新潟教会の新しい主任司祭として、東京教区の江部純一神父が、本日のミサから正式に着任されました。江部神父様、新潟教区へようこそ。
というわけで本日の9時半のミサ後、信徒会館で江部神父の歓迎会が開催されました。もっとも江部師は新潟出身で、大学入学と同時に東京へ出て、そこで受洗し司祭を志したがために東京教区司祭であって、もともとは新潟の方であります。その意味で、新潟を良く知っている人物ですから、新潟カテドラルをお任せするに不安はありません。
ところで復活節第四主日である今日を教会は「世界召命祈願の日」と定め、司祭職と奉献生活のためともに祈りを捧げるようにと招いております。新潟教区の小教区では佐藤司教様の時代から主日に召命のために祈りを捧げてくださっているのですが、今日もいつも以上にお祈り頂けましたでしょうか。
来る5月6日には正午から新潟教会において坂本耕太郎さんが司祭に叙階されます。しかしその後には誰一人神学生はおりません。昨日、日本カトリック神学院から今年度分の教区分担金の請求書を頂きましたが、新潟と仙台は基本分担金のみの請求、つまり神学生がいないということであります。どうかお祈りくださいますように。一人の神学生が今から神学院に入ったとしても、司祭になるまでには7年間ほどかかるのですから。また新司祭ができるといっても、他の教区から司祭を派遣して頂かなければならないほど、教区としての人手不足は深刻です。
また女子修道会にあっても、ご存じのように後継者不足は深刻です。シスターへの召し出しのためにも、どうぞお祈りください。
教皇様はこの日のために、「神の呼びかけを信じること、すなわち人間の応答」というテーマでメッセージを発表されています。教皇様はメッセージで、召命は神からの賜物であるとして、次のように記されています。
「今もなお、神はご自分のぶどう園に労働者を呼び集め続けておられるからです。世界には司祭の数が著しく不足している地域があり、教会がその都度、困難や障害に遭遇していることは疑いようもない事実です。しかし、わたしたちは揺るぎない確信に支えられています。それは、時の流れの中で教会をみ国の最終的な完成に向けて力強く導く主は、慈しみ深い愛の秘められた計画のうちに、あらゆる文化と世代から自由に人を選び、ご自分に従うように招いておられるという確信です」
その上で、私たち一人ひとりの祈りの大切さを強調されます。
「 したがって、まずわたしたちがすべきことは、家庭、小教区、さまざまな運動、使徒職を果たすための組織、修道会、教区生活のあらゆる部門で、神の呼びかけに対するこの思いを絶えず祈りながら持ち続けることです。仕えることに自らの存在すべてを惜しげもなく差し出し、救いの使命においてより親しくご自分と働く人を、「収穫の主」は絶えず求め続けておられます。このことを確信しつつ、わたしたちはすべてのキリスト者が神への信頼のうちに成長するよう祈らなければなりません」
教皇様は司祭が救いの神秘を永続させるために召し出されているとして、その立場の重要性を強調してこう言われます。
「聖体祭儀においては、キリストがご自分の役務者として選ばれた人の中で、キリストご自身が働いておられます」
この言葉は、ミサを捧げる恵みをいただいた司祭として、常に噛みしめておきたいと思います。先日のカトリック新聞にメリノール会のグリム師が厳しい意見を書いておられましたが、確かに私たち司祭がより魅力あるものとして多くの人に福音をあかしする存在となることが、召し出しを考えていながらも一歩先へと踏み出せない多くの人たちへの励ましとなることができるでしょう。
どうぞこれまで以上に、召命へのお祈りをお願いいたします。(下の写真、左は歓迎会での江部師を紹介しているところ。右は5月の主日ミサ後にルルド前でのロザリオが今日から始まったところ。快晴の新潟です。)