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2010年3月31日 (水)

札幌でも聖香油ミサ

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本日午前10時半から、札幌教区のカテドラル、北一条教会で、聖香油ミサを執り行いました。広い北海道ですからさすがに司祭団が総揃いというわけにはいきませんが、30名ほどの司祭が共同司式に加わってくださいました。また聖堂にいっぱいの信徒の方々も、共に祈ってくださり感謝します。

新潟教区の聖香油の器は陶器です。札幌教区はその昔、キノルド司教の頃から使っているとかいう立派な容器です。奉献の時に私の席まで油を運んでくれた司祭が、苦しそうな顔をしていました。そんなに重たいのかといぶかしく思いながらおりました。拝領祈願後に聖香油の聖別のために机のところまで出てフタに手を伸ばし外そうとすると、このフタが重たい。フタだけであの重さですから、容器全体はかなり重いはず。運ぶ司祭が苦しそうな顔をするわけです。ミサの最後の行列では若手の三人の司祭が必死になって三つの容器を運び、待ち構えていた教会の女性陣が手際よく小さな瓶に移し替えてくださいました。(上の写真)

司祭団と一緒にお昼をいただいた後、午後1時過ぎからは札幌教区の顧問会。3時過ぎに顧問会を終え、苫小牧の神父様に空港まで便乗させていただき、5時20分の北海道国際航空便で新潟へ戻りました。明日はもう4月。早速明日の朝9時から新潟の見附で、新潟カリタス会の辞令交付式です。そして夜7時からは主の晩餐のミサが、新潟教会で行われます。どうぞご参加ください。

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2010年3月30日 (火)

新潟で聖香油ミサ

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本日は午前10時から、新潟教会で聖香油ミサを執り行いました。昨日から司祭評議会を開催したために、秋田や山形を含め、20人を超える司祭団が参加してくださいました。またちょうど今年は春休み中ですから、信徒の皆様の参加も多くありました。中でも長岡からは小学生と中学生が春の合宿の一環として17名ほど、また新発田からも子供たちの参加があり、いつになく賑やかな聖香油ミサとなりました。子供たちはミサが終わってからもしばらくの間、新潟教会で親交を深めるひとときを過ごしていきました。

例年通りの典礼ですが、ミサの中で司祭団は叙階の日を思い起こしながら、司祭としての初心に立ち返り誓いを新たにしました。また司教は司祭団に誓いを新たにするように促した後、会衆の皆さんには司祭のために、また司教自身のためにも祈りをお願いしました。互いに祈りあうことによって、教会共同体の一致が目に見える形で実感されます。

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奉献文の最後には病者の油が、また拝領祈願の後にはまず洗礼志願者の油が祝福されました。最後にオリーブ油に香料を混ぜて、司教と司祭団の両者が右手をさしのべて、司教の祈りによって聖香油が聖別されました。この復活祭に洗礼を受けられる方は、この新しい聖香油を塗油されることになります。

昨日の午後から今朝にかけて新潟は小雪がちらついておりましたが、ミサが始まる頃には晴天となりました。それでも寒い一日です。さあ、今夜は札幌に飛び、明日は北一条教会で、午前10時半から聖香油ミサです。

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2010年3月29日 (月)

聖霊高校おめでとう

秋田市にある聖霊高校のチームが、第34回全国高校選抜フェンシング大会で優勝を飾ったと言うことです。選手の皆さん、おめでとうございます。大会は高松で行われたそうです。聖霊高校では校長の折原先生が、全くの素人から独学でフェンシングを極め、選手としてではなくコーチや審判員としての一級の技量を持ち合わせるようになられたと聞きました。その指導もあり、選手たちも力をつけているのだと伺っています。とにもかくにも、おめでとうございます。

新潟教区では本日午後から明日の朝にかけて、教区の司祭評議会を開催します。そしてそのまま明日の朝10時から、聖香油ミサです。

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2010年3月28日 (日)

