2009年3月29日 (日)

山頭神父様、叙階30周年

Yamagashira1 本日午前9時から、新潟の亀田教会で主任司祭の山頭泰種神父様の、司祭叙階30周年記念ミサが行われました。司式はわたしでしたが、秋田からは永山神父様、花園の高藪神父様、まもなく叙階の坂本助祭が一緒に加わって下さいました。山頭神父様、おめでとうございます。

山頭神父様はもともと長崎教区の出身ですが、高校時代に、長崎よりももっと司祭を必要としている教区で働きたいと思い至り、挑戦するならより条件の厳しいところと言うことで、新潟教区の神学生になられたのでした。永山神父様は神言会ですが、当時、長崎の南山高校での後輩にあたります。そのために本日秋田から駆けつけて下さいました。

山頭神父様のこの30年をふり返ると、冒険と挑戦の連続であったと感じます。そもそも司祭になろうとすること自体が人生の冒険と挑戦ですが、長崎という大教区を離れ新潟に来ることも冒険と挑戦です。そして司祭になってからはフィリピンで長年わたり活躍されました。これまた冒険と挑戦です。そしてわたしが司教になった年に、日本に戻ってきて下さいました。これからも冒険と挑戦を続けて頂きたいと思います。なお本来は25周年(銀祝)を祝うのですが、当時はまだフィリピンにおられたため、お祝いが先延ばしになっていました。またその後は、亀田教会の聖堂建設を優先させたため、今日のお祝いになったと信徒会長からの説明がありました。

午後からは新潟市内のホテルで祝賀会が行われました。参加して下さった方々ありがとうございます。また準備して下さった亀田教会の皆様、本当にご苦労さまでした。(写真は、教会学校の子どもたちの山頭神父様への贈り物)

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2009年3月26日 (木)

うれしい便り

新潟はまるで冬に逆戻り。東京でも雪がちらついたようですが、新潟も雪のちらつく寒い1日となりました。この数日は、月末が締め切りのいくつかの原稿を仕上げたり、まもなく始まる聖週間の説教を考えたりと、久しぶりに新潟に腰を落ち着けております。

Shinjonews 教区事務所には各地の小教区から「教会便り」が送られてきます。立派な雑誌のようなものから手作りのもの、不定期刊のものから月刊のものといろいろです。編集を担当されている方々の苦労が偲ばれます。小教区や教区の中での共通理解のためにはとても重要な役割ですので、担当者の方々、これからもよろしくお願いします。

さてそんな中で、うれしいニュースが送られてきました。「新庄だより」です。編集して下さる信徒の方から直接頂きました。発行は「新庄カトリック教会」と記してあります。すでに第6号。同じ記事を日本語と英語の両方で併記して、カラー写真入りの立派なニュースです。

どうしてうれしいのかと言えば、ご存じのように今年の年頭司牧書簡に、わたしは新庄について次のように記していたからです。

「第一に、山形県の新庄市近辺に、山形地区の取り組みに教区全体として協力しながら、新しい教会を建設したいと考えています。
 ご存じのように新潟教区の各地には、結婚を通じて日本に来られた移住移動者の信徒が、大勢おられます。山形県の新庄市近辺では、100名を超えるフィリピン出身の信徒の方々が共同体を育て上げ、定期的に司祭を迎えてミサを捧げています。ところがこの共同体のために、定まった場所がありません。子どもたちの信仰教育にも心を砕く新庄の共同体は、昨年、将来を見据えて聖堂の建設を決意されました。山形地区の方々もそれを応援しています。しかし小さな教会共同体の力だけでは、土地の取得から始まる聖堂建設は、財政的にも容易ではありません。教区内の多くの小教区で、聖堂や施設の維持のために資金を必要としていることは事実ですが、同時に私たちは、今一番助けを必要としている弱い共同体への支援も心掛けていきたいと思います」

活発に共同体づくりに励んでおられる新庄教会の皆さんを、これからも応援していきたいと思います。

ところで関係ないですが、昨日たまたまテレビをつけたら高校野球でした。そして直後に試合が終わったらしく、勝利校の校歌が流れてきました。一瞬、「間違い?」とおもったほど。これってセンバツのテーマソングか何かと思わせる、軽いのりの曲。大分県にある明豊高校の校歌は、南こうせつご夫妻の作詞作曲だとか。道理でいわゆる校歌らしくないけれど、とってもすてきな歌でした。

