青山教会で堅信式
年間第4の主日にあたる本日午前9時より、新潟市内の青山教会において、堅信式ミサが行われ、7名の方々が秘跡を受けられました。堅信の秘跡を受けられた皆さん、おめでとうございます。新潟市内はクリスマス以来の雪が続き、特に昨晩はかなりの積雪でした。新潟県内の豪雪地帯と比較すればほんの少しの雪だと思いますが、それでも新潟市内としては例年より多い雪の一日です。堅信を受けられた方々7名はすべて女性で、そのうち5名が高校から大学の若者たち。彼らの受堅を祝って、近隣の教会からも青年達がミサに集まってくれました。雪のため若干の空席が見受けられたものの、お隣の聖心の布教姉妹会シスター方をはじめ、たくさんの方が堅信のお祝いのために足を運んでくださいました。(写真はミサ前に堅信式のリハーサルをする受堅者と主任のラウル神父)
そのミサは、ミサ曲が荘厳なグレゴリアンの天使ミサ。30年ほど前ですが、神学生の頃聖歌隊でグレゴリアンの指導をしていた私としては、せめて天使ミサくらいは歌えてほしいと心の奥底では思っておりますので、感謝。オルガンもすばらしいですし、皆さんの歌にも力がある。近くオルガンも新調されるとうかがいましたが、これからも典礼の歌を大事にして、良い典礼を生み出していってください。青山教会といえばいつもは侍者がわんさかといるのですが、その面々が皆うち揃って堅信を受けているため、本日の侍者はひとり。忙しかったことだろうと思います。
本日の福音は山上の垂訓、いわゆる真福八端です。「幸いだ」で始まるイエスの力強い宣言は、聞くものに「いったい何が人を幸せにしてくれるのか」という期待を生み出します。しかしイエスは幸せになる方法を教えるのではなく、今まさにそのような状態にあるものこそが幸いなのだと宣言するのです。「心の貧しい人」。その言葉の意味を説明するかのように、教会は第二朗読にコリントの教会への手紙を持ってきます。そこに記されているのは、絶対的な神への信頼。誇るべきものは人間が持っているものではなく、それを生み出した神ご自身でしかないこと。まずすべての出所、いのちの源は神なのだと認め、それを基にして謙遜のうちに他者との絆を深めていくことこそ成熟した信仰者の生きる姿勢なのではないかと思うのです。
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