聖週間となりました

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3月19日から外務省の招きで来日していた国際カリタスの事務局長レスリー・アン・ナイト氏は、一連の外務省関連のプログラムを終了し、一昨日にはカリタスジャパンの事務局を訪問し、また昨日は一日、カリタスジャパン関係者とひとときを過ごしました。私も昨日は東京へ出かけ、午前中はカリタスジャパンの田所事務局長、秘書の成井神父を交えて、ナイト事務局長と意見交換やビデオ撮りを行いました。午後からは山谷へ出かけ、特定非営利活動法人「山友会」を訪問しました。山友会は「1984年から通称『山谷地域』で、日雇い労働者・路上生活者の生活および自立のための支援を続けている団体です(パンフレットから)」。ボランティアのドクターをはじめとした医療スタッフやソーシャルワーカーなどが、路上生活者に対して無料の診療活動を行っている施設やシェルター施設を訪問し、現状についてのお話をいただきました。その後は東京のカテドラルを訪れ、夕食を一緒にして一日を終えました。外務省の招待だけあってハイヤーが手配されており、スムースな移動の一日でありました。

バチカンの中枢部で、責任あるポジションについている女性はそれほど多くはありません。私が知っているだけの範囲に過ぎませんが、奉献・使徒的生活省の次官のシスター、正義と平和評議会の次長、バチカンのウェブマスターのシスター、そして直接のバチカンの役所ではありませんが任命は国務省の承認を必要としている国際カリタスの事務局長のナイト氏だけです。その意味で、昨夜の夕食では、いろいろとバチカンの興味深いお話を聞くこともできました。(写真上は山友会の前で)

そして本日は枝の主日。新潟教会は9時半のミサとその後の講話が、東京教区の門間直輝神父様によって行われました。門間神父様は2007年の司祭叙階で、江部神父様が主任を務められていた習志野教会で助任をされていたこともあるとのこと。現在は東京教区事務局で働いておられます。(写真下は新潟教会で語る、門間神父)

私は朝9時から花園教会でミサを捧げました。受難の主日には一年に一度しか歌わない歌も指定されているなど、人数の関係で聖歌隊が組織されていない小教区では、どうしてもその通りに歌うことが難しいのだという現実を、感じました。幼稚園の玄関から聖堂まで、少しの距離でしたが枝を携えて行列をすることもできました。新潟はとても寒い一日でした。

どうぞ皆様、豊かな聖週間をお過ごしください。

Monma

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2010年3月25日 (木)

理事会の季節

年度末ですので、この時期は理事会の季節でもあります。というわけで昨日は一日で二つの理事会に、しかも新潟と名古屋で出席してきました。昨日午前11時からは、新潟市内某所で学校法人ノートルダム新潟清心学園の評議員会と理事会。新潟県内唯一のミッション女子校である新潟清心女子中学高校を運営している法人です。現在はナミュールノートルダム修道女会との関わりがなくなり、新潟の財界の方々による独立した法人ですが、カトリック学校として保つためにも、私やナミュールの渡辺和子シスターも理事として加わっております。今年は独立して第一年目でしたが、宗教の授業や朝の聖書の講話などもしっかりと継続しており、月に一度は学校のチャペルでミサも行われるなどよい宗教的雰囲気を保っていると思います。今後ともさらに努力を続けていただきたいと願っています。公立高校の無償化などの政策もあり、私立への補助がどうなるかわからない中、私立学校の経営には難しいものがあります。その中でしっかりと運営してくださる校長はじめ関係者の皆様には、心から敬意を表すると共に感謝いたします。

さてその後夕方の6時半からは名古屋市某所で社会福祉法人ゲマインダハウスの理事会が9時頃まで。どうやって新潟から名古屋に移動したかは秘密です。しかも、翌日、すなわち本日の午前10時からは新潟清心中学の卒業式でしたので、とんぼ返りで新潟に戻りました。ほんの数時間の名古屋滞在でした。福祉に関する法律もまたまた変わる様相で、現在の自立支援の考えからどのように変わっていくのか不透明です。その中で、知的な障がいを持つ方々のための通所施設の運営には、厳しいものがあります。経済的にも難しい中、スタッフが最善を尽くしてくださっています。守山区のフルーツパークのさらに奥に、青空の家という施設を運営しております。