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2009年3月24日 (火)

神のはからいは

「あなたの御計らいは、わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。 数えようとしても、砂の粒より多く、その果てを極めたと思っても、わたしはなお、あなたの中にいる(詩篇139より)」

四旬節は洗礼に向けて最後の準備を整える洗礼志願者と歩みをともにしながら、私たち自身の信仰の根本を見直す時期です。この四旬節中の主日や週日ミサで割り振られている旧約の朗読には、さまざまな人間が時に尋常ではない状況に追い込まれ、その中で決断を下すことによって救いの歴史を形作っていく様が語られます。神は、その計らいの中で、人間が当たり前と考える道を採用せず、後になれば不思議としか言いようのない出来事を積み重ねられます。

考えてみればイエスに至る道も、そしてその後福音がのべ伝えられていく道も、人間業ではない不思議に満ちあふれています。そしてそれがあったればこそ、遙か彼方の地の果てに住む私のところにまで、時間を経て福音が伝わってきたのだと考えると、その神の計らいの不思議さに驚嘆せざるを得ません。その年月を通じた神の業の積み重ねがあったからこそ、福音は私たち一人ひとりのところまで届いたのです。地理的にも時間的にも遙か彼方で起こった出来事を、日本にいる自分が信じている事の不思議さ。そこに働く神の力と、神の計らいの神秘さを思わずにはいられません。

そうであれば、今もまた働いている神の計らいに身を委ねる勇気を持ちたいと思います。繰り返し繰り返し、人間は生きていく中でさまざまな決断を重ねていきます。そのどれかが、後でふり返れば神の計らいの中での不思議な出来事の一つとなるのかもしれません。自分の計らいではなく、神の計らいの中で生かされている自分の小ささに謙遜になりながら、自分が人生の中で下すさまざまな決断が、神のみ業の実現に寄与するものとなるのかどうか、へりくだって吟味したいと思います。

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2009年3月20日 (金)

那須までドライブ

Asiagakuin 朝から日帰りで、那須までドライブしてきました。最初は新幹線で行こうかどうかと迷ったのです。新幹線で出かけても、大宮での乗り換え待ち時間や、那須塩原に着いてから現場へ向かう移動を考えたら、どうみても磐越自動車道と東北道経由の自動車の方が早い。速度制限を守って計算するナビの到着時間予測でも、どう見ても自動車の方が早い。

というわけで、降りしきる雨の中、早朝7時半頃に新潟を出発し、会津に抜けたら一瞬の晴れ間。しかし再び寒さと雨の中を山越えとなり、最終的に西那須野塩原インターチェンジに到着する頃には晴天に。そしてそこからほんの15分ほどで、本日の目的地、学校法人アジア学院に到着。確かに、東京から新幹線でやって来るグループより30分も早く到着。3時間ほどのドライブでした。

すなわち本日は、私も評議員の一角に名を連ねさせていただいている、アジア学院の理事会と評議員会が、開催されたのであります。以前にも記したことがあると思いますが、アジアやアフリカから教会関係の団体に勤める農業指導者を招聘し、持続可能な農業経営を目指して有機農業を伝授する学校であります。もともとはプロテスタントの農村伝道学校から始まり、いまでもプロテスタント諸派の方々によって自主的に運営されている学校です。とはいえ、アジアやアフリカの現場では、カトリック教会系の団体も多く、派遣されてくる受講生の中にも、毎年のようにカトリック信者や司祭、修道者が多数おられます。そんなこともあり、カトリックを代表しているわけではありませんが、私も関わらせていただいております。ちなみに理事の中にカトリックの信徒が一名。そして評議員には私以外に司祭が一名。

アジアやアフリカの学生からは受講料を取らず、渡航費を工面し、滞在中は奨学金として某かの金銭を支給するという体制ですし、30名程度の学生に20名近いスタッフですから、経営には厳しいものがあります。さすがプロテスタントの教会の方々で、さまざまな方面から寄付を得てはおりますが、かなり厳しいのが現状であります。アジア学院について詳しくは、同学院のホームページをご覧下さい。

