ガーナにて叙階式の数日前、ボルタ湖をフェリーで渡ってアフラム・プレインズ(Afram Plains)へ一泊で出かけました。運転手はドイツ人のマティアス・ヘルムス神父。現在はガーナ北部のトーゴとの国境地帯で働くマティアス神父ですが、2年前まではこのアフラム・プレインズで信徒養成研修所の所長をしていました。彼の古巣でもあります。私もガーナで働いていた頃は、2回しか足を伸ばしたことがなかった地です。しかも同じ教区の中にありながら。実はなかなか行くのが大変なのです。
アフラム・プレインズは、もともと電力開発のために1965年に完成したアコソンボ・ダムによって発生した人造湖ボルタ湖によって生み出された地域です。ボルタ湖は世界一の人造湖といわれます。決して島なのではなく半島なのですが、北部の地続き部分には人が住んでおらず道路もありません。そのため人造湖によって分断される前の道がそのまま残り、水面下に沈んだ部分である東西地域に、フェリーによる交通が提供されるようになったのです。ローリングス元大統領がまだ軍事独裁を敷いていた頃、アフラム・プレインズの農業開発の可能性を強調して、何度も訪問したり、陸軍工兵隊を長期派遣して道路整備にあたらせたのは有名な話です。そのおかげなのか、完全に舗装が行き届いてはいないものの、アフラム・プレインズの東西を結ぶ道路は、かなり整備されていました。(上の写真はフェリーに乗ってきたバス。屋根の上は荷物が満載ですが、その中にはなんと山羊まで)
とはいえフェリーは20年前に使われていたのと全く同じ代物。当時でさえすでに中古だったのですから、すでにかなりくたびれています。一日4往復するとのこと。朝一番の便に乗船することにしました。
朝8時半出発とのことでしたが、予約などもないのでとにかく順番を取りに並ばないと乗れません。朝6時に近くの町、クワフ・タフォの教会を出発し、30分ほどで湖の近くへ。すでに何台も車が並んでいます。それから待つこと3時間。8時半のはずがいっこうに動く気配がない。やっと9時半頃になってゲートが開き、乗船が許されることに。すると我先にと車が一斉にフェリーめがけて競争を始める。それからが大変です。一応、係がいるものの、そこはもう闘い。ドライバーの怒鳴り声だけが響いていました。下船のことを考えてバックで車を乗り込ませます。一台でも多く乗せるため、これでもかというところまで車同士を寄せる。マティアス師はこの日、迫ってくるバスに二回バンパーでタタ・スモーを突かれました。
30分ほどのフェリーの旅はあっという間に終わり、アフラム・プレインズに。そこからさらに1時間ほど走って、ドンコクロムの町に到着。目的地です。今年の1月に教皇様はアフラム・プレインズを独立した代牧区とされ、神言会員のガブリエル・クモジ師を代牧区長に任命し司教とされました。ガブリエル司教は今年の4月に叙階されました。彼は20年前に同じ地区で一緒に働いていた仲間です。その新司教に会いに行きたかったことと、彼の本拠地を訪ねて激励したかったのが訪問の理由です。ガブリエル司教はちょうど、カテドラル教会の建設に取りかかったところで、基礎だけができていました。私と会った直後に一ヶ月の予定で合衆国へ出かけ、日曜毎に教会を訪問して資金集めをしてくるのだといっておりました。新しい教区を整えていくことは、さぞかし大変なことだろうと感じた次第です。(上の写真、真ん中がガブリエル・クモジ司教、右は聖マーティン高校の校長を務めるアチャンポン師)
ドンコクロムに一泊し、翌朝は再び6時頃に出発。10時のフェリー便乗船を目指します。昨日と打って変わってこの日は時間通り。フェリーの中にはお手製の拡声器を持って、なにやら怪しげな肌クリームを打っているお兄さんがおりました。どうも聞いていると、「どんな肌の病気でもこれで一発で治る、たったの1セディス」と。怪しい。しかし結構繁盛しておりました。