さてその上で今朝は10時から、新潟清心中学校の卒業式でした。通常はもう少し早い日程で行われるということですが、今年は新型インフルエンザの影響などもあり延期されていたオーストラリア研修が直前に行われ、3日前に帰国したばかりでこの日の卒業式となったということでした。36名が元気に卒業していきました、ほぼ全員がそのまま清心高校に進学します。経営的には生徒数が多い方がよいのですけれど、教育的配慮が行き届くためには少人数の方がよいと校長が仰っておられましたが、その通りの少人数教育で、しかも寄宿舎でぴしっと生活する生徒もおり、礼儀正しい心の美しい女性を目指して、手厚く育てられておりました。卒業された皆さん、おめでとうございます。校歌も元気でした。送辞も答辞も立派でした。

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2010年3月22日 (月)

地主司教様、司祭叙階金祝

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札幌司教を先頃引退された地主司教様と、同じ日に一緒に叙階されたトラピストの小山神父様のお二人は、本日カテドラル北一条教会で司祭叙階金祝を祝われました。1960年3月20日に、同じ北一条教会で一緒に叙階を受けられたということです。午前10時半からはじまった感謝ミサには、教皇大使と参事官も東京からお祝いに駆けつけ、心配された吹雪にもならず、200人を超える方々が聖堂にはおられたのではないでしょうか。司祭団も30名近くおられたのではないかと思います。地主司教様は本日司式なさるにあたり、わざわざ中央の座席を使用せずあけておき、司教座が空位であることを印象づけて、新しい司教が早く選任されるように祈りをお願いしたいと説教で述べられました。

教皇大使は、教皇様の祝福と福音宣教省長官のメッセージを持参してくださいました。昨晩、夕食を一緒に頂いたときに英語の原稿を頂いていましたので、訳をさせて頂きました。ミサでは札幌地区の聖歌隊も大勢駆けつけてくださり、荘厳な式となりました。写真はミサが始まる前に地主司教と小山師を囲んで。

ミサ後にはすぐ近くの札幌ファクトリーホールで祝賀会をいたしました。お祝いの言葉あり歌ありの祝賀会でしたが、なんといっても最後の方で地主司教様のこれまでの歩みを振り返るスライドショーが一番興味深いものでした。小学生時代にはじまって神学生時代、叙階式などなど、時代を感じる写真を見せて頂きました。地主司教様、小山神父様、本当におめでとうございます。まだまだお元気ですから、これからも健康には充分ご留意なさりながら、教会のためにご活躍くださることを期待しております。

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2010年3月21日 (日)

札幌教区神能神学生、祭壇奉仕者に

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本日日曜日の午後3時半から、札幌教区のカテドラル北一条教会で、神能和己神学生の祭壇奉仕者選任式が行われました。荒れた天気で風も強く小雪も舞う午後でしたが、100名近い方々がミサに参加してくださいました。また教区内で働く司祭も20名ほど参加してくださいました。ミサの終わりには花束贈呈とご本人からの挨拶がありました。これからも次のステップである助祭叙階を目指して歩みを進めることになります。説教でも申し上げましたし、また本人の挨拶にもありましたが、さらにその歩みは困難を極めるものとなっていきます。簡単に階段を上がって司祭になるというものでもありません。ともに共同体として召命を育てるという意識を持って、祈りで支えてくださいますように。

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2010年3月20日 (土)

今日は札幌へ移動

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秋田で合宿をする青年たちは、今朝方7時過ぎに出かけていきました。写真は出発前に、新潟教会の信徒会館前で、引率の坂本師に導かれてお祈りを捧げる青年たち。出発間際まで、どの車でどうやっていくかなかなか決まらないところも、現代の青年たちなのかもしれません。結局青年たちの車2台で出発。新潟以外から加わる青年もいるので、最終的には坂本師も入れて13名が参加することになったそうです。今回は成人青年の集まりということで、これからの教区の青少年活動をリードする責任ある立場としてどのようにするべきなのかを、聖体奉仕会を会場に徹底的に話し合うのだそうです(そうだったよね?)。結果が楽しみです。月曜日の夕方には新潟へ戻ってきます。