アジア学院は2月21日に2008年度朝日社会福祉賞を受賞しており、今日は昼食時に職員も交えて、賞状や記念品のお披露目がありました。写真はそれを紹介する、丹羽章理事長。

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2009年3月18日 (水)

教皇様はアフリカへ

ここ数日は年度末特有の「ばたばた」が続いており、ちょっとくたびれております。

さて、教皇様はアフリカへ出かけられました。現教皇様にとっては初めてのアフリカ訪問です。昨日ローマを出発し、今回はカメルーンとアンゴラを訪問され、来週の月曜にローマへ戻られる予定です。教皇様の司牧的訪問の成功をお祈り下さい。今回の目的を15日のお告げの祈りの際に教皇様は次のように語られました。(翻訳は中央協HPより)

『 わたしはカメルーンの首都ヤウンデに行きます。ここバチカンで10月に開催される第2回アフリカ特別シノドスの「討議要綱」を示すためです。その後わたしはアンゴラの首都ルアンダに行きます。アンゴラは長い内戦の後、再び平和を見いだし、公正のうちに自らを構築するよう招かれています。わたしは今回の訪問によって、精神的な意味で、アフリカ大陸全土を抱くことを目指しています。その数千の異なる民族と深い宗教的精神。古代からの文化と、発展と和解に向かう労苦の多い道のり。深刻な問題と、痛ましい傷と、大きな可能性と希望を含めてです。わたしはカトリック信者の信仰を強め、キリスト者のエキュメニカルな取り組みを励まし、復活した主が教会にゆだねた平和のメッセージをすべての人にもたらしたいと思います』

カメルーンはHIV/AIDS問題でも苦しんでいる国ですが、すでに途上の機内でそれに関する教皇様の発言があったようです。またアンゴラ訪問では、すぐ近くにあるジンバブエの政治的混乱に関して、カトリック信者でもあるムガベ大統領に対して、これまでと同様に厳しいメッセージを発せられると予想されています。ジンバブエは今年に入ってコレラの蔓延をコントロールすることができず、この数年続いている政治経済の混乱からすさまじいインフレともなり、これまで以上の悲惨な状況であることが伝えられています。それから今回が二回目となるアフリカ特別シノドスで、何が中心的な議題となるかも、興味深いところです。いずれにしろ今回の教皇様の訪問は、アフリカの教会にとって力強い励ましとなることは確実です。

それから教皇様は、パウロ年が6月に終了するに当たり、次の一年を「司祭年」とされることを発表されました。再び中央協のHPから引用です。

『3月16日(月)、教皇ベネディクト十六世は、教皇庁聖職者省総会参加者への謁見において、「アルスの司祭」聖ヨハネ・マリア・ビアンネ(1786-1859年)の没後150年を記念して、2009年6月19日から2010年6月19日まで特別聖年の「司祭年」を開催することを発表しました。「司祭年」のテーマは「キリストと司祭職への忠実」です』

私たち司祭は現代社会にあってさまざまな生き方をしていますし、それぞれの時代の要請にしたがって、また聖霊の導きにしたがって、活動していくことが肝要です。しかし同時に、司祭として忘れてはならない「柱」をしっかりと心の中心に持っていることも不可欠でしょう 。それがなければ単なる活動家になってしまいます。自分の生き方の中心をしっかりと貫く柱を持っている司祭の模範を、アルスの聖なる司祭ヴィアンネが示しています。パウロ年にあたって私たちは福音宣教への取り組みについて黙想していますが、司祭年にあたり、司祭のよって立つ柱を見つめ直したいと思いますし、司祭のためにもお祈りをお願いしたいと思います。『正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします(ヤコブ5章16節)』

ところで来日中のマンベルティ大司教は、昨日夕方、外務省飯倉公館で、中曽根外務大臣と会談されました。明日は東京近辺の司教さんたちとの会合ですが、私は先約のため参加できません。

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2009年3月16日 (月)

