神のはからいは
「あなたの御計らいは、わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。 数えようとしても、砂の粒より多く、その果てを極めたと思っても、わたしはなお、あなたの中にいる(詩篇139より)」
四旬節は洗礼に向けて最後の準備を整える洗礼志願者と歩みをともにしながら、私たち自身の信仰の根本を見直す時期です。この四旬節中の主日や週日ミサで割り振られている旧約の朗読には、さまざまな人間が時に尋常ではない状況に追い込まれ、その中で決断を下すことによって救いの歴史を形作っていく様が語られます。神は、その計らいの中で、人間が当たり前と考える道を採用せず、後になれば不思議としか言いようのない出来事を積み重ねられます。
考えてみればイエスに至る道も、そしてその後福音がのべ伝えられていく道も、人間業ではない不思議に満ちあふれています。そしてそれがあったればこそ、遙か彼方の地の果てに住む私のところにまで、時間を経て福音が伝わってきたのだと考えると、その神の計らいの不思議さに驚嘆せざるを得ません。その年月を通じた神の業の積み重ねがあったからこそ、福音は私たち一人ひとりのところまで届いたのです。地理的にも時間的にも遙か彼方で起こった出来事を、日本にいる自分が信じている事の不思議さ。そこに働く神の力と、神の計らいの神秘さを思わずにはいられません。
そうであれば、今もまた働いている神の計らいに身を委ねる勇気を持ちたいと思います。繰り返し繰り返し、人間は生きていく中でさまざまな決断を重ねていきます。そのどれかが、後でふり返れば神の計らいの中での不思議な出来事の一つとなるのかもしれません。自分の計らいではなく、神の計らいの中で生かされている自分の小ささに謙遜になりながら、自分が人生の中で下すさまざまな決断が、神のみ業の実現に寄与するものとなるのかどうか、へりくだって吟味したいと思います。
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