私は夕方の飛行機で札幌へ。午後には新潟で、自分が一番嫌いなお買い物に出かけたためなのか、やはりちょっと心もバタバタしていたのかもしれません。持ってくるべきものはみんな鞄に詰めたつもりだったのですが、肝心の札幌司教館の玄関の鍵を忘れてしまいました。(私は店員さんとやりとりをする、例えばデパートのようなところで買い物をするのがとても苦手です。意外に思われる方もおられるようですが、人前で話すのも本当は苦手です)。

今日の午後は西日本からだんだんと天気が崩れたようで、夕方7時15分の新潟発新千歳行きの北海道国際航空便は、追い風に乗ったのでしょう。時刻表よりも15分も早く到着しました。今日も札幌便はなかなか良い搭乗率のようでしたが、久しぶりに空港の保安検査場で係員に切れまくっているビジネスマンを目撃。ところで昨年12月から持ち込み手荷物の規制が厳しくなった理由は何でしたっけ?到着した札幌はみぞれの天気。日中は20度を超えていた新潟から、冬の北海道です。明日の夕方には教皇大使も札幌入りですが、月曜日の地主司教金祝は吹雪になるようで、北海道的な一日になりそうです。

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2010年3月18日 (木)

時間は駆け足で過ぎていく

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時間は本当に駆け足で過ぎていきますし、二つの全く異なる教区のことを思い巡らしつつ、そのほかのこともしていると、さすがにちょっと混乱して参ります。あっという間に時間が過ぎてしまい、少しばかり焦っておる毎日です。

さて来週の日曜日、21日は午後3時半から札幌の北一条教会で、札幌教区の神能神学生の祭壇奉仕者選任式を執り行います。神能神学生は神学の2年を終了したところで、福岡キャンパスで学んでおります。祭壇奉仕者は司祭叙階への一段階で、昔は下級叙階で侍祭といわれました。朗読奉仕者に続いて選任のステップを踏みます。単なる侍者とは違いますが、その役割について、儀式書には次の言葉があります。

「あなたは教会の司牧責任者の指導、監督のもとに、司祭や助祭の仕事に協力し、また奉仕者として、病人を含めて信者に聖体を授ける務めが託されます。このような尊い奉仕の務めをゆだねられるあなたは、聖体の秘跡にいっそう深く結ばれよう務め、自分の役割の深い霊的な意味を悟るように心がけてください。こうして日々、キリストを通して自分自身を父である神にささげるよう努力してください。聖パウロが教えているように、兄弟たちと一つのパンを分かち合うあなたは、すべての兄弟とともに一つのからだを作っています。したがって、キリストのからだである神の民の中で、弱い人や小さな人をとくに大切にし、キリストの愛の教えを実行するよう心がけてください」

さてその後22日の10時半から同じく北一条教会で、地主司教様の司祭叙階金祝のお祝いがあります。当日は同じく金祝を祝うトラピストの小山昭師もご一緒され、教皇大使も臨席される予定です。天気予報では、この日の札幌は雪のようですがどうなりますか。

さてこれらの行事が終わると、会議の類は別にして、次の大行事は聖週間です。以下、その予定です。

  • 今年の枝の主日3月28日は新潟市内の花園教会でミサを捧げる予定です。
  • 火曜日3月30日は午前10時から新潟教会で聖香油ミサ。
  • 翌日31日は午前10時半から札幌の北一条教会で聖香油ミサ。
  • 翌日4月1日は聖木曜日で、午後7時から新潟教会で主の晩餐のミサとそれに続いて聖体礼拝。
  • 4月2日は聖金曜日で、聖式は午後7時から主任の江部神父司式。
  • 4月3日は復活徹夜際で、ミサは午後7時から新潟教会で私の司式。
  • 4月4日は復活祭で、ミサは午前9時半から新潟教会で私の司式。

