時がある
「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。 生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時・・・」
旧約聖書、コヘレトの言葉の3章冒頭に記された言葉です。しばしば「時」という言葉を説教や文章で使うとき、時間の流れの中での具体的な一地点のことではなく、この旧約にある意味で使うことがあります。自分はわかっているつもりですが、時たま、理解してもらえず、変なことになってしまう嫌いもあります。
いずれにしろ何事においても、私たちのこの人生は神の掌の中にあるのだと信じるのなら、神が定められた秩序の中で、ふさわしい時があるのだろうと思います。霊的識別を怠ると、神のみ旨を取り違えてしまうことすらあるのです。
というわけだからでもないのでしょうが、新潟司教館の玄関先に、水田が出現。といっても小さな小さな田んぼです。まだ今日、田植えがあったばかりなのに、実りの秋が楽しみになってしまいます。コシヒカリだそうです。そして江部主任司祭の手がける小さな野菜畑も、だんだんとその姿を現し始めております。野菜は成長が早く、ある日突然、その実りが天ぷらや漬け物になって、食卓に現れるのです。「大地のめぐみ、労働の実り」を実感する「時」であります。
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