人事の第二次発表をしています

新潟市内は朝方はよい天気だったのですが、午後から雨模様の愚図ついた1日となりました。本日は定例の月曜会の日で、11時から小聖堂で、月曜会会員10名ほどと一緒にミサを捧げ、その後ロザリオ一環を一緒に唱えました。

さて昨日の日曜日にはすでに各小教区で発表になっていたことと思いますが、教区の人事異動の第二次発表をしています。今年は小教区関係では大きな異動はありません。先月すでに発表した江部神父様の新潟教区主任とフェルディマール神父様の長岡表町・福住・十日町助任以外に、以下のような発表をいたしました。

  • 《 秋田地区 》
     秋田教会 主任司祭     永山 誠師(秋田教会助任)=神言修道会
  • 《 山形地区 》 
     山形教会 助任司祭  マルチヌス・パリヤント師(つくば教会担当司祭)               =イエズス・マリアの聖心会
  • 《 教区外へ転出 》
     スタニスワフ・ポウォムスキ師(秋田教会主任)=神言修道会
     フランシスクス・スリワルヨ師(山形教会助任)=イエズス・マリアの聖心会
  • それ以外に教区の役職を以下のように任命いたしました。
  • 司教総代理(向こう5年間)  川崎久雄師(再)
  • 教区本部事務局長・教区会計(向こう5年間)  大瀧浩一師(再)
  • 顧問団  (向こう5年間)
     川崎久雄師(再)
     大瀧浩一師(再)
     真壁良雄師(新)
     本間研二師(再)
     フーベルト・ネルスカンプ師(新)
     飯野耕太郎師(再)
  • 地区長
     秋田地区:桃田清明師(再)
     山形地区:本間研二師(再)
     新発田地区:佐藤允広師(再)
     新潟地区:山頭泰種師(新)
     長岡地区:フーベルト・ネルスカンプ師(再)
     ※地区長は役職上、司祭評議会、宣教司牧評議会評議員及び教区共済基金理事となります。             
  • 学校法人聖母学園事務局長  大瀧浩一師(新)

各委員会などについては、現時点でも主に各地区からの代表に関して調整中です。これについては遅くとも4月の宣教司牧評議会の前までには発表できるように努力いたします。皆様どうぞよろしくお願いいたします。

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2009年3月15日 (日)

カリタスジャパンの報告会が行われました

Cjniigata1 本日午後1時から、新潟教会信徒会館ホールにて、カリタスジャパンの報告会が開催されました。報告者はカリタスジャパンの海外援助を担当する職員の稲江さん。信徒使徒職協議会の新潟地区総会の前に、一時間の時間をいただいて開催しましたが、会議メンバー以外にも参加者があり、40名近くが集まって下さいました。もっともこういう話を一番聞いて欲しい青年の姿がなかったのが、ちょっと残念でした。

カリタスジャパンでは、いただいている献金の使途を説明するためにも、こういった職員や秘書による報告会を各地で開催ししています。新潟では初めてでした。今回はまず、カリタス全般の説明と、実際の援助について、特に新潟教区担当者の町田神父様も視察に同行したバングラデシュの教育支援の実例などを用いて、分かりやすく語られたと思います。特に、一般の独立したNGOとカリタスの活動の違いは、まだまだ知られておらず、それを理解していただくのが大切かと思います。

Cjniigata2 カリタスは基本的に、国際カリタスに加盟する各国のカリタス組織の連盟です。それぞれの国における活動については、それぞれの国のカリタスが責任を持っています。ですから日本側が勝手にどこかの国で働きたいと決めることはできず、必ず相手国カリタスの意向を尊重しながら活動は進められます。またカリタスは基本的に各地の教会をベースとして成り立っていますから、しばしば言われるように、「災害の前にもカリタスはそこにあった。災害の最中にもカリタスはそこにいた。災害の後に真っ先にカリタスはそこにいた」と、ローカルに常に存在する特長を生かした、それこそ超草の根の活動を特徴としています。

同じようにカリタスは活動に於いても発言に於いても、自国以外のことに関しては、必ず相手国カリタスの意向、または国際カリタスの意向(すなわち上部組織であるCor Unumや国務省を通じて聖座の意向)にもとづいて、活動や発言を行うことになっています。災害救援に関しては、国際カリタスの調整の下で活動が進められますし、それ以外に力を入れている持続可能な開発援助については、相手国カリタスとの二国間援助が基本となります。(写真は報告会で語る稲江さん)