どうぞおいでください。

ところで、ローマにある国際カリタスの事務局長レスリー・アン・ナイト氏(上の写真の一番右端)が、日本の外務省の招きで明日から来日することになりました。主に外務省関連の行事が続きますが、28日に離日する前に、カリタスジャパンとしても時間を設けることにしています。海外の開発援助の現場では、外務省やJICAの事業で国際カリタスと連携することも多くあり、今後のパートナーシップを深めるために今回の招聘となったとのことです。上の写真は彼女が事務局長に選出された07年の総会後のパーティーで、アジアの女性たちと一緒に撮影したものです。

それから新潟教区の青年たちの有志が坂本耕太郎神父の指導で、20日から22日まで秋田の聖体奉仕会を会場に集いを開きます。私は札幌に出かけているので残念ながら一緒になれませんが、よいひとときであるようにお祈りします。

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2010年3月15日 (月)

新潟市消防局の行方

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新潟のカテドラル、カトリック新潟教会は表通りに直接に面してはいません。日銀や警察署、そして新潟小学校などの前を通るバス通りと教会の間には、その昔、異人池と呼ばれた池があったそうなのですが、今ではそれも埋め立てられ、建物が林立しています。実際には道路に直接面した聖堂横っ腹の部分の目の前には、以前は聖園幼稚園があったのですが、すでに閉園となり現在は駐車場として利用されています。従って表通りから聖堂の横顔を直接眺めることができます。そのお隣には毎日新聞支局。そしてその隣には新潟中央消防署と新潟市消防局が建っております。

さて3月13に日付の新潟日報によれば、12日の新潟市議会市民厚生委員会において、新潟市がこの消防署の新築移転を提示したと言います。移転先はまだ決定されておらず、2010年度中に移転先を決め、12年度から建築工事に着手するのだとか。そして大切なのは、「移転後の跡地利用策は決まっていない」という点。数年前に、この界隈のレトロな雰囲気の保存が話題になったとき、同じ新潟日報の記事で、ここを昔のように戻して教会がよく見えるようにはできないかという話題が掲載され、実際に記者が新潟市に消防署の移転計画について尋ねたり、仮に移転をするのならば跡地を公園にしてはどうかなどという提案をしていたことがありました。確かに何らかの形で、教会を含めた地域の環境を保全するためにも、跡地に巨大な建物が建つということは避けていただければと願いますし、できれば公園的な利用を考えてくだされば幸いだとも願うものです。今後の展開に注目したいと思います。(写真は左に聖堂の横っ腹が見え、その右隣に毎日新聞、さらに左の塔があるのが消防署です。寄居中学側、以前猫山宮尾病院があったあたりから撮影)

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2010年3月14日 (日)

直江津教会で四旬節黙想会

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四旬節第四主日の今日、上越市の直江津教会で、四旬節黙想会を行ってきました。朝6時半に出かけようと司教館の玄関を出て、昨日秋田から戻って停めたままにしておいた車を見てびっくり。そういえば昨日は天気が悪く、雨が降るわ、風が吹くわ、海岸沿いの国道は波しぶきをかぶるわだったのですが、おかげさまでブラックの私の車は見るも無惨な汚れようです。しかし時間的にもう洗っている暇はなし。今日の新潟は晴天で、光り輝く朝の高速道路を無残に汚れきった車でドライブの朝となりました。

さて新潟から直江津までは高速道路で1時間45分ほど。本日の第一部、日本語のミサは朝9時からです。二人のかわいいお嬢さんの侍者と、主任司祭のフーベルト神父と一緒です。直江津教会にはすばらしいオルガニストがおられるので、しっかりとした歌ミサが行われます。日本語ミサに集まったのは20数名の信徒の方々。ミサを捧げ、その後45分ほど講話をさせていただきました。引き続いて十字架の道行きとゆるしの秘蹟。締めくくりは聖体降福式。そのご参加者の方々と一緒にお弁当をいただいて、第一部が終了。

午後1時半頃からは、第二部です。今度は主にフィリピン出身の信徒を中心にした英語での黙想会。参加者は35名ほど。高田教会で活躍するフィリピンのシスター方のリードで祈りが行われ、始まりです。まず私が45分ほど英語で話をしました。その後、十字架の道行きとゆるしの秘蹟。高田教会のマリオ神父様もゆるしの秘蹟の手伝いに駆けつけてくださいました。締めくくりは英語ミサ。これまたかわいい二人のお嬢さんが侍者をしてくれました。写真は英語ミサの後に皆で記念撮影。プログラム終了後はいつものように持ち寄りで食事です。私も少しいただきました。直江津を出たのはもう夕方5時近くになってからでした。

