全国的に寒い毎日が続きますが、新潟も寒い日々です。アイスランドの火山の噴火は、噴煙の影響でヨーロッパの主要空港が閉鎖になるなど、想像もつかない影響を与えています。そういえば十何年か前にアラスカで火山噴火があったとき、噴煙に巻き込まれたKLMのジャンボの四つのエンジンがすべて止まり、機長が降下させながらやっとの思いでエンジンを始動させたなんて話を聞いたことがありました。うかつには飛べないのでしょう。見知らぬ国の空港で足止めになった人も多くいることと思います。心細い思いをしておられることでしょう。地震があったり、天候不順だったり、地球自体が疲れているのかも知れません。写真は新潟市内中心部の信濃川河口部、新潟駅と司教館方面を結ぶ萬代橋あたりの桜の様子。やっと咲きました。萬代橋の上では、この時期恒例のチューリップ祭りが開催中ですが、ほとんどまだ咲いてません。
さて、水曜日の夜に、信徒養成を考えるグループの会議があり、私も参加して、グループの報告書の骨子について伺いました。4月29日の宣教司牧評議会でも、検討してきた内容が報告される予定です。
このグループは、宣教司牧評議会での話し合いに基づいて2008年に定めた教区の優先課題に取り組む一環として設置されました。ちなみに、新潟教区の現在の優先課題は次の三つです。
- A 世代や国籍を超えた交わりの共同体を構築する
- B 教区全体の情報共有のネットワークを生み出す
- C 継続した信仰養成を充実させ、成熟した信仰者への脱皮を図る
この三番目の課題に取り組むため、2009年5月に大瀧神父を座長に5名の方に、教区全体の信仰養成のあり方について検討をお願いしました。グループでは2009年10月以降5回の集まりを持ち、具体的な提言をまとめてくださいました。新潟教区の地理的条件を考慮に入れながら、いくつかの提言をまとめられたのですが、その中には、たとえば新潟市内のようにいくつかの教会があるところでは、それぞれの小教区で行われる講座を互いに公開にして、相互に参加できるようにするとか、年代別の養成をするとか、要理を教えるリーダーの養成とかがあげられています。これらの提言はさらにまとめられる予定ですので、それをいただいた段階で、次のステップを考えたいと思います。
この検討をしていただく中で、私がしばしば、「成熟した信仰者」という言葉を使うのですが、具体的にそれはどういう信仰者のことを指すのかが議論になったと聞きました。そう言われてみれば、具体的にこれが「成熟した信仰者です」という類型があるわけではなく、確かに抽象的なイメージかも知れません。いくつかのことがいえると思うのですが、たとえば「リアリティのある信仰」に生きている人。イエスの存在を肌身で感じることのできる人。自信を持って自らの信仰を語ることのできる人。こういったあたりがまず肝要だと思っています。しかし私たちの信仰の有り様を考えると、これだけでは足りないのです。
カトリック教会における信仰は、実生活におけるイエスと私との具体的な関係と、教会共同体における聖書と伝承による教え、そして典礼祭儀が相まって成立するものです。ですから、イエスとの出会いは基本であるとしても、その上にたとえばカテキズムを深め、聖書を学び、典礼をよく理解し深めることは不可欠であろうと思います。そういった事柄を総合的に、しかもバランスよくみにつけることができていれば、自信を持って「成熟した信仰者」といえるのではなかろうかと思います。その意味で、カテキズムを学び、また典礼を大切にすることは重要な問題です。この三つの側面がちょうどよく混じり合っているところに、私たちのアイデンティティがあるはずです。
ちょうど、カテキズムの重要さについて、「カトリック生活」5月号に特集が組まれています。どうぞご一読ください。