新潟教会は昨日と今日、四旬節の黙想会でした。指導は青山教会のラウール神父様。皆様の教会でも、四旬節の黙想会は終わりましたか?四旬節も、あと残り少なくなりましたが、どうぞ良い準備の時を過ごされますように。

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2009年3月13日 (金)

バチカンの外務大臣が来日

Adlimina0753 少し旧聞ですが、秋田に出かけている間に、外務省から正式に発表になったと、バチカンに駐在する日本政府の上野景文大使からメールがありました。バチカンの外務局長(国務省の外交担当秘書で外務大臣に相当)であるドミニク・マンベルティ大司教が、外務省の賓客として来日することになりました。以下、外務省のプレスリリースから。

  1. ドミニク・マンベルティ(H.E.Monsignor Dominique Mamberti)法王庁外務担当長官は、外務省賓客として、3月15日(日曜日)から20日(金曜日)までの間来日します。
  2. 日本滞在中、マンベルティ外務長官は、中曽根弘文外務大臣と日バチカン外相会談を行い、二国間関係や地域・国際情勢等について意見交換を行う予定です。また、同外務長官は、長崎県を訪問し、金子原二郎長崎県知事と会談する他、長崎原爆資料館や長崎の教会群を訪問する予定です。
  3. 同外務長官の来日により、国際紛争、貧困、人権等の国際的課題について固有の発言力を有するバチカンとの二国間友好関係が一層強化されることが期待されます。

東京教会管区の司教団は、19日に東京で昼食会をしてマンベルティ大司教と懇談することになっていますが、私は残念ながら先約があって参加できません。写真は、アドリミナの際に日本の司教団と歓談する、マンベルティ大司教。

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風には勝てません

Chokai0903 先週に続き、今月は二度目となる秋田へ出かけてきました。今回は聖霊短期大学の卒業式。その前に聖体奉仕会で会員に講話でもしようと、1日前に新潟を出たのでありました。先週、聖園短期大学卒業感謝ミサに出かけたときは、秋田はまるで春の陽気。冬のコートでは汗をかいてしまうほどの絶好の好天でした。ところが今回はまったく反対に。

確かにその日は新潟も寒かった。しかし時刻通りに12時半過ぎに秋田行きの「いなほ」は出発したのでした。新発田あたりまで何事もなく進んでいた「いなほ」は、坂町で停車した後なかなか出発しない。車内放送は「今後の運転について打ち合わせをしております」とのこと。「打ち合わせ」であります。なにぶん羽越線は単線区間と複線区間が複雑に混じり合っており、加えてJR貨物が大量の貨物列車(しかも編成が長い)を行き来させている路線でもありますから、行き違いをするタイミングと場所を確実にしないと行けないのでしょう。それから先は、徐行運転となりました。すでに村上に到着した段階で、「酒田以遠の秋田方面は運転休止」のアナウンスが。結局、強風のために徐行が続き(打ち切りにならなかっただけ感謝するべきでしょう)、酒田到着時にはすでに1時間半以上の遅れ。そこから今度はJRが手配してくれた代行の観光バスに分乗して秋田へ。秋田直通方面にはそれでも二台のバスがいっぱいになるほどの乗客がおりました。なんといっても、新潟から秋田へ行くには、自分で運転する以外にはこのJRしか交通手段がないのです。バスも走ってません。結局予定より3時間近く遅れて、夜7時前に秋田駅に到着と相成りました。

秋田は雪でありました。

そして今日は午前10時から聖霊短期大学の卒業式。なんとか天気は回復。午前中だけは太陽が顔を出しました。生活文化科93名、文化コミュニケーション科37名、音楽科16名が短大を卒業。そしてその後2年間の専攻科を終了した方が11名。皆さんおめでとうございます。

帰りの「いなほ」は、時刻通りで、無事に新潟まで戻って参りました。(写真は本日、帰りの「いなほ」から見えた鳥海山。秋田県側から)

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2009年3月 9日 (月)