第四主日の福音は有名な放蕩息子の帰還の話でした。もちろん戻ってきた息子を優しく迎える父親の話ですから、罪のゆるしの話であることは確かですし、私たちを無条件にゆるし迎えてくれる父なる神様の話でもあります。しかし同時に私たちの信仰の基礎的なポイントも指摘している話です。父親の言葉が象徴的です。「死んでいたのに生き返った。失われていたのに見いだされた」。単純に息子が戻った話であるのなら、「失われていたのに見いだされた」だけですむところを、「死んでいたのに生き返った」と言う父親。何に死んでいたのか。それは息子が、家庭という共同体から切り離されることで、本来生きるべき命を生きていなかったことを意味しているのではないでしょうか。家庭という共同体に戻ることで、あらためてふさわしい命を生きることになったことを祝っているのではないでしょうか。私たちの信仰も徹頭徹尾、共同体に生きる信仰です。共同体に結ばれることなく私たちの信仰はふさわしく生かされることはありません。自らも生かされ、またほかの人たちと共に生きる信仰。私たちの共同体はそれにふさわしいあり方でしょうか。

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2010年3月10日 (水)

秋田滞在の一週間

今週は秋田に滞在する一週間となっております。火曜日の午前中に秋田にある聖園短期大学の卒業感謝ミサが秋田教会で。さらに金曜日には同じく秋田にある聖霊短期大学の卒業式が。どちらも新潟教区には二つしかないカトリック短期大学ですから、教区司教として参加しないわけにはいきません。そういうわけで月曜日に車で秋田へやってきました。月曜日は素晴らしいドライブ日和で、鳥海山も雪に覆われたその美しい姿を輝かしておりました。もちろん火曜日の午後に新潟へ戻り、さらに木曜日に再び秋田へ出かけてもよいのですが、今回はその間の水曜日に東京でカリタスの会議が入っているため、新潟へ戻ると今度は毎日のように移動をしなくてはならない。そこで秋田から東京へ飛ぶことにして、一週間秋田にいることにしました。こういうときの宿はいつものように聖体奉仕会。もう雪は大丈夫かと思っていたら、今朝は大雪で、東京へ出てこれるかどうか心配でした。只今東京ですが、東京は晴れているものの、秋田はまだ雪のようで、夜8時の飛行機で秋田へ戻ったら、聖体奉仕会までたどり着けるかどうか。

先週末には、不思議な再会をした方と久しぶりに食事をしました。食事というより送別会かもしれません。私が24年前に宣教師としてガーナへ派遣されたとき、北西部の教会で働いていた同じ修道会会員から、近くに日本人がいるから会いに来いというお知らせ。海外青年協力隊のメンバー二人が、教会の関係するクリニックに派遣されているのだということでした。そこで、何かのついでに会いに行きました。私も協力隊員に出会うのは初めてでしたし、向こうも日本人の神父に出会うのは初めてだったのだろうと思います。思いのほか話が弾みました。その晩、今度は80キロほど離れたスンニャニという町に、さらに奇妙な日本人がいるという情報が。迎えに来た仲間の協力隊員青年と、夜に彼らのバイクに便乗してスンニャニまで行きました。そしたら自転車でアフリカを縦断しているとかいう青年が、そこにいるではありませんか。たまたま自転車の後ろに日の丸を掲げていたので、気がついた協力隊員が声をかけ、そのまま彼らの宿舎に泊まることになったのだとか。その晩はサハラ砂漠を縦断する話などで盛り上がったことを思い出します。

そのうちのお二人に、20年ぶりくらいに新潟で再会したのです。その場にいた隊員のうちの二人が帰国後に結婚され、さらに奥様のほうは洗礼を受けられて、ご主人の仕事の関係で一時的に新潟に来られたのです。24年前にガーナの片田舎の町で出会った時には、まさかこうして新潟の地で、しかも教会で再会することになるとは思いもしませんでした。人生は、本当に不思議に満ちていると感じます。ご主人の転勤に伴い、二人は新潟を離れることになりました。そこでお二人の送別の食事ということになりました。その食事の席でよくよく話し合って、やっと最初の出会いの出来事を思い出した次第です。

