そして6時間の初ミサ
ガーナ報告の続きです。朝9時過ぎに定刻よりも「早く」始まった8月7日の叙階式が4時間ほどで終わり、写真撮影の大混乱から抜け出し、ちなみにその際に撮影してもらったはずの集合写真はなぜかメモリーに残っておらず、それはさておきやっとの事で午後2時過ぎに水分と食事にありつきました。アベカ教会のホールは信徒会館の2階にあり、ホールの前方ステージ横にある台所で食事の用意が。セルフサービスで、ご飯(チャーハン的なもの)や魚をおいしくいただきました。食事もそこそこに3時半頃には旧友ドイツ人若手司祭マティアス・ヘルムス神父運転のインドはタタ・モータースの「スモー」に、新司祭のひとりであるマーティン・デュマス師を乗せ、一路ふるさとのオソンソンへ。
途中ガーナ大学正門付近(レゴン)の道路は拡幅工事の真っ最中で抜けるのに時間がかかりましたが、それでもなんとかドドワ・ロードへ。その昔23年前くらいに仕事を始めたばかりの頃、このドドワ・ロードで車が故障し立ち往生したのを鮮明に覚えています。その頃は通過する車も少なく、助けてもらうのにかなり時間がかかりました。とにかく今は車の数が飛躍的に増加しています。すさまじい渋滞が各地で引き起こされている。で、しばらくドドワ・ロードを行くと、なんと料金所が現れました。その昔、道路の穴ぼこを勝手に修理して(といってもスコップで土を埋めるだけ)、道路に立ちはだかり勝手に料金を徴収する輩はたくさんいましたが、これは正式な料金所。マティアス神父によれば、今ではガーナ各地でこのような料金所が主要道路には設置され、補修などのために使われているとか。すばらしい。
ソマニャを抜け、マニャ・コロボ族の首都オドゥマシの町に入り、懐かしの山奥へ入る道へと進みました。このあたりは以前と全く変わりません。結局、夜の7時過ぎにオソンソンへ到着。教会の人たちが、村の入り口で歌を歌いながら、新司祭をずっと待っていてくれました。そのままオソンソンの信徒会館で長老たちの出迎えを受け、夜遅くまでダンスや歌が続きました。
翌日の初ミサは、これまた定刻通り9時半にスタート。オソンソンでのお祝い事の定番ですが、聖堂横にあるルルド前のホール(屋根だけ)でミサです。数年前からルルドの前に祭壇が設けられ、テントの屋根もついた立派なステージができています。加えて今の主任司祭になったからは、周辺にフラワーポットが設けられ、格段に環境が美化されています。上の写真がステージから見たホール方面。左に座っているのがデュマス師のご両親。
初ミサにはオソンソン小教区出身のアイザック・マオンゲ師(アクラ教区司祭)、セファス・メンサ師(トーゴ・アタパメ教区司祭)も駆けつけ、周囲の司祭たちやコロボ族の司祭たちも加わって、14人ほどの司祭団による共同司式ミサとなりました。説教はまた私。ミサ自体は3時間ほどで終わり、その後に二回目の献金やらプレゼントやらスピーチが続き、結局すべてが終了したのは午後3時半。都合6時間の初ミサでした。一番上の集合写真はミサ終了直後ですが、私の表情が至って憮然としているのは、6時間ものミサに耐え抜いた直後だからです。ところで考えてみれば、オソンソン小教区出身の司祭は都合3名いるのですが、その3名とも私は初ミサに出ていることになります。マオンゲ師とメンサ師とも、私が主任の頃の叙階でした。(上の写真は第二献金で並んで踊りながら前に出る青年たち)
マーティン・デュマス師が双子であることから、コロボ族の双子のための踊りも披露されました。これが女性たちが手にした木の枝でバシバシとたたきつけたりして、かなりワイルドでした。いやそれにしても、疲れました。
| 固定リンク | 0
「司教の日記」カテゴリの記事
- この20年に感謝します(2024.09.20)
- 八王子方面から二つの慶事(2024.06.04)
- 先週末から今日にかけて:カノッサ修道会、そして国際カリタス(2024.05.17)
- 教皇様にお会いしました(2024.03.19)
- 新年明けましておめでとうございます(2024.01.01)