教区司祭の四旬節静修です

Wada0901 本日夕食から明日の昼にかけて、新潟教区司祭団の四旬節静修が、司教館で行われています。今回の静修でお話し下さるのは、大阪教区の和田幹男神父様。神学院でも授業を担当されている聖書学の専門家です。夕食後の7時半から9時過ぎまで、久しぶりに神学校の聖書学の授業に出ているような感触のよみがえる、密度の濃いお話でした。明日の午前中のお話も楽しみです。

和田神父様の今晩のお話は、四旬節ということもあり、詩編51。聖務日課(教会の祈り)で、毎週金曜日の朝の祈りに唱える、「神よ、私をあわれんで下さい」です。そして詩編23、「主は私の羊飼い」です。神父様ご自身の手になる原語からの解釈による翻訳と、そこに込められているさまざまな背景や意味合いを解説下さいました。

詩編23は、たぶん私が一番最初に口ずさむようになった詩編であろうと思います。子どもの頃、それもたぶん幼稚園か小学生の頃だと記憶しますが、当時住んでいた岩手県の教会で使われていたベトレヘム宣教会のシュトルム神父様が作曲された「バイブル・ソングス」。新垣先生のある論考には、「バイブル・ソングス」は1960年に発表と書かれてありました。いくつかの日本語の詩編にメロディーを載せたものが掲載されていましたが、そのなかでも、「主は、我が牧者にてまします。我は乏しくはおもわじ」で始まるその歌は、なぜか今でも口をついて出てくる魅力を持っている曲です。

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2009年3月 8日 (日)

小さな積み重ねが

Seminar01 規模的に小さな割に地理的には広大である新潟教区では、どうしても全教区的な活動が難しくなってしまいます。大都市を抱える教区ならば豊富に提供できるであろう講座や講演会や黙想会も、どうしても頻繁に開催することができません。そのような状況の中で私が求めたいのは、それぞれの地区や小教区での「小さい試み」の積み重ねであります。

そんなわけで、カテドラルである新潟教会では先般組織の見直しが図られ、信徒養成部が設置されたと聞きました。その活動の手始めに早速本日、四旬節第二主日のミサの後、新潟教会では「よりより聖書朗読と『みことば』を聞く人の心構え」と題して、講習会が開催されました。講師は神学院を卒業したばかりの坂本耕太郎助祭であります。(写真は新潟教会の講習会で語る坂本助祭)

講習会のお知らせには次のように記してあります。「ミサの中で聖書朗読をする人の役割はたいへん重要です。『聖書が教会で朗読されるときには、神ご自身がその民に語られ、キリストは、ご自身のことばのうちに現存して、福音を告げられる。したがって、神のことばの朗読は典礼のもっとも重要な要素である」とミサ典礼書の総則29にあります」

現在は「聖書と典礼」が普及していつでも手元に書かれたみことばがあるのですが、やはり語られ生きている神のみことばに触れるために、耳を傾けて朗読に身を沈めたいと思います。そのためにも良い朗読の準備と耳を傾ける姿勢が重要であると思います。

さて同じような取り組みとして、先日幼稚園の理事会で訪れた秋田では、司教協議会典礼委員会の委員でもある市瀬師を講師に、夜7時からの典礼講習会が土崎で開催されていました。ちょうど市瀬師も理事会で秋田を訪れていたものです。典礼については、現在ミサ典礼書の改訂が進められ、バチカンの承認を順に得ながら最終的なミサ典礼書の完成へ一歩ずつ歩みが進められています。新しいものが出版されてから慌てて典礼を学ぶのではなく、今の段階で少しずつ学んでいく必要性を私も感じています。

こういった小さな取り組みの積み重ねが、新潟教区全体に求められているのだと思います。私が知らないだけで、そういった取り組みは随所で行われてきていることでしょう。そういった各地の取り組みの情報も、今後「教区報」などで分かち合っていただければと思います。(私にメールで教えて下されば、この場で紹介します)