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2010年3月 6日 (土)

復活祭のポスター

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毎年復活祭やクリスマスになると、中央協議会の広報から、ポスターが送られておりました。今年の復活祭にあわせ広報では、自由にポスターを作成することができるようにと、WEBサイトでポスターの公開を始めました。PDFファイルで、ポスター内には文字を書き込めるスペースも設けられています。ただし文字のフォントなどを変更したり、または文字を打ち込んだ状態でファイルの保存はできません。これまで制作されたポスターの絵柄から選択できますから、今回は9種が公開されています。プリンターの調整で半分ずつ印刷して貼り合わせることで、サイズが大きいポスターにもできるでしょう。小教区でご利用ください。

四旬節も明日から第3週目に入ります。四旬節は一人一人の信仰の見直しの時であると共に、特に復活祭に洗礼を受ける準備をされている方々の締めくくりの準備の時でもあります。この時期にこれまで習ってきたことを振り返りながら、それを自分の心の中に住まう確信として育てていっていただきたいと思います。神の優しさと厳しさの両面を、聖書の朗読などを通じて感じていただきたいと思います。そしてその厳しさと優しさの両面が、具体的な方法として、つまり自分を受け入れ共に育っていく教会共同体の存在を通じて感じ取っていただければ、とも思います。教会共同体も、たとえば洗礼志願者がいなくても共同祈願の中で洗礼志願者のために祈ることが求められていますが、共同体の存在それ自体を通じて神の優しさと厳しさの証となっているのだということを、改めて自覚していきたいと思います。教会共同体は単に同好の士の集まりなのではなく、神の優しさと厳しさ、つまり神の愛を、この世において具現化させる存在なのだという自覚を、一人一人が新たにしていきたいと思います。

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2010年3月 3日 (水)

ガーナからのよい知らせと悪い知らせ

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今日はガーナから、よい知らせと悪い知らせの両方がやって来た日でした。悪い知らせから。毎月一回、修道会のニュースレターがローマの本部から送られてくるのですが、届いたばかりの最新版を見るとよく知った名前が訃報欄にありました。インドネシア出身のジャスティン・トダ神父が2月20日に亡くなったというのです。トダ神父は私より少し年長の54歳。私がガーナから日本へ帰ってくる準備をしていた頃に新任としてガーナへ派遣されてきて、私が働いていた地区に言語学習に送られてきました。確かガーナ管区に派遣された初めてのインドネシア会員だったと思います。とても明るい積極的な宣教師でした。(写真は2006年12月、ガーナはオソンソン村のマリア祭で、ロザリオ行列に向かう人たち)

実は数週間前に、何年かぶりで電話で話したばかりだったのです。次のよい知らせに出てくる神学生が休暇で訪れていたのがトダ神父の小教区。そこから二人で日本へ電話してきてくれて、久しぶりに彼の声を聞くことができました。とっても元気そうでした。そんな彼に何があったのか。ローマの総会長から来たメールに事情が書いてありました。

2月20日にトダ神父は黙想会に参加していた青年たちを引き連れて、小教区近くにあるアスチュアリ山に上りながら、野外の十字架の道行きをしていたそうです。第11留、「イエス十字架に釘づけられる」を黙想し終わったのに、先頭に立つトダ神父は立ち上がらなかったといいます。青年たちが近くのアクセ政府病院に運び込んだものの手の施しようがなく、心筋梗塞で息を引き取ったのだそうです。トダ神父は日頃から高血圧で、加えてこのときにはマラリアが治りきっていなかったとか。働き盛りの宣教師を失いました。R.I.P.

