イルクーツク点描
バイカル湖のほとり、夏時間では日本と時差がなく同じ時間を生きているイルクーツクには、カトリック教会が、実は現在も二つ建っています。昨日の日記で写真を掲載しているのが新しい方のカトリック教会で、現在のカテドラルです。
ところが町の中心部には、本日の写真に掲げた「カトリック教会」が建っているのです。もともと共産革命以前にこの地にはカトリック教会が存在していたのです。それがこの写真の教会。しかし共産政権下ではロシア正教もカトリックも、多くの教会が破壊されたり接収されたりしました。ロシア正教の教会が再建されたのはペレストロイカ以降のことです。中国本土でも同様の事例がありますが、接収された教会の中には倉庫として利用されていたものも多くあります。
イルクーツクのカトリック教会はコンサートホールに利用されました。現在ではドイツ製のパイプオルガンが、この聖堂の内部にあわせて設計設置され、パイプオルガン専門のコンサートホールになっているのです。ちょうど祭壇がおかれていた内陣に、下の写真のような立派なパイプオルガンがおかれているのです。これを他に移すのは至難の業のようです。ソ連崩壊後、イルクーツク教区ではこの聖堂の返還を求めてきたのですが、残念ながら市当局としてもパイプオルガンの移設先が見つからず、返還は実現していません。その代わり、といってはなんですが、聖堂の地下部分の一部屋がカトリック教会専用として返還されています。写真の祭壇がある地下室が、イルクーツク市内にカテドラル以外にもう一つしかないカトリック教会の小教区聖堂です。10人も入れば聖堂は一杯となります。
イルクーツクに前任のマズール司教が任命された当時、99年に訪問したとき、マズール司教と秘書のヨゼフ神父は、アパートを「カテドラル」にしていました。食堂のカーテンを開けて、「ここがわたしのカテドラルだよ」と冗談めいていうマズール司教と一緒にミサを捧げた思い出があります。マズール司教はかなり懸命に聖堂の返還を求めたもののかなわず、結局現在もあるカテドラルを別に建設したのでした。そしてそれが、彼の入国拒否へと繋がってしまいました。まだまだ共産政権時代の爪痕がロシアには残されています。
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