Soutoh0903 なおその小さな取り組みの一つとして、新潟教会からもう一つ紹介したいのは、「双塔」のことであります。御復活、昇天、クリスマスといった節目に、文集小冊子のような大がかりな「双塔」が新潟教会では発行されていますが、それ以外に毎月の「双塔」もあるのです(写真は今月号)。A4で4ページです。その中には「教会生活ミニガイド」やら(今月のテーマは「奉献生活―キリストにより近く従うために」)、月の活動計画や霊名の祝日一覧、信徒役員会からのお知らせなどが記されています。編集されている方の努力が感じられる紙面です。これ以外にも新潟教会では毎週のミサに来られる方のために、聖書と典礼の一ページに収まる小さな案内の一枚も作成しています。そこにはその日のミサの聖歌番号、共同祈願、その週の教会活動や行事案内、先週日曜の献金額などが記されています。これもとても便利な一枚であると感じております。

小さな積み重ねから、お互いのコミュニケーションを図っていきたいと思います。

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2009年3月 5日 (木)

秋田は暖かな1日に

Akita0934 昨日午後は、秋田県内の小教区に併設されている幼稚園を統括する学校法人「秋田カトリック学園」の理事会が秋田教会で開催されました。理事長は土崎教会の飯野神父様。神言会の管区長と新潟教区長も理事に入っております。新潟県でも少子化の影響で幼稚園は厳しい経営を強いられておりますが、秋田県もさらに厳しい現実です。それでも来年度は入園児が増えている幼稚園が複数あるのは、園長を始め職員の方々の努力の成果でありましょう。(写真:千秋公園の池の向こうには三角屋根の秋田教会聖堂が見えます。左手は秋田で一番背の高いマンション)

そして本日の午前中は聖園短期大学の卒業感謝ミサ。秋田教会の聖堂に、卒業生130名と在学生133名が集まり、思いの外元気な声で聖歌も歌って下さいました。(保育関係の職に就かれる方が多いので歌が元気なのは当然かもしれません)

帰りの特急「いなほ」は、いつもの通り始発の秋田駅からはまばらな乗客でしたが、「おくりびと」効果なのかロケ地の酒田や鶴岡を訪れる人が増加しているようで、そのあたりからは平日の昼間としては結構な乗車率となりました。その車内で、すぐ斜め前の席に座った二人の年輩のご婦人の声の大きいこと。とても仲の良い、幼なじみのお二人かと思うほど、車内に響き渡る大声で、会話が弾んでおりました。聞こえてくるところでは、お二人とも若い頃に他県から秋田にお嫁に来て、今日はお二人とも実家へ向かっているところ。その昔秋田に来た頃に初めて見る食べ物や風習に困惑した話を、二人で楽しそうになさってました。仲の良い友達なんだなと、みじんの疑いも抱かせないような弾む会話。ところがそのうちのお一人が、実家の町に近づいたらしく途中下車することに。そうしたら彼女曰く。「いやあ、私はおしゃべりが好きなモンだから。初対面で失礼な事も言ったかもしれないけど、楽しかったです。それじゃあ」と。なんとお二人は、秋田駅のホームのベンチで、たまたま隣同士に座っていた初対面同士。いやあ、あのお二人のコミュニケーション能力はうらやましい。

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2009年3月 3日 (火)

3月の主な予定

3月の、主な予定を記しておきます。

  • 3月3日、社会福祉法人新潟カリタス会の理事会(@新潟)
  • 3月4日、秋田カトリック学園の理事会(@秋田)
  • 3月5日、聖園短期大学卒業感謝ミサ(@秋田)
  • 3月7日、新潟ダルクはばたきネットの会議(@新潟)
  • 3月9日と10日、教区司祭の静修(@新潟)
  • 3月13日、聖霊短期大学卒業式(@秋田)
  • 3月15日、カリタスジャパン報告会(@新潟)
  • 3月18日、カリタスジャパン援助部会会議(@東京)
  • 3月20日、アジア学院評議員会(@那須、予定)
  • 3月21日、新潟清心中学校卒業式(@新潟)
  • 3月29日、亀田教会ミサ、山頭師叙階30周年(@新潟)
  • 3月30日、教区顧問会、司祭評議会総会(@新潟)
  • 3月31日、司祭評議会総会(@新潟)

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2009年3月 2日 (月)