さてよい知らせは、夕方にガーナ管区顧問を務める友人の神父から電話がありました。上記の神学生の司祭叙階が決定したという知らせでした。8月はじめに同級生たち8人と叙階になるそうです。マーティン・アクェティ・デュマスといいます。私がガーナで働いていた小教区からは、その後数名の青年が神学校に行きましたが、残念ながら叙階までに至ったものはこれまで一人もいませんでした。マーティンはその頃まだ中学生で、よく教会の掃除や水くみを手伝ってくれたものです。その子がその後高校を卒業して神言会の神学校に入り、やっとここまでたどり着いたというわけです。しかも宣教師としての任命先は日本管区。よい司祭に育っていきますように、どうぞお祈りください。

昨日、火曜日は秋田の聖霊高校で卒業式でした。325名の卒業生が整然とした美しく荘厳な式で、高校生活から旅立ちました。今までいくつもの卒業式に参加していますが、今回ちょっと驚いたのは、最後に卒業生が退場するシーンでよくある拍手がなく、タイトルは失念しましたが、優雅なピアノ曲がかかってしずしずと退場になったこと。何か勇壮な曲に乗って手拍子のうちに退場というイメージがあったのですが、荘厳な退場もよいものだと感じました。

昨日も一昨日も秋田と新潟を結ぶ特急「いなほ」は定刻に運行し、おかげで最短の秋田滞在で卒業式に参加することができました。今日は夕方に養護施設や乳児院を運営する新潟カリタス会の理事会。明日は朝から東京へ出かけて、常任司教委員会です。

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2010年3月 1日 (月)

3月です

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3月になりました。そろそろ春の始まり、のはずです。期待します。昨日のカトリック新聞には先日行われた司教総会の決議事項が紹介されておりました。今年は3年に一度の役員改選の年に当たり、新任期は6月からですが、それに先だって会長などの選挙が行われました。2月に先立って行うのは、様々な委員会などの担当者を、新しい会長と副会長が6月の司教総会までに決めておく必要があるからです。たとえば私のカリタスジャパン担当なども、6月で任期がきますから、果たして続けるのか交代になるのかは、これから会長と副会長がお決めになる事柄です。

そんなわけで、新しい司教協議会会長には大阪の池長大司教が、副会長には東京の岡田大司教が選出され、また中央協の事務局長を補佐する事務局担当司教に東京の幸田司教が選出されました。私自身も前回に続いて二回目となる常任司教委員会委員に選出されました。常任司教委員会は会長と副会長のほか、高見大司教、大塚司教、梅村司教、宮原司教、そして私がメンバーです。

さて新しい月になりましたから、今月の主な予定を記しておきます。

  • 3月2日 秋田、聖霊高校卒業式
  • 3月3日 新潟カリタス会理事会
  • 3月4日 常任司教委員会
  • 3月9日 秋田、聖園短大卒業ミサ
  • 3月10日 カリタスジャパン関係会議(東京)
  • 3月12日 秋田、聖霊短大卒業式
  • 3月14日 直江津教会四旬節黙想会(新潟)
  • 3月15日 月曜会ミサ(新潟)
  • 3月16日 カリタスジャパン関係会議(東京)
  • 3月17日 カリタスジャパン関係会議(東京)
  • 3月21日 札幌教区 神学生祭壇奉仕者選任式
  • 3月22日 札幌教区 地主司教司祭叙階金祝ミサ
  • 3月23日 新潟教区関係会議
  • 3月24日 新潟清心高校理事会
  • 3月25日 新潟清心中学卒業式
  • 3月29日 新潟教区顧問会、司祭評議会
  • 3月30日 新潟教区聖香油ミサ
  • 3月31日 札幌教区聖香油ミサ

先月は札幌にかなり出かけましたが、今月は新潟と秋田の往復がかなりあります。もちろん札幌の方が時間的には近いのであります。新潟から秋田へは、一日3本の特急電車で3時間半強。車で6時間弱ですから。 月末はもう聖週間です。新年度は復活祭と共に始まるのですね。

ところで一番上の写真は、先日も紹介した「Testigos」のポスターの写真です。4月10日(土)午後2時から、村上市民ふれあいセンターで入場無料です。村上に開設される新潟リハビリテーション大学の開学記念行事ですが、パフォーマンスの中で紹介される偉人の多くはキリスト者です。どうぞおいでください。

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