卒業式シーズン到来

3月は卒業式のシーズンです。本日午前中は、新潟清心女子高等学校の第43回目の卒業式でした。卒業生は84名。渡辺和子理事長も岡山から駆けつけ、いつものように上品で深いお話をされていきました。そしていつものように立派な送辞と答辞。涙を流しながらの「愛」の合唱。元気な歌声が、卒業生のこれからの道程を祝福しているかのようでした。昨日の暖かい日曜と打って変わり、今日は朝から小雪混じりの寒い日となりました。卒業された皆さん、本当におめでとう。

ところで教皇様は土曜日に、教皇庁正義と平和評議会と移住・移動者司牧評議会の議長を兼任しているレナート・マルティーノ枢機卿の兼任を解き、移住・移動者司牧評議会の議長職からの退任を認められました。マルティーノ枢機卿はすでに76歳を超えられており、役職の定年を迎えています。そして教皇様は移住・移動者司牧評議会の新しい議長として、これまで東方教会省の局長(次官)を務めていたアントニオ・マリア・ヴェリョ大司教を任命されました。正義と平和評議会についてはマルティーノ枢機卿がそのまま残りますから、あらためて後任が任命されることが期待されています。故濱尾枢機卿様が退任された後、移住・移動者司牧評議会が正義と平和評議会に吸収合併になるという推測がありましたが、また違う方向に進展することになりそうです。

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2009年3月 1日 (日)

四旬節第一主日

新潟教区の皆様、早いものでもう3月が始まりました。新潟は本日はやや暖かい晴天で、春の到来も間近と感じさせますが、新潟の中越や上越、そして山形や秋田ではいかがでしょう。今年は復活の主日がやや遅めなので、この春の最初の日曜日が四旬節第一主日となりました。それぞれの教会では灰の式が行われたり、洗礼志願式があった教会も多かったことでしょう。四旬節は、特に復活に洗礼を受ける方々と歩みをともにしながら、私たち自身の信仰の原点をふり返るときです。一体何を信じているのか。自分の心に問いかける「時」にしたいと思います。

四旬節の始まりにはイエスの荒れ野での誘惑の話が朗読されますが、今年はその中でも一番短いマルコの福音でした。福音をのべ伝える業を始める前に、荒野で、いわば心の準備をされた主は、第一声のなかで「悔い改めて福音を信じなさい」と告げました。すなわち良い便りである「福音」は、悔い改めることを伴わなければ「福音」となり得ないということを教えています。良い便りを私たちが心に受け止めるために必要な悔い改めは、荒野にあります。

40年間荒野を彷徨ったイスラエルの民は、自分たちの運命も生き死にも、すべては神の御手の中にあることを、その旅路から学びました。自分たちの力や知恵に頼って生きていくのではなく、すべてを神に委ねたとき、救いへの道筋が明らかになっていくのです。荒野は神から直接生かされる場です。神に頼らなければ生きていけない人間の小ささを自覚する場です。神によって与えられたいのちであることを自覚する場です。神とともにある場です。

40日間の荒野の日々は、サタンからの誘惑の時でもあったと記されています。神との密接な関係を実感する場だからこそ、神から引き離そうとする力、すなわち悪の力が強烈に働くのです。サタンの誘惑は、何とかして神に背を向けさせようとする悪の力ではないでしょうか。

私たちは、良い便りをしっかりと受け止めそれに生きるために、まず荒野の体験が必要なのです。神に生かされていることを悟る。自分だけの力で生きていけるのではないことを悟る。神にすべてを委ねる。神に背を向けさせようとする悪の力に立ち向かう。自分が神の方向を向いているかたびたび確認する。さまざまな信心業や、節制や断食は、まさしく普段の生活の中で忘れ去っている神の存在を身近に感じるためにあり、神に頼らなければ生きてはいけない自分の弱さ小ささを悟るために用意されているのだと思います。

勇気を持って神に身を委ねるところから始めない限り、福音に生きることもできなければ、福音を告げるものにもなり得ません。

何も生活を変えることなく、今の自分の生き方が果たして神に向かっているのかどうかを顧みることもなく、良い便りを受け取ろうとしてはならない。まず「悔い改めて」福音を信じる者になりたいと思います。

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